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「性暴力の原因は性欲ではなく支配欲」は単純すぎてよくない考え方です

一部のフェミニスト学者先生たちが主張する「性暴力の原因は性欲ではなく支配欲」は単純すぎてあまりよくない考え方です。過去記事から一部だけ抜きだしました。

セックスの哲学

「レイプ神話」での性的動機 (11) おまけ: 「定説」とミル先生のお説教

私はフェミニズム思想みたいなのに魅力も感じれば反発も感じていて、まあだらだら読んだり駄文書いたりしているわけですが、今回みたいに「性欲では支配欲」みたいなフェミニスト的スローガンが「定説です」という形でネットや論文で出回るのを見るとき、いつもミル先生のことが思い浮かぶのです。まあいつもミル先生の話になっちゃうわね。いつも書いてることです。

ミル先生は『自由論』で言論の理由が必要な理由として、(1)まちがってると思われてる意見も実は正しいかもしれない、(2)実際に全体としてまちがってる意見も、たいてい部分的には正しい洞察を含んでいて、それは真理や正しい意見をより補強し完全なものにするのに役立つってのをあげてます。まあここらへんは誰でも思いつく。私が好きなのはそのあとの二つ、(3) 討論しないと自分が信じていることの根拠がわからなくなる、(4) 討論しないと正しい意見の本当の意味が忘れられてしまう、ってやつです。

(3)の方は、自分と対立する立場の人と討論するような場合に、はじめて我々は自分の意見の根拠っていうのを見直すことになるわけですよね。相手から攻撃されたら「こういう根拠がある」って提出しなきゃならないし、相手を攻撃するためには、相手の根拠を知らなきゃならない。

自説の根拠しか知らない人は、その問題についてほとんど何も知ってはいない。もちろん、自説の根拠としてあげる点は適切な場合もあるだろうし、誰にも論破されていない場合もあるだおる。しかし、その人も論敵の根拠を論破できないのであれば、あるいは論敵が何を根拠にしているのかすら知らないのであれば、どちらか一方の意見を選ぶ理由はもっていないのである。合理的な立場をとるのであれば、どちらの意見についても判断を留保するべきであり、それでは満足できない場合には、権威にしたがっているのか、世間の人たとがそうしているように、自分の好みにいちばんあうと感じる意見を選んでいるのである。(斎藤訳pp.85-86)

まあ他人の意見をよく考えてみる機会がないかぎり、我々はたんに、自分の好きな意見、耳ざわりのよい意見、自分たちに有利な意見、好きな人が言ってる意見を採用するだけですわ。

(4)の方はもっと深刻で、意見がたんなる表面的な言葉になってしまう。

活発な論争がない場合、意見の根拠が忘れられるだけでなく、意見そのものの意味も忘れられうことが多い。意見を伝える言葉が何の理念も示さなくなるか、当初に同じ言葉で伝えられていた理念のうち、ごく一部しか示さなくなる。活き活きとした概念と信念が失われ、いくつかの語句が記憶されているだけになる。ある部分が生き残るとしても、意味の真髄は失われて、抜け殻だけが残ることになる。(斎藤訳 p.91)

私が授業で例にあげるのは、たとえば法然さんとか親鸞さんとかが「修行しなくても南無阿弥陀仏ってとなえただけで極楽往生だよ」「実は念仏となえなくてもそれでも極楽だよ」みたいなことを言ったとき、それまでの修行仏教とはぜんぜん違うことを言ったわけですよね。異常思想。おそらく彼らとその弟子たちは、自分たちの教義や、「南無阿弥陀仏」っていう念仏についてものすごくよく考えたはずです。そして「南無阿弥陀仏」と唱えることは、まさにその信念を実行することだったと思います。気合はいってる。他のセクトから攻撃されるからみんな勉強する。

でも時代がくだって念仏(っていうよりその言葉)が一般的になって、社会的にに承認され、地位も安定すると、もうあんまり勉強する必要がない。誰も攻撃しかけてこないから。そうこうしているうちに、「南無阿弥陀仏」っていうのは単なる言葉になる。それを唱えることが自分や社会にとってどういう意味かわからなくなる。「誰かがおなくなりになったときはなむなむと唱えればよいのだ」ぐらいね。

「性欲ではなく支配欲」って言われたって、おそらく、「いやでも時々さわってみたいような気がするときがあるなあ」「スカートのなかがどうなっているのかやっぱり見たい」「でもとくに支配したいってほどではないな、むしろ圧倒的に支配されてる気がするなあ」みたいな実感はあるわけで、そういう実感をほっといて、「定説だから支配欲です」みたいなお念仏唱えてもなんもならんわけですよ。数学や自然科学みたいなのはともかく、社会的な問題について「定説」のようなものが成立して、その根拠が忘れられるときこそ危険だ。

「定説だからそういうもん」とはしないで、実感と照らしあわせてみたらいい。「定説」が実感とちがってたら、その根拠を探しにいけばいい。いったい誰がどんな根拠でいいはじめたのか、その背景にはどういう問題があったのか、反論はどのようなものがあるのか、現代ではどう評価されているのか。ネットで「その根拠はどこらへんにありますか?」「ソースは?」って(ていねいに)聞いてみるのも、相手に余裕があればいいでしょう。そのときにソースのヒントぐらい出してくれない人は、まあ少なくともアカデミックな態度、つまり真実を探そうとしている人ではないような気がする。(でも有名人とか忙しい人にあんまりつきまとってはいけませんよ。)

とにかく大学生ぐらいで社会的な問題に関心のある人は、『自由論』だけは読んでほしいです。とりあえず第2章と第3章だけも十分。光文社のやつは安いし読みやすくてよい。岩波のでも中公のでもよい。夏休み残りの1、2週間でぜひ読みましょう。

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「レイプ神話」での性的動機 (10) おまけ:勝部元気先生の「性暴力欲」

勝部元気先生という先生がいて、いろいろネット上で物議を引き起こしているようです 1)このあと余計で失礼なこと書いてました。すみませんすみません。 。今回はレイプと性欲の関係ということで、このシリーズのいきがかり上コメントしないとしょうがないですね。

この記事。「高畑容疑者が抑制できなかったのは「性欲」ではなく「性暴力欲」です」

勝部先生は性欲と性暴力欲というまったく別の欲求があって、性犯罪につながるのは性暴力欲であり、そうでない潜在的な加害者もいる、という立場のようです。なんか独自理論ですごいです。これ、「レイプは性欲ではなく支配欲が原因」っていうやつを極端にしたやつですね。「支配欲」のかわりに「性暴力欲」っていうのを想定する。

「性暴力欲とは、征服欲(≒支配欲)・嗜虐欲・逸脱行動欲等の合成物であり、性欲とは完全に別のものです。ただ、時として性欲的な要素が混じる場合もあります」ということです。

図に「「性欲が混じる場合がある」と表記したのは、たとえば痴漢の半数以上が犯行時に勃起していないと回答する加害者調査もあるように、性欲的な要素が無い場合もあるため。このようなケースは、「性」というものそれ自体が「目的」ではなく、あくまで他の欲求を満たすための手段として用いられるために起こる」そうです。なんかすごい。この先生は、性欲があれば勃起するものであり、勃起する場合のみ性欲がある、っていうことなんでしょうか。この先生にとって、性欲は勃起なのですかね。

実はたしかに「性欲」っていうものがなんであるのかっていうのはとても難しい問題で、セックスの哲学の根本問題の一つです。これ、このセックスの哲学ブログの最初の方ですでに書いてますが、よくわからんですよね。おおざっぱに、セックスしたいとか、他人の身体に触れたいとか、エッチなものを見て性的に興奮したいとか、そういう欲求としときますか。だいたいわかるっしょ。ていうか、私はそういうふうにまさに「「あの」感じ」ってしか指し示せないんちゃうかと思ってる。性欲 sexual desireと性的興奮 sexual arousalの区別も難しい。性的に興奮すると、多くの人の身体には生理学的な変化が起こる。脈拍が早くなったり(「ドキン!」)、性器がある状態になったり、のぼせたり、いろいろあるっしょ。

実は性欲(性的欲望)と性的興奮の関係もなかなか難しくて、私まだよくわかってないです。でもとりあえずこの二つは別ってことにしましょ。性的興奮がそれほど高くないけど自分の性欲を意識している状態、とかありそうではありますね。「エッチな写真が見たいなあ」みたいなときはそういう感じですか。性的快楽っていうのもあって、これと性的欲望や性的興奮の関係もこれまた難しいけど今回はパス。ただし、性欲が性的快楽、特に局所的な(つまり性器付近の)快楽を目指しているものかどうかもよくわからない。おそらくそうではない。

あやしくなってきましたね。まあ性欲は難しいっす。今回は許してください。

勝部先生が性暴力欲って呼んでるのは、征服欲とか嗜虐欲とか逸脱行動欲とからしい。征服欲っていうのは、誰かを従属させたい欲望ですかね。好みはあっても、誰かを従属させたり支配したりするのが楽しいことがあるだろうことは否定できないですね。力への意志すか。問題はこれがなぜ(主に若い)女性に向くのか、ですわね。征服感を味わいたいなら、政治家とかヤクザの親分みたいなひとをあれした方がずっと征服感があるかもしれない。赤ちゃんとかおじいさんおばあさんの方が服従させやすいかもしれない。

嗜虐欲はだれかをいじめたい欲求だろう。これはふつうの人によくわからんかもしれませんね。でもいじめるのが好きな人はいそう。でもこれもなぜ女性に向くのかがわかりにくい。やっぱり赤ちゃんやおじいさんや政治家やヤクザの人をいじめても同じく楽しいのではないか。

逸脱行動欲っていうのは、悪いことをしたい、っていう感じですかね。これはわかる。男女問わず、「どきどきしたい」っていうか興奮や刺激を求める人はいるんですよね。それほど興奮や刺激を求めないひとも、いつもおとなしく生きてられるひとはそんなにいない。我々は時々、わざわざ危険なことしてみたり、場合によっては悪いこととかして、ドキドキを味わったりする。盗んだバイクで走り出したとかっていうのはまさにそういう感じですわねえ。このネタに関しては、下のがおもしろかったです。でもなぜ痴漢とか強姦とかになるのか。

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んで勝部先生の論の問題点ですが、って書きはじめて、問題点とかそういうものですらないことに気づきました。それは(1)なんの根拠もなく、(2) 多くの事実に反し、(3) 何の役も立たない。

(1)のなんの根拠もないっていうのは見れば明らかだと思います。なんの出典もなくなんの権威もない。思いつき。せいぜい前にあげたマッケラー先生やブラウンミラー先生のタイプのフェミニスト的な見解をあげることはできるかもしれませんが、その根拠をこの先生が確かめたかどうかよくわからない。唯一言及されている「痴漢はペニスだけの問題ではない 誤解している加害者の実態」という記事だって、性欲ではなくて性暴力欲という独立の欲望があるとかって話はしてないですね 2)「ペニスだけの話ではない」みたいタイトルつけた理由はわかりませんね。ネットで有名な田房先生はともかく、この斉藤先生という方はこのタイトルでよかったのでしょうか。そんなにみんなペニスが気になるのか、性欲の問題はペニスの問題なのかっていうのは考えてみたいですね。なんか「第二の脳」「実はワシの本体は」みたいでかっこいい

(2) の事実に反するというのは、たとえば、(多数いて、そっちの方が問題だと言われている)デートレイプとかの加害者は、円満にセックスできるならそうしたいので、デートしたりプレゼントしたり食事させたりしてご機嫌とったりするわけですよね。ソーンヒル先生たちは、たとえば「買春する男は、お金を払うことを欲求しているのではない」みたいなことを言うわけです。おそらくそりゃそうですわね。セックスしたいからお金を払うわけで、お金払わなくていいならそうするだろう。レイプ犯の多くもそういうもんで、暴力使わずにすむならそっち選ぶでしょ。実際に、大半のレイプ犯は被害者が抵抗しなくなる程度までしか暴力や脅迫を使わないということです(ソーンヒル&パーマー、pp. 255-256)。これは多くの場合、暴力や強制が単なる手段でしかないことのあらわれだと解釈されるわけです。

もちろん、一部のサディスティックなレイプ犯や痴漢が、さまざまな要因から、その当の行為そのものを目標にしているってことはありそうではある。性犯罪の常習犯なんか、上の斉藤先生たちが指摘しているように、性欲以外にも興奮その他を求めてそうなっている可能性がある。でもそれって、性犯罪は性欲ではなく性暴力欲によって起こる、っていうほどのボリュームを占めてるってことがどれほどあるのかわからないですね。私の思弁(勝手な妄想)では、電車痴漢だけでなく、露出痴漢のようなひとびとも、もしそれが可能であれば実際にその被害者と性器セックスしようとするんじゃないかと思います。それが不可能だから、電車痴漢とか露出とかにしている場合が大半ではないんかな。「いや、私は痴漢専門でして、そっちの方は興味がないんですわ」みたいな痴漢がどれくらいいるのか、調査があれば見てみたい。いや、そういうのもいるとは思うですが、少数派でしょうね。でもこれは私の思弁。

余計ですが、勝部先生は、某AV監督が「男の優しさ、は性欲があればこそ」とかっての言ってるのを叩いてますが、この「優しさ」が優しさのすべてではなく、プレゼントするとかお世辞を言うとかロマンチックな場所やギンギン派手な光と音楽で気分がおかしくなるような場所に連れていく、のような特定の人に対する特定の優しさであるなら、人々が、性欲、つまりセックスしたいという欲求からそういうことをしている場合は十分あるように思いますね。もちろん、そうじゃない場合もたくさんあるだろうけど。監督は別に「人間のすべての優しさは」とかってことを言ってるわけじゃないと思う。

(3) 役に立たないというのは、けっきょく「性暴力欲」みたいなのを、他の性欲とかから分離することはほとんど無理だからですわ。せいぜい、性暴力を奮った人間は性暴力欲に動かされている、ってことが言えるだけ。どういう人が性暴力欲をもっているかは、性暴力させてみないとわからない。好意的に解釈すれば、勝部先生の言いたいことは、性欲にも相手との共感や愛情その他をもとめる性欲と、そうしたものをもとめない性欲がありますよ、ってことを言いたいと思うんですが、特定の「性欲が混じらない性暴力欲」みたいなのをどうやって性欲から分離するのか、わたしにはちょっと想像がつかないです。マッキノン先生たちのように「この男性優位社会では、女に対する暴力も、レイプも、どちらもセクシーなのだ」みたいな言い方の方がまだまし。「だから、勝部先生のような人がやっていることは、単に言葉の遊びをしているだけだと思います。単に、「相手との共感〜を求めないものは、私の言う意味では「性欲」ではない」っていう自分勝手な言葉の定義をしているにすぎないわけです。もちろんそういうことをするのは勝手だけど、それは何も役に立たない。

実際、男性が、自分の「性欲」は無害なもの、すばらしいもので、性暴力につながる性暴力欲は悪いもの、と考えたとき、そしてそこに「俺はもてる」「あの子は同意している」「ぜったい誘われてるわー」という認知の歪みその他が入りこんだとき、いったいどういうことになるか考えたらいい。それが実際に起こってることじゃないんすかね。


「レイプはセックスではなく暴力」「性欲ではなく支配欲」「女の体は女のもの」「個人的なことは政治的なこと」「夜を取りもどせ」「ノーはノーを意味する」「セックスはジェンダー」みたいなフェミニスト的なスローガンっていうのは、それが考案され普及した時代にはそれなりに重要な意味があったわけです。これは否定できない。というかむしろ肯定的に評価できる面はものすごくある。それらは、一見すると、矛盾していたり、あるいは逆にごく当たり前の同語反復に見えるたりする。そうした意外なスローガンは印象が強く、人々をそれについて考えさせ、社会の問題に目を向けさせる力がある。そしての当時、その社会ではちゃんとした役目を果たしたと思います。

よくないのは、そうしたスローガンの背景になっている事情や、そのスローガンが訴えている問題意識を忘れて、なんからの絶対的な「真理」だと思いこんだり、それを「定説」としてそれ以上勉強しなくなったり、それ以降の多くの人々の研究や努力を無視してしまったり、事実や我々の実感にそぐわないのを無視し自分でもなかば意識しながら無理な解釈をしようとするとき、あるいはそれに批判的な人々を敵とみなしたりすることですわ。人々が政治的スローガンを科学的な真理であると思ったり、なにごとにも適当な人がなんの根拠もない勝手な理屈づけをしてそれを社会に広めようとするとき、それを無批判に人々が広げていくとき、それは人々に害悪をもたらすものになりかねないんではないかと思います。


References   [ + ]

1. このあと余計で失礼なこと書いてました。すみませんすみません。
2. 「ペニスだけの話ではない」みたいタイトルつけた理由はわかりませんね。ネットで有名な田房先生はともかく、この斉藤先生という方はこのタイトルでよかったのでしょうか。そんなにみんなペニスが気になるのか、性欲の問題はペニスの問題なのかっていうのは考えてみたいですね。なんか「第二の脳」「実はワシの本体は」みたいでかっこいい

「レイプ神話」での性的動機 (9) 性欲説と支配欲説、どっちが役に立つ?

もうあんまり資料めくる気がなくなっているのですが、まあレイプの「動機」(原因というよりは動機)は性欲って考えるのが実証的ではあるようです。でもここで思弁的に、「レイプの主な動機性欲」って考えるのと、「支配欲だ」って考えるのと、どっちが性犯罪・性暴力を対策するのに役に立つかって考えてみたいですね。これは私の単なる思弁なので、全然アカデミックじゃないし(いつもアカデミックじゃないけど)、ほとんど根拠がないです。

まず、暗数が多いとされているレイプの大多数は、いきなり夜道で襲ってくるストレンジャーレイプよりは、顔見知りレイプやデートレイプ(デートしてみるくらいの間がらでのレイプ)の方がずっと多いと考えられわけで、レイプなどの性犯罪を防止することを考えたいですわね。

多くの男性が共通にもってる(あんまり相手を選ばない promiscuousな)性欲だって考えるならば、まず対策は、男性に自分のそうした性欲のあり方を意識してそれを抑制する方法を教えましょ、ってことになりますよね。特に、それを防止しようとするならば、女性は男性が思ってるほどそんなすぐにセックスしようなんて思わないってことをデータしめして教えることになると思います。

麻生一枝『科学でわかる男と女の心と脳』p.19から

麻生一枝『科学でわかる男と女の心と脳』p.19から(クリックで拡大)

こういうデータでわかるように、男性はたくさんの女性とセックスしようとするし、すぐでもセックスOK、むしろそっちの方が楽しいぐらいの人もいるわけですが、女性はほとんどいない。こういうのはデートレイプ予防にはなりますわね。

あと前にも書いた、男性は女性に性的な意図を読みとりがちであるっていうのも。なんか今日「女子が飯にさそってほしそうにしているから誘ったら断わられた」みたいなのを見かけたんですが、まあそういうもんだわ。男性はちょっとしたことから、特定の女性が自分に気があると思いやすいのね。男性は男女がいっしょにいるのを見ただけで、女性に性的な意図があると考えてしまう。有名な実験あります。

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男性大学教員自身も気をつけましょう

さらに、デートレイプが起こりやすいのは、アルコールが入っているときとか、男性がある程度の投資をしてしまったのにセックスできない場合っていう状況に関する知識も教えたらいい。そういうのの男女の心理的な差を教える(できればなぜそうなっているのかのメカニズムに対する仮説もいっしょに)ことができれば、デートレイプみたいなのは減らせるんじゃないですかね。
さらに、レイプ加害者たちがもっている認知の歪みや、「女性は無理矢理セックスされたがっている」のような典型的な「レイプ神話」なども教えるべきっしょね。ただし「レイプは支配欲や暴力欲が動機」ではなく「性欲が動機」の方がずっとましですわね。支配欲や暴力欲だって思ってしまえば「俺そんな支配とか暴力とか興味ないし」ってなっちゃうし。デートしたり痴漢したりする奴は、性欲はみんな意識しているんだから、まさにそれが動機で、大きな原因の一つだって教えたらいい。

女子にも同じようなことを教えたらいいし、男子ほどは必要ないだろうってときでも、男子がいったい特にどういうタイプの性欲をもちがちなのか、どういうキューでスイッチがはいりがちなのかぐらいは教えたらよかろうって感じがします。

一方、レイプの動機は性欲ってよりは支配欲だの性暴力欲だ、とかってことになれば、そんなもん自分には関係ないと思う男子は多いでしょうな。レイプとかしやすい年代でも、ふつうの若い男性はあんまり支配してない、っていうか支配されまくってるわけだしねえ。

たしかに、サディスティックな性犯罪者はいるんだけど、これは全体の数パーセントしかいない。サイコパス傾向の他人の気持ちが気にならないし、っていうのはもっと少ない。

そもそも、「女は力づくで支配しないとならん」とかっていうのは少なくとも日本の大多数の人々が生きてる文化ではないんじゃないでしょうか。青年マンガでさえそんなんほとんどないし、その種のものを好む人もごく少ないように思う。『ナニワトモアレ』とかの人気ヤンキーものだって、レイプするような奴はひどいリンチされてますよ。

つまり、支配欲だとか性暴力そのものを好む奴がいるのだ、ってことにすると、問題になってるデートレイプとかそういうのに対する対策ってのはほとんどなくなってしまう。女性から見ても、パーティーで楽しく笑わせたり口説いたりしてくれた相手が、最後に断わったらレイプしてくるとか思ってないじゃないですか。でもそういうのがふつうなんしょ。それは支配欲とか性暴力欲とかによるものじゃないと考えた方が、ましなことになるんじゃないでしょうか。

もし「レイプ文化」ってものがあるとしても、「文化を変える」っていうのはものすごく難しくて、なんらかの思想を、思想だけの力によって人々に強制するってのは私には無理に思えますね。文化っていうのはそういう押しつけによって変わるものではない。もちろん、逮捕率や起訴率、それに法定刑の最低限度や最高限度を引きあげたりするのは効果があるだろうと思うけど、これは文化を我々の思うようにできるってことではない。それはいろんな利害関係の上に成立しているもので、思想だけでは変わらんしょ。

カミーユ・パーリア先生という私が好きな哲学者は、こんなことを言ってます。

「何世代にもわたって、男を教育し、洗練させ、倫理的に教えさとして、そのあげくになんとか、男たちは生まれつきの衝動である無秩序と粗暴さを手なずけることができた。無知なフェミニストの主張に反して、社会は敵ではない。社会は女性をレイプから守ってきたのだ。」(『セックス・アート・アメリカンカルチャー』p.81)

多くの人(非フェミニスト?)が認めるように、おそらくこれは歴史的に正しい。レイプとかってのはやっぱりまずは性欲の問題であることを認めた上で、その他のいろんな要因(性格の歪み、認知の歪み、状況的な要因)も考えにいれていった方が、ずっと有効な対策打てるんじゃないでしょうか。我々がやるべきことは、単に天下りに「神話だ」とかって紋切りで他人を非難することではなく、ちゃんとデータをつみかさねて事実を人々に示してまともな考え方を広めることだと信じていて、そういうアップデートされたデータとか文献とか示したものがネットとかSNSとかで広がることを願ってます。

 

麻生先生の本はいつも勧めてます。面倒なの読みたくなかったらこれだけでも読んでちょうだい。男子も女子も。

パーリア先生はおもしろいよ。

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「レイプ神話」での性的動機 (8) 支配欲説ふたたび

あ、そうそう、「レイプ神話」については杉田聡先生のこの本がある。

レイプの政治学
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ちょっとクセがあって、私とはいろいろ見方がちがう先生だけど、こういう文献調査させるとかなりの方です。ちゃんとした哲学者。えらい。書籍になった一部は、 http://ci.nii.ac.jp/naid/110006455495 で読めます。詳しすぎるかもしれないけど価値がある。今回わすれてて言及してませんが、だいたい同じような話のはずです。(個々の論点とかについては異論があるんですが、それはまあまた)


ブラウンミラー先生なんかの支配欲説についてはうまく書けてないのでもういっかいまとめておくと、先生たちの言いぶんは、性欲ではなく、あるいは性欲というよりはむしろ、支配欲がレイプの原因なのだ、ってものね。で、性欲は基本的に動物と共通してもってる自然的なものだけど(かつ人間特殊な文化的なものでもある)、男性の支配欲は、歴史的文化的に成立したものであり、もっぱら社会のなかで学習される、ってな含みがある。また特にブラウンミラー先生の場合は、男性の女性に対する支配は、一人の男性の一人の女性に対する支配ではなく、男性グループの女性グループに対する支配である、ってなところに力点が置かれている。まあ歴史的・文化的に男性グループは集合的に女性グループを支配する必要があって、それが現在のレイプ文化を作りあげてる、ってな感じ。個別の男性は女性を支配し獲得するためにレイプするわけだけど、それと同時に、女性が男性にレイプされる危険性があるということが、女性がレイプしない男性の保護をもとめてその支配のもとにおさまる理由にもなってしまってます、みたいな。

まあ実際女性は危険からの保護を求めて男性とおつきあいすることもあるみたいで、男性もそれを知ってるから「君を守りたい」みたいなのがまあ口説き文句になるわけですよね。体でかい男性とかやっぱり女性に好まれるんだけど、それはなんか物理的に安心する、みたいなのもあるみたいねえ。とにかく強くたくましい男はいいもんのようです。

それはとにかく誰かを守るためにはその人が危険にさらされてないとならない。だからレイプとかはしないよって言ってる男性も、実は社会でレイプがおこなわれていることから利益を得ていて、それが社会がレイプに寛容な理由だ、というわけですわ。

んで、グループっていう方を考えた場合、個別のレイプ犯が男性グループ全体のためにレイプする、なんてことはありそうもないですね。誰もそんなこと考えてないと思う。レイプ犯は男性から非常に嫌われているし、女性の近親縁者とかから復讐に襲われて殺されるまで覚悟しなきゃならん。ジョン・アーヴィングの『サイダーハウスルール』で、主人公の姉が体育会系のやつにレイプされたってんで学校中の不良連中が犯人を追い込む、みたいな話があったような記憶がありますが、まあそういうもんよね 1)これ、あとでその姉はその犯人とつきあったりしてなんかいろいろ複雑でおもしろいんですが。アーヴィングの小説は80年代ぐらいでのアメリカのセックスにまつわる各種の問題をあつかっていてどれもおもしろいです。 。男どうしの絆を深める集団レイプ(フラタニティーレイプ)みたいなのはまた別の類型だけど、なんにしても男性が他の男性のためになんかする、なんてのはまあちょっと考えにくい。男性のあいだの関係は、女性が思ってるよりもっと競争的で敵対的なものです。グループのなかでさえ上下関係をめぐって常に駆け引きしている感じ。ヤクザ映画見るとわかる。 2)ていうか横にそれるけど、そもそも男性がピンで自分の縄張りじゃないところで女性をめぐって行動するだけでものすごい危険性があるんよね。これは女性には想像がつかないかもしれないけど、海外や旅先だけでなく、常連ではない飲み屋やバー、ダンスクラブ、そういうところでなにか行動するっていうのは男性にとっては非常にリスクが高い。まあ余計なこと書いたな。

そういうわけでレイプ犯が他の男性*のため*、あるいは男性グループのためにレイプするっていうのはちょっとありそうにない。でも、「守る君」するためにレイプに対して寛容な態度をとり、また全体として男性に支配的になるように文化的な教育がおこなわれている、っていう点についてはどうだろうか。

「男性は攻撃的・支配的であるべきだ」っていう通念っていうのは、たしかにまあだいたいの文化にも共通に見られるようですわね。それはおそらく、上で述べたように、男性の間では常に競争と戦争がおこなわれていることから来ている。自信のない男はどの文化でもモテないし、自信やある程度の攻撃性がないとなめられてひどいめにあうのが男性の社会。これもヤクザ映画見ましょう。我々はそういうのを知っているから、子供には自信をもち、あるていど攻撃的であることを教えたいと思う。母親でさえそう思うんじゃないっすかね。

ただどの程度攻撃的・支配的であるのが適当かっていうのは時代や文化によってずいぶんちがっていて、まあ現代日本とかはあんまり攻撃的なのは好まれませんわね。一夫多妻の文化とかでは、男性はより支配的でありリスクをとる勇気をもつことが求められるっぽいらしいです。これはやっぱりそうした攻撃性や支配力やリスク愛好が、女性の獲得と密接に結びついているからですわね。これもヤクザ映画見ましょう。ははは。でもそういう文化でも、少なくとも自分の共同体のメンバーに対するレイプは非常に忌避され、非難され、罰せられているわけですわ。

まあ仮に、この「支配欲は社会的に教えこまれている」っていうのを認めたとしますよ。我々はほんとうは支配欲なんかもってないけど、そう教えこまれているから支配欲をもつようになり、それがレイプに結びついているとします。

ここで、ソーンヒル&パーマー先生はおもしろいことを言ってます。

レイプについての社会科学的説明(注:レイプは社会的に教えこまれた支配欲が原因)が広く受け入れられた裏でイデオロギーがどれだけ大きな役割を果たしているかは、ためしに、別のイデオロギーを含む仮説がどういう反応を引き起こすかを想像してみれば、すぐにわかる。自分のイデオロギーとは正反対のイデオロギーを含む説明を提示されてみれば、「人間は白紙の状態であり、文化によって教えられたとおりに感じる」などという仮定が間違いであることが、はっきりわかるのである。すなわち、レイプに関する社会科学的説明には明らかに、「女性は、そう感じることを文化によって教えられた場合にのみ、レイプを忌しい体験だと感じる」という内容が含まれているわけだから、レイプが社会的問題であるのを解決するためには、なにも、レイプ自体を根絶する必要はない。社会科学的説明の仮定に従うなら、女性たちに、レイプは素晴しい体験だと教えさえすれば、それは問題でもなんでもなくなるのだから。もしこのような説明がばかげていると感じるのであれば、そのもとになっている仮定自体が間違っているということになる。人間の女性は明らかに、そう教えられればレイプを望むようになるといった可塑性はそなえていない」(『人はなぜレイプするのか』p.283、本文に強調あるけど面倒だから省略)

まあこの先生たちの言い分がフェミニストたちにフェアなものかどうかっていうのは微妙なところがあるのですが、なんでも文化的影響であり、我々の欲求は文化によってどうにでもなる、みたいな考え方はまずいです。んじゃ我々の欲求に対する文化の影響とはどのようなものだろうか、みたいになってくると、かなり難しい話になりますね。私にはちょっと扱えない。でもまあ、「レイプの原因は支配欲」って言っても、あんまり社会の改善にはならんかもしれんのです。

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シリーズ

References   [ + ]

1. これ、あとでその姉はその犯人とつきあったりしてなんかいろいろ複雑でおもしろいんですが。アーヴィングの小説は80年代ぐらいでのアメリカのセックスにまつわる各種の問題をあつかっていてどれもおもしろいです。
2. ていうか横にそれるけど、そもそも男性がピンで自分の縄張りじゃないところで女性をめぐって行動するだけでものすごい危険性があるんよね。これは女性には想像がつかないかもしれないけど、海外や旅先だけでなく、常連ではない飲み屋やバー、ダンスクラブ、そういうところでなにか行動するっていうのは男性にとっては非常にリスクが高い。まあ余計なこと書いたな。

「レイプ神話」での性的動機 (7) だらだら

んでまあ、もうちょっとコメントしておくと、実際のところは「レイプとセックスは無関係」みたいな言い方をする人はあんまりいないんですよね。レイプとセックスは関係があるのはまあ主流派フェミニストの人も認めるはずですわ。我々のなかの一部の人は社会のルールとか、他人の苦しみ悲しみ迷惑なんかをあんまり考えない。そういう人々は、この相手とセックスしてみたいとなれば、相手の同意とか社会のルールとかを無視してそうしようとするわけです。そういう人は、欲しいものは万引するだろうし、お金がほしければ強盗するだろうし、お金払えば、そして払えればその相手にお金払うだろう。暴力はいやだ女が泣いてるところは見たくないっていう大多数の人間の一部が、お金払うのもいやだとなればらうまく誘惑しようとするだろうし、まあまじめにおつきあいしてプロポーズしてセックスしてもらう人もいるでしょう。まあそんなもん。

ポイントは、先のポストでも指摘したように、我々がなにかの「原因」を指摘しようとするときは、さまざまあるなかから、我々が対処しやすい要因をピックアップして「原因」と呼ぶことがあるってことですわね。フェミニスト主流派は、おそらく、「性欲が原因である」というのは対処しにくいので、「レイプ文化」が原因なのだ、あるいはポルノが原因なのだ、ってことにする理由がある。そっちだったらこれからなんとかすればなんとかなるかもしれませんからね。「レイプ神話」自体がレイプの原因だってのもよく言われるわけですが、これは(少なくとも)加害者のそうした神話に似た思い込みがレイプの要因の一つであり(これはある程度実証されている)、この神話を撲滅することなら可能かもしれないからですわね。「女性は実はレイプされたがっている」「薄着の女は誰とでもいいからセックスしたがっている」という思い込みを撲滅すれば、まあそういうふうに思いこんでレイプする加害者を減らせるかもしれない。まあそういうふうに理解したいな、と。

もうひとつは、レイプの主要な動機がセックス、つまり性欲だからといって、別にレイプはしょうがないってことにはならんわけですよね。これも誰もが認めることなわけで、そういうのでは「レイプの原因は性欲ではなく支配欲」とかって言ってもあんまり意味はない。そもそも性欲をなくすのが難しいように、支配欲とかってのがあるとしてもそれをなくすのだって難しい。性欲は自然で、支配欲は文化的なものだ、みたいな思いこみがあるのかもしれないけど、我々は自分の欲求を簡単に作ったりなくしたりできないのだから、むしろコントロールする方法を学ばなきゃならない、ぐらいの話だと思いますね。まあ「文化的に男性は支配欲を身につけるように学習させられているので、その文化を解体するべきだ」とかってのはあるかもしれないんですが、具体的にどういうことを意味しているのかはよくわからない。「文化を変える」っていうのは直接的にはすごく難しくて、我々ができるのは正しい知識を広めたり(教育や啓蒙活動)、あるいはせいぜいインセンティブやサンクションを工夫したりすることですわね(たとえば逮捕率の向上、被害者非難の軽減、重罪化)。

それにそもそもそもそも、「支配」はともかく、我々がレイプを称賛するような文化をもっているとも思えないですしねえ。実際、SNSや掲示板見ても、レイプ犯みたいなのはほんとうに邪悪な存在か情けない存在として馬鹿にされてるように私には見えますね。裁判員制度になって性犯罪重く罰されるようになったとかって話で、これって我々は性犯罪を本当に嫌っているという印のように見える。

まあこのレイプを許容する「レイプ文化」とかってものが存在するのかどうか、ってのは今アメリカあたりではものすごくホットな話題ですね。主流派フェミニストvs.非主流派フェミ・男性の権利運動なんかが激しく争ってます。これとアメリカ全体のポリティカル・コレクト要求の高まりがいっしょになって、なんかすごいことになってますわ。日本でも近いうちにそうなるでしょう、っていうかSNS見ればそうなってる気もする。

まあ「レイプは性欲が原因」だとか「支配欲が原因」だとか、神話だとか神話じゃないとかって、あんまり単純に考えてSNSで広めるよりは、まずはレイプや痴漢、セクハラに関する事実をしっかりたしかめ広めて、その対策をみんなでぼちぼち考えたいですね。どういうときに加害しやすくなるのかとか(アルコール、性的に興奮しているとき)、どういうときに被害受けやすくなるのかとか。

下の本はいわゆる「レイプカルチャー」とその対策について激しく主流派フェミニストを攻撃していておもしろかったです。まあこっちも全部うのみにするのはだめですが、反主流派フェミっていう問題意識はおもしろいので英語読める人はどうぞ。


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「レイプ神話」での性的動機 (6) レイプ神話批判の研究への影響

というわけでうまくまとめられなかったので、ぜひ紹介した本読んでください。とにかくまず『人はなぜレイプするのか』がいいと思う。まだ古びてない。

んで、「「レイプ神話」自体がフェミニストの神話だ」みたいな意見も一部にあって、これが微妙なんすよね。「支配欲」は神話っぽい気がするし、他にもいくつか気になるところがある。

神奈川県警の紹介。 http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/p787148.html

まあ標準的な「レイプ神話」と事実の紹介なんですが、たとえばこれの「神話1」の「すべての年代の女性が被害にあってます」っていうのはどうなんだろう。たしかにすべての年齢の人が被害受けてるんですが、やっぱり被害受けやすい年齢っていうのがあるんですよね。

内山絢子先生という偉い先生がいらっしゃって、警察とかにいた性暴力の専門家ですが、「性犯罪の被害者の被害実態と加害者の社会的背景」(上下)という論文があります。これは非常に優秀な論文で、よく警察関係者によって参照されてます。基本的にレイプ神話に対して、事実はこうだって示していて、とてもグッド。

でも気になるところもある。性犯罪被害者の年齢層の分布を示しているんですが、どうでしょう。数字は%です。

被害者の年齢 強姦 強制わいせつ
6才未満 0 2.5 1.4
6-12 2.7 16.8 10.7
13-17 22.1 26.3 24.5
18-19 18.1 14.3 15.9
20-24 31.1 21.5 25.6
25-29 11.7 10.5 11
30-34 4.7 2.8 3.6
35才以上 9.7 5.5 7.3

これへんな表ですよね。内山先生がどういうつもりでこれつくってるのかわからないけど、「被害者の年齢」が均等になってないので、18〜24才のところがすごく大きなボリュームになってることがわかりにくい。見たとき、「これって、あの「レイプ神話」が神話だってこと、つまり、「どの年齢の女性も被害者になりうる」を正当化するためにわざとやってるのかな、みたいなことを考えてしまいました。実際にデータから読みとれるのはやっぱり10代末から20代前半が被害者になりやすいってことですよね。なんかゲスの勘繰りでもうしわけない。(追記。この件について下でコメントもらってます。なるほど。やっぱりゲスでしたすみませんすみません

でも、こういう年齢層の人に、「被害に会いやすい年齢層です」って教えるのはそんな悪くない気がするんですが、どうもそういうことを言うと「レイプ神話だ」みたいなことを言われてしまう危険性がある。こういうの「レイプ神話」ていうのどうなんかな、みたいなことを考えてしまうわけですわ。ひょっとすると昔流の「レイプ神話批判」が研究を歪めちゃってる可能性がありそうな気がするわけです。

まあでも印象的にするために「神話」って呼ぶのはしょうがないですかね。

 


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「レイプ神話」での性的動機 (5) 21世紀ではどうなってるの?

「レイプの動機は性欲ではなく支配欲」っていうのはちょっとやばくて、これ自体は新しい神話とでも呼んだ方がいいかもしれない。いろいろ悪影響があるので注意してください。

でもそこらへん以外の点では、マッケラー先生以来フェミニストの皆さんが指摘している「レイプ神話」の多くが実際に神話であるってのはいまだに大事なことで、神話は撲滅したいものです。ここらへん、フェミニストの支配理論以降、進化心理学なんかの影響も受けつつ、行動科学として発展しつづけている犯罪学とかの知見をちゃんと勉強しておきたいですね。

わたしのおすすめはこれです。

性犯罪の行動科学:発生と再発の防止に向けた学際的アプローチ
田口 真二 池田 稔 桐生 正幸 平 伸二
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これはものすごく立派な本だと思いますね。

この本では「レイプは支配欲が原因」みたいなあきらかにだめそうな理論は注意深くしりぞけられてますが、やっぱり「レイプ神話はなくそう」みたいなことが提唱されてます(前書き、pp.44-46)。

  • 「男性は女性に比べてはるかに強くまた抑えがたい性的欲求をもっているから、レイプはやむを得ないこともある」
  • 「レイプは一時の激情によるものだから、厳しくとがめられるべきではない」
  • 「女性の性的魅力に圧倒されてレイプに走ったのだから、女性の性的挑発も原因の一部である」
  • 「女性は男性から暴力的に扱われることで性的満足を得るものである」
  • 「女性は無意識のうちに、強姦されることを願望している」
  • 「行動や服装に乱れたところがあり、自らレイプされる危険を作り出している女性は被害にあっても仕方がない」
  • 「レイプ事件のなかには、女性が都合の悪いことを隠したり、男性に恨みを晴らすために捏造したものが多い」

まあこいうのは、どれも神話として退けられてます。「神話」の提示はほとんどマッケラー先生たちのとかわりませんが、田口先生たちは気をつけて「仕方がない」とかそういう規範的判断までこみで「神話」にしてますね。まあこういう形ならわかりますよね。みなさん気をつけてくださいね。

んで、ここ10〜20年ぐらいはこの手の研究をしている先生たちは、レイプの原因というよりさまざまな要因を探っていて、まあいろんなことがわかってきているようです。要因はいろいろあるんで、生物学的要因の影響や解釈の方法を検討したあとで、さらに70年ごろのアミル先生と同じように、個人的要因と状況要因・環境要因を見てます。

もはや専門家は、「原因は性欲か支配欲か」みたいな乱暴であんまり役に立たない問いはしないっぽいですね。いろんな個人的・状況的要因を検討していって、それぞれがどれくらい加害に影響しているかとか、それぞれの要因の間にはどのような関係がどれくらいありそうか、とかそういう議論をするわけです。もちろん50年前とは質・量ともにぜんぜんレベルが違いますね。脳神経科学だの、実験室調査だの駆使して、いろいろモデルとか作ってる。えらい。

 

だいたいここらへんの本や論文で共通に指摘されていることだけを私なりに簡単に紹介しておくと次のようになります。

  • レイプ犯は一般に反社会的傾向・暴力的・支配的傾向がある。レイプだけに特化した加害者は少ない。
  • レイプ犯の性生活は異常に活発で性的に早熟な場合が多い。多くの合意の上のセックスパートナーをもつ。買春、マスターベーション、ポルノ使用、露出などの逸脱行動も活発。
  • 性的強迫、性衝動を抑えられないかまたは抑えるつもりがない。性的快感を感じやすい。乱交傾向がある。自分の性生活に満足していない。対人関係にトラブルを抱えていることが多い。
  • レイピストは一般に若くて魅力的な被害者を探す。
  • ストレンジャーをレイプするには計画が必要だが、デートレイプなどについてはあまりあてはまらない。(つまり、デートのつもりで最終的にレイプしてしまうケースがある)
  • 投獄されたレイピストのうちサディストと診断されるのは5%程度。起訴・投獄されない全体ではもっと低い。重症を負う被害者は5%程度。たいていの暴力は目的ではなく手段。
  • 性犯罪者は被害者が性的快感を感じればレイプはもっと楽しいだろうと言う。また実験室下でも、レイプ被害は害がない、被害者も楽しんでいるという信念と自分のレイプしやすさの評定に相関。
  • 勃起計を使った実験でもレイピストは通常人と同様に女性の苦痛に対しては興奮しない。写真を使った実験でも大半は笑顔の女性を好む(自分のレイプ傾向性が高いと報告したうちごく一部だけがネガティブな表情をした女性を好む)。
  • レイピストの大半が暴力を使うのはセックスするための手段であり、被害者の苦痛などに配慮しないためであるが、被害者の苦痛や侮辱そのものを目的としたものではない。
  • 男らしさの証明、優越、力、支配。マッチョな態度とレイプ傾向には相関あり。

まあこんな感じで、細かいことがたくさんわかってきているようです。おもしろいけど私にはコンパクトに取捨選択する力がないですわ。もっとしっかりしたエントリ書きたかったんですが、あきらめ。基本的にはソーンヒル&パーマー先生があげてるラインの方が支持されてるっぽい。ただし田口先生たちはフェミニスト的問題意識にもかなり気をつかってます。

あと最近の傾向として、レイプ犯にもいくつかのタイプがあるようだっていう考え方をしてるみたいですね。The Causes of Rapeっていう本では、(1) 若い暴力的男性、(2)社会的その他不利な状況にある男性、(3)サイコパス、みたいに分けて、それぞれ違う経路をたどってレイプ犯になってる、みたいな説明がされてました。なんか一元的に「男は女を支配するためにレイプするのだ」みたいなのはまあ言いにくい時代っすわ。人間世界のことはそんな簡単にはわからん。ソーンヒル&パーマー先生たちのやつだって、この高いレベルでならいろいろ批判されている。

でもまあ上にあげた田口先生たちの本なんか読むと、ほんとに時代はずいぶん進んだなあって感じがします。ぜひ読んでください。あと英語でよければ良質な論文がけっこうころがっています。Bryden & Grier (2011) “The search for rapists’ real motives” ってのは、レイプの動機の解釈が歴史的にどう変遷しているかわかりやすくて、すごくよかったです。

 

下の本はちょっと微妙に古い感じがするけど、犯罪心理学とかっていうのがどういう感じで発展してきているのかわかる。性犯罪以外もいろいろ検討していておもしろいです。科学だ。

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犯罪心理学の超入門なら下の。

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あと、ここらへんの研究や論説は、イデロギーがからんでいてひじょうにややこしい。フェミニスト理論vs進化心理学、あるいは性暴力に関するイデオロギーの問題については  http://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2016/05/22/100201 をちょっと読んでみてください。性暴力の解釈をめぐっては、まだまだ論争が続いているところです。とにかくそんな簡単じゃないです。基本的に、人間についてあんまり単純でわかりやすい話はうたがってかかりたい。


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「レイプ神話」での性的動機 (4) ブラウンミラー先生の支配欲説と反論

ともあれ、マッケラー先生の『強姦』はアミル先生の研究を参照して議論が進められていて、内容的には穏健っていうか今読んでもそんな違和感はないです 1)実は、アミル先生のもマッケラー先生のも、白人と黒人で文化を論じて分けていて、それはものすごく違和感があるんだけど。 。くりかえしますがマッケラー先生の主張は「レイプは性欲が原因ではない」とは主張しておらず、性欲はもちろんかかわっているけれども他にも様々な原因がある、ぐらいです。

問題は同じ年に出版されたブラウンミラー先生の『レイプ:踏みにじられた意思』(Against Our Will, 1975)ですね。これはいまではフェミニスト理論の古典とされているもので、すごく強い影響力をもっていて、「レイプの原因は性欲ではなく、男性グループの女性グループに対する支配である」って主張を一般的にしたものです。

人間以外の動物はレイプしないし2)実はある。 、レイプのない文化もあるので 3)実はほとんど見つからない 、レイプは我々の文化の影響下のものだ。我々の文化は家父長制と呼ばれる男性優位文化で、男性が女性を支配する必要がある。そのために使われるのがチンチンを武器にしたレイプだ、というわです。

「強姦とは、すべての男がすべての女を恐怖状態にとどめておくことによって成立する、意識的な威嚇のプロセスに他ならない」(p.6)
「強姦とは無分別で衝動的な抑えがたい欲望から生じる犯罪ではなく、征服欲にかられた者が相手を貶め、自分の物にするために行う敵対的で暴力的な行為だ」(p.319)

こんな感じ。レイプはセックスや性欲の問題ではなく、文化の影響によって男性はレイプへの指向を学習し、女性に対する暴力を美化・正当化するのだ、ってわけです。このアイディアから、現在フェミニストの人々が唱えているようないろんなアイディアが派生します。たとえば、男性は暴力的ポルノなどからそうした支配欲を学んでしまうのだから、暴力ポルノは規制するべきだ、とかですね。70年代後半から90年代ぐらいまではこういうフェミニスト的な視点がものすごい力をもって、現在まで影響している。

でもこのブラウンミラー先生の立場は90年代ぐらいに犯罪学や動物行動学や進化心理学から激しい批判を受けて、少なくともアカデミックな領域ではもう人気がないと思います。

ブラウンミラー先生たちのフェミニスト主流の立場の問題点をいちばん徹底的に批判しているのは、ソーンヒルとパーマー両先生の『ひとはなぜレイプをするのか』ですね。まあいろいろ批判はありますが、これ読まないで性暴力とかについて語るっていうのはもうありえないと思う。ちょっと長いので読むのたいへんっていうひとは、ピンカー先生の『人間の本性を考える』の下巻の「ジェンダー」の章を読むとよいと思う。

ソーンヒル先生たちのフェミニスト理論への反駁をちょっとだけ見ておくとたとえばこんなことを言っている。

(1)「レイプ犯の大半にはセックスパートナーがいるのだから性欲が動機ではないとされるけど、別に一人で性的に満足するわけではない。パートナーいたってポルノ見たり浮気したりするわけですからね。

(2) 「レイプは衝動的というよりは計画的なのだから、性欲が動機ではない」とされるけど、別にデートとか浮気とか計画的にやるセックスはたくさんあるのだから、根拠にならない。

(3) 「レイプの被害者は若い魅力的な女性ばかりではないのだから性欲が動機ではない」とされるけど、やっぱり犯人は可能ならば若くて魅力的な女性を狙うおうとする。被害者は圧倒的に二十代ぐらいの若い女性。襲いやすさは犯人にとって重要なので、必ずしも魅力的な若い女性だけではない。

(4) 「戦争のときにレイプが頻発するのだから、レイプは性欲よりは敵意にもとづいているはずだ」 4)実はブラウンミラー先生が自分の論拠にしているの多くの事例は戦時レイプなんですわ。他の事例の多くも古代〜近代の歴史的事象からとられていて、マッケラー先生の現代の事例を分析したものとはタイプが異なる。 とされるけど、これも性欲が動機でない根拠にならない。戦時には規範が緩くなり、特に敵に対する各種の暴行が許されやすくなるので、泥棒なども増える。戦時レイプにおいても、レイプ犯は可能ならばなるべく魅力的な若い女性をレイプする傾向があり、これは通常の男性の性行動と変わらない。

(5) 「男性グループが女性グループを支配するためにおこなう」とされているものの、レイプ犯に対する社会的制裁は通常は非常に苛烈なもので、男性個人が男性グループのことを考えているとは信じられない。

まあまだまだぞろぞろ、いろいろ説得的な反駁がおこなわれています。実はソーンヒル先生たちの本の半分は自分たちの理論(仮説)の提示ですが、半分はフェミニストやその他の従来の社会科学におけるレイプの動機・原因理論に対する反論で占められてるんですわ。これは科学的態度で、最初に読んだときはとても感服しました。

まあ、あんまりうまくまとめられないし、正確な議論はできないんですが、もう「性欲ではなく支配欲」はぜんぜん無理そうですね。ブラウンミラー先生の側の理論は、根拠が薄弱なだけじゃなく、むしろ実証的な知見とぜんぜんあわないように見える。いまだに「レイプの動機は性欲ではなく支配欲」みたいなことを、「定説だ」とかなんの留保もなしに言ってる人々はあんまり信用できないです。っていうか、90年代以降のことはなにも勉強してないんだと思う。注意した方がよい。

 

 


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References   [ + ]

1. 実は、アミル先生のもマッケラー先生のも、白人と黒人で文化を論じて分けていて、それはものすごく違和感があるんだけど。
2. 実はある。
3. 実はほとんど見つからない
4. 実はブラウンミラー先生が自分の論拠にしているの多くの事例は戦時レイプなんですわ。他の事例の多くも古代〜近代の歴史的事象からとられていて、マッケラー先生の現代の事例を分析したものとはタイプが異なる。

「レイプ神話」での性的動機 (3) 原因と動機、アミル先生の行動主義

マッケラー先生は、レイプの「原因」causeって言葉を使ってます。この「原因」ってのは哲学的なネタを豊富に含んでいておもしろい概念ですよね。

原因ってのは、なにかの出来事を引き起す因果的なメカニズムを指すと私は理解しています。実は一つの出来事について、原因とされるものはたいてい複数ある。たとえば家が火事になった原因というのを考えると、寝タバコとか放火とかそういうのが思いうかぶわけで、消防署や警察はそういう特定の原因を探そうとします。でもよく考えると、火事の原因、因果的なメカニズムはもっといろいろあって、たとえば、空気中に酸素がないと家は燃えないから酸素があることも原因だし、コンクリだけの家は燃えないから家が木などの可燃性のものでできていることも原因ですわね。そのなかで寝タバコを原因として特定するのは、我々が「原因」と呼びたいものは、他の同じような状況でそれを引き起こした当のメカニズムなわけです。空気中の酸素はいつもあるし、家もだいたい木で作られている。そしてそれに対して予防や対応の対策がとれるようなものであってほしい。酸素はなくせないし、家も燃えないように作りなおすのはたいへんだ。火事になったのは寝タバコのせいだ。寝タバコしなければ火事にはならなかった。こういうわけでわれわれは「火事の原因は(酸素でも木材でもなく)寝タバコだ」というようなことを言うわけです。

レイプの原因は性欲だ、とか言っちゃうと、性欲はまあ健康な人々はみんなもってて人によってはもてあましているくらいだし、それをなくせって言われてもこまっちゃうから、あんまり対策に有効ではなさそうだ。だから性欲以外の対処できる「原因」を探したくなるわけですわね。

んで実はマッケラー先生は学者ではないのでちょっと言葉遣いが微妙なところがある。マッケラー先生の『強姦』は、実は主にメナケム・アミル(翻訳ではアマール)先生っていう人の60年代の研究をもとにしてるんです。これはアメリカの統計を使ってレイプ犯や被害者がどういう人々か、っていうのを分析している堅い研究。マッケラー先生は、この本の分析と自分で集めた新聞記事などから『強姦』を書いたんですね。このアミル先生の入手して見てみたんですが、まあ立派な研究だと思います。今の目から見ると、白人と黒人に分けて統計研究したりしていて、ちょっと差別的なところも見られるけど、まあここらへんは時代的にしょうがないですわね。

興味はアミル先生がレイプの「原因」をどう説明しているかってことで、「レイプの原因は性欲じゃないよ」とか書いてるのかと思ってたんですが、そうではなかった。そもそも「性欲はレイプの原因か」みたいな問いは立てないんですね。むしろ「動機」motiveって言葉を使う。

「「なぜ」あのひとはあれをしたのか」っていう問いは、その人がそれをした原因(cause)、つまり因果的なメカニズム、をたずねているときもあれば、そのひとの目的や動機をたずねている場合もあるわけですね。動機っていうのは、ある人がなんらかの行動をするときの目標・目的ですわね。ただし、本人が意識している場合もあれば、あんまり意識していない場合もある。んで、実はアミル先生は、動機や動機づけ(motivation)については、心理学とかと社会学とかでは扱い方や注目するポイントが違っていて面倒だ、それに本人がなにを求めてそれをしているのかっていうのは結局他人には知ることができないのだから、そういうことを考えるよりは、レイプの加害者の特徴、被害者の特徴、それが起こる状況などを調べた方がいいよ、動機は問わない、みたいなことを言ってるわけです。当時流行していた行動主義っぽい考え方ですね。人の「心」なんかブラックボックスにしてかまわん、入力と出力だけで十分だ、ってなわけです。マッケラー先生の本ではアミル先生は頻繁に登場するんですが、そういう主張はまったく触れられていなかったので意外でした。

まあこんな感じで、レイプの原因とか動機とかってのはけっこう哲学的に難しい面を含んでるんですわ。そんな簡単に「これが原因だ」とか「犯人の動機はこうだ」とか言いにくい。

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「レイプ神話」での性的動機 (2) レイプ犯は飢えてない

まあ今回こんなん書いてるときにちょうど報道が大きめの事件がったので、マッケラー(マックウェラー)先生読みなおしたんですが、彼女の本では、「レイプの原因は性欲ではない」とは主張されてないんですね。

神話とされているのは、神話が「性的飢餓が強姦の原因である」で、事実は「性的飢餓はレイプの多くの原因の一つでしかない」なんすわ(「性的飢餓」hungerは翻訳では「性的欲求不満」と訳されている)。むしろ、性欲(sex drive)はレイプに踏まれている、と主張してます。男性の方に性的興奮がないと性器セックスはできないでしょうからね。もちろん、男性は性欲があればレイプするのかといえば、そういうことはしない人が大半なわけですから、レイプの原因は他にもいろいろあります、という話になる。まあこれってふつうの話ですね。

このマックウェラー先生の「性的飢餓(感) sexual hunger」は、おなかが空いたときの「飢餓感」と同じように、もうそれに襲われると法も道徳も関係ありません、もうどうしようもなりません、みたいなのになる状態を指しているのだとおもう。単に「おなかが空いたなあ」ぐらいではなく、もう3日ぐらいなにも食べてません、盗みでも強盗でも殺しでもなんでもやります、子供からだってパンを奪います、ぐらいね。

レイプはそういう状態になった男性によって引き起こされると誤解されている。まあ女性にモテず、お金もなく、やむにやまれぬ性欲をもてあまして、暗い路上で女性を襲う、みたいな感じですわね。
でも事実としてはレイプ犯というのはけっこうセックスパートナーがいることが多いんですわ。妻帯者やステディなガールフレンドがいて、セックスぐらい、頼めばいつでもできます、みたいな人々がたいていで、そうでなくても買春施設(風俗)とかを頻繁に利用してたり、ポルノ集めてたりして、数ヶ月、数年セックスもマスターベーションもしてません、みたいな人はめったにいない。これがマッケラー先生が「レイプの原因は性的飢餓だけではない、他にもさまざまある」って主張する根拠ですね。

こりゃまあその通りでセックスできない男性はたくさんいますが、ほとんどの人はレイプなんかしないし、風俗も使わないわけっすからね。レイプする男性は他にも原因があるはずだ。

ところでたしかに性欲は非常に強い欲求だと思われてます。横にそれちゃうけど、女子大生様たちとかが「三大欲求の一つの睡眠欲」とか言ってると、あと二つはなんじゃいな、そんなに強い基本的な欲求ですか、みたいに思う。ははは。そういや睡眠欲、っていうのがあるとしてあれは欲望として強いってより、抵抗できませんわよね。起きてたいけど寝てしまう。

性欲はその点おもしろくて、睡眠欲のように場合によってはまったく抵抗できないほど強いものではなく、食欲ほどコントロールしにくいものでもない。人前でいろんなことはじめる人ってのはめったにいないし、そういう人がいたら露出狂とか痴漢とかそういうもんですもんね。

倫理学者が好きなカント先生は、『実践理性批判』というたいへん重要な本で、次のようなことを書いている。

だれかが自分の色情の傾向性について、もしお気に召す相手とそれを手に入れるチャンスとがおとずれるとしたら、この傾向性に逆らうことなどとてもできないだろうとうそぶいているとする。それでも、もしかれがそのチャンスに恵まれる家の前に絞首台が立てられていて、色情を思うままにした後でただちにそこに吊るされるとしたら、かれはその場合でも自分の傾向性を押えることはないだいだろうか。かれがなんと答えるか、長く考えてみるまでもないだろう。

しかし、かれにこうたずねてみるとしよう。もしかれの君主が、おなじように即刻の死刑という威嚇の下に、ある誠実な人物にたいする偽証をかれに要求し、その偽りの口実を理由にその人物を亡きものにしたいと思っているとしたら、はたしてかれは、どれほど自分の命をいとおしむ気持が大きくても、その気持をよく克服することが可能であると思うだろうか。かれがそれをするかしないかは、おそらくかれもあえて確言はできないことだろう。それでも、それが可能であることは、かれもためらうことなく認めるにちがいない。かれは、こうして、そのことをなすべきであるとかれが意識するがゆえに、それをなすことができる、と判断するのであり、もし道徳法則がなければ知られないままにとどまったであろう自由を、みずからのうちに認識するにいたるのである。(カント、『実践理性批判』、第1部第1篇第1章第6節、岩波全集のを使いました)

「俺は性欲が強くて我慢できない、もういい女がいたら痴漢でもレイプでもなんでもやっちゃう」って言う奴だって、「やったら死刑」ってことになったらやるやつはいない。それに対して、「政府のために偽証しないと殺すぞ」って言われたって、「いや、殺されても俺は絶対にまちがったことだけはしないぞ」って決意して、それを実行することさえできる。ここに人間の本当に自由があるのだ、ってなわけですわ。これはかなり感動的なところです。でもまあここでカント先生が性欲の話つかっているのはおもしろいですね。やはり性欲はすごく強いものと思われている。でも飢えてるときの食欲や、徹夜のあとの睡眠欲ほど抵抗できないものではない。

まあこの罰が加えられることがわかればそれを止めることができる、っていうのが人間のポイントですわね。だからこそ刑罰があるっていう考えかたがある。たとえば不可抗力とか、心神喪失とかで、自分で本当にやめることができない場合はも責任能力もなく、罰も加えられないっていうのが刑罰についての正道の考えかたです。

まあむしろ性欲はコントロールできるからこそ、それに抵抗するため意識することが多いってところがポイントですかなあ。年齢層によっては非常に頻繁に意識される、っていうかまあ中学生男子とか頭の95%ぐらいそればっかり意識することになったりしますわね。みんないっしょうけんめい我慢しましょう。いつもいつもエッチなことを考えつつ、それをなさないことにこそ、人間の自由と尊厳がある。ははは。

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「レイプ神話」での性的動機 (1) レイプ神話って何

重大な性犯罪が起きると、きまってSNSには「レイプが性欲によるものだというのは神話」「レイプ神話はいまだに社会にはびこっている」「レイプは性欲が原因ではない、支配欲が原因」みたいな書き込みがなされて広まるっていう傾向があるように思いますが、これはちょっとどうかという感じです。

この「レイプ神話」については最近ちょっと文章書いたので、その一部を貼っておきます。

1960年代後半からのいわゆる第二派フェミニズムの最大のテーマの一つが、女性に対する暴力、特に性暴力の根絶である。 先進国での1960年代の「セックス革命」以降、青少年が多彩な性的な関係をもつことは珍しいことではなくなったが、それは同時に女性を性暴力に晒すことにもつながった。1975年のマックウェラーの『レイプ:異常社会の研究』は1960年代の犯罪学の成果から、性犯罪の実態を広い読者層に知らせ、またブラウンミラーの『レイプ・踏みにじられた意思』は、性犯罪は、男性優越社会での体系的・制度的な女性に対する性暴力の一部でしかないと論じた(MacWellar 1975; Brownmiller 1975)。彼女たちは、性暴力に対する誤解と偏見を「レイプ神話」として告発した。

「レイプ神話」のリストはさまざまなバージョンがあるが、とりあえずマックウェラーがあげているものを確認しよう。 神話によれば、(M1)男性の欲求不満がレイプの原因であり、(M2)レイプは衝動的におこなわれる、 (M3)女性の(自覚的・非自覚的)性的なアピールが原因である、女性が誘惑している、 (M4)犯行の現場では物理的な強制・暴力が使われ、被害者は重傷を負う、(M5) レイプは「見ず知らずの加害者」によっておこなわれる、 (M6)犯行は比較的短時間のうちに、(M7)屋外でなされる (M8) 女性はレイプされたいという隠された願望をもっており、女性の「ノー」はその願望の表明である。 つまり神話によれば、レイプは物理的な力づくの強制や暴力を使用する犯罪であって、同意のない女性はそれに抵抗するためになんらかのケガを負うのが当然であり、逆に、抵抗やそのためのケガの証拠がなければレイプではない、むしろ女性は強引にセックスされたいという隠された願望をもっており、女性が抵抗しなければそれは同意の「イエス」の十分な印であり、また女性の「ノー」でさえしばしば「イエス」を意味するとされるのである。

しかし実際には、(F1)レイプ犯の多くにはセックスパートナーとの性生活をもっている、(F2)多くの加害者は多かれ少なかれあらかじめ犯行の計画を立てている、(F3)被害者選定にあたっては、被害者の性的アピールはさほど重視されていない、(F4)被害者は恐怖などのためにほとんどなんの抵抗もできず、それゆえ傷を負うことはそれほど多くない、(F5) レイプの加害者は多くの場合被害者の顔見知りであり、配偶者やボーイフレンド、職場の同僚といったよく知っている人々の場合が少なくない、(F6)犯行は実際には被害者・加害者の自宅あるいは宿泊施設等でおこなわれ、(F7)また事前に長時間にわたる会話や説得、押し問答などが行なわれる場合が少なくない、(F8)レイプや強引なセックスに関するエロティックな空想を好む女性は存在するものの、現実にそれがおこなわれることを欲求することはない (MacKellar 1975)。

重要だったのは、こうした性犯罪の実態を見るならば、性犯罪・性暴力は、人々の通念におけるものや、犯罪統計に現れるよりもずっと日常的なものであることが理解されるようになったことである。顔見知りやデートする間柄での性的な攻撃や強制、あるいはセックスの無理強いも、「赤の他人に突然襲撃される」というそれまでの通念での赤の他人による暴力的なレイプと同様にレイプである、と意識されるようになった。こうした性的暴行の実態に関する議論は、小倉千加子『セックス神話解体新書』(小倉 1988)などで紹介され、国内でもよく知られるようになった。

M2〜M8はいいんですが、M1、つまり今回書いてみたい「レイプは性欲によるものだ神話」はいろいろ議論があるところなんですよね。続きます。

ちなみに、この件については、動物的道徳日記の「『ガリレオの中指』、『人はなぜレイプするのか』、学問における事実とイデオロギーの関係」もおすすめ。

 

レイプ《強姦》―異常社会の研究 (1976年)
ジーン・マックウェラー
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レイプ・踏みにじられた意思
スーザン ブラウンミラー
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セックス神話解体新書 (ちくま文庫)
小倉 千加子
筑摩書房
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シリーズ

ブックガイド:性暴力に関するフェミニスト文献古典

某授業用ブックガイド。作成中。


とりあえず若い女性・男性には以下の2冊読んでおいてほしい。

デートレイプってなに?―知りあいからの性的暴力 (10代のセルフケア)
アンドレア パロット
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女子のための「性犯罪」講義―その現実と法律知識 (Social Compass Series)
吉川 真美子
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下は「強姦神話」というアイディアを展開した本で非常に大きな影響力があった。内容は40年もたった今ではさすがに古いと思う。

レイプ《強姦》―異常社会の研究 (1976年)
ジーン・マックウェラー
現代史出版会
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下も同じころにさらによく読まれ、フェミニズト的な性暴力理解の基本。いまでも手に入りやすい古典。マスト。1970年代から90年代ぐらいの主流の考え方。

レイプ・踏みにじられた意思
スーザン ブラウンミラー
勁草書房
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性と法律――変わったこと、変えたいこと (岩波新書)
角田 由紀子
岩波書店
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↓非常に重要な文献で、ブラウンミラーらの解釈を批判している。これを読まないと議論できない。マスト。女性のみならず、男性こそ絶対に読むべきだ。

人はなぜレイプするのか―進化生物学が解き明かす
ランディ・ソーンヒル クレイグ・パーマー
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男性も女性の不快さを理解していないだろう

前のエントリのピンカー先生の「求めてもいない突然のセックスを見知らぬ他人とすることになるのは魅力的どころか不快なことであるという心理を、想像することができない男性の視野の狭さ」(ピンカー 下巻p.58)っていうのは重要で、私の根拠のない推測によれば、こういう不快さがまわりまわってポルノやセクハラに敏感で批判的な女性の多くのバックにあるんじゃないかと思われます。

ピンカー先生や、その解釈のもとになってるバス先生やソーンヒル&パーマー先生組なんかの進化心理学者の解釈によれば、女性にとっての大きな課題の一つは望ましくない相手とセックスしてしまわわないことで、特に暴力とかそういうの使われてセックスされて妊娠させられてしまうのを避ける心理メカニズムが発達しているはずだ、と。

twitterとか見てるとけっこう頻繁にポルノや萌え系アニメ・ゲームとかの話題になるのですが、そういうときに男性の側はそういうのがわかってないんじゃないかと思うときはありますね。

「酒の席でちょっとぐらい下ネタの話してもかわまんだろう」「風俗行くのぐらい普通だから職場の雑談のなかでそういうのが出てもしょうがない」「エロマンガぐらい自由に見てもいいだろう」「なにカリカリしてんだお前らみたいな女のことはそういう対象にもなっとらんわ」とかっていうタイプの意見もあるかもしれませんが、そういう相手の見境のないimpersonalなセックスを求める男性的な性欲のあり方それ自体に女性は警戒するようになってる可能性がある。実際、職場関係者から強制的に性的にアクセスされたりレイプされることもあるわけだし、そこまでいかなくてもしつこくされたりストーカーその他面倒なことになるとかっていうのは非常によくあることなわけだから、女性にとってそういう性欲のあり方をおおぴらに公言したりする人々ってのは脅威であるだろうと思いますね。抽象的に「男性とはそういうものだ」みたいなことを理解しているつもりでも、実際に目の前の男が性欲まるだしだったらやっぱり警戒せざるをえない。「私は家でこれこれこういうポルノを好んで見ておりまして、あれはよいものですな」とかっていってるオヤジがいたらやっぱり警戒せざるをえない。そういうのって不快でしょうなあ。

まあそういうんで、ツイッタとかで大学関係者が「おっぱい、おっぱい」とかやってるのを見るとちょっと気になりますわね。ああいうの読む女子学生様とか不快になってるんちゃうかな、みたいな。

「女性だって家帰ったら薄い本とか読んでんだから」とか言う人もいるかもしれないけど、そりゃ女性向けにある理想化をされたポルノであって、職場や学校でうろうろしているダメな男たちの性欲について知りたいとも思わんだろう。気を許しているとヤラれてしまうし。女性たちが「なんで年柄年中まわりの男たちの性欲がどういう状態にあるか気にしてなきゃならんのか」と思うのはまあ当然のことだろうなあ、みたいな。腐女子と呼ばれている人々が「自重!」とかってやってんのも、彼女たちの性的なファンタジーと性欲の存在が男性に知られると集団として性的にアクセスしやすいと勘違いされる可能性があって、そこらに対する防衛なのかもしれんな、とか。まあそういう性的欲望(とその逆の性的嫌悪)に関してはいろいろ謎が多いですなあ。

 

 

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一度なら許してしまう女 一度でも許せない男―嫉妬と性行動の進化論
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女性には男性の性欲がわかりにくいのだろう

前エントリの続き

スティーブン・ピンカー先生の『暴力の人類史』は非常におもしろいので、あらゆる人が読むに値すると思います。暴力の歴史と心理学が延々書いてあってとても楽しい(暴力が楽しいのではなく、各分野の最新の知見が得られる)。最初の方の拷問の話は読むと冷や汗をかくので苦手な人は飛ばしてもいいと思う。そこ飛ばせばあとはそんなひどいのはない。

当然殺人だけじゃなく人種差別、児童虐待、ゲイバッシング、動物虐待とかって話にまじって、女性に対する暴力である性暴力の問題も扱われてます。

『人間の本性を考える』とかではフェミニズム(特にブラウンミラー先生のタイプのやつ)に対してなんか批判的・揶揄的な態度をとってるところもあったんですが、この本ではかなり高く評価してますね。フェミニストたちの運動のおかげで、20世紀後半に性暴力に対して社会は厳しい態度で臨むようになり、数も減ってる、ってのが基本的な立場。

レイプは決して男性性の正常な一部というわけではないが、男性の欲望が基本的に性的パートナーの選り好みに頓着せず、パートナーの内面にも無関心であるという事実によって可能となっているところはある。もっといえば、男性にとっては「パートナー」という言葉より「対象物」(object)という言葉の方が適切なくらいなのである。(下巻 p.58)

こういう男女の性的欲求のあり方の違いはけっこう重要で、性暴力の被害がちゃんと扱われないのには、「求めてもいない突然のセックスを見知らぬ他人とすることになるのは魅力的どころか不快なことであるという心理を、想像することができない男性の視野の狭さ」があるだろうとか。(objectは対象物でもいいけど「モノ」の方がピンとくるかもしれない。)

もっとも、「レイプはセックスではなく暴力」っていう有名なフェミニスト的主張は認めない。ブラウンミラー先生の「先史時代から現代にいたるまで、レイプにはある決定的な機能が担わされてきたと思う。レイプとは意識的な威嚇プロセスにほかならず、このプロセスによって全男性は全女性につねに恐怖をもたせつづけるのだ」っていう有名なフレーズは今回も強烈に否定されちゃう。

このあとが重要で、

もしここで「アド・フェミナム」な〔女性に対する偏見に訴えた〕提言を許されるなら、その気のない他人と人間的感情のないセックス(impersonal sex)をしたがる欲望というのが奇妙すぎて考えるにも及ばない性別にとっては、レイプはセックスとは何の関係もないという説のほうが、もっともらしく感じられるのかもしれない。(下巻 p.59)

てなことを書いてる。(ad feminamは偏見に訴えたというよりは「女性だから論法」の方がよいと思う。impersonal sexは「人間的感情のないセックス」でもOKだけど、「誰か特定できない、お互いを個別の人格とみてないセックス」の意味)

これはワシも昔からそうだと思ってたのじゃ。ワシもワシも。前のエントリで紹介した牧野雅子先生の『刑事司法とジェンダー』で、先生はレイプ犯人の動機が性欲だってされることに非常に抵抗があるみたいで、もっと「加害性を追求」しろということを主張しているわけだけど、レイプ犯の動機を性欲だとすることに対する抵抗の一つは女性にはそんなものが性欲だとは思えないからだろう、みたいな。

牧野先生自身はレイプの動機にあるのは性欲というよりは、「自分には力があることを確認」「自信を回復」「「内なる父」を越える」(牧野 p.190)とかだっていうフェミニスト的解釈やフロイト的解釈に共感しているようだ。

研究対象の犯人はこういってるらしいです。

最近考えているのですが、「強姦」という手段に出たのは、私の中では意味を理解していない絶対悪なので、これをクリアすれば力が手に入る、強者になれる。そして、自分のカラを壊るのに性的興奮のいきおいが必要だったのではないか、そして女性を征服できる喜び、達成感があったのではないかと思っているのです。私が考えているこの三つはかなり私にはしっくりくるものであり、今書いている事自体苦しく、つらく、恐いものです。(牧野 p.190)

これはまあ事後的に「自分はあのときなぜそうしたのかな」っていう問いに対する犯罪者なりの答ですわね。どの程度正直なのかはよくわからない。これを牧野先生はこう解釈する。

Yの強姦行為には、異なる水準の力が関わっている。一つは、被害女性に対する強姦行為に見る力であり、女性を強姦することで、自分には力があることを確認し、職場や家庭で喪失している自信を回復させるものである。もう一つは、「内なる父」を超える力としての強姦である。強姦を行うことで、耐えることを強要する「内なる父」、目標だった父を超えて、強者になったと実感し、父の縛りから解放されるのである。(牧野 p.190)

「レイプはセックスには関係なく、関係するのは力(パワー)だけ」っていうピンカー先生が批判するフェミニスト的解釈にのっかってますね。

Yは、家庭や職場で感じていた自信のなさやままならなさを、「内なる父」の足枷をはずしたり、自分の弱さをさらけ出すなどして、現実の世界で自分を変えるのではなく、自分が自由に振る舞える世界を創り出し、そこで別の自分になることで、自分を解放した。その手段として強姦が選ばれた。Yは、性欲によって行われたということは、最初に発信した手紙で「この犯罪は性的欲求だけでは絶対起こりえない犯罪だと思います」と否定してた。捜査・裁判を通じて、Yの強姦はY生来の強い性欲によって起きたと結論づけられていたが、そのことは終始否定していたのである。(牧野 p.190)

犯人は「性欲だけでは起こりえない」と(おそらく)正しく書いているのに、牧野先生は「否定している」と解釈してしまっている。たしかに犯罪とかっていうのは、強い欲望だけでは実行されずに、他にもいろんな条件が必要で、環境や状況の条件もあれば、弱い自制力、弱い道徳心、低い共感力とかそういう個人の条件も必要だろう。私の好きなJ. S. ミル先生はこういうことを言っている。

人々が誤った行動をとるのは、欲望(desire)が強いからではない。良心が弱いからである。強い衝動と弱い良心とのあいだにはなんの自然的つながりもない。自然的つながりはその逆である。ある人の欲望と感情が他の人のそれらより強く変化に富んでいる、ということは、その人のほうが人間性の素材をより多くもっており、したがってより多くの悪もなしうるかもしれぬが、確実により多くの善をもなすことができる、ということにほかならない。強い衝動とは精力(エネルギー)の別名なのだ。(ミル『自由論』第3章、早坂忠先生の訳を一部変更。)

英雄色を好む、とかそういう感じすかね(ミル先生の性欲がどうだったのかというのは伝記的な謎)。こういうの読むと、たしかに「生来の強い欲望によって起きた」みたいな解釈がどの程度正しいかってのは再考してみる価値はある。けっきょくその人の弱い自制心や道徳心その他の心的能力に較べて性欲がそこそこ強い、道徳や自尊心や合理性より性欲を優先しちゃう奴ってだけで、それは他の人々と同じかそれ以下のものかもしれんしね。「性欲なら、あんな犯罪者よりオレ方がずっと強いぞ」みたいな人は少なくないのではないか。ははは。

まあ「自信の回復」とか「内なる父の超克」とかそういうのも部分的にはあるんかもしれないけど、私は原因として一番強いのはやっぱり性欲だろうな、と思いますね。(もちろんレイプ犯のすべてが同じ動機に同じようにもとづいているわけではない。)ふつうに考えてしまえば、「自分が自由に振る舞える世界」で凶器とかちらつかせて女性を脅していったいなんの自信がつくのかわからんし、どういう内なる父を超えてるのかもわからんし。そもそも犯罪犯して自信がつくってだけの話なら、若い女性を狙う必要もない。どうせ凶器使うなら、偉そうな男性大学教員にでもからんで財布カツアゲしたり土下座させたりした方ががずっと自信がつくのではないか。警察官なんだから体鍛えてるだろうし、大学教員を背負い投げするくらい簡単だろう。一般に「ストレスから」とか「自信をつけるため」とかっていう加害者自身の言い分ってのはどのていど信用していいのかよくわからんです。

→続き「男性も女性の不快さを理解していないだろう」

 

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牧野雅子先生の『刑事司法とジェンダー』

昼間ちょっと某氏と性犯罪対策みたいなのについて話をする機会があり、牧野雅子先生の『刑事司法とジェンダー』読みなおしたり。この本は非常に興味深い本で、元警察官で、警察学校の同期が連続強姦で逮捕されたという経験をもつ方が書いてる。警察内部の取調べマニュアルとか、その連続強姦魔の書簡や聞き取りなんかから構成されていて非常に読みごたえがある。性犯罪とか刑事司法とかそういうのに関心ある人は必読だと思いますね。

読んだときに書評もどきというかamazonレビューみたいなものを書こうとしたんですが、そのままになってしまってた。ネタは非常におもしろいのに、全体に微妙に理解しにくいところがあるんよね。

性犯罪と性欲

一つ目。牧野先生によれば、性犯罪では操作から立件、裁判に至るまで、加害者の犯罪行為がとにかく「性欲」という動機にもとづいた犯行であったことを立証しようとしていて、その際に「性欲」や「情欲」が「本能」とされていて内実が問われないままになってる、ということらしい。「男の本能だからしょうがない」みたいな感じですかね。まあたしかに「本能」だから「しょうがない」なんて本気で言われちゃったら困っちゃいます。性欲はわれわれが動物と共通にもっている欲望の一つだろうけど、それをコントロールするから人間であってね。

でも「本能」はともかくとして、犯行の動機が性欲であることを立証しようとするのは、刑事司法としてはある程度やむをえないことな気がする。刑法とかぜんぜん知らんのであれなんですが、素人考えからすれば、もしある強姦に該当する行為が、性欲にもとづいたものでなければそれが性犯罪なのかどうかわからないってことにもなるかもしれない。たとえば、加害者はまったく性的な欲求をもっておらず、女性の性器に男性器を挿入することによって来世で蘇えることができるとかそういうことを信じていてそういう行為を行った場合、それって性犯罪なのかどうか。セックスっていうのがなんだか知らないわからないけど男性器を挿入してしまった、みたいなのもどういうタイプの犯罪なのかよくわからない。やっぱり性犯罪が性犯罪であるためには、犯行の主要な動機の一つが性欲である、セックスである、っていうのが必要なんちゃうかな。

まあもちろん、加害者がなにを考えていようが、被害者にとって性的な行為であれば性犯罪である強姦である、っていうのでもOKなのだろうとは思います。でも「なぜその犯罪を犯したのか」っていう問いに対して、いくつかの動機と、その動機にもとづいた犯罪行為を防がなかった理由がないと我々はそれが犯罪だと理解しにくい。それが犯罪だと思ってなかったとか(強姦の場合はありえないと思うけど)、他人の利益や尊厳なんか知ったことはないという邪悪な性格であったとか、捕まらないだろうと思ってたとか、そういうのも理解した上で、そいつの行為が犯罪と呼ばれるものだったのかとか、どの程度の罰を与えねばならないかとか考えるんだと思う。

牧野先生が懸念しているのは、「強姦が性欲にもとづくものだ」ということよりは、「性欲は本能であり自然なものだ」とか「本能だからしょうがない」とかって考え方の方なんだけど、これってそんなに司法の場で認められていることなんすかね。たしかに邪悪な犯罪者たちはそういう自己弁護をするだろうけど、われわれがそれを認める必要はまったくないように思える。「他人のものを取りあげて自分のものにしてしまいたい」「腹が立つ奴は殴りたい」みたいなのも我々の自然的な傾向であって、もし「本能」っていう言い方をすれば本能。でもそういう欲求を野放しにしたら困るから法や罰があるわけで、自然なもの、本能的なものだからって主張されたってつっぱねることはできるわね。

難しいのは「その時私は自分をまったくコントロールすることができなかった」と主張された場合で、これ心神喪失とか心神耗弱とかそういう面倒な問題になりますわね。もしこの手の話をするのであれば、性欲によってわれわれがそうした自分のコントロールをまったく失うことがありえるかっていうおもしろい話になる。牧野先生は本当はこれがしたかったのかしら。刑法学とかの分野でこの問題がどうなってるか私は知らないんですが、衝動的な行動についていくらか情状酌量の予知はあるのかもしれないけど、たいていの性犯罪はそういう衝動的なものではないだろうから関係なさそうな気もする。この点は後半の事例研究でもはっきり出ていると思う。痴漢やセクハラぐらいのことを考えても、たとえば道を歩いていて、白昼人目のあるところで突然衝動的に女性に襲いかかる奴なんてのはいないわけで、おそらく皆捕まらないだろう、セクハラで訴えられないだろうぐらいの計算をしてからやってる気がしますね。少なくとも頭のなかで何回も予行演習していると思う。

 加害性の追求

二つ目。この本の後半では研究対象となった警察学校動機の強姦魔の悪質さが強調されていて、これはなんともすばらしい研究だと思う。理解しにくいのは、第3章「加害性の追求」での議論でなにを目指しているかっていうことなんよね。牧野先生が考えているのは単なる厳罰化じゃないみたいで、んじゃいったいなにか。研究対象になっている強姦魔はまったく悪質凶悪なやつで、これほど悪質な犯罪者は厳罰に処すべきだと思わされるんだけど、逆に読者にはその悪質さがかえってそうした犯罪者の特異性みたいなのを感じさせてしまう。よくいわれるサイコパス的な感じ(よく知らんけど)。こんなに異常なやつを追求するってのはどういうことなのか。もちろん異常人物として研究対象としては興味深いだろうけど、刑事司法の場で他になにをしようというのかがわからない。

「追求」ってのがわからんのんよね。「加害者は取調べにおいてその加害性を十分に追及されることがない」(p.130)っていう文章なんかが典型なんだけど、警察や検察の取調べは建前としては道徳的・法的非難の場ではなく、事実確認の場だろうと思う。「どんな悪い奴かはっきりさせる」ってことかなあ。「あの事件はなぜ起こったのか」(p.198)という問いの答を追求するのかもしれないけど、加害者の性格や生い立ちや考え方をはっきりさせるのだろうか。あるいは性犯罪をとりまく社会的ななにかをはっきりさせるのだろうか。そこらが見えなくて最後まで不満のままだった感じ。

性欲による行動は不可避なの?

あと最後の方はけっっこうあやういことも書いていて、たとえばp.201では若年者の犯罪は更生可能性があるから量刑軽くなることが多いわけだけど、性犯罪だと再犯可能性が高いから若年であることは軽減ファクターではなく、「むしろ加重ファクターであり、裁判所の判断に誤りがある可能性を示している」とかっていうんだけど、こういうの大丈夫なんだろうか。もうちょっと慎重な議論してほしい感じがある。

まあでも一番気になるのは、やっぱり何度もくりかえされる「操作・裁判は、性犯罪は「性欲」によって行われる、男性の生理に基づく不可避の犯罪であるという前提で進められている」(p.202、下線は江口)っていう主張かな。これほんとうにそう考えられているんだろうか。ほんとうに不可避なんだろうか。牧野先生が勝手にそう読みこんでいるという可能性はないだろうか。なんらかの意味で本当に不可避なんだったら罪を問うことさえ不可能に思える。また逆に、本当に不可避なんだったらそんなもんはどっかに閉じ込めておかなきゃならんってことでもある。刑事罰ではなく保安処分の対象ではないのか。

また牧野先生自身は性犯罪の背景に性欲の他にどういう動機を見つけたいのか、どういう筋書なら納得のいく「加害性の追求」になると考えているのか。たとえば性犯罪は性欲ではなく支配欲に基づくものであるとか、女性を家にとじこめておくための男性集団の共謀によるものだとか、そういうやつなんかなあ。

→続き「女性には男性の性欲がわかりにくいのだろう」