二つ目に気になったのが、第5章の例のアスカの「あんたバカぁ?」と言語行為の話のところですね。
ここは本書のキモに近い部分で、入門書でありながらかなりのオリジナリティを含んでいるところだとも思います。
和泉先生のよれば、エヴァンゲリオンのアスカのシンジに対する「あんたバカぁ?」のような罵り、罵倒は、単なる疑問文ではなく、感情や態度の表出であると同時に、人間関係のランクを操作しようとする言語行為でもある、ということになります。言語行為って20世紀のオースティンやサール(そしてデリダ)とかっていう哲学者の名前とともに流行したアレですね。私は言葉を発する(発語行為)ことによっていろんな行為をしています、と。言葉を発すること(発語行為)によって同時になにかをしたことになるのが発語内行為(たとえば懇願、宣言、謝罪など)であり、言葉を発することによって(うまくいけば)結果としてなにかをすることになるのが発語媒介行為(たとえば説得)、と分類されます。
たしかにアスカは「あんたバカぁ?」とシンジに向かって発語することでいろんなことをしているかもしれない。和泉先生は、アスカはこの発語によって、心の状態を表現し、罵倒し、ランクを操作しているのだ、と言っています。問題は最後の「ランクを操作している」なんですわ。
「罵りの中心的機能は、誰かを自らより低く位置づける、ランクづけにある」のであり、一般的に悪口を言うことそのものが「ランクづけるという発語内行為あるいは発語媒介行為」として理解できるというわけです。
この手の議論は実は私は前に苦しんでいるんですよね。レイ・ラングトン[1]ラングトン先生の名前はやはり注・参考文献にあがっていました。 やその流派のフェミンスト哲学者の先生たちが言語行為論やもっと広く言語哲学を使ってポルノの不正さを暴きたてようとする議論にこのタイプの論法が出てくるんですわ。たとえば「ポルノは女性を格下げ(degrade)するから不正なのである!」みたいになる。しかしこれはわかりにくい。そのわかりにくい議論を、和泉先生がわかりやすくしてくれるかもしれない、と期待しているのです。
しかし、和泉先生は発語内行為か発語媒介行為か理論的に議論しない(できない)っていうんです。これはちょっと私は奇妙な話だと思う。それでは「ランクづける」っていうことがどういうことなのか理解できない。
たしかに人間のあいだには、いろんなランクや権力関係があると思います。その力関係は非常にいりくんでいて、たいていの場合は片方が圧倒的に片方より上位である、とかそういうふうにはなってないと思う。会社の上司・部下、教授と学生、親と子、妻と夫、そして友人関係、それぞれどちらが「上」か言えるが、具体的に考えてみたらいいと思う。だから「罵倒が人をランクづけする」とかっていおうとするなら、それが二人、あるいはそれ以上の人間関係で、なんのランクをどう位置づけるのか、ちゃんと説明する必要があると思う。
「あんたバカぁ?」がそのまんまランクを変更する
「あんたバカぁ?」はそのまんま発語内行為として侮辱や侮蔑であり、侮辱や侮蔑はその相手のランクを下げる、あるいは相手を低く見ることである、というのはありそうですが、その場合に下るランク、あるいは低いランクはあくまでアスカの頭のなかの、主観的なランクですよね。頭のなかで他人を低く見たり高くみたりして、 なにが悪い のだろう? シンジくんをバカだと思ったのだったらバカだとして扱わなけばならないのだからそれでいいのではないか……少なくともエヴァンゲリオン搭乗パイロットとして、どっちが指揮権・決定権をもつかを決めておかねばならないときはあるだろうし、またお互いの能力を見積っておくことも必要だろう……
「あんたバカぁ?」の結果として社会的なランクが変化する
まあまじめな話、言葉によって相手を恫喝したり強迫したり依頼して説得したりすることは日常ではよくある話で、大声出したり馬鹿にしたりするのは下品なだけでなく暴力的な威圧で望ましくないし非難されるべき時も多いと思うけど、依頼や懇願は悪いことではない。タイミングによってはどやしつけたり叱りつけたりしてなにかをしなけれならないときもあるでしょう。それがランク争いに通じることもあるかもしれない。
アスカは日本に転校生として来たばっかりなので、いじめられたりしないようにその後もまわりの生徒を支配する必要があったかもしれず、それなりに強い態度に出たりすることもあるでしょう。「あんたバカぁ?」みたいな乱暴な言葉を使いつづけていたら、(特別な魅力や必要性がなければ)アスカはまわりの人々から嫌われることになるかもしれない。そうしたランク争いは私たちの生活のなかでは必要不可欠でさえある。
実際の人間社会のランク争いというのはずっと続けられるもので、簡単には固定しないように思います。安定するまで、そのあともずっとランクを争いつづけるわけですよね。おたがいに皮肉を言いあったりあてこすりをしたりしつつ、力関係を調整するわけですよね。悪口や陰口はそうしたランク争いの主要な武器ですわね。暴力をつかうより言葉をつかってそういして支配権を争うのが私たちだ。なぜそうした悪口が、それ自体として常に悪い、あるいはたいてい悪い、なんてことがあるだろうか。
まあアスカの「あんたバカぁ?」みたいなのを「 (道徳的に) 悪い 」と言うためには、それを悪いものにするルールとか、あるいはそれがもたららす悪い帰結とか、そういうのをもっと総合的に考えないとならんわけですよね。だから前のエントリで書いたように、「悪口が悪い」ってどういう意味ですか、っていうのが問題になるわけです。
あと、罵倒ってのは直接相手の目の前で罵倒するわけだけど、アスカがケンスケくんあたりと「シンジってバッカじゃないの?」とか悪口言ったとき、これシンジくんのランク下がってますか?もしケンスケくんにしゃべるとシンジくんのランクが下がるとして、冬月さんに「バカシンジってバカじゃないの?」って悪口を言ったらシンジが下がったりアスカが上がったりしますか?
(っていうか、そもそもランクが下がるっていうのが、実際に社会のなかでのランクが下がるのか、その発言によってランクが下がってるように描いているだけなのかわからんのだ、という指摘があり、その通りだと思いますね。これを指摘している人はそのうちブログでも書いてくれるでしょう。)
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References
↑1 | ラングトン先生の名前はやはり注・参考文献にあがっていました。 |
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