性的モノ化とセクシー化 (1) 「性的モノ化」の議論のむずかしさ

「性的モノ化」は自発性や同意があればそんな悪くない

ポルノやソフトな表現での「性的モノ化」(客体化、物象化)の問題については、ごく簡単な論文もどきも書いたし、もう飽きてる感じではあるんですが、時々ツイッター検索とかをかけると、いまだに時々この概念が使われてるようですね。

何度も書いているように、ポルノとかの「モノ化」の問題の一つは、単なるモノや動物ではない価値をもっていると考えられる人(パーソン)や女性を、単なるモノ(オブジェクト)として扱うこと、勝手に鑑賞したりよしあしを品評したり本人の意思に反して操作したりする対象・客体(オジェクト)として扱うことは、他人や自分に対してもつべき尊敬・尊重の念に反するので道徳的に問題がある、というものです。特に女性は男性から性的なモノ、セックスや痴漢や盗撮という行為の対象となりやすく、それよって被害を受けたり、他人がそうされているのを知って少なくとも不快になったりする。いくないですね。(ちなみにここでのモノも客体も対象もぜんぶ「オブジェクト」で、英語話者の論者でも鈍い人はあんまり区別つかない感じですね。)

でも、我々人間は単なるモノではないのですが、しかし実際に身体をもったモノでもあるわけです。そしてその身体を鑑賞してもらったり、愛玩してもらったり、欲望やセックスの対象としてほしいこともあるわけです。ヌスバウム先生の言葉を使えば、「ワンダフルなモノ化」があるかもしれないし、モノ化が許される場合はもっと多いだろう。「あんたの道徳的な人柄は好きだけど、体はぜんぜん興味ないのよね、むしろなくなってほしい」とか言われたらそれはそれでいやじゃないっすか。若い女性たちが毎日自撮りしてツイッタやインスタやチクトクにアップロードするんだって、他人にモノでもある存在として見てもらったり、場合によっては性的な欲望の対象になりたいと思うからだと思う。私もできることならそんなことしてみたいけど、まあ需要がないだろうし逮捕されるとやばいからやめとかないとならんですね。ははは。

イラスト等には使いにくい概念

もう一つ、この「性的モノ化」っていう概念をインターネットで見るような表現に使おうとするときの問題は、よく問題になるイラストやアニメは、盗撮のように生身の人をモノとして扱ってるわけじゃないことですわ。モノにされている人がそもそもいない。まあ絵描きの頭のなかにしかいない想像上の人物が自発的にエロな格好しているとも、同意しているともいいがたいところはあるにしても、なぜそうしたイラストに道徳的に問題があるかというのを示すのはけっこう難。

実在の女性 → 集団としての女性のイメージ → 作者の頭のなかに結実した像(ビルド) → 作品 → それを見る鑑賞者 → 鑑賞者の頭のなかの女性に対するイメージや偏見 → 実在女性の被害、不快

とかっていう経路を考えないとならない。まあ、最大単純にして、エッチなイラストを見て痴漢したくなり、実際にそれをする、みたいな単純な影響や因果関係を示すことができればましですが、それ自体むずかしいし、さらには一部の人がそんな経路をたどって痴漢とか性暴力とかに至るということが言えてさえ、そうした表現が不正である、と主張するのはむずかしい。マルクス読んで暴力革命するんだってんでテロ起こしたからといって、マルクス禁書になんかしたくないっしょ?

実は、英語圏でも「モノ化」の議論はまだまだやられてるんですが、2000年代後半ぐらいから、広告やテレビなどの表現物については、むしろ「女性のセクシー化」みたいな枠組みで考えることが増えてるんですわ。ちょっとだけ紹介しようかと思ったのですが、いつものように前口上だけで長くなってしまった……続くと思います。

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