性的モノ化とセクシー化 (3) 女子の「セクシー化」の方が広い概念で使いやすいかもしれない

女子のセクシー化という問題

その後、2000年ぐらいを境にして、「モノ化」とか「自己モノ化」っていうのはかならずしもセクシーな含意がないので、男性や社会が女性にセクシーであることを求めたり、女子自身がセクシーであろうとするのが問題なのだ、という立場の人々は、「自己モノ化」じゃなくて「セクシー化」sexualizationという概念を使うようになります。「性的モノ化」の「モノ化」よりは「セクシャル」の方を重視するわけですね。

まあ前にも指摘したように、我々はモノでもあるわけだし、グラビアやテレビでは、女性も男性も鑑賞の「対象」の「モノ」ではあるわけですから、性的モノ化が問題だと考える人は実際にはそれが「セクシーな」モノ、セックスや性欲の「対象」であることを気にしているのですから、こっちの方が適切な場合も多い。日本の皆さんも、セックスにかかわっていることが気になるのならこっちの概念・言葉を使ったほうが問題がはっきりすると思う。

アメリカ心理学会の「少女のセクシー化」対策部会

こうしたなかで、アメリカ心理学会が2007年に「少女のセクシー化」が女性にもたらす悪影響についての心理学的研究の報告書を出すわけです。これはけっこうな分量(70頁ぐらい)と内容のものなんですわ。

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APAは学術研究者に加え、臨床心理学者というかカウンセラーや精神科医なども含む巨大組織で、単に研究するだけでなく社会的な政策みたいなのにも心理学の立場からコミットするのが任務だと思ってるわけです。んで、公衆メンタル衛生みたいなもおにも積極的にとりくんで、政策提言みたいなのに近いこともしようとしている。

そこではひとのセクシー化っていうのは四つぐらいの下位区分がある。

(1). ひとの価値が、セックスアピールや性的なふるまいによって決定され、他の特質が排除される

(2) ひとの身体的魅了が、セクシーさによってのみ評価される

(3) ひとが、自立した行動や意思決定ができる人間としてではなく、性的にモノ化される、つまり他人の性的使用のためのためモノとされる

(4) 人にセクシュアリティが不適切に投影(impose)される。

(3)はおなじみに「性的に使用するための道具にする」という意味での「性的モノ化」ですが、他の三つは性的モノ化っていうのとは関係するけどちょっとちがうもので、まあ「セクシー化」というのはその意味で性的モノ化より広い概念ですね。

んで、このAPAの対策部会(タスクフォース)によれば、テレビ、広告、ネットその他のメディアでの少女のセクシー化について、次のような懸念が表明されているわけです。

現代社会では、(1)セクシー化と呼ばれる現象が増加していて、(2)それは弱者グループ(ふつうは少女や若い女性だけどそれ以外も含む)に害(harm)を及ぼしている、という(3)懸念・不安が増加している。それゆえ、有害なイメージに対するコントロールが必要だ、みたいな形ですね。

あとで検討するかもしれませんが、この報告書には私はちょっと問題がるかもしれないと思っています。メディアが実際に女性を中心にした弱者グループに害を及ぼしているかを証明するのはたいへんなので、前のエントリーとかで紹介したフレドリクソン先生やその他の部分的な心理学実証・文献研究から、害を及ぼしている かもしれない ということを伸べて、コントロールが必要だろう、って話にもっていってるわけです。

まあでもこの報告書は、おそらく世界でもっとも影響力のあるアメリカ心理学会の名前とともに出ているのですから影響力があります。このシリーズの間接的な出発点となった牟田和恵先生の「現代ビジネスオンライン」の記事でいろんなガイドラインが参照されていましたが、ああしたガイドラインの背景には、このAPAの報告書の影響があるのかもしれません。

同種の報告書は他の国の政府や公共団体からも出ています。イギリスでも、心理学者のパパドプロス先生というひとが主導した内務省の「若者のセクシー化」という報告書(2010)が出ています。

イギリス教育省も子供のセクシー化・商品化に対する懸念を報告書にしている。イギリスは厳しいですね。

オーストラリアでも、APAより先に進歩派系シンクタンクのオーストラリア研究所が「ペドフィリア企業:オーストラリアにおける子供のセクシー化」とかってどぎつい報告書出してます。

こういう流れで、女性の「性的モノ化」という問題意識は、若い女性や少女、そして子供を性的に見る文化的な態度の問題としとらえられるようになってるんですわね。いま国内でやっている「性的消費」「性的モノ化」「性的客体化」などといった議論は、むしろ、こうして女性を性的な道具や鑑賞物として見たり、そうした文化的な雰囲気に対応して少女や女性たちが手間暇かけて自分を性的に魅力的なモノとして提示したり、あるいは商品化したりする、そうした「女子のセクシー化」「文化のセクシー化」「セクシー文化」の問題として見た方が、有益な議論ができるかもしれませんので、そっち方面の立場でがんばりたいひとはいろいろ調べてみてください。

ちなみに、「セクシー化」の方が議論にはよいだろうっていうのは、uncorrelated先生というよくわからない方が以前からツイッタ炎上のたびに指摘しているので、そっち先に見た方が事情がわかりやすいかもしれません。

(続くかもしれないけど少し先になります。)

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性的モノ化とセクシー化 (3) 女子の「セクシー化」の方が広い概念で使いやすいかもしれない」への2件のフィードバック

  1. アリア

    ある表現で、たった一つの価値しか認められなくなる、なんてのははっきり言って被害妄想としか言いようがないですが
    もしそんな事がおきるなら大谷とか野球選手をマスコミが取り上げる事で「野球が下手な自分には価値がないんだ」とかを招くことまで心配しなければならなくなるよ
    もし親が一つの価値観しか認められない人ならそれは親が悪いのあってテレビやら表現に責任転嫁するのは間違い

  2. アリア

    それはそれとして、日本の女子野球はワールドカップで6連覇するくらいぶっちぎりの世界一の水準なのに女の野球は注目されないし選手は男と比べて儲からないですね
    それだけ需要が少ないということなんだろうけど、はたしてこれは差別といえるのかどうか

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