私が一番好きなイエスさんのお説教は、もちろん、これ。
「姦淫してはならない」と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。(マタイ5:27あたり)
大事なことだから先生もう一度繰り返します。誰でも情欲をいだいて女を見るひとはすでに心の中で姦淫を犯したのです。もう一回くりかえしますよ、エッチな目で女を見るものは罪人なのです。それじゃ、みんな目をつぶってください。先生怒りませんから、罪人のひとは手をあげてくださーい。あ、目をくりぬいてください、地獄におちるよりその方がましです。
われわれはパンツを見ても見られても平気だったのに、いつから罪人になってしまったのでしょうか。つまり、われわれはいつ無垢を失ったのでしょうか。
キェルケゴールは、これを「心理学的に」探求しようとするわけです。ここでいう「心理学」っていうのは、もちろんブント以降の実験心理学じゃないし、ミル先生あたりの連合心理学とかともちがう。まあ心(プシケー)についての内観によって心の動きを観察する方法なんだと思います。ここらへん当時のデンマークでの用法があって面倒で、私は解説できない [1]キェルケゴールでの「心理学」ってのが何かって論文は日本語でもいくつかあるんですが、納得してないので今は触れません。 。まあでも、心の動きを観察して記述するんね。
キェルケゴールはアダムにおいても、現代のわれわれと同じような心理的な過程があるはずだ、なぜならわれわれはアダムと同じなのだから、っていう想定をおいてます。そうじゃないとアダムは人類じゃないってことになっちゃうからね。キェルケゴールは「人間の本性」みたいなのは想定してかまわんという立場なのでそれでOK。
キェルケゴールはレオンハルト・ウステリ先生っていうドイツの神学者の説を紹介します。キェルケゴールは一応神学修士(マギステル)なので、いちおう神学の基本的学説ぐらいは知ってる。それによると、「知恵の木の実を食ってはいけないという禁止そのものがアダムのうちに罪を生んだ」ってことになってるらしい。
これは通俗的ですが面白いですよね。禁止されるとやりたくなってしまう。ジャンプはエッチだから読んじゃいけません、って言われたらこれは読みたい。それまでジャンプ興味なくても読みたい。それまでただ「裸ばっかりだなあ」て思ってた『ハレンチ学園』も『マジンガーZ』も『けっこう仮面』も、エッチだからだめだといわれれば、読みたい。読みたい読みたい。読みましょう。読んだひとは手をあげて目をくり抜いてください。地獄に落ちるよりその方がましだってイエスさんがいってまーす。
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References
↑1 | キェルケゴールでの「心理学」ってのが何かって論文は日本語でもいくつかあるんですが、納得してないので今は触れません。 |
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