中西祐子先生の『男女の進学格差はなぜ埋まらないのか』 (5) おまけ:ハキム先生の「選好理論」

おまけ。「結婚持参金」としての学歴の話なんですが。

まあ非常に古い話なんですが、キャサリン・ハキム先生が2000年にWork-Lifestyle Choices in the 21st Centuryって本を出してて、そこで「選好理論」っていうのを提案してるんですわ。

概略はここ。 http://www.catherinehakim.org/wp-content/uploads/2011/07/AIFSarticle.pdf

基本的に、現代社会に見られる「男は仕事、女は家庭」という性役割分業は、女性差別の結果というよりは、個人の選好(preference)の結果だ、っていう説です。

1970年代には避妊ピルが普及したり、(男女の体力差の影響が小さい)ホワイトカラー労働市場が拡大したりして、女性にとっては不利益がずいぶん減りました。同時に、副稼ぎ手向けの労働市場(OLやパートとかですね)が登場する。そういう仕事は、他の関心事(子供とか趣味とか)を犠牲にしてまでは働きたくない人々にとっても魅力的なものになった。

現代社会はライフスタイルも多様になって、特に女性にとっては選択肢の幅が広くなった。男性はやっぱり稼がないとならないが、女性は家族と仕事のどちらをどの程度重視するかの選好が(男性に比べて)多様であり、そのため、雇用パターン、キャリア形成でも多様になる。

んで、ハキム先生は女性の選好には、「家庭中心型」(専業主婦指向)と「仕事中心型」(バリキャリ指向)の他に、そのどちらも手にいれたい「適応型」もいると。仮に家庭型20%、適応型60%、仕事型20%としておく。まあこれは分布の問題ですね。

家庭型は家族と子供最優先で可能なら働か「ない」ことを選好する。仕事中心型はもちろんキャリアの追求を選好する。そして適応型はその両方をぼちぼと追求したいけど、他のものを大きく犠牲にして仕事をしようとは思わず、転職をくりかえしたりする。

んで、教育機会なんかについては、家庭型は結婚持参金として学歴がほしい。旦那と、あんまり学歴差があると潜在的な配偶者やその家族から、配偶者としてふさわしくないと判断されちゃうし。奥さんがあんまり勉強してないと、旦那としては子供の教育とかについても不安になりますしね。あと、専業主婦としても海外出張とかについてこれる人がいいとか、そういうのもありますよね、おそらく。

仕事中心型はもちろん雇用や昇進のためのトレーニングに多大な投資をおこなう。仕事では、単に学歴があればいいってんじゃだめで、実力がないとだめですからね。

中間の適応型は、雇用を意識した学歴取得はおこなうけど、スキルのトレーニングとかはぼちぼちになる。(美容とかにも投資しないとならんしねえ)

まあそういうのは女性の選好が多様ですよ、とそういうものとして考えた方がいいんじゃないですか、という話でした。

ハキム先生の選好理論が、社会学や経済学の先生たちにどういうふうに評価されているかはよく知りません。そんなに主流派とは言えないだろうけど、おもしろいところはある考え方だとは思いますね。

またもちろん「選好」というものはけっこうむずかしい概念で、当然その時点での(あるいは将来の)社会的環境に応じて形成されるものであるので、環境や政策なんかが変わると選好も当然変化します。ポイントは、なんか男女差とかそういうのがあったときに、勝手に差別の存在を当然のごとく前提してしまうよりは、社会的環境やその人々がそれぞれもっている選好(好み)の違いも考えましょ、っていうだけにすぎないわけではあります。でもまあ人々というのはそれぞれ自分の好みや長所短所にあわせて選択していくわけで、「なんでみんな高学歴を目指さないのだ!なんでSTEM進学しないのだ!きっと差別があるからだ、障害をなくせばみんな高学歴STEM進学をめざすはずだ」みたいな発想はやめた方がいいですわね。

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