『月曜日のたわわ』広告問題(1) 見たくないものを見ない権利/ジェンダー平等を語る偽善

『月曜日のたわわ』という青年マンガの広告が日経新聞に一面で掲載されたらしく、それについての議論が炎上しているようです。特にハフポストの以下の記事が焦点になってますね。すでに論評がいろいろ出ているのでそれに加えて私が書くべきことはそんなにないのですが、発見もあったのでちょっとだけ。今日は前おきだけ。

ハフィントンポスト「「月曜日のたわわ」全面広告を日経新聞が掲載。専門家が指摘する3つの問題点とは?」 https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_624f8d37e4b066ecde03f5b7

これの一つ目の問題の「見たくない表現に触れない権利」ですが、これは法的な権利ではなくまあ道徳的な権利としてはありだと思います。我々は不快なものを見たくないので、たとえば公の場で誰かが多くの人が見て不快に思う行為をしていたら警察につかまえてもらうようにしています。これは法的な権利に対応しているのだと解釈してよいはずです。しかし、わざわざ不快なものを見に行って、見ない権利がある、と主張するのは法的には無理だし、道徳的にも無理。可能なのは、無理矢理いやなものを見せられない権利であり、これもさらにもっと限定が必要だと思われます。

新聞や雑誌、テレビなどのマスメディアは、雑誌代や購読料とともにおそらくかなりの部分を広告収入によって成りたっていて、これは企業活動や広くは言論や表現を広げるために必要なことでもあります。当然のことながら、嫌いな記事や広告が載っているメディアをわざわざ買って読む必要はないわけで、買わなきゃいい、ていうのがまあまずは基本ですわね。でもそれではすまないのが現代社会。

野外広告などはいやでも目にはいってくるし、テレビや大手の誰もが読むような新聞は人目に触れる機会が多くて、読み手がそれを実質的に選択できない、排除しようとすれば大きな損を負うことになる、というケースがあるわけです。そもそも広告というのは、それにあんまり関心をもっていない人に興味や関心をもってもらうために人目に(無理矢理に)つくように公に提示するものだと言えます。だから単なる「表現の自由」で保護されるような「表現」とは別種の扱いが必要である、と一般に考えられていると思います。

ある考え方をすれば、「とにかく人目をひいて話題になれば、それに不快を感じたり反感を抱いたりする人がいてもかまわん!」みたいな立場もとれてしまいますが、それではマイナスが多すぎる。そういうわけで、広告には「表現の自由」とかとは別の自主規制などが求められ、実際に日本広告機構とかなんとかいろんな団体が倫理綱領みたいなのを定めてある程度規制しているのだと私は理解しています。これは問題がない。

となると、今回の広告に関しては、あらかじめだいたい同意されている各社の倫理綱領に反しているのかとか、今回の広告の害悪や不快が一般に受忍すべきもの(そういう表現や広告もある)であるのかどうか、ということになると思います。単に「(一部の)女性や(一部の)性的な描写のある漫画を好まない男性」が「見たくない」というだけでは不十分だと思います。そんな単純に「見たくないものを見ない」権利は主張できない。

この問題については第二の「ステレオタイプにお墨付き」の論点がからんでくるのですが、あとまわしにして三番目。

三番目の問題点は、日経がジェンダー平等に貢献する広告を表彰する広告賞を主催したりジェンダー平等の旗振りをしいた、という点なのですが、これは『日経新聞』ではなく『日経ウーマン』の方針であることは別にして、ジェンダー平等的に「望ましい広告」の姿だというわけですね。これはよいと思います

しかしある広告が望ましい優れたものだと称賛することと、その基準には到達していない広告を悪しき排除すべきものと考えることはぜんぜん別のことです。企業広告が人々の意識をよい方向に変えるものであることは望ましいことかもしれませんが、人々の意識を変えようとしていない広告が悪いものだということは言えない。人々の意識を変えるのはまさに我々が言論でやるべきことだろうと思います。

もちろん、企業には(特に影響力の強い企業には)社会的責任があり、社会のリーダーとしていろんな向社会的な活動をしてほしいしその義務があると思いますが、その会社が掲載する記事だけでなく広告のようなものにまでそうした意識啓発活動のようなものを要求するのはやりすぎだろうと思われます。(もちろん、余裕のある企業はどんどん苦情がつきそうな広告は断わるべきだ、みたいな主張はありえるかもしれませんが、それで大丈夫かというとあんまり大丈夫じゃないでしょう。)実際に、大手新聞もあやしげな商品の広告は大量に掲載されていて、そういうものは広告である、という理解の上で我々はメディアを見ているはずです。これはメディアリテラーとやらの一番基本の話のはずで、そうした面に触れられていないのは不満です。

記事は記事であり、広告は広告である、ということをはっきりさせることがメディアに求められていることであり、だから現在そのメディアが責任を負っている記事なのか、広告なのかよくわからないようなものが問題になっているわけです。問題の一面広告に関しては、講談社のコミック新刊の広告であるということははっきりしていて、その点では問題がない。

というところで力つきたのでまた。ははは。

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