田崎先生はクールだ

本のタイトルに「セクシュアリティ」を使っている田崎英明はどういう意味で使っているのかを調べてみようとジェンダー/セクシュアリティ (思考のフロンティア) をめくってみるが、少なくとも最初の30ページぐらいには特に定義らしいものは見つからなかった。まあそれはかまわんのだが、序文では次のようなことを書いている。

剥き出しになったかぎりでの生を、人々は幾つかの名前で呼んできた。たとえば、マルクスであれば、それを(労働と区別された)「労働力」と名づけるであろうし、ナショナリストならそれを「ネーション」と呼ぶ。人種主義者にとっては、それは「人種」である。そして、「セクシュアリティ」も、また、そんな名のひとつなのだ。(p. v、 句読点は改めた。)

ということらしい。労働力とネーションと人種とセクシュアリティは同じものを指しているんだろうか。わけわからん。

最初の30ページでいちばんクールだと思った文章は、

生の根源的な受動性、そして、内在性は、いわば se vivre (「生きられる」とでも訳しておこうか)というかたちで表現しうるだろう。vivre (生きる)の再帰形 se vivre は、いま手元にある仏和辞典には載っていないし、フランス語ネイティヴが参照する標準的な辞書であるプチ・ロベールにも載っていない。要するにこんなかたちは存在しないのだが、そんなことはかまわない。いま、ここで考えたいのは、生がはらむ、「生きられる」「自らを生きる」「自らによって養われる」というようなニュアンスのモメントである。そのようなモメントを、生の根本に置きたいのだ。 (p.13)

かっこよすぎて腰ぬかすほどシビれた。この方は「生きる」ということを考えるときに、「これを表現するならvivreではなく・・・むしろse vivreでも表現しなければならないようなそういう受動的な側面が・・・」とたしかに実感しておられるのだろう。ちょっと前の日本の哲学者だったら「生きるではなく、生かされるという受動性が生の根源的な内在性を示しているのである~」「「生まれる」という言葉にある受動の側面が生の~」とか書くところだが、フランスな感じがとてもよい。さらに文法も無視するのがよい。「ニュアンス」はともかくとして、「モメント」がどういう意味かも曖昧なのもなんともいい感じ。もちろん「内在性」もわからん。「受動性」はまあわかるような気がするんだけどね。

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