『不安の概念』読み直すの、もう完全に飽きてるんですが、まあ第1章ぐらいおわらないとね。 続きを読む
「不安の概念」タグアーカイブ
『不安の概念』(14) 「自由」はいわゆる積極的自由だと思うの
前エントリのキェルケゴール(実は『不安の概念』の著者ヴィギリウス・ハウフニエンシス、またの名を「コペンハーゲンの夜警人」)の「自由」は強制されない自由か、するべきこと/ただしいことをする自由か、ていう問題はけっこう大きな問題なわけだけど、次の箇所では正しいことをする自由の方だと読めるんじゃないかと思う。まあ同じ問題は残ってるんだけど。 続きを読む
『不安の概念』(13) 不安は可能性の可能性として自由の現実性であーる
まあもう飽きてきました。きりがないしねえ。でももうちょっとだけね。 続きを読む
『不安の概念』(12) なにができるかわからず不安です
今日もちょっと写経してみる。夏の午前中はいいですなあ。第1章第5節ね。 続きを読む
『不安の概念』(11) 無が不安を生む
わからんのでまず和訳の写経だけしてみる。 続きを読む
『不安の概念』(10) 無垢において人間は精神として規定されない
んで、『不安の概念』第1章第5節。ここねえ、本気でどう読むんでしょうね。 続きを読む
『不安の概念』(9) キェルケゴール学者はパラフレーズできるか
「レポートの書き方」みたいなのでは、学生様たちに「パラフレーズしろ、パラフレーズできてはじめてその文章の内容がわかったといえるのだよ」みたいなことを言ってるわけですが、キェルケゴール関係だと学者様たちもほとんどパラフレーズせず、キェルケゴールが書いたものの抜書き集みたいになってしまう。これはほんとうにやばい。 続きを読む
『不安の概念』(8) 「規定」の意味がわかりません、ははは
んで問題の第1章第5節「不安の概念」というタイトルと同名の節をよみたいわけだけど、ここで止まってしまいました。 続きを読む
『不安の概念』(7) 人間は欲情をもって生まれる罪深い存在なんだ……
もういっちょ引用。 続きを読む
『不安の概念』(6) 禁断が欲情を目覚ますが、欲情はまだ罪ではない
ちょっとキェルケゴールを引用すると、こんな感じ。 続きを読む
『不安の概念』(5) 禁止されるとやりたくなりますか
私が一番好きなイエスさんのお説教は、もちろん、これ。 続きを読む
『不安の概念』(4) 無垢はエロについて無知っす
んで、『不安の概念』の第1章第1節〜第2節では、アダムの最初の罪はよくわからんね、って話をぐだぐだやるわけです。まあここらへんでキリスト教の問題わからん人は読み進められなくなるですね。私も別にキリスト教にそれほど興味あるわけじゃないから読めない。キェルケゴールもよくわからずぐだぐだやってるんだと思う。まあここらへんいろいろ、とりあえず堕罪、原罪の話は大事だよ、ぐらいに読んどいていいんじゃないか。 続きを読む
『不安の概念』(3) キェルケゴールの問いは
んでまあ、もどって、『不安の概念』の最初の2章で扱っているのは、キリスト教では人間はみんな罪人です、ってことになってますが、人間はどうやって罪人になるのですか、という問いだと思うんですわ。これ、つまり原罪の話ね。 続きを読む
『不安の概念』(2) セックスセックスぅ
『不安の概念』は人間の「自由」とそれを前にした不安の話だ、っていうのがまあサルトルとかの読みなんだと思うんですが、本当にそうかな、っていう疑問がある。そうじゃないかもしれない。 続きを読む
『不安の概念』(1) 『不安の概念』はセックス哲学の本、性欲の本かもしれない
この前、年に1回のキェルケゴール研究者の会合に出て、いつものようにみんながなにを話しているのかほとんどわからなくて、絶望しています。まあそもそも私キェルケゴールあたりから勉強をはじめたのに、30年たってもそういう状態で、いろいろ思うところがあるわけです。「キェルケゴールと私」シリーズにも書いたんですけどね。 続きを読む