一つ前のエントリで書いたミスチルのYouthful Daysの件、私聞いたことは歌詞意識したことがなかったんですが、なんかすごい違和感あったんです。
にわか雨が通り過ぎてった午後に
水溜まりは空を映し出している
二つの車輪で 僕らそれに飛び込んだ
羽のように広がって 水しぶきがあがって
君は笑う 悪戯に ニヤニヤと
僕も笑う 声を上げ ゲラゲラと
まあこれはいいですよね。いかにも青春。ただし水しぶきは他人様にかけてはいけませんよ。
youthful days、若い日々ってんだから高校生ぐらいすか。男子高校生と女子高校生のころの思い出を、おとなになってから歌っている、ってことでいいですか。シンガーは俺様。かなりトンガってます。
歪んだ景色に取り囲まれても
君を抱いたら 不安は姿を消すんだ
まあこれもいいです。「抱いたら」っていうのは女子はハグの意味にとるみたいですね。それでいいでしょうか。とにかく難しい高校生の時期にセックスしてました、ぐらいの意味ですかね。
※胸の鐘の音を鳴らしてよ
壊れるほどの抱擁とキスで
あらわに心をさらしてよ
ずっと二人でいられたらいい
んー、まあ「あらわに心をさらす」ってのがどういうことなのか。でもまあセクロスセクロス。これがそういう歌だってことぐらいはファンの間でもコンセンサスありそうですね。
「サボテンが赤い花を付けたよ」と言って
「急いでおいで」って僕に催促をする
キーワードのサボテン。もちろんあのトゲトゲついたサボテンでしょうけど、どういう形のサボテンを想像しますか?サボテンの花というのはあれは鮮やかで美しいものなのでいいですね。
何回も繰り返し 僕ら乾杯をしたんだ
「乾杯する」まあふつうはビールとかシャンパンとかそういうのだろうけど、文字通りにとっていいのかどうか。
だけど朝になって 花はしおれてしまって
君の指 花びらを撫でてたろう
僕は思う その仕草 セクシーだと
サボテンの花をなでたりするかなあ。
表通りには花もないくせに
トゲが多いから 油断していると刺さるや
ここ謎ですよね。どう解釈するでしょうか。
胸の鐘の音を鳴らしてよ
切ないほどの抱擁とキスで
乾いた心を濡らしてよ
ただ二人でいられたらいい
ここはあんまり問題ない。
生臭くて柔らかい温もりを抱きしめる時 (I got back youthful days)
くすぐったい様な乱暴に君の本能が応じてる時 (I got back youthful days)
苦しさにも似た感情に もう名前なんてなくていいんだよ (I got back youthful days)
日常が押し殺してきた 剥き出しの自分を感じる
これ異常ですよね。サボテンが生臭いとは思えないし、柔らかくもない。んじゃ生臭いのは抱きしめている相手(?)だ。生臭い女子高生とかいやですね。しかし生臭いのは女子高生なのか、あるいはその一部なのか……「サボテンに花が咲いた」っていうのは比喩だとしたらいったいなんなのか。チクチクするけど花びらついてて暖かくて生臭くて、ときどき赤い。
あとこの曲、時間の感覚がちょっと微妙で、高校生の頃を懐かしんでいるようでもあり、でも生臭いのを抱きしめているのは今のようでもあり、なんかわかりにくい。これも技法なのかしら。
繋いだ手を放さないでよ
腐敗のムードを かわして明日を奪うんだ
なにかが腐っている?え、これなんの歌なの?さっきのチクチクのトゲもほんとにサボテンのトゲなの?
(※繰り返し)
いつも二人でいられたらいい
わけわからんですね。私にはもうあるイメージがあるのいですが、これは相当ひどい歌だと思います。メッシーというかなんというか。まあ書くと怒られそうだし、各自解釈してみてください。
まあミスチル先生の歌詞はわざとわかりにくくしてるんですわ。でも手がかりは残していて、ニルヴァーナほどわけわからんようにはしてない。それがファンの人々が「深い!」とかっていう理由ですが、その内容が深いかどうか。音楽だけでかく歌詞表現もこったものなのもわかるのですが、私はわざとらしくてあんまり好きではないのです。そしてなにより、その歌詞が表現している理念、思想みたいなのが好きではないのです。ごめんねファンの皆様。
ちなみに、歌詞っていうのは、もっと適当というか、アーティストの霊感や直感で書いているはずだっていう意見はあると思うけど、そういうのにしてもなんらかの知的な作業は行われているのがふつうだと思います。ミスチルはそういうのが特にはっきりしている方で、昔いかにも知的な操作で作られた歌詞を分析してみたことがあるんだけど、あれなんていう曲だったか思い出せない。2ちゃんねるに書いたんだけど。
なぜそうなるかというと、適当につくった歌詞、なんの脈絡もない歌詞っていうのは歌う人間が覚えられないんですわ。あるストーリ、あるいは連想、そういうものがあってやっと歌詞をおぼえられる。たんなるゴロだけではおぼえられない。
それにもっと大事なこととして、作詞する場合、なにも背景の連想やアイディアがなければ言葉の選択肢が多すぎて(無限にあるわけだ)、構成できないんですわ。なぜそこにその言葉がはまるのかっていう少なくとも内的な整合性は必要なんよね。まあおうおうにして作家のその内的な整合性ってのが他人に理解できない形になってしまうけど、本人のなかではあるイメージみたいなのがあるはず。ニルヴァーナのSmells like teen spiritもそういうふうにしてできてるんだモスキート。おそらくカートコベイン先生のなかでは、あそこで歌われている個人的な体験とそこに蚊がいたことがみっちりつながってるのだろうと思う。ミスチル先生がこの曲を歌うときも、そのたびに、赤いサボテンの花びらをいじってる指が思い浮かんでるはずです。
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コメント
この歌の歌詞の意味がわからない感覚が
わかりません。
カンや読解力がするどい人はわかると思います。
こんなにしっかり考えて結果が出せず、無能を晒してどうするんですか笑
ここまで無能だと
救い用がない、笑
だめやねwww
もっとがんばれwww
単純に昔の彼女とのセックスを思い出すことを通して「甘酸っぱくて柔らかい」青春時代(ユースフルデイズ)をうたっているのだと思います。
しかしその描写は直接的で詩的ではないことは、ご指摘の通りだと思います。
サボテンは完全に男性器の比喩だし乾杯は絶頂でしょう。
生臭いというのは性交渉の時に感じる生臭さをリアルに表現しています。
性行為は崇高なものであったり、ロマンチックなものとしてとらえている人がこの歌を聞けば、そのリアルな描写に辟易するだろうなと思って聞いています。
辟易を防ぐためにあの軽快でアップテンポな曲を充てているのだと思いますね。
これを深いと取るか、下品ととるかは人それぞれ。5件のコメントを拝見する限り、前者の方が大変多いのだろうなとは思いますが、そうじゃないという人を知れてよかったです。
私はミスチルが大好きで歌詞の深みがとても素敵だと思いますが、365日の「心にキスしたい」とか運命の自慰行為のくだりなど、せっかく素敵な曲なのに、露骨な性行為自慰行為の描写がエグくて曲を台無しにしていると思います。そこが残念。
そういったところが如実に出始めたのが、ユースフルデイズ、もとい、Its a wonderful world(収録アルバム)なのかなと思っています、
この曲は在日韓国人と日本人との恋愛を描いた映画が元となっています。トゲのくだりは恐らく在日韓国人の心境を表していて油断出来ないとは自分を委ねられないこと、つまりは日本人が信用ならずに気安く触れあえないということをトゲと表現しています。表通りとは在日集落の外でしょう。日本や日本人、椿をサボテンに見立てていて、赤い花とは恐らく彼女の好きという感情でしょう。いちどは萎れてしまったけど彼女にはまだ思うところがあったから枯れても撫でていた、、、は深読みですかね。
腐敗のムードとは日本社会そのもので、彼らを取り巻く環境にめげないこと、また苦しさに似た感情に名前は要らないというのは在日であるだとか関係なくただ二人が感じていることこそ大事という意味ではないでしょうか。あらわにさらすとは映画のラストのシーンのことを指しているのでしょう。ついでにニヤニヤとゲラゲラも映画を意識しているかもしれません。
は?
このエントリと前のエントリを合わせて読んだ感想:
まず、江口さんが大学教授ということは存じております。当然、人並以上の文章読解力・分析力を持っているだろうことは疑っていません。そんな人にとってはサボテンがなにかの暗喩だということは当然分かっているだろうと思います。分かっているのに具体的に何の暗喩だと感じたのか考えを示さないどころか、本当に比喩なのかどうかも確信を持てない素振りを見せていますね。
>「サボテンに花が咲いた」っていうのは比喩だとしたらいったいなんなのか。
こうした素振りは、江口さんの一種の「否認」と言えるのではないかと思います。自分に激しく劣等感を与えるリア充的歌詞を認めたくないのです。
作詞者の桜井はおそらくリスナーに、この歌詞中の「サボテン」から「性器」、さらには「性欲」を連想することを期待しているだろうと思います。多くの人がこの歌詞を読んでそう感じるだろうと思います。江口さんもそうではありませんか?
「性器」や「性欲」には、汚ない・危険・忌避されるべきもの、といったイメージもあるので、「生臭い」「腐敗」といった表現が使われる事には何も違和感は感じられません。というよりも、これらの表現が使われてるからも「性器」「性欲」の暗喩で間違いないだろうなと確信を深めるのです。
>わけわからんですね。私にはもうあるイメージがあるのいですが、(中略)各自解釈してみてください。
分からないと言いながら結局は分かっているんですよね。書かないだけで。自分だけが解釈できていると確信を持たれているようですが、それは少々自惚れが過ぎるように思います。
前エントリより引用。
>サボテンの花の話してるのに生臭いのは異常っしょ
先に書いたように十分に連想可能な妥当な表現です。それを「異常」と言い切ってしまうあたりに、いかにも童貞っぽいセックスへの憧憬と、リア充への嫉妬・怨念・憎悪の念、そして、嫉妬の矛先がイケメンミュージシャンを好みがちな女性のほうへ向かうインセルみを強く感じました。
「どうせお前らミーハーなアホ女には読めないだろうけど、桜井はさわやかな歌詞をかいてるように見せて実はこんな卑猥な歌詞を書くいやらしいヤツなんだぜ!」
桜井の作る歌詞の世界の深みに比ると、甚だ幼稚で下賤な復讐心が垣間見えます。いや、これがリアルな人間らしさと言えなくもないですかね。
3つ上のコメントまえかわさんが書かれた、アルバム『Its a wonderful world』以後の歌詞には深みとともに「エグさ」がでているという指摘、まったく同感です。個人的にはその「エグさ」が、虚飾を廃した偽らざる人間の心情や営みを表現していてさらに歌詞に深みを増しているように感じています。
よかったらアルバム『I LOVE U』収録の「隔たり」という曲も聴いてみてください。江口さんがどんな感想を持たれるか興味があります。
なにを責められているのかもうひとつわかりませんが、最初の方の比喩の話は(いじわるな書き方をすると)ちょっと私の伝えたかったものがつたわってなくて、まあ私の文章力のなさなのでしょうがないです。でもまあみんな好きなことを想像したり連想したり書いたりすればいいと思います。私の心理の分析みたいなのをしてもらってもかまいませんが、もっと別のこと考えてもらった方が生産的だろうとは思います。それにしてもミスチル桜井先生はやっぱり豊かな連想を生みだす多義的な歌詞書くのがうまい。
「隔たり」は有名な「コンドームの歌」ですよね。Youthful Daysほどは私には魅力的じゃないです。
>もっと別のこと考えてもらった方が生産的
正直に申し上げれば私も江口さんのこのエントリを含む、ブログ内の少なくない記事も「生産的」ではないと思っています。
江口さんはツイッターではご自分に近い「仲間」を想定読者にしているように感じますが、それと対照的にこのブログでは全体的に、(女子)学生さんを強く意識して書いているように思われます。多くのエントリを学生さんに向けた文章読解・分析・論述等の指導の体で書かれていますね。ブロブ開設の動機や初期の投稿は実際にそうした指導目的だったのではないかと思います。ですが今はフェミニストや女性への非難・復讐・鬱憤晴らしが決して小さくないモチベーションになっているように強く感じます。
フェミニズム学者さんへの批判内容としては首肯できるものが多いのですが、フェミニズム学会の健全化のためにはブログ記事にするよりは正式な論文として提出した方がより生産的ではないかと思います。
>「隔たり」は有名な「コンドームの歌」ですよね。
「隔たり」は有名なんですか。知りませんでした。あまりディープではないミスチルファンのコミュニティではそうでもなさそうな気がします。ディープなミスチルファンにとっては全て知ってて当然で、有名/無名という区別はないですが。
最初に戻り、
>なにを責められているのかもうひとつわかりませんが、
「なにを」責められているのかは江口さんであればわかるだろうと思います。それは書いているつもりです。
わからないのは、「なぜ」責められているのかではないでしょうか。
私が先の非難めいたコメントを投稿した理由は、無駄に学生さんや一般女性を馬鹿にしたような偏見まじりの文章を公開する必要はないのではという怒りもあってです。ミスチルに関するエントリには多くの人が反発コメントをつけられていますね。嫉妬や偏見、軽蔑心が混ざっていることぐらい読みとれます。演繹で証明することはできませんが、多くの人は「空気を読む」かのように直観的に帰納的に推理できます。もちろん、それが偏見から生じる誤解であることもありますが、この件についてはほとんど確信しています。
偏見は偏見を生みます。憎悪は憎悪を呼びます。復讐は復讐を生み出します。私もその連鎖の一部となっていましました。連鎖の輪に繋がることは最初から自覚しておりました。それでも意見を伝えた方がよいだろうと判断いたしました。私のような者からでも。江口さんはご自分でご自分を客観的に見つめることが苦手な人、あるいは、ご自分にだけ甘い人だと感じていたからです。
こうした口に苦い辛辣な意見を述べる事を「生産的」と言っていいのかは分かりませんが、個人的には社会的影響力のある人に対してそれをするのは意義のある事だと考えております。
私のほうから負の連鎖を繋ぐのはこれまでにしておきます。
主に論理的思考力を必要とする読解力にはそれなりの自信があるのですが、語彙の豊富さや感性なども重要になってくる文章力に関しては、江口さんのような謙遜からでなく本当に如何ともしがたいものがありますので必要以上に苛立たせてしまったかもしれません。お詫びします。
少し時間的余裕があるのでお返事します。このコメント欄は書きにくいので、ツイッタとかで捨てアカから少しずつ書いてもらった方が楽でおもしろいです。
生産的でないというのは、このブログに来るのは検索にひっかかってこのエントリを見る人ぐらいなので、そこに大量にいろいろ書かれても誰も見ないので、ツイッタなり御自分のブログなりで書いた方がおもしろかろう、ぐらいの意味です。ネガティブな内容だから生産的ではない、とかそういう意味ではないです。(ネガティブなのもそれなりに生産的なことがある。)もうひとつ、誰か個人にあてた文章というのはあんまり生産的でないので、広く一般の人向けに書いてもらった方がいいとおもいます。私に関心をもっている人というのは世界ではごく一部にしかいないので、もっと広い世界に向けて(たとえば)「こいつの書いてることはおかしい」ぐらいのこと書いてもらってもかまわん、そっちの方が生産的だということです。
第二に、私がこの一連のブログを書いているのはまず第一に自分の楽しみのためで、説教やらガイドやら解説やらは二の次の目的です。まあ楽しむことだけを目的にして楽しくなることっていうのはすくないので、仮になんらかの設定をするわけですね。そもそも最初から女子大生向けのガイドではないです。(女子大生向けのガイドのふりをしている別のものはある)
こういうのは勝手に推測しないで、質問してくれれば「ちがうよ」な答えができるんですが、世の中の多くのひとは他人の心理や行動の経緯や歴史を自分が見た一部から独断する傾向があり、森さんもその一人のように見えます。(そして私もそういう独断的なタイプの一人ですが、他人のところにおしかけたりすることは少なめにしています)
「ですが今はフェミニストや女性への非難・復讐・鬱憤晴らしが決して小さくないモチベーションになっているように強く感じます。」こういう勝手な思い込みを他人にぶつけるのはやめてください。
「私が先の非難めいたコメントを投稿した理由は、無駄に学生さんや一般女性を馬鹿にしたような偏見まじりの文章を公開する必要はないのではという怒りもあってです」
私は皮肉やユーモアが含まれる文章が好きなので、そういうのが「馬鹿にする」と思われるのであれば、そういう書き方をします。女性を馬鹿にするときよりは男性をばかにするときが多く、学生様を馬鹿にするときよりは大学教員をばかにしているときの方が多いでしょう。そうしたおもしろいおかしい書き方をすることによって一部の人を不快にし、とおざけられることがあるのは十分意識しています。これはしょうがないのでうけいれます。
「ミスチルに関するエントリには多くの人が反発コメントをつけられていますね。嫉妬や偏見、軽蔑心が混ざっていることぐらい読みとれます。演繹で証明することはできませんが、多くの人は「空気を読む」かのように直観的に帰納的に推理できます。もちろん、それが偏見から生じる誤解であることもありますが、この件についてはほとんど確信しています。」
そうですね。ミスチルに関しては意図的に皮肉を多めにしていて、ファンの人から怒られてしまうことは覚悟しています。しかしそれもいちおうは考えてのことであるので、罵倒されても平気です。
ミスチルは非常に裏表のある歌詞を書き、歌詞もかなり裏腹で意外な解釈ができるように作られているにもかかわらず、単に「深い」とか言われて、何を歌っているのかじっくり考えられずにすまされているように見え、そしたファンの人々に対する批判のかたちになっているからです。
おそらくコアなファンは私が見ていないところでもっとつっこんだ話をしていると思いますが、たとえば「口がすべって」の暴力的/DV的な部分、そしてそれを自覚している語り手、っていうのはみおとされてはならないと思う。それにくらべるとYouthful Daysの方はさほど毒はないけど、テレビドラマにあれくらい生生しいセックス話をのせるというのはすごい腕だと思います。(そのセックスがどういうセックスか、というのについて私が連想・推測し、あえて書いてないことについてはまああんまりコメントもらえてないですね。)
あとの残り、「おまえは自分に甘いだろう」という話についてはそのとおりなので受けいれます。
これは、奥さんと桜井さんのことなのではないでしょうか?
「歪んだ景色に取り囲まれても
君を抱いたら 不安は姿を消すんだ」っていうのは、
商業的にもっと稼げる曲を作れ、とか、ヒットを飛ばし続けろ、とか、そのためのコマーシャルにバカバカしいテレビ番組に出て、バカバカしい人たちとバカバカしい事しろ、とか言われながら、
才能をお金を稼ぐ道具としかとらえないようなレーベルとかお金が絡んだ利権の世界に取り囲まれていても、
家に帰って奥さんを抱けば、そのとんでもないストレスとプレッシャーから解放されて、不安が消えるってことなのではないでしょうか?
改めてこの歌詞を読んで、「ああ、桜井さんと奥さんは、とんでもなく巨大な渦に飲まれないよう二人で助け合って立ち向かっていたんだな」と二十年越しに気づけた気がしました。
胸の鐘の音を鳴らしてよ
壊れるほどの抱擁とキスで
あらわに心をさらしてよ
ずっと二人でいられたらいい
というのは、その通り、切羽詰まった状況で、
癒されたくて、取り繕う余裕なんかないほど
心をさらけ出して、って感じがします。
「サボテンが赤い花を付けたよ」と言って
「急いでおいで」って僕に催促をする
は、奥さんはこういう無邪気で微笑ましい、屈託のない人なのではないでしょうか。
何回も繰り返し 僕ら乾杯をしたんだ
だけど朝になって 花はしおれてしまって
君の指 花びらを撫でてたろう
僕は思う その仕草 セクシーだと
は、二人で過ごすとても穏やかな日常って感じがします。
(ちょっとドキッとしますが)
表通りには花もないくせに
トゲが多いから 油断してると刺さるや
は、それに比べて、一歩家から出れば、
全く気の抜けない世界に行かなければならないって気がします。
生臭くて柔らかい温もりを抱きしめる時
→奥さんのこと
くすぐったい様な乱暴に 君の本能が応じてる時
→愛撫してるとき
苦しさにも似た感情に もう名前なんかなくていいんだよ
→感じてる時の もどかしい感情に「愛してる」とか 、そんな呼称なんていらないってことでは?
日常が押し殺してきた 剥き出しの自分を感じる
→それはそのまま
繋いだ手を放さないでよ
腐敗のムードを かわして 明日を奪うんだ
は、腐敗をかわして明るい方にもっていくんだ!という感じ
いつも二人でいられたらいい。
セックスって相手のことを励ましたり、癒されたり、
純粋に思いやりの部分だけフォーカスすると、卑猥な要素って微塵も入り込む余地はないのではないでしょうか?
だからあんなにも自然体に歌えるのでは?と思いました。