牟田先生たちの科研費報告書を読もう (7) おしまい

んでこのシリーズ、実は最初は牟田先生の論文が、われわれの日常的な事実と乖離してるんじゃないか、そしてその規範的主張が勝手なものじゃないか、って書こうとしてたんですよ。実はマッキノンやギデンズのあんまりよくない引用方法を発見してしまったらもうそういうのどうでもよくなっちゃったんですが。

でも最後にその最初の話だけ。

牟田先生は、まともなセックスには同意・合意が必要であると考えます。あたりまえだけど。そして、「同意とは、コミュニケーションによって得られるが、そこにはさらにネゴシエーションも当然含まれてくるはずだ」とおっしゃる。コミュニケーションとネゴシエーションがどういう関係かわからんけど、まあネゴシエーションって交渉ですよね。交渉にはもちろんコミュニケーションが必要、ぐらいか。これもいいっしょ。んで、まともなセックスには「ネゴシエーションと同意の確認の連続がなければならないはずだ」っておっしゃる。これもいいでしょう。まあ交渉したり、セックスをどう進めるのか相談したり、相手の反応を見たり、まあいろいろしながらセックスというのは進むのだと思いますし、そうあるべきでしょう。

牟田先生は、田村公江先生のちょっと変わった論文「性の商品化:性の自己決定とは」(金井淑子編『性/愛の哲学』、岩波書店、2009、収録)を参照しています。牟田先生によれば、田村先生が論じているのは、

性的行為するかどうかの最終決定権は女性が持つ・途中でやめることもできる権利もある・男性は自分の性的快感獲得よりも女性の性的快感獲得を優先すべきである、等の条件が満たされてはじめて、女性は性的行為において男性と対等になれる、と論じる。

ということです。実際に田村先生はこういう驚くべきことを論じているんですわ。田村先生の論文もおもしろいので引用しながら紹介してみたいのですが、もう疲れたのでやめます。

とにかく簡単に言えば、田村先生(そして牟田先生)にとって、なぜセックスの決定権が女性にあり、行為において女性の快感が優先されるかというと、女性は身体的にも精神的にも傷つきやすく、また男性(というかペニス)の協力なしには快感を獲得できないからです! びっくりしますね [1] … Continue reading そんなんだったらセックスなんかしなくていいのではないか。

上に続けて、牟田先生はこう書きます。

おそらく多くの人は、このような条件は非現実的と考えることだろうが、しかし問題は、これらの条件が守られそうにないこと以上に、「これまで、満たされないことがあまりにふつうであったため、あからさまな暴力や強制がない限り、うやむやにされても女性はその不平等性に気付かなかった」(田村 2009:191)ことにこそある。現在の私たちは、かつての性の抑圧から多少は解放され、性の自由らしきものを手に入れた。だからこそ、女性たちは、「対等」「自由」と信じて、普通のセックスのなかに厳然とある抑圧を見逃してきた。

つまり、田村先生や牟田先生は、ベッドの上での「対等な」関係は非現実的だ、ベッドの上では女性はいつも、みんな、選択権なし、リードされっぱなし、やられっぱなし、快感も得られません、みたいなもんんだって思ってるんですよ。信じられますか。そんな貧弱なセックスがいまの日本の男女なのですか。さらに牟田先生は、

性的行為にはネゴシエーションが必要、という考え方には、現在ではおそらくは女性を含めて多くの人が「面倒だ」「無理」と、疑問や反発を感じるだろう。

っていうわけです。これ、なんか根拠があるんでしょうか。相談しないでセックスしている人々はどれくらいいるんでしょうか。もちろんうまく交渉できない人もいるでしょうけど、ふつうはいろいろ交渉しながら楽しくセックスしてるんじゃないですか。みんな絶望的なセックスしてるんですか。人々の貧弱なセックスは男性中心的社会の構造とかの結果なんですか。

こうした「男にやさしく大事にしてもらわないと楽しいセックスはできないし、そもそもセックスさせてやってるのだからそういうことを要求できる権利が女性にはある」みたいな貧弱でなさけないセックス観のもとで生きるよりは、この論文集に収めれらている元橋先生が批判する「新自由主義的セクシュアリティ」、つまり、女性もがんばって魅力を磨き、自発的で男を喜ばせ自分も快楽その他を獲得しようとするするセックス、の方がずっといい気がしますが、どうですか。

私の好きなハキム先生っていう人は、交渉っていうのは性的な魅力や技術とともに、若いときから少しずつ修得していくものだ、って言ってます。大人の魅力的な女性にとって、それは男性にやさしくしてもらうんではなく、努力によって獲得するものです。

自分のエロティックキャピタル(性的魅力)を開拓するのに多少なりとも時間を費やしてきた女性は、次第に男性の扱いに自信を持ち、優しくも意地悪くもできるようになる。社交術はより磨かれ、多種多様な状況や人々に対応できるようになる。……性的な経験を積んだ女性たちは、男性に対する従順さが薄れ、積極性が増し、自己主張が強くなり、セックスにおいても人間関係においても「支配する」立場に慣れていく。その結果、男性優位主義の文化が強く残る社会でさえ、女性たちは自信を深め、男性と平等だという意識を持ち、従順さよりも自主性を重んじるようになる。(p.221)

ってことですわ。他の印象的なフレーズはここらへんで紹介しておきました。

新自由主義的セクシュアリティは女性のエンパワになるかもしれない。「性の商品化」こそエンパワかもしれないのです。新しい世代のフェミニストは、そこらへん批判的に検討してみてほしいですね。そしてなにより、現実の人々がどんなセックスしたり、いろんな面で支配したりされたりしているのかちゃんと観察してみてほしい。文献あさるのでもいいです。イデオロギーで決めつけるのだけはやめてほしい。

半端になったけど、こんな感じでこのシリーズはおしまい。

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References

References
1 まあ実は私数年前にこの田村先生の論文を3回生ぐらいに配ってちょっと議論してもらったことがあるのであれなんですけどね。ふつうの女子大生様の意見は「甘えすぎではないのか、女有利すぎないか」ぐらいでした。課題は「グループに分かれて、批判的を思いつくだけ考えよ」だったので、私の意見はあんまり反映されてないはず。

コメント

  1. ほっけ より:

    はっきりいって、「条件」について誤読されているとしか思えません。

    >つまり、田村先生や牟田先生は、ベッドの上での「対等な」関係は非現実的だ、ベッドの上では女性はいつも、みんな、選択権なし、リードされっぱなし、やられっぱなし、快感も得られません、みたいなもんんだって思ってるんですよ。

    「おそらく多くの人は、このような条件は非現実的と考えることだろう」という文章が指している「条件」とは、「女性は性的行為において男性と対等になれる」ではないのではないでしょうか?
    普通に読めば「性的行為するかどうかの最終決定権は女性が持つ・途中でやめることもできる権利もある・男性は自分の性的快感獲得よりも女性の性的快感獲得を優先すべきである、等の条件」を牟田氏が「非現実的と考えることだろう」と評しているのだと思いますが。

    >これ、なんか根拠があるんでしょうか。

    少なくとも……「異性から無理やりに性交された経験」をもつ女性は6~7%にも及び、レイプが女性にとって決して例外的・特殊な事態ではないことがわかる……という調査が紹介されていますよね。
    無理やりな性交でこの数字ということだけで、牟田氏のいうネゴシエーションをあきらめている数字はもっと大きいだろうと推測はできるとは思います。
    また、ご自身が注記で紹介している……ふつうの女子大生様の意見は「甘えすぎではないのか、女有利すぎないか」ぐらいでした……という観察は、まさに田村論文の受容について牟田氏が推測したとおりではないでしょうか?

    >みたいな貧弱でなさけないセックス観のもとで生きるより
    >女性もがんばって魅力を磨き、自発的で男を喜ばせ自分も快楽その他を獲得しようとするするセックス、の方がずっといい気がしますが、どうですか。

    後者で「男を喜ばせ」が入るのはなぜですか?
    できるだけ対等な関係で、たがいが最初から最後まで理解し合意できる範囲でセックスがおこなわれれば、それで良いのでは。
    その場合、特に快楽をおぼえる必要がない男の仕事としてセックスワークが想定されますよね。
    なぜ「性の商品化」でエンパワされる対象が女性だけだと考えるのでしょうか?

  2. 江口 より:

    上の方のご指摘・質問についてはよくわかりません。「条件」のところは私もそう読んでいたと思います。田村〜牟田先生の3つの条件は、男女がベットの上で対等な関係であるための(最低の)条件だと思います。それほど非現実的かなあ。

    女子大生が「有利すぎる」って言うのは、「そんなものを他の人々から保障してもらうとするなら有利すぎる」ぐらいの意味だと思って議論を聞いていました。

    最後の「男を喜ばせ」は「他人を喜ばせ」でOKです。セックスはお互い同意の上で楽しくしたらどうか、という意図です。「特に快感をおぼえる必要のない〜」以下はちょっと文意がとれませんでした。

  3. 江口 より:

    うまく答えられてるかどうかわかりませんが、ご意見ありがとうございます。

  4. ほっけ より:

    >田村〜牟田先生の3つの条件は、男女がベットの上で対等な関係であるための(最低の)条件だと思います。それほど非現実的かなあ。

    念のため、そこでの「(最低)の条件」とは、必要条件の意味ですよね?
    それで、現実的な条件と思うのでしたら、「こういう驚くべきこと」「びっくりしますね」という評価は何なのでしょうか。ごく当然の必要条件をわざわざもちだしたことに驚いたということでしょうか?
    だとしても、現実的な必要条件だと本当に思っていたのでしたら、なぜ「そんなんだったらセックスなんかしなくていいのではないか」と主張したのでしょうか? これでは、男女が対等になるようなセックスならしなくていいと、貴方が主張していたことになるのではありませんか。
    ところが文章を読んでいくと、そうしたセックスが非現実的だと多くの人が思うだろうと牟田氏がいった(※)ことに対して、貴方は「そんな貧弱なセックスがいまの日本の男女なのですか」と疑問視しています。

    ※引用された範囲を読む限り、「田村先生や牟田先生」が非現実的と考えているという要約は不正確ですね。

    >女子大生が「有利すぎる」って言うのは、「そんなものを他の人々から保障してもらうとするなら有利すぎる」ぐらいの意味だと思って議論を聞いていました。

    その説明に何か新しい情報があるのですか?
    現実的な必要条件ですら「有利すぎる」(※)と反応するのであれば、まさに牟田氏が書いた……おそらくは女性を含めて多くの人が「面倒だ」「無理」と、疑問や反発を感じるだろう……という推測の裏づけではありませんか?
    セックスの相手のみならず複数の第三者からも保障されるという考えは新情報かもしれませんが、容易に支配被支配の関係におちいりやすい男女の性的関係において、第三者がさまざまな保障をすることは、女性のみならず男性にとっても利益のありうることでは。

    ※まさか、疑問や反発ではなく賛意や賞賛の意図で「~~すぎる」と表現する若者言葉のニュアンスだったりしますか? でも「批判的を思いつくだけ考えよ」という課題だったのですよね?

    >「特に快感をおぼえる必要のない〜」以下はちょっと文意がとれませんでした。

    ちょっと難しかったかもしれませんが。「女性もがんばって魅力を磨き、自発的で男を喜ばせ自分も快楽その他を獲得しようとするするセックス」を男性の立場から女性に求めるのは、まさに新自由主義的なやりがい搾取に陥らないか?という問いかけです。
    たとえば“派遣もがんばって魅力を磨き、自発的で元請を喜ばせ自分も快楽その他を獲得しようとするするワーク”と書きかえればどうでしょう。専門的な技能や知見で自分を高く売りこめる権力者が喧伝する派遣と、買い叩かれる労働力として使いつぶされる多くの派遣……そこでの「自発的」は実際はせばめられた選択肢から選んだものにすぎないかもしれないし、そこで派遣側が仕事に快楽をおぼえるよう元請側が提案することの残酷さもわかるでしょう。

  5. 江口 より:

    三つある条件ですが、「最終決定権」とかが実際どっちがもってることが多いかよくしりませんし、途中でどっちかがやめたいってなったときにどうなってるのかもしりませんし、男性が自分の快楽より女性の快楽をいつも優先しているのかしりませんが、ふつうの(安定した)カップルはそんな一方的に男性がセックスするかしないか最終的に決めて、途中でやめるかやめないかも男性が決めて、男性が自分の快楽をもっぱら考えてる、なんてことがあるのかなあ、という話です。実際にそんなにベッドの上で男性が優位なら、女性はセックスなんかしなくていいと思います。やめましょう。

    第三者〜とか権利を保障とかですが、そんな権利を主張しなければならないようならセックスなんかしなくてもいいと思うし、みんなしたくないはずだと思います。

    「やりがい搾取」はやっぱりよくわかりません。セックスのやりがい搾取? したくなかったらしないでいいと思います。よいセックスできる相手えらびましょう、ぐらいのつもりですが、だめですか。

  6. ほっけ より:

    >ふつうの(安定した)カップルはそんな一方的に男性がセックスするかしないか最終的に決めて、途中でやめるかやめないかも男性が決めて、男性が自分の快楽をもっぱら考えてる、なんてことがあるのかなあ、という話です。

    まったくこれまでの問いの答えになっていません。

    >そんな権利を主張しなければならないようならセックスなんかしなくてもいいと思うし、みんなしたくないはずだと思います。

    現実的な必要条件と貴方は評価したのに、「そんな権利を主張しなければならないようなら」とは、どういうことでしょう?
    そして「みんなしたくないはずだと思います」というのなら、まさに「疑問や反発を感じるだろう」という牟田氏への同意ではありませんか?
    あと、「みんなしたくないはずだと思います」を根拠に持ちだすということは、逆に今後フェミニストが「~~はずだと思います」と語っても「イデオロギーで決めつけるのだけはやめてほしい」とは批判しないということでしょうか?

    そもそも、セックスなんて当事者間が対等に合意して、自分たちや周囲を傷つけないよう配慮できれば好きにすればいいのであって、そこで慎重に慎重を重ねる関係があってもおかしくはないでしょう。
    たとえ粘膜を接触しなくてもセックスはできます。男女関係に限っても、ほんとうに自由なセックスのかたちがあります。

    >セックスのやりがい搾取? したくなかったらしないでいいと思います。よいセックスできる相手えらびましょう、ぐらいのつもりですが、だめですか。

    前回のコメントは、立場が対等でなければそれだけ選ぶことは難しくなるという話をしたのです。
    そこで立場が弱いと思われる側(※)に選ぶことを呼びかけても意味はなく、まず立場を対等にするためにどうすればいいかを考えるべきなんじゃないでしょうか?という話です。

    ※もちろん、個別に見ていけば男の立場が弱い場合もあるでしょうが、ここで性の商品化がされるのが女性に偏っているという問題にもつながっていきます。

  7. 江口 より:

    こっちの話は、台湾の話より興味があるのでおつきあいしたいのですが、大量に書かれてしまうとよく読めないし、誤解がどんどん深まるので、ツイッタあたりでYES/NOで答えられるようにしてもらった方がたすかります。

    よくわかりませんが、セックスしている人の大半は、みんな田村先生や牟田先生が考えるより、もっと協力的に楽しくセックスしてるんじゃないですか、ということです。私はそう見てます。もちろん一時的あ関係や、関係の最初の方ではうまくいかないときもけっこうあるだろうと思うのですが、それっていろいろすりあわせてるんじゃないでしょうか。世の中の男性というのはそんなにベッドの上で優勢なんでしょうか? わざわざああいう条件を「権利」という形で主張しなければならないくらいに。そんなに世の男性は女性をくみしいて自分勝手なセックスそしているのですか? 単にがんばってるけど下手だとかじゃなくて。

    世の中の男女ってそうなってるんでしょうか。そしてそういう関係って、どういう関係なんだろう。なんでそんな奴とおつきあいしてるんだろう? そして、そんなに本気で不平等な関係にあるのなら、そうした「権利」を主張するのはわかりますが、それを認めさせようとしている人々をどういう根拠で説得しようとしているのだろう。

    「お互いのことを考えてセックスしましょう」ならなにも問題はないし、そりゃ当然だと思います。そして多くの人は実際にそうしてるんじゃないかしら。ちがいますか?

  8. ほっけ より:

    >ツイッタあたりでYES/NOで答えられるようにしてもらった方がたすかります。

    私はツイッターは見るだけで、まったく使っていないのでリプライでやりとりするかたちは難しいです。
    それでは、ひとつだけYES/NOで答えられるだろうかたちの問いかけをしておきます。

    >そして多くの人は実際にそうしてるんじゃないかしら。ちがいますか?

    このエントリで私が最初のコメントで指摘したように、牟田氏は根拠として内閣府男女共同参画局の調査をあげています。また、「「売春婦」差別のポリティクス」では先日の準強姦裁判の判決につらなる事例が列挙されています。
    そうした公的な調査や司法を根拠として出している牟田氏と、「私はそう見てます」という実感だけを根拠としている貴方を比べましょう。
    実感だけを根拠に想像することより、公的な調査や司法を根拠とすることが、「イデオロギーで決めつける」ことにあたると貴方は主張しますか? YESかNOで答えられますよね。

  9. 江口 より:

    一応ノーです。でも私もいろいろバイアスにひっかかっているので、なるべく注意したいとは思っています。

  10. ほっけ より:

    エントリとの関連は薄いツイッター上の話についてですが、コメント欄の表現を記憶していたので、ちょっとだけ意見をいわせてください。

    https://twitter.com/eguchi2018/status/1115813685929185280
    >ていうか、まあ「バイアス」が常に道徳的に悪いものであるなら、話は別だってことかな?

    「いろいろバイアスにひっかかっているので、なるべく注意したい」と江口さんもコメントされているのに、バイアスが一般的に悪いものだという合意すらとれないようなインターネットの状況に驚いています。

    https://kotobank.jp/word/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9-7199
    >先入観。偏見。また、物事の傾向の偏り。

    日本語の辞書では基本的に「先入観」や「偏見」といった説明があてられています。
    たとえば「だいたいジェンダーに限らず、偏見なんてない方がいいに決まってますから、そこはもう合意していいんじゃないかと思うんですよね。」と元の文章(https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5cab1d5be4b047edf95d101e)から改変して、それほど違和感がありますか? 反発を呼びおこしているのが不思議なくらい無難な一般論だと私は感じますが。

    もちろん、何が偏見なのかは個別具体的に論じるべきでしょうし、楠本氏もまさにそういう話をしていますよね。
    そして、「常に道徳的に悪い」(※)ではないからこそ、悪≒バイアスを表現する必然性を作者が提示できるのならそれでいいという話を楠本氏はしているのだというのが素直な解釈だと思います。

    ※ところで、バイアスという言葉の語義にひっかかるのに、ここで「道徳的」という表現を用いるのがよくわかりません。

    https://twitter.com/eguchi2018/status/1115822559990374403
    >「不作為なジェンダーバイアス」っていう表現もちょっとわかりにくい。「意識していないバイアス」かなあ。でもこうなってくると「バイアス」というのの意味がそもそもどうなのか。
    https://twitter.com/eguchi2018/status/1115823452982738944
    >バイアスとかっていうのは認知や考え方なので、「バイアスする」とかっていう表現はおかしいというか。「積極的にバイアスする」とかいかにもおかしい。

    これは単純に、インタビューの続きを読めば発言の意図は理解できると思います。
    「少女漫画が、ただ不作為にジェンダーバイアスを容認するのをやめて」という部分がありますよね。
    既存のジェンダーバイアスを創作において特に意味もなくなぞること……つまり作家自身のバイアスというより、社会のバイアスを否定しないことを不作為と表現しているのではないでしょうか?
    この解釈であれば、作家自身が意図をもって描くことが作為にあたります。たぶん楠本氏は作為的にバイアスを描くならば、それはそれで創作の態度として認めるだろうと思うのですよね。

    あと、楠本氏は表現物の話をしているので、バイアスを不作為にとりこんだ漫画そのものもバイアスと呼べるわけですね。だから「不作為なジェンダーバイアス」という表現になったのではないかと、インタビューを読んで感じました。
    ただ、そもそも話し言葉を再構成している以上、インタビューの細部の表現を厳密に解釈することには限界があるとも思います。

  11. 江口 より:

    wordpressのコメントのモデレーションの設定よくわからないのですが、ほっけ先生のやつはどういう条件かわかりませんが「モデレートしてください」になってしまいます。

    今回は承認しますが、ブログ本体とあまり関係ないの書くのは勘弁してください。同様のものは次は承認しないかもしれません。

    こういうの見通し悪いし、できたらツイッタのことはツイッタで話しかけてください。

  12. ほっけ より:

    >ブログ本体とあまり関係ないの書くのは勘弁してください。同様のものは次は承認しないかもしれません。

    了解しました。
    こちらのコメント欄に書きこむのではなく、ブログなどでまとめるようにします。
    あと、牟田氏の科研費報告書についても、ご感想の疑問点をまとめたエントリをできるだけ早くアップロードするよう努力します。

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