「シティポップ」の名曲、というか典型曲である「プラスティック・ラヴ」は私も大好きで、最近少なくとも数十回は聞きました。へたすると100回に近いかも。今回は歌詞について聞くたびに私が考えてること。まあごく普通の解釈だと思うので書くまでもないんですが。
突然のキスや熱いまなざしで
恋のプログラムを狂わせないでね
出逢いと別れ上手に打ち込んで
時間がくれば終る don’t hurry!
「突然のキス」は、いきなりチューしてくる男がいるわけでしょうが、これが一回目のチューなのかそうじゃないのか、というのは判断が分かれるところでしょうね。「いきなりチュー」は少女マンガとかでは出てくるけど、おそらくけっこう難しいんじゃないかと思う。親しくない人に突然チューしたら性的暴行です。
しかし、まあすでにあるていど深い関係になってしまっていれば許されることがあるかもしれませんね。ここは議論があるところですが、哲学者のハルワニ先生は、安定した関係ならば相手の身体にあるていど勝手に接触したりするのは許されるし場合によっては期待もされている、みたいなことを言っていて、そこらへんが常識的な線でしょうか。
この出だしの歌詞のおもしろいところは、この二人がすでにある程度身体的/性的に親密な関係にはなっているものの、突然のチューは許しません、というそういう態度をとっているところですね。
「熱いまなざし」も関係する前の熱いまなざしではなく、すでに関係してしまって数回デートしているときの熱いまなざしである、思ったより関係が深くなりそうである、というところがポイントですねえ。
「恋のプログラム」は恋のコンピュータプログラムなのか恋の式次第なのかよくわかんけど、この時期1984年は「パソコン」が話題になってたんで一応コンピュータの方っすかね。次に「上手に打ち込む」があるし。この女子はコンピュータプログラマなのかもしれない。すくなくともキーボードは得意。でもまだワープロももってない人も多かった時代なんですわ(大学生の私ももってなかった)。だからキーボード叩ける人はそこそこ高学歴ですわね。知的な女子であることをアピールしている。
時間が来れば終る、も恋が終るのであり業務が終るのである。元OLさんとかですね。(今なにをしているのか……昼の仕事はやめてるっぽいのでねえ)
愛に傷ついたあの日からずっと
昼と夜が逆の暮らしを続けて
はやりのdiscoで踊り明かすうちに
おぼえた魔術なのよ I’m sorry
しばらく前に男に捨てられて、昼寝て夜活動するよくない生活パターンにはまっています。 昼の仕事はやめたのか、夜の仕事しているのか。とりあえず「ディスコ」で遊んでいます。 おぼえた「魔術」がどんな魔術なのかというのも問題ですが、男を魅了する魔術ですかね。 女子はだまっててもモテるから、魔術ってほどじゃないけど(「軽そう」に見えるならなおさら)、それを魔術だって言うところがまあメンヘラな感じが爆発してますね。
私のことを決して本気で愛さないで
恋なんてただのゲーム
楽しめばそれでいいの
閉ざした心を飾る
派手なドレスも靴も
孤独な友だち
ここまできて、冒頭の「突然のキス」や「熱いまなざし」は、男が本気になりそうになっているサインである、と主人公は考えているわけです。これもメンヘラ的でいいですね。「恋なんてただのゲーム」もつよがりすぎる。(マイ・ラグジュアリー・ナイトの引用でもありますね。これ来生先生なのかー)
「閉ざした心」もなんか違和感があって、心閉ざしているひとはそうは言わないし、独白にしても「私は心を閉ざしているので」とかは考えないものだと思います。まあこういうギクシャクしている実感がこもってない人工的な感じがシティポップだと思う。
「派手なドレス」はまあ当時1984年、ドレスっていうかボディコンシャス(つまり胸や腰やお尻や足に注目させる服装)のパツパツのミニスカワンピースとか流行していて、木屋町周辺でさえすごいものでした。私は関係なかったのよねえ……
私を誘う人は皮肉なものね
いつも彼に似てるわ
なぜか思い出と重なり合う
グラスを落として急に涙ぐんでも
わけは尋ねないでね
「皮肉なものね」がどう皮肉なのかというのがむずかしいですね。これはアイロニーという概念にかかわる。この場合は、捨てた彼を忘れたいのに彼を思い出させるような男ばっかり集客してしまう、という皮肉ですね。言葉の皮肉じゃなくて、状況的アイロニーってやつですかね。こういう「皮肉」のいろんな用法はたいへん興味深いものですので、詳しくは『「皮肉」と「嫌み」の心理学』を読みましょう。
元彼とよく聞いたなつかしい曲がディスコでかかると、いきなりグラス落としちゃったりして演技性XXXXX……メンヘラです。
夜更けの高速で眠りにつくころ
ハロゲンライトだけ妖しく輝く
氷のように冷たい女だと
ささやく声がしても don’t worry!
オレンジ色「ハロゲンライト」は昔は高速道路やトンネルでよく使われてましたが、最近はあんまり見なくなりましたね。あのオレンジ色もものすごく人工的で、高速道路とか乗らないとあんまり見ることがない。「都会」の夜を感じさせる色でもあるといえるかなあ。シティポップといえば、シティであるだけなく夜!夜じゃないとシティじゃない!田舎には活動する夜がないですが、都会はこの主人公たちのように夜こそ活動している人々がいる。しかしこの主人公は高速で寝られるほど遠くに住んでるんですね。埼玉県とか千葉県とかそういう感じですか。
まあとりあえず夜車で寝てても怒ったりやばいところに連れこんだりしない相手でよかったっすね。
Im’ just playing games
I know that’s plastic love
Dance to the plastic beat
Another morning comes
最後いきなり英語になってるのもシティポップですね。英語ぐらいできないとシティな人種じゃない。Don’t hurry! Don’t worry! I’m sorryぐらいは話せないと都会的な女性とは言えません。プラスティックラブ=ガラスほどの硬さもない、みせかけの、傷つきやすいラブなんでしょうな。プラスチックビートの方はよくわからんけど、これは語呂で決めましたかね。この曲のビートは本物だし。
英語としてはまあ前半はいいけど、後半はdance to the plastic beatって命令形になってるからちょっと微妙かなあ。よくわからないけど、Dance to the plastic beat and another morning comes、だとましかな。till another morning comesにすると前はどうしたらいいものか。
全体として、おそらく都市であるだけでなく、夜(夜遊び)、 人工的・人為的なつくりもの 、(まぶしい/あやしげな) 光 、 高速道路 、そして メンヘラ女子 と セックス がシティポップの歌詞の中心にあると思うんですが、どうでしょうか。 演技性 や ナルシシズム (「おぼえた魔術」)とかもポイントかもしれない。
ちなみに、実は私がこの曲の魅力に気づいたのは、藤井風先生の弾き語りがきっかけでした……同時に藤井先生がとんでもない人だということにも気づいた。最後のハートマークもすばらしい。勝てない。完敗。
- メンヘラソングとしての「プラスティック・ラヴ」
- メンヘラソングとしての「真夜中のドア」
- メンヘラソングとしての「都会」
- スージー鈴木先生のシティポップの特徴づけ
- 隠れシティポップ:古家杏子「晴海埠頭」
- マスターワークとしてのプラスティック・ラヴ(音楽的構造の側面)
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