セックス経済論 (5) 結婚と交際

売買春以外のお金とセックスのやりとり

もちろん売買春以外にも男女のあいだでお金とセックスのやりとりは(偽装された形で)頻繁におこなわれている。そしてここは以前の「男らしさと支配」のシリーズであつかったところそのまんまですね。

Blumstein and Schwartz (1983) American Couples ってのによると、お金とカップルの力関係とセックスは密接にむすびついていて、専業主婦とかは夫がセックスしたいというときに断りにくい、とかそういう話。バウ先生たちの他の論文でも、一部の男性はパートナーをわざわざ経済的・社会的に無力で孤立させようとすることがあり、これはまさにセックスを断りにくくするためだろう、みたいなのがありました。あとセックス排他性(貞操)もコントロールしないとならんのだろう。

男性学周辺のみんなが気にしていたあの「稼ぎと支配」の話はつきつめるとこれなのかな、っていう感じですよね。

Loewenstein (1987)って研究では、大学生に、ファンの異性映画俳優にキスしてもらうなら現金いくら払う?っていう調査して、男性はけっこう払うけど女性はたいして払う気がない、みたいな話。しかしこれ、現代日本の男性俳優ファンとかけっこう払ってるんじゃないかという気がするけどどうだろう。アイドルと握手するのにいくら払いますか、みたいな調査してみたいですね。

浮気と離婚

ここらへんは有名な話が多いのではしょりたい。性的な「所有」の意識(つまり、夫婦やカップルは性的に排他的であるべきだ)や、嫉妬の観念がない文化はありません(浮気や不倫がない文化もない)。でも性差はあるのも確認されている。たいていの文化で女性の身体的な浮気の方がはるかに重大な裏切りだと考えられていて、離婚の理由になるけど、男性の浮気はそんなに強くとがめられないことが多い。

私が知らなかった話としては、エスキモーの人たちの間では客人に対して妻に接待させる習慣がある(過去にあった)みたいなのは驚くのでよく語られますが、それお客さんが「いいえ、けっこうです」とか断わるとホスト夫婦に対する侮辱になります、なぜなら奥さんのセックスは非常に価値あるものだとされているから、断わるとその価値を認めないことになります!とか(Flynn 1976)。ほんまかいな。

同性愛に関してもちょっとおもしろい研究が紹介されていて、ヘテロセクシャルの人(男女)に、あなたのパートナーが男と浮気した場合と女と浮気した場合、どっちが動揺しそうですか、みたいな質問をする。男性の場合は相手がレズビアン的セックス、女性の場合は相手がゲイ的セックスした場合のことも想像してもらうわけですね。この実験はヘテロとホモセクシャルに対する反応の男女差を検出しようとしてたんでしょうが、なんか予想どおりにはいかなかったらしくて、男女どちらも パートナーが男と浮気した方が嫌だ 、と答える傾向だったらしい。これは意外だったらしいんですが、バウ先生たちの推測は、一般に女が与え男が取るっていう形で理解されているので、パートナーが女と浮気してもカップルからなにかが奪われているわけではないが、男と浮気したらカップルからなにかが奪われている、と考えるからだろう、って言ってます。つまり、女との浮気はカップル全体としては(ひょっとしたら)利得だけど、男との浮気は(お金とかとれるところをタダでもってかれてるので)損失である。これおもしろいですね。あとで読んでみたい(Wiederman and LaMar 1998)。

浮気の誘いは、他人からパートナーを「略奪」する戦略であるわけですが、その略奪戦略も男女で違いがあり、女性はとにかく魅力的なセックスをエサにすればよい。男性が他の男から女性を奪うには資源を投資する必要がある。強い愛情やコミットメント、そして経済力。まあこれもそうでしょうな(Schmitt & Buss 2001)。まあ他にもいろいろ

求愛活動 courtship

まあおつきあいするにどうするかっていったら、女のセックスを男がいただくという形になっているので、基本的には男の方からアプローチしないとならないっていうのがこれまたどの文化でも共通の理解。プレゼントしたり御飯おごったり、熱烈な永遠の愛を誓ったりするっていうのはあたりまえ。ティーン女子とかの調査しても、「セックスは愛情が確認できないとさせません!」っていうのがふつうで、「とりあえずセックスしたい」という男子とはぜんぜんちがう。

おもしろい調査が、Cohen & Shotland 1996ってやつで、「いつ自分たちはセックスしはじめるべきだ/したいと思いましたか」みたいなのと「いつ実際にセックスするようになりましたか」っていうのとの相関をとってみた、っていうのがあります。これ知らなかった。答は、男性については「セックスするべきだと思ったとき」と「実際にした時」の間にはほぼ相関がない( r = 0.19)んだけど、女性についてはちゃんと相関している( r = 0.88)。セックスする時期はほぼ女性が決めているわけですね。「男性支配」はどこに行ったんだ!ははは。

ここの節では、ちょっと(アメリカみたいな国では)けっこう深刻な話もとりあげられています。女性が売り男性が買う、という形になっているわけですが、売り手の側の競争もそれなりに激しいわけですよね。女性は誰もが(いろんな意味で)優秀な男性を買い手としてゲットしたいので美容やその他の魅力やセックス提供などで競争しなければならない。ローカルな市場の相場が下る、つまり簡単にセックスを提供するようになると、そうしたくない女性もやむなくそうしなければならなくなる。先進国でそういうことが起きたのは1960年代のピル開発とその普及によって妊娠の心配が少なくなりいわゆる「セックス革命」が起きたときですね。それ以降は結婚の約束とかなしにセックスを提供せざるをえなくなった(これについてもファイアストーン先生とか以前に紹介したような気がする)。アメリカだと妊娠中絶の合法化みたいなのも大きい。

ところが、アメリカみたいな社会では、一部には宗教的な理由その他から、妊娠中絶はもちろん、避妊ピルなどの手段の利用もためらう女子・女性はけっこういるわけです。この人々は非常に難しい立場におかれてしまい、一方では他の女性に負けずに男性を獲得したいにもかかわらず、他の女性がピルなどを利用して以前に比べれば「安価」にセックスを提供するために競争上厳しい。けっきょくのところは、多くの女性がリクキーなセックスをおこなうことになり、婚前婚外妊娠出産が増える、という形になってるという話(Akerlof et al. 1997)。そういうのもセックス経済という観点から見るとよく理解できますよ、てな話です。技術の開発は規範の変化を生み、セックス経済の観点での新しい勝ち組・負け組のセットを作りだしてしまいます。

あとまあ処女性の提供は「ギフト」っていう形で考えられてるのもセックス経済理論によく合致します、とか。いろいろおもしろいっすね。

続けて読んでくれている読者はもうわかっていると思うのですが、この一連のエントリーは「文化/女子のセクシー化」と「男らしさ(稼ぎ)と支配」の両方の話の続編になっています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。