『宇崎ちゃんは遊びたい』とコラボした献血ポスターについて、フェミニストの牟田和恵先生が、各自治体のガイドラインを示して、ポスターはガイドラインに反した性差別であると主張しています。それに対してはすでによい論評がいくつか出ているので [1]「「宇崎ちゃんは遊びたい」×献血コラボキャンペーンの絵は過度に性的なのか?」「宇崎ちゃんを採用した赤十字は現実的」 私が書くべきことはほとんどないのですが、一つ、大学での教育的な点から書いておきたいことがあります。これは続きものになるかもしれない。
ゲンダイの文章は改ページが多くて見通しが悪いので、冒頭から、途中の、ガイドラインに反しているのは明らかだと主張しているところまで引用しましょう。
日本赤十字社が献血を呼びかけるためにweb漫画とコラボで作成したポスターがネット上で論議を呼んだ。今回使われたのは写真の通り、幼い表情で、巨大といってもいいような乳房を強調するもの。「宇崎ちゃん」という名のキャラらしい。
日本事情に詳しい米国人男性が英語で、過度に性的な絵で、赤十字のポスターとしてふさわしくない、とツイッターで発信(10月14日)、日ごろから女性差別問題について活発な発信をしている女性弁護士がそれに同意し「環境型セクハラ」と批判を続けたところ、「表現の自由だ、表現を規制するのか」「自分の基準で勝手なことを言うな」「たかが絵なのに文句を言うな」等々の、ほとんど罵倒と言ってもよいようなものも含めて、非常に多くの反批判を受けた。
私自身もこの件で複数回ツイートしたが、いずれもリツイートや「いいね」を多数いただいたものの、上記と同趣旨のリプライも山ほど浴びた。
改めて、何が問題なのか
結論から言えばこの件は、議論する以前に答えは出ている。
女性差別撤廃条約(1979年国連採択、85年日本批准)はジェンダーに基づくステレオタイプへの対処を求めており、日本政府への勧告でもメディアでの根強いステレオタイプの是正を重ねて求めている。
たとえば第4回日本レポート審議総括所見(2009年)では、勧告の項目「ステレオタイプ」に、「女性の過度な性的描写は、女性を性的対象としてみるステレオタイプな認識を強化し、少女の自尊心の低下をもたらす」と警告している。
男女共同参画社会基本法(1999年制定)の下で策定された「男女平等参画基本計画」(2000年)でも「メディアにおける女性の人権の尊重」が盛り込まれ、2003年には内閣府の「男女共同参画の視点からの公的広報の手引き」でこれを「地方公共団体、民間のメディア等に広く周知するとともに、これを自主的に規範として取り入れることを奨励する」としている。
同じ趣旨で各地方自治体でもガイドラインを策定しているが、たとえば、東京都港区は、
「目を引くためだけに『笑顔の女性』を登場させたり、体の一部を強調することは、意味がないばかりなく、『性の商品化』につながります」「(性の商品化とは)体の一部を強調されたり、不自然なポーズをとらされることで、女性の性が断片化され、人格から切り離されたモノと扱われること」(東京都港区「刊行物作成ガイドライン「ちょっと待った! そのイラスト」、2003年)
としている。
最近のものでは埼玉県が、自治体のPR動画やイベントポスターなどで過度に性的な「萌えキャラ」等が問題となっている事態を踏まえて、女性を性的対象物として描くことに注意喚起し、「人権への理解を深め、男女共同参画の視点に立った表現をすることが一層重要となっています」(埼玉県「男女共同参画の視点から考える表現ガイド」(2018年))としている。
今回のポスターはこうしたガイドライン等に抵触することは明らかだろう。
「明らかだ」っていうんですが、本当に明らかでしょうか。私こういうタイプの文章見ると混乱してしまうんですよね。
牟田先生の上の引用での主張を、簡単にまとめると、「宇崎ちゃんは幼い顔でおっぱいが大きく描かれている」「宇崎ちゃんは過度に性的だと米国人男性が言った」「国連はメディアのジェンダーステレオタイプの是正を求めている」「男女平等参画基本計画ではメディアにおける女性の人権の尊重を求めている」「自治体がいろいろガイドラインを定めている」ぐらいですよね。最後の埼玉のを使うと
a. 埼玉のガイドラインは女性を性的対象物として描くことに注意喚起している
c. それゆえ今回のポスターは埼玉のガイドラインに抵触している
とかって形になっているわけです。なんかおかしいですよね。大学の授業なんかでは、論証というのは三段論法が基本だ、みたいな話を聞いていると思います。
a. 人間は死ぬ
b. ソクラテスは人間である
c. それゆえソクラテスは死ぬ
こういう形ですよね。実は上の牟田先生のやつは、省略三段論法とか隠された三段論法といわれやつで[2]省略三段論法自体は特に詭弁でも誤謬推理でもないです。、本来は、
a. 埼玉のガイドラインでは女性を性的対象物として描くことは不適切だ[3]実際の文言では「注意喚起」しているにすぎません。
b. 宇崎ちゃんポスターは女性を性的対象物として描いている
c. したがって、埼玉のガイドラインでは宇崎ちゃんポスターは不適切だ
という形になっているはずなのです。牟田先生が「明らかだろう」っていってるのはぜんぜん明らかではなく、「宇崎ちゃんポスターは女性を性的対象物として描いている」という牟田先生自身の論点や主張が明示されておらず、暗黙に了解されているにすぎない[4] … Continue reading。そしてこれこそ本当の論点のはずなのです(性的対象として描くことが不適切なこと、あるいは悪いことであることを認めるとして、ね)。
国連の「女性の過度な性的描写」の方を見ても同様ですね。
a. 国連は女性の過度な性的描写には問題があると主張している
b. 宇崎ちゃんポスターは過度な性的描写である
c. 国連は宇崎ちゃんポスターには問題があると主張する(だろう)
という形になるはずなのに、宇崎ちゃんが過度な性的描写であるという指摘がない。牟田先生は、あちこちのガイドラインが過度な性的描写には注意をうながしている、ということを列挙しているにすぎず、そのガイドラインの根拠についてもはっきりしない[5]そもそも献血ポスターと自治体のガイドラインの関係もよくわからない。 https://togetter.com/li/1425063 参照。。宇崎ちゃんは過度に性的なのだろうか。
これ、注意深く読むと、冒頭で「米国人男性が(宇崎ちゃんポスターは)過度に性的な絵で赤十字のポスターとしてふさわしくない、とツイッターで発信、女性弁護士がそれに同意」ということが言われていますが、牟田先生自身は「ポスターは過度に性的な絵だ」ということを主張・立証していません。
もしかしたら
a. 米国人男性と女性弁護士が共に言うことはなんでも正しい
b. 米国人男性と女性弁護士は共に「ポスターは過度に性的だ」と言った
c. したがって「ポスターは過度に性的だ」は正しい = ポスターは過度に性的である
とかそういう三段論法も隠されているのかもしれない。こうなるとすごいっしょ。まあ隠された三段論法の隠された前提にどんなものがはいっているかは推測するか質問するしかない。
『自由論』や『功利主義論』で有名なJ. S. ミル先生は、論理学者でもあって(というか、こっちの方が本職で重要)、『論理学体系』という非常に立派で重要な本を書いてます。いま、論理学っていうとA → B、A、したがってB、とかそういう記号でやるやつを連想する人が多いと思うんですが、ミル先生の「論理学」はそういうのも含んでますが、科学的推論というのはどのようにしてなされるべきか、とかそういうもっと広い範囲を扱った本ですわ。まあいまでいう科学哲学みたいなのも含んでる。ていうかまんま科学哲学。
この本の第5巻がまる1冊分「誤謬推理」(Fallacy、虚偽、詭弁、誤謬的思考)[6] … Continue readingにあてられていて、ここはちょっと難しいけどとてもおもしろい。いろんなタイプの誤謬推理が分類されて、大量の哲学者やら科学者やら迷信やらがその実例としてあげられてます。そのうち新しい翻訳が出るらしいので楽しみにしておいてください。
そのなかで、一般の議論では三段論法ははっきり明示されることはごくすくないということも指摘されてます。日常的な議論でも科学的な議論でも、三段論法みたいなのを明示する必要はさほどないんですわ。たいていの場合には二つの前提のどっちかは明白だし、いちいち書いてたら煩雑だし。そもそも三段論法というのは新しい知識を生みだすものではないのです。ソクラテスが人間だからいずれ死ぬのはだれでもわかっていて、わざわざ三段論法の形にする必要はない。
ミル先生に言わせると、
三段論法の規則というものは、人に自分の結論を主張しつづけるために弁護しなければならないこと全体を自覚させるための規則である。人は、ほとんどどんなときでも、三段論法に勝手に偽の前提を入れ込んで、自分の論証を妥当なものにすることができる。したがって、ある論証が妥当でない三段論法を含んでいるということをはっきり確かめることが可能な場合はほとんどない。しかし、こうしたことは三段論法の規則の価値を失わせるものではない。推論する人が、どのような前提を主張する用意があるかをはっきり選択させられるのは、この三段論法の規則によるのだからである。
つまり、「三段論法が基本だ!」みたいなのは、「いつも三段論法を明示しろ!」とかそういう要求ではない。むしろ、自分がなにかを説得しよう、立証しよう、あるいは主張しようとするときに、自分と他人のあいだの前提の違いを意識して、自分がなにを言わなければならないかを自覚し、また他人にへんな説得されたり騙されたりしそうなときに、相手からなにを聞いておかねばならないかを意識するための規則なのです。
こういうのを見ると、わかりにくい文章やうたがわしい文章を読むときに、その文章の主張をリストアップしてみるのはよいことですよね。そしてうたがわしい文言があったら、それを主張するための三段論法をいくつか書きだしてみる。著者は(暗黙にせよ)その結論の前提をきちんと説明してくれているだろうか、そしてまた、その明示的な、あるいは隠された前提にあなたは同意できるだろうか。
私が見るところでは、牟田先生は宇崎ちゃんが過度に性的であることを立証しなければならなかった、あるいは、少なくとも自分で宇崎ちゃんは過度に性的であるということを主張しなければならなかった。その場合、「見ればわかる」「私の主観だけどみんな共有できるはずだ」という形でもかまわないかもしれないけど、一言主張するべきだったのです。もちろんそうすると、性的であるとはどういうことかとか、「過度に」性的であるとはどういうことかを説明してほしくなりますよね。宇崎ちゃんは魅力的なおっぱいのでかい女子なので「性的」であるとしても「過度に」性的であるっていうのは過度に魅力的であるのか過度におっぱいがでかいのか、とかそういう話になります。
a. おおきなおっぱいは過度に性的である
b. 宇崎ちゃんはおっぱいが大きい
c. それゆえ宇崎ちゃんは過度に性的である
まあこういうことになるのかもしれませんが、この場合多くのひとはbは認めると思うけどaは認めないと思う。私は同意しません。同意しませんよ!ははは。するとまた別の論証が必要になるわけです。
とりあえず牟田先生は「幼い表情で、巨大といってもいいような乳房を強調」している描写は過度に性的だとか女性を性的対象物として描いているとかそういうことをもっときちんと言ってくれればよかったのだろうと思いますが、あれが過度に性的だとか性的対象物だとかというのはかなり議論の余地があるように見えて、「明らかだ」というほどではないように思います。だからこれを論じてもらわなければならない[7] … Continue reading。
ちなみに本当の論点とはちがう論点を「論証」してしまうのも詭弁・誤謬推理の一つのタイプで、「論点相違(の誤謬推理)」Ignoratio Elenchiという立派な名前があり、また「過度に性的なのはいかん」という言明を「性的なのはいかん」のように「過度に」という限定があり、それを論証しなければならないことを忘れてしまうのには「限定あり言明から限定なし言明への誤謬推理」Secundum quidという名前がついてます。われわれが非常によくやる詭弁と詭弁的思考なので、ちゃんと昔から名前があるわけです。
- 詭弁と誤謬推理に気をつけよう(1) 宇崎ちゃんポスターの場合 (宇崎ちゃん問題(1))
- 宇崎ちゃん問題 (2) 単なるいいわけ
- 宇崎ちゃん問題 (3) 「表象」はわかりにくい
- 宇崎ちゃん問題 (4) 「モノ化」は「客体化」でもやむをえない
- 宇崎ちゃん問題 (5) 「表象の「悪さ」」の「悪さ」がわかりにくい
- 宇崎ちゃん問題 (6) 「コード」ってなんだろう
- 宇崎ちゃん問題 (7) 「理解」を理解するのはむずかしい
- 宇崎ちゃん問題 (8) しかし、「理解を生む」だけは許さん!
- 宇崎ちゃん問題 (9) 「意味づける」を意味づけることに疲れました
- 宇崎ちゃん問題 (10) 小宮先生の論説についてはおしまい
- 宇崎ちゃん問題(11) 「コード」と「記号」のその後
- 『宇崎ちゃん』ポスターは「女性のモノ化」だったのか?
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References
↑1 | 「「宇崎ちゃんは遊びたい」×献血コラボキャンペーンの絵は過度に性的なのか?」「宇崎ちゃんを採用した赤十字は現実的」 |
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↑2 | 省略三段論法自体は特に詭弁でも誤謬推理でもないです。 |
↑3 | 実際の文言では「注意喚起」しているにすぎません。 |
↑4 | この「性的対象物」が難しいのは、たいていの男女は性的対象物というか鑑賞物になりうるからです。たとえば同時に献血コラボしていたと思われる乃木坂ははっきり鑑賞物。あれの方がずっと性的対象だろう、とか言いたくなってしまう。性的対象にならないように、メイクで全員ゾンビにしてしまえばいいのに。ははは。しかしそれだと乃木坂である必要はないことになってしまうだろうか、それとも乃木坂ならゾンビでも性的対象になりアイキャッチに使えるだろうか。他にもたとえばスケートの羽生選手などのスポーツ選手もとてもセクシーだと思うわけで。性的対象にしてますね!先生わかってますよ!みたいな。ははは。 |
↑5 | そもそも献血ポスターと自治体のガイドラインの関係もよくわからない。 https://togetter.com/li/1425063 参照。 |
↑6 | 正しくない推論にはまってしまうと誤謬推理・誤謬的思考と呼ばれ、それを意図的にあるいは意図せずして説得に使うと虚偽や詭弁と呼ばれる、ぐらいの理解でよいと思います。 |
↑7 | つまり、どんなときに過度に性的だと判断されるのかとか、どんなときに性的対象物として描いていることになるのかというのをざっくりとでも説明し、可能ならば他のOKな表現と比較したりする必要がある。ひょっとしたら、なぜ性的対象物として描くことが不適切であるのかも説明してもらわなければならない。こういうのは手間がかかるので誰もがいつでもできるわけではなく、また今回牟田先生にとってそこまで必要なのかどうかはわからないわけだけど、説得や議論というのはそうしたものだし、世の中はそうしたお互いの努力によって進歩するのだと思います。「議論するまでもなく結論が出ている」のようなものではないと思う。 |
コメント
めっちゃためになったし同意しかないし頭スッキリしたありがとう
すみませんが、いわゆる藁人形論法を使っているようにしか読めなかったので、ブログに批判エントリを書きました。
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20191112/1573484400
ブログに書かなかった疑問としては、『宇崎ちゃん』のポスターだけが過度に性的だとは誰も(少なくとも牟田氏は)主張していないのに、「あれの方がずっと性的対象だろう」「羽生選手などのスポーツ選手もとてもセクシー」という評価でもって「難しい」ことの根拠にしていることですね。
それでいて「性的対象にならないように、メイクで全員ゾンビにしてしまえばいいのに」とメイクで性的対象の度合いが変わることは考慮していて、なのに現状のポスターがそのようなメイクをおこなっていない意味は深く考えていないように見えます。
なにを問われているかよくわからないのですが、とにかく、牟田先生が「過度に性的だ」と自分では主張していない、ということが問題だ、と書いているのです。ブログもよくわかりませんので勘弁してください。
>牟田先生が「過度に性的だ」と自分では主張していない、ということが問題だ、と書いているのです。
私は、コメント欄においては「乃木坂ははっきり鑑賞物」ということを誰も否定していないのに、「あれの方がずっと性的対象だろう」と貴方が言うことに何の意味があるのでしょうか?という話をしています。
私のブログにおいては、貴方の牟田氏の記述の要約が不正確だ、という話をしています。
牟田氏が「強調」と表現して、「体の一部を強調されたり、不自然なポーズをとらされる」といったガイドラインを引いていることに対して、貴方が「牟田先生は宇崎ちゃんが過度に性的であることを立証しなければならなかった」と表現したことはおかしい、という話をしているのです。
貴方は「宇崎ちゃんは魅力的なおっぱいのでかい女子」ということをもって、キャラクターが「性的」であることまでは(仮定の形式でも)認めました。ならば、そのキャラクターがポスターで「体の一部を強調」されているならば、その「性的」な度合いが高まることは自明的といえるでしょう。ここまではわかりますか?
>よくわかりませんので勘弁してください。
しかし「説得や議論というのはそうしたものだし、世の中はそうしたお互いの努力によって進歩する」という考えではなかったのですか?
今回の件とは別件と判断しておきますが、ツイッターを見ていると自身が少数派ではないということを気にしながら「言論」や「議論」に向きあっていますが、それは「お互いの努力」にほどとおい態度だと思いますし、世の中を進歩から遠ざけるだけだと思いますよ。
https://twitter.com/eguchi2018/status/1194633268420722689
https://twitter.com/eguchi2018/status/1194633315791163393
https://twitter.com/eguchi2018/status/1194633532489916417
>言論とか議論とかに関することはなんかいろいろ絶望的な気分になる一日だったが、まあ少数のことでネガティブにならずに人々を信頼して寝たい。
>私は少数派ではない。
>ていうか、ネットがなかったらいろんなことについて自分は少数派であり、まちがっていて、どうしようもないだめ人間だと思っていたと思う。ネットのおかげでそうではなくごくふつうの平均的な男だと思えている。
やっぱりおっしゃることがよくわからないです。
一つ目については、私は牟田先生の言うことがすぐにはよくわからないので、要約が不正確になるのもやむをえないかもしれないけど、牟田先生は宇崎ちゃんの胸が大きいから宇崎ちゃんが性的だと言ってるのだ、とは私は解釈してないです。それがはっきりしてないから「こういう解釈がありえるかもしれないけどちがうよね」ってな話です。このブログ記事は続きが書くと思うので、ゆっくりまっていてもらうとたすかります。牟田先生の話ではなくなると思う。続きものにするつもりでタイトルをああしてしまったのですが、実際私は牟田先生のタイプの書き方が詭弁だとは思っていないです。
二つ目の問いについては、宇崎ちゃんが性的なのは認めるし、体の一部を強調していると性的な度合いが高まるだろうっていうのも認めます。でも体の一部を強調しているから、(ガイドラインがいましめている意味で)過度に性的になる、とは簡単には認めないです。ほっけ先生が「体の一部を強調しているから(ガイドラインの意味で)過度に性的になっているのだ」と主張するのであれば、ほっけ先生はそういう意見なのだろうと理解します。牟田先生は、体の一部を過度に強調しているから過度に性的になっているのだ、と一言そえれば、理解しやすくなったはずだ、ということです。
ほっけ先生には以前にもお願いしましたが、私が言っていることや、言いたいけどうまく言えていないことを確認せずに先に進まれてしまってとても辛いので、できればツイッタのような短かく一問一答できるメディアでおねがいしたいです。 eguchi2017 のアカウントに投げてもらえればお相手することもあるかもしれません。捨てアカウントでもかまいません。
> 「こういう解釈がありえるかもしれないけどちがうよね」ってな話です。
それにあわせるなら、私は「そういう解釈はありえないから確認するまでもなくちがうよね」という立場です。
そして、「簡単にまとめると」「ぐらいですよね」という文章からは、「こういう解釈がありえるかもしれないけどちがうよね」という文意を読みとることができません。
本当に「こういう解釈がありえるかもしれないけどちがうよね」という文意であったのなら、「牟田先生の上の引用での主張を、簡単にまとめると、」は「牟田先生の上の引用での主張は」に、「ぐらいですよね」は「という解釈がありえるかもしれないけどちがうよね」といった記述に修正するべきでしょう。
>「体の一部を強調しているから(ガイドラインの意味で)過度に性的になっているのだ」と主張するのであれば
その問いに対しては「いいえ」です。
貴方による牟田氏の要約が間違っている、というのがここでの私の主張です。この私の主張において、牟田氏が正しいと私が論じる必要はいっさいありません。
すでにご覧になっている下記エントリでも「牟田和恵氏の論理に飛躍があるという江口聡氏の指摘そのものと、要約の不充分さそのものは異なる次元の問題」と注記しています。
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20191114/1573741034
>ツイッタのような短かく一問一答できるメディアでおねがいしたいです。
確認せずに先に進んでしまう問題が私にあるとして、短い一問一答ではむしろ問題が拡大すると思いますが、辛い気分にあわせてしまったことは了解しました。
今回の件でコメント欄に書きこむのは最後にします。たぶんブログで応答することになるとは思いますが。
昔の記事ですが、このコメント欄で私も頭が痛くなったので、今一度議論を整理してみました。
牟田氏の主張は要約すると、
・ポスターがふさわしいか否かは「議論する以前に(否という)答えは出ている」なぜなら「ポスターはガイドライン等に抵触しているからだ」というものでした。
それに対する江口氏の指摘は、「ポスターが本当にガイドラインに抵触しているかどうかについて、牟田氏は言明していない」(三段論法の小前提の証明が抜けている)でした。
この限りで議論は成立しているように見えます。
ここにほっけ氏は「江口氏の要約がそもそもおかしい」というトリッキーな批判を打ち込んできます。そこからコメント欄の議論が錯綜していっていくように思えました。
ただ、ほっけ氏はご自身で言いたいことが言語化されていないだけで、江口氏の議論に沿った反論はエントリ上にあるような気がいたしました。それは要約うんぬんではなく、ポスターの絵の乳房の配置を分析し、更には非-性的な女性の模型を対比させながら、ポスターの性的な度合いを解説したところです。この箇所は、江口氏の「暗黙に了解されているにすぎない」という部分に対する反論として有効です。ほっけ氏は議論に沿った上で「ポスターのキャラは明らかに性的であることが前提としてあるため、牟田氏が改めてここに言明する必要はない」と主張すれば済んだ話です。もっともそれでも、性的だと納得しない人はいると思うのでそこからまたガイドラインで何がセーフで何がアウトかの線引きが行われ、生産的な議論になるように思います。
最後に議論の重要性について、
議論は、私も必要なことだと思いますが、議論を行うことよりも、まず相手の議論を聴くことの方がより大事ではないかと私は思います。相手の主張を聞かずに自分の喋りたいことだけを喋るのであれば、それはお喋りであって議論ではないような気がします。相手の主張を十全に聞いてもなお、自分の中で腑に落ちないときに言葉が生まれて、そこから議論になっていくのではないでしょうか。
前回に「今回の件でコメント欄に書きこむのは最後にします。」とコメントしましたが、私に対するコメントがあったので一度だけ書き込みます。
通りがかりさんへ
本当にコメントをきちんと読んで私へつたえたいことがあるというなら、コメント欄に記載した私のブログエントリのどちらかへコメントしてください。ここにコメントされても私が気づくことは困難です。
江口氏と違って、私は基本的にコメント欄の書き込みに制限や削除をおこなわないようにしています。念のため、どのようなコメントを表示するかは江口氏の自由であり、その方針そのものは間違いとは思いません。
その上で、通りがかりさんのコメントを見るかぎり、たぶん通りがかりさんは議論というものを理解できないのだと思います。
私は牟田氏ではなく、それゆえそもそも牟田氏の主張の正しさを論じる必要がないことはわかりますか?
>議論は、私も必要なことだと思いますが、議論を行うことよりも、まず相手の議論を聴くことの方がより大事ではないかと私は思います。
「相手の議論を聴く」とはどういう意味でしょうか? “相手の主張を聴く”と書きたかったのでしょうか?
>相手の主張を聞かずに自分の喋りたいことだけを喋るのであれば、それはお喋りであって議論ではないような気がします。
ツイッターをつかっていてそれなりの面識もあって質問できる立場なのに、直接的に質問して意図を確認する前にブログを書いたりする江口氏のことでしょうか?
ただ、江口氏は自身が批判された時はツイッターで質問することを求めますが、江口氏が他人を批判する時はツイッターで質問することはあまり見かけませんね。そのような江口氏のふるまいは不誠実というか身勝手かもしれませんね。
一年後に(それも江口氏のブログに)コメントしている時点で、あなたに伝えたいのではなく、コメントの流れを見て「自分はこう感じたよ」と残しておきたかっただけじゃないですかね
言いっぱなしをされた側は不愉快でしょうが、他人のコメントで江口氏への嫌味を入れる人よりかはマシな気もします(それこそブログ記事を書けばいいんでは……)
これはただの感想ですのでお返事は要りません。
しかたないので前言をひるがえすかたちになりますがコメントをつづけます。
匿名さんへ
>あなたに伝えたいのではなく、コメントの流れを見て「自分はこう感じたよ」と残しておきたかっただけじゃないですかね
通りがかりさんは「相手の主張を聞かずに自分の喋りたいことだけを喋るのであれば、それはお喋りであって議論ではないような気がします。」とコメントしているのですが、つまり貴方は通りがかりさんこそが議論ではなくお喋りをしたのだと主張されたいのでしょうか?
いや、たしかにハンドルネームからそう解釈することが当然なのかもしれませんが。
>他人のコメントで江口氏への嫌味を入れる人よりかはマシな気もします(それこそブログ記事を書けばいいんでは……)
通りがかりさんが江口氏も論評の対象にしているのに、私が言及することがなぜ非難の対象になるのでしょうか?
私は相手の主張を聞いてはいけないということでしょうか?
>これはただの感想ですのでお返事は要りません。
「相手の主張を聞かずに自分の喋りたいことだけを喋るのであれば、それはお喋りであって議論ではないような気がします。」という通りがかりさんのコメントをどう思いますか?
江口聡氏がツイッターで言及していたので、コメントしておきます。
https://twitter.com/yonosuke2022/status/1688374343519404033
>法華狼さんに「ツイッタで問い合わせてください」っておねがいしているのは、私の言いたいいことがつたわってない感じがあってコミュニケーションに不安を感じるからで、まあ基本的には好きなように好きなこと書いたらどうだろうと思う。
なぜ貴方のブログコメント欄に書いた文章へツイッターで反応するのですか?
以前に貴方はコメント欄で質問するよう私へ要望を出しませんでしたか?
なぜコメント欄でのやりとりではなく、ツイッターを確認しないと反応していることがわからないような手法をえらぶのですか?
下記ツイートも読んだので、上記コメントはそれなりに短く答えられる質問の形式にしました。
https://twitter.com/yonosuke2022/status/1688406952827858944
>たとえば法華狼さんのこういうやつが困るやつで、私は法華さんの文章が長くてわからんし誤解が多いから「まず短く質問してください」っておねがいしているのに、なぜか一般的な話にされてしまってる。
その上で、まさに上記ツイートは貴方が「身勝手」な証拠でしかないと思いますよ。
「文章が長くて」が問題なら、まさに貴方はブログを書く前にツイッターで質問するべきでしょう。マスク買収後の閉鎖的なツイッターでも、貴方はアカウントを運用しているのですから。
そして「誤解が多い」について、私はできるだけ誤解しないよう努力はしているつもりですが、誤解している可能性自体も考慮しているつもりです。しかしその一般的な認識から貴方が除外される根拠を貴方は提示できていません。
たとえ貴方は自身がいっさい「誤解」をしないのだと思いこんでいるのだとしても、貴方のブログ記事を読めば相手の主張の「解釈」に迷ったことを表明する表現が見られます。下記エントリやコメント欄などが一例です。
https://yonosuke.net/eguchi/archives/14958
上記エントリは貴方が「誤解」しているように私からは見えます。その私の視点を採用しなくても、貴方の視点からでも解釈に迷っていたことはたしかです。
なぜ貴方は自分がやらないことを私に対してもとめるのでしょうか?
くわえて正直にいえば、リーガルハラスメントされているColaboについて「危険引き受け」を根拠に応援できないと表明して、暇な空白氏による詭弁と誤謬に満ちた「推理」への好感を表明してしまった時点で、貴方が他人の解釈を「誤解」としてこばむ資格はどこにもないと思いますよ。
さすがに私の貴方にまつわる解釈は暇な空白氏とくらべれば妥当だと自認できますし、貴方が釈明するたびにむしろ私の解釈は妥当だったと確信せざるをえないことが多いですね。
ひとつは、法華狼さんに向けて書いているのではないからです。
もうひとつは、法華狼さんは私のツイートを見てるようのなのでそれで問題がないと思っているからです。
そもそもいまどきブログのコメント欄なんか何回も見なおすものじゃないでしょうし。もしかしたらコメントに返信すると連絡がいきますか?
> 「文章が長くて」が問題なら、まさに貴方はブログを書く前にツイッターで質問するべきでしょう。
これわからないのですが、誰に質問するのですか? 法華さんに? 法華さんはツイッタにいないのではないのですか?使ってないって言ってませんでしたっけ?
「誤解」のあたりは、誤解したまま長々とコメント欄で文章書かれたり詰問されてよくわからなくて困るという話で、私が誤解しないという話ではないです(誤解しっぱなしです)。
ご自分のブログで好きなこと書かれる分にはお好きなこと書かれればよいかと思います。(もし訂正してもらう必要があればその旨伝えるか、あるいはツイッタなどに書くと思います)
最後の方の危険引き受けの話はよくわかりません。
ちなみに、上のコメントも私には十分長過ぎます。「お前は自分が誤解しないとでも思ってるのか?」って書いてくれれば「ノー」って答えられますし、
そのあとで「んじゃなんで(法華さんに)誤解しないことを求めているのだ?」って聞いてもらえば「そんなことは求めなてない」と答えられます。
そういう一問一答なら、余裕があれば答えます。(Xでは @eguchi2023 にしてください)
「んじゃ何を求めているのだ?」ということになれば、たいしたことは求めてなくて、私にコメントすることは控えてほしい、ならんかの理由からコメントさぜるをえず、また私からのコメントが必要なのであれば、もっと答えやすい環境を使ってほしい、ということです。
> 以前に貴方はコメント欄で質問するよう私へ要望を出しませんでしたか?
これ見落してましたが、そういうこと書きましたっけ。記憶力が衰えていて。
最初は「短く書いてください」っておねがいした記憶があるような気がしますが、そのあと「ツイッタにしてくれないか」という話になったような……ちがいましたか。
何が「仕方ないので」なのか全然分からない
議論するつもりは無いしただ感想を書き込んだだけだから「感想です」って書いたのに……
匿名掲示板で自分の番号にレスがつくと絶対言い返さないと済まない人みたいだなあ
↑の匿名さんへ
確認しますが、(2023/08/07 13:45)で「一年後に」に始まるコメントをした「匿名」さんですね?
>議論するつもりは無いしただ感想を書き込んだだけだから「感想です」って書いたのに……
議論するつもりがないコメントが許されると思うなら、「相手の主張を聞かずに自分の喋りたいことだけを喋るのであれば、それはお喋りであって議論ではないような気がします」というコメントを貴方がどう思うかが重要だと思って質問したのですが、理解できませんでしたか?
「言いっぱなしをされた側は不愉快でしょうが」とコメントされていましたが、私自身は「言いっぱなし」をされること自体はしかたないことだと思っています。すべての言及に気づくことも、気づけた言及に応答することも不可能です。
いや、私に対してだけ議論を求めて自身はその責を負わないという感想をもったのなら、その個人的な思いを私が否定することは確かにできません。ただ、その感想を表明してしまったなら、相手が反応するかもしれないことは、しかたないと納得するべきですよね。それとも「感想です」と書けば相手が反応する権利を否定できるとでも思っているのでしょうか?
>匿名掲示板で自分の番号にレスがつくと絶対言い返さないと済まない人みたいだなあ
ここでその感想を表明するのはすごいですね。
「言いっぱなしをされた側は不愉快でしょうが」という前のコメントとあわせると、“私は一方的に貴方を不愉快にさせたい”という心情の表明に読めます。
江口さんへ
>ひとつは、法華狼さんに向けて書いているのではないからです。
つまりツイッター上における貴方の私に対する要望らしき文章は、私に向けてないということでしょうか?
>もうひとつは、法華狼さんは私のツイートを見てるようのなのでそれで問題がないと思っているからです。
貴方自身が後で言及しているようにツイッターをつかっていないと表明したことはありますが、貴方個人のツイッターアカウントを見ていると表明したことはありませんし、事実として追いかけていません。
一応、検索で引っかかるなどして気になったツイートは、貴方にかぎらず前後の文脈を確認しようと多少の努力はしていますが、マスク買収後に制限が増えたツイッターでは以前よりも難しくなっています。
また、課金しなければ細かい文章に分断されるツイッターは、そもそもやりとりに向いていないと思いますよ。
>そもそもいまどきブログのコメント欄なんか何回も見なおすものじゃないでしょうし。もしかしたらコメントに返信すると連絡がいきますか?
もしツイッターでないと応答が気づかれないと思うなら、コメント欄で応答してツイッターで告知するだけで良いと思いますが。
そもそも私は応答をすぐ確認したいと思っているわけではなく、貴方にすぐ確認させたいと思っているわけでもありません。できるだけ同じ場でやりとりするべきだろうと思っているのです。私が貴方のブログコメント欄に書いて、貴方がツイッターで返答するという間接的なやりとりをして、やりとりの一覧性をなくそうとするのはなぜですか? やりとりを確認しない第三者に文脈を欠いた引用が広められることをふせぐためにも、このような状況では同じ場でやりとりするべきだと思いますが。
あまりブログをつかわなくても、更新時にコメントがついていれば気づくようになっていると思います。こちらはそのような仕様になっていないのでしょうか?
>> 「文章が長くて」が問題なら、まさに貴方はブログを書く前にツイッターで質問するべきでしょう。
>これわからないのですが、誰に質問するのですか? 法華さんに? 法華さんはツイッタにいないのではないのですか?使ってないって言ってませんでしたっけ?
「質問するべき」の対象をちくいち明記しないと貴方は理解できないのですか。やはり文章の長さは必要のようですね。
私は(2023/07/31 06:29)に「ツイッターをつかっていてそれなりの面識もあって質問できる立場なのに、直接的に質問して意図を確認する前にブログを書いたりする江口氏のことでしょうか?」や「江口氏が他人を批判する時はツイッターで質問することはあまり見かけませんね」とコメントしました。「それなりの面識もあって質問できる立場」という表現が、私のことを指していると思う根拠は何ですか? この「他人」がなぜ私(法華狼)を指していると思ったのですか?
貴方の主張にしたがうと貴方が質問すべきだったのは、貴方がこれまで質問することなくブログで長文で言及してきた多くの人々です。このコメント欄でいうなら牟田氏です。
私のコメントをきちんと読んでいれば、ほんの少し後に「下記エントリやコメント欄などが一例です」と私以外の対象が例示されていることも読めるはずです。相手の文章で後に説明があるような場合でも貴方は無視して、短い論点に細分化して解釈しようとするから文脈が理解できず、読解に悩むのではないでしょうか?
なお、ツイッターをつかっていない私に対してもツイッター以外でブログコメント欄などで質問できたはずですが、貴方がそうした記憶はありません。
>ご自分のブログで好きなこと書かれる分にはお好きなこと書かれればよいかと思います。
以前に私がブログエントリを書いた時、貴方がツイートした下記の要望は、撤回すると理解して良いでしょうか?
https://twitter.com/yonosuke2022/status/1648351125463244800
>とにかく法華狼さんは、私についてなにかコメントする前に、一回問い合わせてみてほしい。ただし一問一答でお願いします。
>最後の方の危険引き受けの話はよくわかりません。
暇な空白氏の「推理」によるColaboや仁藤夢乃氏への攻撃に好感を表明して被害者に許容をもとめた貴方なら、それより妥当で慎重な推理で自身が批判されることくらい許容するべきではないですか?という話ですが。そんなに難しいですか?
もっとも、自民党による表現や言論の自由への抑圧に、貴方は警戒が薄れるどころか応援することまであると知っていますから、Colaboに求めた「危険引き受け」を貴方自身には恣意的に適用しないことも不思議ではありませんが。
>ちなみに、上のコメントも私には十分長過ぎます。
念のため、「それなりに短く答えられる質問の形式にしました」と私が表明したのは「上記コメント」です。つまり(2023/08/17 01:35)ではなくその直前、(2023/08/17 00:53)でのコメントです。(2023/08/17 01:35)のコメントを短くしたとは書いていませんよ。
>「お前は自分が誤解しないとでも思ってるのか?」って書いてくれれば「ノー」って答えられますし、
そのあとで「んじゃなんで(法華さんに)誤解しないことを求めているのだ?」って聞いてもらえば「そんなことは求めなてない」と答えられます。
そうして「文章が長くてわからんし誤解が多い」可能性が貴方自身にもあると認めるなら、「文章が長くてわからんし誤解が多い」ことを根拠にした私への要望が貴方自身にも当てはめられますよね。
その当てはめを「なぜか一般的な話にされてしまってる」と疑問視したのはなぜですか? 一般的な話に自身がふくまれることを疑問視するなら、その一般的な話が自身には当てはまらないと認識している必要がありませんか?
ツイッタで書いてまとめておきました。
https://togetter.com/li/2209400
最後の方はよくわからなくてずっと考えてたんですが、やっとわかりました。
もし私が牟田先生から「お前は誤解している」とか「批判記事書くまえに一回ツイッタで問いあわせてほしい」って言われたらそりゃ一応は従いますし、事情が許すかぎりそうしますよ。(必ずそうするとは言えない)。コメントされたり、記事にされるのいやだって言われたら「いやなんだろうな」と思って必要がない場合は控えますよ。そういうのが人間の間のお願いってもんじゃないですか。でもそういう要望や命令は私は受けてません。法華さんの文章はわかりにくくて、こんなふうに1日考えないと理解できないので、おたがい誤解をさけるために短く一問一答をおねがいしているのです。でも聞いてもらえないのでお答えできないことがほとんどだと思います。
>https://togetter.com/li/2209400
まとめられている範囲を読みましたので、だいたい1ツイートずつ応答しておきます。
>コメントついたら通知するようになってません。どういうわけかメール届かないのよね。
私はコメントをメールなどで即座に通知したいわけではありません。
通知されないことを気にするのであれば、ツイッターでもいわゆる「シャドウバン」が厳しくなり、通知どころか表示すらされないことがあるようですが。
>私がツイッタに書いてることは法華さんへの回答などではないので、無視してもらってかまいません。
無視してもかまわない位置づけの「お願い」であれば、そのようなものと理解されて無視されることは覚悟できますよね。
>「お前はなんで牟田先生に確認しないのだ」だったらはっきりそう書いてください。確認する手間はぶけるじゃないですか。なんで目的語を省略するんですか。なるべくはっきり書いてください。またそれなら「なんで法華さんだと思ったの?」なんてことは聞く必要ないです。
私以外が対象となる可能性を考慮しなかったのか聞いたことには、貴方の読解力をたしかめる意味があると思います。
しかも私はつづけて下記のように書いているのですが、貴方がTogetterにまとめたツイートで引用していないのはなぜですか? 「やりとりを確認しない第三者に文脈を欠いた引用が広められる」という前回の私の懸念を、まさにいま体現していませんか?
>ほんの少し後に「下記エントリやコメント欄などが一例です」と私以外の対象が例示されていることも読めるはずです。相手の文章で後に説明があるような場合でも貴方は無視して、短い論点に細分化して解釈しようとするから文脈が理解できず、読解に悩むのではないでしょうか?
>ちなみに私はブログを書くときにそれぞれの著者その他に確認することはありませんが、私の理解や意見を押しつけようとしているわけでもなく、またたとえば牟田先生とデュエル討論したいと思っているわけでもないので特段不要です。
コメントへの応答もコメントの表示も義務ではなく、原則として自由だと私は貴方にも表明してきました。
その意味で、私もまた私の理解や意見を押しつけようとしているわけではなく、「感想」を書いているだけですね。
>ブログに書く場合は、たいていは「書いてあるもの」に対しての私のコメントを書いているのであって、「その人が考えていること」を知りたいという場合はそんなに多くないです。
それは原則として私も同じなので、これまで貴方が私に対して「誤解」とだけ主張したことにはあまり意味がありません。
>法華さんは私は現状では興味がないのです。
「法華さんはツイッタにいないのではないのですか?使ってないって言ってませんでしたっけ?」と問われたので、ツイッター以外でも一問一答形式でやりとりすることは可能という指摘をしたのですが。話をすりかえないでください。
>おお、ツイッタでもお願いしてましたね。ブログのコメント欄でもお願いしてましたよね。すると、もう合計5〜10回ぐらいお願いして、それでも法華さんは譲歩してくれてないわけですね。
そこで私が貴方のツイートを提示したのは、貴方が「ご自分のブログで好きなこと書かれる分にはお好きなこと書かれればよいかと思います」とコメントしたので、実際にはブログを書くことも貴方が一問一答での確認を求めていた事実をしめすためです。話をすりかえないでください。
>ただ、ご意見をプッシュするのは控えてもらうとたすかります。また質問やコメントを寄せられる場合も、なるべく短く答えやすくしてください、と何度もお願いしてます。
Colaboや仁藤夢乃氏の「お願い」に対して貴方がどうふるまったのか、という話をしたのですが、それを無視して貴方が自分自身の「お願い」をくりかえす意味は何ですか?
>法華さんとはあんまりやりとりしたくない、ということです。「過去にお前はこういった、ああいった」と自分でもおぼえていないような昔の発言を掘りかえされるよりも、もっと実質的な話がしたいです。
貴方がほんの数日前から数ヶ月前の発言を「自分でもおぼえていないような昔」と考え、実質的な話ではないと主張し、掘りかえされたくないと思っていることはわかりました。
Colaboが攻撃された問題について、「道徳的に悪い人々や、法的に違法な人々はそれなりに罰を受けるべきだ」と貴方がツイートしていたので、それなりの誠実さを期待したのですが、難しかったようですね。
道徳的に悪いわけではないと自分自身について証明する選択肢も貴方にはあったのですが。
>法華さんはどういうわけかいつも私(江口)と私のツイッタの話をしているのですが、私は私にそんなに興味をもつことができないのです。私の話ではなく、論理学や、フェミニズムや、性暴力防止対策や、そういう実質的な中身のある話をするならいろいろお話することができるかと思います。
貴方自身の話が実質的な中身のある話にふくまれないということは、貴方のツイートに実質的な中身がないということでしょうか?
それはさておき、貴方が2ヶ月前に「目が離せない」と興味関心を表明した下記ツイートを見ると、貴方が自認するほど「実質的な中身のある話」にばかり興味をもっているわけではないように見えます。
>また暇な人の話になるんだけど(目が離せない)、「人生でいろいろあきらめことがない人間は」みたいなのもゲーマーらしいと思う。(対人)ゲームやスポーツやってるとどうしても自分の能力の限界みたいなのを意識することになる。
>最後の方はよくわからなくてずっと考えてたんですが、やっとわかりました。
たぶんよくわかっていないと思います。
>でもそういう要望や命令は私は受けてません。
それが判断基準であれば、私のコメントが長文であるとか誤解が多いとかいう話をしたことは意味がなかったですね。
調べ物をしてたどり着きました。
とても参考になる記事でした。ありがとうございます。他にも色々面白い記事を書かれておりゆっくり楽しく読ませていただきます。
論理学体系5-6を訳した本はもう出ていそうなので買って読んでみます。
コメント欄については、なんというか、みなさん親切ですね。という感想でした。
私はこういう勝ち負けにこだわる手合いとの不毛な議論がとても嫌いでSNSをやめてしまった民なので、コメントの伸びに皆さんの真摯さと優しさを感じましたよ。
これからも気になったことを書いてもらえると嬉しいです。