なんか、ある学者先生が「セレブバイト」っていうすごい言葉を開発したのに対応して、どういうわけかその先生が言及していない「トロフィーワイフ」っていう言葉がバズってたみたいです1。「セレブバイト」もたいへんやばい感じですが、「トロフィーワイフ」も学者先生たちが使うにはどうなんだろう、という意味合いがあるんじゃないかと思っているので、私もしばらく観察していました。
トロフィーワイフっていう言葉はそんな古いものではないようですね。1970年代から、よく使われるようになったのは1980年代からかもしれません。
Wikipedia (en)だと”A trophy wife is a wife who is regarded as a status symbol for the husband. The term is often used in a derogatory or disparaging way, implying that the wife in question has little personal merit besides her physical attractiveness, requires substantial expense for maintaining her appearance, is often unintelligent or unsophisticated, does very little of substance beyond remaining attractive, and is in some ways synonymous with the term gold digger. A trophy wife is typically relatively young and attractive, and may be a second, third or later wife of an older, wealthier man.”
多くの場合は侮蔑的・軽蔑的な意味で使われていて、ワイフの方は、容姿以外にはなにも個人としての実績がないとか、美貌を維持するためにとてもお金がかかるとか、知的でないとか洗練されてないとか、美貌を保つ以外のまともなことはほとんどしないとか、金めあてだとかということも含意されているそうです。
Collinsだと(informal, derogatory)の注意つきで “an attractive woman regarded as a symbol of the wealth or success of her spouse”。
Cambridgeだと(disapproving)で “a young, attractive woman who is the wife of a rich and successful older person and acts as a symbol of the person’s social position”
OEDだと trophy wife: a wife regarded as a status symbol for a (usually older) manと控え目な定義。
まあでもだいたいは、年の離れた金持ちと結婚した若くて(身体的に)魅力的な女性、ぐらいの意味が共通了解だと思いますね。言葉の意味や含意というのはなかなか難しいものですが、だいたいの共通理解みたいなのから離れた意味で使う場合はあるていど自分で定義しとくのが、論文でもネットでも推奨される手法だと思います。
この「トロフィーワイフ」という言葉が生まれたのは20世紀後半としても、成功した年寄り男性が若い女性を妻(後妻)に迎える、というのは相当昔からあると思われていて、英語版wikipediaでも1550年ぐらいのクラナッハの絵とか使ってますね。
ルックスか性格かその両方が悪くてモテそうにないけど金はもってる年寄りと、若い美人の歳の離れた(あんまり愛のなさそな)結びつき、っていうのはフィクションではかなり人気のあるテーマで、いろんなの思いうかびますよね。私が知ってるフィクションだと2、チェーホフの『ワーニャ叔父さん』のおじいさん教授と若い後妻。『ティファニーで朝食を』のオードリヘップバーンの(元)夫(この人はお金があるとはいえないけど一文なしのオードリーさんと比べると相対的に金がある)。フレッド・アステア/ジンジャー・ロジャーズコンビの『コンチネンタル』(Gay Divorce)での地理学者とジンジャーさん。『コットンクラブ』のギャングのボスとその愛人のダイアン・レインさん(これは愛人か)。だいたい女性たちはあとで「真の愛」みたいなのに目覚めて乗り換えるってことになってますね3。
実在の人物だと、豊臣秀吉さんと茶々さん(浅井菊子さん)もかな?作曲家のグスタフ・マーラーとアルマ・シンドラーさんもそうかもしれない4。
私が興味をもったのは、この言葉が基本的には評価的なもので、特にカップルに対して侮蔑的なものだ(あるいは少なくとも揶揄的だ)、ということがどれくらい理解されてバズったのか、ということですね。しかしその前に、なぜこの言葉は侮蔑的/揶揄的な含意をもつのだろう?どういうふうに侮蔑的なのだろう?
あんまり根拠出すことはできないけど、いくつか理由があるように思います。
一つは、我々が歳の差のある結婚はあんまり適切でないと思っていること。結婚はだいたい数歳違いぐらいでやるべきで、 歳の差があるのはみっともない 。
なんで歳の差のある結婚をするかというと、もちろん若い女性の方が男性にとっては性的に魅力的だから。だからそういう結婚をする人は、 精神的な結びつきというよりは性欲とかセックスの快楽とかを求めているはずだ 、いい歳してみっともない5。
そもそも歳とって醜い男が若くてきれいな女と結婚するのが許せん。あるいは単なるなりあがり、成金が金の力で美人と結婚するのはふさわしくない。とこうなってくると、「トロフィーワイフをもらった」ことになっている男性というのは、その女性には「ふさわしくない」という人々の判断 があるわけですよね。星野源さんというとても優秀なミュージシャンが、新垣結衣さんと結婚してもトロフィーワイフとはいわれない。星野さんは稼ぎだけでなく、充分な性的魅力や才能があるから、どんな美人と結婚してもそれが「トロフィー」だなんて言われないわけです。ポールマッカートニーやミックジャガーさんたちが今後どんな歳の離れた若い女性と結婚しても、「トロフィーワイフ」なんかにはならないんじゃないかと思う。あれ以上トロフィーなんか必要ないわけだし。むしろ女性の方が「すごいのと結婚するな!どうやってそんなことができたのだ!」って言われちゃいますよね。
さらに、若くて魅力的な女性がおじいさんみたいなのと結婚するのは、その人が金や権力をもっているからだ。女の方は金目当てなのだろう 。美貌をはなにかけやがって、本当の愛のためではなく、わがままな生活をするために金持ちじじいと結婚するのだ。けしからん女だ。
最近のネットニュース報道なんかでも、モデルやタレントの女性が青年実業家とかと結婚すると「トロフィーワイフ」みたいに呼ばれてますが、そういうのって本当に失礼なことだと思いますね。
そんなのは、 まわりが勝手に歳の差やルックス的な魅力が不釣り合いカップルを不適切だって侮辱・非難している だけですよね。本人たちがどういう関係なのか、その関係にどういう歴史は思いいれがあるのかとか、そういうのをまったく無視して、金もちジジイやブサメン男が美人と結婚するのを非難しているだけなわけで、そんなもの学者先生たちが使うのは適切なのかどうか。「われわれは軽蔑的な意味で使ってるんじゃありません」ぐらいの断り書きつけないで使える言葉ではないんではないですかね。
「男性のホモソーシャル社会(女性を排除した男だけの競争と協力の社会)では美人と結婚することが その男性の地位を高めるために 、若い美人と結婚しようとするのだ、それがトロフィーワイフだ」といった形の説明がいくつか見られましたが、そうした考え方が本当に我々の生活のなかで実現しているのかどうかはわからない。
私の感覚では、たしかに男性は美人(そしてできれば知的な女性)と結婚したがるものですが、それに成功しても男仲間での評価が高まるかどうかはあんまりはっきりしないように思います。たしかに美人を連れあるいているとうらやましいと思われると思うのですが、それだけで地位が上がったりすることはない。仲間がいるところに美人をつれてきて、でれでれしてたり、尻にしかれてたり、あるいは逆にむやみに支配的だったりすると、どれもそれだけで地位が落ちちゃうようにすら感じられますね。そもそも日本では仕事仲間に配偶者を紹介する機会はそんなにないんじゃないかと思う(私は20年働いてるけど、自分の職場の同僚の配偶者の人は見たことさえないかもしれない)。
もうひとつ、トロフィー「ワイフ」であることにも注意しておきたいですね。お金持ちの男性が若い女性とセックスするのは現代ではそんなに難しいことではないと思う。20世紀前半はともかく、現代ではお金でセックスしてくれる魅力的な女性たちはたくさんいるだろうし、まあ中期的な関係をもってくれる女性も多いと思う。そういう状況のもとで、女性が「ワイフ」、つまり長期的で束縛的な関係での正式な妻になるというのは、どうしたって女性の意思が働いているわけで、むしろ女性がそれを望んでいるのだろう、と考えるのが私には適切に思えます。金の力で無理矢理結婚することなんかできないでしょ?借金でも負わせるんですか? ではなぜトロフィーワイフが「家父長制社会」とやらを象徴する悪しき現象のように言われているのか。
まあ私が好きでよく参照するヘレン・フィッシャー先生やデヴィッド・バス先生といった人々も「トロフィーワイフ」現象、つまり経済的に豊かなかなり年上男性が身体的に魅力的な女性とカップルになるという現象には興味をもっています。それはだいたい身体的に魅力的な女性は生殖能力が高いということから説明されるのですが、魅力的な女性とカップルになっていると社会的な地位が高くなる、ということも指摘しています。 いわゆる「オーラ効果」ですね。同時に、女性の側に各種資源を提供してくれる旦那とそのコミットメントを確保するという意味もある。でもどっちも結婚にあたって「地位の向上」みたいなのそのものが直接の目的になると主張しているわけではない。どっちもあんまり積極的には使いませんね。「 いわゆる トロフィーワイフというやつは〜」みたいな感じかな。
まあ結婚みたいな制度や活動っていうのは 同時にいろんな社会的な意味や機能がある わけで、勝手に「これ(仲間内での地位、あるいは金)が目的だろう」みたいに考えちゃうといろいろまちがえちゃいますよね。そういうことを書いている先生たちがそうしたまちがいをしているわけではないとは思うものの、そう読まれる可能性はあると思う。
これくらいの「成功した男性/金持ち男性が若くて美人の妻を迎える」ぐらいの弱い意味での「トロフィーワイフ」はさほど侮蔑的な意味は含まないかもしれない6。でもそうなると、我々がわざわざ「トロフィーワイフ」なんていう、いろんな解釈がありえる言葉、それも多くは侮蔑的であるような言葉をそのまま、あるいはわざわざ再定義して(あるいは再定義さえしないでルーズに)使う必要があるのかどうか、私には疑問ですね。配偶者を自慢することは男女問わずよくあることだし、むしろ女性の方が交際相手や配偶者の地位によって自分の地位を規定するような傾向は強いんじゃないかという意見は目にするし(これ自体もやはり偏見かもしれない)、私もそう思います(これは偏見だろう)。
でもそれはおいといて、フィクションはともかく生身の人々はそれぞれいろんな(複数の)希望や期待や必要にそって交際相手や配偶相手を探し求めるわけだし、それが美人だったりイケメンだったりお金持ちだったり気立てのよさだったり、実はさほど多様ではない序列化されやすい特徴だったりすることもあるかもしれない。それはそれで、人間ってそういう交際生活を送っているとしか言いようがないと思います7。そういうなかで、生身の他人のいろんな交際や配偶の希望とかを、単なる配偶者獲得ではなく、特に「トロフィー」ワイフ獲得をめざしている、みたいに見るのはとても侮辱的だろうと思います。もとの先生がそうした侮辱を受けるに値するようなことを書いてたかというと、私はそうは読めなかった。
「トロフィーワイフ」のふつうのイメージはこんな感じみたい。いいじゃないっすかみんな楽しそうで幸せそうで。
脚注:
私あんまりフィクションに詳しくないので、見た映画とかはどれもわりとよく覚えてるのですが、古いアメリカ映画だと若い美人はみんなまずはジジイのオモチャみたいな扱いされてますよね。どういう時代だったんだろうか……ていうか、美貌以外に資産もってない女性はまずはそうするものだ、っていう感じですかね。
『ワーニャおじさん』の人はめざめない。
この実在の2カップル、どっちもいろいろ想像を喚起するところがあって人々を魅了しますよね。
それに、だいだいあのおじいさん、そっち(どっち?)の方はどうなのだ、まだ現役(なんの?)なのか、みたいな言われかたをしてしまう。
美貌と若さとはまったく関係なく、たとえば学歴や高い知性や家柄ぐらい だけ で「トロフィーワイフ」になれるかどうかというのは興味深いところで、そこがはっきりしませんね。
へんな言い方だけど、逆にいえば、だからこそ、そうした打算やあらかじめの選好みたいなのにとらわれない偶然のロマンチックな出会いや恋愛や結婚が特別なものとして我々にとって魅力があるわけでもあると思う。それは個人の理想として求めればよい。そしてまた、他のごちゃごちゃ好みを言う人だって、運がよければそうした出会いや結び付きをもつことができるわけで、善意があるならそれを願っておいたらどうだろう。
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