国連女性機関が『月曜日のたわわ』全面広告に抗議。「外の世界からの目を意識して」と日本事務所長 https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6257a5d0e4b0e97a351aa6f7
と、「たわわ広告」については国連女性機関(UN Woman)が日経に抗議文を送ったという記事があり、日本支部長がインタビューに応じてるようです。
広告に関してUN Womanはアンステレオタイプアライアンスというプロジェクトを立ちあげていて、日経新聞もその日本支部のメンバーなんですね。どういうプロジェクトなんだろうと見てみると、日本語サイトではよくわからないところもあるのですが、とりあえずこういう感じらしいです。
https://www.unstereotypealliance.org/en/about
About the Unstereotype Alliance
Recognising the power of partnerships to accelerate progress, this industry-led initiative convened by UN Women unites advertising industry leaders, decision-makers and creatives to end harmful stereotypes in advertising.
The Unstereotype Alliance has been embraced by businesses and organisations championing the end of bias in advertising. The Unstereotype Alliance works to affect positive cultural change by using the power of advertising to help shape perceptions. Our members collaborate to help create a world without stereotypes, empowering people in all their diversity, whether that be related to gender, race, class, age, ability, ethnicity, religion, sexuality, language or education.
まあステレオタイプ広告があふれすぎてるから、人々の文化や認識をポジティブな方向に変えるために多様な人々を広告に登場させましょう、みたいな感じですか。マイノリティやステレオタイプからはずれた人々をもっと可視化し、多様性を拡張するっていうのはとてもよいことですね。
綱領として大事なのはまずこれ。
Code of principles
As Members of the Unstereotype Alliance, to realise our common vision, we commit to create unstereotyped branded content by:
Depicting people as empowered actors
Refraining from objectifying people
Portraying progressive and multi-dimensional personalities
「人物を権限をもった自発的行為者として描く」っていうのは、マイノリティも弱者も問題をかかえた人々も、それぞれ自発性をもち自主的に行動しているということをちゃんと描きましょう、ってことですね。
「人々をモノ化することを避ける」。人間というのはやはり自発的行為者であり、多様性をもった存在であるので、それをモノみたいに、一面的なもの、画一的なもの、たんなる置物みたいに描くのをやめましょう。
そして「前進的で多次元的なパーソナリティを描く」。それぞれの人は成長する複雑なパーソナリティをもっているので、ステレオタイプ的な描き方をするのはやめましょう、と。まあ一つの属性が他の属性と完全に相関してるわけじゃないですよ、いろんなパラメータがありますよ、ってことだと思うんだけど、大衆的作品では多様性のためにあらゆるパラメータの組み合わせが試みられていると思う。セクシーな服を着てたら中身も大胆というわけではなく、実は臆病とか、地味な服着てるけど裏ではあれとか、スケベそうに見える大学教員が実はごくまじめだとか、まあそういうふうに人間というのはもっと多面的もので、こういう見かけ/こういう属性だからこうにちがいない、みたいにして、ある一面から他の面を推測してはいかん、広告とかそういう思い込みを利用するのは避けましょう、ということですね。
まあ文句ないですね。そうした広告が増えていけば、我々の他の人々に対する認識も変わっていくだろうし、リベラルや進歩的だと自認する企業やメディアがこういうのに賛同するのはよいことだと思います。
ただこれはやはり努力目標、理想で、こればっかりやりましょう、こういうのはステレオタイプ的で悪い広告だから許せません、みたいなものではないはずです。社会改革は少しずつやらねばならない。何度も強調しているように、まったくステレオタイプ的な表現を避けるというのはまたく不可能に思えます。そうじゃなくて、いろいろ多様な広告を作っていればステレオタイプ的な思考も下火になっていくだろう、ということだと思います。ステレオタイプ的な表現を減らすというよりは、反ステレオタイプ的な表現を増やし、ステレオタイプ的な思考の害悪を減らすのが目標のはずです。もっとも、他の二つはともかくとして、人間を(性的に、あるいは非性的に)「モノ化」した広告は積極的に避けるべきだ、というのはわかります。
問題の「たわわ広告」に関して、こうした綱領に反するものだと考える理由はあんまりよくわかりません。何度も言うようにこういうのは広告に関してのもので、その広告の製品に対するものではない。
もっとも、萌え絵・アニメ絵その他のイラストって難しいんですよね。実在する人物というのは、それが俳優が演じた人物であれ実在の人物であれ、人物には必ず背景があり、どの人も多元的な人格をもっている。映しだされた一枚の写真は単にその人を描いているだけではなく、その人の成長の歴史みたいなのものを背景にもっている。仮に俳優が演じた人物であっても、その俳優の人生なりパーソナリティーというものが現実の人間を映し出した表現には反映されるものです。写真には映し出されてはいないにしても、普通に描けば、その俳優なりモデルなり素人さんなりが、多元的な中身や細部をもった人物であることは自然にわかるわけです。
一方、イラストや絵のようなものは、ある意味で作家の作りだした「モノ」にすぎず、作品で語られた理想化された外面しかもっていない。むしろそれが作家によって新たに描写されるまで、内面やら人格やらというものは存在しないわけです。そうした意味で、イラストなどに登場する人物は多元的な人格をもったものではなく、作家や消費者が望むようなものでしかない。そういう点が、アニメやイラストを使った広告が非難され炎上しやすい理由なのかな、みたいなのは思います。
だいたい今回書きたいことは書いた気はしますが、もう1記事ぐらい書くかもしれません。
- 『月曜日のたわわ』広告問題(1) 見たくないものを見ない権利/ジェンダー平等を語る偽善
- 『月曜日のたわわ』広告問題(2) 性的虐待?
- 『月曜日のたわわ』広告問題(3) イギリス広告基準協会のガイドライン
- 『月曜日のたわわ』広告問題(4) どこが有害なステレオタイプか
- 『月曜日のたわわ』広告問題(5) 製品と広告
- 『月曜日のたわわ』広告問題(6) 児童を性的な文脈で使うことは許されません
- 『月曜日のたわわ』広告問題(7) モノ化・セクシー化も許されません
- 『月曜日のたわわ』広告問題(8) アンステレオタイプアライアンス(反ステレオタイプ同盟)と多元的なパーソナリティ
- 『月曜日のたわわ』広告問題(9) ふたたび広告と製品、そして多様な表現文化
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