山形浩生訳『ウンコな議論』
「キツいシャレだなあ」と思っていったん終りにしようと思ったのだが、なんかへんな感じがする。山形がやろうとした(と私が想定している)ことは、うまくいってるんだろうか?
フランクファートの議論では、「嘘」と「ブルシット」ははっきり違うもののはずだ。嘘はなにが真理であるかがわかっていて、聞き手や読者を欺く。山形が「ファート」でやったことはブルシットではなく嘘だ。んじゃ解説全体はどうなんだろう?もしあの解説で山形が読者を(一時的にせよ)欺き、フランクファートが言ったことについて誤解させようとしたのであれば、それはブルシットではなく騙しになってしまう。
フランクファートの「ブルシット」論文自体は冗漫で曖昧だが、おそらく「嘘」は含まれていない。(出典を確かめたわけじゃないが、出典について嘘をついていたらそれはブルシットではない。)むしろ、ブルシットという彼自身がよくわからんものをいろんな出典を引いてよくわからんようにごちゃごちゃ議論しているだけだ。ごちゃごちゃしたなかで数少ないわかったことが「嘘とは違う」なわけだ。
というわけで、山形さんは(1)よく読めてない、(2)よく読めていて嘘をついている、のどちらかで、どっちにしてもあんまりうまくいってない。うまくいかない遊戯はかっこわるい。ブルシットは単なる技能ではなくある種の芸術であって、意図的にブルシットするには才能も必要なのだろう。
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