いつも傲慢だが、たまにはちょっと反省してみたりする。そういやちょっと前にid:yamatom さんの http://d.hatena.ne.jp/yamtom/20061214/1166122275を読んでいろいろ考えたのであった。まあ最初は実験のつもりで1年半ほど書いてみたわけだが、匿名でブログ書くのは、実名で書くのと同じ程度にたいへんかもなあ。
ちょっと前からこのページが、ある特定のキーワードではgoogleでの位置が高すぎて困っている。
やっぱり匿名では攻撃するのは簡単だけど、なんか「ちゃんと攻撃する」ための気合いが足らないような気がするしなあ。伊藤公雄先生から「卓越性のゲーム」と言われてもしょうがないかもなあ(インパクションの文章はおそらく山口さんに向かっているもので、私は関係がないと思うけど)。
まあ正直、(有利な立場から)卓越性のゲームやるのはけっこうおもしろいのだが。敵意を表に出した文章とかってのは、めったに書けるものではない。ネガティブ一方なものやバグの指摘ってのは紙のメディアには載せにくいというか、紙に載せるほどの価値はない。正直なところ、国内の人文社会系のアカデミズムでは、もっと「卓越性のゲーム」が争われるべきだと思ってもいる。私の専門分野でも、ちゃんとした論争らしい論争は見たことがない。これはメディアが非常に限られているからなんじゃないかと思っている。テツガク系でロンブンを書くのは非常に手間がかかるし、古典読むのでせいいっぱいで国内の論者のロンブンなんか読んでいる時間がないってのがほんとうのところだろう。書けたとしても発表するべき場所がないかもしれない。
(匿名「思考のバグ取り」掲示板ってのはおもしろいかもなあ。)
でも、学者さまの紙の文章にwebからハンドルで攻撃するのはやっぱり学者(「アカデミズム」)の仁義に反しているような気がするな。伊藤先生がほのめかしているのはおそらくそういうことなんだろう。紙メディアに書くのはたいへんだし、紙メディアからブログとかに反論しようとしても馬鹿みたいだし、かといって紙からブログに降りて来るのも馬鹿げているし、相手にしている時間はなかろう。
まあ一方で、こういうのはメディアの使い方としてけっこうおもしろいとも思った。ちょこちょこ思いついたことをメモしていって、(うまくいけば)なにが問題なのかを自分のなかではっきりさせることができる。攻撃しようと思えばそれなりに資料を調べたりもするし。実際「ミードの表」まわりは発見があって自分でもおもしろかったし、『自由は進化する』もそれなりに勉強になった。ああいうのを実名でやるってのはちょっとたいへんすぎるし、適切なメディアも見つからないもんな。匿名ブログってのはこういう細かいつっこみ入れるには最適のメディアにも思える。自分が同じような攻撃をされても特にいやだとは思わないと思う。
ブログなんかはその程度のメディアであるということで、こういう形で攻撃される人びとが納得してくれればよいが、そう思えない人びともいるだろうなあ。
でもまあ、場合によってはそろそろ店じまいするべきかもしれん。
折衷的にはちょっと調べれば実名がわかるようにして書く、ってのがある。実は現在でもそうしているつもりだし、知ってる人も多いと思うんだけどね。
ハンドル生活ってのもパソコン通信からはじめて人生の半分に近くなってるわけだし。(完全匿名になったことはあんまりないような気がする。)
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