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スージー鈴木先生の名著『1979の歌謡曲』で論じられている1979年歌謡曲音源の一部

スージー鈴木先生の名著『1979の歌謡曲』で論じられている1979年歌謡曲音源の一部。作成途中。先生の趣味と自分の趣味がかけ離れているのに驚いたり。

 

1979年の歌謡曲 (フィギュール彩)
スージー鈴木
彩流社
売り上げランキング: 89,487

 

  1.  布施明 君は薔薇より美しい
  2.  桑江知子 私のハートはストップモーション
  3.  沢田研二 カサブランカ・ダンディー
  4.  八神純子 思い出のスクリーン
  5.  西城秀樹 Young Man
  6.  ジュディ・オング エーゲ海のテーマ 魅せられて
  7. 桜田淳子 サンタモニカの風
  8. 山口百恵 美・サイレント
  9. ピンク・レディー ジパング
  10. 岸田智史 きみの朝
  11. 松山千春
  12.  サザンオールスターズ いとしのエリー
  13.  ゴダイゴ ビューティフル・ネーム
  14.  ツイスト 燃えろいい女
  15.  アリス 夢去りし街角
  16. ギャル https://www.youtube.com/watch?v=e_R3yTZ0anA
  17. 999 https://www.youtube.com/watch?v=UkXqZM-_4Ko
  18. 水中花 https://www.youtube.com/watch?v=CaS5V6VVPLE

「木綿のハンカチーフ」も名曲だから歌詞を鑑賞しよう

松本隆先生という作詞家の先生がいて、まあ天才というかなんというか、80〜90年代の日本の音楽を作った巨人ですわね。この先生の作品を集めたCDを聞いてて、「松本先生は本当にすばらしいな」とか言ってたんですよ。

まあいろいろあって、社会学とか美学とか専門だったら「松本隆と日本のセクシュアリティ」とかって論文が書けるんかないかと思うくらい。そういうのはぼちぼち解説します。その手始めとして今日はウルトラスーパー超名曲「木綿のハンカチーフ」について、ちょっとだけ解説してみたい。

1975年の曲でいろいろあったみたいね。 https://goo.gl/OW6Kkb 実際、松本先生の歌詞では、80年代でも男性が高校卒業とともに都会に出て、女性が田舎で待つ、っていう形のがけっこうあって、これがふつうだったんよね。まあそれはよい。

歌詞はこっちね。 http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=35600

 

 

んで、まあこの曲を実際に聞くと、まず気づくのは、男性と女声が交互に話をしているってことね。あたりまえだけど。手紙の文面。それを女性ボーカルが交互に歌っていて、太田裕美先生は歌うまくてすばらしい。コード進行はふつう、メロディーは自然でおぼえやすく筒美京平先生もえらい。

音楽的な聞きどころは、男性の方(Aメロ)のコード進行は

I- VIm – IIIm – IV -IIIm -IIm – V – I – VIm – IIIm – IIm – V  – I

みたいな堂々としたメジャー進行、特に最後の「君への贈り物を探すつもりだ」がIIm− V – Iというベートーベンみたいな進行なのがよいです。この男は自信があるのだ。

女性の方(Bメロ)は

VIm – IIIm – IIm – V – I – I7  – IV – IIIm -VI7 – IIm – IV – I

というはっきりマイナーな進行。特に最後の「染まらないで帰って、染まらないで帰って」の最後がIV- Iといういわゆる女性進行、フェミニンエンディングになってるのがおもしろいですね。(あら、女性終止じゃなくてアーメン終止でした)なんというか、「お勉強してつくりました」っていうのがはっきりしている。

2コーラス目、「流行りの指輪」を送るわけですが、ここで変だと思うべきだと思うですよ。流行りの指輪ってほんとにある?流行りのバッグやネックレスならわかりますよ。指輪に流行りすたりそんなありますかね。あるとしても、それって今なら7000円とか8000円とかの話なんちゃうかな。だからこの指輪は安い。お金がない。でも、半年たってなんとか送るのだ。

この次の歌詞がものすごくいいですね。松本先生の天才。「いいえ、星のダイヤも海に眠る真珠も、きっとあなたのキスほどきらめくはずないもの」。天才。こんな歌詞書けるやつはめったにいない。いやもちろん、この歌詞を見たあとなら、誰だって陳腐だっていえますよ。でも「星のダイヤ」「海に眠る真珠」ってほんとにおもいつきますか?これは天才の作品なのです。私これ聞いてたとき、「いいえ、欲しいの、ダイヤも」ってきこえてて、へんだなっておもってました。星のダイヤなのです。

そして、あなたのキスほどよくない、ってのは、このカップルはすでにいなかでニャンニャンワンワン楽しんでるわけですわね。まあそれはよいです。青年はそれを置いて都会に出てるし、女子もそれも理解しているわけです。そんな純な関係じゃないよ。

3コーラス目はひどい。「よー、お前まだ化粧もしねーの?口紅ぐらいぬったらどうよ、都会の女はきれいだよ」ですよ。いくら田舎だって口紅ぐらい塗りますわよ。彼は都会で化粧うまい人々と遊んでます、ってことよね。もう田舎の化粧ちゃんとできない女なんかどうでもいい。何年たったかしらんけど、スーツも買えるようになりました。いまだったら学生さんでも入学式その他のためのスーツ1着ぐらいもってるでしょうけど、1975年、上下そろえるだけでもたいへんだったんですね。

見間違うようなスーツを着た僕の写真を見てくれ。初登場は1970.

これに対する女子の答えがよくて、「木枯らしのビル街で体に気をつけろよ」ですよ。この青年が、学歴その他各種の資源をもってなくて厳しい状況で上京したのは誰でもわかってるわけです。でも彼は向上心があって、スーツを来て、お化粧した女性と遊ぶことができるようになった。でもそれって、この世代ではそれほどかんたんなことではないし、下手すると体を張っている仕事をしてるかもしれませんね。スーツを着て体を張る仕事といえば、あれですね。私の好きな蒲郡風太郎 1)ジョージ秋山先生の『銭ゲバ』の主人公。 や毒薬仁太郎先生 2)同じくジョージ秋山先生の作品の複数に登場する重要脇役。 の世界。彼女の「都会は厳しいけど体に気をつけて」っていうのは、そういうのを暗黙のうちに理解しての話なわけです。もうあんたとは遠くなったけど、死なないでね。

4コーラス目。彼氏は、街角で毎日愉快に暮らしているけど、田舎には帰れない。なぜだろう。ちょっとぐらい帰省すればいいのに。正月とかお盆とか帰るものです。でも帰れない。帰りの旅費もないのかもしれないし、帰る面目もないのかもしれない。つらい。私もそういう時期がありました。田舎を出てからもう帰れなくなる人々っていうのがいるんですよ。これ1975年なので、最悪の場合、映画「仁義なき戦い」みたいな抗争に巻き込まれて帰れなくなるっていうこともありえます。作詞としてはそれ狙ってるでしょうね。

オリのスーツ姿もいいだろうがよ

女子の答えはもちろん、最後に一つだけのおねだり、涙をふくハンカチちょうだい。いいですね。でもこれって、ふつう女性の発想じゃないですわ。むしろ母親とかの発想よね。謙虚とか献身とかっていうのは女性の美徳とされてるけど、本気でカップル相手としての男にそういう態度示す女なんかめったにいないんじゃないですかね。ふつうに考えれば、この女子も、彼が上京したあとは田舎で別の男子といろいろあったでしょう。だからこそあんまりおねだりせずにいられたわけでね。この件についてはそのうちジョージマイケル先生の歌詞を検討するときにもう一度確認します。とにかく、この女子はふつうの女子ではない。

恋人ではなく、母親である、というのは十分ありえる。そうでなければ、彼氏の頭のなかの妄想で、それが、この曲の女子の部分の特別な音響効果を説明する。よく聞くとわかるんですが、男子のセリフのところはエコーとかがない素(す)の発音で、女子のセリフ部分はディレイがかかってて声がダブルになってるのがわかると思う。当時よくある技術ですが、現実感を薄めてくれるわけね。男子のほうが現実の男子だとしても、女子の方は現実のものではない。

でもまあそれがいいわけですよ。男子はみんな都会に出て苦労して、そんなかっこよく生きることができず、そんなときに田舎にいる彼女が自分をずっと応援してくれてると思いたい。あるいはママみたいな存在がずっと自分を応援してくれててほしい。都会で働いたりしていると悔しいことばっかりで死にそうだから、だれか自分を応援してくれててもいいじゃないか。すごくやばくて、もう田舎に帰ることさえできなくなったときに、誰か泣いてくれる子がいてもいいじゃないか、そういう歌なわけだよ。遠距離カップルが破綻するとかそういう歌じゃないわけですわ。

有川浩先生という人がこの曲の歌詞について書いてたのをみたんですが、ぜんぜんだめだと思いますね。http://www.sankei.com/west/news/140816/wst1408160004-n1.html

 


(1/5追記)

この曲、さらに研究したんですが、やっぱりすごい曲よね。他に書き漏らしている点も上げておきます。
太田裕美先生の声質と唱法は非常に重要。声のキャラクターってのは大事で、太田先生の声は明るいというかものすごく外向的ですよね。それにビブラートとかも美しい。おそらくオペラ歌手とかだとモーツァルトとかでいうと、「スーブレット」って呼ばれる、気の利く賢い小間使い役みたいなのに合う声とされるんじゃないかと思います。モーツァルトでいうと、『フィガロの結婚』のスザンナ、『コジファントゥッテ』のデスピーナ、『ドン・ジョヴァンニ』のツェルリーナとかそういう感じ。なんでもよくわかっていて男心を手玉にとって操ります、って声よね。自衛官の女性が歌っている動画がすごく印象的なんですが、この人もすごいよねえ。なんかこのタイプの声の人は、こういうルックスでもある。ビブラートうまい人は化粧もうまい。

あ、クラシック女声の声質の分類はこの動画がわかりやすいわ。まあポップ音楽はまた別の分類があるはずだけど、声質によるキャラクターというのは重要よね。

男子は最初っから贈り物贈り物、って物のことばっかり言ってるけど、よく考えると、これって最初からこういう人のはずがないよね。人間の動機づけみたいなのは報酬があって成立するわけで、この男子が女子に、なんか物をあげたら喜んでくれたので、それが強化されている。おそらく心理学でいうところのオペラント条件づけですわ。どうしたら女子が喜ぶのかわからないなとおもってたらお金やものあげたら喜んでくれたので、もっと喜ばせたいのでお金を稼ぎます。

2コーラス目、「きっとあなたのキスほどきらめくはずない」ですが、これ、キスしかさせてない可能性があることに気づきました。さらには、それさえもさせてない可能性もある。きっとあなたのキスはとてもいいでしょうね、したことないしこれからもしませんが。

3コーラス目、女子が化粧してないのはこの男子の前でだけね。そういう女子がすきなのがわかってるから化粧しないふりしているのか、面倒だからわざわざ化粧しないのか。あと、草に寝転ぶ男子が好きなのは、犬とか牛とかと同じカテゴリーなのではないか。

4コーラス目、「最後のわがまま贈り物をねだるわ」っていうんですが、これ、ふつうの人は「この女子の*はじめての*おねだりが木綿のハンカチなのだな、なんて質素でいい子なんだ」って思うわけですが、それまでわがまま言ってないとか、それまでなにももらってないとかってことは言われてないですよね。そもそも2コーラス目で指輪もらってるし、もっとたくさんいろいろもらってるはずだ。お前牛みたいなやつなのに自分のスーツなんか買ってないで贈り物よこせ、とか、なんだもう金が続かないのか、んじゃ最後の金でハンカチも買ってよこせ。いわゆるケツの毛まで抜かれている状態なのかもしれない。

というか、聞き所の一つは、男子の「恋人よ」って呼びかけかけに対して、女子が3回「いいえ」で答えてることですね。これはやばい。大昔に、「押し付けに抵抗する」というエントリを書いたんですが、他人の言うことを聞かないひとというのはおそろしい。まあこれは男子も女子も両方ね。この件に関しては、椎名林檎先生のカバー音源の最後がそれを強調したおもしろい解釈をしてますね

とか考えてたらおそろしくなりました。ははは。

 


References   [ + ]

1. ジョージ秋山先生の『銭ゲバ』の主人公。
2. 同じくジョージ秋山先生の作品の複数に登場する重要脇役。

ジョージマイケル先生とわたし

ちょっと前に「ワム!の「ラストクリスマス」は失恋の歌ではない」とかかいたばっかりなのに、ジョージ・マイケル先生も突然死んでしまって、しばらくそれを認められずに苦しんでいたのですが、まあやっぱり死んでるみたいですね。ジョージマイケルについてはボウイ先生よりさらに親しみを感じていて、つらい。でもいつまでも死んでません、って言い張るわけにもいかなですわね。デヴィッドボウイ、プリンス、ジョージマイケルと死んで、もう私のアイドルは誰も生きてないです。死んで悲しい、って思う人はおらんだろう。ポールやミックがなむなむしてもまあ寿命。ジョージマイケルはまだわかかったからねえ。

ワム!を初めて聞いたのはやっぱりラジオ、1983年の夏ね。

1982年5月28日 Roxy MusicのAvalon
1982年7月? Tracy ThornのDistant Shore
1983年4月14日 ボウイのレッツダンス
1983年7月9日 Wham!のFantastic

とか私にとって重要。

まあワムのファンタスティックは、ほんとに驚きましたわ。若干20歳、とかでデビューしてきたんだもんよ。とにかくまずカバーのLove Machineに驚いた。

 

オリジナルはミラクルズのはず。ワムのはけっこう忠実なカバーなんだけど、ドラムがクリック聞いて叩いてて、ぴったりスクエアな感じがなんか暴力的でいいわよね。

 

Bad BoysA Ray of SunshineClub Tropicanaもものすごい完成度で、最初はこれって誰か有能なプロデューサーみたいなのが作ってて、この二人はただのアイドルなんだろうな、とか思ってたんですわ。(ちなみにトロピカーナに出てくる女性の片方はD. C. Leeという歌手で、あとでスタイルカウンシルのポールウェラー先生と結婚します。アルバム好きなんよね。)

大学にはいった年にCareless Whisper聞いて、これ17歳のときにジョージが作ったん店で本気で天才なのだと気づいた。とにかくすごい。Last Christmasもね。

Make it BigもカバーのIf you were thereとかもいいし。(これはアイズレーの曲

Faithもよく聞いたけど、その後、ずっと鬱な曲を作り続けるんよね。
なんといってもOlderのFastloveがすごくていまだに何回も聞いてる。まあここらは最近書いたばっかりね。

あと好きな2曲だけ紹介しておくと、1曲はクィーンのSomebody to Love、もう1曲はボニー・レイットのI can’t Make You Love Me。こう、モテてセックスなんかしまくりなのに満たされないみたいな感じが鬱で魅力的。

フレディーのバージョンより好きなくらい。

こっちはプリンス版のカバーも好き。オリジナルもよいし、キャンディ・ダルファー先生のもいい。名曲。
まあ、作る曲もすごいけどカバー歌手としてもすばらしいですわね。寡作な人だったんがなんともかんとも。もともと鬱傾向の人だったんだろうけど 1)母方のおじさんもゲイで自殺してたはず。 、薬も良くないんだろうな、みたいな。

まあほんとにショックでした。まだ受け入れられないけどねえ。

 


References   [ + ]

1. 母方のおじさんもゲイで自殺してたはず。

デヴィッドボウイ先生とわたし(下)

→ デヴィッドボウイ先生とわたし(上)から

 

んでまあベスト盤とかで過去の曲も勉強したわけですが、ボウイ先生はえらいっすわね。まさにロック。

70年代を振り返って、ボウイ先生とかT-REXあたりっていうのは、「グラムロック」とかってくくりで、なんか女子ウケを狙ってるって感じで、男子にはあれだったんですわ。これ、いまとなってはわかりにくいかもしれないけど、中性的なイケメンがあんまり難しくないことをする、ってんでとにかく少女マンガの世界だったんよ。

でも曲はいいんよね。

こう、ものすごくシンプルなのに力がある。パンクロックとか先取りしてるっすね。でもそんな年がら年中叫んでなきゃならないわけではないし、テンポだてゆったりとってかまわん。

それにリズム的にもおもしろい、っていうか、このまえ、ジョージ・クリントン先生の自伝読んでたんですよ。『ファンクはつらいよ』っていうの。ジョージ・クリントン先生はパーラメントとかファンカデリックとか、P-Funkと呼ばれる黒人音楽の総本山の中枢というかプロデューサーというか、とにかくご本尊なわけよ。

クリントン先生はとにかく黒人音楽コミュニティではものすごく偉いんだけど、若いときは実は黒人音楽じゃなくてイギリスのロック聞いてたらしいんですわ。ビートルズとかストーンズとかエリック・クラプトンとか。これおかしいっしょ。んでラジオでクラプトンがブルースについて喋ってるの聞いて黒人音楽について学んだ、とか言ってんの。おどろいた。

んで、パーラメント(P-Funk)がブレークした1曲であるGive Up the Funkって曲があるんすわ。

 

まあものすごくファンクでかっこいい。ところがこの曲、ボウイ先生のFameのパクリだったと。

Mothership Connection第三の主要楽曲は、デヴィッド・ボウイのFameを聞いたときに閃いた。この曲がラジオから流れてきたとき、俺はチェンバーズ・ブラザーズからバンドに加入した新ドラマー、ジェローム・ブレイリーと一緒だった。これがGive Up the Fuunkに彼が共作者としてクレジットされている理由の一つだ。スタジオに戻ると、俺たちはビートをアレンジし、Gie up the Funkの中で再構築した。(p.174)

なるほど!っていうかたまげましたね。普通、ポップ音楽では、黒人→白人っていう影響関係ってことになってて、いつも黒人のほうが偉いんだけど、そうじゃないんよね。

 

ていうか、そういうことを知ると、ジョージ・クリントン先生が名盤マザーシップコネクションでやってる「宇宙からスターチャイルドが地球にやってきて」とかってお話は、ボウイ先生がジギー・スターダストでやってることなわけよね。

 

ボウイ先生のジギースターダスト

クリントン先生のスターチャイルド

とかなんとかってんで、ボウイ先生は偉大だなあ、みたいなの感じてましたわ。

あとまあ歌詞の面についていえば、HerosとかAbsolute Begginersとかもう最高すぎるわよねえ。君も僕も、1日だけヒーロになれますよ。1日だけだけど。でも誰でもヒーローになれる。シンプルで、これぞロックという歌詞。訳詞はたくさんあるから探してみてください。

 

というんで、ボウイ先生には本当にお世話になりました。さよならボウイ先生。

 


 

これものすごく面白いから黒人音楽ファンは必読。


デヴィッドボウイ先生とわたし(上)

デヴィッド・ボウイ先生の名前を知ったのはいつだったかわかりません。高校生のころには存在は知ってたと思うし、そもそも70年代の少女漫画に出てくる主人公はみんなボウイ先生だったし。

私自身がボウイ先生を本気でミュージシャンとして意識したときは覚えていて、まず、渋谷陽一先生のラジオで聞いたんですね。そしておそらくその数ヶ月後に、なんか受験雑誌か英語雑誌でLet’s Danceの歌詞についてのエッセイっていうか英語の説明みたいなのを読んだ。まあシリアスムーンライトがどうのこうの、レッドシューズがどうのこうの、とかそんな面倒なことは書いてなかったと思う。でもそういうの読んで興味をもって、レコード買ったんちゃうかな。6月か7月のはず。

そういう、歌詞の鑑賞の手引ってけっこう大事なんよね。音楽なんか大量にあるから、なんかひっかかるところがないと興味をもつってことは難しい。「へえ、そういう歌詞なのか、んじゃ意識を集中して聞いてみよう」みたいにしないと、心に響かないことは多い。そういうきっかけは、他人のごく個人的な話でもいいんよね。「へえ、この人そういう事情でこの曲好きなのか」「そんなふうに聞いてるのか、キモい」みたいなのでも趣味は広がることがある。私自身こういうのいろいろ書いてるのは、そういう文章を書いてくれた人々への恩返しみたいなところがあるんよね。

まあ当時は田舎の高校生で、田舎ではまだMTVとかやってなかったから、ラジオと文章はとても大事だったってのもある。いまはなんでもありすぎてよくわからんわよね。

んでレコード聞いてみて、とにかくLet’s Danceより、最初の曲であるModern Loveのドラムにしびれましたね。こんなかっこいいのがあるのか!オマー・ハキム先生ね。Let’s Danceの方はトニー・トンプソン先生。それにしてもドラムよすぎる。いろいろ細かいゴーストノートとか入れてこういう感じになってるんだろうけど、私の耳では聞き取れないですね。それにしてもかっこいい。

まあ「ナイル・ロジャースがプロデュースして」ってよく言われてたけど、私自身はロジャース先生が誰だか知らなかったし、当時の多くのリスナーは実はChicとか知らなかったと思うね。むしろこのアルバムでは、当時のロック系一般リスナーには、「スティーブ・レイ・ヴォーンがテキサスブルースギター弾いてる」の方が話題になってはず。まあテクニカルじゃないけどかっこいいですわね。

このアルバム、高校3年の春のやつで、大学入ってからも「モダンラブのドラムいいよなあ」とかしゃべってたのを覚えてる。しかし私にとってのボウイ先生はレッツダンスではないのですわ。大学1年の秋に「トゥナイト」が出て、これはすぐ買った。これはいかれた。

最初のLoving the Alienはロマンチックだし、Don’t Look Downのなんか下向いてる感じが、みんなきれいな服着て木屋町で遊んでるのに私はゲームセンターでバイトなんかしてる、みたいなのにあれしてね。

 

私のレゲエ好きはここらへんからも来てるんよね。

Tonightのポジティブさもいいし、God Only Knowsはビーチボーイズのおりじなるよりよい。もうこれのA面は最高。

聞いてください。

この1回生から2回生にかけての時期は、まだ外で酒飲む習慣とかもなくて、自分や友達の部屋でごろごろしていることが多かったんよね。1回生の冬はゲームセンターのバイトずっとしていて、大学の友達よりそっちの知り合いといるときが多くて、このアルバムとかも衣笠大学のやつと酒飲みながら聞いた記憶がある。まあ酒飲みながらだらだら話するっていうのは大事よね。大人になるとなかなか難しい。

 

(→ デヴィッドボウイ先生とわたし(下) へ)


ワム!の「ラストクリスマス」は失恋の歌ではない

 

ジョージ・マイケル先生(Wham! )は私ものすごく好きで、デビューアルバムのラブマシーンあたりから死ぬほど聞いて、Last ChristmasやCareless Whisperもリアルタイムで楽しみました。クリスマスには必ずLast Christmasが流れるし、テイラースイフト先生とか多くの人がカバーしているけど、この曲の歌詞、ちゃんと理解されてないのではないかという気がします。

一般的な和訳・解釈 → http://ryugaku-kuchikomi.com/blog/last-christmas http://xn--tfrt83ip2e.biz/1056

まあシンプルな英語だし、訳はこんな感じでいいと思うんだけど、ちゃんと注目すべきところがある。

Last Christmas
I gave you my heart
But the very next day you gave it away.
This year
To save me from tears
I’ll give it to someone special.

去年のクリスマスに一発やったけど次の日にはもう他人、というワンチャン・ワンナイトの歌なのははっきりしてますよね。そんで、今年はやり逃げされて泣きたくないから、「特別な人」とセックスするつもりです、という歌です。

しかしここでひっかかるべきなんすよ。someone specialってどういうことよ。「今年は誰か特別なひととしますよ」って、なんじゃないな。今年は「大好きな彼女/彼氏としますよ」ならわかるのに、「誰か」とするっていうのは、つまり、スペシャルなひとはまだいないわけですわ。

Once bitten and twice shy
I keep my distance
But you still catch my eye.
Tell me, baby,
Do you recognize me?
Well,
It’s been a year,
It doesn’t surprise me
(Merry Christmas)

一回ひどい目にあったから、今年は遠巻きにしておいります、でも君はやっぱりイケメンか美人かで僕の目をひくなあ。んで、「君、僕のことわかる?」ですよ。こんな異常なセリフを言う機会っていうのはあんまりないですよね。20年ぶりの同窓会とかであって、「僕のことわかる?」ってのだったらありですわ。でも去年のクリスマスにセックスしてるのに「僕のことおぼえてますか?まあ覚えてなくても、1年前だからしょうがないねえ」っていう関係って、どういう関係なんすか。

I wrapped it up and sent it
With a note saying, “I love you,”
I meant it
Now I know what a fool I’ve been.
But if you kissed me now
I know you’d fool me again.

なんかカードみたいなに「アイラブユー」って書いて渡すとセックスできるわけです。そういうのやって、去年はひどいめにあったけど、もしいま僕にキスしてくれたら、君はまた僕をひどい目にあわせることができるよ。つまり、いまちゅーしてくれたら、今年もセックスお願いするですよ、という歌です。

A crowded room,
Friends with tired eyes.
I’m hiding from you
And your soul of ice.
My god I thought you were someone to rely on.
Me? I guess I was a shoulder to cry on.

その場所はたくさんの人がいるパーティールーム、みんなお友達だけどコカインとかマリファナとかやばい薬とかもやっててみんなやばい目をしている。君は氷のように冷たい奴だ。去年は信頼できる人だと思ってセックスしたけど、君は僕を単なる寂しさをまぎらわせるセックスオブジェクトとしてつかいましたね。許しません。

A face on a lover with a fire in his heart.
A man under cover but you tore me apart, ooh-hoo.

ここはちょっとむずかしい。a man under coverは相手のことだろうと思う。業界でいういわゆる「クローゼット」かな。いやちがうな。

Now I’ve found a real love, you’ll never fool me again.

ここが一番のポイントでむずかしい。

一つの解釈は、「もうほんとうの恋人見つけたから、君にひどいめにあわされることはないよ」。でもあとで出てくるように、その恋人とは今年のクリスマスはセックスしないのです。

もう一つの解釈は、ここで見つけた「本当の恋人」っていうのは、実はこのyouなんよ。去年は遊びだったけど、今年は本気でセックスしようじゃないか、と解釈することもできると思う。あるいは強がりか。

Maybe next year I’ll give it to someone
I’ll give it to someone special.

ここを見逃してはいかん!いつのまにか、まあ来年は特別な人とするわ、になってるじゃないの!つまり、今年はけっきょく去年と同じように誰だかわからない君とチューしてセックスしてしますしますぜひやりましょう、特別な人は来年の話ということにして、今年はやっぱり君とカジュアルセックスセックスイエース、ワンナイで。

もうちょっと好意的に解釈して、去年は君は特別な人じゃなかった、今年もまだ特別な人じゃない、でも今日セックスして、来年までおつきあい続けて特別な人になってくれたらいいね、ぐらい。

まあつまりこの曲は、非常に華やかで性的に乱脈とされるようなパーティーで一発やることを歌っているわけです。まあ80年代ってそういう時代だったんよね。それがエイズ問題とかにつながるわけです。

ちなみにマイケル先生はワム解散して某事件をきっかけにゲイのカミングアウトする前に、自伝みたいなの出してるんですが、「ぼくらワムの頃はもててもててしょうがなくて、そういうのも好きだったんで目の前を動くものはなんでもf**kしてたよ」みたいなことを語っています。そんなロマンチックな人ではないのです。

自伝 裸のジョージ・マイケル
ジョージ マイケル トニー パーソンズ
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ジョージ・マイケル先生はあとで(1996)、Fastloveっていう超名曲作ってるけど、そっちはもっとはっきりとそういう世界を描いてますわね。

 

 


テイラー・スウィフト先生は好みではない(ファンのひとはごめんなさい)

ask.fmでカミーユ・パーリア先生がテイラー・スイフト先生をディスっているという話を教えてもらい、3曲ほど聞いてみました。たしかにこの方はちょっとあれねえ。

最初に聞いたのはI shake it off。他人がなんと言おうが関係ないわ、私は好きに踊り続けるわ、ってな曲。

その主張自体はよい。我々は人にかまわず踊り続けるべきだ。踊りましょう。音楽的には、歌詞のshke shake shakeとかの繰り返しがおもしろいね。でも歌詞は凶悪で、世界は私と悪者(いつまでも同じままのヘイターやハートブレイカーやフェイカーたち)によって構成されています、みたいなのってちょっと受け付けられない。

バレリーナのシーンとかとかスタント使ってるわねえ。っていうか踊れないなら踊れないでかまわんし、むしろ最後のシーンのように「私はちゃんと踊れないけど、それでもOK」ってのなら、スタント使う必要ないのではないか。あと、いつまでも「I」shake if offであって、途中でcome onとか呼びかけてるのに最後も一人だけってのが気に入らない。

次に見たのがWe are never ever getting back。これは私淑する細馬宏通先生がコメントしているってんで、それ読む前に聞いた。

これもいかん。こっちは音楽的にはあんまりおもしろいところはなくて、イントロのギター、単にミュートするんじゃなくて機械的に切ってるのが耳を引いたけど、それくらいか。

歌詞の内容は私には最悪に思える。まあ細馬先生の聞き込みは大筋で正しいと思う 1)We will rock youは聞き取れないし、すぐあとで書くようにこんなものがガールたちのアンセムではありえないけどね。ビヨンセのRun the Worldの堂々とした勝利の響きとくらべてほしい。 。この曲は別れの歌ではない。そもそも、本気で別れるつもりのときに「絶対ぜったいぜったいヨリもどさないからね」とかって言うはずがない。「我々は終わってます、ピリオド」でなければならない。ネバーは1回でよろしい。「ぜったいぜったいぜったいぜったいより戻しません」って増やせば増やすほど説得力がなくなる。もし2回いうとしてもネバーエヴァーじゃなくてネヴァネヴァネヴァネヴァでしょ。

こんな歌、けっきょく女の「ノー」どころか「ネバー」でさえネバーじゃなくて「イエス」やむしろ「カモン」だ、って言う歌じゃん。それでいいんかね。

男子がなに気に触ることしたのか知らんけど、スペースを必要とする人がいるのは確かなことだし、なんか言っただけで「私が正しいの!」って叫ばれたら、ヘッドホンして好きな音楽聞くくらいしかないじゃんよ。わめく女は殴ればいいって話じゃないでしょ。

You talk to your friend talk to my friend talk to me、のところも(詞の作りはおもしろいけど)よくわからなくて、男子って元カノのことを友達にそんなしゃべるかな。もし仮に「ヨリを戻したいから口きいて」ってのがあるなら(ないと思うけど)こういうんじゃなくて女子の友達に直接頼むだろうし、悪口であればまあしょうがない気がするけど男子は女子ほどそういう話はしない気がする。まあせいぜい「ひでー女だったからね」ぐらい。女子はいろいろ事細かに話す傾向もがあるかもしれないけど。なんかおかしい、っていうか男子の行動を理解してない気がする。まあでもいろいろあるんだろう。わからん。さっきの「あんたがケンカ売ってきて」you picking fightsのところと同じように、自己中心的な感じがする。

「あんたとは別れました」とか言ったそのだらしないパジャマ姿のままで、友達に「あのひとまだ私のこと好きなんだって、でもうんざりしてるの」とかノロケなのかなんなんだかわからんこと喋ってるのも許せん。これが21世紀のエンパワされたガールなのか。

最後見たのはBad Bloodで、これもひどい。

最初っから(理由なく?)腕折ったりしていて、ものすごくネガティブになる。このPV見て好意的な評価をするのはものすごく難しい。なんで殴り合ってるのわからんし、歌詞も憎悪に満ちている。女性が物理的に戦ういろんな映画のパクリだらけだけど、それに対するオマージュみたいなのが感じられないよ。せめてテレビ1台出して、最初は自信なかったけど、映画に出てくる強く戦う女性たちからエンパワしてもらいました、ぐらいの敬意は表してほしい。もっと練習して格闘シーンはそれらしく見せてほしい。これじゃ女の子の演芸会かキャットファイトやアマチュア泥レスリングじゃん。それに映画のヒロインたちはだいたい憎悪以外のちゃんとした理由があって戦ってるけど、これは単なる個人的な憎悪だけに見える。ケンドリック・ラマー先生もなんでこんなPVにからんでるんだ。がっかりしました。これやばいっしょ。いくら嫌いだって、ライバルや論敵を「bad blood」呼ばわりするとか、そらパーリア先生怒るわよ 2)ナチを引き合いに出したのはどうかと思うけど。bad bloodの意味はこうか

前エントリのビヨンセの、最新の3)あれは南アフリカあたりのダンスなのね。 鍛え上げられた踊りや、自己を主張する覚悟や、考え抜かれた戦術や、他の女性との連帯感みたいなのと比較したら、たしかに退行的だって思います。こういうのがガールの理想であってほしくない。

でも好意的に解釈すれば、右派左派に分かれてしまったと言われているアメリカについて悲しみ歌ってる曲ってことになるかなあ。でももっと希望あっていいじゃんよ。ファレル先生のハッピーみたいなとはいわないまでもよ。

前2曲も好意的に解釈すれば、とにかく私は私の我を通します、ってんで、それはそれで敬意に値するかもしれない。でもそう聞くのはなかなか私には難しいです。PVもう少し上手く作ってくれたらちがったかもしれない。

 


んで、パーリア先生オススメのレスリー・ゴーア先生のIt’s my party聞いてみましょう。

 

ははは。いいじゃないっすか。歌詞と簡単な解説はこちら。私のパーティーなのに、私のジョニーは馬鹿のジュディーとこっそり外出ていってエッチなことをしている、私のパーティーなのに許せない、私泣いちゃうわ。私大声で泣くわよ私のパーティーなんだから。あなただってそういうときには大声で泣いていいのよ。

パーリア先生が、この歌には社会的主張とガールの心理についての、より深い洞察が含まれていると主張するのも理解できますなあ。


まあこのエントリ、私自身ちょっとネガティブになりすぎましたね。だって理由なく腕折るんだもん。あれでOKなんてないわよ。


References   [ + ]

1. We will rock youは聞き取れないし、すぐあとで書くようにこんなものがガールたちのアンセムではありえないけどね。ビヨンセのRun the Worldの堂々とした勝利の響きとくらべてほしい。
2. ナチを引き合いに出したのはどうかと思うけど。
3. あれは南アフリカあたりのダンスなのね。

サロメさんのダンスいろいろ

以下R18。某授業でサロメさんのダンスを見せられるか検討。

ヘロデ王が軍服でいかにもエロそうでエロ点数高い。最後があれで授業では使えない気がする。

 

 

これは衣装とか演出とかまあそれらしくてトップレスまではいかんからこれくらいなら許されるのかどうか。無理か。

 

これも大丈夫か。

 

リヒャルトシュトラウス先生にこだわらないとケンラッセル先生のやつが好きなんだけど、まああれね。

 

まあやめといた方がよさそう、という結論。

まあこの曲、音楽的にすごくいいか、っていうとリヒャルトシュトラウス先生のとしてはそれほどすばらしくよいというわけでもない微妙な感じだし、あんまり価値ないかなあ。

しかしまあオペラとかその手のものっていうのはどれもこれもエロくて、学生様にはフィガロの結婚やドンジョヴァンニでさえ、その標準的な解釈を教えただけでびっくりするみたいね。昨日は「カタログの歌」「シャンパンの歌」「お手をどうぞ」の3曲セット。みんなまじめそうな顔をしてそんなものを見てるのか!みたいな。そこで西洋文化ってのはそういうもんです、とダメ押す。

まあそれは教養科目とかって名前ついてたりするわけで、教養っていったいなんだろうね、それとエロ知識はどう違うのか、とか思ったり。実はあんまりちがわんのではないか。ははは。


川谷絵音先生はおそらく鬼畜です

川谷絵音先生っていうのは去年の紅白のゲス乙女のパフォーマンスではじめて聞いて、すごい強い印象を受けてCD借りて聞きましたが、ものすごい天才っすね。もう夢のようにすばらしい曲を書くし歌はうまいし。

最近女子大生の人と話す機会があり、おすすめの音楽を教えてもらったらindigo la endとかってことで、「ゲスの曲は暗かったりするけどインディゴは爽やかな感じ」とかいってて驚きました。爽やかっていうのとはちょっと違うんじゃないかと思う。代表曲を使って歌詞読解してみたい。

 

一度だけあなたに恋をした
たったそれだけの話です

その人は女子大生なのでわかりにくかったかもしれませんが、歌で時々でてくる「一度恋をする」っていうのは単に「いいなあと思った」って意味ではないですわね。こういう1回2回って数えられる恋っていうのはもっと肉体的なもの、むしろ1回だけmake loveした、とかそういう意味っすわ。いわゆるワンチャン、ワンナイト。

僕は星の数ほどの記憶を
忘れそうになっては思い出す

1回だけなのでこの「記憶」はその相手に関する記憶ではない。「僕は星の数ほどの人とエッチな記憶があって、あんまり数が多くてすぐに忘れちゃうんですが時々思いだします」の意味です。

バイトのユニフォームの
ポケットから出てきた
何てことない手紙であなたを好きになったんだ

この「バイトのユニフォーム」がちょっと微妙なんですが、ポケットからなんからの紙が出てきて、たいしたこと書いてないらしい。それは本当に手紙だろうか。

解釈(1) 女子はなんか電車とかでバッグに電話番号書いたメモ投げ入れられることがあるっての聞いたことがあります。居酒屋とかのモテモテバイトのエプロンのポケットに、「つきあってください」とかって手紙がはいっていた。これ女子だったらありそうだけど、男子はありそうにないっすね。まあそれに「なんてことない手紙」ではないだろうし。

解釈(2) その手紙の内容は「今日は楽しかったです。また来てください」みたいな名刺みたいなやつである。私あんまりもらったことないですが、ガールズバーとかキャバクラとかそういう場所ではそういうの帰り際に渡すらしいじゃないですか。

甘い夕景が包む空気で
だんだんと忘れていた言葉思い出したよ

夕方その手紙を見て、昔1回そういう関係になった女子のことをおもいだしつつあるんですね。

潤った愛す声で/夢から覚めたら恋をして
夜明けの街であなたにサヨナラを/歌った
潤った愛す声で/夢を潜って溺れた
夜明けの街はいつだって/あなたを隠してる

「潤った愛す声」っいうのはものすごくエッチですね。まあその女子とのエッチな行為を歌っている。「夜明けの街でサヨナラ」なので、おつきあいは夜っていうか深夜っていうか。「夢を潜って溺れる」とかってのもなんか水っぽいというか汁っぽいというかいいねえ。夜明けの街はあなたを隠している。この女子はいつも夜明けの時間帯にどっかで行動しているわけです。あるいは待ってるのか。

涙落ちる音がレコードを擦り切れさせたって
冗談を言いながらハンモックに揺られる老後でも
あなたを思い出し
また会おうと考えて
くだらない理由をつけてこのまま眠りにつくのかな

「涙」もも水っぽいですね。
「あなたを思いだしまた会おうと考えて」、つまりその夜に活動している女性にもう一回会いに行こうかと思ったけど、「くだらない理由」、たとえば「今日はお金がないなあ」とか「眠いからいいや」とかそういう理由で寝ることにしたわけです。

甘い夕景が包む空気で
だんだんと忘れていた言葉思い出したよ

……

甘酸っぱい世界で僕はあなたに恋をした
傾く夜を尻目に今日も会いに行く

この相手と会ったのは甘酸っぱい世界
甘い夕暮れから夜が傾くときに会え、夜明けの街でサヨナラするのです。

潤った愛す声で
夢から覚めたら恋をして
夜明けの街であなたにサヨナラを
歌った
潤った愛す声で
夢を潜って溺れた
夜明けの街はいつだって
あなたを隠してる

まあそういうわけで、ぜんぜん爽やかではなく、星の数ほど遊んでる人が、ナイトワークの人と、一回恋をした、という曲ですね。それにしても名曲。

でもまあこういう解釈すると、好きな人の一部は怒るかもしれません。怒らないでー。もっと別の解釈もあるかもしれんし。そっち正しいですよ。

 


歌詞のダブルミーニング、そしてトリプル:「雨あがりの夜空に」の場合

まあ、昨日「君の名は希望」について書いてみたように、私趣味で若い人々に歌詞の解釈を示して鑑賞のしかたを教えてるふりしつついろいろ押しつけてみたりするのが好きなんですが、歌詞が幾通りかの解釈ができるようにする、ダブルミーニングって技法はまあ作詞の基本ではあるわけです。これあんまり意識してない人は多いようですね。

私が若い人にそういうの教えるときに一番わかりやすい例として使うのは、RCサクセションの名曲「雨あがりの夜空に」ですね。ものすごい古い曲だけど。

 

歌詞は http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36578 あたり。表面的には、ポンコツの愛車が動かなくなってしまって困った、また愛車に乗ってぶっとばしないなあ、ですわね。

私この曲ラジオもついてる大型バイクの曲だと思ってましたが、いちおうキヨシローの当時の愛車の日産サニーであるということらしい。実は私の最初の車も東北電力でこきつかわれてからいったん廃車された日産サニーでした。友達に貸したら事故られてぽしゃって阿弥陀様のところにいってしまった(友達は運よくほぼ無事)。お浄土で楽しくやってるかい俺のサニー。

でもこの曲には当然すぐにわかる裏の意味があって、彼女とのうまくいかない関係を歌っている。知恵袋でこんな質問がありました。「 「雨あがりの夜空に」とかいう曲、女性をなんだと思ってるのですか」

まあこの曲は、女性に乗りたい曲なわけでもあるわけです。俺のバッテリーはビンビンだからいつものようにキメてぶっとばそう。そりゃ時々ひどい乗り方したけどおまえはそれも楽しんでたじゃないか。こんな自堕落な生活は続かないとかっていってお前は去って行こうとするけど、まだまだ楽しめるじゃないか。おまえについているラジオのつまみ(2個?)をまわすと感度ビンビンでどこまでもいい音させるぜ。あー、今日は発車したいぜ。

これではまあいまどきの時代状況においては、女性怒るかもしれませんね。まあ時代も時代だし、こういう男っぽい、男性中心な勝手でだめな愛と性欲のを歌うっていうのは、黒人音楽の由緒正しい伝統である。男くささ、ブルースとソウル音楽へのリスペクトをこめて、あえてこうつくる。

でもね、この曲はそれだけじゃないんよ。RCサクセションの歴史を見るとわかると思うけど、このバンドはキヨシローが中心とはいえ、貧乏なときからがんばってきて、もう解散しよかってときに井上陽水の「氷の世界」に「帰れない二人」を提供してなんとかそれで食いつないで、売れるためにフォークグループからエレキバンドになったりして、ものすごい苦労しているわけですわ。

その途中で数人のメンバー、特に1977年に破廉ケンチを失なっている。そのあとだんだん売れ出すのね。雨あがりの夜空には1980年に発売だけど、そのころの別れのことを歌ってるんだって私自身は思ってる。

若いからライブや打ち上げ飲み会でひどいノリかたしたりでどろどろ。貧乏ななかバンドやってても、「こんなこといつまでも長くは続かない、いい加減明日のこと考えたほうがいい」ってどうしても考えちゃう人はいるわね。明日の見通しもなくて生きられる人は少ない。でもキヨシローは「おまえまでそんなこと言うのか、おれらロックするんじゃないのかソウルはどこいったんだ」ってやったんだろうねえ。バンドなんとか続けようじゃないか、もうい一回ライブしようじゃないか、おまえがいなくなったあとにおれたち少しは売れてきてるぜ、おまえといっしょにやれなくて本当に残念だ、なんでいっしょに続けてくれなかったんだ、そういう歌だと理解してます。でもエロもいい。やっぱり女にも乗りたい。

歌詞っていうのはそういうふうにできている。

そういや、みうらじゅん先生の『アイデン&ティティ』は、そういう感じのだめなバンドマンを描いたロック漫画の最高峰だから必ず読むように。

アイデン&ティティ―24歳/27歳 (角川文庫)
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