石田仁先生のトランス女性フォビアに関する論説について

セックスの話は興味があるのですが、ジェンダーまわりについては勉強が足りなくてこれまであんまりコメントしていません1。特にトランスジェンダーについては知識が足りず、私のような人間がコメントすること自体が問題であるという懸念があるために控えていたのですが、ちょっと気になることがあったので書いておきます。

ツイッタではたびたびトランスジェンダーのひとびとをめぐって、論争が起きているように思います。対立は、TERF (Trans Exclusive Radical Feminist)と呼ばれる人々が、女性オンリースペースやスポーツ、各種の女性クォータから、そして「女性/女」というカテゴリーからトランス女性を排除しようとしている、という非難と、それに対するいわゆるTERFと呼ばれている人々からの反論や反発、という形になっているように見えます。

TERFと呼ばれる人々やその支持者たちは「トランスフォビア」あるいは「トランス女性フォビア」であると非難されることがあるようです。これはなかなかむずかしく、私にはそれはもしかしたら、仮に「フォビア」であるとしたら、生物学的男性フォビアではないかという気がするのですがそれはここでは置いておきます。

ちょっとネットを検索してみると、石田仁先生の2019年の「人々のトランスジェンダー嫌悪が少なくなれば、ジェンダー平等感覚の形成は進む」 https://wezz-y.com/archives/62967 という文章がひっかかり、性的マイノリティについての統計的な社会調査が進んでいるのはよろこばしいもことだと思いました。トランスジェンダーに関していえば、回答者1,259人のうち2人しか性自認が戸籍上の性とちがっているひとがおらず、0.16%とかなりのマイノリティであることがうかがえます(同性愛傾向や経験をもつ人はずっと多いと思っています)。これくらいマイノリティだとやっぱりさまざまな偏見に晒されやすくたしかに苦しいだろうと思います。

しかし「人々のトランスジェンダー嫌悪が少なくなれば、ジェンダー平等感覚の形成は進む」「トランス女性へのフォビアを減らすと、人々の間でジェンダー平等感覚が高まる」といった表現にはかなり疑問を感じざるをえません。石田先生がこの論説で論じていることは、トランス(女性)嫌悪とジェンダー平等感覚のあいだには負の相関がある、ということで、因果関係を立証しているわけではないからです。これは相関を見るときにいつも注意されることなので、私のような統計音痴にもわかります2

統計分析手法に関する各種の問題については、統計に非常に詳しいように見える正体不明のネット論客のuncorrelated先生が詳しく論じてくれているので、そちらを見てください。「ジェンダー社会学者の石田仁さん、その重回帰分析ではその因果を主張できませんよ」 http://www.anlyznews.com/2021/06/blog-post_30.html

しかしまだなにか奇妙なところが残っているように見えるので、質問紙を見てみました(私も質問紙ぐらいは見ます)。http://alpha.shudo-u.ac.jp/~kawaguch/2015questionnaire.pdf

すると、いくつか奇妙なことに気づきました。

ひとつは、問11(ア) 「男性は、女性のような服装をするべきではない」があるにもかかわらず、「トランス女性フォビア/嫌悪」の尺度にとりいれられていない。現在、いっぱんに「トランスジェンダー」はいわゆる性別適合手術などを受けていない人々も指すようになっていると思います(トランスジェンダーのなかでも性別適合手術を受けた人は特にトランスセクシュアルと呼ばれることがあると理解しています)。

論説の「トランス女性フォビア」尺度には問28(ア)「女性のような男性を見ると、不快になる」という若干微妙な項目も含まれているのですから、問11(ア)をいれない特段の理由はちょっと理解しにくいところがあります。問28(ア)が微妙なのは「女性のような」がどういうことを指しているか不明瞭だからです。問11(ア)はとりあえず服装を聞いているのでもっとはっきりしているので「不快」「おかしい」「気持ちわるい」などの言葉は入っていませんが、「フォビア」項目に入れるのに問題はないように思います。

もっとショックだったのは、「フォビア」尺度の残る二つです。問30の(ア)(ウ)「性別を男性から女性に変えるのはおかしい」「性別を男性から女性に変えるのは気持ちが悪い」ですが、これは実はこのような質問の一部です。

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これは「 身体の 性別を変えること」についての質問であり、変えた「人」についての質問ではありません。直接には性別適合手術に対する態度を聞いているのであり、それをおこなった人に対するものではありません。男性の去勢のようなものはあったにしても、性別適合手術のような侵襲的で高度な技術を必要とする手術は20世紀の整形外科技術の進歩によって可能になったものだと理解しています。そして整形外科手術一般と同じように、健康な身体にメスを入れることは現在でもかなり抵抗感があることは理解できますし、場合によってはそれは「道徳的」な不正であると考えるひとびとがいるのもわかります。

さて、もともとの石田先生の論説は、「トランスジェンダー」のひとびとを扱ったものではありますが、「男性器をつけたままの男性が女風呂に入る」のような若干下品で、もしかしたら一部には悪意があるかもしれない言説と、それに対する反論をあつかったもので、身体的な性別適合手術などをおこなった人々について議論されているのではないように思います。TERFと呼ばれる人々と、その批判者のあいだのあらそいは、主に「セルフID」、つまりジェンダー自認が現実の生活の場でどのていど尊重されるべきか、という問題だと私は理解しています。

つまり、石田先生のトランス女性フォビア尺度は、もとの議論とはほとんど関係ないものになっているように思います。こうなると、そもそも石田先生は「トランス女性」をどういう人々だと考えているのかを考えなければならないと思います。

もし、石田先生が考えている「トランス女性」が、論説の最初で論じられているようなかたちで、性別適合手術を受けた人だけでなく、生まれたときには男性とされたが現在は自分は女性だと自認していて、まだ性別適合手術を受けていない人々をも指すのであれば、この問30の項目を「トランスジェンダー/トランス女性フォビア」の尺度に入れることにはかなり問題がある。せっかくの問11(ア)を無視し、問30を使うのは不適切ではないでしょうか。

しかに、トランスジェンダーの人々に対する社会的な偏見や嫌悪のようなものはあり、2019年ぐらいにそうした偏見が助長されるような動きがあり、それに対する懸念から、手元にあるデータからトランスジェンダーフォビアが社会的な効用を生むことはないとか、平等に反するといったことを言わざるをえなかったののかもしれないのは理解できるのですが、これくらいねじれているとちょっと困ってしまいます。この論説が最終的に訴えたい主張自体はともかく、さまざまな問題が指摘されていなかったように見えることにも疑問を感じます。

ツイッタなどでは、「トランスジェンダー」の定義はなんであるのか、といった議論をおこなうこと自体が侮蔑的で回避されるべきであるという趣旨のつぶやきを見ることが少なくありません。でも私は、こういう問題を見ると、やはりすくなくとも、それに重大な関心をもつ人々のあいだでの自由な討論が必要だと思わされるのです。

脚注:

1

でも最近はちょっと「男/女らしさ」系の話は関心があっていろいろ考えてるところです。

2

いわゆる「(福祉)リベラル」(それぞれ好きなようにするべし、左派、革新、反体制、進歩派、マイノリティ擁護等)な(政治的)態度が、トランスジェンダーフォビアの低さと男女平等意識の高さの両方に影響している、というのがいちばんありそうな仮説だと思います。

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