他の文献も読んでみる

手に入りやすいものだけ適当に見てみましょう。

  • 斎藤真緒「「ケア」をめぐるアポリア」、『立命館人間科学研究』第5号、2003。国内の基本文献調査。見通しがよくて役に立つ。「感情労働」についても論じている。なにが「アポリア」かよくわからない。どうも中村直美先生が「アポリア」として指摘したってことらしい。
  • 中村先生調べないと。
  • 宮内寿子先生がけっこうよい。 「ケア倫理の可能性」『筑波学院大紀要』第3集、2008。ノディングスとクーゼの批判を紹介。他に「ケアリングと男女共同参画」とか「自由と幸福」とか、着実で好感。
  • 生命倫理学を学ぶ人のために』の竹山重光先生のやつ。メイヤロフは重要だよ。あとギリガンとノディングスの紹介。字数少ないからこんなものだろう。もっと分量増やした方がよかったんじゃないだろうか。そういやこの本はもう10年前だから、アップデートした方がよいのではないかという気もする。
  • 岡野八代先生はこの分野ではすでに大物だ。『シティズンシップの政治学―国民・国家主義批判 フェミニズム的転回叢書』とかこのひとのも脱構築しちゃって難しいから腰落ちつけて読まないとなあ。あ、『現代思想』2005年9月号の「繕いのフェミニズムへ」の方が重要だわ。でもどうもこの方も功利主義でいいんじゃないかという気がする。功利主義も「自他の区別」とか(それだけでは)あんまり気にしませんよ。っていうかまさにその点がロールズ先生あたりから攻撃されてたわけで。やっぱり藁人形攻撃しているっていうか、80年代の「正義論」がだめすぎたように見えるなあ。
  • 牟田和恵先生もなんか書いてそうな気がしたけど、見つからん。
  • 上野千鶴子先生とかも調べる必要あるんだろうか。あ、上の『現代思想』になんかインタビューが。
  • それにしてもクーゼはまともだ。
  • 図書館に『時代転換期の法と政策 (熊本大学法学会叢書)』があった。中村直美「正義の思考とケアの思考」。よい。「ケアの倫理」とかじゃなくて「ケアの思考」にしてるのがとてもよい。内容も正統派。クーゼ派。お、ストッカーの「分裂症」論文や、それに答えるヘアの二層理論にも触れてるぞ。よい。

    雑感

  • どうも地位や権力もってる主流派の方に説得力を感じるのはやっぱりすでに権力とかもっちゃってるからなのか、男性的思考に染まりきってるからなのか、ケア能力が足りないからか邪悪だからか。精神分析されたり脱構築されちゃうとやだな。
  • 自明な結論は、「ケアも正義も大事です、特に最近はケアとか忘れられてたかもしれないので注意しましょう」。品川先生もこの結論でいいんじゃないだろうか。
  • でもたしかにケアとか、仁愛とかに代表される人間的な徳とか、そういうのって
    ここ最近の「倫理学」の議論で無視されがちだったように見えるかもしれんよな(実はそうじゃないんだけど)。

  • 加藤尚武先生あたりが「倫理学ってのは対立を調停する手段を考える学問だ」とか「合意形成こそ重要」とかそういう主張してた(正確じゃないけど)のが裏目に出てるのかもしれないなあ。倫理学ってのはそんな貧弱なもんではないぞと言いたいひとがいるのはとてもよく理解できる。
  • 「愚行権」とかって言葉が流通しちゃって*1、リベラリズムってのが「とにかく他人をほうっておくことなのだ」とか理解されちゃってるのもなんだか有害だ。
  • ミルの『自由論』の立場は、「他人はほっとけ」なんてもんじゃないぞ!誰かが他人には危害加えないけど道徳的にやばいことしてたら世論の非難とかしてぜんぜんかまわん。全力で説得しようと試みてぜんぜんかまわん。
  • それに、誰かが困ってたら助け、破滅しそうだったら防げってのがミルの意見だ。誰も壊れた橋を渡ろうとなんかしないのだから。特にミルの時代に比べて、われわれはミルが考えてたよりずっと弱いってことがわかってんだから。ギャンブルとかアル中とかドラッグとか。ミルは楽天的すぎたわね。でもミル先生がいま生きてたらそういう人類の経験からいろいろ考えて、立場をちょっと変更するだろう。まあミル先生は当時の悲惨な状況を主として教育の問題だと思ってたかもしれない。「このひとたちもちゃんと教育されればもっとうまく生きられるはずだ」とか思ってたんだろう。ミルが考えてたほど人間は可塑的ではないかもしれない。また合理的でも理性的でもない。
  • 国内ではどうも法と道徳の関係がよく理解されてない感じがする。あるいは社会制度と個人の徳との関係っていうか。これがやばい香りがする。
  • 特に国内の伝統としては各種の「徳」や「調和」「順応」「忍耐」「気配り」とかが重視される傾向があって、ケアとかの重要性をとなえるひとは各種の政治的含意にも気をつけてほしいような気はする。共同体主義についてもそう感じる。徳倫理学とかちゃんと紹介されたらとんでもなく流行するだろう。
  • 特に道徳教育の人たちはそういうのが好きだし、ケアとかばっかりに見える。ちょっと危険かもしれない。
  • だからまあケアを代表に、もっといろいろ人間生活で重要な価値についてわれわれは語りあうべきだわね。正義だけじゃだめ。美とかもあるし。
  • 哲学研究者はもっと “The importance of what we care about” を語りあうべきなんだよな。でもそれやるのに、脱構築やらなんやらのなんかヘンなものもってくる必要はない。古典の分厚い伝統をもってるってのが伝統的な哲学を専門とする研究者が関連諸分野の研究者に対してもってるアドバンテージなんじゃないかと思ってる。アリストテレスやヒュームやカントやミルやシジウィックからくみだせるものはまだまだたくさんありそうだ。哲学の伝統のうすっぺらい理解にまどわされる必要はないっしょ。
  • 米国の哲学教育がおかしくなってんじゃないかという印象はなんか強くなってる。アラン・ブルームやロバート・ベラーとかが危惧してた状況で育った学生たちがいま中核になってるんじゃないのかなあ。
  • だから品川先生の本はそこらへん考えさせてくれてとてもよいと思う。「善人の、善人による、善人のための倫理学」とかって言葉が最初読んだときから頭にあるんだけど、それだけじゃないはずだ。

*1:この言葉はミスリーディングで凶悪なほど有害だ。

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