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宇崎ちゃん問題 (3) 「表象」はわかりにくい

正直小宮先生の書くものはある種の魅力があって、それが多くの人を惹きつけるんだと思うんですわ。私の文章とかぜんぜんだめよね。なんか華がないというか、もってまわってわかりにくいし。あはは。

さて、私はそもそも「表象」がよくわかりません。いきなりタイトルで「性的な女性表象」ってガツーンとやられて、「あ、難しい文章だ!」って思って身構えてしまう。だって「表象」なんて私らめったに使わないじゃないですか。ショーペンハウアー先生に『意志と表象としての世界』Die Welt als Wille und Vorstellung っていう有名な本があるんだけど、あれの「表象」っていったいなんだか私いまだにわかってないです。あの本の前半はとてもむずかしい。カントわかってないと読めないんすよね。(ちなみになかば以降は楽しい)

「表象」Vorstellungとか英語でrepresentationとかっていうのは、哲学で使われるときには、非常に単純にいえば、外界にあるものを我々が感覚器官(典型的には目、でも感覚器官は他もありますね)を通して認識だかなんだかして、頭のなかに浮べたあれです。頭の外にある(かもしれない)外的な事物、それの印象とかイメージとか対応する観念(アイディア idea)、そういう頭のなかにあるのが表象。でも小宮先生のはこの意味ではない。

2000年ごろから文学とか美学とか映画学とかマスメディア文化論とか、そっちの大学関係の方面で「表象」っていうのがよく使われるようになってるみたいで「表象文化学会」とかそういうのもありますね。こういうのでいわれる「表象」っていうのは、もっとふつうの言葉でいえば「表現」とかなんだと思う。「文学」っていうと文字で書いてる小説とか戯曲とかになるけど、アニメとかマンガとかだと「文学」ってのとはちょっと違うし。絵画とか映画とか、まあそういう人間が作り出したイメージとか作品とかを「表象」って呼ぶんだと思う。しかしこの意味では、まだ辞書にもなかなか載ってない感じですよね。

それにそもそも、この「表象」っていう言葉をどう使うのかっていうのは、そっち方面の学者先生たちのあいだでもさほど合意がないんじゃないかと思う。たとえば私のbooklogから「表象」ていう言葉をタイトルに使ってる本をあげてみると、「特集=ジェンダー 表象と暴力」「視覚表象と音楽」「 “悪女”と“良女”の身体表象」「無垢の力—「少年」表象文学論」「少女マンガジェンダー表象論」「セクシュアリティの表象と身体」「オトメの行方—近代女性の表象と闘い」「イーストウッドの男たち—マスキュリニティの表象分析」「欲望・暴力のレジーム 揺らぐ表象」「ひとはなぜ乳房を求めるのか: 危機の時代のジェンダー表象」とかになってしまう。

どれも難しそうでかっこよさげなのは置いといて、「表現」におきかえられるようなものだけではないですね。「イメージ」ぐらいが妥当なんだろうか。

小宮先生の「女性表象」は「女性のイメージ」(頭のなかにあるもの)なのか、「女性を描いた作品」(頭の外にあるもの)なのかあんまりはっきりしない。がんばって読むと、おそらく後者の、作品、表現されたもの、だと思います。「表象は必ず「誰かが作る」ものだ」って言ってますからね。我々の頭のなかにある女性のイメージは、必ずしも誰かが作るものだとはいえないように思う。私の目の前にあるウィスキーの瓶の私の頭のなかにあるイメージが、「私が作ったもの」かというとちょっと自信がないし。

でもこんな難しい言葉、学者先生なら一言ぐらい説明してくれたっていいじゃないかと私は思うわけです。マンガやポスターの「描かれたもの」「表現物」を「表象」って呼びますよ、ぐらいなんで説明してくれないんですか、ぐらいのこと思ってしまうわけです。んな、最初っから「表象」って言われたら、われわれ一般読者は腰がひけちゃうじゃないですか。すごく高度っぽいからもう話聞くしかなくなっちゃうし。でもそんなにはっきりした言葉じゃないと思うのです。「表象」で苦しんだみなさん、そういうの要求してかまわんのです。