クリッツァーさんの『モヤモヤする正義』はたしかにモヤモヤする (2)

第2章「「思想と討論の自由」が守られなければならない理由」は前章の続きですね。

1-1はスティーブン・ピンカーが、警察による黒人の射殺に関する発言でキャンセルされそうになったという話。1-2はトランスジェンダーに関する意見を述べる人々がキャンセルされた話(特にキャスリーン・ストック先生やレベッカ・トゥベル先生)。

1-3はJ. S. ミルの『自由論』解説。「少数派の意見が発表される場が守られることは少数派にとってだけでなく多数派や社会全体にとっても利益をもたらすから必要」ですという話(P.17)。特に問題ありません。

1-4はジョナサン・ハイトの論説の解説。

1-5はさらにミルの「危害」の概念をめぐる話。さすがに直接に危害があるような発言はミルも禁止してもよいと考えるわけですが、その危害とはどのようなものか。これに関するジョセフ・ヒースやシンガルさんの論説の解説。こういう外国人の論者の議論の紹介はクリッツァー先生はとてもうまいです。

2-1はミルの「思想の自由市場論」の解説。ミルの自由論が「思想の自由市場論」かどうかというのはこれはミルの専門家の先生たちのけっこうホットな議論の対象になるところですが、まあミルの専門でない社会科学系研究者ぐらいだとそういう感じで紹介されているので問題ないです。先生の筆はこういうの本当に達者です。読んであげてください。

2-2は「科学的知識をめぐる議論の難しさ」。ここがポイントなんすよね。ジョナサン・ウルフ先生登場。そして、)ウルフ先生じゃなくて)クツイッツァーさんは、科学的な知識を一般に広めることの難しさを感じているようです。科学は先生にとっては「ブラックボックス」。最後に

主流派とは異なる(そして科学的に間違っている)意見が流通するだけでも個人や社会にとって危害を及ぼすおそれがある。このような意見に何らかの形で制限を加えることは、〔J.S. ミルの〕「危害原則」によって認められるだろう。(p.73)

とされる。そしてウィルスやワクチンなんかに関する話が出てきて、

「プラットフォームやメディアは異端の意見を取り上げたり流通させたりすることのに慎重になるべきだという主張には、多くの人が同意するはずだ」(p.73)

で終ります。ここは私は たいへん問題がある と思う。

たしかに、不正確な科学的情報、地震情報だとか放射能だとか医学とかに関するおかしな情報が広まるのはたいへん困ったことです。それは実際の危害があるしょう。だから、オーディエンスの多い マスメディア は誤情報をばらまかないように十分な配慮をする必要があり、誤情報をばらまいてしまったらそれを訂正する責任がある。これはよい論点です。しかし上で先生が言う 「プラットフォーム」がたとえばX/Twitterのような個人の言論のプラットフォームを指しているのならば 、そんなに 簡単には言えない 。まさに、我々生身の個人がもっている誤った意見のどこが誤っているのかを指摘する必要があるからです。誤った意見のどこが誤っているのかを理解しなければ、自分の意見が正しい理由もわからない、というミルの論点が直接かかわってきます。

もちろんそうした個人の言論プラットフォームが、特定の誤った情報や意見を増幅したり、あるいは正しい情報や意見を抑制したりするならばたいへん問題なわけだけど、せいぜい言えることは、プラットフォームはプラットフォームとしてそうした 増幅や抑制には慎重になるべきだ ということであり、特定の意見を抑制するべきだということでは ない 。ここで先生は、「メディア」と「プラットフォーム」を併記することで、両者を同じようなものとして扱うという レトリックを使っている わけです。マスメディアは「取り上げる」だろうし、プラットフォームは「流通させる」だろう。でもこれ、別のことなのですよ。

ここは難しいところなので続きます。次 2-3は「歴史修正主義」。

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コメント

  1. seisei3 より:

    「科学に関する知識であれば「正解」が分かっているので、プラットフォーマーも不正確な情報の流通を規制すべきだ」というのは危険な考え方でしょうか。

    自分はデマの流通への対処としてはTwitterのコミュニティノートがベストだと思っているのですが、上記の考え方で規制するのも物理学とか化学に限っては「無しではないかな」と思います。心理学とか経済学でやるのは反対、医学もそこまで信用していない。

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