もういっちょ引用。
人間には原罪が存在することについて、プロテスタント教会が最も力を入れ、真に最も積極的な表現を用いているのは、ほかでもなく人間が欲情concupiscentiaを持って生まれてくるという点である。「自然のままに生まれてくる人間は、すべて罪をもって生まれてくる。すなわち、神を畏れることなく、神を信じることなく、欲情をもって生まれる」。
「」内はラテン語ね。いやはや。たしかに、これはthe・キリスト教。もちろんconcupiscentiaを広く悪しき欲望、あるいは神の命令に背く欲望と読めばそれはそれでいいんですが、人間は性欲をもって生まれてくるのです。山岡さん、京極さん、どうですか。
山岡さんや京極さんはともかく、栗田さんもconcupiscentiaもってましたか。発揮してますか?
- 『不安の概念』(1) 『不安の概念』はセックス哲学の本、性欲の本かもしれない
- 『不安の概念』(2) セックスセックスぅ
- 『不安の概念』(3) キェルケゴールの問いは
- 『不安の概念』(4) 無垢はエロについて無知っす
- 『不安の概念』(5) 禁止されるとやりたくなりますか
- 『不安の概念』(6) 禁断が欲情を目覚ますが、欲情はまだ罪ではない
- 『不安の概念』(7) 人間は欲情をもって生まれる罪深い存在なんだ……
- 『不安の概念』(8) 「規定」の意味がわかりません、ははは
- 『不安の概念』(9) キェルケゴール学者はパラフレーズできるか
- 『不安の概念』(10) 無垢において人間は精神として規定されない
- 『不安の概念』(11) 無が不安を生む
- 『不安の概念』(12) なにができるかわからず不安です
- 『不安の概念』(13) 不安は可能性の可能性として自由の現実性であーる
- 『不安の概念』(14) 「自由」はいわゆる積極的自由だと思うの
- 『不安の概念』(15) 人間は心的なものと肉体的なものの総合である
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