堀田義太郎先生の「女性専用車両は「男性に対する不当な差別」「男性蔑視」なのか? そうではないと言える理由」を読んで、ちょっと気になるところがあったのでメモしておきます。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/97683
女性専用車両はたしかに差別だが、不当とまではいえない、つまり正当化可能な、許容すべき差別である
「女性専用車両は男性差別ではないか」といった疑問を見聞きすることがあります。…… しかし、それは本当に「不当な差別」だと言えるのでしょうか。
そして次のように終る。
女性専用車両は、男性の乗車機会を部分的に制約する点で形式的には差別だが、その意図と目的の妥当性、つまりそれが防止しようとする不利益の大きさとニーズの適理性、そして手段の穏当さによって正当化されます。つまり、それは男性に対する不当な差別ではありません。
冒頭の問いは「男性差別ではないか」に対して、「 形式的には 男性に対する差別 である がそれは差別であっても 不当ではない 」と答えているわけですね。
この文章が読みにくいと私に感じられたのは、この「(形式的な)差別はすべて不当なものではなく、一部には正当化されるべき差別がある」っていう堀田先生の立場を最終節まで明示してくれてないからです。
また「形式的には差別である」と対になるのは、ふつうは「実質的には差別ではない」とかになるでしょうが(形式的/実質的、という対比)、「形式的に(形式的な)差別」と「不当な差別」がうまい対比になってないからですね。形式的に差別である制度や行為の大半が不当な差別でしょうし、不当な差別の大半が形式的にも差別になっているはずです。堀田先生は冒頭から、差別といっても正当なものと不当なものがある、と素直に認めてしまうべきだったと思います。
単に、変更が困難な特徴に基づく不平等な不利益扱いだというだけでは、その方針や行為は不当な差別にはなりません
できればここは、「単に、変更が困難な特徴に基づく不平等な不利益扱いであり形式的に差別だというだけでは、その形式的に差別的な方針や行為は不当であるとはいえない」と表現してほしかった。私しばらくかなり混乱してました。しかしとにかく堀田先生の立場はその次の文章にはっきりあらわれています。
形式的には差別であっても、妥当な目的……とそのための手段が釣り合っている場合、正当化され得る
これ自体は私は賛成ですね。賛成する人は他にも多いと思う。そして、痴漢被害から女性を保護するという目的が妥当であるということもほとんどの人が認めると思う。女性専用車両の問題は、そのための手段が、痴漢被害からの保護という 目的に釣り合っているか という問題ですね。
電車痴漢被害が全国で1日63件、みたいなのはいかにも過少に見えますね。どれくらい暗数ありますかね。ざっとネット見た感じでは暗数の推定さえ公式のはないみたいで、なんだかなあって感じですね
堀田先生が参照している https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/wetoo-zerohara-chosa ではもっとおもしろいデータがあり、この調査だと関東圏では15〜19才女性の22.9%、20代女性の16.8%が1年以内に電車内で痴漢にあってるようで、5〜6人に1人が被害者ということになり、これはとても大きな数字だと思います。これくらい被害が多いと女性専用車両ぐらいしょうがないというのはよくわかります。すでに女性専用車両があってもこの数字なわけですから、なかったらどれだけ大きな数字になるのか、という話。
また、男性の多くは「痴漢」というと、服の上からお尻なでられるぐらいを想像すると思うんですが(私はそうです)、堀田先生が紹介しているように、実際にはパンツのなかまで手を入れられたり体液かけられたりするわけで、そういう実態を男性の多くは知らないわけですよね。そもそも他人に体を性的に触られるということの不快感とかは男性にはわかりにくいところがあるのは認めます。だからまあ被害の大きさを考えれば女性専用車両はやむをえないと思う人は男性でも少なくないだろうし、だから実際みんな協力しているわけですよね。
だから、堀田先生の主張である「女性専用車両は不当な差別ではない」、あるいは女性専用車両は形式的にはたしかに差別だが、ひどく不当とまではいえない、正当化可能な差別である、という論旨に私は異論がないです。多くの人が異論がないと思う。
私が感じている問題はそこからです。
堀田先生の議論は、男性に対する実質的な差別を無視していないか
「女性専用車両は男性に対する不当な差別だ」という主張には、さらに検討すべき要素があります。それは、「潜在的な犯罪者と見なされることで、男性として心理的な苦痛を感じる」とか「男性蔑視だ」といった言い方についてです。
こっから先ですね。ちょっと細かく見ないとうまく説明できないのでそうします。
女性専用車両は、「全ての男性は潜在的な痴漢である」という想定や判断に基づいてはいません。…… その前提は、男性の中に加害者がいるかもしれないが、誰が加害者かは分からない、という状況です。つまり女性専用車両の前提となる想定は、男性客の中に痴漢加害者が存在する可能性であり、男性客の全員が痴漢をする可能性ではありません。
私はこの分析はおかしいと思う。そもそも「男性の中に加害者がいるかもしれないが」の「加害者」はすでに犯罪行為をおこなった人ではなく、 潜在的な 加害者のはずです。だから「男性のなかに潜在的な加害者がいるかもしれないが、誰が潜在的な加害者かわからないので男性をぜんぶ潜在的な加害者あつかいしているわけです。
堀田先生のこの文章の非常に顕著な特徴は、犯罪プロファイリングにほとんど問題を意識していないところです。前の方ではサッカー場のフーリガンを例にあげて、フーリガンっぽい若者たちを監視したりすることには問題がないといったことを述べていると思います。そして「こうしたプロファイリングに基づく警察の職務質問やボディチェックは、対象となる集団全員が潜在的犯罪者であるというメッセージを伴う」ことを認めている。ところが堀田先生はこう言います。
しかし第一に、女性専用車両は、個々人を捜査対象にするのではなく、安全性へのニーズに応じた空間の分離です。この点で、女性専用車両は、公共のトイレや更衣室の分離に近いでしょう。これらの目的の一つに、男性による女性に対する性加害防止が含まれるという点でも共通性があります。
トイレや更衣室を分離する目的(の一つ)が性加害防止である、という理解には私はすぐには納得できません。それは単に慣習であり、また異性がいるとトイレや着替えしにくいとか恥ずかしいとか気になるとかそういう事情ではないのかと思います。もちろん、男女別をやめるとなんらかのタイプの性犯罪(たとえば盗撮カメラ設置)が増えるということはありえるかもしれません。でもいきなり痴漢が増えたりするかどうか……たとえば混浴の温泉とかありましたが、そういうところで性犯罪が多発していたとかそういうのはありませんよね。北欧ではサウナやトイレが男女共用のところ多いと思いますが、 そのために 性犯罪が多いという分析は見たことないです(北欧は性犯罪が多いと言われているので可能性としてはありえるとは思いますが、そうじゃないと思う)。
それは別にして、安全・性加害防止のためにすべての男性を潜在的な加害者扱いしているという論点はなにも回避されていません。男性は潜在的性犯罪者だというメッセージを十分に発していると思います。
仮にプロファイリングに基づく警察の捜査等と同じメッセージを伴うとして、そもそもプロファイリングに基づく警察の行為自体が、目的の重大さ(予防すべき被害の大きさ等)と入手可能な情報の取り扱いの適切さに基づいて、正当化され得ます
これも(私自身は認めますが)非常に危険な発想だと言われてもしょうがない考え方だと思うのです。そうした「プロファイリング」はいろんな属性を使えるもののはずなので、かなり(形式的にも実質的にも)差別的なものになりえると思います。一部は偏見と呼ばれているものに近づくはずです(BLMはそうした問題だと理解しています)。堀田先生の専用車両は犯罪者プロファイリングよりはずっと問題が少ないという主張に私は同意しますが、それは犯罪者プロファイリングに問題がないからではないです。
堀田先生は、(おそらくアメリカやヨーロッパでの)黒人やアラブ系などのマイノリティに対するプロファイリング捜査・監視・予防などは問題だが、「男性」はマイノリティでないので問題がないと言うわけですが、それでは、痴漢の多くは立派な(?)まじめそうなサラリーマンだという情報から、立派なまじめそうなサラリーマン男性を特定して監視してみてはどうでしょうか。それでも立派なまじめそうなサラリーマン男性はマイノリティではなく、むしろマジョリティあるいは強者であるのだから問題がない、とそう言うつもりがあるのかどうか。
堀田先生が男性に不利益を与えても問題がないと考えるのは、女性の被害が大きいからだけでなく、一部の「マジョリティ」男性の不利益はそもそも考慮する必要がない、という差別的な発想がはいってないかと不安になります。「立派なサラリーマン風」とは別の属性だったらどうでしょうか。たとえば体重の多い男性や、身長の低い男性が非常に痴漢になりやすいというデータがあったらどうするのですか。あるいはその逆だったらどうでしょう。あるいは、大学や中高の教員が痴漢しやすいというデータがあった場合、それを受け入れますか?
続きます。
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