宇崎ちゃん問題 (5) 「表象の「悪さ」」の「悪さ」がわかりにくい

小宮先生の文章(『世界』のと『現代ビジネス』のの両方)では、「表象の「悪さ」」とかそういう表現が頻繁に出てくるのですが、この「悪さ」っていう表現にも私はひっかかってしまう。これはかなり面倒な事情があって、ちょっとここでは簡単には説明できないのですが、いくつか私の「困り」を説明しておきたいと思います。

どういう種類の「悪さ」か:それは「道徳的な悪さ」か?

「表象の悪さ」っていわれたときに、ある表象(つらいので、以後表現とか表現物とか書くことにします)が悪いことがある、ってことを言ってるのはもちろんわかる。問題は、その悪さというのはどういう種類の悪さかということです。人を殴るのは悪い。これは道徳的に悪い。道徳的に悪いというのがどういうことかというのもこれまたむずかしいのですが、人を殴るのは悪いので、殴るのをやめるべきだというのは当然として、さらに、人を殴るのは避けるべきだ、人を殴った人は罰されるべきだとか、非難されるべきだとか、被害者にあやまるべきだ、場合によっては賠償するべきだ、反省するべきだ(自責の念に苦しむべきだ)、とかまあそういうことを意味しているとここでは解釈することにします。道徳的に悪いというのは、単に「悪さ」という性質がその対象の物や行為に付随している、といっているだけでなく、それが上のような指示・指図・命令や、非難や罰と結びついている、と私は理解しています。

でも「悪い」からといって、そうした命令や非難や罰と(それほど強くは)結びついていないタイプの「悪い」という意味もあります。

たとえば、「このワインは悪くなってる」ってときは、ワインがすっぱくなっていることを意味しているかもしれない。「これは悪いワインだ」ってときは値段のわりにおいしくないのかもしれない。 “I am a bad pianist.”って私が言うとき、私はピアノを弾くけど下手だということを意味していて、それを非難されたりピアノ弾いたら非難されたり罰されたりしなければならないっていうことを言おうとしているわけではない。「悪い絵」っていうのも、まあ下手な絵にすぎないかもしれない。罰を与えたり、非難しないであげてください。「あたなって、悪い人……いじわる……」「ワルい子だーっwww」っていうのはむしろモテてる。機能的に悪いっていうのもある。コンピュータのマウスの効きが悪いっていうのは別に罰を与えられたり非難されたりするって話ではないし、もちろんマウスに向かって「お前は悪い奴だ!罰を与えてやるっ!」って言う人はあんまりいない。ブレーキの効きが悪い車運転して人ハネてしまったら当然非難されますが、それはまた別の話。

っていうわけで、「悪い」っていう言葉を使う場合は、「道徳的に悪い」とか「宗教的に悪い」とか「美的に悪い」「道具として悪い」とかそういう限定をつけてほしいわけですわ。小宮先生の文章はまったくそういうのがないので(実は小宮先生だけでなく、社会学系統の人々の文章にはそういうよく見かけるのですが)、非常に困りが発生しつらみが増加するわけです。

とりあえず「表象の道徳的な悪さ」とかそういう表現の省略形だと読むことにします。だって道徳的な評価をしようとしているように見えるから(あとで議論するかもしれません)。「政治的な都合の悪さ」「フェミニストにとっての都合の悪さ」の可能性があるけど、おいておきます。

「悪さ」と「不正」

悪い、ていうと英語だとbadだろうと思うんですが、英語ではbad(悪い)とwrong(不正な)っていうのはちとちがった概念・観念なんですよね(概念とか観念ってなんであるかは尋ねないでくださいすみませんすみませんよくわかってません)。「よい」 goodはgood – better- best って中学校で習ったように比較できる。bad – worse -worstです。badderとかbaddestとかだめですからね!

一方、正しい right や 不正な/(道徳的に)まちがっているっていう意味のwrongは、right – righter -rightestとか、wrong – wronger- wrongestとかならない。「よい/悪い」と「正しい/不正な」はちがうのです。(morally) rightや (morally) wrongは、ある(道徳的な)基準を適合しているか否かについての判断なんですね。

小宮先生が参照しているイートン先生の論文のタイトルは、 What is wrong with (female) nude? で、ヌード絵画の不正さについて考えているのであり、その単なるよしあしではない。

でもまあこの「よい/悪い」と「正/不正」のちがいっていうのはかなりむずかしいもので、先年おなくなりになった高名な倫理学者の大庭健先生の『善と悪』っていう岩波新書とかでもちゃんと区別されてなかったですね。。でも倫理学者にとってはけっこう大きな区別なので、そういうのないのにはがっかりしました。だからまあ、倫理学者以外の人にはなおさらしょうがないのかもしれない

悪さはどれくらい悪いのか

よしあし、善悪っていうのはさらになかなか面倒なんですわ。機能的なよさ悪さ、美的なよさ悪さ、道徳的なよさ悪さ、宗教的〜っていろんな種類があるのと同時に、よし悪し、善悪には程度の問題もあります。さっき「悪い(下手な)ピアニスト」bad pianistの例を出したけど、このbadは道徳的なバッドではなく芸術的あるいは技術的なバッドで、誰かと比較するための形容詞ですわね。下手なピアニストでも弾くのを禁止するべきだってなことにはならないし、上手いピアニストがいなければ下手なピアニストで我慢しなければならないときもある。そういうときは「しょうがないからお前が弾いて」って頼まなきゃならないときもあるでしょう。

これ、単に比較の問題っていうのでもないのです。問題は、「悪い」が、我慢できる/あるいは中立の水準(仮にレベル0とする)よりも上での高低の問題なのか(+10と+3の比較)、あるいは中立の水準以下(-20)を指すのか、っていうのが曖昧であることですわね。「この表現物は悪い」というとき、それはその表現物が存在しない方がよいということなのか(-20)、それとも期待されるものほどには到達していないということなのか(期待が+20だとしたら+5しかない)、ってことですわ。

小宮先生の「表象の悪さ」っていう書き方からすると、なんかマイナス表現があると言ってるように見えるんだけど、それでいいのかどうか。道徳的にマイナスの表象ってのがあるとすれば、そういうものは存在しないほうがよく、ポスターが貼ってあったときに(可能なら/他の条件が同じなら)はがした方がいいし、場合によっては焼いた方がいいかもしれない。

「一応悪い」と「いろいろ考えた上で悪い」

仮に、小宮先生たちが主張しているのが「ある表象が道徳的に悪い」「道徳的な悪さ」であるとすると、またちがった解釈の問題もあります。それは、「一応悪い」(prima facie bad)(「とりあえず悪い」「他に特段の事情がないならば悪い」)のか「いろいろ考えた上で悪い」(bad all things considered)なのか、ってな区別です。悪い行為があるとします。たとえば、ふつうは人を縄でしばりつけることは悪い。こういうのを倫理学者は、「一応のところ悪い prima faicie bad 」と表現します。prima facieはラテン語で、「表面的には」って意味ですね。

でも、夜に暴れてベッドから落ちそうな老人が言うことを聞いてくれないときに、ケガを防ぐために拘束することがやむをえないときもあるかもしれません。「一応悪い」ことも、状況によっては許されることがある。この場合、上の話とからめると、縛りつけないでベッドから落ちないのは+20で、縛りつけてベッドから落ちないのは+2ぐらい、ってこともある。しばりつけるのは一応悪いえけどしょうがない、ってこともあるわけです。

一方、いろいろ考えたうえでやっぱり悪い、ってこともありえます。息子が犯罪を犯すかもしれないから殺す、とかっていうのは、いろんな状況を考えにいれても悪い。実際には殺さないかもしれないし、ちゃんとケアしたり、施設に入れたり、最善のことをすれば、殺す必要はないだろう。こういうふうに言えるなら、すべてのことを考えたうえで、総合的に悪い all things considered、って言えるわけです。

小宮先生がとりあげているポスターとかの話に関しては、これはわりとはっきりしてますね。仮に、女性をモノ化することが悪いことであるとしても、それはとりあえずは「一応悪い」にすぎない。他に考えるべきことがあるかもしれない。すべてを考えにいれるというのは、たとえばポスターの目的とか、それの社会的な効果や影響とか、ネットの騒動やら、もろもろを考えに入れた上で「悪い」ということなわけですが、小宮先生たちがそこまで考えているとは思えないから1)つまり、ポスターの宣伝効果その他の文脈を総合的に見て悪いと主張しようとしているわけではない、と解釈している。、以後は「悪さ」は「一応の悪さ」であると解釈することにします。

引用符に囲まれているのは意味があるか

小宮先生の文章で「悪さ」「悪い」を検索すると、ほとんど引用符(「」)に囲まれているわけです。この引用符には意味があるのかどうか。

上で書いたように、ふつうは「悪い」という言葉には禁止、非難、不承認、非推奨(おすすめできない)とかの意味があると広く信じられているわけです。もちろんその程度はさまざまだけど。素の「よい」「わるい」という言葉には、人の行動を指図しようとする力があるというか、まあ広いいみで推奨や命令を含んでいるわけです。

これは「よい」「わるい」だけでなく、価値や規範を含んでいる他の言葉についてもいえます。たとえば「下品」とか「野蛮」とかって言葉は、そういう形容されるふるまいとか行動とか表現はやめなさい、もっとちゃんとしなさい、っていう含意がある。

でも、人の言葉というのはおもしろいもので、ののしり言葉みたいな言葉でさえほめ言葉に使えたりする。「あいつはバッドな奴だ!」っていうのは道徳的に悪いやつだ、つきあうな、って意味なく、かっこいい、すごい奴だ、友達になりたい、ってことだろう。

それに単に「他のやつらはそう言ってる」っていう意味で「」にくくることもある。「あいつは「ヤクザな奴」だ」っていうのも、「」にくくってしまえば、ヤクザの特徴をもってはいるけどかっこいい、すてきな奴だという意味になるかもしれないし、他のやつはあいつを「ヤクザ」と呼ぶけど俺はよくあいつのいいところをわかっている、ってな意味になるかもしれない。

こういう「他人はそういうふうに言う」とか、あるいは特別な意味をこめて「」にいれるやつを倫理学者は「引用符用法」って呼んだりします。もともとの価値的な意味を失なってるんですね。まあ現代思想とかでも「」つけて特別な意味につかってて混乱するわけですが、あれですわ。

小宮先生がある種の表象とか表現の「悪さ」、表現が「悪い」ということについて、多くの場合「」をつけているのを見ると、私は小宮先生はその表象を本気で悪いと思っているのか、悪さがあると思っているのか混乱するわけです。なんで「」をつける必要があるのか。それはフェミニストが「悪い」って言ってるだけなのか、小宮先生もそれが悪いと思っているのか、そしてわれわれにそれが悪いものであることを説得しようとしているのかよくわからないのです。

さらに

さらに、小宮先生のように「Aは悪い」という表現でなく、「Aには悪さがある」みたいな表現を使うと、「悪さ」という独特の性質があるように感じられるわけですが、これはかなりあやしくて、われわれの思考を混乱させます。

プラトン先生なんかは、この世にあるものごとやおこないの「よさ」を説明するのに、それはイデア界という奇っ怪な世界に「よさそのもの」が存在していて、この世にあるよいものやよいおこないは、そのイデア的な「よさそのもの」を分有している/あずかっているのだ、みたいなことを言うわけですが、これは奇っ怪な発想だと思います(議論はしないけど)。

「A(たとえばある表象)の悪さを考えよう」っていわれると、「Aには悪さという特別な性質があるのだなあ」とか思ちゃうけど、実はたんに、我々が「Aは悪い」って思ってるだけかもしれない。そうなるとPさんとQさんがAについて悪さがあるとかないとか、そういう争いになるのかもしれない。

まあここまで来ると本当に面倒なメタ倫理学っていう面倒でテクニカルな分野の話になってしまい、たとえば佐藤岳詩先生の『メタ倫理学入門』とか読んでもらわないとならなくなるわけですが、そんな面倒なことをしなくても、とりあえず「Aの悪さを考えよう」とかっていう混乱しやすい表現をやめて、「なぜ我々はAを悪いと考えるか考えましょう」って表現してくれたら回避できるはずです。

すると「悪さ」について私はどう表現してほしかったのか

けっきょく、小宮先生の「悪さ」とかっていう表現について、そのまわりで「読みにくみ」みたいなのが存在していて、私のまわりで困りが発生しているわけなので、いっそのこと「読みにくみ」「困り」というもの(実在?)や性質が存在しているかのような表現はやめて、「私は小宮先生の文章が読みにくいと感じる」「私は小宮先生の文章が読みにくくてこまっています」とかそういうふうに表現すればいいわけですね。

同じように、「ある表現が道徳的に悪いと考えられるべきなのはなぜでしょうか」とか「ある表現が道徳的に不正だと我々が判断すべきなのはどのような場合でしょうか」と表現してくれればいいわけです。でもこういうのは私の読者としての好みだからそんな強くは要求できない。できればそういうふうに表現してほしかったなあ、ぐらいです。

でも、もし私と同じようにつらみや困りが大量に発生してしまった人々がいるなら、それはこうしたなにかを名詞の形であらわす表現自体に問題がある、ってことを理解してもらえれば、このエントリは成功が成立しているという理解が存在することになり、私にもうれしみが発生します。

長くてつかれました。ここまで読んだ人はごくろうさま。すぐさま忘れてください。


References   [ + ]

1. つまり、ポスターの宣伝効果その他の文脈を総合的に見て悪いと主張しようとしているわけではない、と解釈している。

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