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音楽オタクになろう!(欅坂46「エキセントリック」を題材に)

FDの一貫として、学部教員で1回生向けの「基礎ゼミ」向けのテキストを作っていて、まあ私はごく軽い気分で楽しんで作ってます。自分では最近関心をもってるポップ音楽つかいながらメディアリテレシー教育をする、っていうやつを目指して軽いものを書いてみました。内容よりは、1回生のクラスで適当に最初のスピーチの練習や、ディスカッションの練習もどきをやるための素材って感じ。

まだ校正とかちゃんとしてないんだけど。「エキセントリック」は前にこういうのやろうとおもってそのままになってたのね。

江口聡 (2020)「ポップ音楽オタクになろう!」,京都女子大学現代社会学部編『京女で学ぶ現代社会』,2020年4月30日版.

 

↓のシリーズの続きというわけです。

 

欅坂46というか秋元先生はいろいろおもしろいから、過去にも書いてる。

ポップ音楽でリテラシー (6) 最初の一歩は見本を示す

下は、あんまり説明してない時点で、1回目の分析(もどき)をやってもらうための課題のためのテンプレというか見本。まあ見本みせないと学生様はなにをやればいいのかわからんし。


アーティスト名: 欅坂46
曲名: エキセントリック
YoutubeのURL: https://youtu.be/65v7JSBpQ4U
作詞: 秋元康
作曲: ナスカ
編曲:?
歌詞: http://j-lyric.net/artist/a05b333/l03efac.html

楽器編成: 打ち込みリズムセクション、ピアノが印象的。
ジャンル: アイドルソング
リズム・パターン: 4つ打ち
テンポ:130BPM ( http://tunalab.web.fc2.com/txt_lib/get_bpm.htm で計測できる)
形式★: あとで


シンガー・バンドの年代性別服装等:女子高生
シンガー・バンドの印象、ライフスタイル: 鬱な女子高生
想定されている楽曲リスナー、購買層: (1) 鬱屈しているオタク男子、中学生〜オヤジオタまで (2) アイドル好き中高生女子、鬱屈?
語り手のアイデンティティ/どういう人物か/年代性別等: 中学生〜高校低学年男子?女子もあり。
語り手とは別に主人公がいる場合はそのアイデンティティ: 語り手が主人公
語りかけられている聞き手のアイデンティティ、年代性別等、ライフスタイル等: 自分自身に語りかけている。もうなにもかにもいや。


歌っている場面はいつ:教室で鬱屈している現在
どこで語られているか: 教室か自分の部屋か。教室の方がドラマチックでよい。
いつのことについて語られているか: 今現在。
語り手と聞き手はどういう関係?: 本人。誰にも関係がない少年少女。
語り手はどんな状況: はみだしている、はぐれている、ぼっち、嫌われてる、敬遠されてる、噂されている
聞き手はどんな状況?: 同上
語り手がかんじていると思われる感情: 絶望、孤独、憎しみ、嫌悪。
歌詞の語りの聞き手が感じていると思われる感情: 同上。
楽曲のリスナーに引き起こされると思われる感情: 同上。
直接のメッセージ: なにもかにもいやです。

間接的なメッセージ:
「なにもかにもいや」っていうのではわれわれは連帯できる。社会やクラスにいるくだらない偽物、インチキな奴らとつきあわず、まともな人間である我々だけで好きなように生きていこう。

その他:

直接には「水清ければ魚棲まず」 http://kotowaza-allguide.com/mi/mizukiyokerebauo.html だが、さらには屈原の楚辞「漁父の辞」にも暗に言及している。


**** 歌詞とその1行1行について気づいたこと★ ****

(次回やる)


こっから中級

性的な含み:
ダブルミーニング:
言葉遊び:
解決されない謎:
歌詞のないボーカル、掛け声等使ってるか:
「フック」、特徴的な音楽的工夫、音楽的におもしろいところ:
コーラスの使用、性別等コーラスの使用、性別等★:
コールアンドレスポンスの使用★:
前奏・イントロの特徴★:
オブリガート、フィルイン等の特徴★:
間奏の特徴★:
エンディングの特徴★:
ギター★:
ドラム★:
ベースライン★:
その他アレンジの特徴★:


これの自慢というか工夫は、「水清ければ魚棲まず」のような引用を発見させようとしているところで、学生様の一人は宇多田ヒカルの”Traveling”から平家物語を発見してくれました


若い女子はルソー先生や秋元康先生ではなくウルストンクラフト先生の言うことを聞いたほうがいいかもしれない

私の考えているセックスの哲学史では、あのふつうは偉大だとされているルソー先生はスケベなレイプ魔みたいな人なんですが、それはその次の世代の女性にははっきりわかっていたんですよね。

そのわかってた人、メアリ・ウルストンクラフト先生についてはこのブログでほとんど何も書いてないみたいで驚きました。関連する授業ではけっこう大きく扱ってるし。っていうか女性思想家が表舞台に出てくるのはこの先生からぐらいですよね。

ルソーは次のように言明する。女性は、瞬時といえども、自分は独立していると感じてはならないと。そして、女性は、生まれつき持っているずるさを発揮するためには恐怖によって支配されるべきであり、自分を欲望の一層魅惑的な対象にするために、すなわち、男性がくつろぎたいと思う時にはいつでも彼のもっとも優しいお相手になれるように、コケティッシュな奴隷にならねばならないと。彼は更に議論を進め──自然の命ずるところに従ったふりをして──次のことをほのめかす。誠実と不屈の精神は、すべての人間的美徳の基礎であるが、女性の性格については、服従を厳しく叩きこむことが大事な教育なのだから、誠実や不屈の精神はほどほどに教えるべきだと。

これに対応するルソー先生の著作はもちろん『エミール』。

女性の教育はすべて男性に関連させて考えられなければならない。男性の気にいり、役に立ち、男性から愛され、尊敬され、男性が幼ないときは育て、大きくなれば世話をやき、助言をあたえ、なぐさめ、生活を楽しく快いものにしてやる、こういうことがあらゆる時代における女性の義務であり、女性に子供のころから教えなければならないことだ。(『エミール』)

かっこいいっすね。ウルストン先生はこれを思いっきり張り倒します。

何と馬鹿げたこと! 男性の高慢と好色のために、この問題の上には、こんなにもひどく煙が立ち込めてしまった。これを吹き払うに足りる程の知力を持った偉大な男性が、いつの日にか出現するであろうか! たとえ、女性には生まれつき男性には及ばない点があるとしても、彼女たちの美徳は、程度においてはともあれ、質においては男性と同じでなければならないのだ。(pp. 55-56)

この「男性の高慢と好色のために」がいいっすね。ウルストンクラフト先生『高慢と好色』ってフェミニスト小説書けたかもしれませんね。原文はどうなってるんだろう。

What nonsense! When will a great man arise with sufficient strength of mind to puff away the fumes which pride and sensuality have thus spread over the subject!

いかにもエッチな感じ

こうですか。「ナンセンス!」。まあルソー先生の好色と高慢を見抜いているのはさすがです。

このあと、とにかく人間の「美徳」っていうのは強弱の違いはあってもどの美徳も男女ともに求められるものなのだから、男女同じように教育するべきだ、というまったく正しい主張を先生はなさっておられます。

でもこの時代、「でもやっぱり女の子って恋愛に興味あるっしょ?サインコサインより目の大きさ、アインシュタインよりディアナアグロン」っていう人はいたわけですわね。それに対して先生はこう言うわけです。

恋愛に重きを置かずに論を進めるのは、情操や繊細な感情に対して大逆罪を犯すものであることは承知している。だが私は、真理の持っている単純な言葉を語りたいし、心よりもむしろ、理性に話しかけたい。この世から恋愛をなくそうと説得に務めることは、セルヴァンテスのドン・キホーテを追い出すことであり、ドン・キホーテと同じように常識に背くことを行うことになろう。しかし乱れ騒ぐ情欲(パッション)を抑えようとする努力は、そしてまた、次元の高い能力を下位に置いてはならぬことを証明しようとする努力は、あるいは、知性が常に冷静に保持すべき大権を奪い取ることは許されないことを証明しようとする努力は、それ程暴論とは思えない。

そりゃ恋愛とか性欲とかは強いもので、そういう感情や欲求を抑えるってのはむずかしいけど、パッションばっかじゃだめですよ、と。ここらへん啓蒙時代を感じますね。恋心やエッチな好奇心にふりまわされてはいけません。

青春は、男性にとっても女性にとっても、恋愛の季節である。けれども、思慮に欠けるこうした享楽の時代においても、人生のもっと重要な時代——その時には、熟慮が興奮に代って登場する——のために、準備がなされなければならないのだ。それなのに、ルソーや彼を見習った大抵の男性著述家たちは、女子教育の趣旨はひたすら一つの点——男性を喜ばせる女になること——に向けられるべきである、と熱心に説いてきた。

人生って、現代の女性にとっては80年以上あるけど、恋愛とかに頭いかれてる時期っていうのはそれほど長くないはずだ、青春とかってのよりもっと大事な時期、もっと大きなことをなしとげる時期があるので、教育っていうのは若いときの恋愛とか就活を目指したものではなく、もっと先の(仕事も仕事以外のも)キャリアを考えた教育をしなければならない、というわけですな。まったくお説もっとも。

このような意見の支持者で、人間性について何らかの知識を持っているような人と議論しよう。彼らは、結婚は生活習慣を根こそぎ変えうるものである、と想像するのであろうか?ただ男性を喜ばせることだけを教えられてきた女性は、彼女の魅力が落日の夕日の如く沈むことを、いずれ知るであろう。夫と毎日鼻を突き合わせてばかりいる時には、また女盛りが過ぎ去った時には、自分の魅力が夫の心をあまりつかむことができなくなるということを、やがて知るだろう。その時になって女性は、他人に頼らず自分で楽しみを見出していくために十分な、また自分の潜在能力を磨くためにも十分な、本来のエネルギーを持てるであろうか?持てないとなると、別の男性を喜ばせようと試みると考える方が、もっと合理的ではないであろうか?そして新しい愛を獲得する期待から生まれた感情の中で、彼女の愛や自尊心が受けた屈辱を忘れようと考える方が、もっと合理的ではないであろうか? 夫が自分を愛してくれる人ではなくなった時——その時は必ずや来るであろう——には、彼を喜ばせたいという彼女の願いは暗礁に乗り上げるか、あるいは、悲嘆の源となるであろう。そして恋愛、恐らく、あらゆる情熱(パッション)のうちで最も移ろいやすい愛は、嫉妬や空しさに席を譲るのである。

ここがいいんですよね。誰かを喜ばせることだけを教えられた人は、その誰かあんまり喜ばなくなってしまったら、しょうがないから別の誰かを喜ばせようとするだろう。これは行動分析学とかで言う「強化」の原理ですね。誰かに喜んでもらのはよいことであり楽しいことであり満足いくことですから、喜ばせましょう。ただ、美貌やエッチな能力だけで他人を喜ばせつづけるのはかなり難しいので、いろいろ工夫も必要でしょうな1)ルソー先生も嫁は美人でない方がいい、って言ってるし。。それに次々に相手を変えて喜ばせていく、というのもありかもしれんし。少し前にうしじまいい肉先生が、「私はいつも上の世代と遊んでいるから、50才になったら老人ホームの70才の男性を喜ばすつもりだ」(大意)というのを書いていて、これはこれですばらしいと思いました。ただちょっと出典見つからんな。

私は今、何かの信念、もしくは偏見によって抑制された女性について語る。このような女性は不義密通というようなことは大嫌いであろうが、それにもかかわらず、彼女たちだって夫からひどく冷淡にあしらわれているのがはっきりした時には、他の男性からちやほやされることを望むのだ。そうでなければ、夫と意気投合した魂が享受した過ぎし日の幸福を夢見ながら、毎日、毎週を過ごし、ついには、彼女たちの健康は蝕まれ、精神は不満のために傷つくのだ。そうだとすると、男性を喜ばせるという大変な技術を学ぶことは、そんなに必要な学習でありえようか?それは、ただ情婦にとって役に立つだけである。清純な妻や、真面目な母は、人を喜ばせる能力は彼女の美徳を磨くことによってのみ生まれる、と考えるべきであり、夫の愛情を、彼女の仕事を容易にし彼女の人生をより幸福なものにするための励ましの一つとしてだけ考えるべきである。——しかも、愛されていようが無視されていようが、彼女の第一の望みは、自分自身を尊敬に値するものに成長させることであって、幸福のすべてを、彼女と同じように弱さを持っている人に賭けてはならない。(pp.58-60)

てな感じですばらしいっす。

まあこの時代、女性向け小説とかすごく流行ってたんですわ。ルソー先生だって『新エロイーズ』っていう当時のベストセラーもってたし。これは身分の差恋愛ありの不倫よろめきかけありの小説ですね。(岩波の古い訳がありますが普通の人は読んでもおもしろくないと思う)

ウルストンクラフト先生は、小説とかエッチなことや人間の感情みたいなのしか書いてないから読書としてはあんまりよくない(だめだとは言わないが)、だから哲学書(ここでの哲学は学問全部、物理学とかも含む)と歴史書を読め、みたいなことを言ってます。

ていうわけで、ディアナアグロンじゃなくてアインシュタインしますか2)でもこういうのもこれはこれでどうだろう。https://lite-ra.com/2016/04/post-2157.html 。まあそうもいかんですかねえ。


これ書いてみたいのは、最近中公新書の『マリー・アントワネット』を読んで、ウルストンクラフト先生が指摘している女子教育の問題というというのはまさにマリアンさんたちの問題だったのだな、と気づいたから。人を喜ばせることを学び、それが自分にできるなら、人を喜ばせたいっていうのは当然の欲求な気がします。そしてそれしかできなかったら、なんとかして喜ぶ人を見つけたい。世界で一番喜ばせがいがあるはずの王様が喜んでくれなかったら、貴族仲間喜ばせたいだろうし、国民も喜ばせたいだろう。もし自分がいるだけで喜んでくれるなら、フェルセンも喜ばせたいですよね。ウル先生はマリアンさんのこととかある程度知ってたろうしね。それはまわりにある問題だった。まあウル先生はそうとうキレてる人だったのであれだったですが。そういうの考えつつ読むとおもしろいです。


 

References   [ + ]

1. ルソー先生も嫁は美人でない方がいい、って言ってるし。
2. でもこういうのもこれはこれでどうだろう。https://lite-ra.com/2016/04/post-2157.html

「恋するフォーチュンクッキー」は本物のマスターピース

SNSでAIアイドルみたいなのにフェミニストの人が文句をつけたのが問題になってるようですが、なんかあれですよね。我々はおそらく生物として生き延びるために我々はどうしてもネガティブなものに目が行きやすいんだけど(そうじゃないと危険な目にあって死んでる)、我々のような豊かな時代に生きてる人間は、もっとポジティブに豊かに生きられるはずだという感じがします。

まあどうやってポジティブになるか、楽観的になるかっていうのはわれわれのような気質の人間には人生の課題っていう感じがする。ここしばらくセリグマン先生たちのポジティブ心理学を見直してるのもそういうあれです。

このブログでは秋元康先生の曲についていくつか書いてるんですが(タグつけてるのはこっち)、やはり秋元先生の力に気づかせてくれた「フォーチュンクッキー」については書いておかないとならんですね。この曲は昔の名曲なので分析や鑑賞のブログ記事のようなのも多くて、屋上に階を重ねる感じであんまり意義はないと思うけど、ポジティブ心理学の先生たちもポジティブになるためのエクササイズとして、「あなたを動かす作品をじっくり鑑賞してみよう」みたいなのを提案してるし、それにしたがってみよう。

作詞は当然秋元先生、作曲は伊藤心太郎先生。この先生すごい。

実は歌詞についてはそんなに言うべきことがない。すべて自明なわかりやすい曲。基本的には、好きな男子にコクりたいけどコクれない、勇気がなくてだめだめな気分になっているときに、カフェで流れてきた音楽を聞いてたら気分が上がってきて、注文したフォーチュンクッキーを割ったらなんかいい感じだったので希望が出てきました、とかそういう単純な歌詞ですね。

あなたのことが好きなのに/私はまるで興味ない
何度目かの失恋の準備

この人は恋多き人なのですね。10回目なのか20回目なのか……いやまあ3、4回目ぐらいですか。

まわりを見れば大勢の/可愛いコたちがいるんだもん
地味な花は気づいてくれない

ここまでが前フリですね。

カフェテリア流れるMusic/ぼんやり聴いていたら
知らぬ間にリズムに合わせ/つま先から動き出す

ここがいい。音楽というのはそういう力がある。この曲が発表されたのは2013年ですか。2011年に例の大地震があり、多くの人がなくなり、原発は爆発し、SNSは荒れ果てたのがやっとおさまった感じですか。みんなのあいだに相互不信やネガティブなものが満載されてた記憶があります。みんなダウンな感じしたよね。でもそういうときにでも、ぼーっと聞いててもよい音楽は我々を力づけてくれる。

ダメなときに、素敵な音楽を聞いて気分が上がる、っていうのはこれはもうポップ音楽の基本パターンの一つです。あとで2、3曲紹介する。

止められない今の気持ち
カモン カモン カモン カモン ベイビー/占ってよ

恋するフォーチュンクッキー!/未来はそんな悪くないよ
ツキを呼ぶには笑顔を見せること
ハートのフォーチュンクッキー/運勢今日よりもよくしよう
人生捨てたもんじゃないよね/あっと驚く奇跡が起きる
あなたとどこかで愛し合える予感

ここの「未来はそんな悪くないよ」がクッキー占いの結果なのか、語り手の思考なのかはわかりませんね。まあ「吉」ぐらいなんですかね。「大吉。あなたが驚くようなことが起こるでしょう」ぐらいなのかなあ。

フォーチュンクッキーっていうのはこういうものですね(Google画像検索)。語り手は「占い」っていってるけど、吉凶を占うというよりは、なんか格言みたいなのが入ってるのだと思う。食べたことないけど。私は今日まで中国、というかアメリカ華僑とかのものだと思ってたんですが、中国関係なくて日本人が作ったんですね(Wikipedia)。おどろきました。

この曲の歌詞のどの部分がクッキーの格言に対応しているか、っていうのがおもしろいわけですが、「未来はそんな悪くない」「ツキを呼ぶには笑顔」「人生捨てたものではない」「驚くようなことが起きます」「殻を壊してみよう」「世界は愛で溢れている」「明日は明日の風が吹く」とかぜんぶクッキー名言なんでしょうね。でもなんか通俗でひねりがないなあ。

コンピュータシステムのUNIXにはfortuneっていうコマンドがあります。端末に向って「fortune」って打ち込むと、フォーチュンクッキーみたいな格言を教えてくれるのね。私のコンピュータにもさっきインストールしてみました。

最初に教えてくれたのは、「結婚は天上にてなされる──雷鳴と稲妻も同様である」とかですね。意味はわかりますね。まあ皮肉で気が利いてる。これはコンピュータハッカーたちの文化ではこういうのが好まれるから。

まあこういうわかりにくいお告げをするっていうのが古代ギリシア以来の「お告げ」fortuneの常道ですね。

さっきのフォーチュンクッキーの画像にあるお告げも「When one doors closes, another opens. 一つのドアが閉まると別のドアが開くものだ」ぐらいで、それほどヒネってはいないけど、歌詞のよりはもうちょっと気が利いてる。それに比べると、上の歌詞の「フォーチュン」はなんかださい。なんでこんなださいのだろう。

でもこれ勝手に深読みすると、実は語り手はクッキーとか実際には食べてないのです。日本のカフェでフォーチュンクッキーとか出してるとこ見たことないし。ミスタードーナッツでも売ってないっすよね。そうじゃなくて、この甘い「クッキー」は、カフェで流れている(あるいは家でラジオから流れてくる)ポジティブな音楽そのものなんだ、それで歌われているポジティブな内容なんだって解釈してみたいですね。そしてそれが自己言及的になっている、つまり流れてくる素敵な曲は、この「恋チュン」そのものなのですわ。まあそれがあまりにも自己言及的だっていうのなら、恋チュンを含む一群のポジティブな音楽だ。

あなたにちゃんと告りたい/だけど自分に自信ない
リアクションは想像つくから/Yeah! Yeah! Yeah!

性格いいコがいいなんて/男の子は言うけど
ルックスがアドヴァンテージ
いつだって可愛いコが/人気投票1位になる
プリーズ プリーズ プリーズ オーベイビー/私も見て

秋元先生のアイドル曲というのは、基本はもちろん(1)少年少女の恋愛模様なわけですが、同時に(2)アイドル活動、あるいはアイドルとファンの関係について自己言及していることが多い、っていうのも特徴です。これは出世作の「なんてったってアイドル」からずっとそうですね。ちなみに「ヘビーローテーション」「フライングゲット」もそうだと思う。これはファンがアイドルやその音楽に対してもつ気持ちをアイドルが歌ってるというかたち。

この曲も「人気投票」あたりからわかるように、AKBグループの総選挙とかに言及していて、私はAKBのメンバーであり、「あなた」はファンであり、何度目かの失恋はランキングに入れないことである。歌やダンスや性格も重視されるとはいうもの、やはりルックスはアドバンテージである、わたくし指原のルックスではちょっと苦しいところがあるのですが、指原、指原をよろしくおねがいします。ルックスでは負けても、才気や笑顔その他には自信があるのです。

恋するフォーチュンクッキー!
その殻/さあ壊してみよう
先の展開/神様も知らない
涙のフォーチュンクッキー
そんなに/ネガティブにならずに
Hey! Hey! Hey!/Hey! Hey! Hey!
世界は愛で溢れているよ/悲しい出来事忘れさせる/明日は明日の風が吹くと思う

「悲しい出来事忘れさせる」がいいですね。「未来はそんな悪くない」もいい。この曲や語り手はそれほどポジティブな感じでもないわけです。

私は個人的にはこの曲にはものすごく思いいれがあって、2011年に例の大震災があって何万人も亡くなり、直後に原発爆発して世界が終るかと思い、政治家はなにやってるかわからず、SNSは荒れに荒れてみんなが派閥に分かれて罵りあっていて、もうなんか地獄でしたね。この曲はそれから2年半ぐらいたってからの曲ですか。最初は意識してなかったんだけど、ツイッタで有名な心理学者の先生が何回か言及していたのは記憶の片隅に残ってて、聞いてみるとこのマスターピース。これはすごい。

PVもすばらしいと思いますね。DJが「悪いニュースばっかりでおまえら元気ないぞ!この曲を聞け!」みたいにして指原先生からざっとAKB登場、パパイア鈴木先生のふりつけも完璧だ。

おそらくAKBの東北の学校訪問、小学生もいれば高校生もいる、幼稚園、吹奏楽、剣道部、バスケット部、スーパーのおばちゃん、プロレスラー、ナオトクラブ、ゲイバー、子連れ、避難所を連想させる体育館、プロレスラー、リーマン、トラック運転手、寿司屋、港湾労働者、だれだってポジティブになれるだ、って感じでPVもマスターピース。

いろんな人々がいて、いろんなことを考えてるけど、音楽やダンスはそれを結びつける働きがある。「あなたとどこかで愛しあえる予感」は、まあ好きな相手かもしれないけど、お互いに憎みあってる「あなた」とも、いずれは楽しくやっていけるようになる、ってことかもしれない。

いいじゃんアイドルグループが人々を楽しくさせるなら。若い女子にはそういう力があるんだろう。私はこの曲からこういうものの見方が変わりましたね。みんな好きにポジティブにやればいい。よいものはそのなかで生き延びるだろうと思う。


いくつか関連する動画も貼っておきましょう。

平井堅先生が発表後すぐにカバーしてるんですね。この曲が日本人応援歌みたいなのだっていうのは平井先生もそう思ってるのだと思う。そうじゃないと、ヒットしてるからっていってもわざわざとりあげる意味ないし。AKBバージョンの作曲・アレンジは隅から隅まで完璧だと思うのですが、特に大事なのはブリッジみたいなののあとの「パッ!パッ!パッパッパッ!」のヒットだと思うんです。ここで「嫌なこと」や「悲しいこと」がふっきれてる。平井堅先生のは小編成で大人っぽくやってるけど、その3発はやっぱり残していて、そう、あれ入らないと「恋チュンにならんのよね」とか思ったり。

https://youtu.be/KxglkMFz5-o

「いやなことがあっても音楽があれば大丈夫」タイプの曲はものすごく多いと思うのですが、私が好きなのはこれ。2002年の曲。後ろの方長くてじゃまだけど。

ベースのブーチー・コリンズとボビー・ウーマック先生がプリンス風の曲を作ってる。歌詞はこちら。このタイプの曲は、メジャーコード一色、っていうのにはならんのですよね。むしろ裏にブルーな感じが流れている。実は「恋チュン」もそういう作り。

とにかくポジティブに行こうぜ、っていうのではファレル先生のこの曲が好きですね。

いろんな人が踊ってるバージョンがあるし、日本の大学生なんかも踊ってますね。

こうした、いろいろあるけど音楽聞いてダンスして生き延びよう、っていうのは黒人系ポップ音楽の最良の部分であり、恋チュンもその流れの作品の一つであり、秋元先生たちの解釈の一つだと思う。アイドル、いいじゃないっすか。そして他にもたくさんすばらしいものはあるので、人生そういうのを楽しんでいきたいですね。

そうそう、これもあれだったね。われわれを縛りつける「重力の魔」にダンスで対抗するのだ!世の中にもっと美しいもの、おもしろいものを増やすのだ。馬鹿なことをするのだ。時々は、やらなきゃならないことじゃなく、やりたいことをするのだ。単にやりたいから、単におもしろいからって理由で活動するのだ。

乃木坂46「制服のマネキン」もやばい

リテラって雑誌は秋元康先生が嫌いみたいで、いろいろ非難してるのを最近見ました。基本的には秋元先生は女性蔑視的で許せん、みたいな論調ですが、秋元先生がどのていど女性蔑視的なのかよくわからんですね。全体として見ればハッピーな曲も多いし女性をエンパワしたりエンカレッジしてるように見えるときもあるし、私には判断がつかない感じです。ただあの歌詞群を全体としてみると、女性蔑視的だとかそうではないとか、そんな単純な解釈を許さないようなものに見えてます。もっと複雑でアイロニカルなアートなんじゃないかな。

私はポップ音楽の歌詞の解釈、鑑賞にはまっていて、それを楽しくやるための最低限の準備のことなどを考えています。ゼミなどでもそういうことを話すものですから、学生様もいろいろ分析してみせてくれたりします。このまえのゼミで「制服のマネキン」を分析してみてくれた人がいて、ゼミでもいろいろ話し合ってみました。それを下敷にちょっと考えてみたい。乃木坂は特に微妙な曲があるとは思っていて、前に「君の名は〜」について書きました。作曲の杉山先生による曲はもうすばらしいですね。でも歌詞はどうかな。

https://yonosuke.net/eguchi/archives/7465 ここらへんで書いてみたことですが、とにかく歌詞を読む上で大事なのは語り手とその聞き手のアイデンティティを特定することだと思います。「制服のマネキン」もまさにそれが一番大きなポイントだと思う。誰が誰に向って語りかけている歌なんだろう?

君が何かを言いかけて/電車が過ぎる高架線 動く唇読んでみたけど/ Yes か No か? 河川敷の野球場で/ボールを打った金属音 黙り込んだ僕らの所へ/飛んでくればいい

Aメロはこんな感じ。これじゃわからんですね。野球するシーズンにふたりで外(河川敷)にいるってことはわかる。ボールが飛んでくればいいのは、ちょっと硬直してしまった二人のあいだをほぐしてくれる出来事がほしいからですかね。この二人はどんな人々でどんな関係か。

一歩目を踏み出してみなけりゃ/何も始まらないよ 頭の中で 答えを出すな

まあメッセージ性が強い。でもなんか高圧的ですね。

恋をするのはいけないことか? 僕の両手に飛び込めよ 若過ぎる/それだけで大人に邪魔をさせない 恋をするのはいけないことか? 君の気持ちはわかってる 感情を隠したら/制服を着たマネキンだ

サビでは恋愛するのは悪いことではないぞ、と強く主張している。恋愛するのに「若すぎる」っていうのは何歳だろう? まあとりあえずふつうに語り手が男子、語られ手が女子ということにして、女子が恋愛するには若すぎるというのは何歳だろうか。

「恋」って言葉はなかなかあれで、たんにぼんやり「好き」ってのもあれば、セックス!を意味することもあるのは当然のこと。まあ「大人」が子供に「おつきあいするには早過ぎます」みたいなのもあると思うけど、この「おつきあい」っていうのはマクドナルド(マクド)でハンバーガー食うことじゃないですからね。この場合はセックスしたりそういう関係になるのは早い、って解釈するのがふつうだろうと思う。

23才とかで「恋」が早いっていう人はいないだろうから、女子大生世代だろう、って考えるひともいませんね。そんなこと言われるのは高校生か中学生に決まってます。小学生って可能性もあるのだろうか。いやー。2番の歌詞いきましょう。

冬型の気圧配置に/心が冷え込みそうだよ 自販機の缶コーヒー/君の手にあげる

以前のレクチャーで、歌詞の1番と2番の間に時間的経過があるかもしれないという話を書きました。この歌でもそれがあるかもしれない。実はこれは学生様が指摘してくれたことで、1番は河川敷球場で野球をして、その音を聞いてる余裕のある時期、まあ春〜秋かな。初夏っていうのもありそうだという話でした。2番は明白に秋の深まったところか、冬そのものですね。

場所ですが、自販機のコーヒーで温まろうってんだからやっぱり外なんですかね。道端とかですか。

ここで一つ、おそらく慣れてない人が読みにくいポイントがあります。「心が冷え込みそう」ね。こういう寒いとか冷たいとか、あるいは雨が降ってるとか、そういう表現は、ポップ音楽ではそれは語り手の心情をあらわしてます。どんな冬型低気圧が来てたって、君といっしょにいてハッピーだったら心は暖いじゃん。でもこの人は「冷え込みそうだ」っていってる。「これから心が冷え込むかもしれない」っていうことですが、実はすでに冷えている。ハッピーではない。そしてこの心の冷えは、多くの場合、相手に対する不満の表明、あるいは怒りの感情の告白(と脅し)なのです。

典型的にはビートルズのPlease Please Meがそういう曲ですね。この曲は、「僕が君を喜ばせてるように、君も僕を喜ばせてくれよ」って曲ですね。

Last night I said these words to my girl / I know you never even try, girl 昨日の夜、彼女に言ったんだ/君はやってみようともしないんだね、って。 I don’t wanna sound complaining / But you know there’s always rain in my heart 君に文句つけてると思われるとやだけど、いつも僕の心に雨が降ってるのはわかるだろ?

とかっていう歌で、セックスさせてくれないガールフレンドにセックスをせがんでる歌ですね。(正確には、ガールフレンドにセックスをせがんだことを友達に打ち明けている。)

ここで「心に雨が降ってる」ってのは、「君」に対して僕は不満で、たとえば、もうおつきあいするのをやめようかなと思ってる、ぐらいのおどしですね。

この「制服のマネキン」の「冬型の気圧配置に心が冷え込みそうだよ」もまったく同じだと私は解釈します。このカップルは、おそらく夏から冬ぐらいまで「つきあって」いるけど、まだセックスしてなくて男子はそれにいらついていて、それを表明している。この脅しは缶コーヒー1本で補えるようなものではないと思う(貧乏なのはわかります)。

卒業を待ってみたところで/何も変わらないだろう 今しかできないチョイスもあるさ

これで少なくとも女子の方は卒業がそれほど遠くないことがわかる。となると高3か中3と解釈するのが適切そうさけど、高3よりは中3の方がキモいですね。さて、男子は何歳だろう?

どんな自分を守ってるのか? /純情の壁壊すんだ 汚(けが)れなきものなんて/大人が求める幻想 どんな自分を守ってるのか?/僕は本気で好きなんだ その意思はどこにある? /制服を着たマネキンよ

「守る」とか「純情」とか「汚れなき」ここではなんか性的な純潔の話をしてますね。まあセックスしないからって純潔かどうかはわからんけど。ははは。んでポイントは「大人」ですが、大人が「それは大人の幻想だ」みたいなことは言いにくい(不可能ではないが)なので男子も大人ではない。でも女子と同年代でこんなこと言うのかどうかもよくわからない。「セックスさせてくれないとか君はマネキンだよ」とかやばい。こういうなんかインテリっぽい青臭い感じの比喩をつかうことからして、中学生どうしではない。高校生男子と中3女子はありえる。あるいは大学生男子か、それとももうちょっといって20代前半ぐらいか。

私はずばりアルバイト塾教師(大学生/院生)男子と中3ぐらいを想定しましたが、みなさんはいかがでしょうか。ネットで検索してみると、やはり教師・生徒関係っていう解釈があるみたいですが、本職の教師とかが自分の生徒と外で二人でいるっていうのはちょっと考えづらいと思う。見られたらすぐわかるからね。でも塾教師ぐらいだと外にいることはあるんではないだろうか。同年代ってのもまあないではないけど、それほどうまい関係ではないですね。

できないんじゃない/やってないだけさ 未来の扉 そこにあるのに 僕は何度も誘う 生まれ変わるのは君だ僕にまかせろ

力強い説得で、これってPlease Please Meと同じですね。「君はトライさえしないんだね」。ビートルズの曲ってのは、音楽やる人間なら誰でも全曲弾いてみて歌ってみるので、「できないんじゃない、やってないだけさ」でI know you never even try, girlを連想すると思います。まあこれは言いすぎかもしれないけど。

恋をするのはいけないことか? 僕の両手に飛び込めよ 若過ぎる それだけで 大人に邪魔をさせない 恋をするのはいけないことか? 君の気持ちはわかってる 感情を隠したら 制服を着たマネキンだ

「君は制服を着たマネキンだ」ってディスることによってセックスしようとしているわけです。この曲は邪悪ですね。

前にフェミニストのシュラミス・ファイアストーン先生についてちょっとだけ書きましたが、70年ごろのセックス革命のときもそういう脅しみたいなのがよく使われたみたいですね。「君は堅いんだね(皮肉)」「じらし女」「解放されてないんだね」「とらわれてる」「自分を殺してる」みたいな。

「君の名は希望」についてもキモい曲だということを書いたのですが、この曲も非常にキモい。なにより、この曲では女子の意思がさっぱりわからない。冒頭でもイエスかノーかわからず、そのままずるずるとこの語り手男子の言うなりにされている。というより、この男子が強引すぎるんですね。そもそもこの語り手とそんなことしたいのかどうか。むしろしたくないのではないか。でも「君の気持ちはわかっている」。

ふつう考えたらイエスかノーかわからないっていうのはノーなわけですが、そうした女子の気持ちがどうなのかとはまったく関係なく「腕に飛びこんでこい!」みたいなのを力説してて、すばらしくキモい。というより、そういう高圧的な態度に嫌悪感の方が大きいのではないか。

まあこの曲はそういうタイプに読める曲ですわ。これが女性蔑視的かどうかはわからない。女性操作的な歌詞だとは思う。ショックなのは、この歌詞の解釈についてちょっとググってみても私のような解釈が出てこないことですね。うちの学生様たちはディスカッションしてるうちにそういうのわかってくれたようで、一安心。


補足1。もっと穏健な解釈があって、とくに有力なのは語り手がファン、聞き手が乃木坂やAKBのメンバー、「大人」が運営、という読みですね。この曲が出たころは誰かが「恋愛禁止」の運営のルールに反して「恋愛」してるのがバレてどうのこうの、みたいなのがあったみたいなので、そんなのにとらわれずに恋愛を楽しみましょう、みたいなの。まあアイドルと「恋愛」する夢はいいし、そうでなくたってアイドルってそういうふうに楽しむものですよね。

さらに穏健に解釈すると、この歌詞のリスナー(オーディエンス)は、男女両方の立場に身を置いて聞いてると思う。自分で「僕、はっきり意見も表明できないいまのままじゃ木偶の坊人形だよな、男子だから木偶の坊で、きれいな女子だったらマネキンみたいなものだよな、自分の意思をはっきりさせなきゃ、がんばっていこう!乃木坂も僕らを励ましてくれているし」ぐらいに聞いてる。これが多くのファンが聞いてる筋だと思う。でも字面からすればちょっと無理矢理なところがあるわね。

こういう多様な解釈を許すようにできてるのはこの曲が精巧につくられている名曲だからですね。


補足2。ビートルズの初期のシングルの内容的な繋りは以前なにげなしに歌詞の分析の例としてやってみたところ発見したものです。

デビューシングル Love Me Do → ぼくは君のことがずっと好きだからLove Me Do! (セックスさせてください)

上で言及した2枚目Please Please Me → 「ぼくは君を喜ばせてるんだか君も僕を喜ばせてください(セックスさせてください)」って彼女に言ってみました。

3枚目She Loves You → 君はセックスセックスと彼女に迫って気分を害して振られたと思ってるようだが、彼女はまだ君のことが好きだってよ。

4枚目 I Want to Hold Your Hand → (あらためて)やっぱりセックスさせてください、君にタッチしてるとぼくはとってもハッピーなのです。

てな感じでセックスセックス言ってるわけですね。これは不良の音楽だ!もっとも、そういう次第でポップ音楽でセックスさせてくれとせがむのは由緒正しい伝統でもあります。ただ「制服のマネキン」の場合は、人間をマネキンよばわり(モノ化)してて非常に侮蔑的な感じがするのでキモいわけです。「そのままじゃお前はマネキンだぞ!」みたいなの、なんか体育会系のハラスメントっぽいですよね。

欅坂46の『真っ白なものは汚したくなる』収録曲にコメント

欅坂のアルバム『真っ白なものは汚したくなる』は秋元節というか中二病全開で訴えかけるところがありますねえ。楽曲のクォリティものすごく高くて、いろいろ語りたくなるので、前に言及した「スカートを切られた」「高く跳べ!」以外の気になる曲に簡単にコメント。

サイレントマジョリティー。

これは売れたみたいだけど、私あんまりぴんとこないです。Aメロの3-3-2のリズムが、現代ラテン(スペイン系)音楽の影響受けてる感じで印象的ですね。でもサビが結局4つだし。でもそこでも手拍子がラテンを主張している。アメリカではすでにラテン系がマジョリティーだ、みたいな含みはさすがにないと思う。でもLatin Hitsとか聞いてるとこういう感じの音良く使ってます。打ち込みスネアがダッダッダッダダダダダダダデレレレレレとかなるやつとか。大森靖子先生のカバーがもうドブ川アイドルでいいですね。これは男子じゃなくて女子をドブ川に引きずり込んでエサにする本物のサイレーン 1)もっとも、女子の方ももとの語りの中二病少年よりちょっと上で、すでに性的に目覚めている感じになってしまう。女子はそうなってしまうのよねえ。

「世界には愛しかない」

このアルバム、この澄んだピアノの音が印象的で、まあ汚れなき中2男子。ははは。オナニーとかしません! こういうの聞くと、校内暴力みたいなのが選択肢に入ってないってのがあれよねえ。

「二人セゾン」

 

これはよくできてますね。前に「二人セゾンの詩学」って評論読んで歌詞その他ちょっと見てみました。音楽的にはいわゆるSus4コードがとても効果的に使われていていわゆる「浮遊感」がある。そういうのついてはもう少し語りたいことがあるけど、もっと音楽に詳しい人がいると思う。ニコ生で配信したときにいろいろ語ったんだけど、最後の方ギターが裏でギュンギュンいってるのとかもいいですね。すごく作り込まれてる。

「不協和音」

 

これは政治がらみでいろいろ話題になった曲なんかな。こういうシンセ鳴りまくりの4つ打ちユーロみたいなのはあんまり好きじゃないのでパス。それより、同じ作りの次の曲がいい。

「エクセントリック」

これは「高く跳べ!」に続く大名曲です。この曲、語り手は実は女子かもしれないっすよね。いちおう「ぼく」なんだけど、そんな少年をみんなで噂するなんてないじゃないですか。むしろ女子の「僕っ子」の方がイメージとしてはあってる気がする。この曲でも澄んだピアノが大暴れでいいです。

しかしこうして並べてみると、この中二病ぼっち反抗ポップ、っていうのは実はこれまで存在してなかったジャンルかもしれないっていう気がしてきました。反抗するんだって、なんか『ホットロード』『爆音列島』的な暴走族的なのしかなかったじゃないですか。そういう世界っていうのは、反抗しながらなんか仲間や絆みたいなのがあるんだけど、秋元先生の歌の主人公はなにも持ってない。そういう年頃の少年が主人公/語り手の歌っていうのは、そもそも存在しなかったんですわ。(女子ならいろいろありそう)

アニメやマンガならエヴァンゲリオンとかそういう代表作があるけど、音楽ではそういうのあんまり聞いたことない。それは男子向けにも女子向けにも、音楽にはならんのです。声変わり前の男子が歌ったら、黒猫のタンゴとか、ウィーン少年合唱団的な僕は清く正しくて満足してます、神様ありがとうございます、になるし、声変わり後とかだとセックスセックスー、になちゃう。男子はそれを歌うことができないのです。

もうすこし年齢があがって、女子にどうやって一発やらせてもらうかとか、ガラス割って歩いたりするのはあっても、こうやって鬱屈しているだけで自分の清さを守ろう、っていうのはめったに聞かない。っていうか思いつかない。

語りや叫びは全部内向して、誰にも届かない。多くの曲で少年は「君」って呼びかけてるけど、それは実際の君には届いてない。ぜんぶ内心の声。

これほど弱い存在が語り手のアルバムっていうのは他におもいつかない。こういう曲を実際に男性ボーカルが歌うのは無理で、若い女子に歌ってもらうしかない。(あるいは矢野あっこちゃんに)。

こういう世界に住み、世間にそまらず自分の清さを維持しようとする人々を、我々は童貞様と呼んで守るべきではないか。男性学とかやってる先生たちは、この新しい世界をじっくり見つめる必要があるかもしれない。

まあこのアルバムは残りの曲もそれぞれものすごくクォリティ高くて、日本のポップ史上に輝く名盤ですね。作曲や編曲・演奏の先生たちもすごいし、秋元先生の作詞アーティストとしても頂点を極めた1枚だと思う。2010年台のポップ音楽はものすごく高い水準に達した。「真っ白なものは汚したくなる」は語り手ではなく、作家の先生たちの意見なんすかね。欅坂メンバーの語りだってことになればもっとおもしろいですね。

 

 

真っ白なものは汚したくなる(通常盤)
欅坂46
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1. もっとも、女子の方ももとの語りの中二病少年よりちょっと上で、すでに性的に目覚めている感じになってしまう。女子はそうなってしまうのよねえ。

けやき坂46の「誰よりも高く跳べ!」は放送禁止にしてはどうか

欅坂の「誰よりも高く跳べ!」はまさに大名曲なのですが、それゆえにまったく恐ろしい曲です。

前に書いた聴取ポイントリストとともに聞きましょう。私、30回ぐらい聞きましたが恐ろしい名曲ですね。

 

アーティスト名、曲名、ジャンルはいいですね。ジャンルはJ-Pop、アイドル音楽。でもこの分類でいいのかどうか。
リズムパターンは基本は4つ打ちダンス。
楽器編成は非常に分厚くて豪華です。打ち込みドラム、シンセベース、左右2本(ガットとエレキ)、キーボード、ホーンセクション系、ストリングセクション系、それから最初からぴょーんってやってるシンセと、うしろの方で出てくるもっとエッジの効いたエレピ、コーラス(欅坂と男声と女声)
テンポは130BPMぐらい、ダンスとしてはちょっと速い、いかにも高揚している感じ、踊ってると頬が紅潮しますね。

アーティスト情報は自明だから今回はいいでしょう。

歌詞まず基本だけおさえます。語り手の性別は不明だけど基本は少年、中学2年生〜高校2年ぐらい。主人公は語り手本人、語りかけられているのはよくわからないけどおそらく同世代の他人、あるいは自分自身。

これだけおさえて歌詞と音楽いっしょに行きましょう。

イントロ。ガガって感じでガットギターからはじまってるのかっこいいですね。先走ってかきむしってます。すぐにシンセがぴょーってやってすぐにうようよ、さらにドラムとホーンが入る。ベースも下の方でうようよ。この高揚感はただごとではない。

コード進行は | C | B7 | Em | G |で、キーは基本的にはEmというマイナーキー。これはB7が一応軽く決定しています。でもGってメジャーだって聞く方法もある。まあEmなのかGなのか、ていう曖昧さがある。しかしものすごい肯定的な感じですね。

| C | B7 | 誰よりも高く跳べ!
| Em | G | 助走をつけて大地を蹴れ!
| C | B7 | Em | G | すべてを 断ち切り あの柵を越えろ!
| C | B7 | Em | A | 自由の翼を すぐに手に入れるんだ
|C | 気持ちからTake off
| Am | One Two ThreeでTake off
| Em |ここじゃない ここじゃない
| Em | G | Em | ここじゃない どこかへ…

いきなりサビ。このサビすばらしい。「すべ」「てを」「たち」「きり」って感じが、はあはあ息が切れてる感じ。あの柵をなんとしてもこえるのだ。でも柵ってなんだろう。

「自由の翼をすぐに手に入れるんだ」の最後のところのAのコードがものすごく強くて利いていて、何回きいてもぐっときます。ここじゃないからテイクオフするんです。最後はGかEmかと争って、結局Emでおわって、音楽的に全体がEmであることが確定する。でもあんな派手なのにこのサビの終わりへんだよね。誰だって違和感があるはず。落ち着きが悪い。

Em | Am | B7 | Em / C B7 | 自分で勝手に 限界を決めていたよ
Em | Am | B7 | Em / C B7 | 世界とは 常識の内側にあるって…
Em | Am | B7 | Em / C B7 | 無理してみても 何もいいことない
Em | Am | B7 | Em / C B7 | 大人たちに 教えられてきたのは妥協さ

メロディーラインは普通、歌詞内容もふつうの欅系。1小節に1コード、4小節目だけC / B7 が入って強く推進する。なにもいいことがないようです。

Am / D | Bm / Em | Am / D | Bm / Em | 空の涯に向かい 風は吹き続ける
Am / D | Bm / Em / C#dim | Am B7 |見上げてるだけでいいのかい?もったいない

ここいいですよね。1小節に2コードはいって忙しい。高揚が激しい。歌詞として注目するべきは、風が空に向かって吹いていることです。

クエスチョン:あなたは風が空に向かって吹いていると感じたことがありますか?それはどこですか?

丘の上とかビルの上とかですか。そういう高い場所はたしかに風が上に向かって吹いている感じがする。そういうところで空に飛べる風が吹いているのを見送るのはもったない。

さあ前に遠く跳べ!
力の限り脚を上げろ!
追いつけないくらい 大きなジャンプで!
希望の翼は 太陽が照らしてる
信じろよYou can do!
行けるはずYou can do!
もう少し…

サビすばらしい。丘の上か、ビルの上で、自分に「さあ前に遠く跳べ!」って歌ってます。見る前に跳べ!ジャーンプ。ジャイアントステップ!誰かが追っかけてくるかもしれないけど、大きく跳べ!

君の/僕の 翼を太陽が照らすだろうってのはいいですね。あれ、でもそうすると、なんか翼をつけてる蝋が溶けちゃうかも、って話を聞いたことないですか?私の記憶だとずいぶんむかしにそうやって空を飛んだひとがいてイカロスとかそういう名前だったか……できる、行ける、もう少しいけばいける……

短い間奏がはいって、ドラムがドタドタやってなんかリプレイな感じ。失敗してやりなおしてる感じ。もう一度だ。

立ちはだかる 困難や障害は
これからもきっと 避けることは出来ない
背を向けるより 正面突破しよう!
どんな夢も予想つかない
明日にあるんだ

なにやったって辛いことは避けられません。正面突破だ。でもどっちに?あ、目の前の金網を飛び越えることで正面突破するんすね。

錆びたルールなんか 重い鎖だろう
飼い慣らされてて いいのかい? 頷くな!

ここのところの息の切れてるもいい。錆びたルールってなんだろう?絶対破ってはいけないルールよね。

さあ前に遠く跳べ!
力の限り脚を上げろ!
追いつけないくらい 大きなジャンプで!
希望の翼は 太陽が照らしてる
信じろよYou can do!
行けるはずYou can do!
もう少し…

このコーラス、うっすら男声も入ってて分厚くていいんですよね。それにシンセとかびょろびょろいっててすごい。「僕/君はできる、できるはずだ」しかしもう1回リプレイ。もう少しなのだ。

| Am | D | G | G |金網の外 眺めてるだけじゃ
| C#dim | C | 何にも変わらない
| Am / Bm | Eb / B7 |どこ向いても立ち入り禁止だらけさ

ここいったん落ち着いてる。よく考えるのだ。コード進行はおもしろくて、調性がわかならくなる。ぐだぐだ考えてる感じね。特にC#dimとか。Ebで混乱は最高だけど、最後はB7(ドミナント)でやっぱりEmへ向かうことに決めた。B7はEmへ解決/5度落ちる強い力をもっているのです。調性というのは重力である。コードも分厚くて魅惑的。

そこには金網がある。丘の牧場だろうか?丘の上の牧場の牛が自由をもとめて金網を飛び越えるのだろうか?ちがう。ではもう一つの候補ですね。どっちみち世界は金網があるんだから、どの金網を越えても同じさ、ってことか。でも「その」金網を飛んで跳んで大丈夫ですか。

そしてついに、

レジスターンス!

わあ。やめろー。

守られた未来なんて 生きられない

レジスタンス=生きられない。生きなれないのがレジスタンスなの?そして効果音入って飛んでる!なんに対するレジスタンスなの?親?学校?世界全部?それってレジスタンスなの?

この「れじすたーんす!」のあとのエレピがすばらしい。天国的。ヒイズミマサユ機先生とかも弾きそうなフレーズですが、私が知る限りはウェザーリポートのジョー・ザヴィヌル先生が開発したタイプのフレーズですね。天国へ飛んでる感じがする。

そのあとのコーラスは、もう自分なのか天使たちなのかわからんです。天使っぽい。

誰よりも高く跳べ!
助走をつけて大地を蹴れ!
すべてを断ち切り あの柵を超えろ!
自由の翼をすぐに手に入れるんだ
気持ちからTake off!
One Two ThreeでTake off!
ここじゃない ここじゃない
ここじゃない どこかへ…

「誰よりも高く跳べ!」これはすばらしい。そう、我々は高く跳びたい。そのためには「助走をつけて大地を蹴れ!」そうだ。「すべてを断ち切り あの柵を超えろ」でもこれはやばい。いろんなしがらみたいへんだけど、なにも断ち切る必要ないじゃん。「自由の翼をすぐに手に入れるんだ」この「すぐに」がキモだ。自由とかそんな大事なものが、そんなすぐに手に入れられるはずがないではないか。なに言ってるんだお前は。

「気持ちからTake off!」これは解釈難しいけど、「つらい気持ちから」なのか、もっとひどい「こわい気持ちからテイクオフ」か。「One Two ThreeでTake off!」「1,2,3で跳ぶ?」やめろ。「ここじゃない ここじゃない ここじゃない どこかへ…」そう、ここじゃないところへ行くってのはロックの基本だけど、そういう形で金網を超えるのはいかんよ。

ラストまで聞いてください。ここまで読めば、最後がフェードアウトしないで、タリララタリララというストリングスと下降形で最後ドシンと終わってる理由も明白だろうと思う。邪悪。

これは天使たちじゃなくて、悪鬼とその手下の美しく邪悪なセイレーンたちの歌です。芸術的には最高だけど、道徳的には非常によくない。

私も最初はこの曲、「そうだよな、おれたち足を高くあげて、歩幅を大きく取って生きてかなきゃならない、そう生きるのだ」って聞いたんですよ。最初っから最後まで感動させられる。特にサビの「ぼうの翼」のあたりの感じってもう最高じゃないですか。でも全体はそういう歌詞じゃないんすわ。もちろん、もっと穏健に解釈することもできるけど、実はそうじゃない読みを可能にした作りになっている。

穏健な読みをすれば、そう、我々は時々ジャンプすればいいのです。ちょっと意識して歩幅を大きくして歩いてみたり(我々のジャイアントステップだ!)恥ずかしいから誰も見てないことを確認してから、公園とかで「ジャーンプ!」ってやってみればいい。そういうちょっとした活動から、人生は耐えられるものになたり、あるいはすごく豊かなものになる。部屋でジャンプもしましょう。ちょっと跳んで見るだけで全然ちがう。朝に1回思いっきりジャンプしてみれば、その日1日けっこう機嫌よく暮らせるかもしれない。

だからそう読んでそういう曲だと楽しみましょう。ファンはみんなおそらくそう聞いてると思う。

でも全体はそうではない。そして作詞作曲編曲の先生たちは、そういうしかけを十分意図してこういう名曲名トラックを作っている。私は許せないですね。

DailyMotionにライブ映像があるんですが、これとかもうほんとにギリシア神話のサイレーン、美貌と歌で男性を呼びよせて食い殺す妖怪を連想しますね。君ら、やめろ、ころされるぞ!

最後の個人ダンスもすばらしい。美人ぞろいだけどいつもは腕をだらんと下げてダウンな演出を強制されている欅女子が、笑顔で実は身体能力がものすごく高いことをみせつけながら、「その金網を跳べ、123で跳べ」って呼びかけてる。おそろしくてしょうがないです。ていうか、ライブでサイリウム振ってるファンの皆様は殺されそうなのがわかってるんでしょうか。わかってるんでしょうね。でもサイレンの歌と同じように、もう抵抗できない。放送禁止にしたらどうだろうか。そう、ゲージュツってのはこういうものなのです。19世紀的な「理念と形式の一致」という理想。あらゆる意味ですばらしい。すばらしすぎます。だからこそいろいろ考えるところがありますね。

ウォーターハスウスの有名作「オデュッセウスとセイレーンたち」。セイレーンは半分魚のやつと半分鳥のやつの2種類想像されてるんですが、今回は鳥のやつのほうが適切ですね。


(追記2018/10/03) でもこの曲は「リスナーを勇気づける曲」っていうふうに聞かれてますね。それは悪くないことだと思う。ジャンプできるんなら他のたいていのこともチャレンジできるし。それが製作者たちの一番言いたいメッセージなわけだと思う。

欅坂の「月曜日の朝、スカートを切られた」も名曲

「月曜の朝、スカートを切られた」も名曲。

なんかこんな感じで秋元康先生の作詞した曲が非難されていましたなんかリテラって雑誌も非難してる。 まあ先生について好き嫌いはあっても才能がないってことはないだろう、ってんでPVで聞いてみたんですが、拙者、一発で打ちのめされましたグホぉ。これは一流の職人さんたちによる最高級の作品ではないですか。歌詞はこっち。 作曲は饗庭純先生。

 

イントロはDのペダル(持続する低音)のうえでDm – C – Bb – C ってやるよくあるやつ、でもこのDmを中心にしたペダルって、いろいろ因縁があって、一番有名なのはオーネット・コールマン先生のLonely Womanですね。Dのペダルってんで、そこそこ詳しい人は誰でも連想するんちゃうかな。あ、もっと有名なのがあった。ドアーズのジ・エンド。でもまあDの上にDm C Bb Cってトライアド(三和音)のせるのはよくつかうやつです。この進行だと不穏なDmは強く感じるけど、まだそれが主調なのかどうかはよくわからない 1)あとDmつまりニ短調で有名なのはモーツァルトのピアノ協奏曲20番とか、『ドンジョヴァンニ』の序曲と地獄堕ちとか。。こう、デモーニッシュっていうか暗くて情熱的な調性だと意識されてる感じ。

んで、Aメロの歌詞はごくふつうの中二病ね。

「どうして学校へいかなきゃいけない〜」とかまあベタな感じ。拙者はアイドルグループうといのですが、AKBとかにくらべて坂の方はネガティブで抑圧された曲が多く、歌詞も男子一人称が基本だと思ってて、そういうつもりで聞いてました。

コード進行はDm Bb F Cを4回繰り返していて、よくあるパターン。こういうののキーがなんであるのかは拙者いまだによくわかってません。VIm-IV-I-Vなんかな。6415。基本的にはFがキーだと思うんだけど、Dmにも思える。2拍ずつコードが進行していて、あるエネルギーというか活発さがある。イライラというネガティブなエネルギーだけどね。

Bメロはすごくよくて、わたしそこでいかれました。

歌詞は「反抗したいほど熱いものものもなくうけいれてしまうほど従順でもなくあと何年だろうここから出るには……大人になるため嘘になれろ!」いいじゃないっすか。

コード進行は Bb C Am Dm Bb Am Gm A(A7)だけど、各コードがAメロの倍の長さになってる。AmやGmていうそれまで出てこなかったコードが出てきて、やっとキーがFだっていうのがはっきりする。語り手のある覚悟みたいなのが出てくる感じね。ところが最後でA7が鳴ることによって実は本当のキーはDmなのだ、って宣言されるところがこの曲のミソですわね。ベタだけど拙者は感動しますね。そして、でもA7からDmへの自然な落下という予定調和、というより宿命は、最後まで拒否されるのです。どんなにA7が強力でも、Dmに落ちちゃうことは受け入れないのだ。

ここまででもう主人公は言うべきことをすべて言っていて、2コーラス目の「月曜の朝スカート切られた」ってのはもう実はなんでもいい。

本当は、「月曜の朝トイレにとじこめられた」でも「同級生にカツアゲされた」でも「いやがってるのにコブラツイストきめられた」でも、気の弱い男子があいそうな災難だったらなんでもいいわけだけど、それじゃ情けなすぎて歌にならんしょ。「実は女子の歌でした」ってな感じにしてなんとか歌としての形をたもってると拙者は聞きましたね。

「トゥシューズに画鋲いれられた」でもよかったのかもしれないけど、それだと女子どうしのあれな関係を考えちゃうから 2)そしてそれを連想すると、んじゃこのグループはどうなっているのか、とか考えちゃうし。 、まあわかりやすい卑劣な犯罪ってのでスカート切りぐらい使うのは選択として悪くないと思う。「学校のおばちゃん先生からスカート丈についてぐちぐち説教された」ではやはり歌にならんし。スカート切りぐらいわかりやすい邪悪な存在じゃないとね。だれもスカート切りを擁護しようなんてこと考えないっしょ。

まあ、われわれが出会う理不尽な出来事だったらなんでもよい。そして、われわれはそれには慣れているのです。悲鳴なんかあげてる場合ではないです(もちろんここで主調のDmへ導くA7が鳴る)。どうしても生き延びるのです。だってこれから先も、満員電車みたいな教室や職場でどうしても生き延びなきゃならんのですから。こんなクソみたいな場所は、生き延びれば勝ちなのですからね。

この歌詞はものすごくベタで、実際にこの世界を生きている人間は、こうしたベタな思考さえがいまではネットでも解体されて中二病と名付けられていることを知っているわけです。真実がネットで見つかるわけがないのもわかってる。こんなぐだぐだ定型の反抗をすることさえ、いまの若者たちはできないんじゃないかな。「いじめられても悲鳴はあげません」みたいな誇りでさえぐしゃぐしゃにされている。でもだからこそこういう歌が訴えるところがあるわけでね。

何回か聴き直すと、Bメロは(若手の?)男性ボーカルがうっすら残っていて、これはあえて残してますわね。男子の叫びでもあるわけよ。でも今はもうそれじゃ歌にならない。いまどき、男子が「大人も社会もクソだ、僕はいじめられても負けない」とか歌ってたって馬鹿じゃん?女子アイドルならまだいける。最後のリバーブとか切って生々しくした「あんたは私の何を知る?」っていう叫びみたいなのでさえ、もうわれわれは素では歌えないでしょ。

悲鳴はあげない。でも「悲鳴はあげない」ってしか言ってないってことに気づいてましたか?もちろん、この場合はスカート切られてしまってるわけだから、悲鳴あげたってしょうがない。悲鳴ってのは、パニくって、他人からの援助をもとめることだからね。こんな嘘だらけのクソな世界で生きていくには、悲鳴なんかあげたってしょうがないのだ。そのまま我慢することもあるだろうし、警察に行くこともあるだろうし、他のもっと直接的な対応を考えることもあるかもしれない。でも悲鳴なんかあげないのだ。そういう歌っしょ。痴漢にあってるその時点の歌じゃないよ。

こんな名曲、才能がないとかいったいなに聞いてるんですか。

まあでも私「坂」の演出とかはあんまり好きではないです。そういや、「君の名は希望」とかについて昔書きました

References   [ + ]

1. あとDmつまりニ短調で有名なのはモーツァルトのピアノ協奏曲20番とか、『ドンジョヴァンニ』の序曲と地獄堕ちとか。。こう、デモーニッシュっていうか暗くて情熱的な調性だと意識されてる感じ。
2. そしてそれを連想すると、んじゃこのグループはどうなっているのか、とか考えちゃうし。

乃木坂の「君の名は希望」は悲しい名曲(あるいは最高のキモ曲)

戸谷洋志先生という若手の哲学の先生が『Jポップで考える哲学』っていう本を出版されたので、ポップ音楽大好き哲学ちょっと好きとしてさっそく読んでみました。歌詞の分析ものは好きなんよね。流行音楽の歌詞使いながら、大陸系の哲学っていうか実存主義系の哲学を紹介していく、っていう趣向で、そういう哲学に興味ある人はぜひ読んでみるといいと思います。選曲がなるほどって感じで(私の好みとは違うけど)おもしろかったです。

こういうのは実際にその音楽聞いてみないとなんないのでそれぞれ聞いてみているのですが、乃木坂の「君の名は希望」っていうのは驚くほど名曲でしたね。アイドル関係ぜんぜん知らなくて今回はじめて聞いたんですが、とても強い印象を受けました。ツイッタでつぶやいたら、数人「それ評判の名曲っす」みたいな反応してくれて、なるほど。

非常に感心したので、私なりになにを聞いたか、っていうのを書いてみたい。

歌詞はここ。 http://j-lyric.net/artist/a0560d3/l02c306.html

僕が君を初めて意識したのは
去年の6月 夏の服に着替えた頃
転がって来たボールを無視していたら
僕が拾うまで
こっちを見て待っていた

これが中学なのか高校なのか、っていうのがまず興味深いところですね。どっちがいいんですかね。私は最初中学生2年か3年かって思いました。

制服が夏服になったってことなんでしょうけど、これ男子的にぐっと来るところがあると思うんですわ。女子高生の制服好きでしょうがない、とかって先生がネットで話題になってましたが、まあそういうの抜きにしても、夏服になると女子の体の線とかが下着とかがわかりやすくなってあれだ、っていう人はいるでしょうな。中学1、2年生男子ってそういう感じ。女子から見るとここらすでにキモいかもしれないっすな。

ボールがなんのボールかってのもよくわからないけど、すぐあとにグラウンドの話が出てくるから、ソフトボールぐらいっすかね。その場合は女子は制服じゃなくてユニフォームなる気がする。あるいは外や屋上でバレーボールとかしてたのかなあ。いやまあソフトボールぐらいで。テニスだと「コート」になるわね。

この「拾うまでこっちを見て待ってた」っていうのをどう解釈するかが最大のキーですわね。「すみませーん、お願いしまーす」、顔見知りだったら「ごめーん」ぐらいがふつうだと思うんだけど、そういう声がかからない。「こっちを見て待ってた」って本人は理解しているけど、キモくて近づけないのかもしれない。

しかし女子っていうのはもう一方のタイプがいて、男子は自分の言うことを聞くのが当然である、のような態度をとる人も少数ですがいますわね。なんでさっさと拾わないのよ。拾うまで睨んでやる。エヴァンゲリオンのアスカみたいなタイプ。どっちなんかね。私はアスカ連想しました。

透明人間 そう呼ばれていた
僕の存在 気づいてくれたんだ

この少年は非常に気が弱いし、なにも目立つところがない。なにか特別なところがあればとりあえず透明ではなくなるからね。口数少ないし、なにより友達も少ない。っていうか友達いないんちゃうか。なぜ友達いないのにグラウンド(あるいは屋上か)に一人でいるのか。

暑い雲のすき間に光が射して
グラウンドの上
僕にちゃんと影ができた

これすばらしいですね。秋元先生は天才的だと思う。私雪国で育ってて、雪国では冬の間は影がなくなっちゃうのね。曇りが多いし、雪の上では影はっきりしない。雪の乱反射が、太陽の光より強いからか、影できてもくっきりしないんよ。中学生のときにはじめて2月末ぐらいに東京に行ったら、雪がなくて影があってものすごい新鮮でしたね。「おう、久しぶり」みたいな。

この歌詞では、上の戸谷先生が指摘しているように、ボールをはさんで女子に「そこにいるな」って思ってもらうことによって、透明人間じゃなくなってはっきりした影のある人物になったわけですわね 1)ただ、最初この歌詞聞いたときにはわからなかったけど、ここは仕掛けがあるかもしれなくて、「影」は「陰」(かげ)でもあるかもしれない。表も裏もある人間になったとか、邪悪な欲求に目覚めたとか。ははは。でも恋愛ってそういうところあるじゃないっすか。ないっすか。まあ「ちゃんと」影ができたんだからまあふつうに解釈した方がいいっすね。 。でももし女子がアスカだったら、名前もなにもおぼえてないでしょうね。ただのその他大勢の名無しの下僕の一人。

いつの日からか孤独に慣れてたけど
僕が拒否してた
この世界は美しい

ここ見るとまあ中学生じゃなくて高校生なのかな、っていう感じもします。ゲーテのファウスト先生っすね。この「世界は美しい」って感じいいですよね。あれじゃないすか。秋冬に調子悪いときは灰色に見えてるけど、初夏とかで調子あがってくると山の緑とかがぐっとものすごく鮮かに見えたりするじゃないっすか。そういう感じ。

こんなに誰かを恋しくなる
自分がいたなんて
想像もできなかったこと
未来はいつだって
新たなときめきと出会いの場

ポジティブでいいっすね。ところがこのあとの

君の名前は「希望」(きぼう)と今知った

が気になりますね。ふつうはノゾミさんだよねえ。そして「今」ってのはいつなんだろうか。これが最大の謎。

わざと遠い場所から君を眺めた
だけど時々 その姿を見失った
24時間心が空っぽで
僕は一人では
生きられなくなったんだ

まあ遠くから見る感じね。憧れの女子。でも、時々遠くから見てうれしい、って思うんじゃなくて、四六時中(っていうか「24時間」)じーっと見てて見失うわけっす。ちょっとあれですね。おそらく一言も会話したことさえないんじゃないだろうか。名前さえ知らないんだし。そうなるとこの「愛」って何なんだかどうだかよくわからんわねえ。

んでコーラスくりかえし。やはり「今知った」の今がいつなのか気になる。この歌が発売されたのは3月らしくて、実は卒業ソングらしいわけです。卒業式で「〜希望くん、おめでとう」とかやったときにやっと名前を知ったということですかね。まあ「ノゾミちゃん」だけど漢字で「希」か「望」か「望美」かわからんなあ、とか思ってたら「希望」って書くのかあ、ぐらいですか。でもそれにしても去年の6月に「素敵だな」って思って、3月までずーっと見てるのに、名前さえ知らない、っていうのはこれはかなりやばいのではないか。へたすると1年半?もっと?

孤独より居心地がいい
愛のそばでしあわせを感じた

人の群れに逃げ込み紛れても
人生の意味を誰も教えてくれないだろう
悲しみの雨 打たれて足下を見た
土のその上に
そう確かに僕はいた

ここもいいですね。この少年は、雲間から日が射してきてもすぐに地面の影を見るし、雨に打たれても雨や前方を見るんじゃなく、地面を見る。いつもうつむいている。いいねえ。

ここらへんから、この曲なにがそんなに私にうったえかけるのか、って考えたら、この曲、曲調はいちおう全体に単純なメジャーコードで埋めつくされてるけど、すごく否定形の表現が多いんですね。心理学とかでは、発言や書いた文章のなかにどれくらいポジティブな言葉やネガティブな言葉が入ってるかを数えて性格を評定する、っていう手法があります。

この歌詞見てみてみると、「拒否」「できない」「見失なう」「空っぽ」「生きられない」「逃げ込む」「紛れる」「教えてくれない」「雨」「切ない」「振り向かない」「叫び」「想像もできない」とかものすごく否定や限定が多くて、半分ぐらいの行はそうですね。これは多い。「忘れない」のようなポジティブな内容のも否定形になってる。こういうの、肯定の「おぼえてるよ」って表現する人はポジティブだと思う。

もし君が振り向かなくても
その微笑みを僕は忘れない
どんな時も君がいることを
信じて まっすぐ歩いていこう

楽曲的にはここものすごくいいですね 2)検索したら、この曲ソナタ形式だとかって書いてる人がいるけどそうではない。 。乃木坂のメンバーの最高音域つかって、声がちょうどひっくりかえってしまうところで、「もし振り向いてくれなくても」「どんなときも」って思いっきり言わせていて、テンパってる感じがいい。

んで最後のコーラスに行くんだけど、その前の「真実の叫びを聞こうさあ」んところで転調して半音高くなってますね。よくある手法ではあるんだけどすごく効果的で、私何回聞いてもここで感動しますね。作曲の先生にやられたって感じ。

友達が一人でもいれば、「あの子の名前なんての?どこのクラス?」ぐらい聞けるわけじゃないっすか。「え、なんだよ、お前A組のノゾミ興味あるの?人気あるぜ、高校生とつきあってるとかって話」「えーノゾミ知らねーの? この前オーデション受けたってよ」みたいな話ぐらいするだろうに、そういう友達もいないまま。私には、「君の名希望と今知った」っていうのはほんとうに絶望的な言葉のような気がします。明日にはもしかしたら希望があるかもしれないけど、いまここには、いまごろ名前を知った、名前さえ知ることができなかったという絶望しかない。

いちおう3回歌われるサビの部分(「こんなに誰かを〜」の部分)はメジャーコード(Eb、最後はE)に解決してるんだけど、1回目はストレートだけど2回目はメジャーのあとにFmとかGmとかにすぐマイナーにチェンジしてるし、最後もウワーってメジャーで終りそうなところをやっぱりC#mとかのマイナーコーオはさんでから「明日の空 うぉうぉうぉ」ってあんまりハッピーじゃなく終ってるっしょ。これはメジャーな印象とはうらはらに、ものすごい悲しい歌っすよ。でもそれでも我々はまっすぐ歩いていかなくちゃならんのです。

さて、まあこれ主人公が中学生ぐらいの少年ってのでやってきましたが、それを示唆する情報はぜんぜんないのね。気の弱い少年が街の人込みに紛れ込むなんてことがあるのかどうかもよくわからない。そういう子は、学校終ったらすぐ家に帰るんじゃないだろうか。いやな感じになってきましたね。

たとえば主人公がいろんなことに絶望している50才独身男性、ってことだってあるわけです。なんで学校のグランドの片隅にいたのかはわからないけど。それだったら名前知らなくてもしょうがないですよね。そんで24時間監視してたのか。やばい。そうなると「今知った」の「今」っていつやねんという話になり、実は私これくりかえし聞いて3回目ぐらいに、ホラー映画のクライマックスで流れてたら最高だな、みたいなの考えてた。こわいよ。

まあこういう含みがあるのでこの曲はファンの間ではキモ曲ということになってるらしいですなあ。

まあアイドルとアイドルオタの関係についての歌でもあるんでしょうね。素敵な向こうの少女が自分に注目してくれることなんかありえないし、客席にいる自分の方を振り向いてさえくれないかもしれないけど、アイドルが歌って踊って笑顔でいてくれさえいれば、僕たちは生きていけるよ、っていう歌でもあるわけだ。

パリピとかは「きみどっから来たん?名前なんなん?」ぐらい3分で入手してしまうわけですが、まあ内向的で消極的な人間というのは「自分はだめだ」「きっと振り向いてくれない」「自分には彼女と話をする価値さえない」「遠くから見てるだけで十分」みたいになってしまって、これはモテないだけでなくキモい。でもそうしか生きられなくて、その道をまっすぐ歩いていく、っていうのはそれはそれでありだ。足跡は残るよ。みんながんばりましょう。

でもそれをアイドルに歌わせるんだから、これってすごい皮肉というか屈折した曲よねえ。「キモいと思われてるだろう」って思ってるキモい男の歌を実際にキモいなあと思ってる女子に歌わせる。なんかもうサドマゾの世界に近い。おどろきました。

フルレングスのないかな。

 

References   [ + ]

1. ただ、最初この歌詞聞いたときにはわからなかったけど、ここは仕掛けがあるかもしれなくて、「影」は「陰」(かげ)でもあるかもしれない。表も裏もある人間になったとか、邪悪な欲求に目覚めたとか。ははは。でも恋愛ってそういうところあるじゃないっすか。ないっすか。まあ「ちゃんと」影ができたんだからまあふつうに解釈した方がいいっすね。
2. 検索したら、この曲ソナタ形式だとかって書いてる人がいるけどそうではない。