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『恋愛制度、束縛の2500年史』で恋愛の歴史を学ぼう (5) ローマ人だってそれなりにロマンチックだったんちゃうかなあ

 

 

  • 第2章の古代ローマ編もざっくり軽快でいいと思う。まあ恋愛の歴史とかっていう巨大な話はどっかでざっくりやらないとしょうがないですね。
  • ただ、バッカス/デュオニソスを「愛の神」(p.72)と呼ぶのはちょっと問題があるんじゃないかと思う。もっとはっきりセックス・性欲の神様、って呼んだらいいのではないか。どうも日本の大学の先生たちはセックスと性欲の話をするのを避けてるところがあって、まあ女子大とかで毎日毎日セックスセックスと口に出してるとたしかに差し支えがあるんですが、恋愛の話するときにセックスの話しないってのいうのも難しいし。
  • ローマ時代の恋愛観が「女は強い男がゲットするもの」というやつだっていうのは、まあ言いたいことはわかるけどちょっと乱暴すぎるかなあ。むしろ「強い男/権力者はモテる!金と権力があればなんでもウハウハ!」ではないんかな。
  • まあ実際にどうだったかはわからないんだけど、一番の問題は、ローマ時代の代表格として鈴木先生がもってくるオウィディウス先生の『恋愛指南』は、「強い男が女をゲット!」とかそういうものではないってことですわ。
  • 「強引にチューしてしまえ」「チューしたらもっとすごいこともしてよい!」っていう部分をとってきてローマ時代の恋愛観は乱暴で女性をモノとして見ている(「モノ化」)って議論してるんだけど、私は『恋愛指南』をそう読むのは無理だと思う。ごくざっくりやるっていうのは賛成なんだけど、題材はえらばないとならんというか。
  • あれを読んだ人は誰でもわかるように、『恋愛指南』は非常にこっけいなマニュアル本で、まあ鈴木先生が指摘しているように乱暴そうに見えるところもあるけど、実際には情けない中年男とかがいっしょうけんめい女性にモテようと苦労する話だし、男性向けだけでなく女性向けの部分もあるわけで。

「愛する女性の誕生日こそは、君が大いに恐れおののくべき日だ。何か贈り物をしなければならない日、それこそは君にとって災厄の日というべきだ。君がどんなにうまくかわしたとしても、やはり彼女は巻き上げるに決まっている。女というものは、燃え上がって愛を求める男から財貨をかすめ取る術を編み出すものなのだ」(p. 31)

とかっていうのは、もうかわいそうとしか言いようがないですよね。かわいそす。プレゼントとは、女性が男性からまきあげるものなのです。

  • 「ローマ人の場合は「男は支配してなんぼ」だったのです。」「ポール・ヴェーヌなどは、ローマ人の「強姦力」なんて言い方をしています。経済力で男の価値を測る、という基準が現代のジェンダーにはありますが、経済力のかわりに「強姦力」だったわけです。すごい話ですね。」(p.99)とかありますが、まあたしかに最強の神にして強姦マニアのユピテル(ジュピター)様他、乱暴なのが好きな神様はたくさんいるし、歴史や物語でもそういうのは好まれてるっぽいですが、ローマ人たちがそうした生活を実際に生きていた、強姦はごく普通のことであった、とか考えるのはちょっとどうだろうかとは思います。あとこのヴェーヌ先生の本、どこにその「強姦力」があるのか、ページまでつけてもらいたいです。私ざっと見たけど簡単には見つけられないです。
  • これは性暴力とかに関する重要なポイントになってしまうんですが、そうした性暴力が当然のものとして賞賛されるような社会っていうのはめったにないわけです。へんなジェンダー論みたいなのだと、男性中心的社会では女性に対する性暴力が当然のものとされている、といった説明がされたりするんですが、あんまりよくない。なぜかというと、どういう男性も、その親の半分は女性であり、子どもの半分も女性だからですね。自分の家族を強姦されて喜ぶ男性なんてのはほとんどいないはずです。『ゴッドファーザー』で、主人公の姉を殴る夫が殺されたりしてるじゃないですか。ああいうもんだと思う。
  • 古代ギリシアとかでは女性の結婚は親や男兄弟がとりきめるものだったと思うのですが、彼らも自分の経済的・政治的利益の他に、自分の子どもや姉妹の幸福を当然祈って相手を選んだでしょう。古代ローマ人も当然そうだったはずです。もちろん、そうした親兄弟の後ろ盾がない女性は非常に厳しい生活をしていたとは思います。でも、強姦だのなんだのがほめられる社会なんてのはちょっと考えられない。
  • ローマ時代は抒情詩とか盛んだったはずで、実際ヴェーヌ先生の『古代ローマの恋愛詩』では、『恋愛指南』のような滑稽なやつだけでなく、いろんなロマンチックな詩が紹介されていると思う。どうしてロマンチックな詩が書かれたかというと、私の根拠のないカンでは、それは女性を口説くためですね。現代日本でミュージシャンがラブソング作るのと同じ理由によるんじゃないかな。そして、前のエントリでも述べたように、女性を口説く必要があるのは、女性になにがしかの決定権があるからで、決定権がなくても女性は男性にいじわるしたりすることは簡単なわけです。美人奴隷とか買ってきたって、毎日めそめそ泣いてたり、むすっとしてたりしたらいやじゃないっすか。そんなのどんな美人だてたえられない。どうしても女性は喜ばせて笑顔で対応してもらわないとならん、っていうのがどの時代の男性にとって大きな課題だったんじゃないっすかね。
  • んで最後にやられる現代日本との対比ですが、ローマと日本は「女性のモノ化」という点で共通しているって鈴木先生は考えてるんかな。まあオウィディウスとナンパ指南本の類似性とかは私もおもしろいと思いますね。でも必ずしも恋愛の相手をモノ化しているとも、代替可能な何かと見ている(p.103)とは思えない。だって、実際に『古代ローマの恋愛詩』やその他の古代の抒情詩で歌われている感情は、そういうものとはまったく違う、おそらく我々の多くが経験しているロマンチックなやつじゃないですか。われわれが好むポップソングの恋愛とそんなに違いますか?異文化の一部とってきてなんか押しつけるのはひかえめにした方がいいんじゃないかという気がします。

おまけ。私が授業で使ってるオウィディウスまわりのレジュメ。



 


(追記)

  • 鈴木先生のやつ、ちょっともどってオウィディウスのところで書きもらしたことがあるんだけど、オウィディウスの時代、初代皇帝アウグストゥスが姦淫を禁じる法令だしてるはずなんよね。いま調べたら en.wikipedia.org/wiki/Lex_Julia これ。ユリア法? 18-17BC 。
  • 私法上も公法上も、姦淫は罪、ある状況下で不倫しているの見つかったら旦那から殺されたりすることもありえるっぽい。しらんけど。
  • オウィディウスの『恋愛指南』での口説きの対象が人妻なのははっきりしていて、これはまあそもそも色気づくと女性は結婚させられるので、恋愛は結婚して子どもできたりして旦那が飽きてから、ってことになってると思う。
  • オウィディウスの想定女性はさらに小間使いとかもってる地位の女子なので、おうちに入れてもらって無理矢理セックスしようとしても音とかでばれちゃうからデートレイプしほうだい、とかってのはない。
  • っていうかそもそもそんなの試みたのがバレたら旦那から殺される。
  • 鈴木先生は古代ローマは超家父長制で男の権力が強かったから女なんかどうでもしほうだい、みたいに思ってるみたいだけど、家父長制が強いからこそ他人の女には簡単には手を出せず、その女と共謀共犯関係に入る必要があり、だからこそ巧妙に口説くことが必要になったのだと理解している。
  • 19世紀の話だけど、おそらく恋愛結婚というのが一般的になっていくのは、一つには家庭内で、女性に家なり商売なりパーティーの接客なりのいろんな業務をしてもらわなきゃならないために女性の地位があがったこととか、そうした主婦というか奥様になるための教育が必要になって教育期間が長くなって女性の婚期が遅くなり、男性も資産もたないと結婚できなかった(ブルジョワ階級)てのがあって、男性は人妻に手をつけることよりまずは自分の配偶者を見つけるのがたいへんになった、とかそういうのが関与してるんかと思ってるけどよくわからない。
  • まあとにかく恋愛は女性の地位向上と関係があり、そのけっこうな部分が経済的要因の変化の結果なんだろう。
  • こういうのは恋愛の歴史じゃなくて結婚の歴史を読むと説明されている。クーンツ先生あたりがおすすめ。 amzn.to/2WoYnRO これ翻訳してほしい。

「性暴力の原因は性欲ではなく支配欲」は単純すぎてよくない考え方です

一部のフェミニスト学者先生たちが主張する「性暴力の原因は性欲ではなく支配欲」は単純すぎてあまりよくない考え方です。過去記事から一部だけ抜きだしました。

セックスの哲学

『性暴力と修復的司法』第4章の一部チェック(5)

  • これはちょっと細かいのですが。

私はまさしく彼が「聴くこと」を望んでいます。〔私が〕どんなに無力な状況に置かれ、ひどいトラウマを負ったのかを。彼が完全に〔私の苦しみを〕受けとめて理解すると期待しているわけでもありません。私の口から直接出てくる言葉を確かに彼に聞かせたいから、〔加害者に対して〕「〔私の声を〕聴け」と言いたいのです。私は加害者(すべての加害者)は、表面的なレベルでしか受け止められないとしても、〔性暴力被害者が〕何を感じていたのかを知る必要があると思います。私にとって重要なことは、少なくとも、直接的に私から〔加害者に自分の言葉に対して〕耳を傾けられる経験を得ることです。

私は彼にちゃんと「聞いて」hear ほしいのです。そんな無力な立場におかれたときにどんな感じがするのか、それがどんなひどいトラウマになるのかを。私がいま「聞く」って表現したのは、彼は気にしないかもしれないし、こういうことを完全には理解しないかもしれないからです。それでも私は私の口から出る言葉を直接聞いてほしいのです。だって他の誰もほんとうにそういう立場に置かれなかったら説明できないのですから。表面的なレベルでしか受け止められないにしても、加害者(すべての加害者)はそれがどういう感じであるかを聞く必要があると思います。私にとって一番大事なことは、少なくとも私から直接それを聞くことです。」

これはこの被害者が、意味の理解とかそんなのより、とりあえず物理的に聞くのでいいから自分の声を聞いてほしい、と求めている文章です。listen to じゃなくてhearっていう言葉をつかうのは「とにかく物理的にでいいから聞いて!」っていう感じがでていて、このVSSRさんはほんとうによく自分の体験について考えてる感じがします。最後の would have at least the heard thisのところはわかりません。誤植かなあ。まあこの文章の訳は軽い問題がある、ぐらいです。

ちなみにこのVSSRという記号をつけられた人はけっこう話してくれる、意見のはっりしたしっかりした方で(前のエントリはVSC3さんで、この人もよい)、小松原さんは何回か使っているのですが、同一人物であることを把握しているのかどうか気になりました。読者にはそうしたことがわからないのです。それで大丈夫なのだろうか。正直ななところ、このKeenan先生の報告書にん記録されている30人ぐらいの人のなかの数人の言葉は非常に魅力的で、私は、kenan先生の報告書から、「被害者」としてばらばらにされてしまいひとからげに「被害者」とされたの人々のインタビューの中から、その個人像を再構成してみたいという欲求さえ感じました。こういうのを「〜という被害者もいた」みたい匿名化してに証言をバラしてしまうのは私は好きではない。

修復的司法っていうのはかなりマイナーな研究分野であるだろうし、勉強しにくかったり理解されにくかったりするのはわかるんですわ。それの研究を続けたり、いろいろ読んだりしているのはえらいと思う。語学とかは得意不得意とかあるし、他国の司法制度なんかも、まわりに詳しい人がいないと学びにくいものだとは思う。そういうんで、小松原先生自身を訳程度の問題で非難する気はあんまり強くないのです。私が気にしているのは、こうしたいろいろ穴があるのはまわりの人、特に博論の指導教員とか研究仲間とかはすぐに理解しただろうから、なぜ適切なアドバイスをしてあげてないのだろうかとか、ジェンダー法学会はなぜこれくらい基本的な問題があるのを承知で賞を出すのだろうか、とかそういうことです。それともそうした問題があることに気づかなかったのだろうか。

 

 

『性暴力と修復的司法』第4章の一部チェック(4)

    • 第4章第3節も見ておきたい。
    • p. 151に出てくる、Nodding (2011)という資料はどういうものかよくわからない。この団体 https://restorativejustice.org.uk  が出している冊子かもしれない。あるいはこれ https://restorativejustice.org.uk/resources/jos-story そのものか。そもそもこの団体がどういう性質のものかよくわからない。怪しい団体ではないとは思うのだが。
    • p.152に出てくるKeenan (2014) も最初見つけられず苦労したのだが、文献リストでは「報告書」として他の「外国語文献」とは別になっていた。「学会報告、講演」も別になっていて、上とあわせてその分類の基準がよくわからない。このKeenan (2014)もURLとかないので探すのけっこう苦労したけど、とりあえずこれ http://irserver.ucd.ie/bitstream/handle/10197/8355/Marie-Keenan-Presentation.pdf?sequence=1
    • この資料は、修復的司法を希望する、参加したい、加害者と対話したい、という人々30人に対するインタビューで、前の節のデイリーvsカズンズ論争が実際に修復的司法は効果があるか、という数字をつかったあるていど実証的なものであるのに対して被害者の願望を聞き取っているもの。話の順番が奇妙に感じられるが、それは問わないことにする。
    • この資料自体は、貴重な被害者の声をきんとひろっていて、非常に迫力があります。こういうの探してくるのは小松原先生すごくえらいと思いますね。
    • ただし小松原先生の参照のページがずれているようで、対応箇所を見つけるのを非常に苦労することが多い。これは多すぎるのであげきれない。
    • また、このKeenanの調査が、さまざまなタイプの被害者の特徴を示す記号がつけられて特定されていることなどにまったく触れられていないのが気になる。家族内レイプと路上レイプなどは経験その他がまったく違うと思われる。それに、小松原先生が同一人物をダブルにカウントしている箇所があるように思える。下では「VSSR」(Victims of stranger rape as an adult)と記述されてる人の発言が何度もでてくるが、これは同一人物である。しかし、小松原本ではどの発言がどの被害者のものかわからなくなっている。
    • p.154で「責任のメカニズムとして」という表現が出てくるが、これは説明しないとわからない。

(f) 虐待を告発する際に教会の権威者を問題にすること
教会内の事例においては、被害者陳述のように、RJを通して加害者の責任を追求したいと考える性暴力被害者もいる。(p.154)

  • これは読みちがえているように思う。

f) Dealing with Church Authorities when Abuse Disclosure handled Badly
One victim of clerical abuse whose abuse disclosure was poorly handled by the church was keen to meet a priest to whom she had disclosed through a restorative meeting as she thought there would be healing in it for her.

  • ということなので、加害者の責任も問いたいが、教会当局の問題の処理も問題にしたい、ということだと思う。加害者以外の人物に被害にあったことを打ち明けたのにちゃんと対応してもらえなかった、あるいは不適切な対応を受けたのでそれについて自分で苦情を言いたいということではないか。

(引用)私は彼に聞きたいのです……私は、普遍的な問題として、彼の動機を本当に理解したいと思っています。
(小松原)この性暴力被害者は、性暴力という問題を「個人的な問題」ではなく「普遍的な問題」だと考えている。

  • 原文は “I would truly like to understand his motivations for it in general.” なので、微妙だが、〔女性や社会にとっての〕「普遍的な問題」と読むのは読み込みすぎかもしれない。「彼のそうした動機一般を知りたい」ぐらいではないか。

しかし、私は〔問いの〕答えを得られませんでした。私は〔今も〕動けずにいるし、問いを抱えたままです。被害者として〔加害者に言いたいことは〕、あなたはあなた自身を責め、恥やうんざりした気持ち、ストレスを抱えることになりました……でも私はそれぞれの〔加害者は〕個別で違っていると思います。だから、私は「なぜ、私なのか(Why me?)だったのか知りたいのです。

これは非常に痛切な告白でもあるわけですが、これほど大事なものも誤訳していると思います。

But I haven’t got answers. I’m stuck and I still have questions – as a victim you blame yourself for a lot of things, a lot of the time. You do blame yourself and you suffer a lot of shame and disgust and a lot of – you know, a lot of stress… … But I think each individual is different, I think. So I’d just – I need to know why me?

このas a victim you blame yourselfってときのyouは、被害者になってしまったときのあなた、我々、そして私自身。

「被害者として、私たちはいろんなことについて、すごく長い時間自分を責めてしまいます。ほんとに自分を責めて、恥や嫌悪感、そしてすごい……わかるわよね、すごいストレスに苦しみます。でも人はそれぞれちがうものだと思うんです。だから私は、なぜそれが私だったのか、を知る必要があるのです」だと思う。

  • この”Why me?”というのは、節だけでなく、本書全体を通してつらぬかれる基本的な被害者の声であるわけです。これほど大事な部分で、こういう読みちがいをしてしまうっていうのはどういうことかと考えてしまうわけです。これは英語読解能力の問題だけなのだろうか。前の節でデータと論文を粗雑にあつあっているだけでなく、この節では被害者の言葉さえもまじめに受けとめていないのではないだろうか。
  • これはちょっと書きすぎたかもしれません。でもこの誤訳らしきものは本当に大きいと思うのです。当然専門家が読めばおかしいと思うはず。誰かが草稿段階でこの原稿を読んだらおかしいと思うはずだし、学会賞を出そうという人々が読んでたら、なにかへんだとおもわないはずがないと思うのです。そしてこうした疑念が、わたしをいらいらさせるのです。いまも書きなおしてて、やっぱりいらいらしてしまいました。読んでる人々が不快になったらもうしわけない。でも私はこうしか書けないのです1)それが堅い論文書けない理由でもある……ははは。

 

References   [ + ]

1. それが堅い論文書けない理由でもある……ははは。

『性暴力と修復的司法』第4章の一部チェック(3)

  • デイリー先生の文章の引用

私は〈裁判による性暴力の問題解決〉より〈カンファレンスやそれに類するRJ〉がより一般的に用いられるとは思わない。〔しかしながら〕私は犯罪と被害へ、より洗練された対応をすること、そしてRJがその流れの中に位置づけられることについて考えることは、意義があると思っている。

私が訳すると「私は、カンファレンス、より一般的には修復的司法が、性犯罪裁定の問題に対する「解決」になるとは〔カズンがわたしになすりつけているようには〕考えていない。私が信じているのは、犯罪と被害に対応することについてもっと革新的に考えてみることには価値があるということであり、修復的司法はそうした潮流の一つだ、ということである。そうした各種のアプローチが、被害者や加害者に対して有効な司法のなかで邪魔になると考えるのはむずかしい。」

  • ここまで、主にほぼ4章2節の英語の訳の問題だけ見てきたのですが、どれもいわゆる「意訳」や「わかりやすい訳」やケアレスミスだけではない。構文がとれないために意味がとれてないないか、知識がないためか、検討する論文全体を読んでいないため理解できていない、という感じだと思います。こうなると、この本に出てくる日本語の翻訳が出ていない文献からの引用・参照はすべて疑わねばならないことになる。しかしそれはしょっぱなから論文タイトルがまちがっているのを見れば誰でもわかる話でもあると思います。
  • まだ続きます。

 

 

『性暴力と修復的司法』第4章の一部チェック(2)

p.149

刑事司法制度の補完として、RJを取り入れる具体策としては、「有罪答弁」の改革をデイリーは挙げている。現行の刑事司法制度にも、加害者が自らの犯行を自白する「有罪答弁」は導入されている。しかしながら、デイリーによれば「有罪答弁」は「被害者の決まりきった質問に、加害者が棒読みで答えるという白々としたもの」である。それを「被害者が自分の経験を思いきり語り尽くし、加害者は率直に事件について吐露する場にする」のである。(p. 149, 強調江口)

  • まず、イギリスやオーストラリアの裁判制度のなかでの「有罪の答弁」guilty pleaの制度を紹介してもらう必要がありますわね 1)おそらく本書にそうした説明はない。。http://www.courts.sa.gov.au/RepresentYourself/Offence/Pages/Pleading-guilty.aspx こういうんですか。っていうかオーストラリアの裁判所制度がどうなってるかはここらへんからたどればわかるはず。まあそこまでしなくてもGoogle様が教えてくれる
  • んで、この有罪答弁では「被害者が質問して加害者が答える」なんてことになってるのでしょうか。まさか!原文は

The court’s guilt plea process can change (Combs 2007). Rather than ‘perfunctory affairs [in which] questions are mechanically posed, answers are monosyllabically provided, and all of the participants seek to get the proceedings over with as quickly as possible (p.14), Combs propses a ‘restorative justice guily plea’ that would have greater disclosure of the offending by defendant and greater involvement of victims in describing the effects of the offense.

  • デイリーではなくコーム先生の意見であるのはともかくとして、「審問が機械的におこなわれ、それに対してはイエス・ノーだけ(monosyllabically、一音節で)で答えられ、関係者はみな手続をできるだけ早く終らせようとするおざなりな手続き」ぐらいですか。現行で被害者が直接加害者に質問するなんてあるわけない。ここらへんになってるくると、著者はまったく知らないことについて語っている可能性が出てくるわけです。

References   [ + ]

1. おそらく本書にそうした説明はない。

『性暴力と修復的司法』第4章の一部チェック(1)

小松原先生の『性暴力と修復的司法』の第4章は非常に問題が多いと思うので、すこしずつ指摘したいと思います。実は同内容の別の文書を書いてしまって、公開するべきかどうか実はかなり迷ったのですが、やっぱり見てしまった以上は書かざるをえないと思います 1)この本は以前に読んで、問題があるな、とおもっただけでほうっておいたのですが、ツイッターで「第4章第2節ではエビデンスをもとにした、性暴力における修復的司法の議論を行っている」とおっしゃっていたので、どの程度エビデンスなるものを検討しているのか再読せざるをえなかった。。ここではなるべく価値判断は避けて、事実だけ記載しなおしたいと思います。ジェンダー法学会の奨励賞を受賞していることからも問題の深刻さを考えさせられました。


第4章第2節

  • 書誌情報、author-yearの形 (Daly (2006), p.339の形)をつかっているのに、Ibid. も使うのは奇妙な印象があるけど、こういう書き方をする分野があるのだろうか。

p.143

  • デイリー論文タイトルを「歪曲のない記録の位置付けとラディカルな変更への要求」している。原題は“Setting the Record Straight and a Call for Radical Change” なので、「事実を明らかにすること、ラディカルな変化をもとめること」かなあ。set the record straightはほぼ慣用語句。
  • どこか別の場所で『修復的司法─どう実践するか(Restorative Justice: How It Works)』というのも見たのですが、ページ失いました。How it worksは「それはどう機能するか」、くだいて「それはうまくいくか」だと思う。
  • デイリー論文の紹介 https://www.researchgate.net/publication/31045901_Restorative_Justice_and_Sexual_Assault_An_Archival_Study_of_Court_and_Conference_Cases

小松原p.144

「裁判に参加した226例(59%)の少年のうち、118例(31%)がRJのカンファレンスに参加し、41例(10%)が訓告を受けた。その結果、再犯率は裁判が66%で、カンファレンスは48%だった。また「(執行猶予も含んだ拘留などで)〔少年に対して〕責任を追求して脅す「青年脅迫(Sacare Youth)の試みは、最も高い再犯率を示している(80%)。(強調江口)

  • デイリー先生の原文によれば、扱われてるのは385事件の少年365人、そのうち226は裁判所に送られ、別の118はカンファレンスに、41は訓告formal cautionを受けた、ということだと思う。226+118+41=365よね。「裁判に参加した226例の少年のうち」はまったくのあやまり。これ以降、そのまま信じることはできない。
  • 原文によれば、再犯したのは80%ではなく81%。ここのところは、オーストラリアの裁判制度の説明が必要だとおもいます。
  • Scare Youthには脚注がついていて、

「Scared Straight Programのこと。1970年代米国に非行少年に対して行われた犯罪抑止プログラム」

云々という脚注がついているが、これは1995〜2001年の南オーストラリアの話なのでまったく関係がないと思う。原文はThe court’s effort to ‘scare yourth’ with threat to further liabilityということなので、米国の話とは少なくとも関係がないように見える。

「こうした結果を見ていくと、性暴力事犯において、少年が裁判を受けたり、厳しく罪を問われたりすることは、再犯防止にならないということがわかる。」

  • これはこんなに簡単にはいえない。「「もっと厳しく責任を問うぞ」として法廷が若者を脅す」というのは、i.e. detention, including suspended sentencesということなので、裁判所に送られてけっきょく拘留しただけとか、起訴猶予などの処置にされた少年たちが81%再犯におよんだわけだけど、これはカンファレンスや訓告ですまされた少年たちより悪質と考えられて裁判所に送られた少年たちであって、カンファレンス送りの少年たちとは簡単に比べることはできないと思う。

「さらに、裁判はカンファレンスよりも集結までに2倍の時間がかかり、被害者は平均6回も裁判所に足を運んでいた。被害者の負担は大きいのである。それにも関わらず、最終判決に出席しても半分近くの事例は訴訟棄却または訴訟取り下げになるとデイリーは指摘している。」(下線江口)

  • 原文はvictims would have had to attend court an average of six times to lean the outcome of their case。これは、「もし被害者が裁判結果を聞こうとすれば、6回ぐらいは行かねばならなかったろう」ということだと思う。
  • If they appeared in court on the day of finalization, nearly half would find the case was dismissed or withdrawn. 「その日に傍聴にいけたとしても、半分ぐらいは起訴猶予やら起訴とりさげやら」ということ。被害者が裁判所に行こうが行くまいが判決は同じ。これは下のような感じ。
  • 先生書いてないので1パラだけ紹介すると、41の訓告(formal cautions)処分措置にされた全員が罪状を認め終結した。118のカンファレンスのうち、ほとんど(94%)が性的暴行を認めて終結した。裁判所送りになった226件のうち、51%が性犯罪が立証された。4%は非性的犯罪とされ、残りは棄却、起訴取り下げ。226件のなかで公判にかけられたのは18件、8%。Guilty pleaはあとで問題にするけど、さっさと有罪を認めれば裁判短縮してあとは量刑を考えるだけになるというもの。残りのうち14人が罪状を否認、その結果、8人が棄却、3人は無罪。けっきょく、 226件の裁判所ケースのうち、115件は性犯罪が立証された(ほとんどすべてGuilty Plea)、8件は非性的犯罪、100は棄却または起訴取り下げ、3は無罪、ということだと思う。こうした情報を示さないで一部の数だけを示しても意味がない。(あんまり自信ない。オーストラリアの(少年犯罪の)裁判制度の説明が絶対に必要のはず。)

「被害者が証言したのは14例のみで、有罪判決が出たのは3例だけだ」

  • 原文によれば、「裁判所送りになり、さらに公判にかけられた14例のうち、何件で被害者が証言したかはわからないが、仮に14件で被害者が話をするのを許されたとすれば〜」
  • 1ページでこれほどあやまりと思われるものが多いとかなり苦しい。

  • Daly先生の引用

SAASの結果は性暴力への対応における公式の裁判過程の限界をあらわにしている。この限界は〔被害者と加害者を〕対立させる〔刑事司法〕制度に内在している。それは〈告訴された人が加害を否認する権利をもっていること〉と〈法律的な罪を確定する中では証拠を集めるハードルが極めて高いこと〉である。

  • 「被害者と加害者を対立させる刑事司法制度」というのが謎。“The limits inherent in an adversarial system in which accused persons have the right to deny offending and the evidentiary hurdles are especially high in establishing legal guilt.” であって、「〔容疑者に対して〕敵対的な制度」であって被害者と加害者を対立させるわけではない。刑事司法というのは基本的に「国vs容疑者(被告)」だと思いますが、私がまちがっているのか。被害者と加害者の対立は二次的であるはず。(もちろんそれではだめなのかもしれないので、被害者が裁判に参加できる形を模索しているわけだが)

pp. 147-148でのデイリー先生の引用

  • ここは長くいろんな不正確な訳が含まれているので、下に私の訳を示します。
    > 私が思い描いている重大な変更目標は、次の三つの要素からなる。犯行の自白(理想的には、当初からの自白)の増加、(裁判での)事実認定の必要の減少、そして性犯罪と性犯罪者に対する強すぎるスティグマづけの最小化である。弁護士たちは依頼者の権利を擁護するだけでなく、「法的」には有罪ではないとしても事実上有罪であるような依頼者が、その罪を認めることの価値を見出すことにも役目を負っている。私はこのような変更目標がすぐに実行されるとは期待していない。

  • まだ続きます。

 

References   [ + ]

1. この本は以前に読んで、問題があるな、とおもっただけでほうっておいたのですが、ツイッターで「第4章第2節ではエビデンスをもとにした、性暴力における修復的司法の議論を行っている」とおっしゃっていたので、どの程度エビデンスなるものを検討しているのか再読せざるをえなかった。

EUの女性に対する暴力の調査はすすんでるなー

EUの女性に対する暴力の調査を日本でもやった先生たちの調査結果報告について1)これ、龍大のページではWORDのままで開けない人がいるかもしれないので、PDFにしておきますね、フェミニストの小松原織香先生が加えたコメントに、正体不明自称プログラマのuncorrelatted先生がコメントをつけて、ちょっと話題になってました。

http://d.hatena.ne.jp/font-da/20181028/1540696942
http://www.anlyznews.com/2018/10/blog-post_29.html

このFRAという組織の調査の概略や調査票をめくってみたんですが、さすがEU進んでますねー。

女性に対する暴力はいろんな事情で当局に通報されないものが多い、つまり暗数が多いっていうのが問題だというのは広く理解されていて、この調査はそれがどれくらい存在しているかを推測するためのきっちりした調査ですね。警察のデータや、たんなる紙のアンケートだといろいろ疑問があるから、もう訓練した調査員を派遣して面談して本当のところを明らかにしましょう、という徹底的なもので、すばらしい。

こんなふうにして「こんにちは、私の名前は〜」からはじまって、正確な情報をひきだすかについて細かいところまで気を配っている。

パートナーから身体的/精神的「暴力」の実態を知るために、こんな聞きかたをしています。

「今のパートナーさんとのことについておうかがいします。」「(恋愛)関係とかでは、ふつうよいときも悪いときもありますよね。これからする質問は、今のパートナーさんとのことにつてです。パートナーさんは次のことをどれくらい頻繁にしますか?」

「E01a あなたが友達と会わないようする」「E01b あなたが実家や親戚と連絡をとらないようにする」「E01c 今どこにいるか知らせろとしつこくする」

どの質問項目も、こういうふうに具体的な行動や経験にまで落されていて、「セクハラされたことがありますか?」「暴力をふるわれたことがありますか?」「レイプされたことがありますか?」みたいな抽象的で解釈が必要な質問にはなってない。

これは当然理由があって、「セクハラ」「レイプ」「暴力」みたいなのはなにがそれにあたると考えるかは人によって違うかもしれないからです。「イケメンの大学の先生に肩を抱かれたのはセクハラだろうかそうでないだろうか」「キモい教員にされたのは〜だろうか」とかそういうの考えちゃうと答えられなかったり、本人のバイアスが働いてしまう。小松原先生が(おそらく)指摘しているように、被害を受けた人は自分が悪いとかおもってしまいやすいとかあるわけで。セクハラについてたとえばこんなふうに聞くわけです。

日本語にどう訳すかはいろいろあるだろうけど、「触られたりハグされたりキスされたりして不快だったことがありますか?」か「したくないのにハグされたりキスされたりしたことがありますか?」か。「セクハラ」されたかどうか、とかそういうのは聞かない形になってる。それじゃ(調査者たちが考えるところの)セクハラとはなにか、って説明しなきゃならなくなりますからね。

それに、そうした質問をする前の前置きがいいですね。これは軽く感銘しました。「こんなに進んでるのか!」みたいな。さっきのパートナーの暴力だと、「まあつきあってるといいときも悪いときもありますよね」みたいな前置きを聞けば、「そういやいいときもあるけど悪いときもあるなあ、この人はそういうのわかって聞いてくれてるんだな」って感じて答えやすくなるだろうし、まあいいときや悪いときを思い出す呼び水みたいのにもなってる。えらい!

まあこういう練りに練られた設計による調査で、これくらい考えられている調査に対して、「なにが暴力と考えるかは人によって違うかもしれない」とか「被害者女性は暴力を暴力としてとらえられないことがあるのだ」といったタイプの疑問を持つのは、なんかちょっと筋が違う気がします。それはわかった上でこういう調査をやっているのだと思います。

こういう優れた設計になっているのは、こうした調査をまじめにやろうとしている人々の努力と、こうした調査に関心をもち、過去のいろいろな調査の欠点に対するいろんな批判した人々の努力があってこそだと思う。えらすぎる。

ちなみに日本の内閣府の調査とかではなかなかこのレベルにまで到達してないようで、質問紙とかこんな感じ。

EUのやつと比べると問題がわかると思います。(例はついているものの)「暴行」や「攻撃」を受けたことがあるか、という話になっているので、このタイプだとやはり「私が悪いのだからあれは暴行じゃない」「よっぱらっていただけで攻撃とまではいえない」とか考えてしまう人がでてくる。こういう回答者の「解釈」を要求する質問はよくないと思います。他にも「監視」「嫌がらせ」「脅迫」「妨害」「強要」などのように、定義が曖昧だったり価値判断を要求するような言葉のオンパレードで、これは答えにくい。

んでそれは内閣府もわかっているのか、最新のやつを見たらこういうのが追加されてました。これ前なかったですよね。

「暴力」がなんであるのかの解釈が人によってちがうかもしれないので、「なにを暴力だと思いますか」という質問項目を追加している。これってどうなんだろうと思います。それ以降の質問になんかバイアス与えるかもしれないし。まあこうした調査は継続性も大事なので、質問の仕方が悪くてもいちやりなおすのは難しいとかそういうのもあるんだと思いますが、どうなんでしょうか2)っていうか、それの結果見ると、「「暴力をふるわれた側にも非があったと思うから暴力にはあたらない」みたいな混乱した回答もアリってことになってますがな。こんな調査で大丈夫なのか。

そういうわけで、国内のこうした調査についてはもうすこし検討しなおす余地があるかもしれず、最初にあげた龍大の津島先生や浜井先生が、内閣府の調査があるにもかかわらず、EUのやつを使って調査したのはとても価値があることだと思うわけです。暴力対策発展途上国から脱出するための絶対に必要な一歩であり、えらい!えらい!えらすぎる!

というわけで、私は日本が女性に対する暴力対策の発展途上国かもしれないという見方には理があるかもしれないと思うわけですが、それは小松原先生とは違う意味でそう思うわけです。


(追記2018/11/03)

そのあと、津島昌寛・我藤諭・浜井浩一 (2017) 「女性の暴力被害に関する調査」ってのを確認したんですが、まあ上で書いたようなことが説明してありました。

1970年代後半から、調査対象者にとってセンシティヴな内容を尋ねる調査においては、調査の運営や実践の点で改良が重ねられ、自己具体的には、特定の行為に関する質問(暴力被害の具体的な例示による概念測定の妥当性の確保)、調査員を対象とした事前訓練および調査員からの事後報告、回答者と調査員の安全確保、回答者に対する当該地域の法的支援や社会サービスの紹介などである申告式調査が出現した。それは、社会調査に重要な革新をもたらした。p.182

とかで、この時期から(先進国では)警察とかのデータにとどまらず、もっと暴力被害をしっかり把握しようと努力しはじめたってことですね。

KossのSexual Experience Survey (SES)では、女性が望まない性被害をどのようにとらえるのかという問題を扱った。SESでは強制わいせつや強姦未遂、強姦など広範囲にわたる性被害について尋ねているが、回答者によって理解が異なってしまうような「暴力」や「強姦」といった言葉は使用せず、特定の行為に関する質問──例えば「望まない性的経験の行為」や「加害者が性行為を強制するために用いた行為」──から構成されている(Koss et al. 2007)。……その結果、これらの調査手法はひろがりを見せ、アメリカのNational Crime Surveyをはじめ、British Crime SurveyやCanada’s 〜において、質問文の表現や調査のプロトコルが改善されていくことになる。(p.183)

ということで、こうした調査では最初から「暴力をふるわれましたか?」「レイプされたことがありますか?」のような質問は避けることになっているわけです。

プライバシーにかかわる調査については、調査員がいると答えにくいんじゃないのかという疑問がたしかにあるわけですが、

〔WHOの調査〕においても、調査員の選定と研修が各国でなされている。調査対象者がその被害経験を回答するかどうかは、調査員の性別、年齢、態度、対人関係の取り方に拠るところが大きい。調査員は、調査を遂行するための基礎的な学力のほか、異なる背景を持っている人々と共感的にやり取りできるかどうか、センシティヴな問題を扱えるかどうかといった基準で選ばれる。(p.184)

共感的な調査員がいた方がうまく聞きだせることもあるかもしれないので、優秀な人々を送りこみましょう、ってわけですね。

IVAWSでは、たんに暴力の被害に遭ったかどうか、強姦の被害に遭ったかどうかという聞き方はしていない。例えば、身体的暴力では「あなたは傷つけたり脅したりできるような物を投げつけられたりたたかれたことはありますか」というふうに、具体的な行為内容を示した上で経験の有無を尋ねている

何回もくりかえしますが、こういうのは現代的な調査ではちゃんと考えてあるわけです。

しかしそれでもうまく聞き出せないことは当然あるわけで、それがこの種の調査の難しいところですよね。調査員使うと回収率も下がるし。調査員の腕の差も出やすいだろうし。へたすると二次被害とかも引きおこしていしまうわけで。津島先生たちもそれは痛いほど理解している。

「本当の事は回答しにくい」これは、回答者の一人が調査員に漏らしたことばである。この発言からは、自分の私事を他人に打ち明けることがいかに難しいかが読み取れる。(p.188)

調査員の研修も、調査についてのいろいろな知識や、ロールプレイを含めたいろんな準備とかしてるみたいです。EUでは研修4日やるんだけど、今回の津島先生たちのではいろんな事情から1日しかできなくて無念、みたいなのもありました。真面目な先生たちだと思う。

ちなみに法務省の暗数調査の問題点は、痴漢やセクハラのような性暴力被害を調査してない点で、内閣府の男女間の暴力の問題は被害に関して簡略化された設問となってること、そして両者ともに留置(自記)なので妥当性や信頼性に問題があることだと思います。この件で、ちょっと法務省のと内閣府のやつの「届出率」みたいなのの違いに言及したツイートも見ましたが、それがその理由の一つかもしれない。

References   [ + ]

1. これ、龍大のページではWORDのままで開けない人がいるかもしれないので、PDFにしておきますね
2. っていうか、それの結果見ると、「「暴力をふるわれた側にも非があったと思うから暴力にはあたらない」みたいな混乱した回答もアリってことになってますがな。こんな調査で大丈夫なのか。

ルソー先生、あなたの弟子たちが性犯罪に手を染めています(『恋愛工学の教科書』)

以前、ルソーの『エミール』に見られる性暴力の危険性について書いたのですが、あれから250年近くたってもルソー先生と同じ連中はいるわけです。

さて、ここまで密室に移動してからセックスまでのプロセスを見てきましたが、どのプロセスでも女の子は抵抗を見せるはずです。……S[セックス?]フェーズでの抵抗はさらに激しいものとなります。

なぜこのような抵抗(関門といってもいいかもしれません)があるのかと言うと、女の子はセックスすると妊娠する可能性があるので、優秀な遺伝子を選別する必要があるわけです。関門を設けてそれをくぐり抜けることができるGood Genesかどうかを本能的にテストしているわけです。

しかし、その抵抗がテストのための形式的なものか、本当に嫌がっているかは、よく見極める必要があります。行き過ぎると、レイプで訴えられるリスクもあります。

ここでの見極め方としては、力の入り方が挙げられます。女の子はか弱そうに見えて、全力で力を入れると結構強いのです。クリタッチのあたりで、女の子の又に手を入れる際に抵抗して手を掴んでくると思いますが、このときの力の入れ具体をよく見ていた方がいいでしょう。男の力か、というくらい強い力で抵抗されることがあありますが、これはおそらく本当に嫌がっています。

逆に、「いや、全然力入っていないやん」と思ったり、数秒抵抗しただけですぐにやめてしまう場合は、形だけの抵抗だったと言えるでしょう。

このように、抵抗は女の子の性質上、絶対に存在します。その抵抗を額面通りに信じて、やめてしまうのは非モテのマインドです。本当の抵抗なのかどうかという点を常に検証した方がいいでしょう。(pp.222-223、下線は原文ゴシック)

私はこういうのが実際にどうなっているのか全然知りませんが、この筆者は、(1) 女子が本気で嫌がっていることがありえることもありえるのを自覚しながらも、(2) その抵抗が弱い場合には本当の抵抗ではないので、形だけの抵抗であると疑って、とりあえずチューと「クリタッチ」ぐらいしてみるべきだ、と主張しているわけですね。そして強い抵抗でないのは抵抗でないのでもっとした方よい。「未必の故意」みたいなもんですわね。

これは生活道路を自動車でぶっとばしてるようなものですね。もしかすると人を轢いちゃう可能性もあるけど、とりあえずぶっとばしたいからぶっとばす。べつにぶっとばす必要なんかなにもないのに。安全第一なら、問うべきは当然「抵抗してないように見えるけど実は嫌がってるのではないか」でしょう。

まあ女子のみなさまにおかれましては、こういう思考をする人々はけっこういて、ネットで情報交換したりしている、ってことを知っておいた方がいいと思います。

さっきのルソー先生の話もぜひ読んでおいてください。

ちなみに、草食系男子へのアドバイスでもとにかくおずおず同意をとったりしないでやってしまえ、ということが言われることがあるので、論文にしてみましたのでよかったら読んでください。まああんまりまじめに女子とセックスの同意を確認する、というのは非モテ思考である、というのはかなり一般的なようです。

 

最近活躍している谷田川知恵先生の強姦被害者16万という数字は雑すぎる

下のを書いたあとに、問題はもっと複雑だし、たしかに性暴力被害の問題は深刻だよなと思って消してたんですが、まあ一回公開したものだし置いときます。また考えなおします。


谷田川知恵先生という方は実は前から注目していて、どういうかたかわからないのですが、いろいろ雑な印象があります。ジェンダー法学会が出してる「講座 ジェンダーと法」シリーズの『暴力からの解放』(2012)での谷田川先生の「性暴力と刑法」から。

年間16万人の女性が強姦されているが、警察に届けられるのは数%にすぎず、検挙、起訴されて有罪が言い渡される加害者は500人にすぎない—-暗数が有罪人員の300倍にもなるのは女性差別の強い異国の話ではない。日本である。

16万人というのはすごい数で、これはほんとうに早急に対策打たないとならないと思います。私はとりあえずセックス禁止、セックス免許制がいいと思いますね。レイプしない講習を受けて、ペーパーテストと実技験受けて、合格者だけがセックス可能にして、違反があったらすぐに免許取り上げ。

しかし谷田川先生はどっからこの数字をもってきたのでしょうか。暗数が300倍というのは異常すぎます。
性犯罪の暗数はみんな興味があるのでいろんな数字が出されていますが、300倍というのはさすがに見たことがない。

谷田川先生のこの解釈はずいぶんオリジナルなもので、例の内閣府の調査から自分で解釈しています。

内閣府男女共同三角局「男女間における暴力における調査報告書」(2012)では、全国20歳異常から無作為抽出された女性の1.25%が過去5年かんに「異性から無理やりに性交された」と回答しており、5年以上前であった者を含めて3.7%しか警察に連絡・相談していない。日本人女性人口が6,500万人として年間0.25%の16万人が「無理矢理に性交」され、警察へは6000人ほどしか連絡・相談していないと推計できる。この調査は2005年から3年ごとに行なわれているが、この傾向に大きな変化はない。警察では相談のみで告訴のない強姦事件の立件は稀であるから、2010年犯罪統計における強姦認知件数が1,289件、検挙件数が995件であることは推計と矛盾しない。同年検察統計における強姦起訴率は45.2%、検挙件数は568件。同年司法統計では、強姦単独の統計はなく、「わいせつ、姦淫、重根の罪」の総計で地裁における通常第1審の無罪判決は5件。(p.197)

ということです。あれ、なんかへんだな思って平成23年の調査みたのですが、これですよね。
http://www.gender.go.jp/policy/no_violence/e-vaw/chousa/pdf/h23danjokan-8.pdf

これは「異性から無理矢理に性交された経験の有無」を聞いて(7.6%)、さらに「あり」の人のなかから5年以内に被害を受けた人を特定している(16.4%)。0.076 * 0.164%ってんで0.0125ぐらい、ってんで女性の1.2%が5年以内に被害を受けてます。たしかにこれは少ないように見えてたいへんですよね。でこれを5年間でわって1年あたり0.24、まるめて0.25%ですか。ここまでは(こういう紹介の仕方がフェアなのかどうかはわからないけど)よい。

でも、これって、被害をうける女性の年齢を考えてないっしょ。
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/62/nfm/n62_2_6_2_1_6.htmlにあるとおり、20代と30代がほとんどなんよね。だから女性全体の6500万人に(簡単に)拡大してはいけない。まあ「あらゆる年代・特徴の女性が強姦の被害者になる」っていう例の反レイプ神話的フェミニスト立場の反映でしょうが、なんの根拠もなくそういうことしていいんですか。

年間500件の強姦有罪件数を16万件に引き上げることを目指すなら、男性による女性の同意の主張をいっさい認めないことが有用であろう。……要するに、男性が女性の同意を主張するには客観的証拠を必要とするのである。 (p.193)

 

なんですかこれは。

フェミニストとか性暴力とか、本気でこの問題考えたいひとはちゃんとやってくださいよ。谷田川先生は最近話題になったニューヨークタイムズの記事のインフォマントみたいだし、立憲民主党だかの政策にもかかあわりつつあるみたいだし、ちょっと心配しています。

(追記 2019/05/11) 偉い先生が計算してみてくれました。→
「男女間における暴力における調査報告書」の「異性から無理やりに性交された経験」の被害率を補正してみた

まあ、おそらく万の単位で被害者がいるだろうっていうのは問題だと思うのです。そんなに「盛る」必要はないので、淡々と事実を推測していけばいいと思う。

ブックガイド:性暴力に関するフェミニスト文献古典

某授業用ブックガイド。作成中。


とりあえず若い女性・男性には以下の2冊読んでおいてほしい。

デートレイプってなに?―知りあいからの性的暴力 (10代のセルフケア)
アンドレア パロット
大月書店
売り上げランキング: 698,085
女子のための「性犯罪」講義―その現実と法律知識 (Social Compass Series)
吉川 真美子
世織書房
売り上げランキング: 461,735

下は「強姦神話」というアイディアを展開した本で非常に大きな影響力があった。内容は40年もたった今ではさすがに古いと思う。

レイプ《強姦》―異常社会の研究 (1976年)
ジーン・マックウェラー
現代史出版会
売り上げランキング: 1,407,051

下も同じころにさらによく読まれ、フェミニズト的な性暴力理解の基本。いまでも手に入りやすい古典。マスト。1970年代から90年代ぐらいの主流の考え方。

レイプ・踏みにじられた意思
スーザン ブラウンミラー
勁草書房
売り上げランキング: 197,601
性と法律――変わったこと、変えたいこと (岩波新書)
角田 由紀子
岩波書店
売り上げランキング: 104,142

↓非常に重要な文献で、ブラウンミラーらの解釈を批判している。これを読まないと議論できない。マスト。女性のみならず、男性こそ絶対に読むべきだ。

人はなぜレイプするのか―進化生物学が解き明かす
ランディ・ソーンヒル クレイグ・パーマー
青灯社
売り上げランキング: 560,178

男性も女性の不快さを理解していないだろう

前のエントリのピンカー先生の「求めてもいない突然のセックスを見知らぬ他人とすることになるのは魅力的どころか不快なことであるという心理を、想像することができない男性の視野の狭さ」(ピンカー 下巻p.58)っていうのは重要で、私の根拠のない推測によれば、こういう不快さがまわりまわってポルノやセクハラに敏感で批判的な女性の多くのバックにあるんじゃないかと思われます。

ピンカー先生や、その解釈のもとになってるバス先生やソーンヒル&パーマー先生組なんかの進化心理学者の解釈によれば、女性にとっての大きな課題の一つは望ましくない相手とセックスしてしまわわないことで、特に暴力とかそういうの使われてセックスされて妊娠させられてしまうのを避ける心理メカニズムが発達しているはずだ、と。

twitterとか見てるとけっこう頻繁にポルノや萌え系アニメ・ゲームとかの話題になるのですが、そういうときに男性の側はそういうのがわかってないんじゃないかと思うときはありますね。

「酒の席でちょっとぐらい下ネタの話してもかわまんだろう」「風俗行くのぐらい普通だから職場の雑談のなかでそういうのが出てもしょうがない」「エロマンガぐらい自由に見てもいいだろう」「なにカリカリしてんだお前らみたいな女のことはそういう対象にもなっとらんわ」とかっていうタイプの意見もあるかもしれませんが、そういう相手の見境のないimpersonalなセックスを求める男性的な性欲のあり方それ自体に女性は警戒するようになってる可能性がある。実際、職場関係者から強制的に性的にアクセスされたりレイプされることもあるわけだし、そこまでいかなくてもしつこくされたりストーカーその他面倒なことになるとかっていうのは非常によくあることなわけだから、女性にとってそういう性欲のあり方をおおぴらに公言したりする人々ってのは脅威であるだろうと思いますね。抽象的に「男性とはそういうものだ」みたいなことを理解しているつもりでも、実際に目の前の男が性欲まるだしだったらやっぱり警戒せざるをえない。「私は家でこれこれこういうポルノを好んで見ておりまして、あれはよいものですな」とかっていってるオヤジがいたらやっぱり警戒せざるをえない。そういうのって不快でしょうなあ。

まあそういうんで、ツイッタとかで大学関係者が「おっぱい、おっぱい」とかやってるのを見るとちょっと気になりますわね。ああいうの読む女子学生様とか不快になってるんちゃうかな、みたいな。

「女性だって家帰ったら薄い本とか読んでんだから」とか言う人もいるかもしれないけど、そりゃ女性向けにある理想化をされたポルノであって、職場や学校でうろうろしているダメな男たちの性欲について知りたいとも思わんだろう。気を許しているとヤラれてしまうし。女性たちが「なんで年柄年中まわりの男たちの性欲がどういう状態にあるか気にしてなきゃならんのか」と思うのはまあ当然のことだろうなあ、みたいな。腐女子と呼ばれている人々が「自重!」とかってやってんのも、彼女たちの性的なファンタジーと性欲の存在が男性に知られると集団として性的にアクセスしやすいと勘違いされる可能性があって、そこらに対する防衛なのかもしれんな、とか。まあそういう性的欲望(とその逆の性的嫌悪)に関してはいろいろ謎が多いですなあ。

 

 

人はなぜレイプするのか―進化生物学が解き明かす
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女と男のだましあい―ヒトの性行動の進化
デヴィッド・M. バス
草思社
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一度なら許してしまう女 一度でも許せない男―嫉妬と性行動の進化論
デヴィッド・M. バス
PHP研究所
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犯罪被害を避ける(2) 押しつけに抵抗する

まあ女子大生とか立っていようが座っていようが、息を吸ってるだけで犯罪のターゲットになるような存在でたいへんだと思います。もっと安全な社会が来るとよいとは誰もが願っているわけですが、いまのところまだ人類はそんなに安全な社会を作り出すことに成功していません。日本なんか治安って点ではまちがいなく世界トップのはずですが、それでもいろいろたいへんですよね。

安全な社会を作り犯罪被害を避けるのが難しいのは、被害者になる可能性のある人々が用心するのに合わせて犯罪者予備軍の方々も知恵しぼってパワーアップしてきているからで、ここらへん軍拡競争みたいなところがあります。対策してもその対策を上回ったり逆手にとるようなワザを使われちゃったりする。犯罪被害を避けるってことは、他の人を被害者にして自分は逃げるみたいなところがあるのでなんかあんまり自分の身を守ることだけを考えちゃうもどうかみたいな感じもします。

よく使う好きな話にこういうのがある。

二人の男が森を探検していると、熊に出会った。それに気づいた一人は、靴をスニーカーに履きかえはじめた。「おい、そんなことしてどうなるんだよ、熊より早く走ることなんかできないよ」「なあに、君より早く走ればいいのさ」

まあ熊から逃げることを考えるより熊のいない社会を作ることを考えた方がいいのかもしれませんが、そうもいってられません。人間の集団にはどうしてもやばい奴が一定数入りこんでいるし、ふだんはまともな人でも金とかセックスとかからむとヤバくなっちゃったりするし。つかまえた熊は当局ができるかぎり処分してくれているわけですが、熊が熊だとわかるまえに食べられちゃう人がどうしてもでてきちゃうし難しいところです。

性暴力についてはずいぶん前に「性暴力を避ける」てのを書いたことがあります。こういうのはどうも「被害者非難」とかっていって批判されちゃうか心配でしたが、まあそれほど批判はされなかったみたい。でもまあそう言われてもしょうがないところが若干あるかもしれないのでいろいろ用心はしてます。まあ私はどっちかっていうと加害者予備軍だしねえ。羊の皮を被った狼とか言われてみたいとは思っております。ウルフ教授とか呼ばれてみたい。

 

さて、まあ暴力的犯罪を避けるってんでおすすめの本となると、

暴力から逃れるための15章
ギャヴィン ディー‐ベッカー
新潮社
売り上げランキング: 833,569

このディーベッカー先生の『暴力から逃れるための15章』ってのはおもしろかったです。

基本的なメッセージは、「自分のカンを信じろ」につきます。やばそうな気がしたら実際にやばい。人間どうしてもいろいろ考えちゃってそういう自分の危険や不安の感覚を無視してしまうわけですが、それが一番危険だみたいな話になります。

ディーベッカー先生よれば、「自然がつくった最高傑作とも言うべき人間の脳は、その持ち主が危機に直面したときに、もっとも有能に働く」そうで、まあ危険を避けるには直感を信頼するのが一番よい、みたいな。危険信号には私たちはけっこう敏感なんですよね。それが入学直後とか夏の海とかはじめてのダンスクラブとか海外とか、そういう新しい人間関係ができる場所とか、刺激的な場面では、「この危険信号はまちがいなんじゃないか」とか疑っちゃってひどいめにあっちゃったりするそうな。不安を感じるときってのはやっぱりそれなりに不安を感じる理由があるわけですから、スリルを求めているのでなければ、そういうところに無理してつっこんでいく必要はない。

んでまあ犯罪者の方は犯罪をうまくやるために、被害者に危険信号に気づかれないようにいろいろしているわけです。でもそれ自体が一つの危険信号になるからそういうのにあらかじめ備えておこう、みたいな話をディーベッカー先生は上の本の第4章でしてます。ちょっとだけ紹介してみる。

仲間意識の押しつけ
「あなたとわたし」を「わたしたち」にしちゃうテクニックですね。同じ境遇にいることを強調して仲間だと思わせる。「困りましたねー私も~なんですよー」っ言われるとなんか仲間な感じしますからね。こうされてから「~してもらえませんか」とか「いっしょに~しませんか」って言われると断われなくなる。ディーベカー先生はそういう場合に無作法に思えても断わってかまわんと言ってます。「一般的に言って、親密な関係を築こうとする行為は好感がもたれる。だがその行為の裏にあるのは、たいていは利己的な動機だ」(p.63)ってことらしいです。
魅力と親切
魅力も能力。人を騙す人は最初は親切そうなんすよね。それに魅力的な様子やふるまいをとることも修得している。それにそもそもイケメン・美人は好感をもたれやすく、他人を支配する力をもってます。私なんかなに言っても言うこと聞いてくれる人がいない。ははは。これもまあ対策は難しいけど「きっぱり拒絶しなさい」ってことらしいです。
余計なことをしゃべる
だまそうとする人は余計なことをべらべらしゃべるらしいです。「ウソをつくときは、その話がどんなにもっともらしいものでも、話している当人にはもっともらしく聞こえないのから、余計なことをしゃべるのである」(p.65)らしいです。なんかこれありますよね。私も自信のないことしゃべってるときはいろいろ言葉が増える。
レッテルを貼る
「批判的な表現を使って女性にレッテルを貼り、それに反発するように仕向ける作戦である」(p.66)。うまいですね。「君は恐いんだろう」「まあ僕なんかキモオタは君には不釣り合いだろうからね」みたいな感じですかね。これナンパのテクニックの本でも見ました。
高利貸し
親切にしてそれ以上のものを返してもらうんですね。セールスとかの基本テクニックですよね。ロバート・チャルディーニ先生の『影響力の武器』は1回は読んでおきましょう。
頼みもしない約束
勝手に約束する。「プロ野球ニュース見たら帰るから」 1)昔はプロ野球ニュースという超人気番組があって、絶妙な時間にはじまるのでいろいろ利用されたようです。 とかってやつですね 2)もっとひどい例文を先に思いついたんですが、書くと人格を疑われるのでやめました。「先っち」からはじまります。 。こういう約束はなにも担保がない。ディーベッカー先生は、相手が約束すると言ってきたら「なぜこの人は、わたしを納得させる必要があるのだろうか?」と自問してみようと言ってます。
ノーの無視
私はこれが一番興味深いと思いました。やばい人は相手の「ノー」を気にとめなかったり無視したりする傾向があります。「荷物もってあげますよ」「ノー」「いや、もってあげますよ。ほらほら」みたいな感じね。「「ノー」に耳を貸そうとしない相手はあなたをコントロールしようとしている人間なのだ」そうです。話聞いてるように見せて、実はぜんぜん聞いてない人っていますよね。こういうひとは男どうしの関係でもけっこういるし、女性はそういう人にからまれやすいかもしれません。

これにどう対応するかが難しい。ノーって言っても無視されるんだから「いやほんとにけっこうですから、この荷物軽いし私けっこう力あるし」とか説明する必要はない。どうしてもそういうこと言いたくなりますけどね。

恥ずかしそうにおずおず「どうも。でもけっこうです(「Thank you, but~」かな?)、一人でできます」みたいに答える女性は被害者になりやすく、近よってくる男をまっすぐ見て手で相手を静止しながら「いえ、結構です(NO, thank youだろう)と答える女性は犠牲になりにくい」(p.70)そうな。先生によれば、とにかくもう「ノー」で完結した答でありそれで終りなのだと自信をもってことらしいです。あとは完全無視でかまわん。どうしても「ノー」のあとには相手の気分を害さなかったかと気になっていろいろ言い訳したり、なだめたりしたくなるものですが、そういうよい人であろうとする努力が危険を呼んじゃう。さっさと立ち去ってかまわない。

断わり方練習しときましょう。映画であのかっこいい女性が手のヒラを見せて「ノ!さんきゅ」って言ってるやつね。映画見ないひとは勝間和代先生の本の表紙でもいいです 3)本の中身は読んでないので知りませんし、このポーズと表情でいいのかどうか……まあおそらくこの気合いなら大丈夫でしょう 。練習しましょう。

影響力の武器[第三版]: なぜ、人は動かされるのか
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まあしかし

しかしまあこういう防衛的なことばっかり考えてると、行動が制約されちゃって、新しい人間関係を作りにくくなったり、人間の親切や人情に触れたりって経験をするチャンスを失なってしまうことになります。旅行行ったりできなくなっちゃう。人生に楽しみも潤いがない。人を疑ってかかるのもいやな感じ。なにより自由じゃなくなる感じ、不自由な感じってのはもういやなもんです。

山岸俊男先生という偉い社会心理学者の先生によれば、はじめっから防衛的になる「安心」を求めすぎる人はそういうわけであんまり成功しない。山岸先生は、狭い人間関係で「安心」を求めるだけじゃなくて、知らない人もとりあえずは「信頼」して協力していった方がうまく生きていくことができるだろう、みたいなことを提唱しています。ただしそういうのでうまくやってる人は、誰でもかれでも信頼してしまうんじゃなくて、相手が信頼できる人かどうかのシグナルに「安心」を求める人々よりも敏感であって、信頼できないとわかればさっさと縁を切る傾向があるそうな。まあ人を見るのはなにごとも基本。ある程度ケガしない程度の痛い目にあいつつ人々を見る目を養うのも一つの方針だと思います。

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)
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ベッカー先生の本はタイトル変えて出し直されたようですね。おすすめ。
暴力を知らせる直感の力 ──悲劇を回避する15の知恵 (フェニックスシリーズ)
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References   [ + ]

1. 昔はプロ野球ニュースという超人気番組があって、絶妙な時間にはじまるのでいろいろ利用されたようです。
2. もっとひどい例文を先に思いついたんですが、書くと人格を疑われるのでやめました。「先っち」からはじまります。
3. 本の中身は読んでないので知りませんし、このポーズと表情でいいのかどうか……まあおそらくこの気合いなら大丈夫でしょう

性暴力の被害を避ける:レイプ・デートレイプ編

はじめに

大学で性教育って(おそらくふつうは)やらないし、中高でもどうだったか私は記憶がありません。某女子大では春先の新入生オリエンテーションでちょっとだけ話があるようですが、どういう内容か知りません 1)どうも武道の紹介とかしているそうな。  。まあ私は男性なので性暴力の被害がどういうものかよくわかっていないのですが、なんか対策は必要なんじゃないかなとか思います。

正直なところ、私のような典型的な中年男が女子学生にアドバイスすることがあるのか疑問ですし、また、そういうアドバイスすることと、「被害者を責めるblaming the victims」とか結びつくと考えられることが多いので 2)これは学問的にも政治的にも非常に難しく興味深い問題なのですが、ここでは詳しく触れることができません。 気後れするところがありました。

最近、 Rathus, Nevid and Fichner-Rathus, Human Sexuality: In a World of Diversity: Allyn and Bacon, 2005 (6th ed.) 3)非常によくできてます。しかしとてつもなく高いので学生さんには手が出ないかもしれません。もし図書館にあったら目を通してみましょう。  という米国の大学生向け性科学の教科書を読んでいると、非常にプラクティカルなアドバイスが書いてありました。興味深いのでこれを紹介する形で私が考えていることを書いてみたいと思います。以下は正確な訳ではありませんが、上述の本のpp.618-619 あたりの記述をもとにしています 4)そしてその記述は The New Our Bodies, Ourselves (Boston Women’s
Health Book Collective, 1992)という本の内容に沿ったもののようです。
 。

Human Sexuality in a World of Diversity
Spencer A. Rathus Jeffrey S. Nevid Lois Fichner-Rathus
Pearson
売り上げランキング: 460,751

レイプ被害を避ける

性暴力の被害者になるのを避けるために、この本の著者たちは以下のことを勧めています。

  • 付近に住んでいる女性と合図を決めておく。

いきなりこれが出てきてすぐには何のことかわかりませんでしたが、なんか起こったらすぐに連絡できるように、ってことですね。レイプの多くは野外ではなく、室内で起きます。京都市内でもマンションに忍びこむタイプのけっこう起こっているようです。

壁をドンドンドンと叩いたら「うるさーいっ」って意味じゃなくて「助けて」なのよ、とかそういう感じで話をしておこうってことかな。携帯のワンプッシュでマンションの隣の人にかかるようになってるとか。一人暮らしでは近隣の女性どうしの連絡は非常に重要なわけです。とにかくなんか様子が変だったらお互いに連絡する、ってことをあらかじめ打ち合わせておくべきでしょう。もし、そういう打ち合わせをしていなくても、隣の部屋でへんな物音とか叫び声がしたら、チャイム鳴らしてあげるとか、電話してあげるとか、場合によっては警察110に電話するぐらいのことはしたいところです 5)私が学生のころに住んでいたワンルームマンションで、ある夜(深夜3時ごろ)、別の階の部屋のチャイムが何度も鳴らされていることがありました(たぶん女性の部屋)。鳴らしているのは若い男で、なんかいろいろ部屋のなかに話しかけていました。いかにもいわゆる「痴話喧嘩」。今思えば、そういうときに私がちゃんと出ていって、「何してんの?迷惑だから帰れ」とか言いにいくとか、せめて警察に電話ぐらいするべきだったと思います。他人のプライベートなことに口を出すのはどうも、というのがあるので、なかなかそういうことはしにくいのですが、おそらくあえてそうするべきときもあるのです。 。

  • 郵便受けやドアには苗字しか書かない。
  • デッドボルト錠を使う。

この「デッドボルト錠」がどういうものかわかりませんがバネ式じゃないドアの鍵ってことらしい。ふつうのマンションのドアでもちょっと前にピッキング泥棒とかはやりましたから注意!いつもチェーンロックもかけておきましょう。

  • 窓は鍵をかける。1階の窓には格子を入れる。
  • 通路には電灯をつけて明るくしておく。
  • 危険なアパートには住まない。
  • 見知らぬ人を部屋に入れない。セールスとか宅配便とかもちゃんと確認してから6)宅配便業者を装おった犯人とかもいました。 。チェーンは確認するまではずさないこと。

ここらへんはアパート選びのときに参考になりますね。特に通路の電灯のようなのは昼間に部屋探ししてもわからないので、目ぼしい物件は夜にも行ってみることをおすすめします。

  • 車に乗るため近づくときは、鍵を手にもって。
  • 車のウィンドウは閉めてドアはロックする。
  • ヒッチハイカーを乗せない(女でも!) 7)

    「男の子はヒッチハイクとかで冒険できるのに、なぜ女はできないのだ!」と不満を感じるのは理解できます。 。

  • 車に乗る前にバックシートに誰か潜んでないか覗きこむ。

車社会のアメリカらしいアドバイスですね。暗い駐車場の車の前で、ハンドバッグごそごそやっているときにどっかに引きずりこまれたり、車を乗っ取られたりすることを警戒しているわけだ。

  • 夜道を一人で歩かない。
  • 人気のないところに行かない。
  • 道端で知らない人と話をしない。

こういうアドバイスってのは色々考えてしまいます。「なんで女だからって行動を制約されるの?悪いのは性犯罪者だ!」はその通り。しかし、紹介している本を書いている人々はこう言っています。

情報を提供することと、被害を受けた人を責めるのことではありません。性犯罪については **常に**犯罪者に責任があるのです。

  • 助けを呼ぶときは「痴漢!」ではなくて「火事だ!」と叫ぶ。

これはどうなんでしょうね。この国の社会と女性の場合、とにかく声を出すのがまず先決だろうと思います。若い女性の多くは大きな声を出すことに慣れていないので、まずその練習をしておくべきだろうと思います。「ギャーっ」「助けてー!」とかちゃんと叫べますか?カラオケとかで叫ぶ訓練しておいてください 8)最近、女性が電車のなかでレイプされたのに、誰も助けなかった、という事件がありました。もし女性が一言でも叫ぶことができれば、話はぜんぜん違っていたのではないかと思います。人びとが動き出すにはなにかのキュー(合図)が必要なのです。 。

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/anzen/seiki_t/jyosei_manyual/index.html ← このページにあるPDFも読んでおきましょう。

2007年3月に中京区富小路通四条上ルあたりで女性が車に乗せられて拉致される事件が起きたようです。何度も書くように、車に乗せられると最悪の事態が予想されます。なにがあろうが絶対に車には乗せられないこと。大声で叫ぶこと。

デートレイプ対策

しかし上のようないかにも「犯罪」ってのに気をつけるスベは、女性なら誰でもだいたいわかってるんじゃないかと思います。

でも実際にはレイプの大半は、知らない人が暗闇から襲ってくるとかではなく、むしろ、あなたの友達や知り合いとデートしたりドライブしたりしているときに起こるのだと言われています。そのための対策が必要なわけです。

  • デート相手に、あなたが許せるリミットをちゃんと伝える。

これは難しいんじゃないかと思いますが、どうなんでしょうね。

たとえば、あなたの相手が、あなたが不愉快だと思うようなことをはじめたら、こう言いましょう。「そこは触らないでちょうだい。あなたのことは好きよ。でもまだあんまりよく知らないからそんななことまではしないでいたいわ。 “I’d prefer if you didn’t touch me there. I really like you, but I prefer not to get so intimate at this point in our relationship.”

まあ日本語では別の表現もあると思いますが、正直なところわたしにはよくわかりません。少なくとも上のじゃだめなような気がする。よく考えておいてください。

  • はじめてのデートは人のいる場所で。喫茶店とか映画館とか。いきなりドライブはだめ。
  • あまりよく知らない人やグループとドライブはしない。

グループだから安心と思ってはいけません。デートレイプの多くの事例では、グループだと思ってたのに、暴行の直前には他の人たちが消えていた、ってのも多いそうです。「おーよー、あの子たち連れこんでやっちゃおうぜ。あそこで別々になってよ」とかいうやつですね。危険。

まあ、知らない人の車に乗ったらまずアウトだと思っていいんじゃないかな。「友達の友達」なんてのも、信頼できる友達の本当の友達なら大丈夫でしょうが、実は知り合いの(これまた)タダの知り合いなんてことも多いようなので、ぜんぜん信用ならんのではないかと思います。わかりません。私は怖がりなので、なんとも言えないところです。

  • はっきりと拒絶する。まっすぐ相手の目を見て口に出して返事する。よりはっきり返事をすれば、誤解される可能性が少なくなる。

「うーん、でもー」とかやってるといつまでたっても終りません。相手は誘惑しようとしたり攻撃しようとしているのだから、弱味を見せればつけこんでくる。目を見て「本気だ」というところを見せつける必要がある。こりゃたいへん。

  • 自分の「恐れ」に注意する。相手の気分を害するかもしれないっていう恐れが、はっきりしない態度につながってしまうかもしれないことに注意。もし相手があなたにちゃんと敬意を払ってくれれば、あなたは恐怖や恐れを感じる必要はない。

相手があなたに敬意を払ってくれないのなら、すでにその時点でかなり危険なので、その場できっぱりとサヨナラしてしまう方がよい。ドライブはこれができないので危険なのよね。

  • 自分の「感じvibes」に注意を払え。自分の生理的な感覚(gut-level feeling)を信用しろ。

これ、個人的には非常によいアドバイスだと思います。そういう生理的な感覚ってのは、我々の頭より信用になる場合が多い。「デートレイプの多くの被害者は、事後になって、相手の男性に対して奇妙な感覚を感じたが、それに注意を払わなかったと報告しています」ということらしいです。

まあどんなときでも自分の感覚を信じれば大丈夫なんてことは絶対にありませんが、男女関係についてだけはそういうことありそうな気がするなあ。「なんかヘンだな」と思ったらだいたいその相手はヘンなのです。「ヤバいかな?」と思ったら実際にヤバい。

  • 新しい環境(大学に入学したとか、新しい友達ができたとか、外国旅行しているとか)では特に注意すること。

そうですね。よく知っている環境ではなにが危ないか知っているわけですが、新しい環境とか知らない場所、知らない人々では、自分の感覚が信用できなくなっちゃうからね。

  • 好きじゃないひと、好きになれないひとと関係を切ったら、そのひとを自分の部屋に入れないこと。多くのデートレイプは元彼・元夫によってなされています。

そうなんだろうなあ。つまり(1)もと彼、(2)知りあったばかりの人、が危ない。でも危いひとは他にもいるぞ。「別れ話は電話か喫茶店で」とかってアドバイスも目にしたことがあります。

どうやって逃げるか

しかし実際にそういう奴に遭ってしまったらどうするか、ってのは非常に難しい問題のようです。逃げるか、抵抗するか、泣くか、お願いだから許してと頼むか、冷静に説得するか。とりあげている本でもはっきりした答は出してません。つまりそういう危険な状況に置かれたときに、どうすりゃ助かるかはわからんのですね。いやな話です。とにかく、

  • 叫ぶのは効果がある場合が多い。
  • 相手が一人の時には走って逃げるのもよい、でも相手が複数の時はまずだめ。
  • 力ずくで抵抗するのも時にレイプ自体を避けるのには有効、でもある種の犯人をよけいに興奮させてケガする危険がある。

ってことらしい。

私が見た他の研究 9)Buss, David M. (2003) The Evolution of Desire: Strategies of Human Mating: Basic Books, revised edition. では、

  • レイピストの多くは肉体的な抵抗に会うとあきらめることが多い
  • レイピストが被害者の生命を奪うことは少ない。

という結果があるらしいのですが、あまり自信がありません。少なくとも車に乗せられたらどっかに埋められるなんてことまで心配しなければなりません。以前に米国の女性雑誌を読んでいたら、

  • ピストルで車に乗るよう脅迫されたときは、ジグザグに走って逃げるのが一番生存する確率が高い。

とかって記事を見つけて、実践的すぎて驚いたことがあります。ジグザグに走らないと後から撃たれる可能性があるからですね。ひどい社会だ。まあ日本でも、おそらく、

  • ナイフなどをちらつかせられて「車に乗れ」と脅された場合、乗ってしまった方が乗らないよりひどい結果になる

は言えそうな気がします。

とりあえず、A. パロット, 『デートレイプってなに?:知りあいからの性的暴力』,大月書店.冨永星訳, 2005 は一読しておく価値があると思います。

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セクハラについてはまた今度。

 

References   [ + ]

1. どうも武道の紹介とかしているそうな。
2. これは学問的にも政治的にも非常に難しく興味深い問題なのですが、ここでは詳しく触れることができません。
3. 非常によくできてます。しかしとてつもなく高いので学生さんには手が出ないかもしれません。もし図書館にあったら目を通してみましょう。
4. そしてその記述は The New Our Bodies, Ourselves (Boston Women’s
Health Book Collective, 1992)という本の内容に沿ったもののようです。
5. 私が学生のころに住んでいたワンルームマンションで、ある夜(深夜3時ごろ)、別の階の部屋のチャイムが何度も鳴らされていることがありました(たぶん女性の部屋)。鳴らしているのは若い男で、なんかいろいろ部屋のなかに話しかけていました。いかにもいわゆる「痴話喧嘩」。今思えば、そういうときに私がちゃんと出ていって、「何してんの?迷惑だから帰れ」とか言いにいくとか、せめて警察に電話ぐらいするべきだったと思います。他人のプライベートなことに口を出すのはどうも、というのがあるので、なかなかそういうことはしにくいのですが、おそらくあえてそうするべきときもあるのです。
6. 宅配便業者を装おった犯人とかもいました。
7.

「男の子はヒッチハイクとかで冒険できるのに、なぜ女はできないのだ!」と不満を感じるのは理解できます。

8. 最近、女性が電車のなかでレイプされたのに、誰も助けなかった、という事件がありました。もし女性が一言でも叫ぶことができれば、話はぜんぜん違っていたのではないかと思います。人びとが動き出すにはなにかのキュー(合図)が必要なのです。
9. Buss, David M. (2003) The Evolution of Desire: Strategies of Human Mating: Basic Books, revised edition.

角田由紀子先生の強姦事件判決批判

(3エントリに分けていたものを統合しました。)


これはよい本だなあ、と思っていたのだが。

次に詳しく紹介する1994年の東京地方裁判所の判決は、強姦罪の被害者になりうるには、貞操観念が強固であることを求めているといってよい。「被害者資格」と呼んでもよい。(p.189)

判決は無罪の理由の一つに被害者の証言が信用できないことをあげている。信用できない理由の一つとして、この女性に大きな落ち度があったこと、「貞操観念」に乏しいことを指摘した。(p.190)

A子のように、「淑女ぶって」いながら、実は性的に奔放で慎しやかでないと烙印を押された女性の被害はなかなか信用されないことを、この判決は示している。(p.193)

こういうのを読んで、先週まで私は「90年代になっても法曹関係者はだめな人ばっかりなのだなあ」と思っていた。のだが。

でも判例時報 1562号「強姦致傷事件、東京地裁平5(合わ)167号、平成6・12・16刑八部判決、無罪(確定)」ってやつ読むとずいぶん印象違うよ。困ってしまう。これで有罪にするのは無理だろう。

うーん、比べて読んでほしいのだが、裁判所の判例データベースhttp://www.courts.go.jp/search/jhsp0010?action_id=first&hanreiSrchKbn=01 は使えん。だめか。

とりあえず角田先生が引用している判決の一部再掲。

(A子は)「甲野[ディスコ]で声を掛けられた初対面の被告らと「乙山[スナック]」で夜中の3時過ぎまで飲み、その際にはゲーム[エロ系王様ゲーム]をしてセックスの話をしたり、A子自身は野球拳で負けてパンストまで脱ぎ、同店を出るときには一緒にいたD子、E子と別れて被告人の車に一人で乗ったというのであるから、その後被告人から強姦されたことが真実であったとしても、A子に大きな落ち度があったことは明らかである。(角田p.190。[]内はkalliklesの補。)

A子については、慎重で貞操観念があるという人物像は似つかわしくないし、その証言には虚偽・誇張が含まれていると疑うべき兆候がある。(角田p.193)

たしかにここだけ読めば「これはひどい」だよなあ。この本読んでから5年近くずっとそう思ってた。なぜ被害者の「落ち度」や「貞操観念」や(面倒だから引用しないけど)過去の職業歴が強姦致傷の裁判で問題にされる必要があるのだ!男権主義的司法制度粉砕!ってのが正しい態度だろう。

しかし(面倒なので今日はやめ。続く。)


の続き。

しかし判例時報 1562号の「強姦致傷被告事件において、被害者の信用性が乏しく、和姦であるとの被告人の弁解を排斥できないとして、無罪を言い渡した事例」を読むと、ずいぶん印象が違う。

事件は物証とかがないので、「証言の信用性」が問題とされたらしい。被告人の言い分は「乙山からA子を送っていく途中、同女がワゴン車内で嘔吐したことからトラブルになった」ってことらしい。

そもそも受傷状況についてもいろいろ問題があるようだ。

結局、アないしケの証拠を総合しても、本件の直後にA子が左下腿部・両側大腿部の諸々に皮下出血の傷害(全治約1週間)を負っていたことが確認できるだけであって、それ以上にA子に本件に起因する受傷が存在したと認定することはできない。

ってことらしい。それくらいは酩酊状態でもどっかにぶつけてもできるだろう、ということらしい。問題は、A子さん側がどうも傷を大き目に訴えていたらしく、

逆に、これらの傷害に関する証拠を比較検討しただけでも、A子やD子らA子側の者の証言等に客観的事実に反する部分やことさらに誇張した部分が含まれている疑いが濃厚であるということができる。

ここらへんで裁判官の心証がかなりわるくなっている。

さて、問題の箇所。

このようにA子は、自分は一応慎重に行動していたという主旨の証言をしている(特に、第12回公判では「セックスすることを承諾したと受け取られるような言動は全然していない」と証言する)。しかしながら、A子証言によっても、「甲野」で声を掛けられた初対面の被告人らと「乙山」で夜中の3時すぎまで飲み、その際にはゲームをしてセックスの話をしたり、A子自身は野球拳で負けてパンストまで脱ぎ、同店を出るときには一緒にいたD子、E子と別れて被告人の車に一人で乗ったというのであるから、その後被告人から強姦されたことが真実であったとしても、A子にも大きな落ち度があったことは明らかである。

やっぱりこの判決文はどうかって感じだ。ちなみに被告人側の証言なんか考慮に入れた裁判官の推測では、「A子はパンティーまで脱いで振り回したのではないかとも疑われる」らしい。

以上のようにA子は、初対面の被告人らの前で、ゲームとはいえセックスに関する話を抵抗なくしている上、少なくともパンストまで脱いでこれを手に持って振り上げるという大胆かつ刺激的な行動をとっているのであるから、かなり節操に欠ける女性であると言わざるをえない。

と判決文は結論しているのだが、これも「節操に欠ける」とはなんだかなあという感じもある。大酒飲んで王様ゲームして、露骨なセックスの話をしてさらにパンツ脱いで振りまわして一人で男の車に乗ってしまったら、強姦されても当然とはとても思えないし。「落ち度」と呼ぶのはたしかにあれなんだけどね。うーん。

でもまあそういう判決文の書き方はともかくとして、問題はA子さんやその友人のD子さんの証言がどの程度信用できるかってところなのね。んでかなりそれが疑わしいというのが裁判官の判断。そっちがポイントで、A子さんのセルフイメージや、彼女自身の裁判での主張と、A子さんを「客観的」に見た場合の評価との食い違いを、A子さんが十分に認識できてないんじゃないかとか、そういう感じ。「落ち度」があったから強姦されても当然とか、派手な生活をしていたから信用できないとか、そういう判決ではない(おそらく一応のところは)。

うーん。んで、

A子は、「乙山」における言動及び同店を出発する際の状況に関し、和姦の可能性を曲げて証言していると認められるから、A子証言のうち被害状況に関する分(すなわち核心部分)についても慎重に判断する必要がある。そこで、被害状況に関するA子証言を子細に検討すると、次のとおり、不自然、不合理な点が多く見られるのである。

(略)

以上のとおり、A子証言の確信部分というべき被害状況自体に関する部分にも、不自然、不合理な点が数多く存するのである。

とされちゃってる。まあ判決文を読むかぎりでは、これで有罪にしちゃうとやっぱりまずいだろうという感じ。うーん。

判決文から私が推測したのは、おそらく、被告とA子さんはセクースするまではなかよしだったけど、セクース終ったあとでA子さんが車のなかでゲロを吐くことになり、セクース終ってしまえば女性よりも車が大事な鬼畜被告が怒ってA子さんに対してひどい扱いをして、さらにA子さんにとってはあんまり仲のよくない(一応)ボーイフレンドFさんとの関係もあって、D子さんと口裏あわせて訴え出たのだろう、鬼畜な被告人にはなんか罰を与えてもよいような気もしないではないが、でもこれを有罪にするのは「疑わしきは罰せず」の原則からしても無理だと裁判官は思っているようだ、ってことかなあ。なんだかなあ。なんか気分が落ちる。

まああんまりおもしろくならなかったけど、角田先生のこの本のこの部分に関しては?マークがついちゃう感じ。角田先生の本読んでこの部分に優れたものがあると思っていた人は、判例時報の記事を入手してみてください。まあ角田先生の主張にとって、あんまり適切な判例ではないような気がする。「落ち度」とか「節操」とかって表現がアレなのはそうなんだけどね。正直なところ、私はどう考えたらいいのか困ってしまった。

もちろんこういう事件が重大であるし、スーザン・エストリッチの『リアル・レイプ』その他多くの文献をひきあいに出すまでもなく実際に被害を受けた人が訴えたり裁判で勝ったりするのはほんとうに難しいのだろうし、それはなんとかしなきゃならん(被害の発生を防ぐのはもちろんのこと)のはそうなんんだけど、角田先生が主張しているように貞操観念が薄い女はそれだけで信用ならんとか強姦されて当然だとかってことを司法関係者が思っているだろうってことではないような気がする。わからん。

ちなみに書いておくと(あんまり書きたくないけど目にしちゃって書かないのも あれだ 1)この件書きはじめたときは岩国の事件についてはほとんど考えてなかった。本当。 )、岩国の米兵レイプ事件不起訴についてで署名活動をしようということらしいけど、大丈夫なのかな。

広島地方検察庁は、「本件の事案の性質」を理由として、不起訴とした根拠の説明を拒みましたが、被害者のプライバシーに配慮しながらも、説明責任を果たすことは可能なはずです。

というけど、上のような判決文を読んでしまうと、そんな簡単ではないように思う。どうもセカンドレイプというか被害者バッシングや、「夜中まで遊んでいる」女性一般に対する社会的な非難感情を引き起こしてしまいそうな気がする。上のA子さんの事件について判決文写経しているだけでさえ、いろいろ気になる。この記事消すかもしれん。

もちろんアジア女性センターが被害者側と連絡がとれてたり裏が取れてればそれでいいんだと思うけど、そうなのかな。そうじゃなくて「とにかく情報を出せ」と主張しているのなら、なんか心配。そういの、どうなんだろうなあ。困り。


続き。

p. 194からの事例。

角田先生は、現在の法廷で、性暴力の被害者としてみとめられるには、貞操観念がしっかりした女性であることが要求されるという意味のことを主張している。貞操観念がしっかりしていることが、「被害者資格要件」であり、それにあわない女性は性暴力の被害を認めないという風潮が法曹関係者のあいだに根強いってわけだ。

「被害者資格要件」がもっともらしく議論されるのは、性暴力犯罪の場合だけである。できるだけ、この犯罪の成立を認めたくないという暗黙の願望がその根底にあるのではないだろうか。・・・女性に対する人権侵害を温存することで、利益を得るのは、あるいは、既得権を守りたいのは誰なのか。(p. 194)

疑問文でおわっているが、答はおそらく「集団としての男性」なんだろう。

で、今回見たのは角田先生がそういう事例の典型としてあげてる『判例タイムス』No. 796 (1992.12.1)の「事前共謀による強姦致傷の訴因に対し、被害者が少なくともホテルへの同行を承諾していたとして、現場共謀のみを認定した事例」

 

この事件は、居酒屋で「ナンパ」した男二人が家出女子大生をラブホテルに連れこんでセックスしようとして失敗して殴ってオーラルセックスさせたという事例。財布から金も抜いている。最悪。強姦致傷や窃盗なんかが認められて、一人は懲役3年執行猶予4年、一人は懲役1年6月、失効猶予3年。もっと重くてよいと思うが、いくつか情状酌量され執行猶予がついている。

角田先生が批判しているのは、この判決文で「貞操」という言葉が無批判に使われてしまっているところ。先生が引用しているのはこんな感じ。

右(角田注:救助を求めなかた行動)は、意に反して男性二人にホテルへ連れ込まれ、まさに貞操の危機に瀕していた(kallikles注:強調は角田による)という若い女性の態度としては、にわかに理解しがたいものと思われる。」(角田p. 196)

同女が、軽率な行動により、ホテル内で危うく貞操を侵されそうになったのが事実であるとすれば(角田 p. 196)

んで、角田先生はそのあと「貞操」とかって「黴の生えたような」言葉が残っているのは、森喜朗元総理の「神の国」と同じような無意識のなにかが影響してるんだろう、ってなことを議論している。

でもこの議論はなんかミスリーディングだし、その前に出している

で議論したディスコナンパ強姦事件で使われている「貞操」ともずいぶん意味が違う。ディスコ事件では、貞操観念という言葉は、「あんまり多くの人とセックスしないほうがよいと思う」 という内容なのに対して、この居酒屋事件判決文での「貞操」はおそらく「処女性」2)それも単なる肉体的な処女性。くだらんけど。。で、「貞操の危機」は「やられる危機」にすぎないし、被害者の女子大生の行動はたしかになんだか軽率には見える。ナンパされてラブホに二人で入り、ベッドで受け入れ体制をとるが処女で挿入できなかったので「小っちゃくなっちゃんだったからやめようよ」とか。そのあとは主犯の男が殴ったり殴りかえしたりしていて、私は強姦だと思し、判決文もそれを認めている。(主犯の男は前歴もあって、もっと重い罰を与えていいやんね。)でも、「貞操」が全体に大きな意味を持っているわけではないようだ。

まあ判決文は被害者の「落ち度」について述べている。

被害者Aの側にも、自らの意思により、初対面の若い男性二人の誘いに乗って、その車に乗り込んだだけでなく、しつこく誘われた結果とはいえ、 こともあろうに、ラブホテルの一室に一緒に入り、全裸になって入浴の上((kallikles注:男といっしょに入浴している。))、寝室のベッド上で、右男性の一人との性交を受け容れる態度を示すという、軽率極まりない行動をとった重大な落ち度があるという点である。(判例タイムズ p. 251)

これが「落ち度」なのかどうかは私にはよくわからん。事件全体からすれば、おそらくそれは「落ち度」と呼ばれるようなものではないのではないかと思う。だからここを批判するのはわかるのだが、判決文の「貞操の危機」とかを批判するのは無理矢理で、ポイントがはずれていると思う。まあ少なくとも、強姦の被害者であるには「貞操観念がしっかりした上品な女性」であることは要求されていないように見える。

あ、やっぱりこれもうまく書けなかった。難しいんだな。とにかくこの件も角田先生の主張と、判決文を引き比べて読んでほしい。私は角田先生を非常に高く評価していたのだが、この二つの判決を読むかぎり、まさに彼女の専門に近いと思われる裁判の事例において、角田先生の書き方は信用できないという心証を得てしまった。どうするかなあ。でも角田先生は民事の方の専門で、刑事事件はあれなのかもなあ。次は先生の本当の専門であるセクハラ関係の判決文を見てみるべきなのか。

References   [ + ]

1. この件書きはじめたときは岩国の事件についてはほとんど考えてなかった。本当。
2. それも単なる肉体的な処女性。くだらんけど。