去年、ツイッタに他の研究者の悪口を書いた先生が悪口書いてることがみんなにバレて、勤めていた研究所から契約を破棄されたりしてたいへんなことになっています。
私も悪口書いたりするのが好きなので他人事ではない。悪口について勉強しなければ!とか思っていたら、悪口の問題を言語哲学の立場から扱った『悪い言語哲学入門』という本が出版されたので勉強しなければ!
著者の和泉悠先生はとても優秀な若手の先生としてすでに有名で、本もたいへん勉強になりました。各種の悪口の問題の分析を通して現代の言語哲学の入門をする、っていう感じですねかね。論述の大半は明晰でおとてもわかりやすい。言語の哲学っていうのは現代の哲学では本当のコアの部分という扱いでとても難しいものと思われていて、学生様だけでなく哲学系の教員やってるような人からも「難しい」と恐れられているところがあってそういうのをきちんとわかりやすく説明してくれるっていうのはほんとうにすばらしいことです。
でも悪口の哲学としてはどうなのかな、みたいな印象をもったところがあったので、メモ残しておきたいと思います。
悪口の定義
まず困ったのが定義の問題です。第1章が「悪口とは何か」といういかにも哲学的な問題からはじまるんですが、先生が「悪口」っていうののでどういうものを考えているのか、結局よくわからなかったことですね。
先生は、「悪口とは何か」と問うと「人を傷つけることばだ」といった答が返ってくることがあるってんですが、これだと人を傷つけないと悪口じゃないってことになるし、それに人を傷つけるけど悪口じゃないのがあるだろう、だから「人を傷つけることばである」ということは「悪口」であることの必要条件でも十分条件でもない、って言うんですが、これおかしくないですかね。だって、「人を傷つけるてのは悪口であることの必要条件でも十分条件でもない」ってのなら、とりあえず「悪口」がどんなものであるか少なくとも和泉先生の頭のなかにはあるはずです。そうでなきゃ「必要条件じゃない」とかさえ言えないわけだから。それをまず具体例でいいから示してもらわないと話についていくことができない。
まあある語に対して正確な必要十分条件を与えるというのはとても困難なことなので、「正確な必要十分条件を出せ」なんてことを要求する気はないのですが、でもだいたいどんなものが和泉先生が考えてる「悪口」なのかは示す必要があると思うのです。でもそれがこの本を通しで一回も出てこない。
悪口である可能性があるとして具体例として出て来るのは、1〜4章だと下ぐらい。
「タコ!」「Jap」、(筒井康隆の名詞のリストのいろいろ)、Goddamn、fuck、shit、生臭坊主、お陀仏。「帝国主義の走狗」「やい。あひるみてえにがあがあいうな」「もやし」「この腑抜けの抜け作のうすら馬鹿のどん百姓め!」「このバカめが」「このデータサイエンティストが!」「アイドルめ!」「おろかものめが!」「この/アホ/しばく」「このドアホが」「しばくぞ」「拙者がこのどアホをしばいた」「拙者がこのどアホをしばかなかった」「詐欺師」「たぬき」「ひも」「でかい」「うざい」「邪魔だ」「下手だ」「おろかだ」「ひややかだ」「てめえのヘソ噛んで死ね」」「あいつをしばいたった」「このケダモノはどうしようもねえな」「これ持って帰れ」「こいつムカつく」「おまえはアホか」「お前の母ちゃんデベソ」「てめえぶん殴ってやる」「(人名)は偽善者だ」「(人名)が脱税をしている」「(人名)はウンコだ」「(人名)のやつが到着しやがった」「賑やかでなによりですね」「お前らうるさいやつだな」(鎌倉時代)「法師」「髻を断つ」「甲乙人」「代官」「(部長に向かって)ねえ、課長!」「ハゲ」
ちょっと例が少ないし単純すぎるんじゃないでしょうか。主に、罵倒みたいな直接に相手を呼ぶ呼び方のやつを「悪口」の中心ととらえているのかもしれませんが、私には悪口ってもっと多彩な印象があります。「皮肉」とか「からかい」とか「当て擦り」とかを含む、もっと複雑なものじゃないでしょうか。
「江口は人格的にマジでヤバい」とか「江口はすごくきもい」とか「江口はフェミニストにからむやつだ」「江口聡を検索すると画像が出てくるから注意だ [1]このような内容の昔見かけたことあるんですが、ほんとに失礼ですよね。 」「ツイッタで遊んでないで論文書けばいいのに」「業績なにもないのか」「単著もないのか」とかいろいろあるじゃないですか。
もし私がおおざっぱな定義みたいなのを求められたら、「人を傷つけることば」じゃなくて、「他人に対するネガティブな評価やネガティブな描写(記述)」みたいにするんじゃないですかね。すごく広いし、「ネガティブ」もあるていど定義・説明しないとならんけどそれはそんな難しくないと思う。ひょっとすると、「求められてないのにネガティブなことを言う」のよう条件も必要かもしれない(批評や批判を積極的に求められている場合は、ネガティブなことを言ってもあんまり悪口だとは言われないと思う。逆に、ネガティブな書評みたいなのも、それが望まれてない場合には悪口の一種じゃないかと私は思います)。
勝手な推測をすると、おそらく和泉先生は「悪口は何であるか」という問題と、「悪口はなぜ悪いか」という問題をいちどに解決できるような定義を(学生様に対して?)求めてしまったのではないかと思います。もし悪口が人を傷つける言葉であるならば、悪口が悪い理由はそれが人を傷つけるからである、って言えそうですからね。でもそう簡単にはいかないと思います。
もうひとつ余計なことを言わせてもらえば、和泉先生は「ほとんどの悪口は有害、有毒だとすら言える」かもしれないって言うわけですが(p.21)、私は「悪口」の広い定義をとるので、悪口には有害なものがあるが多くは無害であり、なかには有益なものも少なくない、と思います。また悪口は「言葉自体に悪いところがあると私たちは思う」という和泉先生の前提にも私は同意できないです。なぜなら、和泉先生が「悪口」でどんなものを考えているのかはっきりしてくれてしないからです。
言語哲学の入門なのですから、可能だったら、こうした議論をおこなう上での「定義」にまつわるめんどうな問題についても簡単でいいから触れてほしかったところです。(うしろの方の「概念」などのところでやってるのかもしれないけど簡単にはわからない)。
「悪い」は「道徳的に悪い」?
もうひとつ気になるところがあって、「悪口は 悪い 」っていうのがほとんど自明であるかのように語られてるように見えるんですが、先にも述べたように私は悪口の多くはぜんぜん悪いと思ってないわけです(これは私が「悪口」をそういう感じで定義しているというか使っているから)。ここで、私が「悪口はそんなに悪くない」っていうときの「悪い」は「道徳的に悪い」、つまり社会的な非難に値するとか、社会的に禁じられるべきだとか、そういう言葉を使うと人々から嫌われるのも当然だ、仲間はずれにされてもしょうがない、そのような意味で使っています。しかし和泉先生はどうなんだろう?
「悪い」には上のような「道徳的に悪い=非難や制裁に値する」の他にも、美的に悪い(かっこ悪い)とか、行儀が悪い・マナーが悪い(一般に上品な人・社会的に上位の人々は使わない)、〜にふさわしくしくない、のような意味もあると思います。先生は本当に悪口の多くが道徳的に悪いと思っているのか……あるいは道徳的に悪いやつを悪口だと思っているのか……とりあえず今後は「悪口は悪い」の「悪い」は道徳的に非難に値する、ぐらいの意味で解釈しておきます。
続きます。
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References
↑1 | このような内容の昔見かけたことあるんですが、ほんとに失礼ですよね。 |
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