宇崎ちゃん問題 (8) しかし、「理解を生む」だけは許さん!

まあ「理解」を理解するのはむずかしい。私もよくわかっていない。

でもぜったいに許せない表現があるわけです。「理解を生む」これは許せない!1)「誤解を生む」はもちろんOK。「共通理解を生む」はありえるけど、それならそうと書くべきだと思う。「〜という理解を、社会に生む」とかならぎりぎりOK。誰がなにをしているのかわからない、っていうのは許せない理由です。また、「通念を生む」「偏見を生む」でもいいのかもしれない。しかしそうなると「理解」の意味も考えなおさないとならない。

「こうした技法はやはり性的な鑑賞のために女性を用いていると言えますが、同時に商品や物語とは関係のないところでそれをおこなっている点において、商品や物語を単に装飾するためだけに女性を用いているという理解も生むでしょう」

理解を生む、って誰が生むのよ。主語は「こうした技法」ですか?「こうした技法」が「理解も生む」の?どこに生むの?とりあえず主語はなんなの?

「こうしたメタファーは、あからさまではない仕方で女性を性的な鑑賞のために用いているわけですが、あからさまではないがゆえに、性的ではない(あるいは性的である必要がない)状況においても「性的客体としての女性」という考えが前提とされているという理解を生むでしょう。」

「こうしたメタファー」が「理解を生む」の?誰が生むの?どこに生むの?とりあえず主語はなんなの?

「もちろん現実には、「意図しない/望まない性的接近」はそれを受ける女性にとってはエロティックであるどころか侮辱的で侵害的なものです。にもかかわらず、それをエロティックなものとして描くことは、女性の自律性、主観性を無視して性的な鑑賞のために用いているという理解を生むでしょう。」

「エロティックなものとして描くことは」「理解を生む」の?主語はいったいなんなの?

こんなのおかしいっしょ。誰のものでもない「理解」とかって抽象名詞つかってるからこういうわけわからん文章になる。「Aさんは〜と理解するようになる」ってふつうの文章で書けばこんなわけわからんこと言う必要がない。こんな文章を「明晰」「わかりやすい」とかって評価している人はいったい何を見てるのですか!

こんなふうになるのは、「理解する」っていうことがどういうことかよく考えないままに、抽象的な「理解」っていう言葉をひとりあるきさせ、それが誰の理解や思考であり、何が誰の思考にどういう影響を与えるかも考えたことがないからじゃないんですか。あるいは、もしこういうのが意識的で意図的なものであるならば、はっきりふつうの言葉で書くと、奇妙なことを主張しているのがはっきりしてしまうから、抽象的で曖昧な書き方しているんではないですか。これでいいんですか。これは小宮先生ではなく、あの文章読んで、なにがしかのコメントができると思ったひとびと全員に聞きたい。

好意的に、好意的に、最善の相で

泣きべそかきながら好意的に読むと、最初の一文は、「こうした技法はやはり性的な鑑賞のために女性を用いていると言えます。同時に商品や物語とは関係のないところでそれをおこなっている点において、こうした技法は、商品や物語を単に装飾するためだけに女性を用いていると私たちに理解させるようになるでしょう」かな?でも技法が主語になってるの気になるから「技法を使う人々は」とか「技法を使うことは」ぐらいにしてほしい。

そして、こうしてはっきりしてみるとここで、そうした技法や、その意味に気づかない人は、「そうした技法が女性を単に装飾のために使っていると理解するようになる」ということはないはず。おかしいじゃないですか。おかしいっしょ?

 

ふたつめは、「こうしたメタファーは、あからさまではない仕方で女性を性的な鑑賞のために用いています。そして、あからさまではないがゆえに、こうしたメタファーには、性的ではない(あるいは性的である必要がない)状況においても「性的客体としての女性」という考えが前提とされていると私たちに理解させてくれるでしょう」かな。これでも正確ではなく、できれば、「メタファーを利用する作家は女性を性的な鑑賞のためにもちいています」あるいは「メタファーの利用は、〜」と表現してほしい。これもさっきと同じようにおかしい。メタファーに気づかないひとはそういうものだと理解できないはずだから。

だから「こうしたメタファーには、性的ではない(あるいは性的である必要がない)状況においても「性的客体としての女性」という考えが前提とされているといえるでしょう」ぐらいなわけだ(先のも同様)。んじゃ、キーワードの「理解」はどこいくのよ。

 

三つめは「もちろん現実には、「意図しない/望まない性的接近」はそれを受ける女性にとってはエロティックであるどころか侮辱的で侵害的なものです。にもかかわらず、それをエロティックなものとして描くことは、女性の自律性、主観性を無視して性的な鑑賞のために用いているといえるでしょう」か?

技法やメタファーが理解を生む、っていうのはほんとうにわかりにくい。「それらを使うことが〜という理解を生む」ぐらいだったらまだましかもしれないけど、けっきょく抽象名詞を主語にした無生物主語みたいなのをたくさんつかうと文章はどんどんわかりにくくなっていき、なにを主張しようとしているのかわからず、したがってなにを確かめたり反駁したりしたらいいのかもわからなくなる。

とにかく、ここのところの「理解を生む」はほんとうに混乱させられてものすごく不愉快でした。私がおかしいのでしょうか。

はあ、メタファーが、理解を、生みましたか、はあ、そらおめでたい、いや近所の猫もね、猫を生んで、まあその、それと似たものですか。


追記(12/21)

しばらくして、小宮先生の「理解」が可算名詞のunderstandingに対応するということに思いあたりました。Cobuildだとこう

 

 

 

 

 

この意味だと、同義語に出てる「信念」とかの方が日本語では適切ですね。誰の信念であるかという問題はまだ解決されないけど。

 

References   [ + ]

1. 「誤解を生む」はもちろんOK。「共通理解を生む」はありえるけど、それならそうと書くべきだと思う。「〜という理解を、社会に生む」とかならぎりぎりOK。誰がなにをしているのかわからない、っていうのは許せない理由です。また、「通念を生む」「偏見を生む」でもいいのかもしれない。しかしそうなると「理解」の意味も考えなおさないとならない。

宇崎ちゃん問題 (7) 「理解」を理解するのはむずかしい

んで一番面倒なのが、「理解」とか「意味づける」って言葉で、この二つにはほんとうに苦しみました。

「理解」

まず「理解」から。小宮先生の典型的な表現を抽出してみるとこんな感じです。

 「表象に対する理解の齟齬」
「「悪さ」の理解」
「表象の理解」
「表象はその抑圧の経験との繋がりの中で理解される」
「女性差別の歴史と現状に照らしてその表象が理解される可能性が出てくる」
「女性の描き方の中で「女性は性的な客体……である」という女性観が当然の前提とされていると理解できるかどうかだ」
「具体的にどのような描き方をするとそうした理解が生じるのでしょうか」
「「性的客体としての女性」という考えが前提にされているという理解を生みやすい表現」

表象つまり表現物・作品を「理解する」っていうのはどういうことなのか、「ある絵画がどういうメッセージを伝えているかを解釈する」ぐらいだと、まあ絵画がメッセージを伝達するものとして解釈を必要とする、というのはわかります。でもこれも難しいですよね。

ふつうに「理解する」とは

まず、ふつうの意味で理解するってどういうことなのか。

  • 「太郎は地球が丸いと理解した」

これはOKです。地球は(おそらく)事実として丸いので、それを把握するということです。地球上を一方向にまっすぐに歩いていくと、いずれもとの場所に戻るであろう、ということもわかります(あれ、どっちに行っても戻ってくるよね)。

  • 「太郎は地球が平らだと理解した」

これはなんか微妙。「太郎は地球は平らだと誤解していて、そのため皆からフラットアーサーと呼ばれている」ならわかる。「古代人は地球は平らだと理解していた」は微妙だけどOK。

まあこういうふうに「理解」や「誤解」を使えるのは、「地球が丸い」という事実があるからですわね。それがわかってれば理解しているし、わかってなければ誤解している。

単純な文章の場合は、理解とか誤解とかっていうのはわかるわけですわ。

「意図を理解する」のようなものになるともうすこし複雑になる。

  • 「花子が「あなたのことは人間としては好きよ」と言ったのを、太郎は交際の拒絶として理解した」

まあ花子さんは太郎さんに人間的な魅力を感じてはいるものの、性的な魅力は感じないので、交際やセックスをおことわりする意味で「人間としては好き」と発言し、太郎はそれを正しくセックスの拒絶として理解した。こういうのはよくわかる。

 

表現物(表象)を理解するというのはどういうことか

でも、こうした発言や文ではない表現(表象)を理解するっていうのはどういうことだろうか。だって、絵や写真がなにか文あるいは命題に相当するようなものを表現しているかどうかっていうのは、かなり難しい問題ですもんね。

前エントリで例にあげた、フラゴナールの「ぶらんこ」が、助平な若い貴族男子と若くて陽気な既婚女子の浮気やセックスを描いていて、陰になっている貧相な年老いた旦那らしき人物も公認、みたいなフランス貴族社会を描いている、ぐらいは私にもわかる。しかしどういうメッセージなのか、とかいわれると難しい。フラゴナールは「どんどん浮気してセックスしましょう」っていってるのか「若い嫁さんもらったらブランコぐらいこいであげないといけません」と言ってるのか、「助平な貴族が偉そうにして人妻に手をつけているいるこの貴族社会を打倒せよ」って言ってるのかよくわからない。なにを理解したときに理解したと言えるのだろうか。フラゴナールの絵の寓意を理解することが「理解する」なのか、たんにその美や技巧を味わうだけでも十分なのか。

ある絵画や写真が何を伝えているかを「正しく」理解する正しい方法というのはあるのだろうか、とかそういう疑問が浮かびます。小宮先生は「表象の理解」とかって簡単に書くわけですが、図像表現をそんな簡単に理解できるものなのか。なにをすれば理解したことになるのか。「着衣のマハ」やベートーヴェンの第五交響曲(ジャジャジャジャーン!)理解するというのはどういうことなのか、わたりにはよくわからないのです。

ピカソの「草上の昼食」の意味を理解するとは?

「理解」じゃなくて「解釈」ならわかる。「ぶらんこ」を解釈するというのは、あの絵から、いろんなメッセージや諧謔や皮肉や美や快楽を読みとることだろうと思う。それらそれぞれはかならずしも命題(平叙文)の形にはならないかもしれず、単に「経験する」という表現しかできないかもしれない。

まあ、「「ジャジャジャジャーン」は運命が扉を叩く音である」とかって通俗的な解釈を知り、それに納得することが、あの曲を「理解する」ことだなんて立場には立てないし、また「ぶらんこ」は貴族社会での浮気の肯定を意味している、なんて解釈もくだらないと思う。んじゃ「表象を理解する」ってなんなのよ。

「裸のマハ」や「ウルビーノのヴィーナス」はいったいなにを「意味」してるんですか。絵にそんな「意味」なんてあるんですか?私がどういう状態になったら「理解した」ことになるのか、そういうのさっぱりわからず、そうした疑問を抱くことなく「表象を理解する」みたいな文章を書く、っていうのには反発をおぼえます。(似てるのは「人生の意味を理解する」みたいなやつですね。こういうのはけっきょくなんらかの比喩的な表現にすぎないのではないかと思う。人生の意味ぐらい私が教えてあげます。それはタンパク質です。理解しましたか?ははは。)

好意的に読むようにがんばりましょう

でもがんばって好意的に解釈しましょう。社会学者の先生たちは、「理解」っていう言葉をかなり独特に使う傾向があるみたいなんですよね。私はよくわからないんですが。

どうもunderstandというよりは、ドイツ語のVerstehen、みたいな印象。単に知的に文を理解するというよりは、「了解する」とか「十分な意味で理解する」とかそういう言葉をあてないとならんような。

たとえばまだ地球が丸いという事実を知らない部族が存在していて、その部族のメンバーは「大地は平らであり、ずっと行くと滝のようなところがあって落ちてしまう」と信じていて、旅をするのを恐れているとする。これを「彼らは地球は平らだと誤解している」のように表現するのはなんか、我々地球が丸いことを知ってる人々の特権的な判断であって傲慢だ、みたいな発想はあるわけですわ。彼らにとっては大地はまさに平らなものであり、そうした世界観とともに彼らの大地は平らだという信念を「理解」しないとならない、みたいな形になるんですかね。

つまるところ、われわれが「事実」と(個々の人々、あるいは社会全体での)「解釈」、みたいに分けちゃうのはあんまりよくない、みたいな発想。我々の知識や信念のすべては「解釈」なのだから、そうしたものはすべて「理解」と呼んでかまわんのだ、みたいな感じの発想はあるかもしれない。

実は、ミル先生の『論理学体系』第5篇第4章におもしろい個所があるのです。

(訳文は久木田水生)

漢方薬屋は病気や症状を漢方の理論にあわせて記述し理解し治療しようとする。ふつうわれわれは見たものをそのまま信じているのではなく、感覚に与えられたものを、自分がすでにもっている理論のようなもののレンズを通して経験する。見たままではなく、すでに推論(思考)が入ってるわけです。

 

この画家の訓練の話とかも、いま扱ってる話題と関係していておもしろいですね。

まあ小宮先生の「理解」って言葉の使いかたから離れてきてしまってますが、そんな簡単に、制限つけないで「理解理解」ってくりかえしたり、「理解可能性」っていう聞きなれず、それだけでは門外漢にはどういう意味かわからない言葉や概念をふりまわされるととても困りが発生するわけです。

 

 

追記。次のエントリに書きましたが、小宮先生の「理解」は可算名詞のunderstandingかもしれない。つまり「信念」とか「意見」とか「解釈」とか、そういうの類義語。「誤解」と対になる「理解」ではない。とすると、日常的な「理解する」っていう動詞と、こうした特別な「理解」=信念、解釈をいっしょに使われると混乱しますよね。

宇崎ちゃん問題 (6) 「コード」ってなんだろう

小宮先生の岩波『世界』の方の論説では「コード」が出てきます。これもわたしわからん。

ここからゴフマンは、写真にうつる人物の性別が男女どちらであるか、職業が何であるか、何をしているのか、他者に対してどんな役割を負っているのかといったことを、私たちが瞬時に理解するために用いられるある種のふるまいのコードを読み取っている。

この文章はとても読みにくい。「私たちは、写真にうつる人物の性別が男女どちらであるか、職業が何であるか、何をしているのか、他者に対してどんな役割を負っているのかといったことを瞬時に読みとる。ゴフマンはそのために用いられるある種のふるまいのコードをここから読みとっている」かな?悪文です。

まあそれはおいといて、この「コード」わかりにくいと思うんです。わかりにくくないですか?「コード」はふつうは(1) 規則、慣例、法典、(2) 記号・暗号、(3) 符号体系の三つぐらいの意味があると思うんです。ゴフマンの『ジェンダー広告』のcodeは、はっきり(1)のふるまいの「規則」のはずです。「記号」ではない。(『ジェンダー広告』も原書Gender Advertisementも入手しにくいので、ちゃんとした論拠はちょっとまってね1)たとえば、英語版の”codes of gender”のwikipediaで、ゴフマンとともに何回か参照されている Morris & WarrenのThe Codes of Genderだと、codeっていうのはみんなが共有しているもの:規則のセット、ふるまいのコード、の短縮形だってはっきり書いてある。。)

ツイッタでのジェンダー関係の話になると「〜コード」とか言う人々がいるんですが、そういうの見たら「それって規則?それとも記号?」って聞いてみてください。

小宮先生の『世界』の文章に戻ると、「コード」の前にポロック&パーカー先生の「記号」の話が出てきててさらに混乱しやすいんじゃないかと思います。先生はポロック先生とゴフマン先生の話が同じようなことを言ってる、って主張しているように見えるから。でもそんなに同じだろうか。

小宮先生が引用しているポロック先生のを再引用すると、

ここで必要なのは、絵画とは記号の組織体だという認識である。一枚の絵を組み立てる特定の記号についての知識をもち、かつ文化的・社会的記号について熟知している、この二種類の知識をもって見る者が読んだ場合に、意味を発揮する記号組織が絵画である。

でもこれ、実はこうです。わかりやすいように、前後もちょっと拡大しますね。

芸術作品のなかに描かれた女性のイメージには、現実社会の女性が、よし悪しは別としてそのまま反映されていると見るのは、われわれが陥りやすい罠である。ここで必要なのは、絵画とは記号の組織体だという認識である。一枚の絵を組み立てる特定の記号についての知識をもち(つまり画面上の線と色彩を、描かれている対象物をかたちづくるものとして読解できる)、かつ文化的・社会的記号について熟知している(つまり描かれているものがもつ象徴的レベルの含意を読解できる)、この二種類の知識をもって見る者が読んだ場合に、意味を発揮する記号組織が絵画である。芸術は社会を映す鏡ではない。社会の諸関係をいくつもの記号からなる図式にして伝え、提示しなおす(re-present 表現する)のが芸術であり、それらの記号が意味あるものになるには、読解力をもち、一定の条件を備えた読み手が必要である。このような記号が含意する、多くの場合意識されない意味のレヴェルにおいてこそ、家父長的イデオロギーが再生産されるのである。(翻訳 p.184)

ポロック先生たちの「記号」が、英語でなんであるのかまだわからないのですが(手配中)、「象徴的レベルの含意」を含むような描かれている物、人物、服装、持ち物(アトリビュート)、背景、構図、その他ですかね。

たとえばフラゴナールの「ぶらんこ」2)実はこの前ゼミで学生様がレクチャーしてくれた。ではいろんなものが描きこまれていて、たとえばスリッパ(左上)、たとえばイルカとキューピット像(中央下)、それらの物がどれもエロティックな含意を伝える「記号」になってるわけですわね。こういうのを解読できるようになると楽しい(中野京子先生の『怖い絵』とかどうぞ)。しかし、これって、ゴフマン先生の「ふるまいの規則」としての「コード」とはずいぶんちがうもんなんちゃうんかなあ。これ、最初から「コード」じゃなくて「ふるまいの規則」って書いてたら、読者は「あれ、それって同じ話なの?広告とかに描かれるふるまいの規則と、絵に描かれる記号って、たしかに近い話みたいだけどちょっとちがうもんじゃないかな?」って思うと思うんです。どう思います?ていうか、せめて「ふるまいのコード、すなわちふるまいの規則が」とか書いてくれてもいいと思うんです。

(この話は続きがあります→ 宇崎ちゃん問題(11) 「コード」と「記号」のその後

 

 

 

References   [ + ]

1. たとえば、英語版の”codes of gender”のwikipediaで、ゴフマンとともに何回か参照されている Morris & WarrenのThe Codes of Genderだと、codeっていうのはみんなが共有しているもの:規則のセット、ふるまいのコード、の短縮形だってはっきり書いてある。
2. 実はこの前ゼミで学生様がレクチャーしてくれた。

宇崎ちゃん問題 (5) 「表象の「悪さ」」の「悪さ」がわかりにくい

小宮先生の文章(『世界』のと『現代ビジネス』のの両方)では、「表象の「悪さ」」とかそういう表現が頻繁に出てくるのですが、この「悪さ」っていう表現にも私はひっかかってしまう。これはかなり面倒な事情があって、ちょっとここでは簡単には説明できないのですが、いくつか私の「困り」を説明しておきたいと思います。

どういう種類の「悪さ」か:それは「道徳的な悪さ」か?

「表象の悪さ」っていわれたときに、ある表象(つらいので、以後表現とか表現物とか書くことにします)が悪いことがある、ってことを言ってるのはもちろんわかる。問題は、その悪さというのはどういう種類の悪さかということです。人を殴るのは悪い。これは道徳的に悪い。道徳的に悪いというのがどういうことかというのもこれまたむずかしいのですが、人を殴るのは悪いので、殴るのをやめるべきだというのは当然として、さらに、人を殴るのは避けるべきだ、人を殴った人は罰されるべきだとか、非難されるべきだとか、被害者にあやまるべきだ、場合によっては賠償するべきだ、反省するべきだ(自責の念に苦しむべきだ)、とかまあそういうことを意味しているとここでは解釈することにします。道徳的に悪いというのは、単に「悪さ」という性質がその対象の物や行為に付随している、といっているだけでなく、それが上のような指示・指図・命令や、非難や罰と結びついている、と私は理解しています。

でも「悪い」からといって、そうした命令や非難や罰と(それほど強くは)結びついていないタイプの「悪い」という意味もあります。

たとえば、「このワインは悪くなってる」ってときは、ワインがすっぱくなっていることを意味しているかもしれない。「これは悪いワインだ」ってときは値段のわりにおいしくないのかもしれない。 “I am a bad pianist.”って私が言うとき、私はピアノを弾くけど下手だということを意味していて、それを非難されたりピアノ弾いたら非難されたり罰されたりしなければならないっていうことを言おうとしているわけではない。「悪い絵」っていうのも、まあ下手な絵にすぎないかもしれない。罰を与えたり、非難しないであげてください。「あたなって、悪い人……いじわる……」「ワルい子だーっwww」っていうのはむしろモテてる。機能的に悪いっていうのもある。コンピュータのマウスの効きが悪いっていうのは別に罰を与えられたり非難されたりするって話ではないし、もちろんマウスに向かって「お前は悪い奴だ!罰を与えてやるっ!」って言う人はあんまりいない。ブレーキの効きが悪い車運転して人ハネてしまったら当然非難されますが、それはまた別の話。

っていうわけで、「悪い」っていう言葉を使う場合は、「道徳的に悪い」とか「宗教的に悪い」とか「美的に悪い」「道具として悪い」とかそういう限定をつけてほしいわけですわ。小宮先生の文章はまったくそういうのがないので(実は小宮先生だけでなく、社会学系統の人々の文章にはそういうよく見かけるのですが)、非常に困りが発生しつらみが増加するわけです。

とりあえず「表象の道徳的な悪さ」とかそういう表現の省略形だと読むことにします。だって道徳的な評価をしようとしているように見えるから(あとで議論するかもしれません)。「政治的な都合の悪さ」「フェミニストにとっての都合の悪さ」の可能性があるけど、おいておきます。

「悪さ」と「不正」

悪い、ていうと英語だとbadだろうと思うんですが、英語ではbad(悪い)とwrong(不正な)っていうのはちとちがった概念・観念なんですよね(概念とか観念ってなんであるかは尋ねないでくださいすみませんすみませんよくわかってません)。「よい」 goodはgood – better- best って中学校で習ったように比較できる。bad – worse -worstです。badderとかbaddestとかだめですからね!

一方、正しい right や 不正な/(道徳的に)まちがっているっていう意味のwrongは、right – righter -rightestとか、wrong – wronger- wrongestとかならない。「よい/悪い」と「正しい/不正な」はちがうのです。(morally) rightや (morally) wrongは、ある(道徳的な)基準を適合しているか否かについての判断なんですね。

小宮先生が参照しているイートン先生の論文のタイトルは、 What is wrong with (female) nude? で、ヌード絵画の不正さについて考えているのであり、その単なるよしあしではない。

でもまあこの「よい/悪い」と「正/不正」のちがいっていうのはかなりむずかしいもので、先年おなくなりになった高名な倫理学者の大庭健先生の『善と悪』っていう岩波新書とかでもちゃんと区別されてなかったですね。。でも倫理学者にとってはけっこう大きな区別なので、そういうのないのにはがっかりしました。だからまあ、倫理学者以外の人にはなおさらしょうがないのかもしれない

悪さはどれくらい悪いのか

よしあし、善悪っていうのはさらになかなか面倒なんですわ。機能的なよさ悪さ、美的なよさ悪さ、道徳的なよさ悪さ、宗教的〜っていろんな種類があるのと同時に、よし悪し、善悪には程度の問題もあります。さっき「悪い(下手な)ピアニスト」bad pianistの例を出したけど、このbadは道徳的なバッドではなく芸術的あるいは技術的なバッドで、誰かと比較するための形容詞ですわね。下手なピアニストでも弾くのを禁止するべきだってなことにはならないし、上手いピアニストがいなければ下手なピアニストで我慢しなければならないときもある。そういうときは「しょうがないからお前が弾いて」って頼まなきゃならないときもあるでしょう。

これ、単に比較の問題っていうのでもないのです。問題は、「悪い」が、我慢できる/あるいは中立の水準(仮にレベル0とする)よりも上での高低の問題なのか(+10と+3の比較)、あるいは中立の水準以下(-20)を指すのか、っていうのが曖昧であることですわね。「この表現物は悪い」というとき、それはその表現物が存在しない方がよいということなのか(-20)、それとも期待されるものほどには到達していないということなのか(期待が+20だとしたら+5しかない)、ってことですわ。

小宮先生の「表象の悪さ」っていう書き方からすると、なんかマイナス表現があると言ってるように見えるんだけど、それでいいのかどうか。道徳的にマイナスの表象ってのがあるとすれば、そういうものは存在しないほうがよく、ポスターが貼ってあったときに(可能なら/他の条件が同じなら)はがした方がいいし、場合によっては焼いた方がいいかもしれない。

「一応悪い」と「いろいろ考えた上で悪い」

仮に、小宮先生たちが主張しているのが「ある表象が道徳的に悪い」「道徳的な悪さ」であるとすると、またちがった解釈の問題もあります。それは、「一応悪い」(prima facie bad)(「とりあえず悪い」「他に特段の事情がないならば悪い」)のか「いろいろ考えた上で悪い」(bad all things considered)なのか、ってな区別です。悪い行為があるとします。たとえば、ふつうは人を縄でしばりつけることは悪い。こういうのを倫理学者は、「一応のところ悪い prima faicie bad 」と表現します。prima facieはラテン語で、「表面的には」って意味ですね。

でも、夜に暴れてベッドから落ちそうな老人が言うことを聞いてくれないときに、ケガを防ぐために拘束することがやむをえないときもあるかもしれません。「一応悪い」ことも、状況によっては許されることがある。この場合、上の話とからめると、縛りつけないでベッドから落ちないのは+20で、縛りつけてベッドから落ちないのは+2ぐらい、ってこともある。しばりつけるのは一応悪いえけどしょうがない、ってこともあるわけです。

一方、いろいろ考えたうえでやっぱり悪い、ってこともありえます。息子が犯罪を犯すかもしれないから殺す、とかっていうのは、いろんな状況を考えにいれても悪い。実際には殺さないかもしれないし、ちゃんとケアしたり、施設に入れたり、最善のことをすれば、殺す必要はないだろう。こういうふうに言えるなら、すべてのことを考えたうえで、総合的に悪い all things considered、って言えるわけです。

小宮先生がとりあげているポスターとかの話に関しては、これはわりとはっきりしてますね。仮に、女性をモノ化することが悪いことであるとしても、それはとりあえずは「一応悪い」にすぎない。他に考えるべきことがあるかもしれない。すべてを考えにいれるというのは、たとえばポスターの目的とか、それの社会的な効果や影響とか、ネットの騒動やら、もろもろを考えに入れた上で「悪い」ということなわけですが、小宮先生たちがそこまで考えているとは思えないから1)つまり、ポスターの宣伝効果その他の文脈を総合的に見て悪いと主張しようとしているわけではない、と解釈している。、以後は「悪さ」は「一応の悪さ」であると解釈することにします。

引用符に囲まれているのは意味があるか

小宮先生の文章で「悪さ」「悪い」を検索すると、ほとんど引用符(「」)に囲まれているわけです。この引用符には意味があるのかどうか。

上で書いたように、ふつうは「悪い」という言葉には禁止、非難、不承認、非推奨(おすすめできない)とかの意味があると広く信じられているわけです。もちろんその程度はさまざまだけど。素の「よい」「わるい」という言葉には、人の行動を指図しようとする力があるというか、まあ広いいみで推奨や命令を含んでいるわけです。

これは「よい」「わるい」だけでなく、価値や規範を含んでいる他の言葉についてもいえます。たとえば「下品」とか「野蛮」とかって言葉は、そういう形容されるふるまいとか行動とか表現はやめなさい、もっとちゃんとしなさい、っていう含意がある。

でも、人の言葉というのはおもしろいもので、ののしり言葉みたいな言葉でさえほめ言葉に使えたりする。「あいつはバッドな奴だ!」っていうのは道徳的に悪いやつだ、つきあうな、って意味なく、かっこいい、すごい奴だ、友達になりたい、ってことだろう。

それに単に「他のやつらはそう言ってる」っていう意味で「」にくくることもある。「あいつは「ヤクザな奴」だ」っていうのも、「」にくくってしまえば、ヤクザの特徴をもってはいるけどかっこいい、すてきな奴だという意味になるかもしれないし、他のやつはあいつを「ヤクザ」と呼ぶけど俺はよくあいつのいいところをわかっている、ってな意味になるかもしれない。

こういう「他人はそういうふうに言う」とか、あるいは特別な意味をこめて「」にいれるやつを倫理学者は「引用符用法」って呼んだりします。もともとの価値的な意味を失なってるんですね。まあ現代思想とかでも「」つけて特別な意味につかってて混乱するわけですが、あれですわ。

小宮先生がある種の表象とか表現の「悪さ」、表現が「悪い」ということについて、多くの場合「」をつけているのを見ると、私は小宮先生はその表象を本気で悪いと思っているのか、悪さがあると思っているのか混乱するわけです。なんで「」をつける必要があるのか。それはフェミニストが「悪い」って言ってるだけなのか、小宮先生もそれが悪いと思っているのか、そしてわれわれにそれが悪いものであることを説得しようとしているのかよくわからないのです。

さらに

さらに、小宮先生のように「Aは悪い」という表現でなく、「Aには悪さがある」みたいな表現を使うと、「悪さ」という独特の性質があるように感じられるわけですが、これはかなりあやしくて、われわれの思考を混乱させます。

プラトン先生なんかは、この世にあるものごとやおこないの「よさ」を説明するのに、それはイデア界という奇っ怪な世界に「よさそのもの」が存在していて、この世にあるよいものやよいおこないは、そのイデア的な「よさそのもの」を分有している/あずかっているのだ、みたいなことを言うわけですが、これは奇っ怪な発想だと思います(議論はしないけど)。

「A(たとえばある表象)の悪さを考えよう」っていわれると、「Aには悪さという特別な性質があるのだなあ」とか思ちゃうけど、実はたんに、我々が「Aは悪い」って思ってるだけかもしれない。そうなるとPさんとQさんがAについて悪さがあるとかないとか、そういう争いになるのかもしれない。

まあここまで来ると本当に面倒なメタ倫理学っていう面倒でテクニカルな分野の話になってしまい、たとえば佐藤岳詩先生の『メタ倫理学入門』とか読んでもらわないとならなくなるわけですが、そんな面倒なことをしなくても、とりあえず「Aの悪さを考えよう」とかっていう混乱しやすい表現をやめて、「なぜ我々はAを悪いと考えるか考えましょう」って表現してくれたら回避できるはずです。

すると「悪さ」について私はどう表現してほしかったのか

けっきょく、小宮先生の「悪さ」とかっていう表現について、そのまわりで「読みにくみ」みたいなのが存在していて、私のまわりで困りが発生しているわけなので、いっそのこと「読みにくみ」「困り」というもの(実在?)や性質が存在しているかのような表現はやめて、「私は小宮先生の文章が読みにくいと感じる」「私は小宮先生の文章が読みにくくてこまっています」とかそういうふうに表現すればいいわけですね。

同じように、「ある表現が道徳的に悪いと考えられるべきなのはなぜでしょうか」とか「ある表現が道徳的に不正だと我々が判断すべきなのはどのような場合でしょうか」と表現してくれればいいわけです。でもこういうのは私の読者としての好みだからそんな強くは要求できない。できればそういうふうに表現してほしかったなあ、ぐらいです。

でも、もし私と同じようにつらみや困りが大量に発生してしまった人々がいるなら、それはこうしたなにかを名詞の形であらわす表現自体に問題がある、ってことを理解してもらえれば、このエントリは成功が成立しているという理解が存在することになり、私にもうれしみが発生します。

長くてつかれました。ここまで読んだ人はごくろうさま。すぐさま忘れてください。

References   [ + ]

1. つまり、ポスターの宣伝効果その他の文脈を総合的に見て悪いと主張しようとしているわけではない、と解釈している。

宇崎ちゃん問題 (4) 「モノ化」は「客体化」でもやむをえない

ちなみにここで小宮先生にはあんまり責任がない「客体化」もむずかしいって話もしとかないとならんかな。

牟田先生が「客体化」って使ってんのに私は「モノ化」にして、小宮先生も「客体化」にしてて、まあどうせ専門用語だからobjectificationっていう英語に対応する訳語だってわかってりゃそれでいいでんですが、私「モノ化じゃなくて客体化だろ!」「モノ化という訳語はだめではないか」って言われちゃってるので、ちょっとだけいいわけ。

これ実際カタカナ使っていいんだったらオブジェクト化でもよかったし、あるいはさらにさかのぼって「物象化」「物件化」とかそういう訳語も可能だったかもしれないわけです。十数年前に論文モドキ書いたときはかなり悩んだ末に「モノ化」にしたんですが、今思えばもう「モノ扱い」でもよかったくらいだと思ってます。その方がわかりやすいでしょ。日常的だし。

あの論文ではとにかくヌスバウム先生の分析・解釈にしたがうつもりで、ヌスバウム先生やそれ以前のフェミニスト学者の先生たちは、objectificationというのは人をモノ(thing)として扱うことだ、reify (ラテン語のres「モノ」にする1)reifyは普通は「具体化する」なんですが、まあマッキノン先生も難しい人なのです。)でありthingify(そんな言葉は辞書にはないけどマッキノン先生が使ってる)、って言ってるはずなんで、モノ化にしたわけです。

実際、ヌスバウム先生は「道具化」「道具性」「自律性の否定」「不活性」「交換可能性」「毀損可能性」「所有性」「主観性の否定」ってのをあげるんだけど、これらは全部、自発的・能動的・自律的etc.な「人」と対比される上での「モノ」の特徴なのよね。モノだから、道具にするし、自律しないし、自分では動かないし、同じように作られてたらどれでも同じだし、壊してもいいし、自分のものにできるし、感情とか考えなくていい。

これを「客体化」って訳してしまうと、客体と対になるのは「人」ではなく「主体」になるんだけど、客体であるってことだけからは「道具性」「自律性の否定」「不活性」「交換可能性」「毀損可能性」「所有性」「主観性の否定」も出てこない。

そしてそれだけじゃない。太郎は花子を愛する、っていう文では太郎が主体で花子は客体ですが、だからといって太郎が意識不明の花子さんとセックスしてよいわけではない。太郎は花子にキスしたってとき、やっぱり花子はキスする客体(対象)だけど、花子の感情を無視していいわけじゃないし、「キスされる」からといって主体性がなにもない、ってわけでもない。実は花子さんがキスされることを期待していることもあるだろう。そしてキス「する」んじゃなくてキス「されたい」って思うことさえあるだろう。愛されたりキスされたりする対象・客体になりたい、っていう欲求は、男女ともにときどきあるんじゃないっすかね。そういう人を愛したりキスしたりする対象にするのはまったく問題がないどころか、ピューピュー、モテるねー、やけるねー、おしあわせに、ってなものではないですか。

だから「モノ化」の方が適切だと私は判断したわけです。

まあもともとのマッキノン先生以下さまざまなフェミニスト学者の先生たちは、オブジェクトという言葉を多義的につかってるので「客体化」でもまあしょうがないのではあるのですが(実はmen fuck womenという文での目的語の意味もある)、以上のような次第で私は「モノ化」の方が適切であると判断したわけでありまーす。

 

 

References   [ + ]

1. reifyは普通は「具体化する」なんですが、まあマッキノン先生も難しい人なのです。

宇崎ちゃん問題 (3) 「表象」はわかりにくい

正直小宮先生の書くものはある種の魅力があって、それが多くの人を惹きつけるんだと思うんですわ。私の文章とかぜんぜんだめよね。なんか華がないというか、もってまわってわかりにくいし。あはは。

さて、私はそもそも「表象」がよくわかりません。いきなりタイトルで「性的な女性表象」ってガツーンとやられて、「あ、難しい文章だ!」って思って身構えてしまう。だって「表象」なんて私らめったに使わないじゃないですか。ショーペンハウアー先生に『意志と表象としての世界』Die Welt als Wille und Vorstellung っていう有名な本があるんだけど、あれの「表象」っていったいなんだか私いまだにわかってないです。あの本の前半はとてもむずかしい。カントわかってないと読めないんすよね。(ちなみになかば以降は楽しい)

「表象」Vorstellungとか英語でrepresentationとかっていうのは、哲学で使われるときには、非常に単純にいえば、外界にあるものを我々が感覚器官(典型的には目、でも感覚器官は他もありますね)を通して認識だかなんだかして、頭のなかに浮べたあれです。頭の外にある(かもしれない)外的な事物、それの印象とかイメージとか対応する観念(アイディア idea)、そういう頭のなかにあるのが表象。でも小宮先生のはこの意味ではない。

2000年ごろから文学とか美学とか映画学とかマスメディア文化論とか、そっちの大学関係の方面で「表象」っていうのがよく使われるようになってるみたいで「表象文化学会」とかそういうのもありますね。こういうのでいわれる「表象」っていうのは、もっとふつうの言葉でいえば「表現」とかなんだと思う。「文学」っていうと文字で書いてる小説とか戯曲とかになるけど、アニメとかマンガとかだと「文学」ってのとはちょっと違うし。絵画とか映画とか、まあそういう人間が作り出したイメージとか作品とかを「表象」って呼ぶんだと思う。しかしこの意味では、まだ辞書にもなかなか載ってない感じですよね。

それにそもそも、この「表象」っていう言葉をどう使うのかっていうのは、そっち方面の学者先生たちのあいだでもさほど合意がないんじゃないかと思う。たとえば私のbooklogから「表象」ていう言葉をタイトルに使ってる本をあげてみると、「特集=ジェンダー 表象と暴力」「視覚表象と音楽」「 “悪女”と“良女”の身体表象」「無垢の力—「少年」表象文学論」「少女マンガジェンダー表象論」「セクシュアリティの表象と身体」「オトメの行方—近代女性の表象と闘い」「イーストウッドの男たち—マスキュリニティの表象分析」「欲望・暴力のレジーム 揺らぐ表象」「ひとはなぜ乳房を求めるのか: 危機の時代のジェンダー表象」とかになってしまう。

どれも難しそうでかっこよさげなのは置いといて、「表現」におきかえられるようなものだけではないですね。「イメージ」ぐらいが妥当なんだろうか。

小宮先生の「女性表象」は「女性のイメージ」(頭のなかにあるもの)なのか、「女性を描いた作品」(頭の外にあるもの)なのかあんまりはっきりしない。がんばって読むと、おそらく後者の、作品、表現されたもの、だと思います。「表象は必ず「誰かが作る」ものだ」って言ってますからね。我々の頭のなかにある女性のイメージは、必ずしも誰かが作るものだとはいえないように思う。私の目の前にあるウィスキーの瓶の私の頭のなかにあるイメージが、「私が作ったもの」かというとちょっと自信がないし。

でもこんな難しい言葉、学者先生なら一言ぐらい説明してくれたっていいじゃないかと私は思うわけです。マンガやポスターの「描かれたもの」「表現物」を「表象」って呼びますよ、ぐらいなんで説明してくれないんですか、ぐらいのこと思ってしまうわけです。んな、最初っから「表象」って言われたら、われわれ一般読者は腰がひけちゃうじゃないですか。すごく高度っぽいからもう話聞くしかなくなっちゃうし。でもそんなにはっきりした言葉じゃないと思うのです。「表象」で苦しんだみなさん、そういうの要求してかまわんのです。

 

宇崎ちゃん問題 (2) 単なるいいわけ

前の「宇崎ちゃん」に関するエントリ書いたあと、すぐに続きを書くつもりだったのですが、当の『現代ビジネス』からそれについての原稿書いてみないかというお誘い受けてしまって、考えてることを書いたりして、時間がたってしまいました。ちなみにタイトルとか見出しとかは編集者の方につけてもらい、細かい表現なんかも草稿見てもらった数人の先生と編集者先生に直してもらいました。名前は出しませんが感謝感謝あめあられ。

前のエントリについて言い訳を追加しておくと、牟田先生のあの文章が詭弁だとか誤謬推理だとかっていうことを書こうとしてのではなかったのです。むしろ、他人の文章を読んでそれが詭弁だとか誤謬推理だとか判断するのがとても難しい、ってことを書きたかった。省略三段論法みたいなやつは日常生活では非常に頻繁につかわれる論証の形で、三段論法みたいに前提を明示した論証なんてめったに見ることがない。そして、どういう前提が隠されているかっていうのは、読者がいろいろ考えてみないとならんわけで、それは対象となっている論者が考えている前提とはまったくちがったものかもしれない。最終的には「どういう前提なんですか」って聞いてみないとわからんと思う。そして、そんなふうに前提を明示してしまえば、形式論理的な誤謬推理をすることはめったにないし、詭弁の余地もものすごく狭くなる。まあ、結果的にそもそもの基本的な前提について同意できないってことがはっきりするということになるかもしれません。たとえば「ポスターに大きな胸を描くことは女性差別だ」っていう前提について、AさんとBさんが同意しないってことは十分にありえるわけです。

まあそんなことを考えているうちに、知らん学会で知りもしないことを発表したり、私生活でもちょっと忙しくなったりして時間過ぎてるうちに、これまた同じメディアに小宮友根先生の「炎上繰り返すポスター、CM…「性的な女性表象」の何が問題なのか」っていう論説が発表されてけっこうもりあがってたみたいですね。忙しくてキャッチアップするのけっこうたいへんでした。なんかみんな飽きてるのはわかってるけど、ちょっとだけコメントしないとならんかな、とか。

実は小宮先生がそれ以前に『世界』に書いた「女性表象はなぜフェミニズムの問題になるのか」っていうのはずいぶん前に紙で読んでて、私が『現代ビジネス』に書いた文章でも言及してコメントしようと思ってたんだけど、一般向けの文章としては煩雑になるかもしれないし、オンラインのものでもないからカットしたんですわ。特に、私は「累積的経験」という表現自体は使ってないけど、同じような内容になったところには先生のクレジットつけたかった。原稿書きあげて数日してからオンラインになって「あらー」って思ったり。ははは。

小宮先生の文章を読んでいると、勉強にはなるんだけど「言葉」について考えこまされることが多くて、そうしたつらつらを書いてみたいと思います。詭弁だとか誤謬推理だと言いたいのではなく、また批判というのでもなく、むしろ文章を読むというのが私にとってどれくらい難しいことか、っていうのを説明してみたいのです。私は本当に文章を読むのが下手なのよね。そして、そういう悩みをもっている人は私の他にもいるんじゃないかと思う。そうした人々、特に学生様とかに、私も読めないので(それほど)心配しなくていい、みたいなことを示して、悩みを共有したいというわけです。

あら、言いわけと前置きだけで長くなってしまった。

 

Leiter Reportsの倫理学教科書のおすすめ

おもしろいエントリだったので、コメンテイターたちがおすすめしている本のamazonへのアフィリエイトリンク貼ってみます。踏んで買ってくれると私におこづかいがはいります。コメントの内容については、まあ英語で倫理学の教科書読もうって人々だから自分で読めるっしょ。

















まあ基本的に倫理学を勉強する学部生〜院生向けなので一般には関係がないです。

翻訳があるのはレイチェルズだけのはず。これは一般の人にも読んでほしい。

んで、上のリストから私が(倫理学の学生向けに)一冊選ぶとすると……ジャジャジャジャジャジャジャッジャーン!

一等賞はなんとリチャード・ブランド先生でしたー! これはものすごく古いけどものすごくよく書けてるのでぜひ入手しておきましょう。20世紀後半の倫理学がなんでああいう感じで進んでいったのか理解できるようになります。いろんな基本的概念で困ったときも役に立つ。


あ、マッキンタイア先生のは翻訳あるわ!っていうかあんなにお世話になっているのに忘れるなんて! まあ今となってはかなり古いしあれなのでねえ。


深谷先生もお世話になったのにほんとにすみません。甲南女子大との合コンにつれていってもらえず残念でした1)先生の授業に出ると甲南女子大の学生様と合コンできるという噂だったので出席したけど、その年は体調を崩された。

References   [ + ]

1. 先生の授業に出ると甲南女子大の学生様と合コンできるという噂だったので出席したけど、その年は体調を崩された。

図書館に入れてもらった本(2018〜2019)

ちと、図書館に入れてもらった本を一覧にしてみました。2018年度の後半から2019年度の途中まで。440冊ぐらいか。研究用というよりは学生様の卒論対策とか、読んでもらいたい本とか中心。入れてもらったはいいけど読まずに忘れてる本けっこうあるなあ。

2018年10月〜2019年12月

002/A64 在野研究ビギナーズ : 勝手にはじめる研究生活
007.3/B25 操られる民主主義 : デジタル・テクノロジーはいかにして社会を破壊するか
007.3/C82 Evil online
007.3/E59 ソーシャルメディアと〈世論〉形成 : 間メディアが世界を揺るがす
007.3/Ma24 Privacy and philosophy : new media and affective protocol
007.3/Sh18  「情弱」の社会学 : ポスト・ビッグデータ時代の生の技法
007.6/J64 UIデザインの心理学 : わかりやすさ・使いやすさの法則
007.6/Ko12 Rによるやさしいテキストマイニング
012/Ma64/2 実践3事例とICT導入法
017.753/Ta84 サブジェクト・ライブラリアン : 海の向こうアメリカの学術図書館の仕事
021.4/F67   本の索引の作り方
041/Y89 人間の解剖はサルの解剖のための鍵である
088/Me15 生物学と個人崇拝 : ルイセンコの興亡
100/C16 Philosophy without intuitions
100/C58 Philosophy for everyone
100/W74  Doing philosophy : from common curiosity to logical reasoning
104/Ko12 その悩み、哲学者がすでに答えを出しています
104/N35  脱構築のポリティクス
104/N99   バイオグラフィーの哲学 : 「私」という制度、そして愛
111/W93  真理
113.3/G52 Humanity : a moral history of the twentieth century
114.2/C15 The Routledge handbook of death and the afterlife
114/H51 Emotional reason : deliberation, motivation, and the nature of value
115.3/B65 非合理性
115.4/I97  新しい哲学の教科書 : 現代実在論入門
115/P81  客観的知識 : 進化論的アプローチ
121.6/Mi79  出逢いのあわい : 九鬼周造における存在論理学と邂逅の倫理
130.4/Se93  ムーミンの哲学
131.4/A76/15   ニコマコス倫理学
131.5/I67  良き人生について : ローマの哲人に学ぶ生き方の知恵
131.5/O25  奴隷の哲学者エピクテトス人生の授業 : この生きづらい世の中で「よく生きる」ために
133.3/H98 道徳について
133.3/R89 The Oxford handbook of Hume
133.4/Ka76  自己陶冶と公的討論 : J.S.ミルが描いた市民社会
133.4/Mi27 ミル自伝
133.5/P81 カール・ポパー社会と政治 : 「開かれた社会」以後
133.9/C27 道徳的完成主義 : エマソン・クリプキ・ロールズ
134.2/N15 カント未成熟な人間のための思想 : 想像力の哲学
134.2/Te43   どうすれば戦争はなくなるのか : カント『永遠平和のために』を読み直す
135.5/J29 うつむく眼 : 二〇世紀フランス思想における視覚の失墜
135.5/St6 愛するということ : 「自分」を、そして「われわれ」を
139/C72 生誕の災厄
139/C85 Kierkegaard, MacIntyre, Williams, and the internal point of view
139/Ma53 Fear and trembling
140.18/I44 自分を変えたい人のためのABCモデル : 教育・福祉・医療職を目指す人の応用行動分析学(ABA)
140.18/P95 うまくやるための強化の原理 : 飼いネコから配偶者まで
140.18/Sa28 行動分析学 : 行動の科学的理解をめざして
140.18/Sk   心理主義を超えて
140.7/O54 伝えるための心理統計 : 効果量・信頼区間・検定力
140.7/To83  たのしいベイズモデリング : 事例で拓く研究のフロンティア
140/G17 The Oxford handbook of hope
140/H62 われわれはなぜ嘘つきで自信過剰でお人好しなのか : 進化心理学で読み解く、人類の驚くべき戦略
140/L64 Oxford handbook of positive psychology and work
140/L88 Positive psychology : the scientific and practical explorations of human strengths
140/N71 Character strengths interventions : a field guide for practitioners
140/W37 進化心理学を学びたいあなたへ : パイオニアからのメッセージ
141.1/Ka48 The intelligence paradox : why the intelligent choice isn’t always the smart one
141.2/Sa36 ダーウィニズム心理学 : 記憶、感情、意識の謎に答える
141.5/Mi67 美しさと魅力の心理
141.5/Se47 Homo prospectus
141.6/B24 情動はこうしてつくられる : 脳の隠れた働きと構成主義的情動理論
141.6/B75 On romantic love : simple truths about a complex emotion
141.6/L28 Empathy : a history
141.6/P97 The psychology of courage : modern research on an ancient virtue
141.6/R23 Love’s confusions
141.6/Te37 Love and limerence : the experience of being in love
141.7/Si5 人が自分をだます理由 : 自己欺瞞の進化心理学
141.7/Su76 考えなしの行動?
141.72/H21  やり抜く人の9つの習慣 : コロンビア大学の成功の科学
141.72/H21  やる気が上がる8つのスイッチ : コロンビア大学のモチベーションの科学
141.75/D51 良い習慣、悪い習慣 : 世界No.1の心理学ブロガーが明かすあなたの行動を変えるための方法
141.8/Ta63 選好形成と意思決定
141.93/Ku35 Character strength development : perspectives from positive psychology
143.5/F28 The Oxford handbook of women and competition
143.8/V89 The Oxford handbook of comparative evolutionary psychology
143/B95/1 The handbook of evolutionary psychology
143/B95/2 The handbook of evolutionary psychology
143/H86 Evolution and gender : why it matters for contemporary life
145.2/W78 よく眠るための科学が教える10の秘密
145/Sh11 The Oxford handbook of evolutionary perspectives on violence, homicide, and war
146.1/G91 悪における善 : 心理学のパラドックス
150.2/G61 The Cambridge history of moral philosophy
150.4/Mo57  いまを生きるための倫理学
150.4/So63/5  道徳的な運 : 哲学論集一九七三~一九八〇
150/B35 生まれてこないほうが良かった : 存在してしまうことの害悪
150/C11 Exploring moral problems : an introductory anthology
150/F32 Having it both ways : hybrid theories and modern metaethics
150/G39 理性と道徳
150/H33 Moral evil in practical ethics
150/Ma23 The Routledge handbook of metaethics
150/R52 スミス先生の道徳の授業 : アダム・スミスが経済学よりも伝えたかったこと
150/Sh14 Ethics : essential readings in moral theory
151.1/B39 The Routledge companion to virtue ethics
151.1/C22 Varieties of virtue ethics
151.2/C14 自由意志
151.3/St2 The Oxford handbook of reasons and normativity
151.5/Ma13 <効果的な利他主義>宣言! : 慈善活動への科学的アプローチ
151.6/B14 Well-being : happiness in a worthwhile life
151.7/Se56  功利主義をのりこえて : 経済学と哲学の倫理
158/H76/1 The history of evil in antiquity : 2000 BCE to 450 CE
158/H76/2 The history of evil in the medieval age : 450-1450 CE
158/H76/3 The history of evil in the early modern age : 1450-1700 CE
158/H76/4 The history of evil in the eighteenth and nineteenth centuries : 1700-1900 CE
158/H76/5 The history of evil in the early twentieth century : 1900-1950 CE
158/H76/6 The history of evil from the mid-twentieth century to today : 1950-2018 CE
158/H82  オール・アバウト・ラブ : 愛をめぐる13の試論
158/Ta98 Deadly vices
159/A41 人生がうまくいく人の断る力
159/L88 Making hope happen : create the future you want for yourself and others
159/Sa62 Option B : 逆境、レジリエンス、そして喜び
164.31/Y86 名画で読み解く「ギリシア神話」
164/F44 世界を創る女神の物語 : 神話、伝説、アーキタイプに学ぶヒロインの旅
191/Th1 The Oxford handbook of theology, sexuality, and gender
209.5/D71/1 危機と人類
209.5/D71/2 危機と人類
209.74/Te72 よい戦争
209.74/W74/1 大いなる聖戦 : 第二次世界大戦全史
209.74/W74/2 大いなる聖戦 : 第二次世界大戦全史
210.7/H51 昭和・平成史年表 : 1926-2019
235.05/L62 セレブの誕生 : 「著名人」の出現と近代社会
253.06/Sh14 Lincoln’s melancholy : how depression challenged a president and fueled his greatness
253.07/Te72 大恐慌!
289/R74 パノニカ : ジャズ男爵夫人の謎を追う = Pannonica
289/W85 ウルストンクラフトの北欧からの手紙
301.6/Sa19 実験が切り開く21世紀の社会科学
301/L57 The Routledge handbook of ethics and public policy
302.53/N71 専門知は、もういらないのか : 無知礼賛と民主主義
302.53/Te72 アメリカの分裂
302.53/Te72 アメリカン・ドリーム
304/H32  21 lessons (トゥエンティワン・レッスンズ) : 21世紀の人類のための21の思考
309.021/Ki62 終わらない「失われた20年」 : 嗤う日本の「ナショナリズム」・その後
309/B25 ラディカルズ : 世界を塗り替える〈過激な人たち〉
311.1/F45 正義の秤 (スケール) : グローバル化する世界で政治空間を再想像すること
311.1/L67  Luck egalitarianism
311.1/N35 自由と自律
311.253/Sa62/1  手続き的共和国の憲法 = The constitution of the procedural republic
311.253/Sa62/2  公民性の政治経済 = The political economy of citizenship
311/O63 隔たりと政治 : 統治と連帯の思想
311/O63 統治の抗争史 : フーコー講義1978-79
311/U77 未来をはじめる : 「人と一緒にいること」の政治学
312.1/N81 なぜ政治はわかりにくいのか社会と民主主義をとらえなおす
312.53/L62 リベラル再生宣言
314.8933/N37 サフラジェット : 英国女性参政権運動の肖像とシルビア・パンクハースト
316.1/C11 The affirmative action debate
316.1/L99 監視文化の誕生 : 社会に監視される時代から、ひとびとが進んで監視する時代へ
316.1/Sc6 Philosophical dimensions of privacy : an anthology
316.1/Sh25 「表現の自由」の明日へ : 一人ひとりのために、共存社会のために
316.1/Sh25 あたらしい表現活動と法
316.1/W36 One another’s equals : the basis of human equality
316.8/H55 ヘイト・スピーチ規制の憲法学的考察 : 表現の自由のジレンマ
316.8/Ki31 差別表現の法的規制 : 排除社会へのプレリュードとしてのヘイト・スピーチ
316.81/Z1 ヘイトスピーチはどこまで規制できるか
316.84555/D32 なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか : PKO司令官の手記
316.84555/To66 ルワンダジェノサイドから生まれて
317.953/C85 より高き忠誠 : 真実と嘘とリーダーシップ
319.8/F49 The ethics of war and peace : an introduction
319/Si8 「いいね!」戦争 : 兵器化するソーシャルメディア
321.1/N35 「法」における「主体」の問題
321.1/W21 功利主義の逆襲
323.01/I55 立憲主義という企て
323.14/Sh25 表現者のための憲法入門
323.53/L59 敵対する思想の自由 : アメリカ最高裁判事と修正第一条の物語
326.22/I89  なぜ、それが無罪なのか!? : 性被害を軽視する日本の司法
326.3/F65 被害者と加害者の対話による回復を求めて : 修復的司法におけるVOMを考える
326.3/W36 Criminology : the essentials
326.3/W72 犯罪学研究 : 社会学・心理学・遺伝学からのアプローチ
326.41/Mo43 処刑の文化史 : 首吊り、内臓えぐり、そして八つ裂き
330.4/C15 ポップな経済学
330.7/N62 経済学者の勉強術 : いかに読み、いかに書くか
331.19/Ka62 経済指標のウソ : 世界を動かす数字のデタラメな真実
331.6/Sa75 私たちはなぜ働くのか : マルクスと考える資本と労働の経済学
331.74/A79 社会的選択と厚生経済学ハンドブック
331.74/F18 厚生経済学と社会選択論
331.85/G17 不平等 : 誰もが知っておくべきこと
331.85/O59 The Oxford handbook of distributive justice
331/L59 かくて行動経済学は生まれり
331/O11 WTF経済 : 絶望または驚異の未来と我々の選択
332.06/H51 グリッドロック経済 : 多すぎる所有権が市場をつぶす
332.53/Su67 景気の回復が感じられないのはなぜか : 長期停滞論争
333.8/D95 貧困と闘う知 : 教育、医療、金融、ガバナンス
334.31/A29 少子化問題の社会学
334.4/B28 自分とは違った人たちとどう向き合うか : 難民問題から考える
334.453/B65 移民の政治経済学
336.17/H32 ひらめきを生み出すカオスの法則
336.2/Z1 Single task一点集中術 : 「シングルタスクの原則」ですべての成果が最大になる
336.3/G56 Dream workplace (ドリーム・ワークプレイス) : だれもが「最高の自分」になれる組織をつくる
336.4/B47 ポジティブ・コーチングの教科書 : 成長を約束するツールとストラテジー
336.4/B61 ワーク・ルールズ! : 君の生き方とリーダーシップを変える
336.4/P82 Think CIVILITY : 「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である
336/B92 Gamify = ゲーミファイ : エンゲージメントを高めるゲーミフィケーションの新しい未来
337/H26 193の心理研究でわかったお金に支配されない13の真実
337/W66 Money : もう一度学ぶお金のしくみ
350.1/Sp5 統計学はときにセクシーな学問である
361.04/E59 ソーシャルメディアと公共性 : リスク社会のソーシャル・キャピタル
361.04/N35  批判的社会理論の現在
361.04/N87 身体化するメディア/メディア化する身体
361.1/G27 The Routledge companion to social and political philosophy
361.1/H85 承認をめぐる闘争 : 社会的コンフリクトの道徳的文法
361.1/W66 Time well spent : subjective well-being and the organization of time
361.16/Ko12  自己語りの社会学 : ライフストーリー・問題経験・当事者研究
361.3/Ka76 殴り合いの文化史
361.4/D64 信頼はなぜ裏切られるのか : 無意識の科学が明かす真実
361.4/G36 現実はいつも対話から生まれる : 社会構成主義入門
361.4/H36  きずなと思いやりが日本をダメにする : 最新進化学が解き明かす「心と社会」 : 長谷川眞理子対談山岸俊男
361.4/Ki68 偏見や差別はなぜ起こる? : 心理メカニズムの解明と現象の分析
361.4/Ma25 Subjective well-being and life satisfaction
361.4/Me44 Slutwalk : feminism, activism and media
361.4/W36 The psychology of the Internet
361.4/W36 インターネットの心理学
361.42/Ta47  日本人論の危険なあやまち : 文化ステレオタイプの誘惑と罠
361.44/R22 インターベンション・スキルズ : チームが動く,人が育つ,介入の理論と実践
361.45/A41 全米最高視聴率男の「最強の伝え方」
361.45/B79 Media effects : advances in theory and research
361.45/I89 情動の社会学 : ポストメディア時代における”ミクロ知覚”の探求
361.45/Ko79 見ること・聞くことのデザイン : メディア理解の相互行為分析
361.45/N55 お世辞を言う機械はお好き? : コンピューターから学ぶ対人関係の心理学
361.45/P85 Media effects
361.45/W97 理解の秘密 : マジカル・インストラクション
361.5/C14 Captives : how stolen people changed the world
361.5/I54 文化的進化論 : 人びとの価値観と行動が世界をつくりかえる
361.5/I55 文化社会学界隈
361.5/U45 アーバン・トライバル・スタディーズ : パーティ、クラブ文化の社会学
361.5/Y23 文化を実験する : 社会行動の文化・制度的基盤
361.5/Y91 アフター・カルチュラル・スタディーズ = After cultural studies
361.63/A46 家族の構造・機能・感情 : 家族史研究の新展開
361.63/H46 まぼろしの「日本的家族」
361.65/H56  ネット右翼とは何か
361.65/I89 ネット右派の歴史社会学 : アンダーグラウンド平成史1990-2000年代
361.78/Ka53 ニュータウンの社会史
361.8/W46 「差別はいけない」とみんないうけれど。
361.9/I43/1 社会科学のためのデータ分析入門
361.9/I43/2 社会科学のためのデータ分析入門
361.9/Sa53 ビット・バイ・ビット : デジタル社会調査入門
361/Ki62 社会制作の方法 : 社会は社会を創る、でもいかにして?
361/N84 映画は社会学する
361/W72  デンマーク幸福研究所が教える「幸せ」の定義
364/Mo33  自己責任の時代 : その先に構想する、支えあう福祉国家
366.0233/B58 アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した : 潜入・最低賃金労働の現場
366.38/B35 フェミニスト・ファイト・クラブ : 「職場の女性差別」サバイバルマニュアル
366.94/Y19  働く人のための感情資本論 : パワハラ・メンタルヘルス・ライフハックの社会学
367.2/B72  ウーマン・イン・バトル : 自由・平等・シスターフッド!
367.2/E34  争点としてのジェンダー : 交錯する科学・社会・政治
367.2/G24 The Routledge companion to feminist philosophy
367.2/H11 Theorizing feminisms : a reader
367.2/H11/1   差異の思考
367.2/H11/2   序列を解体する
367.2/L51  私たちにはことばが必要だ : フェミニストは黙らない
367.2/Ma45  ひれふせ、女たち : ミソジニーの論理
367.2/N46 Twenty-first century feminism : forming and performing femininity
367.2/O71  The Routledge handbook of contemporary feminism
367.2/R34/1 嘘、秘密、沈黙。
367.2/R34/2 血、パン、詩。
367.2/Sa72  ジェンダーとわたし : 「違和感」から社会を読み解く
367.2/So34 説教したがる男たち
367.2/Su38  女性学入門 : ジェンダーで社会と人生を考える
367.2/W84 Promiscuities : a secret history of female desire
367.2/Y43 ひとはなぜ乳房を求めるのか : 危機の時代のジェンダー表象
367.21/G21 The Bloomsbury companion to analytic feminism
367.21/O17 夢みる教養 : 文系女性のための知的生き方史
367.21/O24  「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。
367.21/Su48 身体・性・生 : 個人の尊重とジェンダー
367.21/Y87 女性の健康とドメスティック・バイオレンス : WHO国際調査/日本調査結果報告書
367.221/Ka56  韓国フェミニズムと私たち
367.233/I43 現代イギリス女性運動史 : ジェンダー平等と階級の平等
367.253/Ka89 われらアメリカの女たち : ドキュメント・アメリカ女性史
367.3/B31 A treatise on the family
367.3/Sa55 The Oxford handbook of evolutionary family psychology
367.4/H75 Modern loves : the anthropology of romantic courtship & companionate marriage
367.4/Ko12 変貌する恋愛と結婚 : データで読む平成
367.4/N23 オペラになった高級娼婦 : 椿姫とは誰か
367.6/F15 The boy crisis : why our boys are struggling and what we can do about it
367.9/C11 Overcoming objectification : a carnal ethics
367.9/J34 Gender hurts : a feminist analysis of the politics of transgenderism
367.9/L31 Solitary sex : a cultural history of masturbation
367.9/P96 Human sexuality : a contemporary introduction
367.9/Sw3 セックスワーク・スタディーズ : 当事者視点で考える性と労働
367.9/W56  BLが開く扉 : 変容するアジアのセクシュアリティとジェンダー
367/C86 The men and the boys
367/C88 マンズ・ワールド : フェミニズムと男らしさのあいだで
367/H22 男性は何をどう悩むのか : 男性専用相談窓口から見る心理と支援
367/I35 男性問題から見る現代日本社会
367/N57 Legalizing misandry : from public shame to systemic discrimination against men
367/Z6 Not all dead white men : classics and misogyny in the digital age
368.4/Y91 買春する帝国 : 日本軍「慰安婦」問題の基底
368.6/F28 コラプション : なぜ汚職は起こるのか
368.6/Ma35  痴漢とはなにか : 被害と冤罪をめぐる社会学
368.6/Sa25  「小児性愛」という病 : それは、愛ではない
368.6/Sa25 男が痴漢になる理由
368.6/Sa25 万引き依存症
368.6/U25  ストーカーとの七〇〇日戦争
368.8/W15 ハッパノミクス : 麻薬カルテルの経済学
368/N36  失踪の社会学 : 親密性と責任をめぐる試論
369.1/B13 The politics of wellbeing : theory, policy and practice
369.27/A79 Disability and political theory
369.27/Ta94 不如意の身体 : 病障害とある社会
371.3/C16 大学なんか行っても意味はない? : 教育反対の経済学
371.3/Ta17 男子問題の時代? : 錯綜するジェンダーと教育のポリティクス
371.4/W47 ストレングス・スイッチ : 子どもの「強み」を伸ばすポジティブ心理学
372.35/Ko97 フランスで出版された女性のための知的啓蒙書(1650?1800年)に関する一研究 : その特徴及び時代背景から19世紀への継承まで
375.76/O84 平成日本の音楽の教科書
375.84/Ka88 古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。
375.85/Ki22 論理的思考力を育てる!批判的読み (クリティカル・リーディング) の授業づくり : 説明的文章の指導が変わる理論と方法
377.15/To78 教養教育再考 : これからの教養について語る五つの講義
379.9/G66 思いどおりになんて育たない : 反ペアレンティングの科学
382.1/Se87/1989-2019 平成世相風俗史年表 : 1989→2019
383.1/Ta84   リクルートスーツの社会史
383.5/H53 脱毛の歴史 : ムダ毛をめぐる社会・性・文化
383.5/Mo33 図説毛全書
383.8/A41  Food & philosophy : eat, drink, and be merry
384.6/O65 ヴィクトリアン・レディーのための秘密のガイド
384.7/B68 Erotic love in sociology, philosophy and literature : from romanticism to rationality
384.7/D51 Romantic love and sexual behavior : perspectives from the social sciences
384.7/D51 Romantic love in America : cultural models of gay, straight, and polyamorous relationships
388/H24 シンデレラの謎 : なぜ時代を超えて世界中に拡がったのか
391.1/L45 The Oxford handbook of ethics of war
391.1/Ma32 民間人保護の倫理 : 戦争における道徳の探求
391.3/Sl 現代の軍事戦略入門 : 陸海空からPKO、サイバー、核、宇宙まで
391.6/Ke17 情報と戦争 : 古代からナポレオン戦争、南北戦争、二度の世界大戦、現代まで
401/N63 Biology and feminism : a philosophical introduction
402/H33 疑惑の科学者たち : 盗用・捏造・不正の歴史
404/B77 科学の誤解大全
404/Ki24 なぜ疑似科学を信じるのか : 思い込みが生みだすニセの科学
404/Sa57 ニセ科学を見抜くセンス
404/W98 疑似科学はなぜ科学ではないのか : そのウソを見抜く思考法
404/Y86 科学はなぜわかりにくいのか : 現代科学の方法論を理解する
407/Sa85 なぜあなたは論文が書けないのか? : 理由がわかれば見えてくる,論文を書ききるための処方箋
417.1/R77 確率
417/D11 この世で一番おもしろい統計学 : 誰も「データ」でダマされなくなるかもしれない16講+α
448.9/R66 地図の物語 : 人類は地図で何を伝えようとしてきたのか
457.87/B78 恐竜の世界史 : 負け犬が覇者となり、絶滅するまで
467.3/C86 ゲノムで社会の謎を解く : 教育・所得格差から人種問題、国家の盛衰まで
467.5/Ta91 進化論物語
468/Ki56  利己的遺伝子の小革命 : 1970-90年代日本生態学事情
469/H36 世界は美しくて不思議に満ちている : 「共感」から考えるヒトの進化
469/H52 文化がヒトを進化させた : 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉
471.3/Ma43 植物は「知性」をもっている : 20の感覚で思考する生命システム
480.79/A84 動物保護入門 : ドイツとギリシャに学ぶ共生の未来
480.79/O11 絶滅できない動物たち : 自然と科学の間で繰り広げられる大いなるジレンマ
480.79/U17 人と動物の関係を考える : 仕切られた動物観を超えて
480/B31 The Oxford handbook of animal ethics
480/W12 現代思想からの動物論 : 戦争・主権・生政治
481.71/A41 社会生物学の勝利 : 批判者たちはどこで誤ったか
481.9/W73 毒々生物の奇妙な進化
489.6/G84 「イルカは特別な動物である」はどこまで本当か : 動物の知能という難題
489.9/St2 新しいチンパンジー学 : わたしたちはいま「隣人」をどこまで知っているのか?
489/F43 家畜化という進化 : 人間はいかに動物を変えたか
490.14/G87 医者は現場でどう考えるか
490.15/A79 The Routledge companion to bioethics
490.15/D66 The ethics of embryonic stem cell research
490.15/Ko18  殺す親殺させられる親 : 重い障害のある人の親の立場で考える尊厳死・意思決定・地域移行
490.15/Me51 Morals and medicine : the moral problems of the patient’s right to know the truth, contraception, artificial insemination, sterilization, euthanasia
490.15/O54 バイオバンクの展開 : 人間の尊厳と医科学研究 = Challenges evoked by biobanks in Japan : through medical research on human dignity
490.15/Y84 The Oxford handbook of ethics at the end of life
490.4/N57 「ニセ医学」に騙されないために : 科学的根拠(エビデンス)をもとに解説
491.2/Sa13 ラングマン人体発生学
491.346/Ma98 腸と脳 : 体内の会話はいかにあなたの気分や選択や健康を左右するか
491.5/P77 How to change your mind
491.69/Ma26 遺伝学の知識と病いの語り : 遺伝性疾患をこえて生きる
493.74/E63 やめられない人々 : 性依存症者、最後の「駆け込み寺」リポート
493.74/H56 スマホゲーム依存症
493.76/A33 Positive psychology for overcoming depression : self-help strategies to build strength, resilience and sustainable happiness
493.76/D99 サイコパス : 秘められた能力
493.937/C99  妖精のささやき : 子どもの心と「打たれ強さ」
493.938/B47 子どもができて考えた、ワクチンと命のこと。
498.13/H38  医療経済学講義
498.13/Y65 健康の経済学 : 医療費を節約するために知っておきたいこと = Health economics
498.2/B63 胎児の条件 : 生むことと中絶の社会学
498/I26  新医療経済学 : 医療の費用と効果を考える
499.093/O26 薬価の経済学
499.1/G82 ジェネリック : それは新薬と同じなのか
499.3/Ki54 新薬の狩人たち : 成功率0.1%の探求
501.8/N96 エモーショナル・デザイン : 微笑を誘うモノたちのために
501.8/N96 未来のモノのデザイン : ロボット時代のデザイン原論
507.2/L57 New frontiers in the philosophy of intellectual property
507/Se19 科学技術の倫理学
548.3/D35 Robot sex : social and ethical implications
549/H98 ハードウェアハッカー : 新しいモノをつくる破壊と創造の冒険
559/Sc1  無人の兵団 : AI、ロボット、自律型兵器と未来の戦争
611.3/B23 The Oxford handbook of food ethics
611.3/Sa62  Food ethics : the basics
675/Sh23 類似性の構造と判断 : 他者との比較が消費者行動を変える
675/Ta84  消費者行動論体系
675/Th6 ヒットの設計図 : ポケモンGOからトランプ現象まで
676.8/H54 宝くじの文化史 : ギャンブルが変えた世界史
689.3/A62 ディズニーランドの社会学 : 脱ディズニー化するTDR
701.1/C22 Philosophy of art : a contemporary introduction
701.1/N35  美のポリティクス
701/N35  アイステーシス
701/N35  クリティケー
702.3/A58  西洋芸術の歴史と理論
702.3/I91   Wild zones : pornography, art and feminism
702.5/H82 アート・オン・マイ・マインド : アフリカ系アメリカ人芸術における人種・ジェンダー・階級
702.5/Mi77  アメリカの芸術と文化
702/N37 チャートで読み解く美術史入門
704/B58 視覚文化におけるジェンダーと人種 : 他者の眼から問う
720.79/A37 絵を見る技術 : 名画の構造を読み解く
720.79/Ta54  誰も知らない「名画の見方」
723/H65 名画の謎を解き明かすアトリビュート・シンボル図鑑
723/Mi83 世界の一流が必ず身につけている西洋美術の見方 : カラー版
723/O15 アートのロジックを読み解く西洋美術の楽しみ方 : logic of art
726.1/G87 テプフェール : マンガの発明
726.1/G87 線が顔になるとき : バンドデシネとグラフィックアート
726.1/H13 私の少女マンガ講義
726.1/Mi38  マンガの歴史
726.1/Sh49 日本の漫画本300年 : 「鳥羽絵」本からコミック本まで
726.1/Y92 あの頃のBLの話をしよう : ボーイズラブインタビュー集
740.1/Ma27 イメージを逆撫でする : 写真論講義 = Photography theory against the grain
740.1/Ma46 インスタグラムと現代視覚文化論 : レフ・マノヴィッチのカルチュラル・アナリティクスをめぐって
740.1/Sh96 写真の本質 : 入門書
740.21/I28 日本の写真家101
740.28/O37 すぐわかる作家別写真の見かた
740.28/Ta71 世界の写真家101
740.4/St6   写真の映像 : 写真をめぐる隠喩のアルバム
740.4/Y46 写真を読む夜 : プロフェッショナルのテクニックと視点 : 13人の写真家たちの撮影哲学
743/O93 写真を紡ぐキーワード123 : 写真史から学ぶ撮影表現
748/C88 写真は魔術
760.1/G34 悲しい曲の何が悲しいのか : 音楽美学と心の哲学
760.1/G75 音楽の哲学入門
760.1/Sc9 Understanding music : philosophy and interpretation
760.4/O38 音楽と出会う : 21世紀的つきあい方
760.7/R24 A brief introduction to a philosophy of music and music education as social praxis
760.79/G82 How to listen to great music : a guide to its history, culture, and heart
761.1/F76 音楽の感動を科学する : ヒトはなぜ”ホモ・カントゥス”になったのか
761.5/N81 ハーモニー探究の歴史 : 思想としての和声理論
761.9/Ma95 指揮者は何を考えているか : 解釈、テクニック、舞台裏の闘い
762.1/F74 日本の作曲家と吹奏楽の世界
762.3/Sw1 Language of the spirit : an introduction to classical music
762.53/C11 ジョン・ケージ : 作曲家の告白
762/O11 She bop : the definitive history of women in popular music
763.67/Ma29 スタン・ゲッツ : 音楽を生きる
764.6/A12 ブラスバンドの社会史 : 軍楽隊から歌伴へ
764.6/To63 日本の吹奏楽史 : 1869-2000
764.7/E59 意味も知らずにプログレを語るなかれ
764.7/E89 Expression in pop-rock music : critical and analytical essays
764.7/Ka19 マイルス・デイヴィス「カインド・オブ・ブルー」創作術
764.7/Ka97 意味も知らずにヘヴィメタルを叫ぶな! : 歌詞とイラストに加え、思わず口にしたくなる英語フレーズ付き
764.7/Ke32 セロニアス・モンク : 独創のジャズ物語
764.7/Ko29 意味も知らずにブルースを歌うな! : ご丁寧に歌詞とコード譜とイラストに加え、ちょっと怪しい英語フレーズ付き
764.7/Ko29 意味も知らずにロックンロールを歌うな!? : 歌詞とコードと”ダニー”のイラストに加え、意外と役立つ英語フレーズ付き
764.7/Mi37 オルタナティブロックの社会学
764.7/Mi74 ライブカルチャーの教科書 : 音楽から読み解く現代社会
764.7/Mi74 ライブシーンよ、どこへいく : ライブカルチャーとポピュラー音楽
764.7/Mo43 Rock, the primary text : developing a musicology of rock
764.7/N87 全ロック史 = A history of rock music
764.7/N92 クラブ・ミュージックの文化誌 : ハウス誕生からレイヴ・カルチャーまで
764.7/N92 ブラック・マシン・ミュージック : ディスコ、ハウス、デトロイト・テクノ : black machine music & galactic soul
764.7/R25 夏フェス革命 : 音楽が変わる、社会が変わる
764.7/Sa91 ハウス・ミュージック : その真実の物語
764.7/St7 The Value of Popular Music : An Approach from Post-Kantian Aesthetics
764.7/Te71 Jazz theory : from basic to advanced study
764.7/W46 アイデンティティの音楽 : メディア・若者・ポピュラー文化
767.8/A82 ビートルズは何を歌っているのか?
767.8/C33 ヒップホップ・ジェネレーション
767.8/C92 ボウイ : その生と死に
767.8/F85 音楽社会学でJ-POP!!! : 米軍基地から生まれた日本歌謡曲ヒストリー
767.8/G35 ヒップホップ・アメリカ
767.8/Ka87 「アイドル」の読み方 : 混乱する「語り」を問う
767.8/N81 アイドル/メディア論講義
767.8/To58  ナイトフライ : 録音芸術の作法と鑑賞法
767.8/W47 ヒップホップはアメリカを変えたか? : もうひとつのカルチュラル・スタディーズ
767.8/Y58 コミックソングがJ-POPを作った : 軽薄の音楽史
767/H94 うたのしくみ
770/Y99 エンタテインメントの科学 = The science of entertainment
775.4/Mi77 宝塚ファンの社会学 : スターは劇場の外で作られる
778.07/G54 Writing about movies
778.2/B25 Looking at movies : an introduction to film
778.23/W84 Understanding love : philosophy, film, and fiction
778.253/Su74 スター・ウォーズによると世界は
778.77/I81 現代アニメ「超」講義
778.77/N86 ファンタジーのイデオロギー : 現代日本アニメ研究
778.77/Ta53 アニメ制作者たちの方法 : 21世紀のアニメ表現論入門
778.8/Ka98 彼女たちの「Sex and the city」 : 海外ドラマ視聴のエスノグラフィ
778/F39  Sex and film : the erotic in British, American and world cinema
778/H83 The Routledge companion to cinema and gender
780.13/Ma47 The Palgrave handbook of feminism and sport, leisure and physical education
780.14/G97 The erotic in sports
780.2/G97 Sports : the first five millennia
780.2/O74 Women in sports history
780.7/C19 サバイバルボディー : 人類の失われた身体能力を取り戻す
783.9/Sa77 ボウリングの社会学 : 「スポーツ」と「レジャー」の狭間で
798/B12 ゲームの教科書
798/F71  ソーシャルゲームはなぜハマるのか : ゲーミフィケーションが変える顧客満足
798/Ma83 ビデオゲームの美学
798/O63 ゲームの面白さとは何だろうか
798/W46  なぜ人はゲームにハマるのか : 開発現場から得た「ゲーム性」の本質
799/W26 ダンスの時代
801.01/C16 Context and communication
801.01/C16 Fixing language : an essay on conceptual engineering
801.01/C95 Speech and morality : on the metaethical implications of speaking
801.01/F94 言葉の魂の哲学
801.01/I89 計量言語学入門
801.03/Ma15 Just words : on speech and hidden harm
801.03/N43   スナックの言語学 : 距離感の調節
801.2/J11 思考と意味の取扱いガイド
801/Ta98 認知言語学のための14章
816.5/Ka31 アカデミック・ライティングのためのパラフレーズ演習 : 上級日本語学習者対象 : 言い換え書き換え
816.5/N93 卒論を楽しもう : グリム童話で書く人文科学系卒論
816.5/Y92 シカゴ・スタイルに学ぶ論理的に考え、書く技術 : 世界で通用する20の普遍的メソッド
902.04/R22 The making of romantic love : longing and sexuality in Europe, South Asia, and Japan, 900-1200 CE
904/C88 処女崇拝の系譜
910.26/Ma81 テクスト分析入門 : 小説を分析的に読むための実践ガイド
910.26/Mi93  ボーイズラブが生まれる場所
910.26/O17 小説は、わかってくればおもしろい : 文学研究の基本15講
910.26/O17 文芸雑誌『若草』 : 私たちは文芸を愛好している
910.28/Ts93 筒井康隆、自作を語る
911.66/E54 音楽とことば : あの人はどうやって歌詞を書いているのか
914.6/Sa97 感性は感動しない : 美術の見方、批評の作法
929.1/Sa25  完全版韓国・フェミニズム・日本
930.4/F41 大学教授のように小説を読む方法
932/I49 「サロメ」の変容 : 翻訳・舞台
934/Mo41 トレイルズ : 「道」と歩くことの哲学
950.2/Ku17 サロメ誕生 : フローベール/ワイルドb
950.2/Se41 リベルタン文学とフランス革命 : リベルタン文学はフランス革命に影響を与えたか?
954/H11  人生の塩 : 豊かに味わい深く生きるために
956/C99  心のレジリエンス : 物語としての告白
992/I91 ラテン文学を読む : ウェルギリウスとホラーティウス

詭弁と誤謬推理に気をつけよう(1) 宇崎ちゃんポスターの場合 (宇崎ちゃん問題(1))

『宇崎ちゃんは遊びたい』とコラボした献血ポスターについて、フェミニストの牟田和恵先生が、各自治体のガイドラインを示して、ポスターはガイドラインに反した性差別であると主張しています。それに対してはすでによい論評がいくつか出ているので 1)「「宇崎ちゃんは遊びたい」×献血コラボキャンペーンの絵は過度に性的なのか?」「宇崎ちゃんを採用した赤十字は現実的」 私が書くべきことはほとんどないのですが、一つ、大学での教育的な点から書いておきたいことがあります。これは続きものになるかもしれない。

ゲンダイの文章は改ページが多くて見通しが悪いので、冒頭から、途中の、ガイドラインに反しているのは明らかだと主張しているところまで引用しましょう。

日本赤十字社が献血を呼びかけるためにweb漫画とコラボで作成したポスターがネット上で論議を呼んだ。今回使われたのは写真の通り、幼い表情で、巨大といってもいいような乳房を強調するもの。「宇崎ちゃん」という名のキャラらしい。

日本事情に詳しい米国人男性が英語で、過度に性的な絵で、赤十字のポスターとしてふさわしくない、とツイッターで発信(10月14日)、日ごろから女性差別問題について活発な発信をしている女性弁護士がそれに同意し「環境型セクハラ」と批判を続けたところ、「表現の自由だ、表現を規制するのか」「自分の基準で勝手なことを言うな」「たかが絵なのに文句を言うな」等々の、ほとんど罵倒と言ってもよいようなものも含めて、非常に多くの反批判を受けた。

私自身もこの件で複数回ツイートしたが、いずれもリツイートや「いいね」を多数いただいたものの、上記と同趣旨のリプライも山ほど浴びた。

改めて、何が問題なのか

結論から言えばこの件は、議論する以前に答えは出ている。

女性差別撤廃条約(1979年国連採択、85年日本批准)はジェンダーに基づくステレオタイプへの対処を求めており、日本政府への勧告でもメディアでの根強いステレオタイプの是正を重ねて求めている。

たとえば第4回日本レポート審議総括所見(2009年)では、勧告の項目「ステレオタイプ」に、「女性の過度な性的描写は、女性を性的対象としてみるステレオタイプな認識を強化し、少女の自尊心の低下をもたらす」と警告している。

男女共同参画社会基本法(1999年制定)の下で策定された「男女平等参画基本計画」(2000年)でも「メディアにおける女性の人権の尊重」が盛り込まれ、2003年には内閣府の「男女共同参画の視点からの公的広報の手引き」でこれを「地方公共団体、民間のメディア等に広く周知するとともに、これを自主的に規範として取り入れることを奨励する」としている。

同じ趣旨で各地方自治体でもガイドラインを策定しているが、たとえば、東京都港区は、

「目を引くためだけに『笑顔の女性』を登場させたり、体の一部を強調することは、意味がないばかりなく、『性の商品化』につながります」「(性の商品化とは)体の一部を強調されたり、不自然なポーズをとらされることで、女性の性が断片化され、人格から切り離されたモノと扱われること」(東京都港区「刊行物作成ガイドライン「ちょっと待った! そのイラスト」、2003年)

としている。

最近のものでは埼玉県が、自治体のPR動画やイベントポスターなどで過度に性的な「萌えキャラ」等が問題となっている事態を踏まえて、女性を性的対象物として描くことに注意喚起し、「人権への理解を深め、男女共同参画の視点に立った表現をすることが一層重要となっています」(埼玉県「男女共同参画の視点から考える表現ガイド」(2018年))としている。

今回のポスターはこうしたガイドライン等に抵触することは明らかだろう。

「明らかだ」っていうんですが、本当に明らかでしょうか。私こういうタイプの文章見ると混乱してしまうんですよね。

牟田先生の上の引用での主張を、簡単にまとめると、「宇崎ちゃんは幼い顔でおっぱいが大きく描かれている」「宇崎ちゃんは過度に性的だと米国人男性が言った」「国連はメディアのジェンダーステレオタイプの是正を求めている」「男女平等参画基本計画ではメディアにおける女性の人権の尊重を求めている」「自治体がいろいろガイドラインを定めている」ぐらいですよね。最後の埼玉のを使うと

a. 埼玉のガイドラインは女性を性的対象物として描くことに注意喚起している
c. それゆえ今回のポスターは埼玉のガイドラインに抵触している

とかって形になっているわけです。なんかおかしいですよね。大学の授業なんかでは、論証というのは三段論法が基本だ、みたいな話を聞いていると思います。

a. 人間は死ぬ
b. ソクラテスは人間である
c. それゆえソクラテスは死ぬ

こういう形ですよね。実は上の牟田先生のやつは、省略三段論法とか隠された三段論法といわれやつで2)省略三段論法自体は特に詭弁でも誤謬推理でもないです。、本来は、

a. 埼玉のガイドラインでは女性を性的対象物として描くことは不適切だ3)実際の文言では「注意喚起」しているにすぎません。
b. 宇崎ちゃんポスターは女性を性的対象物として描いている
c. したがって、埼玉のガイドラインでは宇崎ちゃんポスターは不適切だ

という形になっているはずなのです。牟田先生が「明らかだろう」っていってるのはぜんぜん明らかではなく、「宇崎ちゃんポスターは女性を性的対象物として描いている」という牟田先生自身の論点や主張が明示されておらず、暗黙に了解されているにすぎない4)この「性的対象物」が難しいのは、たいていの男女は性的対象物というか鑑賞物になりうるからです。たとえば同時に献血コラボしていたと思われる乃木坂ははっきり鑑賞物。あれの方がずっと性的対象だろう、とか言いたくなってしまう。性的対象にならないように、メイクで全員ゾンビにしてしまえばいいのに。ははは。しかしそれだと乃木坂である必要はないことになってしまうだろうか、それとも乃木坂ならゾンビでも性的対象になりアイキャッチに使えるだろうか。他にもたとえばスケートの羽生選手などのスポーツ選手もとてもセクシーだと思うわけで。性的対象にしてますね!先生わかってますよ!みたいな。ははは。。そしてこれこそ本当の論点のはずなのです(性的対象として描くことが不適切なこと、あるいは悪いことであることを認めるとして、ね)。

国連の「女性の過度な性的描写」の方を見ても同様ですね。

a. 国連は女性の過度な性的描写には問題があると主張している
b. 宇崎ちゃんポスターは過度な性的描写である
c. 国連は宇崎ちゃんポスターには問題があると主張する(だろう)

という形になるはずなのに、宇崎ちゃんが過度な性的描写であるという指摘がない。牟田先生は、あちこちのガイドラインが過度な性的描写には注意をうながしている、ということを列挙しているにすぎず、そのガイドラインの根拠についてもはっきりしない5)そもそも献血ポスターと自治体のガイドラインの関係もよくわからない。 https://togetter.com/li/1425063 参照。。宇崎ちゃんは過度に性的なのだろうか。

これ、注意深く読むと、冒頭で「米国人男性が(宇崎ちゃんポスターは)過度に性的な絵で赤十字のポスターとしてふさわしくない、とツイッターで発信、女性弁護士がそれに同意」ということが言われていますが、牟田先生自身は「ポスターは過度に性的な絵だ」ということを主張・立証していません。

もしかしたら

a. 米国人男性と女性弁護士が共に言うことはなんでも正しい
b. 米国人男性と女性弁護士は共に「ポスターは過度に性的だ」と言った
c. したがって「ポスターは過度に性的だ」は正しい = ポスターは過度に性的である

とかそういう三段論法も隠されているのかもしれない。こうなるとすごいっしょ。まあ隠された三段論法の隠された前提にどんなものがはいっているかは推測するか質問するしかない。

『自由論』や『功利主義論』で有名なJ. S. ミル先生は、論理学者でもあって(というか、こっちの方が本職で重要)、『論理学体系』という非常に立派で重要な本を書いてます。いま、論理学っていうとA → B、A、したがってB、とかそういう記号でやるやつを連想する人が多いと思うんですが、ミル先生の「論理学」はそういうのも含んでますが、科学的推論というのはどのようにしてなされるべきか、とかそういうもっと広い範囲を扱った本ですわ。まあいまでいう科学哲学みたいなのも含んでる。ていうかまんま科学哲学。

この本の第5巻がまる1冊分「誤謬推理」(Fallacy、虚偽、詭弁、誤謬的思考)6)正しくない推論にはまってしまうと誤謬推理・誤謬的思考と呼ばれ、それを意図的にあるいは意図せずして説得に使うと虚偽や詭弁と呼ばれる、ぐらいの理解でよいと思います。にあてられていて、ここはちょっと難しいけどとてもおもしろい。いろんなタイプの誤謬推理が分類されて、大量の哲学者やら科学者やら迷信やらがその実例としてあげられてます。そのうち新しい翻訳が出るらしいので楽しみにしておいてください。

そのなかで、一般の議論では三段論法ははっきり明示されることはごくすくないということも指摘されてます。日常的な議論でも科学的な議論でも、三段論法みたいなのを明示する必要はさほどないんですわ。たいていの場合には二つの前提のどっちかは明白だし、いちいち書いてたら煩雑だし。そもそも三段論法というのは新しい知識を生みだすものではないのです。ソクラテスが人間だからいずれ死ぬのはだれでもわかっていて、わざわざ三段論法の形にする必要はない。

ミル先生に言わせると、

三段論法の規則というものは、人に自分の結論を主張しつづけるために弁護しなければならないこと全体を自覚させるための規則である。人は、ほとんどどんなときでも、三段論法に勝手に偽の前提を入れ込んで、自分の論証を妥当なものにすることができる。したがって、ある論証が妥当でない三段論法を含んでいるということをはっきり確かめることが可能な場合はほとんどない。しかし、こうしたことは三段論法の規則の価値を失わせるものではない。推論する人が、どのような前提を主張する用意があるかをはっきり選択させられるのは、この三段論法の規則によるのだからである。

つまり、「三段論法が基本だ!」みたいなのは、「いつも三段論法を明示しろ!」とかそういう要求ではない。むしろ、自分がなにかを説得しよう、立証しよう、あるいは主張しようとするときに、自分と他人のあいだの前提の違いを意識して、自分がなにを言わなければならないかを自覚し、また他人にへんな説得されたり騙されたりしそうなときに、相手からなにを聞いておかねばならないかを意識するための規則なのです。

こういうのを見ると、わかりにくい文章やうたがわしい文章を読むときに、その文章の主張をリストアップしてみるのはよいことですよね。そしてうたがわしい文言があったら、それを主張するための三段論法をいくつか書きだしてみる。著者は(暗黙にせよ)その結論の前提をきちんと説明してくれているだろうか、そしてまた、その明示的な、あるいは隠された前提にあなたは同意できるだろうか。

私が見るところでは、牟田先生は宇崎ちゃんが過度に性的であることを立証しなければならなかった、あるいは、少なくとも自分で宇崎ちゃんは過度に性的であるということを主張しなければならなかった。その場合、「見ればわかる」「私の主観だけどみんな共有できるはずだ」という形でもかまわないかもしれないけど、一言主張するべきだったのです。もちろんそうすると、性的であるとはどういうことかとか、「過度に」性的であるとはどういうことかを説明してほしくなりますよね。宇崎ちゃんは魅力的なおっぱいのでかい女子なので「性的」であるとしても「過度に」性的であるっていうのは過度に魅力的であるのか過度におっぱいがでかいのか、とかそういう話になります。

a. おおきなおっぱいは過度に性的である
b. 宇崎ちゃんはおっぱいが大きい
c. それゆえ宇崎ちゃんは過度に性的である

まあこういうことになるのかもしれませんが、この場合多くのひとはbは認めると思うけどaは認めないと思う。私は同意しません。同意しませんよ!ははは。するとまた別の論証が必要になるわけです。

とりあえず牟田先生は「幼い表情で、巨大といってもいいような乳房を強調」している描写は過度に性的だとか女性を性的対象物として描いているとかそういうことをもっときちんと言ってくれればよかったのだろうと思いますが、あれが過度に性的だとか性的対象物だとかというのはかなり議論の余地があるように見えて、「明らかだ」というほどではないように思います。だからこれを論じてもらわなければならない7)つまり、どんなときに過度に性的だと判断されるのかとか、どんなときに性的対象物として描いていることになるのかというのをざっくりとでも説明し、可能ならば他のOKな表現と比較したりする必要がある。ひょっとしたら、なぜ性的対象物として描くことが不適切であるのかも説明してもらわなければならない。こういうのは手間がかかるので誰もがいつでもできるわけではなく、また今回牟田先生にとってそこまで必要なのかどうかはわからないわけだけど、説得や議論というのはそうしたものだし、世の中はそうしたお互いの努力によって進歩するのだと思います。「議論するまでもなく結論が出ている」のようなものではないと思う。

ちなみに本当の論点とはちがう論点を「論証」してしまうのも詭弁・誤謬推理の一つのタイプで、「論点相違(の誤謬推理)」Ignoratio Elenchiという立派な名前があり、また「過度に性的なのはいかん」という言明を「性的なのはいかん」のように「過度に」という限定があり、それを論証しなければならないことを忘れてしまうのには「限定あり言明から限定なし言明への誤謬推理」Secundum quidという名前がついてます。われわれが非常によくやる詭弁と詭弁的思考なので、ちゃんと昔から名前があるわけです。

 

 

References   [ + ]

1. 「「宇崎ちゃんは遊びたい」×献血コラボキャンペーンの絵は過度に性的なのか?」「宇崎ちゃんを採用した赤十字は現実的」
2. 省略三段論法自体は特に詭弁でも誤謬推理でもないです。
3. 実際の文言では「注意喚起」しているにすぎません。
4. この「性的対象物」が難しいのは、たいていの男女は性的対象物というか鑑賞物になりうるからです。たとえば同時に献血コラボしていたと思われる乃木坂ははっきり鑑賞物。あれの方がずっと性的対象だろう、とか言いたくなってしまう。性的対象にならないように、メイクで全員ゾンビにしてしまえばいいのに。ははは。しかしそれだと乃木坂である必要はないことになってしまうだろうか、それとも乃木坂ならゾンビでも性的対象になりアイキャッチに使えるだろうか。他にもたとえばスケートの羽生選手などのスポーツ選手もとてもセクシーだと思うわけで。性的対象にしてますね!先生わかってますよ!みたいな。ははは。
5. そもそも献血ポスターと自治体のガイドラインの関係もよくわからない。 https://togetter.com/li/1425063 参照。
6. 正しくない推論にはまってしまうと誤謬推理・誤謬的思考と呼ばれ、それを意図的にあるいは意図せずして説得に使うと虚偽や詭弁と呼ばれる、ぐらいの理解でよいと思います。
7. つまり、どんなときに過度に性的だと判断されるのかとか、どんなときに性的対象物として描いていることになるのかというのをざっくりとでも説明し、可能ならば他のOKな表現と比較したりする必要がある。ひょっとしたら、なぜ性的対象物として描くことが不適切であるのかも説明してもらわなければならない。こういうのは手間がかかるので誰もがいつでもできるわけではなく、また今回牟田先生にとってそこまで必要なのかどうかはわからないわけだけど、説得や議論というのはそうしたものだし、世の中はそうしたお互いの努力によって進歩するのだと思います。「議論するまでもなく結論が出ている」のようなものではないと思う。

学生アマバンの皆様へのお願い

私はアマチュアバンドを聞くのが大好きで、それは上手い下手とはあまり関係なく、好きな音楽を好きなようにやって楽しそうなのがよいのです。ぜひどんどん聞かせてください。

しかしあちこちの学園祭などでステージを見ているとちょっと気になることがあり、ツイッターなどではそのたびに書いているのですが、考えていることを記事に残しておこうという気になりました。うざいことを言うと怒られそうですが、オーディエンスの側から見るとこういうのが気になる、というのをいくつか。怒らないでくださいね。

ステージ上でチューニングや機材調整するのはやめてください

学園祭ステージだと、1バンド20分ぐらいが多いかと思いますが、その時間はフルに使いきってほしい。舞台にあがって3分以内に演奏をはじめてほしいものです。もたもたしているバンドは印象が悪いものです。

いまはチューニングはチューナーで舞台裏でできるのでやっておいてください。PAに音流しながらやるのはもっての他です。クラシック演奏会じゃないんだから。同様に、エフェクターの調整もやめてください。そんな時間がかかるエフェクターは捨ててしまえ!つまみは演奏前にいじるな!アンプはやはりステージの上で調整せざるをえないことがあるかと思いますが、どうせ細かいことは数分ではできないのですから、だいたいのところであきらめてください。

ライブハウスではリハの時間つかって音の調整できますが、学祭の野外ステージなどで同じことをしようとするのは無理です。とにかくあきらめなさい。

PA業者さんが使っているアンプはジャズコなどの標準的なものが多いのですから、スタジオ練習や個人練習のときにだいたいのところを把握して、ステージ上ではせいぜい微調整ですませてください。ベースの人はそもそもつまみどうしたらいいかわからないだろうからあきらめなさい。ちなみに、PAさんにモニタースピーカーの具合などおねがいするのはステージの上からマイクを通しておこなってかまわないと思います(曲間でもOK)。

ステージ上で練習しないでください

微調整のための音出しはしょうがありませんが、気になっているフレーズなど練習するのはやめてください。ギターピロピロ、ベースのスラップビシバシ、みたいなの見せる必要ありません。最高なのは調整もなしにビシっと1曲目からはじまることですが、まあPA調整しなければならないアマバンステージでは無理ではあります。でも最短に。

特に、今後実際に演奏する曲のフレーズを弾くのはぜったいにやめてください。手のうちあかしてどうするんですか。やる曲やキメのフレーズは最後まで隠しておくこと!ドラムははっきりしたリズムは叩かないこと。みんな注目しちゃうでしょ。それぞれの太鼓をマイク拾ってるか確認すればそれで十分だし、そんなのあとでPAさんがやってくれるはずだからとにかくはじめてしまえ!

バンド全体での楽曲の練習は絶対やめてください

あとでやる曲の一部を使って全体の音を確認したいと思う人々がいるみたいですが、人前なのですから曲を始めたら最後まで演奏しきってください。途中でやめてどうするんだ!絶対まもってほしい。

はじまるときには一言でいいからMCで挨拶してください

「こんにちは。(バンド名)です!ジャーン!」でいいじゃん。こっからはじまる、というのをはっきりしてください。

カバー曲をやる場合は、オリジナルのアーティストと曲名を必ず宣言してください

もちろん演奏したあとでもかまいませんが、誰のなんという曲かは必ず紹介すること。これはオリジナルのアーティストへのリスペクトです。自分たちのオリジナルの場合も曲名あるはずだから必ず伝えること。これは演奏前がよいと思う。誰が書いた曲かとか、どういう曲かとかも思いいれがあるはずなので、ボーカルの人が紹介してあげてください。

ショーであることを意識してください
姿勢に注意してください

さほどショーアップする余裕がないことが多いと思いますが、お客に聞いてもらうのですからたんに楽器いじってるというのではなく、それなりのステージアクションを入れてください。ギター弾くにしてもキボード弾くにしても、それなりのアクションが欲しいです。メンバーどうしのアイコンタクト、ソロがあったらそれへの視線のひきつけなど、少し意識するだけでずいぶん印象がかわります1)メンバー間のアイコンタクトがないと、このバンドは仲が悪いのか、解散寸前なのか、あそこは元カップルか、とかいろいろ考えておもしろいのですが、おもしろすぎます。。ボーカルは実は姿勢の悪い人が多いので鏡やビデオ見て確認してください。楽器はテンパって自分の手元だけ見てる人が多いですが、他がなにやってるかいつも見る癖つけておいてほしい。うまくいったら笑顔とか見せてくれるのはとてもよいことです。ボーカルだけなく、バンド全員がそうした表情を意識してください。ドラムもフィルイン入れるときそれなりの顔するんですよ!

メンバー紹介しましょう。最後も挨拶、バンド名など再度

最後もきもちよくおわってください。途中MCでメンバーの名前紹介するのもとてもよいことです。君らサークルのメンバーは知ってるけど聞いてる人はしらんわけだから。サークルのステージだとどうしても内輪なノリになってしまいますが、それ以外のお客さんもたくさんいるわけだから、それは意識しましょう。

というわけで余計なことを書きましたが、これからも楽しい演奏期待しています。がんばってね!

 

 

 

References   [ + ]

1. メンバー間のアイコンタクトがないと、このバンドは仲が悪いのか、解散寸前なのか、あそこは元カップルか、とかいろいろ考えておもしろいのですが、おもしろすぎます。

セックス哲学史読書案内:エッチが大好きローマ人

 

 

当時のエッチな絵を見ながら、オウィディウス先生その他のエッチな文章を大きな文字で読みましょう、みたいな。まあ図書館にあったら眺めたらいいぐらいの本。もうすこしまじめに読みたい人は下。

 

上は火山の噴火で埋もれたポンペイの街の発掘が進むと、いろいろエッチな絵や娼館の落書きが出てきたので紹介します、な本。

 

↑グッドな本でした。

この本、生活一般についていろいろ述べられていてとても楽しい。

 

法制度とか細かいこと書いてて私には途中まで退屈だけど、詩人や哲学者が登場する第6章や第8章は勉強になる。

いろいろ読んでると、人間のやってることはどこでもいつでもたいして変わらない、とか言いたくなるんだけどどうだろう。

私の好きなベース Spotify版 (2)

[spotifyplaybutton play=”https://open.spotify.com/playlist/3YHBwdcYhP6WNVglAK9fLV?si=JJFmuGXtRruPTAyb8x6W3w”/]

  1. 1曲目はいわずとしれたスコットラファロ。ソロどうのこうのいわれるけど、こういうウォーキングが魅力。よく聞くと音の選び方も新鮮よねえ。私の耳にはジャストじゃなくて、ちょっとビートより前よりで弾いてるように感じられるんだけどどうだろうか。
  2. 2曲目もラファロ。まあこれはしょうがない。カウンターメロディーっていう感じでやっぱりかっこいいわよねえ。聞きどころは、テーマ弾いたあとに3人でぐちゃぐちゃにして、そっからウォーキングに入る瞬間。このスリルがわかるとジャズファンになってしまう。ステディなテンポはあるけど誰もそれを明示的には刻まず、3人勝手にやる、っていうのがやっぱり新しかったんだと思う。
  3. 3曲目はエバンスつながりでエディーゴメス。この先生ピックアップの感じとか微妙な時代もあるんだけど、このアルバムのはすばらしい。チックコリアとやってるやつ(Three Quartets)も聞いてほしい。
  4. 4曲目はチャーリーヘイデン。音が重いというか、そんなパラパラ弾かなくても言いたいことはいえる。
  5. オーネットコールマンとやってるとき、レナードバーンスタインがステージの上に来てヘイデンのベースに耳を寄せてたらしい(なんか写真見た気がするけど気のせい?)、まあそういう魅力がある。
  6. 5曲目もヘイデン。ロンリーウーマンを同窓会しているやつ。もちろんオリジナルもすばらしい。このアルバムはなんか夢のような感じですばらしい。
  7. 6曲目はアートアンサンブルオブシカゴのマラカイフェイバーズ。一人で音楽作ってる感じ。なるべくよい再生装置で聞いてほしい。
  8. 7曲目、ちょっと変えてR&B風。クリスチャン・マクブライド先生。この先生はアコベもエレベもいい。シリアスなジャズもいいし、ファンクもいいし、まあ天才。てか、これクリスチャンにブライアンブレードとブラッドメルドーというガチ最高峰ジャズミュージシャンがR&Bやるとこうなるというか、最強ロックバンドも作れるよな。スティング先生が雇わないのだろうか。
  9. 8曲目はコルトレーンバンドのジミーギャリソン。まあいうことはほぼないというか。ここらへんになると、私好きなタイプってはっきりしてる感じ。ちゃんとベースを鳴らす人々。
  10. コルトレーンの『クレセント』〜『至上の愛』は最高で、ギャリソンも当然非常に重要で、至上の愛の1曲目とかギャリソンじゃないと考えられないわけだけど、9曲目はその至上の愛の2曲目をエヴァンスの最後の相棒のマークジョンソンがやってるやつ。これもメンツがすごい。ジョンスコのあばれっぷりだけではない。
  11. 10曲目はレッドミッチェル。このアルバム好きで好きで。レッドミッチェル先生のピアノも聞ける。
  12. 11曲目はスイング時代のものってことで。スラムスチュワート。アルコ(弓で弾く)しながら歌うっていう独特の芸が楽しい。最後のハンプトンもダブルタイムもすごいけど。
  13. 12曲目はキャメロンブラウン。地味だけどバンドを大事にするひとっていうか。派手なテナーとピアノ、あばれるドラムをまとめている。
  14. このジョージアダムズ・ドンピューレンカルテットは他の3人はミンガスのバンドの出身者で、最後はミンガス先生の晩年のジャムセッション的ライブということで。猛烈にスイングする。

スコットラファロが上達の秘訣を聞かれたときに、「同じレコードを何回も聞くんだよ」って冨田ラボと同じようなことを言ってて、けっきょく聞くっていうのもそういうんよね。よいものを何度も聞く方がいいわ。

私の好きなベース Spotify版 (1)

[spotifyplaybutton play=”https://open.spotify.com/playlist/4juaVFHd0iQTpU9UUxeV65″/]

 

  1. まあやっぱりべたにジェームズジェマーソン先生から。説明不要。
  2. ンデゲオチェロ先生。ものすごいファンクネスよねえ。ファンクは音の長さと休符だ。音出さないのがファンクベース。このミュートした感じ、鳴りきらない感じが重要なのだというのがわからない人はけっこういるみたい。ジャズではフルに鳴らすタイプの人が好きなんだけど。まあ音の長さって大事よねえ。
  3. プリンスのプロデュース。おそらくプリンス本人が弾いてるんちゃうかと思うけど。この人、ベース弾いても技術的にうまいとかじゃなく、非常に印象的なラインを弾く。音をミュートしたゴーストノートが特徴のライン。
  4. ネイサンワッツ。5弦ベースの低い方をこんなに印象的に使ってる曲はいまだにしらない。リズムとかぜんぜんジャストじゃないルーズな感じのもいい。低い方へ低い方へ行く感じ。5弦ベースのいちばん低い音域とか弦があばれて物理的にななんかむずかしい。とにかく弦が振動している!
  5. メレンゲバンドから。このバンドのベースがものすごく好きで、これも5弦ベースかかてズッズッズッズッってやって、意外なところでビョーンとかブーンとやる。なんかセクシーな太い弦が振動している。
  6.  モンテル・ジョーダンの”Close the Door”。 Andrew Goucheという人らしい。これも5弦の低いところ使いまくってて、ネイサンワッツよりはジャストな感じだけどフィルインとかものすごい効いてる。このフィルインがないとこのセクシーな感じならない。原曲はテディペンダーグラスのはず。まあこれはドラムもよい。
  7. マドンナのホリデイ。これは誰が弾いてるかしらん。このアルバムはキーボードで弾くベースラインの宝庫みたいな感じ。打ち込みなんかあ。ドラムはそうだけど。
  8. プリンスもう1曲。ものすごい独特よね。
  9. ブルースロックのベースにめざめたのはいろいろあって、まあ大学入って1年目か2年目ぐらいに東京にいる友達の家にころがりこんでたころがあり、そこの安アパートの隣の奴がブルースロック大音量でかけてたんよね。そして私は寝ながらギターよりベースを聞いていた。いま思えばクリームかジミヘン。しかしロックベースの最高峰はツェッペリンのジョンポールジョーンズ先生であーる!
  10. ラリーグラハム先生のこれ忘れたらいかんよね。Family Affairでは歌も歌っていて味がある。
  11. テレンストレントダービーの曲のベースは名前すぐに出てこないんだけど、これもすごいファンクネスで好き好き。
  12. The TimeのJerk Out、この「パンデモニアム」ってアルバムもものすごいファンクで、Jam & Lewisのテリールイス先生が弾いているのか、あるいはプリンスか。まあ誰が弾こうがどうでもいいっていう感じでもある。音の指示はやっぱりプリンスだろう。
  13. そしてさらにプリンスのGet on the Boat。この時期のプリンスはロンダスミス先生とか優秀なベーシスト抱えてるけど、やっぱり自分で弾いてるんちゃうかなあ。これもゴーストノートが特徴的。ロンダ先生のアルバムの感じはこれとはちがうんよね。
  14. P-Funk (ファンカデリックとパーラメント)は何人かベーシストがいて、ブーチーコリンズが有名だけど、他も素敵な特級ベーシストたちで、これはコーデルモーソン先生らしい。ビリーネルソン先生もいい。ていうかブーチーはメインアーチストとして見ていて、ベーシストとしては他の人の方がいい。
  15. というわけで最後はP-Funk最強のダンスナンバーの一つ、Flash Light。おそらくバーニーウォレル先生がキーボードで弾いてる。この曲はヒットしたのでベーシストは弦を1本増やさねばならなかった、みたいな。(4弦では出ない音域を使ってる)

星野源の「恋」の歌詞はエッチだと思う

なんか忙しくて疲れていて、まともなことはできないので、いつもの歌詞解釈。

最近、学生様たちが図書館に自発的に集まって星野源の「恋」の歌詞を考えようってな企画をしていたので、参加してきたんですわ。学生様が読書会その他、自発的にいろんなことをするっていうのはほんとうにすばらしいことですわねえ。私も邪魔にならない程度にいろいろ応援したい。


んで「恋」ですが、これ数年前にギターで弾き語りの真似しようとして練習したことがあったんですわ。練習しながらニコ生配信したとき、歌詞についてもちょっと考えてみたりしました。

営みの
街が暮れたら色めき
風たちは運ぶわ
カラスと人々の群れ

この先生の歌詞の特徴として、省略が多いんですわね。「営み」は「日々の営み」とか「昼間の営み」とか「営業という営み」とかそういうことなんだろうけど、「営み」一発ですます。「営みの街」って、繁華街なのか、住宅地なのかよくわかんけど、まあその中間ぐらいの、電車やバスが走ってる街ですかね。

「色めき」もなにが色めくのかよくわからん。繁華街ならネオン、住宅地なら住宅や団地とかの窓に明かりが灯る感じですかね。

風はカラスと人の群れをを運ぶ。カラスが鳴くから帰ろう。うちには七つの子がいるかーらーねー。

意味なんか
ないさ暮らしがあるだけ
ただ腹を空かせて
君の元へ帰るんだ

「意味」っていうと哲学やら倫理学やら勉強していると、「人生の意味」とかそういう大物を考えちゃう。人生の意味なんかないのです。ただ毎日の暮しがあるのです。

キリスト教の聖書に「コヘレトの言葉」っていう章があるんです。むかしは「伝道の書」って呼ばれれたみたい。こんな感じ。

伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。
日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。
世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。
日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。

リンク貼っておくので読んでみてください。これはどうも賢者として有名なソロモン王が作った、ってことになってて、「私はいろいろやりましたが、すべては空しいです」みたいなそういうニヒルな文書だって言われてます。

しかし、この文書は読みようによってはさほどニヒルじゃなく、人生は全体としては空だし、贅沢やあざとい快楽はむしろ害悪をもたらすものなんだけど、毎日の食事みたいなものがもたらしてくれる喜びはよいものだ、って歌われてるんですわ。

「人は食い飲みし、その労苦によって得たもので心を楽しませるより良い事はない。」「すべての人が食い飲みし、そのすべての労苦によって楽しみを得ることは神の賜物である」「あなたは行って、喜びをもってあなたのパンを食べ、楽しい心をもってあなたの酒を飲むがよい。」

人生は空だから意味なんかないけど、毎日おうちに帰って家族とごはんを食べるのはよいことだ、みたいなそういうメッセージがありそうで、星野先生これ知ってるかどうか知らんけど、知ってるんじゃないだろうか。

物心ついたらふと
見上げて想う事が
この世にいる誰も
二人から

これはその学生様の歌詞検討会で指摘させてもらってけど、なにを見上げてるのかが問題ですね。物心ついたってのは子供で、子供が見上げたときに何が見えるか。私は、空や山やビルじゃなくて、親だと思いますね。この世にいる誰(で)も父母の二人から生まれているだな、ってことですね。「ママから生まれた」じゃないところがポイントですね。パパがいないと子供は生まれない。となると、「セックスしたのだ」ということですか。

胸の中にあるもの
いつか見えなくなるもの
それは側にいること
いつも思い出して

胸のなかにあるものはまあいくつか解釈あるだろうけど、曲タイトルの「恋」でいいんですかね。あるいは「愛」か。

君の中にあるもの
距離の中にある鼓動

これも「恋」なりなんなりが指されてるものなんですかね。まあ恋っていうと聞こえがいいんだと思うんですが、私はここは非常に肉体的で肉感的なものを感じるんですが、どうでしょう。距離のなかにある鼓動ってのは、自分じゃない他人の鼓動だろうから、他人にくっついてそれを聞いているか感じているかしているわけです。

恋をしたの貴方の
指の混ざり 頬の香り
夫婦を超えてゆけ

私ここ最初は「恋をしたあなた」って聞いてたんですが、「私が恋をしたのはあなたの〜」なんですかね。「指の混ざり」とかものすごく新鮮な言葉づかいだけど、指をからめてる感じですか。「頬の香り」もふつうはごく近づかないとかげげないですよね。そういうんで非常に星野先生らしいエッチな感じがする。「夫婦を超えてゆけ」の解釈は保留。

みにくいと
秘めた想いは色づき
白鳥は運ぶわ
当たり前を変えながら

「みにくいと秘めた想い」っていうのも解釈が必要だけど、人間の醜い欲望といえばやはり性欲ですか。食欲もそこそこ醜いけど、性欲ほどではないですね。それにあんまり隠す必要がないと思われてるし。「まーおいしそう!」とか平気で言うけど「へへへ、あのXXはいいXXXXだな」とかだと秘めた方がいいだろう。

そういう秘めた思いが「色づく」っていうのも解釈が必要なんだけど、これは「色気づく」の意味ではないだろう。果物とか野菜とかが色づく、実る、成熟するって意味だろう。

さっきはカラスだったんだけど、ここは白鳥。白鳥が運ぶっていうのはわかんけど、似たような白くて大型のコウノトリが運ぶものは当たり前の生活を変えるかもしれない。はっきりいってしまうと、エッチな思いでセックスばっばりしていると妊娠してあわてます、ですか。ここらへん、歌詞で直接に歌わずに連想つかっていてうまいですね。

恋せずにいられないな
似た顔も虚構にも
愛が生まれるのは
一人から

「似た顔」っていうのはまあ親子ですか。「虚構」はむずかしい。結婚制度は虚構です、みたいなそういう話かな。さっきは恋だったけど、愛が生まれるのは一人で、その一人っていうのは、さっきのコウノトリの連想からすると両方に似た顔の誰かでしょうか。

泣き顔も 黙る夜も 揺れる笑顔も
いつまでも いつまでも

まあここは「人生と生活はいろいろあるけどがんばりましょう」ですね。

夫婦を超えてゆけ
二人を超えてゆけ
一人を超えてゆけ

んで、最後のこれが残りますが、夫婦を超えて家族、2人を超えて3人に、ぐらいですか。「1人を超えていけ」は一人でいるのやめて家族になって少子化に対抗しましょう、ぐらいかな。

全体としてこの曲はリスナーの連想を非常にうまくつかってるし、単にエッチなだけじゃなく、生殖とかからんだエッチでものすごくエッチだと思いますね。夫婦というのはそうでないカップルよりずっとエロい。そういうことを歌ってるんではないでしょうか。こういうタイプの曲はあんまり聞いたことがない。プリンス様がマイテさんとラブラブだったころに作ってた曲ぐらいかなあ。

もっとひどい解釈もありそうな気がするけど、まあ今回はこれくらいで。

『恋愛制度、束縛の2500年史』で恋愛の歴史を学ぼう (11) 個人主義ってなんだろう

んで最終の第8章、「現代日本の恋愛」ですが、ここは私ほとんどわからないです。村上春樹の『1Q84』、土居健郎の『甘えの構造』、「キャラ萌え」、西野カナ、椎名林檎といろんな論者や作品や風俗やらが出てくるのですが、それらがどうむすびついているのか、私のあたまのなかでうまく像を結ばない。とくに「キャラ萌え」のあたりは、それが恋愛とどういうふうに結びついているのかさえわからない。
その原因はわりとはっきりしていて、「個人主義」とか「自我の確立」とかっていう言葉が私にはどういうことだかはっきりしてないからですね。個人主義ってなんだろう?自我の確立とはなんだろう。実はまちがってKindle版も入手してしまったので(あ、逆だ。Kindle版もってたのにまちがって紙版も入手してしまった)ので「個人主義」や「自我」で検索かけてみたりもしたのですが、あんまりはっきりしない。
この「個人主義」とかっていう言葉は、言葉は文学系の人はわりとよく使うのですが、哲学系の人々はさほど使わないし、使うとしてもわりと狭い文脈で使うのでまあ我慢できるんですが、恋愛というとてつもなくでかくて曖昧な言葉と、個人主義という言葉がいっしょにつかわれるともうだめ。
まあ、日常的な意味で「自我の確立」っていうか「はっきりとした自己意識をもつという」ことはわからんでもないのです。たとえば「リンダ、困っちゃうナ!」とか「ジェームズブラウンはそんなのが好きだと思うか?」とか自分の名前を一人称にしたりする人々がいると、「この人たちは自分と他人の区別がついてないのではないか」みたいに不安になったりするわけです。「このひとは自我が確立してないなあ」みたいなの感じたりもする。でも鈴木先生が言いたい「自我の確立」ってその程度の話じゃないですよね。それが具体的にどういうことかっていうのを説明してもらってない気がする。
「個人とは……サングリーによれば、キリスト教的伝統と、中世宮廷恋愛によって生まれた制度です」(p. 317)とかっていうの、これは定義ではないと思う。個人というものは、歴史的に形成されてきました、ならわかるような気もしないでもないけど、我々が個人と呼ぶものが制度なのか(ありそうにない)、「個人」という発想、個人と呼ぶものがあると信じているのが制度なのか(こっちかなあ)もわからない1)藤田尚志先生の文章をちょっと読んだときに、(それ以上分割できないという意味での)個人じゃなくて(一人の人間はさらに部分に分けられるので)分人、とかっていうへんな話が出てきましたが、それとなんか関係ありそうだけどよくわからない。。「個人「主義」」になると、個人をどう考えたりするとその主義になるのか、もわからない。
個人主義と対立する発想がなんであるのかもわからんのですよね。「集団主義」かなあ。まあ意地悪せずに、もうすこし素直に読むと、鈴木先生は、日本は同調圧力の強い文化(集団主義的?)で、それはけっきょくキリスト教やヨーロッパ的恋愛をちゃんと理解してないからだ、ってな話になりますが、しかしまあいまどきヨーロッパ人だってキリスト教なんかよくわからんと思うし、そんなすごい恋愛してるわけではないんではないかと思う。まあ個人の欲求や要求を主張する強さや頻度みたいなのにはたしかに文化的な差があるかもしれないけど、それってそんなにキリスト教や恋愛と関係あるんだろうか。キリスト教が個人主義的とかっていうのもなんかおかしくて、隣人愛みたいなのは義務だし、地獄に落ちそうな連中がいたら説教して救ってやるか、あるいは邪教にそまってたら火炙りとかにして救ってやる、っていう発想もありそうだし、「俺は俺、他人は他人だからほうっておこう」みたいなのはあんまりキリスト教的ではない気がする。そこらへんもどうなってるんだろうか。
まあ「個人主義」を好意的にとって、「自分を自分だと意識して、自分で判断して自分で行動するのだ!主義」ぐらいに解釈するとして、その場合、そもそも「日本の文化では同調圧力が強い」みたいなのっていうのはどうでもいい話ではないか。いくら同調圧力が強かろうが好き勝手にやるのが「個人主義」ってのだろうから、同調圧力が強いってのは個人主義者にとってはどうでもいい話で、むしろ同調圧力が強い方が「俺は俺だ!」って思いやすいから同調圧力強い方が個人主義的社会だ、むしろ「同調しろ」とか要求してこない社会は他人に関与しないようにする社会で、それはそこに住んでる人々が人の意見を気にする人々だからだろう、とかっていう詭弁を思いついたけどどうだろう。
19世紀なかばにキェルケゴールなんかは「現代人は自己をもっていない」「自己をもってる人間はごく一握りである」みたいな話してたんだけど、あれから170年ぐらいたってヨーロッパ人はみんな自己をもっているのだろうか。キェルケゴールさんだったら「自己をもつということはそんな簡単なことではなく、キリスト教世界に生まれたから、ヨーロッパに生まれたから自己をもつなどといったものではない、ましてや恋愛文学を読んだり恋愛したりすることによって自己をもつことになるなどということはありえない、そんな奴らは自己をもっていると思いこんでいるだけなのだ」とか言いそうだ、とか考えはじめちゃうと難しくてよくわからない。まあ文化論をするまえに、まずは「自我を確立する」とか「自己をもつ」とかっていうのいったいどういうことであるのかとか、現実世界の話をするなら、どれくらいのひとがそういう発達課題みたいなのを達成しているか考えてみたほうがいいのではないかとか思ったりします。

ていうわけで、いったんおしまい。最終章は私はぜんぜんわからなかったのですが、全体としては話題が豊富な本で、そのままそういうものだと信じてしまうと問題はあるかもしれませんが、こんなふうにいろいろつっこみ入れながら読むと楽しい本だと思います。紹介されている作品も並べて読みたい。とくに、『饗宴』と『恋愛指南』『宮廷風恋愛の技法』あたりは、さほど読みにくくはないし、紹介されているのとはちがった印象になるはずなので、鈴木先生のとあわせてぜひ読んでほしいです。私も『青い花』は入手したし、スタンダールの古典は読み直したい(ぜんぜんおぼえてない)。プルーストも死にそうになったらベッドで読もう。

(ツイッタでの追記)

  • 個人主義っていうのが、他人がどう言おうが自分の信じることをするっていうことなら、同調圧力があろうがなんだろうが好きなことをすればいいので社会の同調圧力があろうがなかろうが、どうでもいい話。 一方、個人主義ってのが他人のことにはかまいません、口出ししませんってことなら、やっぱり他の人々が同調圧力をかけてこようがそれに口出しする必要はない。というわけで他人様たちの同調圧力とやらは個人主義なるものとはなにも関係ない。
  • 個人主義というのが、自分は自由であり、よくも悪くも自分がやることは自分で責任をとるのだ、ってのならこれまたそうすりゃいいだけの話で、社会が同調圧力のつよい社会だろうがなんだろうが自分で好きなことをして自分で責任をとればいい。責任をとるというのがどういうことかはさておいて。日本社会や日本の他人様がなんであろうが関係ないわけで、まあ早い話が、同調圧力がどうのこうの、と言いたくなるひとはあんまり個人主義的ではない、ということを報告しているだけではないか。
  • 漱石先生の『それから』とか、それの森田監督による名作映画とかていうのは十分個人主義的なんちゃうかな。ああいうのに個人主義が描かれていなければ、いったい個人主義とはなんであるのか。主人公はちゃんと勝手にエッチなことをして俗物から非難されているではないか。
  • ありそうなのは、「そうじゃなくて個人主義というのは他人の人格を個人として尊重することなのだ、他人をそれぞれ別個のものと見て、それぞれの意思や自由を尊重することなのだ」というのなら、話はだいたいわかってくるんだけど、この「他人を尊重する」っていう側面があんまり強調されてない。なぜかというと、自分以外を(というか自分自身と恋愛相手以外を)「同調圧力を加えてくる社会」みたいな抽象的な存在としてとらえているからだ。あるいは「日本人」「ヨーロッパ人」とかそういうくくりで見てるから。 これは人々をぜんぜん別個のものとみてなくて、ぜんぜんそういう意味での個人主義的ではない。そうした他人を個人として尊重するという意味での個人主義ならば、あれもこれもだいたいおなじだ、みたいなごくおおざっぱな話はしにくくなるっていうこと。
  • そういうわけで、個人主義のところは許さん。
  • でもまあ漱石先生的な、「われわれの文明開花はうわすべりなんちゃうか」「本当のところをとらえてないんちゃうか」「本当はもっとちがうもんじゃないのか」みたいな神経症的懐疑みたいなはわからんでもないし、まあ西洋哲学や文学をあつかう人々にかけられた呪いみたいに残ってるわけよね。「いやー、漱石先生、そういう懐疑って西洋近代的で、十分合格点っす。あっというまに習得しましたね。えらい!」とか誰か言ってあげる人がいればよかったのに。

References   [ + ]

1. 藤田尚志先生の文章をちょっと読んだときに、(それ以上分割できないという意味での)個人じゃなくて(一人の人間はさらに部分に分けられるので)分人、とかっていうへんな話が出てきましたが、それとなんか関係ありそうだけどよくわからない。

『恋愛制度、束縛の2500年史』で恋愛の歴史を学ぼう (10) スタンダールとプルースト

第7章は、恋愛肯定論者のスタンダールと、恋愛悲観論者のプルースト、そしてフロイト、っていうあたりで、鈴木先生の専門にいちばん近いところで、これも勉強になりました。特にさすがにプルースト(名前は有名だけど実際には誰も読んでないと思う、っていうか私は読んでない、のでみんなこれ読んで勉強しよう!)のところはおもしろい。

でもこれもちょっとわかりにくいところがあって、まずスタンダール先生の有名な『恋愛論』。これは恋愛の分類と、「結晶作用」ってのですごく有名だけど構成とかまったくわけわからん奇書ですよね。それは先生も指摘している。先生はスタンダールの指摘する「結晶作用」、つまり惚れてしまえばあばたもえくぼ、恋は盲目、好きになったらもうなんでもよく見えちゃう、っていう話を、いかにもロマン主義的に恋愛を肯定しているって主張するんですが、私の印象ではスタンダール先生はもうちょっと冷静で、人間の恋愛の心理を冷たく分析しているようで、妄想幻想大好きのロマン主義っていうより、のちの写実主義とか自然主義とか、そういう流れにつながるもののように見えてたんですが、どうなんでしょうか。「好きな人がよく見えるのは、枯れ枝に塩粒がついてキラキラしてるようなもんですぜ」みたいなのってまあ悲観的に見えるけどどうなんだろう。結晶作用と、それがなくなったときの幻滅ってのがまあポイントですよこの本では登場しないみたいだけど、フロベール先生先生とかもなんかこういうタイプの冷静な分析してる印象。おフランス文学全体に、こうした人間の心理からちょっと距離をとった描写と批評みたいなのが得意な印象で、そこが魅力っすよね。

プルースト先生のはおもしろいところを引用していて、277頁のところ孫引きしちゃう。

一人の少女は、浜辺や教会の彫刻に現れた編み毛や一枚の版画など、様々なものと魅惑的に交じり合っているので、そうした少女がやってくるたびに、私たちは彼女を一枚の見事な絵のように愛することになるのだが、このような結びつきは必ずしも安定したものではない。もしも女と完全に生活をともにするようになったら、私たちはもう、彼女を愛させるようになったものを何一つ見出すことがないだろう。

これはかっこいい。女性を芸術作品みたいに見てるんですよね。映画だと(ホモセクシュアルだけど)ヴィスコンティの『ヴェニスに死す』みたいんで、恋愛なんだか性欲なんだか芸術鑑賞なんだかわからない感じ。

鈴木先生のはプルースト先生のこういうのはスタンダールとは違って、「結晶作用などは個人の勝手な幻想であり、恋人の美点は、恋人その人がもってる属性などではない、と考えます。そうした結晶作用とは、個人が勝手に他のところからもってきた憧れを投影しているだけである」(p.277)、ってんだけど、まあそれはスタンダール先生やフロベール先生ももあんまりかわらんのではないだろうか。プルーストがアンチスタンダール、っていうの一般的な理解なんですかね。

まあでもここらへんのプルースト先生の「恋愛とか全部幻想」みたいな発想が鈴木先生のこの本の最大のテーマであり主張であるわけで、それはそれでわかるというか。でもむしろ私からすると、それって昭和や平成を生きてきた我々にはすごくふつうの考え方で、むしろそうじゃないって考えに魅力をもってる鈴木先生はものすごいロマン主義者なんだな、みたいに思ってしまう。

んで、さっきのプルーストの引用を見て気づいたんですが、プルーストのこの芸術作品を見るような恋愛ってのは、これ本当に我々が考えてる「恋愛」なんだろか。だって、サッポーやプラトンやアリストテレスの昔から、「愛する」ということは「愛されたい」という願望と切り離せないわけですわ。そういう相互性がないのは、アリストテレス先生に言わせればフィリア(友愛)でさえなく、単なる「好意」にすぎない。鈴木先生が引用しているプルーストの恋愛からは、例の「合一」への欲求さえ失なわれてる。プルースト先生がかなりかわった人だったろうっていうのはわかるんですが、そういうのを恋愛観の典型としてもってきて大丈夫なんかな。

そして、この「愛されたい」っていう欲求があんまり強調されてないことからもう一つ気づいたことがあり、この本で論じられている文学者たちはみな男性で、そしてみな「愛する」「口説く」ことばっかり話をしていて、(女性たちに特徴的だと言われるかもしれない)「愛されたい」「大事にされたい」みたいな切実な欲求が見えないんですよね。ここらへんどうなんだろうか。まあ男性と女性がどっちがどう、というのではなく、恋愛や性欲というもののが目指す相互性と合一みたいなのがプルーストの引用からは見えないけど、それでいいんですか、という話。

この章のプルースト論の最後の方で、「恋愛感情の裏にはキリスト教的な救済の世界があり、聖母マリアの愛にすがる甘えた態度があり、それは究極的には子どもの母に対する甘えた感情だ」っていう一節があるんですが(p.289)、まあそれが当ってるかどうかは別にして、これってなんかものすごくロマン主義的な男性的なもので、女性はまた別なこと考えるんじゃないだろうか、鈴木先生のゼミの女子学生様たちはこういうの見てどういうことを考えてるだろう、とか考えちゃう。私がこういうことしゃべってたら、私の学生様たちは「この人はおかしいのではないか」とか考えてそう。まあそれは私のしゃべりと人格がおかしいからなので、かっこいい先生がやれば別かもしれない。ははは。

フロイト先生は面倒だからパス。

『恋愛制度、束縛の2500年史』で恋愛の歴史を学ぼう (9) 厨川白村先生の恋愛論輸入

第6章は、問題の日本のヨーロッパ恋愛輸入なんですが、ここはとてもよいと思いますね。だいたいこの「恋愛の輸入」の話をするときは北村透谷先生とか使ってなんかインチキな話をするのが最近の風潮なんですが、私は透谷先生とかそんな優れた作品を残してるとは思えないし(実は誰も読んでないっしょ? そもそも早死にしたから作品少ないし)、さほど影響力があったとも思えない。影響力があったように見えるのは鈴木先生がメインにとりあげてる厨川白村先生で、この先生の『近代の恋愛論』は私も部分的に読んだんですが、今でも通用するようなおもしろさと説得力で、ベストセラーになったのという話もうなづける。記述もわかりやすい。実際けっこう読まれたと思います。昭和あたりまでの文科省的恋愛論の基本という感じがある。皆も一回読んでみるといいです。この先生を中心に輸入を論じようという鈴木先生のやりかたは成功している。

白村先生の抜粋も多くて、お説教くさくて笑えるのでぜひ読んでください。

ただ歴史的にはちょっと問題があって、この本出たのは大正11年、1922年で、もう文明開花して相当時間が経過していて、明治に恋愛が「輸入」されたとしても、それが相当定着してからの話ですよね、っていうのが一点。それに、この白村先生の恋愛論って、ほんとに恋愛「論」、恋愛の理想論にすぎなくて、ヨーロッパの恋愛を輸入したというより、ヨーロッパの正しい人びとがいってる正しい恋愛観を輸入しているだけだっていうのがもう一点。

だって1922年ですよ? ヨーロッパは世紀末とかでみんないろいろ悪いことをして、まあ第一次世界大戦とかもあって、ヨーロッパの風俗みたいなの乱れまくってる時代じゃないですか。っていうか、19世紀後半のヴィクトリア朝時代だってみんないろいろ悪いことしてたわけで。白村先生はそうした西欧の実情みたいなのほとんど知らなかったんではないかという気がするけどどうだろう。アメリカ留学の経験はあるんですね。アメリカじゃなあ。どこ行ったんだろうか。足悪かったから、あちこち遊びに行ってみるっていうのは無理だったかもしれませんね。せっかくのチャンスだったのに気の毒。

っていうか、ここが問題で、鈴木先生は「ヨーロッパの恋愛」を白村先生が輸入したというんですが、その輸入したのはなんか英語圏プロテスタント系統のわりと禁欲的な恋愛結婚理想論みたいなやつではないかという感じで、それと性欲都市であるパリとかウィーンとかののぐしゃぐしゃどろどろの恋愛やセックスとはあいいれないんちゃうかと思うわけです。もし白村先生が恋愛を輸入したとしても、それってヨーロッパ恋愛文学にあるような恋愛じゃなくて、英語圏のお説教臭いやつなんじゃないの?という疑問があるわけです。私は恋愛文学作品やエロ文学やその作成のコツ(「恋愛の美学」と呼びたい)を輸入することと、恋愛についての道徳的な理念(「恋愛の道徳」と呼びたい)を輸入することはずいぶん違うことのように思う。白村先生が輸入したのは、恋愛でも恋愛論でもなく、恋愛とセックスについてのお説教だ!とか言いたくなる。こういう区別に、鈴木先生が同意してくれるかどうか。

とにかく、ロマン主義的恋愛至上主義どろどろ文学みたいなのと、白村先生が輸入した恋愛至上主義的恋愛清潔道徳主義みたいなのとの間には相当のギャップがあって、そこはなんとかしてつながないとならないと思う。それが前の章での説明が不足していると思われた、ロマン主義恋愛観の毒はいかにして抜かれたか、って話だろうと思います。

鈴木先生の言う「個人主義」とか「個人」についても議論したいんだけど、これもたいへんだから先に。


追記。厨川白村先生をちょっとググったら、こういう文書を見つけました。白村先生の口癖は「オスカア・ワイルドなんて気障な奴ですよ。ここに居合わせば殴りつけてやるんだが」。これはおもしろい。ワイルドは狭義のロマン主義運動とは100年近く離れてますが、ロマン主義的なダンディズムの末裔であると見ることもできて、そういう気障が嫌いな白村先生は、文学とかほんとうにはわかってない人だったのではないか(私は白村先生についてはぜんぜん知りません)。

『恋愛制度、束縛の2500年史』で恋愛の歴史を学ぼう (8) ロマン主義的恋愛とロマンティックラブ

  • んで、第5章「ロマンティックラブとは」は本書の核になる部分なんですが、ここが読みにくいんですよね。いろいろ難しくて、私は混乱してしまいます。1〜4章の古代ギリシア、古代ローマ、キリスト教、宮廷風恋愛のあたりは、自分でも授業でやったりブログ書いたりしているからだいたい見当つくんだけど、もろに文学の話はうとくて。鈴木先生はとうぜんここらへん専門だから、おとなしくお話をおうかがいするしかない、というのはある。でもどう混乱するかぐらいは書いといてもいいだろうか。

あ、その前に、鈴木先生が本書の解説ブログを開設してくれてるので読んでください。非常に興味深いというかおもしろい。

  • 鈴木先生は「「ロマンティックラブ」は欧米文化の産物で、100パーセントの輸入品です」(p.180)と言い、さらに「ロマンチックラブを概念的にちゃんと把握している人は少ない」っていうけど、そもそもそれは概念的にはっきりしたもんなんかいな、とか思ってしまいますわね。というより、そもそもここまで先生は「ロマンティックラブ」をはっきりどういうものか説明してくれてないと思う。
  • んで、鈴木先生は「ロマンティックラブ」を「(19世紀的)ロマン主義的恋愛」って理解したいみたいなんだけど、大丈夫かいね。おそらく多くの人はそうは思ってないと思う。
  • 鈴木先生の説は、現在我々が信奉しているロマンティックラブイデオロギーと呼ばれるやつは、18世紀末〜19世紀にヨーロッパ全土で流行したロマン主義文学(芸術)運動によって広められたものだ、っていうものだと思う。(そしてあとで、それが明治期に日本に輸入されたのだ、という話になる。)そしてロマン主義は恋愛至上主義であり、愛と個人を「絶対領域」とし、恋愛を崇高と無限・永遠・神秘のものとみなし、世紀病(メランコリー、ある種「うつ」)とともにある、ということらしいです。なかなか難しい。
  • そもそも「ロマンティックラブイデオロギー」、そしてそもそも「ロマンティックラブ」ってなんだろう。何回読んでもどうもはっきりしないんですが、鈴木先生は「ロマンティックラブ」を「ロマン主義文学運動において成立したラブの理想」であり、「ロマンティックラブイデオロギー」とはそうしたロマン主義的ラブが理想であるとするイデオロギー(観念、規範の体系)だって解釈してるみたいなんだけど、それで大丈夫だろうか。
  • もちろん言葉の意味やそれが指し示すものというのは、それを使う人によっていろいろあって、鈴木先生がそういう意味で使うというのならそれでしょうがないのですが、少なくとも社会学の学者先生たちが「ロマンティックラブ」や「ロマンティックラブイデオロギー」という言葉をつかうときには、あんまり鈴木先生のようには使ってないと思う1)論拠は面倒だけど、ギデンズ先生の『親密性の変容』あたり。。彼らが言うロマンティックラブというのは、だいたい「感情的なつながりと親密さをともなった一対一の性的関係」ぐらいにとらえていて、「ロマンティックラブイデオロギー」は「恋愛と結婚と生殖が同じカップルでおこなわれるべきである」という理想、ぐらいにとらえているはず。細かい議論はいずれやるとにして、飛ばします。
  • ロマン主義文学ってので登場する作家は、ルソー、ゲーテ、シラー、ノヴァーリス、シャトーブリアン、ラマルルチーヌ、ユーゴー、ガリバルディ、ってあたり。鈴木先生お気にいりは『レミゼラブル』や『青い花』あたりっぽい。
  • 「ロマン主義は恋愛至上主義である」(p.195)みたいなのもどうなんかな。まあ人生における恋愛の価値がずいぶん高く評価されるようになった、っていうのはあるかもしれんねえ。でもお話の上での話。オースティンの『高慢と偏見』みたいなの、あれロマン主義じゃない気がするし、ロマン主義的な意味ではロマンチックではない気もするけど、それでも我々の恋愛観・恋愛物語の雛形みたいなもんではあるわよねえ。
  • 「ロマン主義の恋愛は、基本的には精神的な恋愛ですが、同時に肉欲、性欲が爆発して、恋人は破滅することが多い」(p.199) とか。破滅するのはいいんですが、あれって精神的な恋愛かなあ。ていうか、なんか内的に矛盾してますよね。そしてここで例に出てくるのが『ロメオとジュリエット』なのでものすごく混乱する。時代がちがいます。例は狭義のロマン主義からとってきてほしい。
  • しかし、ここのところのロマン主義文学の紹介は楽しいので、みんなこの本読んで予備知識を入れて、実際に作品読んでみるといいと思う。私も読みます。人生短いから読みのこした古典文学楽しんでおきたい気がする。

  • この章で私が一番問題だと思うのはこうです。鈴木先生にかなり譲歩して、我々のロマンチックな恋愛観(イメージ)がヨーロッパ19世紀のロマン主義文学運動に「起源」がある、というのを認めるとしましょう。しかし、それがなぜ、結婚と結びついた形のぬるいロマンティックラブイデオロギーに変化したのか、というのを説明しそこねていると思うんですわ。

  • 先生は「ロマンチックラブは毒を抜かれてブルジョワ社会にとりこまれた」(p.228)って言うんですが、私はここを知りたい。なによりロマン主義的恋愛小説そのものがブルジョワ社会の生産物であり、そのブルジョワ社会の秩序を破壊するような毒を最初から含んでいるものなのに、なぜそれの毒を抜いて、文科省御用達みたいな世俗的な恋愛と結婚の理想になったのか、その毒はどうやって抜いたのか、それを説明してくれないと私としては不満なわけです。でもまあ一般読者向けの新書だからそこまで求めるのは求めすぎかという気もします。

ちょっと厳しくなってるけど、こんな感じか。この章はとても内容豊富でおもしろくて、いろいろ考えさせらえるので、何回か読みなおしつつコメントしていきたいですね。みんなも読んでみてください。「ロマンティックラブ」についてもあとで別のエントリー書くことになると思う。

References   [ + ]

1. 論拠は面倒だけど、ギデンズ先生の『親密性の変容』あたり。

『恋愛制度、束縛の2500年史』で恋愛の歴史を学ぼう (7) 宮廷風恋愛

  • んで、第4章は「宮廷風恋愛」。騎士道恋愛、レイディーとナイトのあれですね。ここらへんから先生の専門に近づいている(はず)だし、内容的にもおもしろいと思う。ぜひ読んであげてほしい。
  • 「恋愛は12〜13世紀西洋の発明だ」っていう20世紀に一部でかなり流行した発想のコアの部分ですわ。鈴木先生の立場は「大体において正しい説のように思われます」(p.140)ということで、これは私はいろいろ文句あるんだけど、でもまあ一部で標準的な説なので読んであげてほしい。
  • 私の解釈では「女性をあがめたてるようなタイプの恋愛観、というかお話は中世末ぐらいに発明されれてバカウケした」ぐらいなんですが、まあねえ。
  • 「宮廷風恋愛」についてはこの本読んであげてください。私もだいたい同じ感じで理解してるし、だいたい同じ感じで講義している。
  • ただ鈴木先生に私がもっている違和感の一番大きいやつは、「でもそれってお話ですよね」ってことですわ。宮廷風恋愛なるものが実際に実行されてたかどうかはよくわからない。わかっているのは、そういうお話がウケてた、ってことだけで。この、思想やお話を、現実にあった事実であるかのように解釈してしまうっていうのは私にはよくわからないです。またこれが、明治日本の「恋愛輸入説」とかにまつわる問題でもある。
  • 「命を賭けて、身分の高い女性に対する忠誠を誓う」(p.146)、その恋愛は肉体的なものではなくあくまで精神的なものである、とかそういう恋愛はかっこいいのですが、まあかっこよすぎていったいそんなのどういう人が実行していたのかわからない。まあそういうのいたとして、数人でしょうか。だって騎士とかふつうの人はなれないわけだしね。セックスどころか、会って話をするだけでもたいへんかもしれないし、そもそも騎士とかってのは平安〜鎌倉時代の武士と同じもので、けっきょく乗馬と武器の扱いがうまくて人殺せる人ってことなので、私みたいなのが会うと無礼な!とか殺されちゃうかもしれないから会いたくない。くわばらくわばら、失礼お許しくだせえ。
  • 領主や騎士様なんてのは平民にとっては雲の上の人、勝手に税金とかとってく悪い人なわけだけど、それがウケたのは吟遊詩人がそういう人々の恋物語を歌ったから。トリスタンとイゾルデの世界っすね。(吟遊詩人使ったのはリュートだけではないのではないか)
  • まあ流しの音楽芸人が、高貴な方々の気高い恋愛を歌ったわけですよね。同時代の琵琶法師の世界。
「学生に、「理想の恋愛とはどのようなものですか」というアンケートをとると、「心からわかり合える人と愛し合う」「一緒にいて楽しくて、落ち着く」など、精神的なファクターを挙げる人が大半を占めます。カラダよりも心が大事、ということですね」(p.150)
  • いやそれはいいですが、先生、そういうアンケートとったらやっぱりそういうことになりますよ。それセックスが楽しい上での話じゃないっすか。セックス楽しくないのにいっしょにいて楽しい、とかあんまりないのかもしれんし。セックスできれば気は合わなくていいです、とかあんまりないっしょ。気のあわない人といるのはしんどいものだし。っていうか、そもそもセックスだけして(何時間かかるかわからんけど、想像で2時間としますか)、はいさよなら、みたいなのは学生様たちには恋愛ではないんではないか。
  • 155頁で、奥様のお婆様にナイトとしてのレディーファーストの振る舞い教えてもらった話はかっこいい!ここはみんな読んでほしいですね。ぜひ買ってあげてください。
  • そしてここらへんで、おそらく鈴木先生の一番最初の発想が出てきます。日本の恋愛は「女性は男性の後ろにいて男性を立てる」ということになっているが、西洋の恋愛は「女性が立てられる側にまわる」ものだ、「忠誠の精神的な恋愛は、日本的な色恋沙汰と構造的に違う」(p.159)これです。
  • まあそういう発想はわかるんですが、西洋人が実際にどうしているかっていうのはほんとにさまざまだろうし(DVとかレイプとか欧米の方がはるかに多いと思う)、『源氏物語』や『平家物語』にだってそういうのあるんじゃないかって言いたくなります。どうでしょうか。
  • ル・シャプラン司祭(カペラーヌス)の『宮廷風恋愛の技法』はおもしろいので、鈴木先生の紹介読んだらぜひ現物読んでみてほしいですね。鈴木先生の解釈もおもしろいと思う。ここらへんがこの本の一番おもしろいところなんじゃないかと思います。
  • 鈴木先生によれば、この本でついに男性は女性を理知的に口説く、ということを発見したのだ、ということだと思います。私もこの解釈にはのりたい、っていうか知的に優れていると自信をもってる女子を男子ががんばって論破しにいく、というフランス映画的恋愛がここで描かれているわけですわね。まあそれってどうなのかという気がしますが、インテリの男女どちらも好きそう。どっちかというと男子の方が好きそうな妄想。ははは。
  • こういうルシャプラン先生の読んでると、いまツイッタでフェミニストをアンチフェミ男子が折伏しに行ってるのもこういう伝統のなかでの話ではないか、っていう気さえしてきます。カペラーヌス先生も鈴木先生もほんとにおもしろいのでぜひ読んでみてほしい。
  • 最後のところ。
日本の女子学生に中世宮廷恋愛由来のレディーファーストを説明すると、「やはり恋愛相手はこうではなくちゃ」という反応が時々帰ってきます。この場合、「真実の愛=レディーファーストの愛」と、やや短絡的ではありますが、中世宮廷恋愛が現代の日本人女性にも強い影響力を及ぼし、その感情生活を縛っている様が見てとれます。(p.176)
  • っていうんですが、これ、宮廷風恋愛だのナイトだのと関係なく、とにかく女子はもちあげられてやさしくされるのが好きだ、ということじゃないですかね。
  • そして、宮廷風恋愛というのは、女性の地位が次第にあがってきて、殿様や貴族の奥様としてあるていどテッペンまで登った女性は、そうした男性からのサービスを期待することができるようになった。愛情やセックスをエサにすれば、女性は男性を支配できることを知った。我々をちゃんとよろこばせないならば、セックスなんかさせないし、そもそも見向きもしない。ちゃんと努力して我々を喜ばせろ!
  • そして、そうした「お話」を吟遊詩人やその他のお話が得意な人々から聞いた人々は、「私もうちの男にそうさせよう!」と決意した。そういう歴史上のなにかを表現してるんじゃないでしょうか。