橋本努『自由に生きるとはどういうことか―戦後日本社会編 (ちくま新書) 』。前半、知らないことが多くて楽しんで読める。
この手のでは一番のおすすめのような気がする。後半のジョー→尾崎→オウム→エヴァってのはどうなんかな。よくわからん。でもそういう話はみんな好きなのね。
全体にとってははどうでもいい細かいことだが、イギリスのパブリックスクールのところ。
食事は、朝は、オートミール少量、燻製鰊、またはソーセージ一片など、この他に、三寸角のパン二切れと紅茶がつく。日曜日には卵一個が追加されるが、これが最大のご馳走となる。昼食は、ジャガイモを主とした肉少量の一皿で、これに人参、キャベツのたぐいがすこしつくこともある。この他に、菓子一皿と、パン一片がつく。午後のお茶[おやつ]の時間は、パン三片とマーガリン少量、そして紅茶である。夕食というものはない。池田潔によれば、「質から言えば、この食事はイギリスのもっとも貧しい家庭の一歩手前のそれであり、量の点では、夜食[夕食]が全然ないことからいっても、その標準すら及んでいない」という。(p.47)
これは池田潔先生の言いぶんを橋本先生がそのまま書いているだけなのだが、とても信じることができない。質はともかく量がこれってことはないだろう。まあ戦争とかで社会全体に物資が極端に不足しているときとか、イスラムのラマダンのように一年のうち一ヶ月ぐらいなら可能だとは思うけど。
十代男子に対して恒常的にこういう食事が続けば、食いものをめぐる搾取や暴力、脱走と暴動が恒常的に起こるんじゃないだろうか。人間腹減るとなにするかわからん。
学校としては危険すぎる。武装した看守やガードマンみたいなのが10人対1ぐらいで必要になりそうだ。寄宿舎生活する学期が短かかったのかな?2ヶ月ならOKか?それとも「パン一切れ」「ソーセージ一片」「ジャガイモ肉料理」はかなり大きいのかな?それともこれは最初の1年で、上回生になるともっと食えるとかか。まあともかく実態とはぜんぜん違うだろう。買い食いは実は黙認されてたとか。まあ池田先生がなんかインチキしているのだろう。いや、1949年の本らしいから、
こんなものなのかな。戦後すぐにイギリス見に行ったのなら、たしかにそんなもんだったかもしれん。でもそれじゃ「パブリックスクールってのはこういうところ」って話にはだめな一般化だよね(それに最後の最貧層の人びととの比較があれになる)。
こういう文章を使うのなら実際にちょっと調べてほしい、あるいは少なくともこれが信じにくいねってことぐらいは指摘してほしいところ(っていうかそういう留保や指摘が見あたらないのでショックだった)。われわれはどうしても紙に書いてあることを信じるわけだけど、紙に書いてあることはやっぱり実態とは異なることが多いわけでねえ。思想史とか社会歴史学とか言説分析とかってのはむずかしいなあ。
ところでまあ、みんな自由って気にしてるのね。そんなに自由じゃないって感覚に悩まされているのかな。そうだろうなあ。あと、いまの30代後半~40代前半の世代にとって、尾崎豊ってのは踏み絵みたいなもんだね。そういう意味で偉大だったんだろう。
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