品川哲彦先生のもゆっくり読もう(3)

正義と境を接するもの: 責任という原理とケアの倫理

正義と境を接するもの: 責任という原理とケアの倫理

今日はちょっとだけ。

  • p.161あたりから。

    さて、正義の倫理は、ある人間がある状況においてすべきことは
    同様の状況における他の人間にもあてはまるという普遍化可能性を
    根拠にして行為を指令する。ところが、自他の実質の差異が
    看過されるのであれば、普遍化可能性とはいったい何を意味しちえるのか。
    ノディングスは普遍化可能性そのものを否定する。というのも、
    そのつどの状況は普遍化されえぬほど個別だからだ。(p.161)

  • やっぱり道徳判断の普遍化可能性の要求に対する誤解は深刻だ。どうしたらいいんだろうな。
    みんなもう一回ヘアちゃんと読もうぜ、になるんだろうか。

    さらに、正義が適用される対象のあいだでも、ベンハビブによれば、
    真の意味では普遍化可能性に到達できない。というのも、正義の倫理は
    個別の差異の捨象を普遍化ととりちがえているからである。
    それでは、自分も他者も「同一の権利と義務を与えられたひとりの理性的
    存在者」、「一般化された他者」にすぎなくなり、そのあいだには、
    これから普遍化すべきものはもはや何もない。(p.161)

  • ノディングスよりさらに誤解しているような気がする。どうしたもんかな。
    ベンハビブは読んだことないし。

  • ここらへんは品川先生のようにちゃんとした倫理学者は
    ノディングズやベンハビブの批判をまにうけるんじゃなくて、
    批判的に再検討してみてほしいんだけどなあ。

  • ここらへんになってくると、「ケア倫理」とか「正義の倫理」とかでいろ
    んな論者をひとまとめにしてるのがなんか不安になってくる。どうも我々は
    「ケア倫理(功利主義、社会契約説、カント主義、フェミニズム、マルクス主義、現象学、
    etc.)は~」ってな大きなくくりで話をしたくなる傾向があるけど、だいじょ
    うぶなのかなあ。あんまりくくりが大きいと不安になる。

第8章

  • なんか「ケア倫理」とかの議論にもうひとつ乗りにくいと
    感じている理由の一つは、おそらくコールバーグとギリガン、特にコールバーグが
    なにやってたのかをはっきりさせないままにギリガンからノディングズやらに進むところ
    にあるんじゃないかな。一昨日書いたけど、
    コールバーグがやってたのがまともな心理学上の実証的研究か
    っていうとそうじゃないところがあってなあ。「こういうのがよい(まともな/正しい大人の)
    倫理観」っていう 価値判断がいろいろ含まれているのがなあ。発達心理学に共通の
    問題なんかな。定形発達という意味での「正常」と道徳的価値を混同している可能性がある。
    まあそれがギリガンが指摘したポイントの一つなのだが。

  • だいたい、多くの人(男性?)は、若者のころは青臭い正義感によって社会の不正に憤ったり、
    平等とか平和とか愛とかの理想とかに
    萌えちゃったりしてるのに、 中年になると「社会をよくするためだ」とか口先では言いつつ、
    機を見て利をむさぼり、気にくわないことがあると権力ぶんまわしたりして、
    やがて老年になると極端に利己的になったりまわりの人間に対して疑い深くなったりするわけでな。
    (いやみんながみんなそうなわけじゃないけど)
    そういうのが人間の標準的・平均的「発達」ってやつなんだろうが、その価値判断は別であるべきなんだよな。

  • でもコールバーグの場合はなんだか40~60才ぐらいの社会的地位の高い高学歴高収入男性(大学教員か政治家か)の考え方が目標地点みたいに
    なってて気持ち悪い、ってのはよくわかるよなあ。

  • 「発達」って言葉が悪いんかもね。
    「人間における道徳的の堕落の過程」とかって本書いてみるとどうだろう。なにも考えてない1歳児や、チョー利己的な5歳児が
    頂点ってことでいいじゃん。われわれはそこから次第に堕落していく。

  • ここでもミル先生は重要に見えるな。古いのにねえ。
  • トルストイとか思いだしたり。
  • p.172 あたりからノディングスの議論の検討。フランクファートもここで
    効いてくるのだが、やっぱりなんか違う話をいっしょにしているような疑念はあるなあ。
    ノディングズはもってるのであとで読むか、いや時間ないな。

    ノディングスのケアリングの倫理は、このように、基礎づけレベルでは倫理の基底を
    ケアと断じ、メタ倫理学レベルでは他者への身を入れたケアを道徳の不可欠な要素と
    考え、そのようなケア能力は有限であるために真のケアの対象は特定の個人にかぎられるゆえに、
    原理原則による普遍化を峻拒する。(p.174)

  • うーん、このパラグラフからも品川先生のいろんな前提というかそういうのが見えてくる。
  • 品川先生の「基礎づけ」ってのは、「われわれはなぜ(実際に)道徳を気にしているのか」
    についての説明なのかもしれんなあ。まだわからんけど。

  • 「メタ倫理学」はわたしは基本的に「倫理学で使われる言葉の分析・明確化」であると
    思ってたけど、品川先生は「何が道徳の本質(?)なのか、道徳に必要なものはなにか」という
    問いにかかわるものかもしれん。これもまだわからん。

  • 「普遍化」についての誤解をノディングズと共有している。
  • 「その姿勢は、正義の倫理の語り口に属す正義、権利といった規範を一貫して
    避けるまでにいたっている」とか。ノディングズの本にjusticeやrightsという言葉があんまり出てこない
    ということかな?

  • どうもノディングズの文章も短い語句だけあちこちからひっぱってきてつなぎあわせているので、
    本当にノディングズがそういうことを述べているのか自分で調べないとならん。ここらへんやっぱり
    ある程度の段落を切ってもってきてほしい。もちろん品川先生の読解力は私も信用しているんだけど。

  • ノディングズってお師匠さん(っていうより研究仲間)誰なんかなあ。謝辞を見ればわかるか・・・あれ、本が見つからん。・・・見つけた!と思ったらクーゼのやつだった。
  • 今日はここまで。ノディングズ見つかったらまた。
  • あら、私ノディングズの英語のはもってないのか。

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