まだまだ「パーソン論」

もちろんトゥーリー先生からすぐにお手紙が返ってくるはずがないが、
昨日寝ながら考えたこと。

… one can argue that abortion is not wrong because the human that
is killed by abortion has not developed to the point in which one has a
person. (p.73)

この”one”は、the humanを指すのではなく、
we や they や peopleなどの一般の人びとを指すoneなのだろう。っていうか
この引用の一番最初のoneと同一か。あるいは母親か。

the human を指すのであれば、to the point in
which it has a personとかhe / she has a personとかにな
りそうなものだ。

中絶によって殺されるヒューマンは、まだ人びとがパーソンであるとみなす時点に
まで発達していないのから、中絶は不正ではないと主張することができる。

という感じ。苦しいかなあ。まだパーソンではない the humanを he
や sheで受けるのはいやかもしれないからなあ。かといってitもあれだし。
でもthe humanを受ける意味でoneを使う
くらいなら、

you can argue that abortion is not wrong because the one that
is killed by abortion has not developed to the point in which the one has a
person.

と書いてくれればわかりよいのになあ。これだったら完全にお手あげだけど、
まだがんばる余地はありそうだな。

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