レポートについてつらつらその後:いっこ忘れてた

あ、昨日の記事ですごく大事ことを書きわすれたからインフォメーションとして書いとこう。 特にsjs7学兄あてってわけじゃない*1

そういう「正しいレポートの形式」とかを一生懸命勉強して、そのような形でレポートがあらねばならないと思って、それで正しいレポートが書けるようになったとしても、それによってレポートを書くのが「楽しくない」と思ってしまったら、元も子もないと思うからなんだよね。http://d.hatena.ne.jp/sjs7/20080730/1217428542 (誤記らしきものは訂正した)

このタイプの主張は他でも時々みかけるんだけど、こういうタイプの不安にはけっこう強力な反論がある。それは、いったんまともな書き方、考え方がどんなものであるのかを知れば、それを知った人がそれによって(たとえば)レポートを書くことが楽しくないと思うようにはならない、ってことだわね。レポートだけじゃなく、ブログだろうがなんだろうが、よい書き方がどういうものかを知ってしまった人が、それを知らなかった状態に戻りたいと思うことは本当にめったにない。「正しい書き方なんて知らなかった方がおもしろく書いてたなあ」とか思うことが経験的にほとんどないのね。実際にはむしろ楽しくなる。どういうわけか発展の方向は一方通行なのね。

同じようなことは音楽とかでもあって、和音その他のポピュラー音楽理論をまだ知らない人が「そんなん勉強したらオリジナリティなくなっちゃう」とかわけわからないことを言うことがあるけど、いったん楽譜の読み方や和声理論を勉強した人が「勉強しなきゃよかった」「楽器弾くのが楽しくなくなった」とか言うことは滅多にない。実際のところ見たことがない。美術系だとデッサンの練習とかまあいろんな分野で同じ
ことがいえるはず。

もちろんこれは人類の経験としてそういうことはめったにないってだけで、原理的にありえない、可能性としてまったくありえないって話ではない。そういう人も少数でもいるかもしれないし、「俺は勉強するんじゃなかった」とか言うひともごくまれにまあいるんだろうけど、それよりずっと多くの人が「あんとき勉強しときゃよかった」とか「いまからでも勉強しなきゃ」って思っている。そういうんで、少なくとも平凡な人間にとっては、まあ、多数の人びとの長い間の経験は尊重に値する。学問とかその他のいろんな知識や技術ってのはそういう多数の人びとの経験と努力のよせあつめなわけで、大学教員とかはそういうものを尊重する。っていうかそういうのがおそらく大学だけじゃなくてすべての教員の任務。だからそういうものの価値に気づいていない人間が大声で叫んでたら(余力があれば)攻撃するし、学生ならば単位を盾に説教して回心するよううながし、同業者でおかしなことを言っている人間がいたら叩き出すよう努力する。

私の好きなエリート主義者・完成主義者ミル先生はこんなこと言ってる。高校「倫理」の教科書にも載ってるような超有名な箇所。

それでは快楽の質の差とは何を意味するか。量が多いということでなく、快楽そのものとしてほかの快楽より価値が大きいとされるのは何によるのか。こうたずねられたら、こたえは一つしかない。二つの快楽のうち、両方を経験した人が全部またはほぼ全部、道徳的義務感と関係なく決然と選ぶほうが、より望ましい快楽である。両方をよく知っている人々が二つの快楽の一方をはるかに高く評価して、他方より大きい不満がともなうことを承知のうえで選び、他方の快楽を味わえるかぎりたっぷり与えられてももとの快楽を捨てようとしなければ、選ばれた快楽の享受が質的にすぐてれいて量を圧倒しているため、比較するとき量をほとんど問題にしなくてよいと考えてさしつかえない。

ところで、両方を等しく知り、等しく感得し享受できる人々が、自分のもっている高級な能力を使うような生活態度を断然選びとることは疑いのない事実である。畜生の快楽をたっぷり与える約束がされたからとって、何らかの下等動物に変わることに同意する人はまずなかろう。馬鹿やのろまや悪者のほうが自分たち以上に自己の運命に満足していることを知ったところで、頭のいい人が馬鹿になろうとは考えないだろうし、教育ある人間が無学者に、親切で良心的な人が
下劣な我利我利亡者になろうとは思わないだろう。
こういう人たちは、馬鹿者たちと共通してもっている欲望を全部、もっとも完全に満足させられても、馬鹿者たちより余分にもっているものを放棄しないだろう。(J. S. ミル、『功利主義論』、早坂忠訳、中公世界の名著『ベンサム・ミル』、下線はこのブログ書いてる人間。)

ここは、まあ、読みようによってはひどい文章だし、つめてみるといろいろ問題がある箇所でもあるんだけど、レポートや一般に文章に関していえば、いったん高級な能力を身につけた人がもとの状態に戻ろうとすることはほとんどない、ってことだけははっきり言えるだろうと思う。私ももっと高級な能力を身につけたい。もしこういう考え方に興味や反感を感じたら、そういうのをまともに読んでみればよいと思う。そうすれば、やっと大学での勉強とかっての仲間入りしたことになるんだと思う。ところがそうすると、どういうわけかこれがもとの状態にはなかなか戻れなくなるんだわな。そしてその方が楽しい。うははははあ。

*1:けどまあ、暴れ方にいろいろ感じるところがなかったわけではない。


レポートの書き方関連記事(新しいものから)

Views: 95

コメント

タイトルとURLをコピーしました