毎日新聞での「キャンセルカルチャー」擁護記事で五野井郁夫先生という方が話題になっていたので、その記事の元ネタらしき『世界』2023年6月号の五野井郁夫「キャンセルカルチャーはデモクラシーを窒息させるのか」という論文をめくってみました。『世界』とかのいわゆる論壇・総合雑誌に載ってる文章こそ「論文」だっていう感じがありますよね。重大な社会的問題を論じるのだ!って感じ。
さてこの文章いろいろ問題があると思いました。いちいち書けないのですが、奴隷商エドワード・コルストンやレオポルド二世の像なんかが「21世紀の公共空間には不要」で「芸術的価値や資料的価値をことさらに強調したいのであれば、人目につかない倉庫で保管すればよいだけの話」であり、「大っぴらに他者を傷つけたいとの願望は自身の脳内に収めて」おけ、といった文章には驚きましたが、それより次の文章ですね。
思想信条の自由とは、J・S・ミルが『自由論』で説いた危害原理(harm principle)で展開したとおり、他者を傷つけない限り許容されるものだ
いやそうじゃないっしょ。いわゆる危害原理はこうです。
社会が強制や統制というやり方で個人を扱うときに、用いる手段が法的刑罰という形での物理的な力であれ、世論という形での精神的な強制であれ、その扱いを無条件で決めることのできる原理として、一つの非常に単純な原理を主張することである。その原理とは、誰の行為の自由に対してであれ、個人あるいは集団として干渉する場合、その唯一正当な目的は自己防衛だということである。(関口訳, p.27)
この「危害原理」はふつうは個人の「行為」についての話であって、言論や表現はそれに含まれないと解釈される方がふつうです。ミルは「思想信条」の自由は最大限に保護されるべきだと『自由論』第2章で主張していると解釈するのがほとんどコンセンサスのはずです。「言論」の自由も最大限保障されるべきだと言っている、というのが普通の解釈。
もっともたしかに例外はあって、たとえば穀物商の前でデモしているときに「穀物商は泥棒だ!焼き討ちしろ!」とか声をあげる自由はないし(これはミルが第3章のはじめの方で言ってる)、混雑した劇場で「火事だ!」と叫ぶ自由などもない(と思う。おそらく)[1]おもしろい記事を教えてもらいました。https://www.theatlantic.com/ideas/archive/2022/01/shouting-fire-crowded-theater-speech-regulation/621151/ … Continue reading。人々に直接の危害をもたらしそうな言論はある程度干渉できる、と解されています。それにおそらく、直接の罵倒や侮辱的表現を規制したり罰を加えたりすることもおそらくミルの枠組みでも認められるだろうと考えられています。しかしそれでも、そうした直接の危害がない場合は、 いかに不快な表現であっても 許容されるべきだ、っていうのが普通の解釈です。一部のヘイトスピーチのようなものをミルがどう扱うだろうか、というのはたしかに専門家のあいだでも現在議論が進行中ですが(つまり「危害」をどう定義するか)、「思想信条の自由」が「他者を傷つけない限り許容される」のようななまやさしいものではないことははっきりしています。五野井先生はほんとうに『自由論』読んだのですか。
それより私の関心をひいたことがあります。キャンセルされた学者の実例として、ピーター・シンガーがあげられています。あとでちょっと紹介するように、シンガー先生こそ被キャンセル王。あちこちで講演をキャンセルされたり妨害されたりしてます。プリンストン大に行くときも反対運動されたり。どうしたって扱わねばならないのはわかります。五野井先生はこう言う。
応用倫理学者のピーター・シンガーは、過去の性暴力の歴史を肯定したことが性差別と、また重度の知的障害を持つ新生児の安楽死を許容したことが障害者差別と見做され、現在でもキャンセルの対象となっている。
この例を五野井先生は、キャンセルの理由を分類したなかで、「学問的・客観的主張の体裁をとった黙示的差別意識が認められるもの」に分類しています。これ、本気でシンガーの見解が「学問的・客観的主張の体裁をとった黙示的差別意識が認められる」と思ってるのでしょうか。どうしてそんなこと簡単に言えるのでしょうか? シンガーの見解は一部の人々によってそういうふうに解釈されている、ということを指摘しているに過ぎないようには読めません。特にシンガーが「過去の性暴力の歴史を肯定」は聞いたことがない。いったいなにを根拠にそういうことを言うのでしょうか?
そして上で段落引用したところには注がついているのです。それが問題。
「現在キャンセルの対象となっている」という文言にこの注がついているのですが、私には意味がわからない。シンガーを差別主義者だって主張している人々の文章なら理解できるのですが。そしてこれを調べてみる。
最初にあげられている “Famine, Affluence, and Morality” は飢餓問題・貧困国援助の問題をあつかったもので、シンガーの名前を有名にした論文です。わざわざ雑誌Phillosophy & Public Affairsの雑誌が指示されているけど、いろんなアンソロジーに収録されていますし、なにより日本語訳がある。
日本語訳がある場合は日本語もあげてほしいです。そんでこれにp.259というページ番号がついているので、なんかそこでシンガーさんが変なこと言ってるのかと確認すると、Philosophy & Public Affairsの論文は243頁までしかありません!いったいp. 259ってなんですか。
次のOne World, The Ethics of Globalizationも日本語訳があります。
原書も確認しましたが、指示されている p.194にも特にへんな差別的文章はないようです。 (翻訳の対応個所(1)(2))
The Life You Can Saveも日本語訳があります。
pp.148–172は、範囲が広いけど9章の終りから10章にかけてで、「寄付しましょう」とかそういう話のところで、いったいどこに差別的な話があるのかわからない。
もしかしたら私がもってる版と、五野井先生がもってる版が違うのかもしれないけど、いったいこの注6で五野井先生がなにをしているのか私にはぜんぜん見当がつきません。先生、ちゃんと確認しましたか?そして日本語訳もあるのに、英語の文献名を並べてなにをしたかったのですか?いったい元ネタはなんですか? 適当に貼ってみただけですか? 私はたいへん困惑しています。
そもそも、シンガーが障害者差別的・性差別的だって話しているのに、飢餓援助論文やグローバリゼーション本や募金しましょう本がこのリストにあがってくるのがよくわからないのですよね。障害新生児の安楽死をあつかったShould the Baby Live (未翻訳) や、無脳症の新生児から移植用臓器もらったらどうだろうという『生と死の倫理』ならわかるんですが。英語文献をただの飾りみたいに使ってませんか?[2] … Continue reading もしそうなら、それって研究倫理的にどうなんですか。研究不正とまではいかなくても、望ましくない研究プラクティスとかそういうんじゃないですか。
もしかして、シンガーは差別主義者だからそれを日本語読者が読めないように訳本をキャンセルしているのでしょうか? それは異常すぎると思う。そもそもシンガーはその思想をもとに強いキャンセルを何度も受けている被害者のような人で、それは『実践の倫理』日本語訳の付録「ドイツで沈黙させられたこと」でも語られています。これは1990年ごろのシンガーの経験についての省察ですが、非常に重要で示唆的なので一回みんな読んでほしい[3]経緯の紹介は日本でもけっこうおこなわれてます。すぐに読めるやつとして神崎宣次先生の論説文見つけた … Continue reading。
とにかく出典をチェックしたりするのはたいへん手間がかかるもので、そういうのは学者、あるいは学者としての権威を主張しようとするならちゃんとしてほしい。いくら時間があっても足りないし、私はこれまでフェミニストまわりの文献で何度も何度もいやな経験をしています。なんとかしてください!
続きがあります。論文へのコメント → 五野井郁夫先生の「キャンセルカルチャーはデモクラシーを窒息させるのか」にはビビりました
(追記) このブログへのコメントで、この Jidith Lichtenberg (2010) “Negative Duties, Positive Duties, and the “New Harms””, Ethics 120 (30)という論文の注1が同じ並びだと教えてもらいました。草稿はこちら → https://www.mit.edu/~shaslang/mprg/LichtenbergNDPDNH.pdf たしかにそのようですね。
どうもよくわからないですね。まあとにかくなんか編集上のミスだと思います。
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References
↑1 | おもしろい記事を教えてもらいました。https://www.theatlantic.com/ideas/archive/2022/01/shouting-fire-crowded-theater-speech-regulation/621151/ さすが言論の自由の国アメリカ。 |
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↑2 | ちなみにもう一つあげられている「誰がスタブルフィールド事件の被害者か」っていう論説は知的障害のある男性に、倫理学の女性研究者が性的なサービスをして起訴された話についての論説で、たいへん興味深いのですが、これについてはまた。五野井先生はあげてませんがオンラインで読めます。 |
↑3 | 経緯の紹介は日本でもけっこうおこなわれてます。すぐに読めるやつとして神崎宣次先生の論説文見つけた http://rci.nanzan-u.ac.jp/ISE/ja/publication/se26/26-02kanzaki.pdf |
コメント
いろんな人に読まれてに広く議論されるべきとおもいますので、以下誤字っぽい箇所です。
「言論」自由→「言論」の自由
見い認められる→認められる
その思想をもとの→その思想をもとに
ありがとうございます……
「Famin」→「Famine」
「無能症」→「無脳症」
かと思われます。
ありがとうございます……
Judith Lichtenberg “Negative Duties, Positive Duties, and the “New Harms””の脚注1が出典と同じページ番号を引用してますね
https://www.mit.edu/~shaslang/mprg/LichtenbergNDPDNH.pdf
ありがとうございます。なんでしょね。