投稿者「eguchi_satoshi」のアーカイブ

「新卒女子大生がベンチャー企業に就職するのはそれ自体ベンチャーです」っていう夢

以下のような妄想を書いている夢を見た。まったくの妄想。夢。現実とはまったく関係がない。以下の文章での「現実」は現実ではなく私の夢のなかの現実を指す。 続きを読む

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まあ挨拶は基本だから

いまさら「挨拶をしましょう」とかわざわざお説教する気はないのですが、たしかに挨拶は基本だねえ。まともに挨拶できない人にまともな人はいない、っていう経験知はほとんど間違ったことがないです。

別にそこらへんのファストフードや居酒屋さんのようにマニュアル通りに元気よく型通りに「オハヨーゴーザイマス」とやる必要はないのよね。その日の自分の気分や相手へ関心に合わせてその場に適当なようににすりゃいい。っていうか、その柔軟さがポイントね。元気のないときは元気ないなりに、死にたいときは死にたいなりに挨拶すべし。相手が嫌いなら挨拶なんかしないで向う見てればよろしい。

画一的な挨拶しかできない人はそういう人だし。ファストフードや居酒屋で画一的な挨拶をされれば、ここはそういう画一的な場でこの人にとって私は画一的なものとして見えているのだなあとか思うわけで。優秀なセールスマンなんかはここらへんよくわかっているような気がする。

相手の顔色見て挨拶する人はそういう気配りができる人なんだろうし。挨拶ってのは、まあそういうその時のその人の「世界への開かれ」とか敵意のあり方とかそういうものの具合を見せるわけだ。だからなんでもかんでも愛想よく挨拶する必要はないが、他の人からはそういう敵意をちゃんと表す人だってちゃんと理解してもらえる。それはそれでよいことかもしれません。

まあいっちょ前のオヤジたちも挨拶できない人は多いので、そういう人を観察してみるのがいいかもね。やっぱりバイトは大事ね。誰が誰にどういう挨拶しているか見てみる。それと、その人の実力なり人気なり信頼なりの関係を考察してみるとよい。挨拶できない人は嫌われたりする傾向にあるし、嫌われるとなおさら挨拶できなくなるってもんです。この悪い回路からどうやって抜け出すのかはわかりません。人生の難問。

まあ私もちゃんと挨拶できないオヤジなんですが、だからこそ世間様に迷惑かけないように大学とかでうろうろしているわけでね。自分がそういう人間だとわかればそれなりに対処法がある。なるべく人と会わないようにして迷惑かけないようにしてるわけだ。人に挨拶せず下を向いて歩くことによって、「私はダメな人間だから近づくな」というメッセージを発しているわけ。これは反面教師にした方が、よい人生を送る可能性が高いと思います。ダメなオヤジのことを、「たしかにあれじゃだめよねえ」と暖かく見てやってください。タイトルは「反面教師日記」の方がいいかもなあ。

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卒論を書くとどんないいことがあるか

  • EXCELの図表をWORDにコピペできるようになるかも。
  • JPEG画像をWORDに貼って文字をまわりこませられるようになるかも。
  • WORDでページ番号つけられるようになるかも*1
  • WORDで目次を自動生成できるかも*2
  • 「」『』の使い方がわかるかも。
  • 「てにをは」ぐらいはちゃんとした文章が書けるようになるかも。
  • いつもは穏やかな先生が怒るのを見れるかも。
  • いろんな人から助けてもらうわざを身につけられるかも。
  • うそをつくのは苦しいことがわかるかも。
  • こたつとみかんの重要性がわかるかも*3
  • たまには誉めてもらえるかも*4
  • だめな文章がわかるようになるかも*5
  • なんか問題を発見することができるようになるかもしれない*6
  • なんか与えられた課題をとにかく形だけこなすことができるようになるかもしれない*7
  • はじめて「だ・である」で文章を書くという経験を得るかも*8
  • まじめにやろうとするほど苦しむのはなぜだと世界を呪えるようになるかも。
  • コピーのとりかたがわかるかも。
  • ノートがとれるようになるかも。
  • ファイルを整理できるようになるかも*9
  • ホチキスでとめたり、バインダーに挟んだり、簡易製本したりできるようになるかも*10
  • 運がよければ本が読めるようになるかもしれない*11
  • 計画立てられるようになるかも。
  • 見出しをゴチックにすることができるようになるかも*12
  • 作業リストを作れるようになるかも。
  • 自分がなにもちゃんとした教育を受けてないことがわかって教師が憎くなるかも*13
  • 自分がなんもわかってなかったことがわかるかもしれない*14
  • 自分の「くみ・なまえ・ばんごう」は忘れずに書けるようになるかも。
  • 自分はなにもできないことがわかるかも*15
  • 世界には真理なんてものはないかもしれず、少なくとも人間なんてものは本当のことを知らないってわかるかも。
  • 知ったかぶりはテクニックが必要なことがわかるかも*16
  • 締切を守ることはなにより大切だとわかるかも*17
  • 締切をまもれなかったときの対策ができるようになるかも*18
  • 途方にくれるという快楽を味わえるようになるかも*19
  • 日本語は段落の先頭は一文字ぐらい落とすものだとわかるかも*20
  • 付箋の貼り方がわかるかも*21
  • 文書の体裁が統一されてないひと、誤植が多い人はたいてい頭も悪いことがわかるかも*22
  • 本にマーカーで印つけられるようになるかも*23
  • 本に書いてあることはけっこうでたらめ、テレビも新聞も授業もでたらめだらけってことがわかるかも*24
  • 本は自分で買うものだとわかるかも*25
  • 卒論書くより就職活動の方が勉強になるとか思ったりするかも。

*1:これはWORDがだめなんですよね。

*2:実はなんか使いにくいんですよね。

*3:私はタバコとコーヒーとビールですけどね。

*4:大学ってのは誉められもしなきゃ怒られもしないとこだよね。

*5:だめな文章をお手本にするとますますだめになるんですよね。

*6:最初は簡単なことで答ははっきりしていると思ってたのにね。

*7:これが一番だいじかもね。

*8:「であるのである」が微笑ましいです。

*9:わたしはまだできません。

*10:簡易製本機は研究室にあります。

*11:読めないまま卒業させちゃってごめんなさい。

*12:WORDの「スタイル」ね。

*13:ごめんなさい。

*14:けっこう自分に自信があるひとが多いのはよいことかもなあ。自信をなくすような教育するのはネガティブすぎてだめですね。

*15:ごめんなさい。会社の研修で鍛えてもらてください。

*16:女子は男子よりハッタリやシッタカしない傾向があるようですが、時には背伸びしてもいいですよ。

*17:意外に皆堅くて安心しました。

*18:こういうことを教えてはいかんですよね。

*19:でもなんとかなるのです。

*20:WORDのテンプレート渡しておけばよかったですね。

*21:3Mの透明のやついいですね。

*22:このブログとかね。

*23:私は伝統的な赤鉛筆ですけどね。

*24:困りますね。

*25:もちろん図書館大事ですけどね。

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花輪和一先生も偉大だ。

学生の人は読んでください。

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刑務所の前 (第1集) (Big comics special)

刑務所の前 (第1集) (Big comics special)

刑務所の前 (第2集) (Big comics special)

刑務所の前 (第2集) (Big comics special)

刑務所の前 第3集 (ビッグコミックススペシャル)

刑務所の前 第3集 (ビッグコミックススペシャル)

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人の定めは苦しむこと……

苦しい。でもあと2時間がんばる。

やけになって諸星大二郎先生の「マンハッタンの黒船」スキャンしてみたり。あんまり深い意味はない。(『失楽園 (ジャンプスーパーコミックス)』収録)

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右上は革命をめざすリオ・サカモンド。まあ統治ってのはこういうふうにやらなきゃね。デモクラシーの理想。あれ、画像なんてめったに扱わないから解像度やらどうしたらいいのかよくわからん。

まあこの作品はアレだけど、「失楽園」は永遠の名作だよなあ。

こんなん。とにかく学生は必ず読みなさい。

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「おじい、その“幸福の沼”はどこにある?」私にも教えてください。

初出はどっちも1978年。エバーグリーンですごすぎ。オラもいっしょにぱらいそさつれてってくだせえ。

時間切れ終了

isbn:4326101695

そろそろ時間切れか。いつもツメきれずに終ってしまう。だめだめ。

https://yonosuke.net/eguchi/papers/ando_governance.pdf

校正はいったん寝てから。なんで人生にはこんなに苦悩が多いのか………

そういや、(忘れてたけど)卒論書いているひとたちもがんばれ。苦しみはひとを利己的にするなあ*1

*1:そしておそらく快楽も。

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安藤本 (5)

統治と功利

統治と功利

さて、困ってきました。焦る。

  • p.123第1パラ最後の方の「我々の態度や関心に依存せず、我々を動機づける力をもつ個人的な非道徳的価値」の「個人的な」はこれでいいのかな。「非個人的」ではないのかな。・・・下の注でも「客観説多くは非道徳的個人的価値としての福利を論じ~」となってるからこれでいいのか。「個人的」は「個人の福利としての」とかって意味だな。社会的価値とかと区別される意味での価値か。もしかしたら章によって用語法がちょっとぶれてるかもしれない。
  • p.124 第2パラ「何かを訪ねるなら」。これはさすがにタイポだろう。この本は第1刷なのにほとんど誤植を発見できない*1が、やっと1個発見。

  • 安藤の欲求。「未だ達成されざる対象に向けての未来志向的な肯定的態度」p.135。シジウィックとの違いに注意。微妙だけど「欲求の対象は基本的にはある種の命題やその相当物であると考えてよいだろう。」そうなんだろうなあ。「私は水が欲しい」は「私は私が水を飲むことを欲求する」なわけだ。
  • やっぱり態度的快楽気になる。わからん。5.2.4。安藤先生によれば、態度的快楽説は感覚的快楽説を適切に説明できる。ある感覚的快楽について、われわれが間違うことはありえない。私がある感覚的快楽を抱いている場合、私がその感覚をいだいているということについて私は態度的快楽をもっている(この場合はさらに世界でその事態が実際に成立しているので歓楽でもある)。ううむ。
  • 態度的快楽説とパーフィットの選好快楽説はそんなに違ったものかな?注の41はポイントよくわからない*2
  • 態度的快楽説とシジウィックの快楽説の違いも結局よくわからなかった。よくわかるようになるとも思えん。本人に質問しよう。
  • それにしても1970年代以降の哲学の専門家・精密化ってのはとんでもないよな。ついていけません。 ついて行こうと努力する気にも実はあんまりなれない。

*1:自分でTeXで組版したとかって話なのに。それだけでもすげーよな。哲学者にしてTeXnician。

*2:まあ私は安藤先生の本のほとんどわかってないかもしれないのだが。

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Robert E. Goodin

Utilitarianism as a Public Philosophy (Cambridge Studies in Philosophy and Public Policy)
Robert E. Goodin
Cambridge University Press
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いちおう最初の論文 “utilitarianism as a public philosophy”だけチェック。
気合いが入ってるなー。アジ文のようだ。天下国家を論じる人々はちがうね。http://philrsss.anu.edu.au/people-defaults/goodinb/index.php3
か。重要な人だな。

グッディンは児玉聡先生の博論でも1章使って扱われてるんだよね。博論見せてもらった時点でチェックするべきだよな。モグリ教員はいかん。まあ私はおそらく功利主義者ではないので、それほどあれか。いやいや。

まあこういうのを読むと、児玉先生や安藤先生なんかの国内の若手急進的功利主義者たちが「おまえらのふにゃふにゃした道徳的直観なんかどうでもよろしい」とか言いたくなるのもわかるような(そうは言ってないと思うけど)。

この本は翻訳あってもよさそうだけど、10年も経ってしまえばもう古いか。哲学関係はどの分野もそうなんだけど、功利主義は特に英米でやってることと国内で紹介されていることの時間的距離がありすぎるよね。一部の翻訳パワーというか翻訳エネルギーを功利主義にまわしてほしいな。でも翻訳は自分でやるにはトラブルばっかりで労多くして益少なしな感じがあれだ。

序文冒頭の文章がよい。

This book constitutes my response to a challenge, laid by Peter Singer in the friendliest possible way over drinks one day in 1988, for me to write up my (by implication, eccentric) version of utilitarianism someday.

酒飲んでシンガーにからんで怒られたんだな。超訳すると、

この本はピーター・シンガーと酒飲んだときに、「書けるもんなら、そのうちてめえのヘンチクリンな功利主義の本書いてみたらどうだ」って煽られたのに対する返答である。

みたいな感じか。

最近、英米の思想史が気になるんだよな。19世紀以前のじゃなくて、1950~70年代の。なんで功利主義がちゃんと扱われなくなったのか。一方で共産主義みたいなのが左派の典型としてあり(その一部は全体主義的)、一方に自然権理論とかに依拠した右派みたいなんがいて、功利主義は福祉リベラルの理論的根拠の一番の候補だったはずなんだよな。右からも左からも攻撃されて居場所がなくなったってことなんだろうか。60年代の公民権運動とか新左翼運動とかなんか関係あるはずんなんだよあ。倫理学とかしか勉強してないとそこらへんが見えなくなってしまう。なんにもないところに1971年にいきなりロールズとノージックとドゥオーキンが出現したように紹介されることも少なくないもんなあ。でも1971年にはPhilosophy & Public Affairsの発刊という重大事件もあったのだ。

国内で功利主義批判が左寄りの人から行なわれることが多いのも気になるんだよな。ウィリアムズとかはっきり右より保守ですってば。その意味で、やっぱりこの本は翻訳されるべきなのかもなあ。まあ右とか左とかどうでもいいし、そういう分類はまちがった印象を与えるからつつしもう。

左翼っていうのは。シンガーなんかは「弱い人々の苦しみに共感し世界をベターな方向に変えようとするのがレフトだ」とか書いてたような気がする。本みつからん。

現実的な左翼に進化する 進化論の現在 (シリーズ「進化論の現在」)

現実的な左翼に進化する 進化論の現在 (シリーズ「進化論の現在」)

でも私には天下国家のことはやっぱりよくわからん。関心が薄いんだよな。自分の生存と幸福には興味あるんだけどね。だから倫理学者はだめなのだとかってことはないので注意。ちゃんとした人はたくさんいます。

Goodinの本、いちおう”Government house utilitarianism”も目を通す。特に文句ないです。

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