残り。第11章 性的人格権の復位
中里見先生は、性的自己決定権と別のものとしての性的人格権の重要性を認めるべきだという立場にたつらしい。私にはどっちも性的な強制からの自由を指すように見えるが、どうもずいぶん違う内容のようだ。
性的人格権は、身体的自由権と精神的自由権の両方を統合した権利として、一切の強制からの絶対的な保障を要請する。・・・したがってそれは、性が金銭によって売り買いされることを否定するものである。それゆえ、他人の身体を性的に使用する権利を金銭で売買する行為は、他人の性的人格権を侵害する行為と評価されなければならない。具体的には、管理売春における売春業者と買春者、単純売春における買春者、そしてポルノ業者による他人の性的使用権の売買は、性的人格権の侵害であり、違法行為であると評価される。(p. 227)
うーん、まあ「金銭では放棄できない」なにからしい。いまだに「放棄」が気になる。どういう場合に性的自己決定権や性的人格権を放棄したことになるのかが知りたいのだが、これは解決しそうにない。
ポルノグラフィ、売買春の中に入ることを「選んだ」人びとが性的自己決定権を行使したことによっていかなる不利益をも課せられることなく、しかも性売買の中の性行為によって、人の基本的な権利としての性的人格権を侵害されたことが社会的に承認されるべきこと、このことが、女性の身体の性的濫用=虐待が日々行なわれ続けている性売買の現場から投げかけられている。(p. 231)
うーん。「選んだ」にかっこがついているのは、そういう選択は真の選択ではないという立場なんだろう。こういう書き方では実際にセックスワークに従事している人びとから応援を得られそうにはない。またそういう人びとが必要としているプラクティカルな解決からもずいぶん遠ざかってしまっているように見える。もちろんリベラルな傾向の人びとにも支持されることはないだろう。まあこれはどれも中里見先生本人も意識しているだろう。苦しい立場だ。
というわけで中里見先生の結論は、売買行為の非犯罪化と買春行為の違法化ということらしい。
・・・強度な自由権としての性的自己決定権は、性売買の中で使用される女性や男性を国家刑罰権の対象とすることから解放し(非犯罪化)、他方で、性的人格権は、金銭の力によって彼らを使用する売春業者、買春者、ポルノ業者の行為を違法化あるいは犯罪化する方向に作用することになろう。 (p. 231)
ということらしい。わたしにはその自己決定権と人格権はまったく矛盾するものに見える。中里見先生はどっちも「性的自由」という大きな価値の一部だと主張したいと思っているような気がするが、「性的自由」の解釈(派生?)からこれほど矛盾するものが出てくるなら、自分の解釈がまちがっていると考えるのが自然だと思う。少なくとも性的自己決定権で売春する自由を認めるのなら、その相手を処罰しようとするのはまちがっているだろう。それでいいのだろうか。わからん。
以上。勉強になった。難しい立場だとは思うが、問題意識はわかる。がんばってほしい。
補足 松沢呉一先生のAPP研究会批判
APP研究会の訴訟事件と対応の問題については松沢呉一先生が
まずまずもっともな批判を書いてくれていた。
http://www.pot.co.jp/matsukuro/archives/2007/01/22/%e3%81%8a%e9%83%a8%e5%b1%8b1220%e4%bb%8a%e6%97%a5%e3%81%ae%e3%83%9e%e3%83%84%e3%83%af%e3%83%ab18/
判決文もここから見ることができる。私は松沢先生ほど厳しい見方はしてないが、この会のwebのプレゼンテーションほか、やっぱりいろいろ問題があるとは思っている。やっぱり「ポルノ被害」の検索でトップに来るのに、「相談をお寄せください」のまま半年以上放置してるのはまずいです。(せっかくの独自ドメインなのに「くらべる?キャッシング」とかのPRがついてるのもどうにかならんのか・・・)
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