プラトン」タグアーカイブ

『恋愛制度、束縛の2500年史』で恋愛の歴史を学ぼう (3) イデア論まわり

  • あ、ちなみに、54ページの『饗宴』の出典、久保訳のp.76って指示してあるけど、おそらくpp. 84-85だと思う。あと、複数ページのときはp.じゃなくてpp. って表記するようお願いします。

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わたせせいぞう先生の人間球体論

プラトン先生の『饗宴』でのアリストパネス先生の酒席の馬鹿話は、マンガ家のわたせせいぞう先生によってロマンチックなお話に書き換えられているのは記憶していたのですが、『ハートカクテル』や『菜』といった名作のどこにあるのかわからず2〜3週間ネットで情報を探していました。そしてついに今日それを発見してKindleでそれが掲載されているやつを買うことができたのです!さすがに古本で1冊ずつ集めるのも手間だし、まとまってると高いし、Kindleで順番に読んでくってのもお金がかかっちゃう。そんなお金はありません。「半球体のセーター」という話があるということを http://www003.upp.so-net.ne.jp/ki-ki/watase/index.htm このページの方に教えてもらい、その話自体は見つからなかったのですが『ハートカクテルSweet』に「うねりを待つ半球体」載ってるはずだということを確認し、ゲット。いやー、たいへんでした。
わたせせいぞう『ハートカクテルSweet』より
いやー、バブルな感じがかっこいいですね。先生はこの話がお気にいりで、何回も使ってるはず。もちろん「プラトン先生の原典に即してない」とか文句つける気はないです。

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パウサニアス先生は男は尻軽にならないようにいましめています

プラトン先生の『饗宴』の話はどうもこのブログではあんまりしてなかったみたいなんですが、数日前に市民の方向けの「生涯学習講座」みたいなので話をしたので、そのときに思いついたことなど。人前で話をするとそのたびに発見があるものです。ついでに、最近「おまえの国(日本)の女の子はなぜすぐにセックスさせてくれるのだ」とかって言われたとか言われないとかの話を切っかけにツイッタがもりあがってるようで、そこらへんもおもしろいなあ、とか。

前にも書いたように、古代ギリシア人にとって性愛というのは危険なものでした。情念というのはおそろしいものです。

でも、恋愛やセックスにはよいとろもあるはずで、そこらへんをどう説明するか、っていうのが『饗宴』や『パイドロス』のポイントですわ。『饗宴』ではいろんな人が入れかわりたちかわり話をするわけですが、そのなかでパウサニアス先生というひとが話をしている部分。(下の『饗宴』の訳は、事情により2、3種類まじっちゃってて、この部分が誰の訳かわからなくなってしまててすみませんすみません。そのうち直します。)

美とセックスの神アプロディーテーが愛の神エロースと切り離しがたいことは、僕たちの皆知っていることだ。だから、かりにアプロディーテーが一人ならば、エロースも一人となるであろうが、しかし、じっさいはアプロディーテーは二人である。したがって当然エロースも二人となるわけだ。……というのも、少なくとも一方のアプロディーテーは、齢も高く、母はなく、天(ウラノス)を父とする娘、したがって、その方たちを僕たちは天の娘(ウーラニアー)という名で呼んでいる。これに対し、より若いほうのアプロディーテーは、ゼウスの神とディーオーネーの間の娘で、したがってこの方を僕らは、地上的な(パンデーモス)女神と呼ぶ。そこで当然、エロースについても、一方地上的なアプロディーテーとともに事をなすエロースは、これを地上的なエロースと呼び、他方を天上的な愛の神と呼べば正しいわけだ。……

よい恋愛と悪い恋愛がある、ということを示すために、その原因のアプロディテさんやエロース君は実は二人ずついるのだ、っていうことにして話をするわけですね。アプロディテは美とセックスの行為そのもの、エロースは性欲に対応すると考えていっしょ。

さて、地上的なアプロディーテーより発するエロースは、文字どおり、至るところに転がっているもので、風の吹くまま気の向くまま、事も選ばずにやってのける。この愛は、とるに足らぬ人々の欲するものなのさ。つまり、この種のくだらぬ人びとは、第一に少年を愛すると同じように女性をも愛する。次に、その愛する者の魂より肉体を愛する。さらに、できるかぎり、知恵なき愚者を愛する。──以上のようにするというのも、彼らは、ただ愛の想いを遂げることだけに目をそそぎ、その行い方が美しいかどうかを、気にかけないからなのだ。したがって当然、彼らは、何ごとによらず手あたり次第に──善いこと、善くないことの見境もなく──行うということになるのだ。

低俗な方のエロースくんは低俗な人々の友達であって、その低俗なエロースは我々から見れば単なる肉欲であるわけっす。若い女でもショタでもよい。っていうか少年の方は完全にペドフィリアですね。とにかく白くてやわらくて毛が生えてないようなのがよいとかそういう感じなんでしょう。怒られが発生します。相手の頭も悪くてもかまわない。んでエッチなことをして満足することだけを求めるのです。これひどいっすよね。絶対怒られる。市民講座っていうか生涯学習講座でこんな女性差別的な話をしていいいのか!ってくらいで、「いやーこれ私の意見ちがいますよ、プラトンさんでもソクラテスさんでもないですよ、プラトンさんのお話の登場人物のパウサニアスさんていうおっさんの言うことですからね!」みたいにかなりお断りを入れないとやばい。

これに対し、今一方の愛は、天上的なアプロディーテーに発するものだが、このアプロディーテーは、まず第一に女性には関係せず、ただ男性だけに関係している。──次にそのアプロディーテーは、より齢も高く、激情の放縦からは遠い。かかるアプロディーテーの性質のゆえに、このアプロディーテーにつながる愛の息吹をうけたものは、生れつきより強きもの、より知性ゆたかなる者を愛して、男性に愛を向けるのである。けだし彼らは、少年たちが、すでにものの道理をわきまえはじめる頃、──すなわち、まずは髭も生えだす頃になって、初めて少年たちに愛をそそぐ。……

偉いアプロディテさんとそのおつきのエロース君はもっと高潔だというのです。低俗エロスが弱いもの、やわらかいもの、頭悪いもの、意志が弱いものが好きなのに対し、高潔エロスは強いもの、ガチムチ、知的なもの、勇敢なものが好きなのです。女ではなく男だ!そしてきれいな男ではなくガチ男だ!

三島由紀夫先生の仮面の告白をあれしますね。先生によれば、男同性愛な人は、最初はなよっとした少年とかが好きなものだが(これ「ウールニング」とか)、やはり大の男同士は、お互い知的にも肉体的にもガチっとしたのがいい、って主張するようになったとか。老作家と美少年の恋愛とかていうのはケレンであって、そういうのはもう「卒業した」とかって話は有名のようです。

んでパウサニアス先生の話に戻ると、まあ理想的なアプロディテとエロースはそういうわけで、心身ともに強壮な男と若い少年の関係なわけですが、ここで、当時のアテナイのその界隈では、一定の約束事があったわけです。当時の男性同性愛は、対等・対称的ではなく、やはり上下があり非対称だったわけです。はやいはなしが「攻め」(というか「愛する者」エラステース)と「受け」(「愛される者」エローメノイ)という役割があった。当然年上が攻めで年下が受けです。(関心ある人のために書いておくと、いわゆるBL的なアナルセックスとかしてたのかどうかは議論があって、してなかったろうってのが主流のようです)
さて、なにをするにも美しい方法、よい方法と、醜い方法、まずい方法がある。

ところで「醜く」とは、つたない者の恋心をつたなく受け入れることであり、「美しく」というのは、有為な人材に対して立派な仕方でそうすることである。ここに「つたない者」とは、あの、低俗な恋をいだく連中、いってみれば、魂よりも肉体を恋する連中のことである。そしてこの連中は、永続性のないものを恋の対象にしているから、本人のほうも永続性に欠けるのである。つまり彼らは、恋の目当てとする相手の肉体の花が凋むやいなや、それまでの数々の言葉や約束ごとを踏みにじって「飛びさって行く」。

これがだめな恋愛、だめなセックスですね。肉欲が主だとこういうことになる。

それに反して、相手の人柄に──もちろん、それが立派なときのことであるが、それに恋をする者は、永続的なものと融合するわけであるから、一生を通じて変わらないのである。したがって、わが国のならわしは、これら恋を寄せる人々を十二分に吟味しようというのであって、相手よってはその想いを受け入れても、別の者からさし出された手は拒むという態度を、その恋人たちに求めているのである。

ここでパウサニアス先生がなにを言ってるのかというと、相手はちゃんとたしかめてからセックスしましょう、ということですわな。それに誰とでもセックスするのは低俗なことである。上品な人はあんまりたくさんの人とセックスしません!

こうした次第であるから、われわれの習わしとしては、恋をしている人々にはその恋人を追うようにすすめ、逆にその恋人たちには彼らから逃げることをすすめるのであって、こうすることによって当事者をたがいに競わせ、自分を恋する者は、いったい、いまの分類ではどちらに入るのか、また、恋されるほうはどうかということを、それぞれ吟味するわけである。

さらに、プロポーズされたりしてもかんたんにはなびきません。ナンパされて「ついてっちゃう」とかっていうのは下品です。

こうしたことが原因となって、まず第一に、「恋人が簡単に相手の手中におちいることは恥ずべきことである」というふうに定められている。これは時日のゆとりを生みだす意図から出たことであるが、けだし、時日こそは多くのものに対する立派な試金石からである。つぎに、金銭や政治力に動かされて相手の手中におちいることも恥ずべきこととされている。……どのみち、かかるものから高貴な愛情が生じたためしがないのは言うまでもなく、だいいち、それらはどれ一つとして、堅固永続的なものではないではないか。

てな話。さらに、プラトン先生の原文やいろんな解説からすると、当時のウケの方はセックスを自分から求めはならず、さらに快感を得えることも控えねばならず、それがうれしいとかそういうのを口に出したり態度でしめしたりするのもよくないことである、と。そういうのは性欲や快楽におぼれる人々のやることであって、まともな男がやることではないのだ!ってことらしいです。

まあ一番最初にもどって、けっきょく男性であれ女性であれ、簡単にセックスするのは性欲とか快楽とかに動かされていることだから恥ずかしいことであって、とくに簡単に「やらせて」しまうのは男であれ女であれまあ低俗である、という考え方は古来から非常に強力ですわね。男でナンパして毎日違う女性とセックスしてます、みたいなのは一部ではあこがれかもしれませんが、やっぱり上品な人からしたらどうだろうって話になりそうだし、また男性同性愛の人々の間でもカジュアルなセックスをどう考えるかっていうのはなかなかおもしろいネタです。カジュアルでプロミスキュアスにいろんな人とセックスしまくるのも楽しそうなんですが、でもそれってなんかおかしなところがあるような感じから逃れるのは難しいですね。いまハルワニ先生の「カジュアルセックス」の話を翻訳してもらいながらいろ考えてるところ。

70年ごろの国内のウーマンリブの「公衆便所からの脱出」とかて有名な文章あるんですが、今手元にないのでコメントできませんが、やはり公衆便所となったり、そう呼ばれたりするのはあれなことで、性の解放と、みさかいがないと見られてしまう恐れとのあいだの問題というのはまあいろいろい難しいところです。

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プラトン先生の『パイドロス』でのよいエロスと悪いエロス、または見ていたい女の子と彼女にしたい女の子

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プラトン先生の『パイドロス』の話については、最初にあらわれる弁論家リュシアスの「少年は自分に恋していない人間に身をまかせるべきである」(= セックスは自分の利益になるような相手とするべきだ→だから君に恋していない僕とおつきあいしてセックスしましょう)という議論について、けっこう昔に一部だけ書いたんですが、この本おもしろいけど全体にかなり難しいんですよね。まあプラトン先生は詩人っぽくてでよくわからん。情熱がからまわりしているようなところがあるっていうか。アリストテレス先生なんか落ちついてて大人だなって思いますけどね。

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プラトン先生の『パイドロス』からオヤジらしい口説き方を学ぼう

最近「倍以上男子」という言葉を流行らせようとしている雰囲気があるようですね [1]2017年だと「パパ活」か。 。私はこういうのはなんかバブル時期のことを思いだしてあれなんですが、まあそういうのもあるでしょうなあ。 http://howcollect.jp/article/7240 まあ流行らないと思いますが、こういう記事を書いている人がなにかソースをもっているってことは十分にありそうだとは思います。

しかしまあこういうので言われている女子とか年少者にとって有利な恋愛の形というのは当然昔からあって、あの偉大なるプラトン先生も検討しておられます。プラトン先生は恋愛とセックスの哲学の元祖でもあるのです。おそらくソクラテス先生もね。

プラトン先生が考えている恋愛っていうのは、『饗宴』でもそうですが、男同士、年長の男(30代とか [2]40才ぐらいになったらそろそろ少年愛やめて結婚して子供つくるのが正しいと考えられてたようです。 )と年少(10代)とかの関係ですわね。少年愛。パイデラスティア。どうも当時のアテネの一部の階層ではそういうのが一般的だったんですね。美少年が勢いのある中年に性的な奉仕をして、中年男の方は金銭面とか人脈とか各種の知識や技術を教えたりする関係。まさに倍以上男子です。

プラトンが恋愛について書いたものというと、例の「人間はもともと2人で一つの球体だった、それがゼウスに怒られて二つに分けられちゃった、それ以来人間は自分の半身を求めて恋をするのだ」というアリストファネスの演説が入っている『饗宴』が有名ですが、『パイドロス』も同じくらいおもしろくて重要な本ですわね。その最初に、「君は自分に恋していない人とつきあうべきだ」っていうリュシアスという人の演説が紹介されているのです。話はそこから始まる。

まず、「ぼくに関する事柄については、君は承知しているし、また、このことが実現したならば、それはぼくたちの身のためになることだという、ぼくの考えも君に話した」って感じで話をはじめます。まあ自己紹介みたいなのして、自分がどれくらいお金もってるかとか、どれくらい地位が高いかとか仕事ができるかとかまずは説明するわけですね。んで「このこと」っていうのはまあお付き合いですわ。それは両方のためになるよ、ともちかかけるわけです。

口説きは、「ぼくは君を恋している者ではないが、しかし、ぼくの願いがそのためにしりぞけられるということはあってはならぬとぼくは思う」と意外な展開を見せます。君のことを愛しているわけじゃないけどお付き合いしよう、まあセクロスセクロス。

若い人は、自分を愛している人より愛してない人とつきあうべきなのです。なぜか。リュシアス先生は理路整然と説明します。おたがいそうする理由がたくさんある。

(1) 恋愛というのはアツくなっているときはいいけど、それが冷めると親切にしたことを後悔したり腹たてたりする。恋人がストーカーになっちゃった、とかっていうのは今でもよく聞きますよね。でも恋してない人はそういう欲望によって動かされれてるわけじゃなくて冷静な判断から相手に得なことをするから後悔したりあとでトラブルになったりしない。

(2) 恋しているからおつきあいをする、っていうことだったら、新しい恋人候補があらわれたらさっさとそっちに行ってします。「誰より君を大事にするよ」とかいってたって、他に新しい恋人ができたらそっちの恋人を「誰より大事」にするだろうから、古い恋人はひどいめにあうってこともしょっちゅうだ。実際「恋」とかってのは熱病みたいなもので自分ではコントロールすることができないものなのだから、そんなものに人生かけるのは危険だ。

(3)  おつきあいをする相手を自分に恋している人から選ぼうとすると数が少ない。ふつうの人はそんな何十人も候補があるわけじゃないっすからね。でも冷静におつきあいを望んでいるオヤジは多い。よりどりみどりになる。

(4) 恋している男というのは、有頂天になって自慢話におつきあいのことをペラペラと周りにしゃべるものだが、冷静な愛人はそういうことはちゃんと秘密にしてくれる。

(5) 恋している男は嫉妬ぶかい。今どこにいるだの誰とメールしているかとかいちいち詮索してうざい。

(6) 別れるときも恋している男はいろいろうざい。恋してない奴はさっさと納得して別れてくれる。

(7) 恋している男は、相手がどういう人かを知るまえにセックスしようとするが、恋をしてない理性的な人はちゃんと相手を見てからおつきあいする。

(8) 恋をしている人は相手の機嫌をそこねないようにってことばっかり考えて、本当にタメになることは教えてくれない。それに対して恋してない奴はいろいろ有益なアドバイスをくれる。今の快楽だけでなく、長い目で見たら将来のためにこうするべきだ、みたいなことを教えてくれるだろう。

とかまあ面倒になったからやめるけど、こういう感じ。これは今でもオヤジの口説きに使えそうな部分もあるわけですな。まあいつの時代も人は同じようなことを考えるものです。このリュシアスさんの演説に対して、ソクラテス先生が「おれはもっとうまい話ができるぞ」とか言いつついろいろ検討くわえて「恋愛やおつきあいというものはそういうものではないぞ、もっとええもんなんや」とやっつけていきつつ、その実、実は美少年パイドロス君をナンパしてたらしこんでいく、というのが筋です。そういうのが好きな人は読んでみてください。名作です。

『パイドロス』は岩波文庫のでいいと思います。『饗宴』はいろいろあるけど、光文社の新しいやつ読みやすかった。『パイドロス』訳している藤沢先生は授業受けたことありますが、モテそうな先生でした。

→ プラトン先生の『パイドロス』でのよいエロスと悪いエロス、または見ていたい女の子と彼女にしたい女の子に続く。

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アテネとかの同性愛がどういう感じだったかというのは、まあまずはドーヴァー先生の本を読みましょう。まちがってもいきなりフーコー先生の『性の歴史』とか読んじゃだめです。

古代ギリシアの同性愛

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ハルプリン先生のはゲイ・スタディーズとかの成果をふまえたものでもっとドーヴァー先生のより現代的なものだけど、ちょっと難しいし評価もそれほど定まってない。

同性愛の百年間―ギリシア的愛について (りぶらりあ選書)
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アテネで女性がどういう暮しをしていたかっていうのは、これかな。

古代ギリシアの女たち―アテナイの現実と夢 (中公文庫)
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References

References
12017年だと「パパ活」か。
240才ぐらいになったらそろそろ少年愛やめて結婚して子供つくるのが正しいと考えられてたようです。