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トリスタンとイゾルデの「動機」(1)

いつもの某講義でちょっとワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の話をしたんです。この曲、動機(モチーフ)になにやら象徴的・文学的意味があるってことになっていて、それを理解するとおもしろいんですよね。せめて前奏曲だけでもその秘密を理解したい。大好きなショルティ先生で。

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サロメさんを鑑賞して教養をつけよう

職場では「教養科目」とかそういうのを担当させられていて、まあ私そういうのしかできないのでわりと楽しくやっているわけです。教養ある学生様を育てるのが目的だと思うので(想像)、音楽とかも教養だから聞いてもらったりしています。まあ大人数講義で1時間半しゃべりっぱなしっていうのも無理なので、途中で5〜10分ぐらい講義内容と関係のある音楽とか聞いてもらったりする方がいろいろ考えたりするきっかけにもなるかもしれんし。

ポップ音楽聞いてもらう方が好きなのですが、最初の方は旧来の教養らしくオペラ見聞きする方が多いっすね。

これまではフィガロの結婚のケルビーノのアリアとか(「自分がわからない」と「恋とはいったいなんでしょう」)『ドンジョヴァンニ』から「カタログの歌」「シャンパンの歌」「お手をどうぞ」みたいな感じ。ここらへんは前にも書きました。

この授業では最初に恋愛類型についての「色彩理論」みたいなの紹介して、エロスはプラトン、ストルゲとプラグマはアリストテレス、ルダスはオウィディウス、とかそういう感じで対応させていて、マニアの例がほしい。プラトンでの恋愛もマニアっぽいところがあるけど、もっと激しいヤンデレがほしいですよね。ちょうど旧約聖書あたりを解説する回だったので、やはり『サロメ』さんですね。(『サムソンとデリラ』とかもありかもしれんけど)

見てもらうのは、例年20:00〜ぐらいからのサロメさんがヨカナーンさんに興味をもち、口説きまくるとこですね。あんまり時間とりたくないけど、この回だけは20分近く見てもらうことになる。やはりオペラは字幕ないとだめで、オペラ対訳プロジェクト先生という方がすばらしい字幕(オンリー)動画をつくってらっしゃいます。ぜひ見てほしい。これは演奏がビルギットニルソン先生/ショルティ先生だし完璧。森鴎外先生の翻訳を使ってるところも憎い、憎いよ、プロジェクト先生

でもただ見てもらうだけでは手抜きっぽいので、一応解説もしないとならんわけです。私が指摘しているポイントをいくつか。

律法との関係

ここで口説かれているヨカナーンさんは、のちにキリストと呼ばれるイエスさんに洗礼をほどこしたと言われている人で、まあ実はイエスのお師匠さんですよね。この先生はサロメさんのママのヘロデヤさんと、その夫ヘロデ王さんを非常に強く非難しているわけですが、この事情も理解する必要がある。

ここの話はいりくんでいてよくわからんのですが、ヘロデヤさんは最初に結婚していた兄ヘロデさんと離婚して、弟ヘロデさんと再婚するわけです。兄ヘロデがどうなったのかはわからない、っていうか暗殺されたりしてるんちゃうか。まあ離婚するまえに弟ヘロデとエッチなことしてるでしょうね。

んで、これはユダヤの律法ではやばいわけです。よく知らんけど、レビ記の18章っていうのはいろんなセックスの決まりが書いてあるんですが、「あなたがたは、だれも、その肉親の者に近づいて、これを犯してはならない。わたしは主である。」と近親相姦を禁止して、「あなたの兄弟の妻を犯してはならない。それはあなたの兄弟をはずかしめることだからである」とかいってるわけです。ヘロデアさんは兄の嫁なので、もしヘロデアさんがセックスしていい、むしろぜひやりたいっていっても、弟ヘロデさんがそれとセックスしていいのかどうか。なんか微妙だったかもしれない。っていうかかなりやばい。弟ヘロデもやばいし、ヘロデアさんもそれに同意していたらどうなの、って感じですね。

ちなみに、「あなたは女とその娘とを一緒に犯してはならない」っていってるので、ヘロデアさんとその連れ子のサロメさん(血縁的にも姪)の親子丼も禁止です。ヘロデ王の行動はユダヤ教の律法に反している可能性がある。

そういわけで、ヨカナーン先生はヘロデ王・ヘロデア妃たちを非難しているわけです。それで牢屋入れられちゃってる。でもヘロデ王はチキンだから殺せない、という話。でもチキンだったらサロメさんにも手を出そうとしなきゃいいのにね。

「雅歌」との関係

まず、このサロメさんが気がアレしたようにアレしている歌詞の内容がぜんぶ「〜のようだ」のかたちになってるのがいいですね。私はこれは旧約聖書の「雅歌」と関係あるんだと思う。まえに、架神恭介先生の『バカダークファンタジーとしての聖書入門』を紹介したんですが、あれの世界。

わたしはお前の体に惚れた。ヨカナーンや。
お前の体は、鎌の障った事のない、
野の百合のように白い。
ユダヤの山の上に降って、渓間に落ちて来る雪のように白い。
アラビアの妃の庭に咲く薔薇もお前の体ほど白くはあるまい。
アラビアの妃の庭、妃の香料を作る庭の薔薇でも、
草葉の上に降りて来る黄昏の素足でも、
海の上の月の乳房でも、
世の中にありとあらゆるものにお前の体ほど白いものはあるまい。
どうぞ、その其方の体に障らせておくれ。

「雅歌」もこういう感じで、比喩で相手を褒めるんですよね。次のは若者(男性)から女性に対するものだけど、

4:1 ああ、わが愛する者。あなたはなんと美しいことよ。なんと美しいことよ。あなたの目は、顔おおいのうしろで鳩のようだ。あなたの髪は、ギルアデの山から降りて来るやぎの群れのよう、4:2 あなたの歯は、洗い場から上って来て毛を刈られる雌羊の群れのようだ。それはみな、ふたごを産み、ふたごを産まないものは一頭もいない。4:3 あなたのくちびるは紅の糸。あなたの口は愛らしい。あなたの頬は、顔おおいのうしろにあって、ざくろの片割れのようだ。4:4 あなたの首は、兵器庫のために建てられたダビデのやぐらのようだ。その上には千の盾が掛けられていて、みな勇士の丸い小盾だ。

あなたは/お前は〜のようだ、〜のようだ、〜のようだ。美しい、すきすきすきー!ってのがもうなんというかエロで頭ぽーっとなってる若人って感じですばらしい。

ちなみにサロメさんが「体にさわらせておくれ」ってセックスの同意を求めているのはとてもいいですね。王女なんだし勝手に触ってもよさそうなものですが、やはりセックスにおいては同意がたいへん重要なわけです。正しい正しい。

サロメさんの易変性

このシーンがおもしろいのは、サロメ先生の感情がころころ変わるところですよね。

世の中にありとあらゆるものにお前の体ほど白いものはあるまい。どうぞ、その其方の体に障らせておくれ。

これに対して正義の人ヨカナーン。

下がれ。バビロンの娘。 この世界へ罪悪の来たのは、女子の為業だ。 俺に物を言ってくれるな。 お前の声は聞きたくない。 俺の聞く声は主の声、神の声ばかりだ。

んでサロメさん、いきなり態度が変わります

お前の体は気味が悪い。 らい病やみの体のような。 蛇の這う塗壁のような。 蠍の巣を食う塗壁のような。あらゆる穢い物を埋めた墓の上を塗潰した土のような。気味が悪い。お前の体は気味が悪い。

ディスられたからさっき素敵だった体がこう見えてしまうわです。さいこう。

ところが、ヨカナーンの髪を見るとまた態度が変わる。

わたしはお前の髪に惚れた。ヨカナーンや。 お前の髪は葡萄のような。 エドムの国の葡萄棚に下がっている黒い葡萄のような。

またひとしきりやるわけです。すばらしい。この感情や気分がジェットコースターのように上ったり下ったりするのは、境界性人格障害、いわゆるボダの徴!まさにこれこそメンヘラ魔性の女! ここは学生様の一部にも笑ってもらえますね。同じのを2回くりかえすのもいい。

それに、ヨカナーンがなんかいろいろ正しそうなことを言ってるのに、サロメさんの方は体だの髪だの唇だの、そういう肉体のことした歌わないっていうのものすごくいいですね。君は俺の体だけが目的なのだな! おれの人格や仕事ぶりは認める気がないのかっ![1]だいたい、おめー俺のことがどんだけわかってんだよ。俺はえれーんだぜ? … Continue reading

ヨカナーンさんをどう演出するか

ここのところのヨナカーンさんをどう演出するか、っていうのは演出家・監督の腕の見せ所ですよね。ヨカナーンさんは正義なので、サロメさんのような淫婦ワナビーみたいなのには目もくれない、っていう形にするのが正しいかもしれないけど、それじゃおもしろくない。それじゃドラマではない。人でありながら神でもあるイエスさんは最初っから最後まで正義でもいいですが、ヨカナーンさんはただの預言者(かもしれない人間)なので、もっと人間くさいほうがいい。

私の好きなドホナーニ先生指揮のコヴェントガーデンのやつでは、ヨカナーンさんは超能力もってるわけじゃないだろうけど神々しい威圧力があって、淫婦サロメさんは簡単には近づけない。かあら「さわらせて!」っておねがいしてるんですね。でもこのヨカナーンさんは、乙女サロメさんが脱ぎ捨てた服をクンカクンカしたりしてます! 31:00のあたりです。おまわりさん、この人です!

心が動いてる動いてる! 他の場面でも、迷いに迷って「神さま、この女から私を守ってください、誘惑に負けないようにしてください、エッチなことをしたいなんて思わないようにしてください、でも今すぐにではなく!」みたいなそういう悩みかたしていて、すばらしいっす。そら歌のうまい肉感的メンヘラ美少女に迫られたらねえ。この講演の演出は最高。

あわれなナラポート

32:00ぐらいから、サロメさんが最後のくどきに入るんですが、苦しみながら誘惑に打ち勝とうとするヨカナーンさんは「にーまるす!」(絶対だめです!)と強く断わるんですが、それでも迫ろうとするサロメさんを親衛隊長のナラポートさんが止めに入ります。この人最初っからサロメさんにほれてる設定で、でも身分の差があるからあこがれているだけ。こんなの見てらんない、姫、やめてください!見てられません! 私の命をかけてもこんなやつとはおつきあいさせることはできません! 私が死んでお止めします!

このあとのサロメさんのふるまいが最高。おまえなんかはなんでもないのだ! ていうかジャマだし、そもそもあんた誰だっけ? とかにさえならない。もうこれ以上の演出見たことないっすね。

とかで最高っすね。そのあと、ヨカナーンもナラポートになにも関心ないのもあわれ。このナラポートのまったく無駄な自己犠牲が「アガペー」なのかどうか……

ちなみにこの演出ではヨカナーンはサロメにあれしていて、サロメさんは今のままではだめだけど偉い人(イエス)さんとかのお説教聞いて正しい人になれば、無事結婚したりもできるかもしれないぐらいの希望は残ってるわです。

恋とは苦いものだと聞いたから

首ちょんぱしたあとの首にチューするのいいですね。それの最後、

ああ。ヨカナーンや。わたしはお前の口に接吻しましたよ。 お前の口に接吻しましたよ。
お前の唇は苦い味がするのね。 あれは血の味なの。 いや。ことによったら恋の味かも知れぬ。 恋は苦いものというから。
そんな事はどうでも好い。 ヨカナーンや。わたしはお前の口に接吻しましたよ。 お前の口に接吻しましたよ。

ここ最高ですね。この恋の味は苦い、っていうのは、古代ギリシアのサッポー先生からの伝統ですわ。サッポー先生、

手足の力をも抜きさるエロースが、またしてもこの身をゆさぶって、せめたてる、甘やかにしてまた苦い、あの御しがたい、地を這う獣めが

とかって歌を残してるんでよね。すばらしい。

サロメさんのダンスのところは有名だけど、私はそんな評価しない。でも昔書きました

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References

References
1だいたい、おめー俺のことがどんだけわかってんだよ。俺はえれーんだぜ? それなのにあのイエスとかいうガキが勝手に俺の教えパクって自分でグループ立ちあげてるし、ヤキ入れなきゃならんねーのに牢屋いれられちゃうし、どうしたらいいんだよってばよ。俺いますげーやばいの! ここでお前が体じゃなくて教えに感服したいしました、父母は誤っております、われわれは律法に即した形で結婚などしとうございます、ついでは時代の王としてお迎えしたくございますので父母と相談の上そのようにとりはらかいますって言ってくれりゃー考えようもあるだろうけど、それ俺からは言えねーじゃん? だいたいそこまでいかなくなって、こっそり牢屋に来てくれりゃいいのに衆人環視でどうすりゃいいっていうのよ。男には体裁だけじゃなくて見栄ってのもあんだよ! 夜牢屋に一人で来いや! ママだってそうしてたんだよ!

フィガロの結婚からケルビーノのアリア二つ

大人数の教養科目みたいなので1時間半の授業は長いので、途中で5分ぐらい休憩して音楽とか流すことがあるのですが、今日はフィガロの結婚のケルビーノ君で。この人は思春期にはいったところの美少年お小姓って設定ですね。年齢は知らないけど14才ぐらい?15才?まあイケメンだからなにしても許されるわけです。
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『トゥーランドット』のラストはあれで正しいか?

プッチーニの『トゥーランドット』っていう作曲者本人によっては未完の名作(半名作)オペラがあるんですが、あれって見るたびになんか変な気分になるんですわ。あらすじはwikipediaで十分ですよね。こんなかんじ

第二幕まではいいんです。第三幕で召使のリューちゃんが秘密を守るために自殺しちゃって、そのあとカラフ王子がそれをなにも気にせず、トーランドット姫ちゃんにチューするとなんか姫ちゃんのスイッチがオンになって「その名前は「愛」です!」なんてことになってご結婚、「皇帝ばんざーい」ハッピーエンド。

馬鹿ではないか。リューちゃんなんで死ななきゃならんのですか。姫もチューされたぐらいでなにのぼせあがってるんですか。カラフ、お前も献身的なリューちゃんのことなにも考えてないなゴラ。なんでわがままな姫のために人ばんばん殺されにゃならんのだ。おまえらぜんぶ死ね死ね。

ってやっぱりふつうの観客なら思うと思うんですよ。この筋はどう考えてもおかしい。

これ以前に京都コンサートホールで半上演スタイル(劇はステージの半分だけで、オケもステージに載るコンパクトな形)で見る機会があって、そのとき、私やっと理解したんです。これは本当の筋ではないな、と。

私が思うに、最後は本当はこうなるのです。

リューが自殺→ カラフ後悔する → カラフはリューに対する詫として死ぬつもりで自分の名前を白状する → でもなんかそれ見た姫が(いろんな意味で[1]「愛とはどんなものなのだぞえ?」とかそういうやつでそうね。)興味をもって近づいてきて、そんならチューしてみろって言う。→ チューすると姫はなぜか夢中になる → 姫は皇帝にカラフの名ではなく「愛です!」っていう → ウォーってもりあがる→ 皇帝「でも名前は知られたんじゃろ? 約束は守れや!」 → カラフの首が飛ぶ → 皇帝「姫、お前も謎々を解かれたら結婚するっていってたのに結婚しなかったから死刑」→ 姫の首飛ぶ → 民衆大喜び、皇帝の誠実の徳を称える → 皇帝も自分の馬鹿さを自覚して死ぬ → 馬鹿の帝国崩壊。

『サロメ』の最後みたいに、皇帝に「あの馬鹿どもを殺せ!」って命令してもらっていきなり終ってもよい

これなら勧善懲悪で気持ちいいし、むくわれぬ愛、人間のおろかさ、約束の大事さなどを訴えて、まあ悲劇てかドラマらしい。

まあこれかこれに準ずる形だとすっきりするのですが、まあイタリア人としてこうなるのが当然だとわかっていてもいやなので、形だけわーわーハッピーエンドってことにして、「でもあれ死刑だよね」ってあとで言いあって満足する、ぐらい。とにかく全部死刑に決まってるではないですか。

でもピンポンパンだけはまじめだから許す。田舎帰ってゆっくり文人生活楽しんでください……いやだめだな。悪事に加担したからやっぱり死刑。

ぜんぶ死刑にしてもらうにはこの紫禁城のやつの首切り役人が好きなんだけど(下の動画だと10:00 過ぎに登場)、youtubeに日本語字幕のもあるのも探してみてください。よい時代になりました。

 

 

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References

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1「愛とはどんなものなのだぞえ?」とかそういうやつでそうね。

サロメさんのダンスいろいろ

以下R18。某授業でサロメさんのダンスを見せられるか検討。

ヘロデ王が軍服でいかにもエロそうでエロ点数高い。最後がトップレスで授業では使えない気がする。

https://youtu.be/00Jlx0S-b2U

これは衣装とか演出とかまあそれらしくてトップレスまではいかんからこれくらいなら許されるのかどうか。無理か。

これも大丈夫か。

リヒャルトシュトラウス先生にこだわらないとケンラッセル先生のやつが好きなんだけど、まああれね。

まあやめといた方がよさそう、という結論。

まあこの曲、音楽的にすごくいいか、っていうとリヒャルトシュトラウス先生のとしてはそれほどすばらしくよいというわけでもない微妙な感じだし、あんまり価値ないかなあ。

しかしまあオペラとかその手のものっていうのはどれもこれもエロくて、学生様にはフィガロの結婚やドンジョヴァンニでさえ、その標準的な解釈を教えただけでびっくりするみたいね。昨日は「カタログの歌」「シャンパンの歌」「お手をどうぞ」の3曲セット。みんなまじめそうな顔をしてそんなものを見てるのか!みたいな。そこで西洋文化ってのはそういうもんです、とダメ押す。

まあそれは教養科目とかって名前ついてたりするわけで、教養っていったいなんだろうね、それとエロ知識はどう違うのか、とか思ったり。実はあんまりちがわんのではないか。ははは。

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オペラを勉強してモテるようになろう!

「セックスの哲学」といえば、面倒なことせずにモテる方法とかってのを期待している人も多いんじゃないかと思うので、おそらくモテるために学んでおくべきことを示唆しておきたいですね。まああくまでおそらくなんですけど。あとに述べるように哲学者や哲学研究者自身はモテることはむずかしい。 続きを読む

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