セックスの哲学 宇崎ちゃん問題 (4) 「モノ化」は「客体化」でもやむをえない ちなみにここで小宮先生にはあんまり責任がない「客体化」もむずかしいって話もしとかないとならんかな。 2019.12.18 セックスの哲学
セックスの哲学 宇崎ちゃん問題 (3) 「表象」はわかりにくい 正直小宮先生の書くものはある種の魅力があって、それが多くの人を惹きつけるんだと思うんですわ。私の文章とかぜんぜんだめよね。なんか華がないというか、もってまわってわかりにくいし。あはは。 2019.12.18 セックスの哲学
セックスの哲学 宇崎ちゃん問題 (2) 小宮先生たちの「「性的な女性表象」の何が問題なのか」 前の「宇崎ちゃん」に関するエントリ書いたあと、すぐに続きを書くつもりだったのですが、当の『現代ビジネス』からそれについての原稿書いてみないかというお誘い受けてしまって、考えてることを書いたりして、時間がたってしまいました。ちなみにタイトルと... 2019.12.18 セックスの哲学
セックスの哲学 詭弁と誤謬推理に気をつけよう(1) 宇崎ちゃんポスターの場合 (宇崎ちゃん問題(1)) 『宇崎ちゃんは遊びたい』とコラボした献血ポスターについて、フェミニストの牟田和恵先生が、各自治体のガイドラインを示して、ポスターはガイドラインに反した性差別であると主張しています。それに対してはすでによい論評がいくつか出ているので ((「「... 2019.11.07 セックスの哲学
セックスの哲学 性表現と表現規制(7) ポルノ批判と会田先生の答え まあ米国での規制の法制度づくりは失敗したわけですが、その後もポルノは性差別だというマッキノンとドウォーキンのラインの議論はけっこう魅力を感じる人もいるようです。表現そのものが性差別だとかってのに疑問を感じる人がいると思いますが、人種差別的な... 2013.02.14 セックスの哲学
セックスの哲学 性表現と表現規制(6) エロチカとポルノ キャサリン・マッキノンとアンドレア・ドウォーキンのラインの考え方では、性表現はよい性表現と悪い性表現がある、と。それを分けましょう。たんに友好的で平等で自発的で楽しいセックスを描いた「エロチカ」と、女性をものみたいに扱ったりいじめたり差別し... 2013.02.13 セックスの哲学
セックスの哲学 性表現と表現規制(5) 性差別としての性表現 しかし1980年代からは、「猥褻」としてではなく「性差別」や「性暴力」として性表現を見る考え方が現れて注目をあびるわけです。この一連のエントリの始まりに書いた「ポルノ被害を考える会」なんかの思想的背景はこういうところにあるはずです。1960... 2013.02.12 セックスの哲学
セックスの哲学 性表現と表現規制(4) 猥褻規制の問題点 しかしまあ猥褻だから規制してしまえ、って考え方は多くの批判にさらされていて、一般にうまくいかないと思われています。まずはなにが猥褻なのかが常に曖昧なことですわね。まず定義そのものが曖昧。「いたずらに性欲を刺激する」の「いたずらに」ってのがど... 2013.02.12 セックスの哲学
セックスの哲学 性表現と表現規制(3) 猥褻猥褻 ええと、んで猥褻なんですが、どういうわけかエロい表現は国家が規制してもかまわん、とみんな思いこんでた時代があるみたいなんですね。いまもそうかもしれないですけど。とにかくある種の表現はわいせつでいやらしくてけしからんので流通させないようにしよ... 2013.02.11 セックスの哲学
セックスの哲学 性表現と表現規制(2) エロな表現 んでやっと猥褻の話なんですが。猥褻って字は難しいですね。私は書けません。猥褻猥褻。言論の自由ってのはまあ政治的にはとても重要なので、民主的な先進国の市民ならほとんど誰でもその重要性を認めるわけですが、それでも言論の自由や表現の自由ってのは絶... 2013.02.11 セックスの哲学
セックスの哲学 性表現と表現規制(1) 会田誠先生の森美術館というところでの展覧会に、ポルノ被害と性暴力を考える会( 以下「考える会」)という団体が抗議をしたのをきっかけに、ネット界隈では芸術と表現の自由とかについての議論が盛んになっているようです。まあ性表現と表現の自由の問題は... 2013.02.11 セックスの哲学