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オンライン授業でのレポート評価のためのシステムを誰か作ってほしい

前期のオンライン授業、なんとか成績表提出しておわりましたが、レポート採点にもけっこう苦労しました。

いつもは紙で提出してもらっているので、ここでも何回か記事を書いてる「レポートの表紙」つけてもらって項目を赤ペンで適当にマルでくくったりコメント書いたりして返却してたんですが、今回はオンラインということでMicrosoft Teamsの「課題」にPDFで提出してもらいました。でもこれ、こういう感じでしかフィードバックできないんですよね。

Teamsの評価画面

Teamsの評価画面

ルーブリックをつけることができるんですが、それがちょっと使いにくい。

MS Teamsのルーブリック

MS Teamsのルーブリック

わかりにくいですが、ルーブリックの列ごとにドロップダウンメニューを操作しなきゃならなくてつかいにくい。

かといって、いちいキーボードでタイプしていくのもけっこうな手間で、前回の採点ではデスクトップのスティッキーズにテンプレみたいなのつくっておいて、コピペしてフィードバックしていたのですがけっこう神経つかってつかれる。

今回もコピペすることにしたんですが、定型のやつはもうすこし入力しやすくしたいと思ってjavascriptでスクリプト書いて、ブラウザであるていどの文面を生成できるようにしました。項目とか恥かしいけどまあこんな感じ。

テキストを自動生成する

少しは楽だったかなあ。次も使わないとならないようだったら、文言や内容はもうすこし修正したいと思います。今回は時間もなかったしあんまりやる気ももりあがらなかった……

こういうシステムはすでにできあいのものがあるんじゃないかと探したんですが、そのまますぐに使えるのものは見つからなかったので、このページ https://www.okigaru-migaru.net/entry/javascript-auto-sentence をまねして作らせてもらいました。同じような課題をかかえている人はけっこういそうだから、汎用のシステム誰か作ってくれないかなあ。ていうか、教員一人一人にカスタマイズしたものは1件5000〜10000円ぐらいで売れるんじゃないかという気がするんですが、誰かやりませんか。いや、むしろ私が小遣いかせぎにやろうかな、とか。ははは。でも仕組みを知りたい人はといあわせてくれれば対応します(私はビール6缶分ぐらいで受けおいます)。

でも車輪を再発明するのいやだから、近いシステムや使えるシステムがあったら教えてくださいー。

レポートの書き方文章編、というか細かくてわかりにくい話

昆虫亀先生が「2018年度レポートに関するコメント、諸注意」ってブログ記事を書いていて、私もこのタイプのお説教まとめておきたいと思ってるんだけど、なんかごちゃごちゃしてうまく書けない。

とりあえず講義やゼミでいつもお説教していることを書いておきます。何回も同じことくりかえしているのでそろそろつらいし飽きたし。おおざっぱなものは古い「レポートの書き方」を、コピペ・剽窃については「剽窃を避ける」を読んでください。

原則

まず、一番の原則を確認すること。大原則は「読者に親切にする」。レポートや論文でのあらゆる約束事は、想定される読者が読み理解しやすいように、また最小限の苦労で読み理解できるように定められていると思ってください。

さて、レポートは、レポートが学内に落ちてたら、それを拾った人が誰が書いたなんの授業のどういう課題か理解できるように書いてください。当然書くべき科目名とか自分の所属とかだけでなく、どういう課題であるか、どういうテーマであるかを、自分の文章で冒頭で確認してください。すると読者(教員)は、「なるほど、私はこういう課題を出したんだった。わすれておったわい」と思い出せるわけです(実は忘れてることがある)。読者に親切にするっていうのはそういうことです。レポート拾った人も、「なるほど、あの講義ではこういう課題が出されており、社会にはこういう問題があり、そしてこのレポート筆者はこういう勉強をしてこういうことを書いているわけだ……ここで参照されている本は……なるほど、〜先生の『〜』か、この引用されている文章は……なるほど〜頁か!いますぐ見よう」というように、そのレポートから多くの情報を引き出せるわけです。これが読者に親切。

まあそうでなくても、レポートというのは他の仲間の学生(ピア)とかに向けて、情報を与えるつもり書くもので、大学教員のために書くものではない。

課題を確認するには、疑問文を使うとよい。たとえば課題が「日本のフェミニストの不倫に対する態度を検討せよ」であったら、「日本のフェミニストは、不倫関係についてどのような見解をもっているだろうか。ここでは社会学者の〜を例にとって検討してみる」のように書きはじめるとよい。

体裁

  1. 見た目は非常にだいじ。そもそも学生様のレポートの文章は読みにくいもので、教員などの読者はそれをがんばって読むわけですが、体裁とかでさらに読みにくくされてはかなわん。勘弁してください許してください。許してください、読みやすくしてください、苦しめないでください、なんとかおねがいします……許してくれないのですかどうしてもその体裁で私を苦しめるのですか、それならそれでかまいません、こちらにも考えがあります!という感じになってしまうのでおたがいによくない。
  2. 様式・体裁はワープロソフトまかせにしないこと。自分でプリントアウトしたものを見て、読みやすいかどうか確認せよ。
  3. 紙で提出の場合、本文はふつう明朝体にせよ。 Pagesがゴシック体を初期設定にしてたら変更する。
  4. 一般にWordやPagesのデフォルト(初期設定)の体裁は読みにくい。自分で調整すること。文字間や行間はそれで適切か自分で判断すること。とにかくパソコンの言うなりになるのは人類として恥ずかしいことであると思うこと。
  5. 必ずページ番号つけよ。Wordの場合はメニューの「挿入」→「ページ番号」などでフッター中央とかに入れておけばよい。
  6. ヘッダーの部分に自分の名前その他ごちゃごちゃいれる必要はない。1行程度ならともかく、ごちゃごちゃしていると読みにくい。あれは冊子などをつくるときのものだと思うこと。
  7. 段落の最初はちゃんと1文字文字下げすること! ネット記事やブログで最初1文字落としせず、かわりに1行文の空行を入れている文書を読みなれていると思うが、それはディスプレイでの視認性とデザインを優先しているから。大学でのレポートは紙に最初が1文字文だけへこんでいる全体に黒っぽい紙が求められている。現状での大学レポートは、ディスプレイのデザインより、紙での読みやすさを優先することになっている。(逆にいえば、全体に海苔を貼ったようなだいたい黒い紙を出せばそれだけで単位をもらいやすい)

  8. これを参考に。 レポートの体裁(PDF)

文字・表記

  1. 英数文字はいわゆる「半角」でABCabc123と書く。なんでかっていうと、日本語文字は等幅で1文字は1マスにはいって同じ幅なんだけど、英数文字はそれではかっこわるいのでABCabcMi123とその文字ごとに幅を変えて美しくしてるんね。いわゆる「全角」はそうならないのでかっこ悪い。ABCDabc123。まのびしてるっしょ。(他にも単語の折り返しやハイフネーションで問題が起きる)
  2. ○のなかに数字が入ってる文字はかっこわるいと思う人々がいる(私)。見た目もかっこわるいし、そもそも1〜9ぐらいならいいけど、(101)とか(102)とか数が増えたらどうするつもりなんだろうと思ったり。
  3. 「?」のうしろは空白を空けるという約束があるらしいんだけど、よくわからない。
  4. <>は数学記号であって文章でつかう括弧ではない。〈山括弧〉を使う。
  5. 半角の「,」(カンマ、コンマ)と「.」(ピリオド、ドット)の後ろには必ず半角空白を入れる。ちなみに記号の名前と、それぞれの用法を知らないと大卒としては恥ずかしいので http://www.type-labo.jp/Mojinonamae.html を見ておぼえておくこと。

タイトル・見出しまわり

  1. 文書には必ずタイトルがあります。タイトルそのものには「」は必要ない。 タイトル指定されている場合はそれを、指定されていない場合は文書の内容を示すタイトルをつけてください。「応用倫理学第2回課題」とかつまらんので、内容を表すやつに。気のきいたタイトルを勝手につけて減点されることはないでしょう。
  2. タイトルや見出しに説明を頼らない。タイトルや見出しは本文ではない。 見出しとタイトルを消した本文だけですべて理解できるようにすること。(これ説明しにくいんだけど、見出しは目印であって、リストや箇条書きではないっていうのを理解してもらう必要がある。)
  3. 「読んだ本を紹介せよ」という課題であって、あなたが芳賀茂『あなたのその「忘れもの」コレで防げます』をタイトルに入れたとしても、「この本は」から書き始めてはいかん。
  4. タイトルに書名があっても、「忘れ物と言うのは困りものだ。芳賀繁は『あなたのその「忘れもの」コレで防げます』で次のように述べている。」のような形にする。本文でも書名などを必ず明記する。
  5. 「序論」「本論」「結論」という見出しは勘弁してください。もちろんレポートは序論本論結論という順番になっていなければならないが、それは「見出し」ではない。特に「本論」だけは許さん(絶許!)。中身に対応した見出しにする。
  6. 何度も書くが、見出しは目印にすぎない。見出し(目印)が多すぎるのも読みにくい。1ページに1個あれば十分。

文献リスト

  1. 出版物は基本的に出版年だけでOK。月日はいらない。 (新聞やオンライン情報は年月日必要。)
  2. 株式会社岩波書店→岩波書店。「株式会社」はいりません。
  3. 参照文献リストでは、参照した箇所(pp. 74-95)のようなページ表記は基本的にいらない。参照したページは本文中か、脚注で示す。リストは単なるリスト。 参考文献リストにページ表記が必要なのは、雑誌に掲載されている論文。
  4. 見よう見まねでは正しく書けない。必ず手引きを参照すること。どの手引きにしたがえばいいかわからない場合は教員に確認すること。(指定しない教員も悪い)
  5. 「第〜版」(はん)は初版(第1版)以外は必ず必要。第2版、第3版と版が変わるにつれて内容はかなり変化する。
  6. 「第〜刷」(すり)は不要! 「刷」というのは、出版社がその「版」で何回刷ったかをあらわしてるもの。同じ「版」で印刷するので、原則として誤植などの微修正があるだけ。ちなみに「刷」が多い本を出してる著者の人はもうかっていることがわかる。たとえば戸田山和久先生の『論文の教室』は20刷とか軽く越えてて、先生はおそらく出版長者であることが推測できる。

人の呼び方・文献の参照

  1. レポートのなかには数多くの情報や他人の意見が入るので、それらが自明なものでないかぎり、いちいち情報源をつけること。また本文でもその情報源に言及する。「生命倫理学者の霜田求によれば、〜である」のような表現になる。
  2. 文献を参照するときは、その文献の著者がいったい誰で専門はなんなのかはいつも意識しておくこと。カントや安倍首相などの有名人でないかぎり、名前だけ出されても読者はそれが誰であるかわからないので、ごくごく簡単な紹介をつける。
  3. 人の名前は一回目はフルネームで読んでおく。 「尾木直樹は」でもいいのですが、「教育学者の尾木直樹」とか「教育評論家の」ぐらいの説明つけるとさらにグッド。2度めからは「尾木によれば」でOK。ちなみに最近どういうわけか、「作家である百田」「倫理学者である霜田」とか「である」使う文章がめだつが、「の」でいいです。「作家の」「倫理学者の」でいいじゃん。ちなみに、肩書のようなものは「鳥辺野女子大学教授の〜は」より「心理学者の〜は」の方がグッドな場合が多い。大学教員の所属は頻繁に変わるし、所属より専門の方が大事。新聞などでは肩書の方が大事なので鳥辺野女子大教授の〜になることがある。もちろん、「鳥辺野大学教授の倫理学者霜田求は」でいいけど、大学の所属はあんまり重要ではない。
  4. 文献(論文や書籍)は「作り物」ではないので、それを書いた人は「作者」ではなく著者。しかし「著者」と読んでも誰だからわかにくいので、原則的にぜんぶ名前で呼ぶこと。
  5. 著者は〜と述べている」はやめて、「芳賀は〜と言う(出典表記)」「芳賀によれば〜である」にするレポートでは学者が1人だけでなく3人とか10人とか出てくるので、「著者」では誰のことかわからないし、わかるとしても不親切。
  6. 「授業で聞いた」は典拠にならない。その講義で教員が使ったテキスト、資料、論文などを確認する。典拠は教員が授業で提示しているはずだが、曖昧だったら質問する。典拠なしに大学教員がしゃべってることはすべてヨタ話なので、そんなものはなにをするときも根拠にしてはいかん。

引用まわり

  1. 日本語の引用は「」(鍵括弧)でおこなう。”引用”は日本語では使いません(そもそも“ ”と向きを合わせないとならんし。)。二重括弧『』を使うのは本のタイトルだけ、と思ってよい。括弧のなかの括弧も最近は鍵括弧「」でよいことがおおいのでそっち推奨。引用符は引用符で奥が深いのでwikipediaを見よ
  2. 長い引用(おおむね4行以上)は、「」でくくるのではなく字下げして引用だとわかるようにする形で書く。
  3. 学問の世界では、文献(本)のタイトルより、その情報をもたらした人が誰であるかの方が重要な情報なので、名前を優先する。「『日本国記』によれば〜」ではなく、「作家の百田直樹によれば〜」がベター。もちろん「作家の百田直樹の『日本国記』によれば〜である」でもOK。
  4. 誰かがなんか言ってるのを参照したら、基本的にページ番号もつける。読者がその資料・文献のどのページを見たらいいのかすぐにわかるように。基本的に読者のことを考えて読者に親切にする、という原則。
  5. 私はいわゆるAuthor Yearを推奨しているので、(百田 2008, p. 16)のように。
  6. ページ表記に「p」記号を使う場合、pのうしろには必ず.をつけること。p12も12pも12PもP12もどれもだめ。複数ページはp. ではなくpp. 。pp. 5-8 のようになる1)(百田 2008:16)のような書き方もあって、これだとピリオドのことを考える必要なくなるからいずれこれ指定するかな。
  7. なんでも直接引用(「」などでそのまま転載する引用方法)すればよいというものではない。基本的にはレポートでは、他人の主張もパラフレーズ(自分の言葉で書き直す)して出典つけた方がいいと思う。
    1.直接引用(「」でくくってそのまま書く)が必要なのは、(1) 批判する場合(「ほんとにこんなこと言ってるのだ!」の意)あるいは意外な内容の場合、(2) 表現が特殊・印象的な場合(うまい表現だ!)だと考えておくとよい。
  8. (1)の批判する場合は、批判の対象なのでまちがいなくその対象がそう述べていることを明示する必要があるから。勘違いしやすいものだし。「ほんとにこいつはこんなこと言ってるんですよー、信じられないっしょ」ってやる。 (2) 表現が印象的・オリジナルな場合は、その表現がその人のものだと明示するため。 (3) 意外な内容の場合もほんとにその人はそう言ってるんだと明示するため。
  9. ふつうに参考にするだけなら、自分が理解したところを自分の言葉で述べて参照ページを書くのでOK。
  10. 「〜には〜と書いてある」「〜には〜とある」は大学では禁じ手だとおもってもよい。 書いてあるんじゃなくて誰かが書いたのです。 それを書いたのが誰か、っていうのが大事なのです。
  11. 辞書や法文や中高での教科書や資料集などは、誰が書いているかは重要ではないので「〜には〜とある」は許されるが、大学で使う文献は誰が書いているかがまさに重要。
  12. 高橋祥吾先生の「引用の作法について」も見てください。

注について

  1. わざわざ手で「※」記号などを使って注をつけるひとがいるけど、WordやPagesのアプリの脚注・後注機能使ってください。便利なものですわ。Wordの場合は、メニューバーの「挿入 → 脚注」とか。
  2. 掲載媒体にもよるところもあるけど、基本的には文献参照や注は、「。」の前に記号をつける。「。」のうしろだとどこについているかわからない。
  3. 語句に対する注は必ずその直後。どういうわけか低学年だと前につける人がいるけどぜったいに許さない(いわゆる「絶許」)。
  4. 語句の説明を注でやってはいかん。本文で説明するべし。

箇条書き

  1. 箇条書きは便利だが、地の文(箇条書きでも引用でもない、自分の文章)での説明なしに使ってはいかん。「〜。この点について要約すると、次のようになる」など、「箇条書きにするぞ!」と宣言してから使う。
  2. ワープロソフトが適当にやってくれるかもしれんが、「インデント(字下げ)」や「ぶら下げ」という概念を理解しておくこと。

文章

  1. 自分自身のことも「筆者は」とか書かないで「私は」。「筆者」は自分自身を指しているのか、言及している文献の筆者(著者)を指しているかわかりにくいことがある。
  2. 体言止めは徹底的に避けよ。 体言止めつかうのは文章書くのに慣れてから。
  3. 前の文章にある語句でも、「これ」「それ」はわかりにくいことがあるので注意する。「その体験」「この主張」のように名詞を加えるとわかりやすくなることがある。
  4. 「〜と書いてある」「〜とある」はかっこわるいので避ける。「〜は〜と主張している」の形にすべし。
  5. 接続詞は積極的に使う。というより、原則的にはすべての文章の先頭には接続詞がついている、ぐらいのつもりで書いてよい。もちろんそれではかっこわるいが、その文が、それ以前の文章や段落とどうつながっているのかを明示する。主語は省いてかまわないとか接続詞はない方が軽快な文章になるとかそういう文章指南もあるが、ああいうのはエッセイや文学作品や軽い雑誌記事などを書くときの作法。
  6. 文章は短く。ふつうの大学生は4行以上になる文章を書くと文がねじれる。そうなってしまったら切って接続詞でつなぐ。
  7. 「冬、雪が多く日照量が少ない山形県で育った私は」のような名詞や代名詞の前にごちゃごちゃ形容句がついてる文章は読みにくいしねじれた文章の原因になる。「私は山形県で育った。山形県は冬には雪が多く晴れの日が少ない。だから私は〜」と「形容句 + 名詞」を名詞を主語にした文にするとよい。
  8. 「私は〜思った」「私は〜と考える」はあってもいいのではなるべく削りたい。「私が一番興味深いと思ったのは」もNGではないが、「もっとも興味深い点は〜だ」でOK。こっちの方が大人っぽい。「私は〜は思う」→「〜だろう」「〜かもしれない」「〜のようだ」とかいろいろ、「私は〜思う」以外の表現はある。特に、「私は〜と考えた」「〜と思った」「〜と感じた」と過去形にすると、大学レポートとしては非常に子どもっぽい印象を受けることがあるので特に注意。

References   [ + ]

1. (百田 2008:16)のような書き方もあって、これだとピリオドのことを考える必要なくなるからいずれこれ指定するかな。

レポート課題を課す時期について

講義とかの最終レポートは、講義最終回終ってからゆっくり書いてほしい、などと思っていたものですが、いまそういうのはあきらめました。

フィードバックしないレポートは出すべきじゃないと思うようになって、最終回以降に出して採点して返却するってことにしてどっか置いといても、それ取りに来ない学生様が多くてつらいし。

今期やってる講義A(3回生、中規模)では、(1) 講義数回やったところで、主に体裁(段落の最初は1文字下げろ!へんな空行入れるな!)とかやるごく短くてあんまり調査必要ない課題、(2)正月あけ提出で、ある程度調査してほしい長めの課題、ということにして、それ急いで採点して最終回で返す予定。体裁や文献とかちゃんとできない学生様には (3) 同じ課題での再提出を命じる予定。とにかく体裁ができてないと読もうとするとストレスがかかるので、それができるまでがたいへん。体裁がちゃんとすれば添削してみようという気にもなる。3回生なので情報ソースの示し方とかきちっと教えたい。

講義B(全学部・全回生、大規模)は同じように(1) 体裁の確認のショートレポート、(2) それなりの長さのを年末に出させて正月空けに返却。さらにできてない学生とボーナス加点が欲しいひとのために (3) 1月末締切で電子的に提出。これはわりと自由にやってもらうつもりで「〜という条件のエッセーを書け」みたいな感じですね。エッセーって何かとかそういうのも授業内でモンテーニュ先生までさかのぼってやってる。

講義Cは複数教員によるオムニバス授業(全回生、全学部、大規模)で、これは3回短い講義ノートみたいなの出してもらって体裁とかちゃんとできるようになったところで、レポートの書き方について時間かけてお説教してから、全講義終ってから長めのレポートを電子的に提出、と。これはあんまり厳しく採点しないけどどれも授業用ポータルサイトなるもので電子的にフィードバックって形にしてます。

まあできてない学生はできるまでやってもらう、っていうのが必要ですよね。いきなり単位落とすっていうのも問題になりそうな今の時代、これくらいなら文句はつかないだろうと思うのです。でもこれってやりすぎで、すごく時間かかってしまってどうしたもんですかね。

 

 

レポートの体裁を指示する

レポートはたくさん書いてほしいわけだけど、体裁がなってないと見るのもつらいので、最低限体裁はしっかりしてほしい。いろいろ指示書きを配ったり、「レポートの表紙」(できぐあい表。「ルーブリック」ってのはまたすぐに言葉が思い浮ばなかったがね!ルーブリック許さん)だけではうまくいかん。やはり見本だ。

ってんで見本つくってみました。これから修正していくつもり。 参考になるページは多いわけだし、なぜ自分で書く必要があるのかとは思うんだけど。

ポモドーロテクニックは5分でいい

教員にとって採点や添削はひじょうに負担でつらいものです。私もものすごく苦手。でもやらないわけにもいかないしねえ。

どんどん先送りしてしまって精神衛生にものすごく悪いのでなんとかしなきゃならんのですが、まあ基本は「小分けにする」しかないですね。

一度にレポートの束の山を見るともう手がつけられません。受講生200人のレポート採点とかだと、まず学年・学科・出席番号とかで10人ぐらいの束に小分けして、それを少しずつやる、ってのしかない。

ポモドーロテクニックってのがあって、よくわからんけどキッチンタイマーみたいなのを使って時間はかって作業しましょう、みたいな。リンクから適当なページみてください。これ、だいたいの手引きでは20分とか25分とかを区切りにするといいってアドバイスしているページが多いんですが、私はそれではぜんぜんできない。だいたいの「ライフハック」は正常な人々のためのものなので、外れ値を生きる我々はさらに自分で工夫しないとならんわけです。

今回は思い切って5分にしてみたんですが、これだと捗るとまではいえないけどなんとか進むかなあ、ぐらい。集中力がないんですわね。でもとりあえず5分ずつすすむしかない。もしかした3分でもいいかもしれない。

Togglっていうアプリ(ウェブアプリ)だと回数も数えて記録してくれるから達成感すこしある。それにしても5分というのは情けない。でも情けなくても人生は進めなければならないのです。

 

レポートのホチキス問題その後

大学教員なら、レポートホチキス問題、というのに悩まされているはずです。複数枚のレポートをホチキス(ステープラー)で留めないで、端っこを折って提出してくるとか、変なクリップでとめてくるとか、紙に穴を開けるタイプの針なしステープラーで留めたつもりになってるとか(あれはものすごい弱い)。

この問題については、私はもう学生様と戦うのは諦めてます。研究室前の廊下にこんなふうにしてホチキス置きっぱなし、針も用意してあります、レポートの表紙もネットにもありますが、私も用意しておきました、どうぞご自由にお使いください、赤鬼より、みたいな感じ。

ホチキスの位置に関しては、「指定の表紙」の左上に「ホチキスはここらへんを留めるのだ」って指示してもいいんですが、さすがにそこまで女子学生様のオムツの面倒みるようなことはできないので右を留めてきたらゴルァってアカいれたり。

まあしょうがないです。私は無力です。まあ本筋でないところでお説教したり強制したりしてもしょうがないというか、精神論お説教はやめて工夫やシステムで解決するのを目指しているわけです。

新しいレポートの「指定の表紙」ニューバージョン

新しいレポートの「指定の表紙」で作ってみた表紙(できぐあい表/ルーブリックもどき)ですが、実際につかってみると使いにくいところがあったので期末用に新しいバージョンを作ってみました。

PDFはこちら。

https://www.dropbox.com/s/06asvsyiovx6l49/%E3%83%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88%E8%A1%A8%E7%B4%992017.pages.pdf?dl=0

新しいレポートの「指定の表紙」

 

昔「レポート提出の工夫: 「指定の表紙」」ってのを書いたんですが、これ前にも書いたように、学生様は適当にチェック入れてくるんでなかなかうまくいかない。世の中の教育熱心な先生たちは、「ルーブリック」っていうのを作ってるらしく、参考にして新しい「指定の表紙」をつくってみました。

日本高等教育開発協会のルーブリックバンクにあった、大阪府立大の深野先生のものを下敷きにさせていただきました。ありがとうございます。

「ルーブリック」ってなんなのか、いまだによく理解してないので、これがそれなのかなのかどうかは知らん。でも「ルーブリック」っていう名前は本当に私はこういう用語を使う人々をあんまり信用してないっていうか。評価表とかチェック表とか、某先生が言ってたように、「できぐあい表」とかそういう名前でいいじゃんとおもうんだけどどうだろう。

 

 

レポート提出の工夫: 「指定の表紙」

レポート提出してもらうときは「指定の表紙つけて」とかってのにしてます。このまえ使ったのはこんなの。スクリーンショット 2016-09-04 22.21.29

レポート表紙

しかしこれあんまり機能してなくて、学生様は適当にチェックしてくる。ウソツキ!とか叫びたくなりますね。

次つくるときは「レポートの本読んだか?」のところは「読んだレポートの書き方本のタイトル書け」にしようと思ってる。出典の書き方とかおかしいときに、「君の読んだその本にほんとにそんなこと書いてたかね」みたいなこと書きやすいし。

 

レポート提出の工夫: 提出レポートはPDFで全員に公開する

そういや、この「教員生活」シリーズあったの忘れてましたわ。

レポートのコピペとかっていうのはいまだにSNSでは話題ですが、まあそれは出題が悪いですわね。やはりコピペできないような出題したいとかってのは思ってます。

コピペについてはいろいろ言いたいことはあるんだけど、今年試してみてよかったのは、レポートは紙とPDFの両方で提出してもらって、PDFの方はGoogle Driveにセーブして、受講者全員が全員の分読めるようにする、っていうやつ。高得点つけた奴は別に数本選び出しておいて「こういうの高得点つけましたよ、全部じゃないです」ぐらいにしておく。Google Driveはフォルダごと公開できるので、URLはメールで一斉送信するなり、パスワードつきのwebページにおいとくなり。

「匿名にしたい人はPDFでは名前等いりません、紙で提出する際に表紙に書き込んでください」とかってことにしました 1)ファイル名はperlのスクリプトで番号( 123.pdfとか)にしたけど、ふつうはここまでやる必要はないだろう。

学生様がレポート嫌ったりコピペしてしまうのはそもそも書き方がわからないからなので、書き方がわかっている学生様、よく書けている学生のを他の学生様に見てもらうのは価値がある。自分の点数にもまあ納得いくだろうし。それに、「あなたのレポートの読者は私ではなく、他の学生、特に1、2年下の下級生、あるいはこの分野についてぜんぜん知らない人です、だからわかりにくい言葉や考え方もぜんぶ説明するのですよ、課題問題も、文献もちゃんと誰でもわかるように書くのですよ」とかっていうのも教育効果がある。

これの副作用の利点がもうひとつあって、成績表転記する際に「この学生様レポート出してないよな、落としていいんだよな、でも私紛失してるんじゃないかしら」とか不安になることが実はあるわけですが、メール検索してみればいいから楽。まあ学生様としては紙とPDFの両方出すのは面倒でしょうが。採点をディスプレイだけでできるって教員の人はPDFで提出だけでもいいかもしれませんね。でもこれはこれでメール届いた届かないで問題になるから、二重にして冗長化するのは教員にとってはそれなりに価値がある。

 

 

References   [ + ]

1. ファイル名はperlのスクリプトで番号( 123.pdfとか)にしたけど、ふつうはここまでやる必要はないだろう。

剽窃を避ける

剽窃とは

剽窃・盗用 (plagiarism プレイジャリズム)はアカデミックな世界では非常に重大な犯罪です。大学生はすでにアカデミックな世界の一員であって剽窃は絶対に行なってはなりません。「なぜ剽窃をしてはいけないのか」については「なんで丸写しじゃだめですか?」ってページを書いてみました。

このページの冒頭にあげているインディアナ大学の Plagiarism: What It Is and How to Rocognize and Avoid It というすばらしいガイドでは「剽窃」を「情報源を明示することなく、他人のアイディアや言葉を利用すること」として、剽窃を避けるため次のことに注意しなければならないと言っています。

次のものを利用するときはいつでもクレジットをつけ
なければなりません。

  • 他人のアイディア、意見、理論
  • 他人が発言したことや他人が書いた文章のパラフレーズ
  • 多くの人が共通に知っていること(common knowlege)でないような事実、統計、グラフ、図など

この「多くの人が共通に知っていること」はなかなか微妙です。なにが「みんなが知っていること」でなにが「オリジナルな主張・発見」かは、その分野をよく知らないとわからないですからね。別の大学のサイトで、「5冊以上の本などで出典なしに挙げられている」ということを目安として提案されているのを見たことがあります。

パラフレーズ

なかでも「パラフレーズ」はなかなか難しい問題です。パラフレーズとは、ある表現を他の表現で置きかえることなのですが、どの程度違う文章にしなければならないのかをはっきりと示している文章を、国内ではほとんど見かけたことがありません。私は、それが大学におけるレポートの剽窃の横行につながっているのではないかと思います。

つい最近、この件をよく考えてみなければならない出来事がありました。それを利用して、上のインディアナ大学ガイドのような形で問題を指摘してみたいと思います。

次の文章はソースティン・ヴェブレンの『有閑階級の理論』(高哲男訳、ちくま学芸文庫、1998、p. 129-130)の一部です。

人目につく消費を支持するこのような差別化の結果生じてきたこと、それは、衆目の前で送られる生活の公開部分がもつ輝かしさに比べて、ほとんどの階級の家庭生活が相対的にみすぼらしい、ということである。同じ差別の派生的な結果として、人びとは自らの個人的な生活を監視の目から守るという習慣を身につける。何の批判も受けず秘密理に遂行しうる消費部分に関して、彼らは隣人との接触を完全に断ち切ってしまう。こうして、産業的に発展した大部分の共同社会では、個人の家庭生活は、一般的に排他的なものになる。したがってまた、かなり間接的な派生物ではあるが、プライバシーと遠慮という習慣──あらゆる社会の上流階級がもつ礼儀作法の規範体系のなかでも、きわめて重要な特徴──が生じることになった。なんとしても面目を保てるような支出を実行しなければならない羽目に陥っている出生率の低さは、同様に、顕示的消費にもとづいた生活水準をみたす、という必要性に起因している。子どもの標準的な養育に要する顕示的消費や結果的な支出はきわめて大きく、強力な抑止力として作用する。おそらくこれが、マルサスが言う思慮深い抑制のうちで、最も効果的なものであろう。

非常に示唆的な洞察ですが、こういう硬い文章に慣れない人にはちょっと歯応えがあるかもしれませんね。翻訳調だし。何を言っているかわからない、と思うひともいるかもしれません。

これをある学生さんがレポートで次のように書いていました。

人目につく消費を支持するこのような差別化の結果、他者から見られる生活の公開部分に比べて、ほとんどの階級の家庭生活が相対的にみすぼらしい、ということが言える。また、派生的な結果として、人々は自らの個人的な生活を他人の目に晒されることから守る、と言う習慣を身につける。こうして、産業的に発展した大部分の共同社会では、個人の家庭生活は、一般的に排他的なものになるのである。そして、間接的な派生物ではあるが、プライバシーと遠慮という習慣も生じることになった。顕示的消費に基づいた生活水準を満たすことを考えた際に、子どもの養育に要する支出の増加は極めて大きく、面目を保つための支出に追われているような階級での出生率の低下も考えられる。現代日本の出生率の低下に関しても、原因の一つとして当てはまるのではないだろうか。

この文章を書いた学生さんは、たしかに、レポートの冒頭で一応、

本稿はヴェブレンの『有閑階級の理論』(1998年、ちくま書房、ソースティン.ヴェヴレン1:著、高哲男:訳)をもとに、この顕示的消費と、顕示的消費における(略)

と書いているのですが、それでもこれは剽窃になります。

一つには、 ヴェブレンの『有閑階級の理論』のどのページにあるのか明記していない からですが、もっと重要な問題もあります。ヴェブレンの文章とレポートの文章を比べてみましょう。

人目につく消費を支持するこのような差別化の結果生じてきたこと、それは、衆目の前で送られる他者から見られる生活の公開部分がもつ輝かしさに比べて、ほとんどの階級の家庭生活が相対的にみすぼらしい、ということであるということが言える同じ差別のまた、派生的な結果として、人びとは自らの個人的な生活を監視の目他者の目に晒されることから守るという習慣を身につける。何の批判も受けず秘密理に遂行しうる消費部分に関して、彼らは隣人との接触を完全に断ち切ってしまう。こうして、産業的に発展した大部分の共同社会では、個人の家庭生活は、一般的に排他的なものになるのであるしたがってまた、かなり間接的な派生物ではあるが、プライバシーと遠慮という習慣──あらゆる社会の上流階級がもつ礼儀作法の規範体系のなかでも、きわめて重要な特徴──がも生じることになった。なんとしても面目を保てるような支出を実行しなければならない羽目に陥っている出生率の低さは、同様に、顕示的消費にもとづいた生活水準をみたすことを考えた場合、という必要性に起因している。子どもの標準的な養育に要する顕示的消費や結果的な支出はきわめて大きく、強力な抑止力として作用する。おそらくこれが、マルサスが言う思慮深い抑制のうちで、最も効果的なものであろう。面目を保つための支出に追われているような階級での出生率の低下も考えられる。現代日本の出生率の低下に関しても、原因の一つとして当てはまるのではないだろうか。

ほとんどヴェブレンの記述の順番そのまま、細かいところを自分で入れかえただけです。語順さえも直っていません。このように、このレポートを書いた人は、ヴェブレンの文章の重要な語句のまわりにある細かい語句を変えているだけなのです。 これも剽窃とみなされます。

インディアナ大学のガイドは次のようなパラフレーズは剽窃であるとしています。

  • オリジナルの文章の一部の語句を変更しただけか、あるいは語順を変更しただけである
  • アイディアや事実の出典を示していない

ふつうの大学生なら、「出典を示せ」は耳にタコができるくらい聞かされていると思いますが、パラフレーズの件についてはあんまり指導されていないんではないでしょうか。しかし私も上のヴェブレンの件は剽窃だと考えます。

それではどう書けばいいのか

んじゃどう書けばいいのか、ってのはなかなか難しい問題です。インディアナ大学のガイドでは次に注意したパラフレーズは正当だと述べています。

  • オリジナルの情報に正確に依拠する
  • 自分自身の言葉を使う
  • 読者が情報源を理解できるようにする
  • オリジナルの文章を正確に記録する
  • 文章におけるアイディアにクレジットをつける
  • 引用記号をつけることで、どの部分がオリジナルのテキストからとられたもので、どの部分が自分で書いたものか判別できるようにする

インディアナ大のガイドは、剽窃を避けるためもっと具体的に次のような方な方策を次のように述べています。

  • テキストから直接に書き写したものには常に引用記号(「」)を付ける。
  • パラフレーズする。しかし、いくつかの単語を書きかえただけではだめ。次のようにします。
  1. まずパラフレーズしたい文章をよく読む。
  2. 手でその部分を隠したり、本を閉じたりしてテキストが見えないようにする(テキストをガイドにしちゃだめ)。
  3. 覗き見せずに自分の言葉でそのアイディアを書いてみる。
  • 最後に、オリジナルの文章と自分の文章をつきあわせてみて、まちがった情報を書いてしまってないか、同じ言葉を使ってしまってないかの二点をチェックする。
  • (インディアナ大のには書いてないけど)忘れないうちに出典をつける。

さっきのヴェブレンの文章の前半を、実際に上の方法1と2にしたがってやってみました。

ヴェブレンの『有閑階級の理論』によれば、プライバシーという規範は顕示的消費と関係がある。ひとびとが他の人々に見せつけるために消費するのであれば、他人に見えない部分ではそれほど消費する必要がない。むしろ、顕示的消費を行なうため、見えない部分に費す費用はより少なくなる。そのため、生活の他人に見えない部分は相対的に貧弱でみすぼらしいものになる。そういう貧弱な部分を他人に見せないために、プライバシーを守るという習慣が発生するのである。(ヴェブレン『有閑階級の理論』高哲男訳、ちくま学芸文庫、p. 129)

あんまりうまくないですね。あはは。まあ平凡な大学教員の読解力、記憶力、文章力なんてこんなもんです(私ヴェブレンほとんど勉強したことないしとか言い訳したくなる)。でもここまで来れば、まあ「自分の文章だ」ってな感じでもあります。

さらに教員の側から

まあ私自身が拙いパラフレーズの腕を見せたのは、それが ほんとうに難しい ということを示すためでもあります。私の考えでは、学者の腕のよしあしの大きな部分はパラフレーズの巧拙によって決まります。まあそればっかりやっている業界もあるわけで。

ちゃんと内容を理解しないと適切にパラフレーズすることはできません。逆に言えば、パラフレーズを見ればその人がどの程度内容を正しく理解しているのかがわかる。学生にレポートを書いてもらうのは、授業内容を理解してもらうためなわけで、つまり「適切にパラフレーズ」させることによって内容を把握させたいと思っているわけです。だからそれは一所懸命やってほしいのね。

パラフレーズだけでなく、剽窃一般についてもちょっと書いておきます。レポートを書かせようとするときに一番頭が痛いのが剽窃です。正直、採点するのがいやでいやでしかたがないくらい教員にとって頭痛のタネなのね。

教員の側からすれば、どの大学の何回生がどの程度の文章を書くことができるのかははっきりわかっています。文章がうまい、難しい言葉を平気で使う、斬新な発想がある、なんてのはたいてい剽窃なのね。そんなのに点数出したくない。さっきのレポートでは、一目見たときはどっかのwebからのコピペに違いないと思いこんでしまいました。その発想の豊かさと、奇妙な翻訳調が、勉強不足の大学院生あるいはかなりあやしい大学教員の文章に見えたのです。

べつにうまい文章、きれいな文章、すごい発想なんていらないから、とにかく自分で書いてみてください。

もっとプラクティカル

日本の大学生レベルでは、インディアナ大のような注意をする前の段階の学生が多いと思います。私はもっとプラクティカルなノウハウが必要ではないかと思います。やってみましょう。

さっきのヴェブレンです。

人目につく消費を支持するこのような差別化の結果生じてきたこと、それは、衆目の前で送られる生活の公開部分がもつ輝かしさに比べて、ほとんどの階級の家庭生活が相対的にみすぼらしい、ということである。同じ差別の派生的な結果として、人びとは自らの個人的な生活を監視の目から守るという習慣を身につける。何の批判も受けず秘密理に遂行しうる消費部分に関して、彼らは隣人との接触を完全に断ち切ってしまう。こうして、産業的に発展した大部分の共同社会では、個人の家庭生活は、一般的に排他的なものになる。

たいていの学生はこれだけの文章もけっこう歯応えがあると思います。どうすりゃいいんだろう?そこでまず、次のように書きはじめてみます。

市民社会でのプライバシーの問題について、ヴェブレンはどう考えているのだろうか。

まず自分で疑問文を書く。次に、ヴェブレン本人の文章を引用する。さらに疑問文をつける。

彼は「産業的に発展した大部分の共同社会では、個人の家庭生活は、一般的に排他的なものになる」(p. 119)と述べる。しかしなぜ産業的に発達することと、家庭生活が排他的なものになることが関係しているのだろうか。

ここまで来ると、ずいぶん書きやすくなってくる。これなら答えられるかもしれないと思ったら次のようにすればよい。

ここで重要なのがヴェブレンが注目した「顕示的消費」である。顕示的消費とは〜

「顕示的消費」とかってのを一応説明するわけね。

ヴェブレンの指摘によれば、近代的な共同社会では、顕示的消費のために他人に見えないところに費す費用を抑えるという動機がはたらく。したがって、家庭の内部での生活はみすぼらしい。

さらに、自分の体験から例を加えられればよりベター。読者は、「この人実感でわかってるな」と思います。

たとえば、驚くほど華美な服を着ている女子大生が、アパートに帰るとケバだったジャージ姿でカップラーメンをすすっている、などという光景はいまでも見られるだろう。しかしそういう格好は他人には見られたくない。だからプライバシーが重視されるようになるのである。

もちろんこうして自分の頭で書いていくと、結果的にできるのはヴェブレンの高尚な文章から遠く離れたしょぼいものになる。しかしそれでいいんです。それが文章を書くということなのです。それがなにかを学び理解するってことなのだと思います。

なんでも広辞苑を引用してすませるのはやめろ

なんかレポートを書こうとするととりあえず「広辞苑によれば〜とは〜である」とやる人がいます。

これはいろいろ有害。

  1. 広辞苑は国語辞書。言葉の意味を説明しているだけ。
  2. 学問用語にはめっぽう弱い。なんかわかりにくいし。実際読んでもわからんしょ?
  3. 広辞苑だけが国語辞書じゃないぞ。私は大辞泉が好き。

朝日新聞の「天声人語」とかがよく「広辞苑によれば〜」ってやってて、中高の先生がそれをまねたり、まねろと指導しているからそういうことしちゃうんですよね。高校生までなら許せますが、大学生はそれじゃだめなの。

どっから手をつけてよいかわからないなら

  • もちろん、最初は広辞苑なり大辞泉なりをひいてよい。辞書をひく態度は立派。偉い!
  • でもそれだけじゃたいてい理解できない。
  • とにかく、まずは教科書があるなら、教科書における定義と説明を見る。(そういうのがはっきりしていない教科書はよい教科書ではない)
  • だから定番の教科書を知っておくことが必要。教科書がない場合、どっから手をつけてよいかまったくわからない場合は、次に百科事典(平凡社の『世界大百科事典』とか)をひく。
  • これでかなり明確な知識が手に入る。
  • もちろん Wikipedia日本語版 も使ってもよい。でも百科事典に比べて質が落ちるし、分野によってはまったく使いものにならない。だからまず百科事典。
  • さらに、その概念なり事象なりがどの学問分野で扱われているかわかれば、その学問分野の専門事典をひく。『社会学事典』とか『フェミニズム事典』とか。
  • すると、専門の事典では、必ず重要な参考文献が挙げられているので、次はそれを読んだりするわけです。

詳しくは戸田山先生の名著『論文の教室』を読んでください。

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Wikipedia

Wikipedia (ja)は非常に便利なものですが、レポートや卒論に利用する際には注意が必要です。

Wikipediaには非常に優秀な記事が少なくありませんが、それを学術的な資料として用いるのは勧められません。

第一に、情報の信頼性が低いからです。Wikipediaの執筆者は基本的に匿名・ペンネームであり、誰が書いているかは基本的にわかりません。誰が書いているのかわらかないものは信頼しないのが学術研究の基本の態度です。

第二に、Wikipediaは 三次資料 です。Wikipediaの編集方針の一つに「独自研究は掲載しない」というものがあります。ある事象があったときの記録や証拠が一次資料、それについて誰か学者が調べてまとめたり考察したものが二次資料、そしてWikipediaやその他の百科事典は学者たちの文献を参照した三次資料です。学生はもちろんWikipediaを参照してもよいのですが、大事なところは 必ずそのWikipediaの記事が参照している一次資料・二次資料まで遡らなければなりません 。もしその記事に参照がないのであれば、その記事には まったく価値がありません

しかしもちろん、Wikipedia程度しか調べる時間がなかったり、それほど重要でない事項についてはWikipediaを参照・引用してもかまいません。その場合は、wikipediaの推奨する参照・引用方法に従ってください。

Web上では
http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%82%92%E5%BC%95%E7%94%A8%E3%81%99%E3%82%8Bのような参照でも役に立つのですが、これを紙媒体に使ってはいけません。

「Wikipdia:ウィキペディアを引用する」、『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/ )。2007年11月10日16時(日本時間)現在での最新版を取得。

でしょうか。でもこんなに書かなきゃならないのはばからしい気がしますね。
記事が参照してくれている元の資料を参照しましょう。

引用・参照の方法

本文

文献リストにあげたから勝手に情報や文章そのものを使ってよいわけではない。とりあえず初心者のうちはいちいち参照せよ

初心者のうちはもう面倒だからなんでも参照つけちゃえ。

  • 「伊勢田哲治によれば、〜である(伊勢田 2005, p.10)。」

長い理屈とかを書くときはこれでは難しいので、次のように

  • 「伊勢田哲治は次のように主張する。〜である。〜である。したがって〜なのだから、〜である(伊勢田2005, pp. 13-15))。」

「〜によれば」が多すぎるとかっこ悪いときは、文献参照だけで済ませることもできる。

  • 「〜である(伊勢田 2005, p. 10)。」複数ページになる場合は、「伊勢田によれば〜〜である(伊勢田 2005, pp.10-13)。

いかにもかっこわるいけどね。でも誰の調査結果か、誰の主張かを明確にするのはレポートの基本。慣れてくると省いてよいところがわかってきます。

ページ数まで必要かどうかは文脈による。迷ったらつけておけ。

文章(あるいは文章の一部)をそのまま使用する場合は「」でくくれ

  • 「伊勢田によれば、「〜〜〜(そのまんまの文章)〜〜〜」である(伊勢田 2005, p.10)」

でも基本的には情報源をパラフレーズ(自分の言葉で書き直す)する。そのまま引用するのは特に重要な箇所にしぼる。どこが「特に重要」でどこが重要でないかを見分けるのが勉強。

例外:多くの人に広く認めていることは参照する必要がない。

上で書いた「省いてよい」のは、(1) 自分のオリジナルなアイディア(当然)、(2)誰でも知ってること、一般的なこと、当然なこと。

  • ×「太陽は東から昇る(バカボンのパパ、1973)」

難しいんだけど、3、4冊の本/論文で特に誰それのアイディアだと明記されずにのってるやつはそのまま書いてもよい。

勉強が進んでくると、どれがふつうのアイディアでどれが著者のオリジナルなアイディアかわかってくる。それが勉強。だから初心者のうちはいちいち出典つける。

文献リスト

文献リストの書き方は大きく分けて2種類。

 
伊勢田哲治、『哲学思考トレーニング』、ちくま新書、2005。

という順番。伝統的。人文系の研究者に多い。筆者、『タイトル』、出版社、年。もう一つは、

 
伊勢田哲治 (2005)、『哲学思考トレーニング』、ちくま新書。

という順番。筆者 (発行年)、『タイトル』、出版社。年を筆者の次に置くのね。Author-Yearスタイルと呼ばれます。文章中で参照しやすいのでこっちが理系・社会科学系で優勢。上のように「〜である(伊勢田、2005)。」のように書くときはこっちを使用する。

あとほんとは「ちくま新書」じゃなくて「ちくま書房」だけど、まあこの方がわかりやすいかと私はこういうスタイルにしてます。

論文の場合は

 
江口聡 (2007)「国内の生命倫理学における「パーソン論」の受容」、『現代社会研究』、第10号、京都女子大学。

のようになります。著者、「タイトル」、『雑誌名』、巻号、年、その他の情報。雑誌なんかがマイナーな場合は上のようにさらに詳細な情報をつけるのもいいですね。

複数の人が書いている図書のなかの一章を指す場合は、

 
江口聡 (2010)「ポルノグラフィと憎悪表現」、北田暁大編、『自由への問い(4):コミュニケーション」、岩波書店。

のように。その章を書いた筆者とタイトルを先に出して、それが収録されている本を次に。

Webの情報は難しいんだけど、とりあえず次のように

 
スタイルAに準ずる 江口聡、「引用・参照の方法」、https://yonosuke.net/eguchi/memo/citation.html 、2011年2月2日

著者、「タイトル」、URL、発表日ぐらいは最低の情報。Wikipediaの場合はWikipedia推奨の方法があります。発表日がわからない場合は閲覧日でしょうがないですか。

レポートの書き方

このページ読みおわったら、下の三つも読んでください。


まずとにかく

ここらへん1冊でよいから読んでおく。これまで「レポートの書き方」についての本を読んだことのないままにレポート書いたことのある人はかなり反省する必要がある。泳ぎ方を知らないのに海で一人で泳いだりするのに近い。なにごともノウハウ本というのがあります。哲学関係の人には戸田山先生のがおすすめ。

(→ ついでに「レポートの書き方こそ自発的に調べてみましょう

レポートでないもの

  1. 剽窃。パクリ。コピペ。他人の文章をそのまま写したもの。 → 「剽窃を避ける」 を書きました。
  2. 参照した文献のリストがないもの。
  3. 単なる感想。たいして調査もしていない「あなたの意見」は必要ありません。もちろん自分の解釈や見解や意見を述べるのはよいことですが、その場合は、 十分な論拠 を提示すること。
  4. レポートでWebにある文章を丸ごとコピペしてくる不届きな人々がいる。それが発覚した場合は当然単位は出さない。

たいしたアイディアはいらない

  1. 一般の大学のレポートでは、斬新なアイディアなどは必要ない。
  2. ちゃんと調べるべきものを調べてまとめれば十分。教員は学生が授業内容をちゃんと理解したか確認することを目的にしている。
  3. むしろ、ちゃんと型にはまったものが書けるようになるのが学生時代の修行。あなた自身のアイディアは卒論ででも表現すること。
  4. 課題をきちんと把握すること。

様式

  1. とりあえず大学なんてのは結局のところ型にはまった書類を作る練習をする場所だと思うこと。
  2. レポートの様式は非常に重要。
  3. しかし、教員から指定されていないことをいちいち質問する必要はない。指示されていないことは勝手に判断してよい。
  4. ただし常識としておさえておくポイントはある。
    1. 手書きの場合は原稿用紙に書くのが常識。指示がなくとも気をつけること。レポート用紙は不可。ただし英文の場合はレポート用紙でもよいが、1行空ける。
    2. レポートが複数枚になったら、必ずステープラー(商品名ホッチキス)で留めること。クリップはバラバラになることがあるし、かさばって邪魔。
    3. 表紙をつける場合はステープラー(ホチキス)の位置に注意すること。長方形の紙を縦長に使って横書きにする場合は左上、紙を横長に使って縦書きする場合は右上。
    4. 必ず各ページに番号を打つこと。趣味があるが、A4横書きの場合はページ下中央、縦書きの場合は左上あたりか。
    5. 科目名、大学、学部学科、学籍番号、名前を明記すること。学籍番号だけで学科などを書いていないと採点を記入するときに難儀する。
    6. 大学まで書く必要はなさそうに見えるが、特に非常勤の教員には必要な場合がある。
    7. 「~文字以内」ような指定があり、かつワープロで作成する場合、最後に(1980文字) のように文字数をつけておくとよい。

文章について

  1. 文章についてはとりあえず、戸田山和久先生の『論文の教室』と木下是雄先生の本をよく読むこと。正直なところ、文章のうまい下手はどうでもよい。一般の大学のレポートや卒論でうまい文章を書く必要ない。どうしてもうまい文章を書きたい人は本田勝一先生の『日本語の作文技術』(朝日文庫, 1982)を見るべし。
  2. レポート、論文では「だ/である」体で書くこと。
  3. 簡潔で明快な文章を心がけること。とにかく文を短くする。「〜が、〜」と続けず、「〜である。しかし〜」。「〜であり、〜であり、〜であり〜」→ 「〜である。また〜である。さらに〜である。」
  4. 体言止めは避けること。
  5. 主語は省略しないでいちいち書くこと。目的語もわすれるな。
  6. 「~のではないだろうか。」でレポートを終わらないこと。
  7. 必ず読み直して誤字脱字がないか確認すること。音読してみるのがよい。

引用の仕方

  1. 他人の文章は必ず(1)括弧(「」)に入れるか、(2)段を落して(この場合カッコはいらない)、それを明示する。どこのその文章があるか注をつける。「戸田山和久は、「剽窃は自分を高めるチャンスを自ら放棄する愚かな行為だ」と言っている 1)戸田山和久、『論文の教室』、NHK出版、2002、p.35。 」のようにする。
  2. 引用文は勝手に省略したり要約してはいけない。一字一句正確に。表記も原則的に勝手に変更してはいけない。変更した場合はその旨を明記する。
  3. いずれにしてもレポート・論文には文献リストをつける。文献リストでは、著者、『タイトル』、出版社、出版年、翻訳ならば訳者を明記。
  4. 複数の著者の論文を集めた本のなかにある論文を参照した場合は、その論文の著者を先に出すこと
    例:江口聡、「ポルノグラフィと憎悪表現」、北田暁大編、『自由への問い(4) コミュニケーション:自由な情報空間とは何か』、岩波書店、2010、pp. 23-46。
  5. 「著者:江口聡、出版社:岩波書店」などという新聞の書評欄みたいな書き方は×。ちゃんと論文の書き方本を見よ。
  6. 完全な引用でなくとも、オリジナリティが認められる主張やアイディアには典拠をつける。
  7. 基本的に文献リストに載せるものは本文中で1回以上言及すること。「戸田山によれば〜」のような形で。
  8. より詳しくは「引用・参照の方法」。また高橋祥吾先生の指導を参考にせよ。

パクらないために

  1. 文章をそのまま使わない。自分で一回咀嚼して自分の表現に書きあらためる。
  2. 自分でよくわからっていないことは書かない。
  3. 剽窃を避ける」を参照。

その他細かいこと

  1. 主語は省略しないこと。
  2. 「である」体の文章にいきなり「〜です」を入れたりしない。恥ずかしいことです。この文書も実はそういうのを含んでいるが、これは意図的なので真似しないようにしてください。
  3. 「〜のである」はおおげさであるので多用しないことが肝要なのである。「〜である」と書くのがフラットでよいのである。
  4. 日本語には斜字体(イタリック)は使わない。強調したい場合は傍点を打つ、下線を引く、フォントをゴシック体にするなど。
  5. 特別な事情がないかぎり、日本語の文章で〈 〉(山括弧)や“ ”(引用符)は使わない。どうしても引用符を使う場合は向きを揃えること「”ほげほげ”」はだめ。「“ほげほげ”」。
  6. 「1つ」「2つ」は私の好みではない「ひとつ」「二つ」。「ひと、ふた、み」と数えるときは漢数字。
  7. 接続詞と副詞はひらがなに開いた方がよい。特に「全て」「従って」は「すべて」「したがって」。
  8. 各段落の先頭は必ず1文字分字下げすること
  9. 基本的に人名は初出時フルネーム。「戸田山は」ではなく「戸田山和久は」と書く。二回目からは「戸田山は」でOK。カントのようにその分野で有名な人は最初から「カントは」でOK。
  10. 「氏」とか基本的に不要。「戸田山氏」「戸田山教授」ではなく「戸田山和久」と呼びすてにする。二回目からは「戸田山」だけでよい。
  11. レポートは完全に自分一人で書かねばならないものではない。校正、読み合わせ、構成の相談など自由にしてよい。原稿ができたら、一回誰かに向かって声に出して読んでみるのは非常に効果的。
  12. この前、どういうつもりか緑色のインクでプリントアウトして提出いる人がいた。良識をつかえ。それは誰にでも平等に与えられているはず。
  13. ちゃんとした論文の場合は、執筆にあたって協力してもらった人に謝辞つける。「本稿の執筆にあたっては〜氏、〜氏らに草稿段階から有益な助言をいただいた。ここに記して感謝する。」とか。ただし、卒論の場合、指導教員の名前はいらない(指導するのが指導教員の業務で感謝される筋合いはないから)。
  14. 役職には注意。「〜教授」とか「〜准教授」とか「〜講師」とかまちがうとあれなので避けた方がよいでしょう。こだわる人もいます。「〜先生担当分」ぐらいにしとくのが無難。教授なのが確実ならOK。
  15. 本文をゴチックにされると読みにくい。本文は原則として明朝体にする。見出し等はゴチックでOK。
  16. 書名は必ず『』で囲う。二重括弧『』は書名以外に使わない。論文名は「」で囲う。
  17. 「ミルの『自由論』には〜と書いてある」「〜とある」ではなく、「ミルは『自由論』で〜と述べている」のように書く。
  18. 「ミルはその著書『自由論』で」→ 「ミルは『自由論』で」でOK。
  19. 日本文では空白を切れ目に使わない。参考文献など、「J. S. ミル(空白)『自由論』(空白)早坂忠訳(空白)中央公論社(空白)1976」ではなく、「J. S. ミル、『自由論』、早坂忠訳、中央公論社、1976。」
  20. ページ表記は、「173頁」とか「p. 173」とか。 「p.」のうしろの点を忘れずに。複数ページになる場合は 「pp. 123-124」のように、pp. をつかう。
  21. アラビア数字、欧文文字はいわゆる半角文字 1234 abcdで。1234 abcdは避ける。
  22. カッコに気をつける。>と<はかっこではなく、数学記号(「大なり」「小なり」)。日本語山括弧は〈〉。ぜんぜん違う。
  23. フォントの大きさ、行間に気をつけろ。通常11ポイント以上。
  24. 大学生なんだから言葉の定義については国語辞書なんかにたよらず、百科事典や入門書・専門書等を使う。
  25. 接続詞としての「なので」からはじまる文章は避ける。口語と文語は違う。「したがって」「それゆえ」。
  26. webページ等を参照する場合は、最低(1) 著者 (2) タイトル、(3)URL の三つを明記すること。必要であれば「最終閲覧日」もつける。Wikipediaなどのように意図的に匿名で集合的に編集しているものを除いて、 誰が書いているかはっきりしないものは参照できない
  27. 図書ならなんでも信頼できるわけではない。著者、出版社の信用に注意。サンマーク出版とかは危険。
  28. 「授業レジュメから引用」など不要。授業レジュメは資料価値がない。自分の言葉で書き直す。

References   [ + ]

1. 戸田山和久、『論文の教室』、NHK出版、2002、p.35。

勉強ではなんでも許される

 

英語には “All is fair in love and war.” って諺があるようです。「恋と戦争ではなにやってもフェアだ」。まあこれはどうも危ない主張です。恋愛だろうが戦争だろうが、やっぱりやっちゃいけないことがあると思います。しかし、大学で勉強するときには、禁止されていないことはなにやってもかまいません。

もちろん、レポートを代筆してもらったり、webにある文章をコピペしたりしてはいけません。こういうのは禁止されています。

しかし、たとえばゼミで発表しなければならないときに、内容について、友達に相談するもよし、彼氏に相談するもよし、教員に相談するもよし、他の教員に相談するもよし、親に相談するもよし、他のテキスト読んでみるもよし、webで検索してみるもよし、つまり、大学では 禁止されてないことはなんでも許されているのです。発表も予行演習してみるものです。他人の前で一回しゃべって、質問してもらっておくと安心。むしろそうして十分な準備をするべきなのです。レポート出すときも誰かに目を通して表現を添削してもらったりしてもまったくOKなのです。大学での勉強では、むしろ、そういう自分のもっている資源や資産をフルに使う力が求められるのです。大学教員に指示されたことだけをやっていればよいというものではありません。
これは、大学では結果だけが求められるからではありません。むしろ、大学では結果なんかどうでもよいからです。私自身は、最終的にあなたがどんなものを提出するかより、あなたがどのようにして自分の力を伸ばしていくか、あなたが自分の力を伸ばす方法を探すことができるかという方に興味があります。

たとえば、企業があなたを雇うかどうかを考えているとしましょう。たしかに企業は、私のような大学教員とはちがい、結果しか求めないかもしれません。でも企業は、「どんなことをしてでもなんとかよい結果を出す」ひとと、「自分だけの力でできるかぎりのことをすればそれでよしとする」ひとのどちらが欲しいでしょうか。もちろん前者です。

一方、大学教員としての私は、そういう要求に答えられる人を作りたいと思っています。大学での勉強の一番の目標は、勉強の内容そのものではなく、自分で勉強し自分の力を伸ばすことができるようになることです。私にとってはあなたの力がつけばよいのです。そのときにどんな手段を使おうとかまいません。自分に協力してくれる人を見つけましょう。あなたもまわりの人に協力しましょう。

こう考えてくると、なぜレポートのコピペがだめなのか、代筆してもらうのが意味がないのかもわかってくると思います。

Stevie Wonder先生のAll in Love is Fair.

 

書いたものを他人に見てもらうときは、2部もってくるものだ

 

就職活動のためのエントリーシートやレポート、論文などを他の人に見てもらうのはとてもよいことです。

戸田山和久先生も、その名著 『論文の教室』 (NHK出版) で、「パラグラフを育てるのにいちばんの方法は、他の人に一文ずつ声を出して読んでもらって、わかりにくいところにツッコミを入れてもらうこと」だとおっしゃっておられます(p. 202)。これ「パラグラフ」だけじゃなくて、文章全体について言えることだと思います。
とにかく他人に読んでもらってチェックしてもらおうという態度は偉い。しかしだね 、ただしそのときに、1部だけ持ってきて、「読んでください」じゃだめなの! ちゃんと読んでもらう分と自分の分の2部もって来んかい!「えーと、この部分は」「どこの部分ですか?」とかやってたら日が暮れるでしょ。3人いれば4部、4人いれば5部もってくるものなの。

形式はだいじです

それにしても、レポートでも卒論でも引用その他の形式がちゃんとしているかどうかだけでその文章の内容の質がわかってしまいます。大人数の授業のレポートなんかはそれだけでA/B/Cぐらいは採点できちゃう。なんというか、そのひとがどういう人か—アカデミックな訓練を受けているかどうか、先行研究に対する敬意があるかどうか—がわかるのね。私は最近、研究会なんかでもレジュメの出典のつけかたなんか見てから話を聞くようになっちゃってます。

まあでも私自身もちゃんとできないんですけどね。それは私自身がちゃんとしたトレーニング完了してないからさ。ははは。まあやっと最近そういうのがわかってきたってことでね。まあ教師も学生とともに成長しているのです。

卒論とただの文章の違い

卒論とか書いていると「ちゃんとした(学術)論文の形にしろ!」って教員から怒られるわけですが、学術論文とただのエッセイの違いはなんでしょうか。論文はすごいアイディアじゃなきゃだめだけどエッセイはそうでもない、みたいな感じでしょうか。ちがいます。

単純な答は、出典がついているかどうか、です。「不倫はなぜ悪いですか」みたいな文章はブログにも新書にもたくさんあるわけですが、学術論文ってのは「誰それはこういった」「こういう統計データがある」みたいな文に「〜という本の〜ページにある」て出典がついていて、誰でもそれを見てもとのデータなり文献なりを参照することができるようになっている。論文とただのエッセイの違いはこれだけです。たいしたアイディアじゃなくてもちゃんと参照つけていけばとりあえず論文になる。逆に、どんな斬新なことを書いていても、出典とかデータとかの場所を示してないのは論文ではない。

だから学部のレポートの段階でも、ちゃんと出典つけるクセつけましょう。

卒論書けない人のためのガイド

「卒論なに書いていいのかわかんないよー」っていう人が多いと思いますので、中堅のゆるい学部で最低限の卒論らしきものをでっちあげる方法を書いておきます。

1. まず、とにかくなんでもいいから、興味のあるネタで教科書レベル・新書レベルのものを何冊か読む。

もうほんとになんでもいいです。学部とか学科によって「だいたいこういうネタで書かなにゃらならない」ってのがあるでしょうから、それはいつかネタを考えて、教員に聞いてください。「〜か〜か〜に興味あるんですけど〜どうしたらいいでしょう?」

2. いっきに決めちゃう。

ネタ・テーマを決めてください。たとえば「化粧や服装は人の行動にどういう影響を与えるか」でもOKです。すると教科書読むとだいたい「性格特性と被服行動」とかの項目があるのでそれ読みます。

3. ウラをとる。

そうするとたとえば「外向的な人は派手な服を着る」みたいなことが書いてあるわけですが、そのウラをとります。つまり教科書で「事実」や「真理」「仮説」みたいにして提示されていることが、どんな論文の裏付けがあるかをたしかめます。ちゃんとした教科書は出典や参照が書いてありますので、その論文なり本なりを集めます。ILL(図書館相互利用)とか利用して論文を30本ぐらい集める。すると、教科書で「外向的な人は派手な服を着る」と一行で書いてあることの裏付けとして偉い学者さんたちが実験したり調査したりしていることがわかる。それにもとづいていろいろ書いていく。

4. 自分の観察と照らしあわせる、経験を思いだす、自分で調査してみる。

ここまでくるとだいたい教科書の一行がけっこうな分量のちゃんとした「研究」に裏づけられていることがわかってくるはずです。あとはいろいろ書きたいこと書けばいい。

あんまりちゃんとしてない新書に書いてあることなんかは探しても根拠がなかったりすることに気づいたりします。これはおいしい。「この著者はこんなこと言ってるけどなんも根拠ないみたいだぞ、っていうかキーワードを中心に調べてみたらぜんぜん違うことが他の学者によって主張されてる」みたいなことを発見したらそれだけで卒論になります。
まあ卒論ってのは別に事実とか真理とかを書くもんでもないわけです。「いちおう常識ではこうなってるけど、あんまり根拠ないみたいだ」とか書くのもよし。「このひとたちはこういうこと言ってるけど、別の人々が主張しているこれこれを考えてみるとなんか信用できないぞ」とか。おかしな著者がいたら「この人はダメだ、なぜならばこういう根拠に反しているかだ」みたいな発見も卒論になる。

がんばってください。

レポートについてつらつら

もうすぐ本格的なレポートの祭典がやって来るのが恐い(今日あたり小包が届いちゃうはず)。

どうも

とかでなんか御意見いただいたようなので、お返事書いておくのがあれなのかなあ。

このブログは余計なことを書いて女子大生に説教されるのが目的だから、(おそらく)男子学生から説教されるのはちょっとあれなんだけど、めったにからんでもらうこともないし、説教されるの自体は嫌いじゃないからやっぱり反省しないとな。そういや
別のところでも「新手の夜回り先生か!」とか書かれちゃったような気がするから、もっと説明的に「女子大生から説教されて反省するM男教員日記」とかにしとくべきだったな。

上のsjs7学兄には特に反論とかないんだけど、人文系の大学教員がなにを考えているんかってのは学生さんたちにはわかりにくいかもしれないから、つらつら自由連想してみるかなあ。

  • まあ正直、はてブがついた記事 はつまらん。陳腐で30個もブクマつくような記事じゃない。うまく書けてないし、おもしろくもない。戸田山先生の本読んだ方が365倍ぐらい役に立つ。
  • はてなに書いたやつだったら、むしろ、「レポートの書き方こそ自発的に調べてみましょう」 や 「なんで丸写しじゃだめですか?」http://d.hatena.ne.jp/eguchi_satoshi/20080715/p2 とか、「新入生はまず「大学での勉強」本を読もう」 とかの方がまだ情報量があると思う。学生さんはそっち読んでほしい。
  • はてなじゃないのだと
    「剽窃・盗用を避ける」https://yonosuke.net/~eguchi/memo/plagiarism.html が自分では重要だと思っていて、まだうまく書けてないというか説教としてはまだ練れてないんだけど、国内では似た記事を読んだことないからいろいろ批判してみてほしいところ。
  • そんでええと、なんだっけ。
  • えーと、まず「私は図書館に 行ってOPACを調べてみました。なかなか資料が見つからず苦労しました」とかいくらなんでも私が担当しているレベルの大学生は実際には書かんわね。実際にはもっと微妙。でも本質はけっこう近いと思う。
  • えーと、それから。えー・・・。あんまり自発的じゃない文章ってほんとに書きにくいね。なんか書きたいことがあるときはさらさら書けるけど、書かなきゃってんで書こうとすると書けない。sjs学兄が言ってるのはそういうことなんだろうけどね。
  • えーと。
  • そもそもまともなレポート書きたいと思わないひとは、レポートの書き方とかこういう
    ブログ記事とか読まんわね。だからそういう人に向けて書いているわけではない。
  • このブログの説教系のは、大学のホームページからリンクはっておいてうちの学生さんに読んでもらおうってのが主旨なんで。目につけば参考にするひともいるだろうぐらい。とくにはてな界の人に説教しようとか、世の学生全体に説教しようとかそういうんではない。もうちょっと有益なもの書きたいような
    気もするけど、まあこんなもん。
  • それにしてもまあ、やっぱりレポートとかってのがどういうものかよくわかっとらん学生さんてのは「はてな」とか2ちゃんねるとか読み書きしている学生さんが想像できないぐらい多いんよね。ネットつかっている学生さんはその時点ですでに勝ち組候補だと思う。中堅大学の情報格差みたいなんはとんでもないことになっているってのが実感。
  • えーと。
  • んで、学兄の中心的な主張のひとつは、「「正しい」レポート書けたって楽しくないなら意味がないでしょ」とか「授業が楽しくないからレポートがそんなんになるんでしょ」とかなんだろうと読んだ。
  • 「授業が楽しくないからレポートがそんなんになるんでしょ」については授業楽しくないのはその通りなんだけど、だからレポートがぐしゃぐしゃになるのかというとそうでもないような気がする。そもそもなにどう書いていいかわからないひとも多いのね。そういうひとが自分では一所懸命書いているつもりで「まず私は~を読んだ、~に興味をもったので次に~を読んだ」「私は~感じた」とか書いちゃう。これはまったく教育が悪いんで現在努力中なわけだ。
  • これについては、私自身は、ここ10年ぐらいの中学~高校の「調べ学習」がよくなかったんじゃないかという偏見をもっている。
  • そもそも大学でちゃんとレポートなり論文を書く練習しないで中高の教員になってしまう人が多くて、そういうひとが「総合的学習」だの「調べ学習」だの指導してどういう結果を出させりゃいいのかちゃんと理解しているってのはありそうにないんよね。きっとやっぱり「私たちのグループでは~に興味をもって図書館で探して「書名」を読んでみました」とか書かせちゃうと思う。
  • まあいいや。そういう話じゃなかった。
  • ええと。

    んで正しいレポートが書けるようになったとしても、それによってレポートを書くのが「楽しくない」と思ってしまったら、元も子もないと思うから何だよね。

  • まあ楽しいのは重要だよな。でも楽しさとかってのを直接に目指すつもりはないし、レポートや論文書いて楽しいと思えるようになるまでの道のりってのはほんとに長いよね。苦しいばっかりで。私自身はM2のときまで楽しいと思ったことがなかったなあ。いまだに苦しいばっかりで楽しいときはめったにない。いや、楽しいこともありますあります。
  • もっとも、レポートのお約束とかってのは楽しくするためのお約束でもあるんよね。サッカーのオフサイドルールとかとなんか似てる。もちろん最初はボール蹴ってるだけでも楽しいんだろうけど、試合やるときにオフサイドがないと、けっきょくゴール前にボール蹴りこんでみんなでもみくちゃになっちって、
    ぜんぜん楽しくなさそう。
  • あとまあ私が担当してるような授業でレポート書かすってのは、実際その学生の個性みたいなんを見たいわけじゃなくて、
    とりあえずそういう創造的なことをやるための基礎訓練みたいなもんで。サッカーでいえばパスまわしの練習させてるような感じでもある。もちろん選手は試合したいだろうけど、試合楽しむためにパスまわしみっちりやっとく必要もあったりするわけだろうと思う。
  • だからまあここで問題にしている800字とか1200字とかの
    レポート書くのが「楽しい」かどうかには私はあんまり興味がない。そういうので楽しいことがあるとすれば、たくさん書くことあるのをなんとかして800字に おさめるために取捨選択したり表現工夫したり句読点けずったりって工夫が楽しいだけだろう*1
    もちろん、3、4回生になって卒論に近づいてくるとまた別のことを考える。
  • あら、これ長くなりそうだ。ちょっと仕事しよう。
  • えーと。あとなに書こうとしてたんかな。
    学生から見ると大学教員てのは偉そうに見えるかもしれないけど、実際は誰もが知ってるようにしょぼしょぼで、もうなにをどうしていいかわからんのよね。さっぱり権威なんかじゃない。
  • 私も非常勤時代から含めて12、3年も大学で授業してるけど、
    いまだに試行錯誤中。だいたいわれわれのほとんどは教授法みたいなものを一切勉強したことがない。これはほんとに一切。私自身は中高の教員免許さえ持ってない。
    教え方みたいなのは塾とか予備校とかで見様見真似のオンザジョブトレーニング。人文系の教員は、そもそも自分がちゃんと先生から教わってない人も多いはず。だから ティップス先生 http://www.cshe.nagoya-u.ac.jp/tips/ が公開されたときはいろんな人が驚いたし参考にしたんだと思う。学生さんもこれ読んでおくと教員がなに考えてるのか、なに悩んでいるのかだいたいわかると思う。
  • 一時期「FD」とかやってたけど、あんまり実りはなかったんじゃないかと思う。実際そういうのに興味をもつ教員はまともな人が多いし、まともじゃないひとはそもそも興味を持たない。
  • 教授法だけじゃなく、やってる学問の内容について問題のある教員も少なくないかもしれない。いちおう大学で教えている以上、学会や研究会とか報告したり論文書いたりして、自分の理解や教えていることがまちがってないか常に確認しておく義務があるんじゃないかと思うんだけど、人文系だとあそういうのにまったく参加しない教員も少なくないよな。理系だとみんな必ず報告するんだと思うけど、人文系の学会は「若手社交界デビュー」の場みたいになっちゃってる。レジュメや教科書公開している人もめったにいない。哲学関係だと、定番の教科書ってものさえ存在しない。だから大学教員は自分のところでさえ誰がどんなこと教えているかさえ知らないことが多いと思う。「せめてシラバスぐらいちゃんとしよう」みたいな話が進んでるけど、現状は周知の通り。
  • 雑誌査読とかってのも人文系ではうまく機能してない分野もありそう。私が属している分野だと、そもそも雑誌論文とか参照している論文が少ない。日本語文献の参照自体が少ないし。
    引用されるのは書籍が中心だけど、そういうのは査読なんか関係ないから好きなこと書ける。だれもチェックしない。以前はちゃんとした出版社のものはちゃんとしてたみたいだけど、今はほんとに玉石混交。まあたいへん。 
  • 内容は立派だけど様式がぜんぜんだめな学生レポートや卒業論文ってのが存在するかどうかってのは興味深いネタだよな。まあ、あるかもしれん。特に哲学や社会学は斬新な書き方ってのがまだ可能かもしれんわな。ウィトゲンシュタインだってギアツだって、当時の人にも異様だったろう。まあでもいま『論考』や『探究』や”Deep Play”みたいなん卒論にされても困るわね。天才には天才にふさわしい表現方法がありそうだ。でもそんな天才がわたしの担当にいるとは思えんし、いても私の手にはおえない。そういうひとは「レポートの書き方」とか興味もつ必要ない。だいたい、何度も書くけど、正直なところ、教員は(少なくともふつうの講義形式の授業程度では)学生一人一人にそんな興味はない(これが先日の記事で一番書きたかったこと)。
  • あとあれだね。sjs7学兄はしばらく前に福耳先生がなんか騒ぎおこしたときに大学教員に対してうたがいを持つようになったのかな。あの件については別のところにこっそりこんなことを書いてたのを思いだした。
  • 福耳コラムの人のトリアージ炎上。ばからしい。これはあれだよな。学生に書いてもらったコミュニケーションシートからなにを読みとるか、っていう問題なんじゃないかしら。福耳の人の感じもわからんではないのだが、ちょっとナイーブすぎるかもしれん。っていうかコミュニケーションシートに何を書いてほしいのか、なにを期待しているのかをはっきりさせてないのが原因なんじゃないのかとか。あとで自分がコメントシートになに書いてほしいと思っているのか考えてみよう。

  • まあ課題を明確にせずに、ただ「感想書いてね」とかだったら「かわいそう」とかになっちゃうよね。レポートとかも(私を含めて)課題はっきりさせない人たちも多いんで、「私は~と感じました」になっちゃう。それつかまえて「かわいそう」ってのはアレだ、とかひどいわね。そういうのにいらだつ学生さんもたくさんいるだろうと思う。だから大学教員の大半がだめなのはその通り。
  • ええと。あと、レポートきっちり書く訓練すると、「言いたいこと言うまえにちゃんと調査しないとなあ」とか「他人の文章はなるべく好意的に読まなきゃ」とか「前後の文脈重要だな」わかってくると思う。たとえば「学者は一万部ぐらい単著を売ってから説教しろ」は効果的じゃなくてぜんぜんだめだと思う。。ちょっと調査すればもっと効果的なプゲラも書けるようになる。たとえば、
    • 教員500部でいいから1冊ぐらい単著書いて流通まわしてから説教しろ」
    • 「博論書いてない人に説教されてもなー」
    • あれが論文/レジュメか
    • みんなのキャンパスであんな評価のやつが説教か
    • 誤字脱字さえ直せないやつがなんで説教してんだ

    とかの方がもっとプゲラやクスクスとして優秀に見える。

           / \  /\ キリッ
    .     / (ー)  (ー)\      
        /   ⌒(__人__)⌒ \    < レポートからは我を消してみよう
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    <クスクス   /       \!??
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         \    u   .` ⌒/
        ノ           \
      /´               ヽ
    
  • 古いね。あらずれたか。使ったことないからAA苦手。まあリアルでもよく似てる*2。「単著なくて許されるのは助教までだよねーきゃはは」も貼りたかったけどやーめた。
  • まあ他にも、たとえば大学教員がいかにダメかをレポートするんだったら、
    こいつはこんなダメなこと書いてる、大学教員は(一般に)こんなダメなやつらだ、俺んとこの教員はこんなことしてやがる、っことを典拠や具体例あげて具体的に議論してくれないと、やっぱりオレオレレポートやオレオレ論文になっちゃって、わざわざ読んだり理解しようっていう気にはなりにくいんよね。よっぽど文章に芸がある場合や、もとからその人に関心ある場合はそれでもおもしろいのかもしれないけど、ふつうは、はあ、そう感じましたか、ぐらいで終っちゃう。「どう
    してそう感じますか?論拠は?思いこみじゃないの?読みちがえてない?」とか好意的にたずねるのはゼミや卒論面倒みさせられてる学生ぐらい だよな。特に誰かを批判する論文やレポート書くときはなんかもとのものよりも情報量を増やしたいよね*3。こういうのもレポートまじめに書く訓練しているとだんだんわかってくるような気がする。レポートではなるべく我を消して対象に向ってほしいってのはそういうことでもある。私もそういうのがわかりはじめたのはついここ1、2年。まだちゃんとはわかってない。そういうのに対して忸怩じくじく。
  • まあそういうわけで、大学教員の大半は権威だと思う必要ないし、権威じゃないひとの大半はだめだめなので、あんまり大学教員がブログとか書いてることをまに受ける必要もなければ、気にする必要もない。ただ偉い人や権威な人もいて、そういう人のいうことはちゃんと聞いた方がいいと思うけど、そういうひとはブログとか書いて時間つぶしたりしないから本読んだ方がよい。
  • あと正直なところ、レポートだの論文だのは言いたいことを言うためのものかどうかも微妙。私の感じではあんまり認めたくないことを認め、言いたくないこと言わなきゃなんないのが学問とかそういう感じがあって、これはアレだよなあ。微妙。
    まあ自発的に言いたいこととか自分語りとかはチラシの裏かブログとかに書きなぐる。これははっきり楽しい。このエントリみたいにもうひとつ自発的でないのはやっぱりおもしろくならんね。うん、やっぱり自発性は大事。終了。
  • ちなみに大学教員はおそらくキャバクラとかなかなか行けないと思う。お金ないのもあるけど、学生さんが働いてて次の日に おもいっきりプゲラされる可能性があるし*4。だいたいそういうところでいつも会ってるようなものと話してなにがおもしろいのかわからん。では大学がキャバクラ状態かというとそうではなくて、逆にこっちが気をつかうのでむしろホストクラブに近い。どっちにしてもそれほど楽しいものではない。
  • でも昔から「説教パブ」とかって企画はもってんだよな*5
    カウンターの向うに女子大生が並んでいて、なんか粗相するのにオヤジが説教したり人生について語ったりする。女子はそれを「はい、ええ、そうです、ええ」とか聞きながら涙ぐんだりするとか。けっこうニーズはありそうだ。「今日の粗相はなんにいたしましょうか?」とか。メニューは「飲み物をこぼす」あたりからはじまって、「客の前で化粧直す」「客ほっといて携帯メールする」「つっぷして居眠りする」「ブータレる」とか。「君ねー、それじゃ社会でやってけないよ!お金もらってんでしょ?」とか。大学講義パブや大学ゼミパブもいいかもしれんなあ。お客がレジュメ作ってきて授業するの。「日本経済の動向」とかでいいじゃんね。店員はまじめにノートとってるふりしたりする。質問する子にはチップはずんでね、みたいな。私は行きませんけど。
  • 「説教されパブ」みたいなんは昔通ってたことがある。ママから「あんたはだからダメなんよ」「キョーダイセーは理屈っぽくて」とか言われるようなとこ。M男だから。いまはもうない。なむなむ。
  • あ、あと大学で大人数教養クラス担当させられる非常勤講師の絶望と、彼らの学生や常勤に対する敵意についても書きたかったんだけど*6、まあそのうち。
  • でもまあ、自分はまだベビーだからとおもってても、私もそろそろニセの権威や権力*7をもちはじめてんのかもな。誤用悪用しないように注意しないと。でももっと欲しいような気もするな。うはははあ。

*1:そういうんでは制約が多い方がパズルみたいで楽しい。実はこういうのはけっこうよい頭の訓練になる。

*2:諸般の事情によって今現在物理的に非常によく似てる。

*3:むずかしいんだけど、間違いを指摘するだけじゃなくて、どう間違っているのかを指摘し、さらに、なぜそんなふうに間違うのかの因果的な説明もする、とか。

*4:だから一部の人(うちの大学じゃないけど)はフィリピンパブとか中国パブとかそういう系統が好きらしい。私は苦手。

*5:あら、これスガシカオ先生もアイディア出してるらしい。

*6:学生からは常勤も非常勤も同じに見えるけど、ぜんぜん違う存在で。

*7:こっちの一部はニセじゃない。