カッシーラなんて読むことがあるとは。
たしかに『カントの生涯と学説』の訳注に白水社の『ゲーテ対話録』p. 293を見ろという指示あり。
ところがこのビーダーマン編高橋義孝他訳『ゲーテ対話録』は5巻本でどの
p. 293やら。それにしてもこれ古本屋でたかっ!
第1巻はシラーからフンボルトあての手紙。違う。
第2巻。これだ。ショーペンハウアーの証言。
一五七七 A・ショーペンハウアー
ゲーテはあるとき、私にこう語ったことがある。カントを一ページ読むと、
あたかも明るい部屋にはいったような気になる、と。
これだけ。1577は整理番号かなんかだろう。
うーむ。でも訳注つけてくれたカッシーラの訳者先生たちは偉い。
なかなかこの発言は謎めいてるよなあ。
『美と崇高』はそこそこ読みやすかったけど、
『純粋理性批判』なんか落とし穴だらけの暗い部屋にも
思えるのだが。だいたい1ページに1文がおさまってないときも少なくないんではないか。
ゲーテ流の韜晦?いや、まあ長いこと読んでるとなんかだんだん明るくなってく感じはするんだけどね。
『ゲーテ対話録』は厖大な量の資料の集成のようだが、訳編者(大野俊一・
菊地栄一・国松孝二・高橋義孝)の先生たちによる立派な索引がつけられてい
るので、ヒマなときぼちぼち見ていけば求めるものが見つかりそうだ。でもい
ますぐやる余裕はなし。そのためには、あらゆる傾向性から離れた
純粋粘着能力が必要になる。
まあこのカッシーラの本の第3章の最初はカントの文体の変遷の問題を
あつかっていて、野田又夫先生の文章の元ネタのひとつである可能性は高そうにみえるな。
PepeODさん情報ありがとうございました。またひきつづき情報募集しております。
*1:辺鄙なところに住んでいるので図書館まで1日半かかる。西アマゾン州立図書館か、ザンビア共和国国立図書館かは秘密。
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