「レイプ神話」での性的動機 (2) レイプ犯は飢えてない

まあ今回こんなん書いてるときにちょうど報道が大きめの事件があったので、マッケラー(マックウェラー)先生読みなおしたんですが、彼女の本では、「レイプの原因は性欲ではない」とは主張されていないんですね。

神話とされているのは、神話が「性的飢餓が強姦の原因である」で、事実は「性的飢餓はレイプの多くの原因の一つでしかない」なんすわ(「性的飢餓」hungerは翻訳では「性的欲求不満」と訳されている)。むしろ、性欲(sex drive)はレイプに踏まれている、と主張してます。男性の方に性的興奮がないと性器セックスはできないでしょうからね。もちろん、男性は性欲があればレイプするのかといえば、そういうことはしない人が大半なわけですから、レイプの原因は他にもいろいろあります、という話になる。まあこれってふつうの話ですね。

このマックウェラー先生の「性的飢餓(感) sexual hunger」は、おなかが空いたときの「飢餓感」と同じように、もうそれに襲われると法も道徳も関係ありません、もうどうしようもなりません、みたいな状態を指しているのだと思います。単に「おなかが空いたなあ」ぐらいではなく、もう3日ぐらいなにも食べてません、盗みでも強盗でも殺しでもなんでもやります、子供からだってパンを奪います、ぐらいね。

レイプはそういう状態になった男性によって引き起こされると誤解されている。まあ女性にモテず、お金もなく、やむにやまれぬ性欲をもてあまして、暗い路上で女性を襲う、みたいな感じですわね。
でも事実としてはレイプ犯というのはけっこうセックスパートナーがいることが多いんですわ。妻帯者やステディなガールフレンドがいて、セックスぐらい、頼めばいつでもできます、みたいな人々がたいていで、そうでなくても買春施設(風俗)とかを頻繁に利用してたり、ポルノ集めてたりして、数ヶ月、数年セックスもマスターベーションもしてません、みたいな人はめったにいない。これがマッケラー先生が「レイプの原因は性的飢餓だけではない、他にもさまざまある」って主張する根拠ですね。

こりゃまあその通りでセックスできない男性はたくさんいますが、ほとんどの人はレイプなんかしないし、風俗も使わないわけっすからね。レイプする男性は他にも原因があるはずだ。

ところでたしかに性欲は非常に強い欲求だと思われてます。横にそれちゃうけど、女子大生様たちとかが「三大欲求の一つの睡眠欲」とか言ってると、あと二つはなんじゃいな、そんなに強い基本的な欲求ですか、みたいに思う。ははは。そういや睡眠欲、っていうのがあるとしてあれは欲望として強いってより、抵抗できませんわよね。起きてたいけど寝てしまう。

性欲はその点おもしろくて、睡眠欲のように場合によってはまったく抵抗できないほど強いものではなく、食欲ほどコントロールしにくいものでもない。人前でいろんなことはじめる人ってのはめったにいないし、そういう人がいたら露出狂とか痴漢とかそういうもんですもんね。

倫理学者が好きなカント先生は、『実践理性批判』というたいへん重要な本で、次のようなことを書いている。

だれかが自分の色情の傾向性について、もしお気に召す相手とそれを手に入れるチャンスとがおとずれるとしたら、この傾向性に逆らうことなどとてもできないだろうとうそぶいているとする。それでも、もしかれがそのチャンスに恵まれる家の前に絞首台が立てられていて、色情を思うままにした後でただちにそこに吊るされるとしたら、かれはその場合でも自分の傾向性を押えることはないだいだろうか。かれがなんと答えるか、長く考えてみるまでもないだろう。

しかし、かれにこうたずねてみるとしよう。もしかれの君主が、おなじように即刻の死刑という威嚇の下に、ある誠実な人物にたいする偽証をかれに要求し、その偽りの口実を理由にその人物を亡きものにしたいと思っているとしたら、はたしてかれは、どれほど自分の命をいとおしむ気持が大きくても、その気持をよく克服することが可能であると思うだろうか。かれがそれをするかしないかは、おそらくかれもあえて確言はできないことだろう。それでも、それが可能であることは、かれもためらうことなく認めるにちがいない。かれは、こうして、そのことをなすべきであるとかれが意識するがゆえに、それをなすことができる、と判断するのであり、もし道徳法則がなければ知られないままにとどまったであろう自由を、みずからのうちに認識するにいたるのである。(カント、『実践理性批判』、第1部第1篇第1章第6節、岩波全集のを使いました)

「俺は性欲が強くて我慢できない、もういい女がいたら痴漢でもレイプでもなんでもやっちゃう」って言う奴だって、「やったら死刑」ってことになったらやるやつはいない。それに対して、「政府のために偽証しないと殺すぞ」って言われたって、「いや、殺されても俺は絶対にまちがったことだけはしないぞ」って決意して、それを実行することさえできる。ここに人間の本当に自由があるのだ、ってなわけですわ。これはかなり感動的なところです。でもまあここでカント先生が性欲の話つかっているのはおもしろいですね。やはり性欲はすごく強いものと思われている。でも飢えてるときの食欲や、徹夜のあとの睡眠欲ほど抵抗できないものではない。

まあこの罰が加えられることがわかればそれを止めることができる、っていうのが人間のポイントですわね。だからこそ刑罰があるっていう考えかたがある。たとえば不可抗力とか、心神喪失とかで、自分で本当にやめることができない場合はも責任能力もなく、罰も加えられないっていうのが刑罰についての正道の考えかたです。

まあむしろ性欲はコントロールできるからこそ、それに抵抗するため意識することが多いってところがポイントですかなあ。年齢層によっては非常に頻繁に意識される、っていうかまあ中学生男子とか頭の95%ぐらいそればっかり意識することになったりしますわね。みんないっしょうけんめい我慢しましょう。いつもいつもエッチなことを考えつつ、それをなさないことにこそ、人間の自由と尊厳がある。ははは。

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