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性的モノ化とセクシー化 (10) セクシー化の社会的影響

書きわすれてましたが、ガールたちのセクシー化は男性や成人女性や社会全体にも影響します。たいへん危惧されるものであります。

男子や成人男性への影響

女子のセクシャリゼーションは男性にも影響あるわけですが、あげられてるのは「まあそうだろうな」って感じですね。

  • いかにも「女性美」みたいなのをたくさん見ると、男の「OK」の基準が高くなる
  • ポルノを見ると自分のパートナーを魅力的だと思わなくなり、セックスにも不満足になり、愛情抜きのセックスをしたいと思うようになる
  • TVシリーズの『チャーリーズ・エンジェルズ』を1話分見ただけで現実の女性を魅力的だと思わなくなる(ははは)
  • 自発的にポルノ見る連中は女性を性的な言葉をつかって記述するようになる
  • 「男らしさ」には女性をモノ化する視線が組みこまれている(お、同時進行している別のシリーズで気になってるコンネル先生参照されている)が、これは女性と仲良くなるのを邪魔している
  • 女性をモノ化する学部生はパートナーに満足しにくい
  • 性的モノ化すると共感しにくい。共感はパートナーとの関係の良好さのインジケーター。

とか。『チャーリーズ・エンジェルズ』、たった1話で現実の女性の魅力をそぎおとしてしまうですから、非常にけしからんですね。

女性への影響

ガールがセクシャライズされると大人の女性にも影響します。ここであげられてるのは、成人女性が若く見られるために多大な経済的・時間的・身体的投資をするとかそういうやつとか。化粧品とか美容整形とかです。

社会への影響

社会全体にも影響するのです。性差別的な態度が広まるとか、レイプ神話を信じやすくするとか、セクハラや性暴力に比較的寛容になるとか。女性どうしがお互いを見る目が厳しくなるとか、見た目で中身を判断するようになるとか。さらには男性の女性の扱い方に直接影響を与えるとか。

性的モノ化とセクシー化 (9) セクシー化/セクシャル化/自己モノ化への対抗手段

セクシャル化への対抗手段

というわけで、APA 女子のセクシー化タスクフォースの報告書ですが、とにかくメディアの女子のモノ化と、その影響による女子の自己モノ化には心理学的な悪影響がありそうだということになっている。実際にあるでしょうな。

んじゃ我々は女性の自己モノ化とその悪影響についてどうすりゃいいのか、っていうと、教育と家族の関心と女子/女性自身の社会運動だ、ってことらしいです。

学校教育としては、まずメディアリテラシーやろうと。メディアを批判的・懐疑的に見る方法を教える。ヤセ願望を減らす効果ありとの研究あり。ダイレクトに反モノ化メディアリテラシー教育する可能性もあると示唆したり。

あと、女子スポーツと課外活動を充実させましょう。スポーツや課外活動を通して、身体の見かけではなく身体の能力に目を向けるようにすると、モノ化に対抗できるよい効果がありそうだ。スポーツは自己評価が高まるという研究ある。スポーツ以外の課外活動(音楽やダンス)も期待されるが研究は少ない。それにコンピューターやビデオゲームもどうか、という示唆してたり。まあスポーツやダンスなど体を動かすのは精神衛生と健康にもとてもよいし、おそらく美容にもよいのでどんどん活発にしたいですね。賛成!賛成!大賛成!

さらに包括的性教育。生殖、避妊、初体験を遅らせること、コミュニケーションスキルとか教えると、セックス健康まわりへの悪影響に対抗できるかもしれませんと。

家族の強力に関しては、テレビ番組とかはいっしょに見たりコメントしたりすることによって影響をやわらげたりカンターしたりしましょう。さらには宗教関連の活動や親の社会運動も有効です。ここらへん、なんかアメリカの保守運動とかと関係あるんかいね。

さらに、セクシャル化に対抗する女子グループ作るのを助けましょう、とか。当時は「ガール・ジン」とかっていう女子が集まって同人雑誌作るのが注目されてて、これは女子のホンネとか流通させることで商業主義的な大手メディアの影響をやわらげられるかもしれんとかそういうことでしょうな。女子で仲間つくる意義もでかい。おそらく男子の視線を気にするから自己モノ化するわけで、とかそういう発想がある。

ちょっと注目したのが、その流れで、ネット(ブログ等)つかってセクシャル化批判しましょうおすすめフェミニスト書籍を読ませましょうとか、そういうのがあって、なるほど、そういうのがメディアの女性のモノ化批判するブログや掲示板が隆盛になった背景でもあるのね、と納得しました。そりゃAPAが、悪影響のお墨付きくれてるならぜひ活動してモノ化して女子を自己モノ化に追いこむ悪い奴等を糾弾しないとならん。

とかそういう感じ。英語圏のフェミニズム運動がもりあがっているのが感じられます。

メディアの影響による男性による女性の性的モノ化から、メディアの影響による女性の自己モノ化の問題へ

こうしたメディアのセクシー化から、女子の自己モノ化、そしてその悪影響、というAPAの筋は、それ以前の80〜90年代のフェミニストたちのポルノが性暴力の原因、とかって議論よりは見込みがあるんですよね。何回か書いているように、男性がポルノを見て性暴力するようになる、みたいなのはほとんど実証できない。へたすると逆の効果もありそう(ポルノで満足して性暴力が減る)。それに比べるとこのAPAレポートは、メディアの男性への影響ではなく女性への影響を問題にしていて、それらはずっと実証しやすい。女性のファションとか化粧とかメディアの影響をもろに受けてるのはあまりにも明白だし、おそらく体型やふるまいについてもそうだろう。

そして、女性が自分の体を他人から見られるモノとして強く意識することは、女子自身の精神衛生に悪影響がありそうだ、というのもけっこう膨大な研究がある。

となると、世に溢れる女性をつかった性的な表現を批判し非難するには、女性の自己モノ化、特に子供たちに与える影響に対する意識を高めるのがいい。いやいや、これは書きかたがわるくて、そうした悪影響にこれまでちゃんと配慮されてなかった、ということが反省されるようになるわけです。

でもこれって、子供に限らず、日本でいろんな広告とかが問題になるときについてある種の洞察を与えてくれますよね。「男性視線の性的モノ化がいかんのだ」とかっていうことになると、「なんで見て楽しんでるだけなのに悪いんですか」とかっていう疑問に答えないとならないわけですが、世に溢れるセクシーな表現を見ると、女性は自己を見られる「モノ」として考えざるをえなくなり、それが女性の息ぐるしさや、各種のメンヘル問題につながる。実際、アニメやアイドルやその他を見て気分が悪くなるひとはけっこういるようで、それはそうした作りだされた女性像と自分自身を比べて身体不満とかその手のいろんなネガティブな心理的状態になるからだ、というのは悪くない説明な感じはあります。

ただもしこの手の考え方をとると、モデルさんたちをつかったセクシーだけど女性が毅然として下着広告とか、かわいく元気で主体的アイドルのダンスとか、そういうのもやっぱり女性の自己モノ化を促進しそうで、そういうのも問題だということになりかねない。まあ実際問題そうかもしれません。

性的モノ化とセクシー化 (8) マクネーア先生の批判とAPA報告書をチェック

マクネーア先生の批判

Brian MaNair先生という政治学・メディア研究のひとがいて、この人猛烈なポルノ賛成派(プロポルノ)で、世界を平和にするために爆弾じゃなくてポルノ落とそうぜ、みたいなことを言うひとなんですが、APAの報告書を批判しているですわ。基本的に、APAの報告書は学問的に厳密で客観的な証拠を提示しているフリをしているが、実は単に委員たちの主観的な願望的思考と、チェリーピッキング的でミスリーディング(誤解を誘う)証拠を提示しているだけだ、みたいな批判です。ちょっと見てみましょう。

  • レポートは、性的モノ化などを我々(特に女性)すべてにとって強制的に押しつけられるものだと想定していて、健康で健全な人々がそれを自発的に選択するという可能性を考慮していない。セクシー化は単に「悪いもの」として想定されている。
  • 現代アメリカで「セクシー化」(あら、これはセックス化だなあ)が激化していると指摘されていて、たとえばテレビドラマ(シットコム)1番組あたり3.3回のセクハラシーンがあると指摘されているが、これらの多くは男性のセクハラを批判したり、「男性性」を馬鹿にしたりするために用いられている点を無視している。
  • ミュージックビデオ(MV)では女性が単なる装飾品として登場させられていると主張しているが、そうしたMVでは男性も同様に非常に装飾的に使われている。
  • 旧来のバービー人形と、よりセクシーなブラッツ人形の違いが「セクシー化」のエヴィデンスとして指摘されている。バービーの原型は第二次世界大戦後のセックス玩具であり、それが50年代には従順な金髪女子となり、Toy Story 3では怒れる金髪フェミニストとなったように、時代の 親の好み にあわせてその姿を変えられている。ブラッツは第二波フェミニズム運動〜ポストフェミニズム運動のなかで生みだされたものであり、多様な人種とルックス、そして「ポルノスター」ティーシャツや「ポールダンサーキット」などが存在することがわかるように、現代の 子供自身 の好みにあうように作られている。
  • APAの報告書はmayやappear toなどの語句が頻繁に使われており、ブラッツ人形が女子に悪影響を与えているという推定は証拠のない憶念にすぎない。(なんでこの人バービーとブラッツにこだわってんだろ?ファンなのだろうか?)

まあほかにもいろいろ悪態ついてます。でも実際、どれくらいのエビデンスが提出されているんでしょうね。ちょっとチェックしてみます。

認知的・身体的能力の低下

  • 自己モノ化によって意識が断片化し、認知能力が下る。女子は着替え室で水着を着て数学テストを受けると点数が下がる(Fredrickson et al., 1998, Hebl, King & Lin 2004)。論理的思考や空間把握能力も下がる.(Gapinski, Brownell & LaFrance 2003)
  • 思春期ぐらいから女子は自分の数学の能力とかを疑いはじめるが、女子校ではそういう現象が見られないので自己モノ化と女子の理系(STEM)進学が少ないのは関係があるのではないか(Fredrickson & Rorberts 1997)
  • 自分の身体をモノとみて、ルックスを気にする女子は、ソフトボール投げの距離が短い(Fredrickson & Harrison 2005)

正直、有名な「水着」論文なんかの、自己モノ化が認知能力を落とす、みたいな話はちょっとそのまま信用するのはむずかしそうかな、という印象です。

身体への不満、容姿不安

  • 自己モノ化と自己モニタリングは、自分の身体に対する恥の感覚を増加させる(e.g., Fredrickson et al., 1998; McKinley, 1998, 1999;Tiggemann & Slater, 2001)
  • 自分をセクシー化された視線で見る若年女子は容姿不安が強い (e.g.,Tiggemann & Lynch 2001)
  • メディアでの理想的女性ボディを見たあとでは容姿不安が強くなる(Monro & Huon, 2005)。雑誌表紙の「セクシー」「すらっとしたsheply」などの文字を見たあとでも同様。(T-A. Roberts & Gettman, 2004).
  • などなど省略

この種の調査は数多いので省略。身体に関する言及や理想的ボディ見せられると、自分の身体への不満や不安が強くなる。まあそうだろうな、って感じですね。若い女性のあいだで豊胸手術その他の美容整形なんかが流行しているのもネガティブにコメントされてます。

メンタルヘルス

自己モノ化・セクシー化と関係あるとされている女子と女性に多い三大メンヘル問題といえば次の三つ。

  • 摂食障害
  • 自己評価低下
  • 鬱病、抑鬱状態

これも非常に多くの文献があげられていて、まあそうだろうな、ですね。

身体的健康

自己モノ化とセクシー化は間接的に身体的健康にも影響する。あげられているのは

  • 身体不満と喫煙の相関(Camp, Kleges, & Relyea, 1993)(Harrell, 2002)

でした。

セックス関連

まずセックス頻度・満足度とかはウェルビーイングと強い相関があることを確認。これはそうなんしょね。んで、自己モノ化・セクシー化は健康セックスにネガティブな影響があると。

  • 自己モノ化する思春期女子(白人とラティーナ)は、コンドーム使用率が低く、性的な自己主張もしない傾向 (Impett, Schooler, and Tolman 2006)
  • MVや女性雑誌をよく見女子る大学生は、性的モノ化された女性像や伝統的ジェンダーイデオロギーに親和的、授乳や月経、汗などの身体機能にネガティブな態度をとりがち (L. M.Ward, Merriwether, and Caruthers 2006)
  • テレビ番組は人々の性行動を正確に描いていると信じている高校生は、最初の性体験に不満足、また処女であることにも不満足 (Baran 1976)
  • 一般男性雑誌や男性テレビキャラクター好きな大学(男女)は、最初のセックスはネガティブなものになるだろう予想しがち。(L. M.Ward and Averitt 2005)
  • 雑誌表紙の女性モノ化的な文句を読んだ女子は、性関係に興味を失なう(T-A. Roberts & Gettman 2004)
  • などなど

この項目、エビデンスけっこう数出されてるんですけど、なんか中身ちょっとしょぼい調査ばっかりな気がします。あと「態度と信念」と「女子の性的搾取」の項目があるんですが、もう疲れてしまって今日はおしまい。

証拠の強さは?

たしかに、このAPAの報告書を見ると、メディアが女性の精神衛生その他に影響を与えているだろう、っていうのは直接には言いにくいみたいですね。

メディアの影響→ 女子の自己モノ化 → 女子のメンヘルその他の問題

っていう形になっていて、メディアのセクシー化の影響によって自己モノ化している、っていう証拠は相関としてもさえ弱いし、自己モノ化 から メンヘル問題、っていう因果関係もなかなかエビデンス出すのに苦労している様子がある。相関ならまあなんとか……

あとなんといっても気になるのは、こうして列挙されているのは「女子のセクシー化」のネガティブな面ばっかりで、おそらくそれの裏側にある セクシー化のポジティブな面 に一切触れられていないのが気になりますね。「そんなものはないのだ!」って簡単には言いきれない気がする。実際、第三波フェミニズムとかを名乗る人々はこのAPAの報告書批判してますね。たとえば

  • Lerum, Kari, and Shari L. Dworkin. “‘Bad Girls Rule’: An Interdisciplinary Feminist Commentary on the Report of the APA Task Force on the Sexualization of Girls.” Journal of Sex Research, vol. 46, no. 4, Taylor & Francis, July 2009, pp. 250–63.

など。もっとも、この報告書のファーストオーサーの先生なんかは、2018年に「たしかに証拠ちょっと足らんかったけど、そのあと10年たってずいぶん強力になったぞ!」って言ってます。

  • Zurbriggen, Eileen L. “The Sexualization of Girls.” APA Handbook of the Psychology of Women: History, Theory, and Battlegrounds, Vol, edited by Cheryl B. Travis, vol. 1, American Psychological Association, xxii, 2018, pp. 455–72.
  • Lamb, Sharon, and Julie Koven. “Sexualization of Girls: Addressing Criticism of the APA Report, Presenting New Evidence.” SAGE Open, vol. 9, no. 4, SAGE Publications, Oct. 2019, p. 2158244019881024.

なんかこれ書いてたら、「セクシー化」じゃない方がいいみたいですね。最初は「セクシーなものが強調される」ぐらいの意味で使おうとしてたんですが、困りました。「セクシャル化」かもう「セクシャライズ」か。「性化」は読みにくいし、「セックス化」じゃあんまりよくないだろうしねえ。

性的モノ化とセクシー化 (7) セクシー化問題の成立史

「セクシー化」sexualizationっていう問題がどういうふうに形成されたのか、ってのは次のものが勉強になります。ほんのちょっとだけ紹介。

まずこのsexualization言葉は、複数の歴史的な意味がある。「セクシー化」ではない意味もあります1

  • 1970年代には、個人が男性・女性としてそれぞれ性的に分化して成熟していく過程を指す言葉として使われた。
  • また、精神医学ではフロイトのsexualizierenの意味で、リビドーが特定のエロチックな対象に固定する過程を指すのにも使われる。特にアメリカの精神分析業界では、治療者に対る「転移」を指すのに使われた。
  • 上のふたつの混用みたいな形で、子どもが大人に対する不適切な性欲をもつ社会化の過程を指したりもした。(へえ)
  • 児童虐待の問題意識が高まると、インセスト(近親姦)的な子どもに対するやばい関心を指すようになる。この用法は現代まで使われている。
  • 1980年代になると、子ども、特に女子のsexualizationが問題になる。これは子ども、特に女児が、十分成熟するまえに性的活動に参加しはじめることを指してました
  • 1990年代には、フェミニズムの影響を受けてジェンダー問題が「社会問題」として前面化する。特に女性と子供の性的被害がクローズアップされる。sexualizationは本来大人の社会から性的に隔離されているべき子供を性的活動にひきこむこと
  • 1995年にGarbarinoの Rasing Children in a Socially Toxic Environment という本がベストセラーになる。この本では子供のセクシャリゼーションによる搾取が問題とされる。「子供にセクシーな服を着せることは、もう制限なしだというメッセージを伝えることになる」2
  • 2000年代前半にsexualization 、このシリーズで述べてる意味での「セクシー化」がフェミニスト的問題になりはじめる。少女が積極的にセクシーな服を着て、男子の目をひきつけようとする傾向。フェミニスト的には、商業的・性差別的社会では、もは女子はまともな選択ができなくなっているという意識の高まり
  • 「以前は女性は自分たちをックスオブジェクトとして見るなと抗議していたのに、現代ではその娘たちは自分からセックスオブジェクトになろうとしている」 という危機意識。また女児の性的搾取のリスクの増加の懸念
  • セクシー化への懸念はAPAの報告書に結実、保守派の賛同も集める

まあこんなふうにして、2000年代このかた、若い女性を性的なものとして扱うことに加え、女子や若い女性が自分から性的なものとして自分をディスプレイして、また積極的に性的な活動をおこなう、っていう現象が、フェミニストにも、保守派にも懸念される現象になっているわけです。そして、1980年代に批判されたフェミニストと保守派の結託みたいな現象が2010年以降また起きている、って感じです。

脚注:

1

ちょっと英語の問題があって、sexualizeみたいな他動詞に-ationの語尾をつけて作った語は、その過程を指すこともあれば、その結果を指すこともあるんですよね。「子どもをセクシュアライズする」というのは、まあ「大人が子どもを性欲の対象としたり、性的な活動をする存在として見る」みたいな意味なわけですが、その名詞形のセクシュアライゼイションは、そうやって子どもを性欲の対象とするようになっていくという過程を指す場合と、子どもが性的な対象とされるようになったという結果を指す場合がある。accuse 訴えるという言葉の名詞形のaccuzationに、(1) 告発すること、という過程の意味と、(2) 告発そのもの、告発の内容、と二つの意味ができてしまうのと同じということらしいです。これ、よく考えないと翻訳もまちがってしまいますので注意しないとならんですね。

2

この本は重要なようで、いま話題になってる「有毒な男らしさ」っていうやつもこのラインの話なんですね。ケミカル有害物質の汚染と、性的な汚染がメタファーでつながれていて、それがいまでは「男らしさ」にも使われているんですな。

性的モノ化とセクシー化 (6) ちょっと書籍紹介

ちょっとだけ書籍紹介。いまリスト作っているのでとりあえず。文献リストはある程度取捨選択しないと意味ないから面倒なんすよね。だんだん整理します。

「スカンク娘たち」。セクシー化はエンパワではなく搾取派。ファッション、セックス活動、ポルノ、ストリッパー、美容整形、ミスコン、行儀、音楽、雑誌、テレビ、映画、ネット、スポーツ、ファンタジと分けて、話題になったものとそれに対する人々の意見をならべました、みたいな。

とにかく若い女子がなにをするかというのは非常に興味をもたれる。

論文集っすね。アトウッド先生はメディア学でかなりいけてる先生なので信頼できます。

まあここらへんが基本。セクシー化というよりもうこれは「ポルノ化」だ!許せん!っていう先生たちも活発です。

ここらへんの人は保守フェミニスト、みたいな感じの人々ですね。

女の子が脱いだりエッチなダンスしてあばれたりするのは低俗文化(Raunch Culture)だ!っていう議論もあります。下のFemale Chauvinist Pigs (すごいタイトルだ)が有名ですね。Girls Gone Wildっていう有名な素人エッチDVDとかをいろいろ批判している。

おまけ

性的モノ化とセクシー化 (5) 「セクシー化」の方が使いやすいのはなぜ?

「性的モノ化/客体化/物象化」より「セクシー化」の方が議論に使いやすい、というか有用だってな意味のことを書いたんですが、私がなぜそう考えるのかちゃんと理由書いてませんでした。

「性的モノ化」が使いにくい概念であることは、このシリーズの(1)で書きました。

  • 自発的なモノ化(たとえば、自撮り女神様、ポルノ出演等)は不正ではない
  • アニメやイラストは誰もモノ化していない
  • 表現物が、男性を介して生身の女性のモノ化をひきおこすという因果関係を立証するのは困難

とかそういう感じですね。

実在の女性 → 集団としての女性のイメージ → 作者の頭のなかに結実した像(ビルド) → 作品 → それを見る鑑賞者 → 鑑賞者の頭のなかの女性に対するイメージや偏見 → 実在女性の被害、不快

上のような図式で考えようとすると、いろいろ論点が多過ぎるように思います。

一方、フレドリクソン先生の心理学における「モノ化」や「セクシー化」の議論は、表現物の影響によって男性の考えが歪み、それが男性の性暴力など女性に対する悪しき扱いを引き起こす、という形にはなってないのですわ。

作家の頭のなかで生まれた表現物 → それを見る女性が内面化する → 女性の不快、鬱、摂食障害、活動低下、交渉力不足など

っていう形になっています。 メディアで女性のセクシーなボディや女性的ステレオタイプが頻繁に描かれることが、女性の心理的負担になるという形で、女性に対する「抑圧」と呼ばれるものが(男性を経由せずに)直接引き起こされるというモデルなので、実証的な立証も「男性による女性の性的モノ化」よりも単純ですわ。

そしてこれは、作家が男性であろうが女性であろうが関係ないですしね。へんな言い方をすれば、ここの作家や出演者や自己モノ化する人々が何を考えいようが、その自由な行動と表現の裏に、苦しむ人々が発生するリスクがある(のでコントロールするべきだ)、みたいな議論をすることが可能かもしれないのです(私は簡単には同意しませんがね)。

文化的に女性はなによりセクシーなものだ、セクシーな方が高く評価される、セクシー最高!っていうあつかいを受けることが、(少なからぬ)女性にとって被害である、と示せればよいわけです。どうですか、魅力的でしょう?

(まだまだ続く)

性的モノ化とセクシー化 (4) セクシー化/セクシー文化の実例

ちょっと息ぬきに、セクシー化ってどんなものが想定されているかっていうのは確認する必要がありますよね。ポルノだのなんだの話をしているときに、多くの論者は、そのポルノ自体を名指しすることがないことが多くて、「どういうポルノ考えてるの?」とか言いたくなる場合があります。

「セクシー化文化」 sexualized culture みたいなのもどれくらいセクシーだとセクシー化されていると言えるのか、みたいなのはそれぞれ具体的に考えてみるべきだ。

たとえば古いけど、こんなんですかね。

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「私とカルバンクラインジーンズのあいだに何があるの?なにもないわ(ノーパンです!)」

私の好きな音楽から少し例を。ちょっと今誰の論文からもってきたかわらなくなってるのですが(あとで訂正します)、以前に読んでた論文で言及されているセクシー化された文化における主流の音楽PVってこの3本でした。

Nicki Minaj – Anaconda

Ariana Grande – 7 rings (Official Video)

Lizzo – Tempo (feat. Missy Elliott) [Official Video]


まあエッチですね。セクシー化があんまりはげしいからこういうのはポルノ化 Pornify, Pornificationって呼ばれたりする。かっこいいと思った若い女子はマネしますかね。(どうだろう?)

こういうんだったら私好きなのいくらでも出せます!現在最強はこれ!

Robin Thicke – Blurred Lines ft. T.I., Pharrell (Official Music Video)


「パティーして酒飲んでワイルドに行こう」みたいな感じで、2010年代のアメリカのフックアップカルチャー(人によってはレイプカルチャー)を代表する曲ですね。

こういうのは昔からたくさんあって、私が好きなプリンス様なんかはそれの専門家よね。

Appollonia 6 Sex Shooter HQ

まあこういうものに影響されて、女子は苦しくなるのだ、と。(ほんとかな?)

性的モノ化とセクシー化 (3) 女子の「セクシー化」の方が広い概念で使いやすいかもしれない

女子のセクシー化という問題

その後、2000年ぐらいを境にして、「モノ化」とか「自己モノ化」っていうのはかならずしもセクシーな含意がないので、男性や社会が女性にセクシーであることを求めたり、女子自身がセクシーであろうとするのが問題なのだ、という立場の人々は、「自己モノ化」じゃなくて「セクシー化」sexualizationという概念を使うようになります。「性的モノ化」の「モノ化」よりは「セクシャル」の方を重視するわけですね。

まあ前にも指摘したように、我々はモノでもあるわけだし、グラビアやテレビでは、女性も男性も鑑賞の「対象」の「モノ」ではあるわけですから、性的モノ化が問題だと考える人は実際にはそれが「セクシーな」モノ、セックスや性欲の「対象」であることを気にしているのですから、こっちの方が適切な場合も多い。日本の皆さんも、セックスにかかわっていることが気になるのならこっちの概念・言葉を使ったほうが問題がはっきりすると思う。

アメリカ心理学会の「少女のセクシー化」対策部会

こうしたなかで、アメリカ心理学会が2007年に「少女のセクシー化」が女性にもたらす悪影響についての心理学的研究の報告書を出すわけです。これはけっこうな分量(70頁ぐらい)と内容のものなんですわ。

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APAは学術研究者に加え、臨床心理学者というかカウンセラーや精神科医なども含む巨大組織で、単に研究するだけでなく社会的な政策みたいなのにも心理学の立場からコミットするのが任務だと思ってるわけです。んで、公衆メンタル衛生みたいなもおにも積極的にとりくんで、政策提言みたいなのに近いこともしようとしている。

そこではひとのセクシー化っていうのは四つぐらいの下位区分がある。

(1). ひとの価値が、セックスアピールや性的なふるまいによって決定され、他の特質が排除される

(2) ひとの身体的魅了が、セクシーさによってのみ評価される

(3) ひとが、自立した行動や意思決定ができる人間としてではなく、性的にモノ化される、つまり他人の性的使用のためのためモノとされる

(4) 人にセクシュアリティが不適切に投影(impose)される。

(3)はおなじみに「性的に使用するための道具にする」という意味での「性的モノ化」ですが、他の三つは性的モノ化っていうのとは関係するけどちょっとちがうもので、まあ「セクシー化」というのはその意味で性的モノ化より広い概念ですね。

んで、このAPAの対策部会(タスクフォース)によれば、テレビ、広告、ネットその他のメディアでの少女のセクシー化について、次のような懸念が表明されているわけです。

現代社会では、(1)セクシー化と呼ばれる現象が増加していて、(2)それは弱者グループ(ふつうは少女や若い女性だけどそれ以外も含む)に害(harm)を及ぼしている、という(3)懸念・不安が増加している。それゆえ、有害なイメージに対するコントロールが必要だ、みたいな形ですね。

あとで検討するかもしれませんが、この報告書には私はちょっと問題がるかもしれないと思っています。メディアが実際に女性を中心にした弱者グループに害を及ぼしているかを証明するのはたいへんなので、前のエントリーとかで紹介したフレドリクソン先生やその他の部分的な心理学実証・文献研究から、害を及ぼしている かもしれない ということを伸べて、コントロールが必要だろう、って話にもっていってるわけです。

まあでもこの報告書は、おそらく世界でもっとも影響力のあるアメリカ心理学会の名前とともに出ているのですから影響力があります。このシリーズの間接的な出発点となった牟田和恵先生の「現代ビジネスオンライン」の記事でいろんなガイドラインが参照されていましたが、ああしたガイドラインの背景には、このAPAの報告書の影響があるのかもしれません。

同種の報告書は他の国の政府や公共団体からも出ています。イギリスでも、心理学者のパパドプロス先生というひとが主導した内務省の「若者のセクシー化」という報告書(2010)が出ています。

イギリス教育省も子供のセクシー化・商品化に対する懸念を報告書にしている。イギリスは厳しいですね。

オーストラリアでも、APAより先に進歩派系シンクタンクのオーストラリア研究所が「ペドフィリア企業:オーストラリアにおける子供のセクシー化」とかってどぎつい報告書出してます。

こういう流れで、女性の「性的モノ化」という問題意識は、若い女性や少女、そして子供を性的に見る文化的な態度の問題としとらえられるようになってるんですわね。いま国内でやっている「性的消費」「性的モノ化」「性的客体化」などといった議論は、むしろ、こうして女性を性的な道具や鑑賞物として見たり、そうした文化的な雰囲気に対応して少女や女性たちが手間暇かけて自分を性的に魅力的なモノとして提示したり、あるいは商品化したりする、そうした「女子のセクシー化」「文化のセクシー化」「セクシー文化」の問題として見た方が、有益な議論ができるかもしれませんので、そっち方面の立場でがんばりたいひとはいろいろ調べてみてください。

ちなみに、「セクシー化」の方が議論にはよいだろうっていうのは、uncorrelated先生というよくわからない方が以前からツイッタ炎上のたびに指摘しているので、そっち先に見た方が事情がわかりやすいかもしれません。

(続くかもしれないけど少し先になります。)

性的モノ化とセクシー化 (2) 心理学分野での「性的モノ化」と「自己モノ化」

心理学分野での「性的モノ化」と「自己モノ化」

80年代か90年代にかけて、アメリカでは(日本でも)思春期から若い成人女性の摂食障害がものすごい増えて、社会問題になり、その原因はなんじゃいな、ということが議論された。現在、精神科医たちは、摂食障害は、おそらく心理学的な要因に加え、生物学的な要因の問題もあるようだ、って考えてるようですが、この時期はやはりテレビや雑誌などのメディアで、痩せた女性が登場してその体を自慢し、それを見た少女たちがファッションモデルや芸能人のようなボディーシェイプを目指してダイエットするために摂食障害を発症するのだろう、と考えられたわけです。まあそういうのはいまだに問題になっていますね。実際に、そうしたメディアの影響がなにもない、というのは考えにくいし。

90年代の心理学業界では、こうしたメディアの影響についてやはり「モノ化」という観点でとらえていて、とくにここらへんの論文が非常に有名ですね。発表されたのはマッキノンやヌスバウムたちよりちょっと遅れて1997。まあ心理学でもああいうタイプのフェミニスト問題意識が十分蓄積したということだろうと思います。

  • Fredrickson, Barbara L., and Tomi-Ann Roberts. “Objectification Theory: Toward Understanding Women’s Lived Experiences and Mental Health Risks.” Psychology of Women Quarterly, vol. 21, no. 2, SAGE Publications Inc, June 1997, pp. 173–206.

1997年のこれがエポックメイキングだったらしい。ここでのモノ化は女性を人柄から切りはなしてセクシーなボディに還元して、それを商品化したり、女性の典型としたりする、みたいな。まあマッキノン〜ヌスバウムのラインそのままですね。

性的モノ化を許容する文化 → 女性のモノ化の内面化(オブジェクトとしての自分の身体を監視する) → 女性の身体羞恥、恥意識、interoceptive deficits1など → メンヘルリスク(摂食障害、鬱病、性的機能障害など)

上のようなモデルが組まれたわけです。まあメディアとかでセクシーな女性を見たり、あるいは社会生活のなかでセクシーボディの女性が規範とされることで、女性が自分をセクシーなモノであるべき存在として見るようになり、その基準に到達してない人はもちろん、到達している人々でさえずっと自分のボディに注意し監視することになる、と。

ここで重要なのが、心理学者にとって、女性の問題は、他人から直接にモノ化されるという経験(性暴力とか盗撮とか面と向かっての性的評価)もまあ重大ではあるんですが、自分をモノと見る自己モノ化も重大な経験であるっていうのに気づかれたところなわけです。(それゆえフレドリクソン先生たちのは時々「モノ化理論」というよりは「自己モノ化理論」として参照されることがある)。

こっちも特に有名なやつで、「水着を着て鏡の前でテスト受けると女子学生は数学の成績が落ちる」みたいな実験して、自分を女性だと意識したり、モノとして見ることが女性にさまざまな心理的負荷をかけていることを実証した、とされるやつです。読んでみたけどちょっと微妙なところありそうですが、フレドリクソン先生はこういうので偉くなります2

脚注:

1

まだどういうのかよくわかってないです。

2

フレドリクソン先生は2000年代以降はポジティブ心理学の方で業績残すことになって、私はそれで意識しました。先生がモノ化に反対してたとなると、私も考えなおさねば。

性的モノ化とセクシー化 (1) 「性的モノ化」の議論のむずかしさ

「性的モノ化」は自発性や同意があればそんな悪くない

ポルノやソフトな表現での「性的モノ化」(客体化、物象化)の問題については、ごく簡単な論文もどきも書いたし、もう飽きてる感じではあるんですが、時々ツイッター検索とかをかけると、いまだに時々この概念が使われてるようですね。

何度も書いているように、ポルノとかの「モノ化」の問題の一つは、単なるモノや動物ではない価値をもっていると考えられる人(パーソン)や女性を、単なるモノ(オブジェクト)として扱うこと、勝手に鑑賞したりよしあしを品評したり本人の意思に反して操作したりする対象・客体(オジェクト)として扱うことは、他人や自分に対してもつべき尊敬・尊重の念に反するので道徳的に問題がある、というものです。特に女性は男性から性的なモノ、セックスや痴漢や盗撮という行為の対象となりやすく、それよって被害を受けたり、他人がそうされているのを知って少なくとも不快になったりする。いくないですね。(ちなみにここでのモノも客体も対象もぜんぶ「オブジェクト」で、英語話者の論者でも鈍い人はあんまり区別つかない感じですね。)

でも、我々人間は単なるモノではないのですが、しかし実際に身体をもったモノでもあるわけです。そしてその身体を鑑賞してもらったり、愛玩してもらったり、欲望やセックスの対象としてほしいこともあるわけです。ヌスバウム先生の言葉を使えば、「ワンダフルなモノ化」があるかもしれないし、モノ化が許される場合はもっと多いだろう。「あんたの道徳的な人柄は好きだけど、体はぜんぜん興味ないのよね、むしろなくなってほしい」とか言われたらそれはそれでいやじゃないっすか。若い女性たちが毎日自撮りしてツイッタやインスタやチクトクにアップロードするんだって、他人にモノでもある存在として見てもらったり、場合によっては性的な欲望の対象になりたいと思うからだと思う。私もできることならそんなことしてみたいけど、まあ需要がないだろうし逮捕されるとやばいからやめとかないとならんですね。ははは。

イラスト等には使いにくい概念

もう一つ、この「性的モノ化」っていう概念をインターネットで見るような表現に使おうとするときの問題は、よく問題になるイラストやアニメは、盗撮のように生身の人をモノとして扱ってるわけじゃないことですわ。モノにされている人がそもそもいない。まあ絵描きの頭のなかにしかいない想像上の人物が自発的にエロな格好しているとも、同意しているともいいがたいところはあるにしても、なぜそうしたイラストに道徳的に問題があるかというのを示すのはけっこう難。

実在の女性 → 集団としての女性のイメージ → 作者の頭のなかに結実した像(ビルド) → 作品 → それを見る鑑賞者 → 鑑賞者の頭のなかの女性に対するイメージや偏見 → 実在女性の被害、不快

とかっていう経路を考えないとならない。まあ、最大単純にして、エッチなイラストを見て痴漢したくなり、実際にそれをする、みたいな単純な影響や因果関係を示すことができればましですが、それ自体むずかしいし、さらには一部の人がそんな経路をたどって痴漢とか性暴力とかに至るということが言えてさえ、そうした表現が不正である、と主張するのはむずかしい。マルクス読んで暴力革命するんだってんでテロ起こしたからといって、マルクス禁書になんかしたくないっしょ?

実は、英語圏でも「モノ化」の議論はまだまだやられてるんですが、2000年代後半ぐらいから、広告やテレビなどの表現物については、むしろ「女性のセクシー化」みたいな枠組みで考えることが増えてるんですわ。ちょっとだけ紹介しようかと思ったのですが、いつものように前口上だけで長くなってしまった……続くと思います。

『宇崎ちゃん』ポスターは「女性のモノ化」だったのか?

現代ビジネスオンライン https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68733 に載せたものをorg2blogのテストとしてこっそり転載しとこう。1年以上経過したし、転載してもかまわんだろう。(お金くれるって言われた気がするけどもらってないし)


『宇崎ちゃん』ポスターは「女性のモノ化」だったのか? 「性的対象物」という問いを考える

『宇崎ちゃん』論争のその後

日本赤十字社が献血を呼びかけるポスターをめぐってSNSで激しい議論が生じた。この「現代ビジネス」上でも、大阪大学教授の牟田和恵氏が論説を発表している。

赤十字社のコラボ相手となった丈(たけ)氏作『宇崎ちゃんは遊びたい!』は、累計で60万部以上を売り上げている人気マンガだ。

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主人公の一人の桜井先輩は、高身長のイケメンだが奥手で堅物の男子大学生である。もう一人の主人公宇崎ちゃんは、女性的で豊満な身体つきだが、実は非常に活発で食い意地がはった「ウザくてカワイイ」女子大学生である。

この作品は、二人がおりなす「くっつきそうでくっつかない」ほのぼのとした日常生活を描いたラブコメであり、部分的にエロチックな要素も含んではいるものの、一部の人々がポスターから連想したような「お色気」や「エロ」中心の物語ではない。

牟田氏は、「宇崎ちゃんのポスターが抱える問題点がわからない人々は、女性差別の問題がわかっていない」と指摘したのだが、議論の中心になっている「性的対象物」という用語が何を意味し、どのような問題を含んでいるのかについては、詳しい解説がなされていない。

本稿ではこの言葉と概念を明確化することを通して、「宇崎ちゃん問題」をもう一度考えてみたい。

問題のありかを明確にする

「ポスターで『宇崎ちゃん』というキャラクターが『性的対象物』として描かれている」と指摘する人は、そのとき、「女性が(男性から)性的な関心の対象とされている」ということを指摘しているのだろう。しかし、そうした「性的な対象化」がなぜ女性「差別」なのか、なぜ悪いことであるのか、ということは、実はそれほど自明ではない。

人物をポスターにすることはたしかに「対象化」の一種であるし、一般的に、そうした対象とされた人物が、性的な魅力をもっていることも少なくない。ポスターに登場するキャラクターだけでなく、芸能人やスポーツ選手の多くも、多かれ少なかれそれぞれ性的な魅力を持っており、それゆえに人気を集めている側面があるように思われる。

ではこうしたことの、何が問題なのだろうか。

「性的モノ化」とはなにか?

女性を「性的対象物」として描くこと、あるいは「性的モノ化」「性的客体化」などと訳されている言葉と概念は、フェミニズム思想の最重要キーワードの一つだ。

この言葉は英語では”sexual objectification” であり、男性が支配的な社会においては、女性たちが性的な「オブジェクト」、すなわち単なる物体(モノ)として扱われているということを指す。現代社会においては、男性は「能動的な主体」であるのに対し、女性は「受動的(受け身)な客体」であり、眺められ触れられるモノとされている、という発想である。

この「性的モノ化」という概念は、性表現や性暴力の問題を論じる文脈で頻繁に使われてきたものの、そのままではぼんやりした概念である。

2016年に京都賞を受賞した哲学者のマーサ・ヌスバウム氏の代表的な業績の一つに、この「性的モノ化」という概念を分析した論文がある。彼女によれば、「性的モノ化」という概念は、実は複数の要素を複合したものだ。

「モノ化」一般、すなわち「人をモノとして扱う」という表現で意味されている主要なものの一つは、(1) 他人を道具・手段として使用するということだ。

たとえば、奴隷制度は人を単なる道具として使うことであり、それゆえに不正だということは直感的にわかりやすい。だが、私たちが生活の中で、他人を「手段として」使うこと自体は避けられない。私たちはいたるところで他の人を商品やサービスを手に入れるための手段として使っており、また他人に使われてもいる。

当人が給料や待遇や人間関係などの点で納得して、自発的に使用されるのならば問題がない。不正なのは、他人を「単なる」手段として使うこと、つまり当人の意思を無視して、手段として使うことだ。

さて、ヌスバウム氏によれば、この「他人を単なる手段として使う」という発想から、他のさまざまな「モノ化」の問題点が生じる。

それには、対象となる人の(2) 自己決定を尊重しない、(3) 主体性・能動性を認めず常に受け身の存在と見なす、(4) 他と置き換え可能なものと見る、(5)壊したり侵入したりしてもよいものとみなす、(6)誰かの「所有物」であり売買可能なものであると考える、(7) 当人の感情などを尊重しない、といったさまざまな面が見られる。

女性の「モノ化」で起きること

過去も現代も、女性は特に「性的な」モノとされやすい。セクハラ・痴漢・性暴力などの被害者となるとき、女性は男性の性的欲望や快楽のための単なる道具であり、操作される客体・対象とされてしまう。

そうした時に女性は、自己決定を無視され、受動的な存在とみなされ、女性であるなら誰でもよいという置き換え可能な形で被害者になる。また夫婦・恋人関係でも、女性は男性から「オレのもの」とみなされて自由を制限され、さらにはその意思や感情が無視されてしまうことがある。

さらに近年は、あらたに(8) 女性をその身体やルックスに還元してしまうという問題も重視されている。女性は胸や腰などに身体的特徴をもった、性的に魅惑的なものとみなされ、その性的な特徴だけが鑑賞されたり評価されたりする。そしてしばしば、その女性の人格や人柄が無視されてしまう。

たとえば超一流の女性スポーツ選手でさえ、報道では腰や胸などを強調した写真などが用いられ、本人の望む望まないにかかわらず、ルックスのよしあしが話題にされてしまう。

また、(9)エロチックな写真などでは、女性は体全体を鑑賞されるだけでなく、胸や腰や脚などの特に性的な部分・パーツに分けられ、その部分だけを鑑賞されることもある。こうしたことはおおむね女性の意志に反することであり、モノ化であり、そして不正なものを含む、とされる。

モノ化・道具化されるのは必ずしも女性だけではないが、女性は特にこうした性的なモノ化の対象となりやすいため、それは女性に対する不当な扱い、すなわち性差別とされるわけである。

『宇崎ちゃん』は「モノ化」か?

さて、問題の『宇崎ちゃん』ポスターを見るとき、上のような批判は当てはまるだろうか。

当のマンガ作品そのものを見てみると、宇崎ちゃんというキャラクターは、(1)先輩の単なる手段や道具とされてはおらず、強引に遊びに誘ってくる後輩として扱われており、(2)彼女の意志は尊重され、彼女の意志に反するセクハラなどははっきり拒否されており、 (3)格別に主体的・能動的な女性として描かれている(むしろ常に先輩が遊びに誘われる形で受け身になっている)。

彼女はさらに(4) 他の女性と置き換えできないかけがえのない存在であり、(5)勝手に触ったりできる存在ではなく、(6) 誰の所有物でもなく、(7)彼女自身の性格、発想、感じ方が作品のテーマとなっている。また女性をステレオタイプ的(典型的・画一的)に描いているとも言いがたい。

つまり、マンガ作品としての『宇崎ちゃんは遊びたい』を読む限り、この作品が女性を性的にモノ化しているという批判はあてはまらないように思われる。それどころか、宇崎ちゃんが他の登場人物のセクハラ的発言に対して強く対決しているシーンもあり、宇崎ちゃんは自覚的・自立的・能動的で魅力的な女性として描かれている。

一方、日本赤十字社はかなり以前から多種多様な人気アニメ・マンガとの「コラボ」によって、若者に対するキャンペーンをおこなっている。

『宇崎ちゃん』はその一連の企画のひとつであり、またポスターが掲示されたのは献血ルームなどに限られていたことを考慮すると、すでに人気のあった『宇崎ちゃん』とのコラボを選択することに特に問題があるようには思えない。主人公のルックスと性格を表した単行本表紙の絵柄を選択することにも、さほど問題があるわけではないだろう。

このように、「モノ化」を非難するべき理由まで分け入って考えれば、今回のポスターそのものが「性的なモノ化」にあたるという非難は、説得力があるとは言えない。

なぜ「不快」と非難されたのか

では、なぜ『宇崎ちゃん』のポスターはこれほどの非難を浴びたのだろうか? 問題のありかを知るには、ポスターに反発する人々の考え方や、そうした人々の置かれている状況を理解する努力も必要だろう。

第一に、実在する人物でない宇崎ちゃんをポスターに起用しても、直接に「人をモノとして扱う」ことにはならないとはいえ、彼女は、人目をひく女性キャラクターとしてアイキャッチに使われている。その意味で、宇崎ちゃんは献血参加を促す「道具」とされているとは言える。

宇崎ちゃんは架空の人物なので、彼女のポスターがその意思に「反している」とは言えないが、同時に彼女の「自発的な行動である」とも言えない。

芸能人やスポーツ選手をポスターに登場させる場合にはその意思が尊重されているわけだが、宇崎ちゃん自身の意思はそもそも存在しない。したがって、作家・ポスター制作者は宇崎ちゃん自身だけでなく、女性一般の性的なイメージを勝手にデフォルメし、アピールの手段として利用している、ということは指摘できる。

一部の人々が、女性芸能人のポスターには感じない不快さをマンガ・アニメの女性キャラクターの使用に感じるとすれば、その理由はこうしたことかもしれない。

第二に、女性の胸を強調した構図をポスターとして使うのは、女性の身体の一部にだけ注目するという形の性的モノ化ではないか、という声があるだろう。

このポスターの画像は、マンガ単行本最新刊の表紙イラストの流用であり、また「バストショット」は人物を描く際にごく一般的な構図である。しかし、女性的な身体の部分を強調したイラストは、女性を単なるモノとして見る性差別的な見方を反映しているから、そうしたポスターが公共性の高い団体の広報に使われるのは不適切だ、という意見はありえる。

この場合はむしろ、ポスターにあらわれるような発想(アイディア)や女性に対する観点が、公共性の高い団体のポスターにおいて表現されることで、女性一般をモノ化する発想を維持・拡大することに通じる可能性がある、ということが問題にされているのだろう。

『宇崎ちゃん』ポスターを見る人が、その構図や姿勢、身体の描かれ方に違和感をもつかどうかは、おそらく、現代のアニメ・マンガで使われる構図や絵柄や彩色方法などにどれくらい慣れているかにも関係するだろう。

私が担当する授業などで女子大学生たちに聞いてみたところでは、「ふつうの絵だ」という意見の方がかなり多かったが、「胸を強調しすぎていて不快だ」という声も少数ある、といったところだった。

ポスターそのものよりも…

第三に、現在私たちがWebを見たり、スマートフォンのアプリを使用したりするときには、明らかに性的なコンテンツやゲームの広告が、時には頻繁に表示されることがある。そうしたしつこい性的な広告を不快に思う人は多いはずだし、私自身も不快である。

そうした性的コンテンツの広告には、『宇崎ちゃん』と同じタイプの色彩や描画方法をとったものも多く、『宇崎ちゃん』という作品を知らずにポスターを見た人々が、そうした性的コンテンツの不快や脅威を連想してしまうのも無理はない。

ネット上では、女性を利用した性的な図画を目にする機会は多いし、また露骨で女性差別的な発言やそれに関連した攻撃的な発言もいやおうなく流れてくる。こうしたもの全体が、特に女性にとって脅威と感じられるのももっともであろう。

そうした女性の不快や脅威の感覚にまったく配慮しないことは、まさに女性たちのものの見方や感情を無視するという点で「モノ化」であり性差別である、ということがありえる。

こうして考えると、「女性差別がわかっていない」として牟田氏が指摘したかったのは、おそらく、『宇崎ちゃん』ポスターそのものが単体で性差別的であるというよりも、むしろポスターに不快を感じる(主に)女性たちの観点や感情が軽視・無視されてしまうことについての、社会的な無理解や無関心こそが問題である、ということのように思われる。

一般に、女性が子供のころからさまざまな形で外見を評価されたり、意志に反した性的な扱いをされたりする危険にさられていることは言うまでもない。こうしたフラストレーションや不快な経験が積み重なった結果として、一部の人々にとっては愉快で魅力的に映る『宇崎ちゃん』ポスターが、女性の間では不快なものとして映ったのだと言えるだろう。

対立と無理解を乗り越えるために

私自身は今回の一件について、ポスター自体に問題があるというよりは、本来はこれほど目立たなかったであろう話題がSNSで拡散され、意見の対立が先鋭化しクローズアップされた事例だったと考えている。

日本赤十字社が献血参加者の拡大に努めていることを考慮すれば、コラボ作品の魅力を損ってまで無難な表現を選択するべきだとも言えない。また、私たちはこれほど豊かなマンガ・アニメ文化をもっているのだから、単なる絵柄の印象だけから即断してポスターを非難したり擁護したりするよりは、作品の内容に関心をもち、鑑賞するチャンスと考えてみる態度も必要だろう。

一方で、このポスターをめぐる論争をもっと広い視野で捉えたとき、人によっては不快に感じる表現もネット上ではなかば強制的に見せられてしまうことや、SNSにおいては「表現の自由擁護派」と「表現規制推進派」のような派閥対立と相互の無理解が激化しているかのように感じられ、議論が先鋭化してゆくことは、むしろあらたな問題であると感じられる。

私たちがSNSを利用しはじめてから、まだ10年ほどしかたっておらず、これからも各種の表現に関して細かい議論を積み重ねていく必要があるだろう。マンガ・アニメコンテンツと広告・広報の問題については、すでに一定の事例と議論が蓄積されつつある。

いずれにしても、異なる立場の人々がそれぞれの意見を発信し、他の人々にも見える形で議論が進むことは、全体として社会にとって有益であると信じたい。