「木綿のハンカチーフ」は名曲だから歌詞を鑑賞しよう

松本隆先生という作詞家の先生がいて、まあ天才というかなんというか、80〜90年代の日本の音楽を作った巨人ですわね。この先生の作品を集めたCDを聞いてて、「松本先生は本当にすばらしいな」とか言ってたんですよ。

まあいろいろあって、社会学とか美学とか専門だったら「松本隆と日本のセクシュアリティ」とかって論文が書けるんかないかと思うくらい。そういうのはぼちぼち解説します。その手始めとして今日はウルトラスーパー超名曲「木綿のハンカチーフ」について、ちょっとだけ解説してみたい。

1975年の曲でいろいろあったみたいね。 https://goo.gl/OW6Kkb 実際、松本先生の歌詞では、80年代でも男性が高校卒業とともに都会に出て、女性が田舎で待つ、っていう形のがけっこうあって、これがふつうだったんよね。まあそれはよい。

歌詞はこっちね。 http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=35600

https://www.youtube.com/watch?v=ErWDlvs3RXc

んで、まあこの曲を実際に聞くと、まず気づくのは、男性と女声が交互に話をしているってことね。あたりまえだけど。手紙の文面。それを女性ボーカルが交互に歌っていて、太田裕美先生は歌うまくてすばらしい。コード進行はふつう、メロディーは自然でおぼえやすく筒美京平先生もえらい。

音楽的な聞きどころは、男性の方(Aメロ)のコード進行は

I- VIm – IIIm – IV -IIIm -IIm – V – I – VIm – IIIm – IIm – V  – I

みたいな堂々としたメジャー進行、特に最後の「君への贈り物を探すつもりだ」がIIm− V – Iというベートーベンみたいな進行なのがよいです。この男は自信があるのだ。

女性の方(Bメロ)は

VIm – IIIm – IIm – V – I – I7  – IV – IIIm -VI7 – IIm – IV – I

というはっきりマイナーな進行。特に最後の「染まらないで帰って、染まらないで帰って」の最後がIV- Iといういわゆる女性進行、フェミニンエンディングになってるのがおもしろいですね。(あら、女性終止じゃなくてアーメン終止でした)なんというか、「お勉強してつくりました」っていうのがはっきりしている。

2コーラス目、「流行りの指輪」を送るわけですが、ここで変だと思うべきだと思うですよ。流行りの指輪ってほんとにある?流行りのバッグやネックレスならわかりますよ。指輪に流行りすたりそんなありますかね。あるとしても、それって今なら7000円とか8000円とかの話なんちゃうかな。だからこの指輪は安い。お金がない。でも、半年たってなんとか送るのだ。

この次の歌詞がものすごくいいですね。松本先生の天才。「いいえ、星のダイヤも海に眠る真珠も、きっとあなたのキスほどきらめくはずないもの」。天才。こんな歌詞書けるやつはめったにいない。いやもちろん、この歌詞を見たあとなら、誰だって陳腐だっていえますよ。でも「星のダイヤ」「海に眠る真珠」ってほんとにおもいつきますか?これは天才の作品なのです。私これ聞いてたとき、「いいえ、欲しいの、ダイヤも」ってきこえてて、へんだなっておもってました。星のダイヤなのです。

そして、あなたのキスほどよくない、ってのは、このカップルはすでにいなかでニャンニャンワンワン楽しんでるわけですわね。まあそれはよいです。青年はそれを置いて都会に出てるし、女子もそれも理解しているわけです。そんな純な関係じゃないよ。

3コーラス目はひどい。「よー、お前まだ化粧もしねーの?口紅ぐらいぬったらどうよ、都会の女はきれいだよ」ですよ。いくら田舎だって口紅ぐらい塗りますわよ。彼は都会で化粧うまい人々と遊んでます、ってことよね。もう田舎の化粧ちゃんとできない女なんかどうでもいい。何年たったかしらんけど、スーツも買えるようになりました。いまだったら学生さんでも入学式その他のためのスーツ1着ぐらいもってるでしょうけど、1975年、上下そろえるだけでもたいへんだったんですね。

見間違うようなスーツを着た僕の写真を見てくれ。初登場は1970.

これに対する女子の答えがよくて、「木枯らしのビル街で体に気をつけろよ」ですよ。この青年が、学歴その他各種の資源をもってなくて厳しい状況で上京したのは誰でもわかってるわけです。でも彼は向上心があって、スーツを来て、お化粧した女性と遊ぶことができるようになった。でもそれって、この世代ではそれほどかんたんなことではないし、下手すると体を張っている仕事をしてるかもしれませんね。スーツを着て体を張る仕事といえば、あれですね。私の好きな蒲郡風太郎 [1]ジョージ秋山先生の『銭ゲバ』の主人公。 や毒薬仁太郎先生 [2]同じくジョージ秋山先生の作品の複数に登場する重要脇役。 の世界。彼女の「都会は厳しいけど体に気をつけて」っていうのは、そういうのを暗黙のうちに理解しての話なわけです。もうあんたとは遠くなったけど、死なないでね。

4コーラス目。彼氏は、街角で毎日愉快に暮らしているけど、田舎には帰れない。なぜだろう。ちょっとぐらい帰省すればいいのに。正月とかお盆とか帰るものです。でも帰れない。帰りの旅費もないのかもしれないし、帰る面目もないのかもしれない。つらい。私もそういう時期がありました。田舎を出てからもう帰れなくなる人々っていうのがいるんですよ。これ1975年なので、最悪の場合、映画「仁義なき戦い」みたいな抗争に巻き込まれて帰れなくなるっていうこともありえます。作詞としてはそれ狙ってるでしょうね。

オリのスーツ姿もいいだろうがよ

女子の答えはもちろん、最後に一つだけのおねだり、涙をふくハンカチちょうだい。いいですね。でもこれって、ふつう女性の発想じゃないですわ。むしろ母親とかの発想よね。謙虚とか献身とかっていうのは女性の美徳とされてるけど、本気でカップル相手としての男にそういう態度示す女なんかめったにいないんじゃないですかね。ふつうに考えれば、この女子も、彼が上京したあとは田舎で別の男子といろいろあったでしょう。だからこそあんまりおねだりせずにいられたわけでね。この件についてはそのうちジョージマイケル先生の歌詞を検討するときにもう一度確認します。とにかく、この女子はふつうの女子ではない。

恋人ではなく、母親である、というのは十分ありえる。そうでなければ、彼氏の頭のなかの妄想で、それが、この曲の女子の部分の特別な音響効果を説明する。よく聞くとわかるんですが、男子のセリフのところはエコーとかがない素(す)の発音で、女子のセリフ部分はディレイがかかってて声がダブルになってるのがわかると思う。当時よくある技術ですが、現実感を薄めてくれるわけね。男子のほうが現実の男子だとしても、女子の方は現実のものではない。

でもまあそれがいいわけですよ。男子はみんな都会に出て苦労して、そんなかっこよく生きることができず、そんなときに田舎にいる彼女が自分をずっと応援してくれてると思いたい。あるいはママみたいな存在がずっと自分を応援してくれててほしい。都会で働いたりしていると悔しいことばっかりで死にそうだから、だれか自分を応援してくれててもいいじゃないか。すごくやばくて、もう田舎に帰ることさえできなくなったときに、誰か泣いてくれる子がいてもいいじゃないか、そういう歌なわけだよ。遠距離カップルが破綻するとかそういう歌じゃないわけですわ。


(1/5追記)

この曲、さらに研究したんですが、やっぱりすごい曲よね。他に書き漏らしている点も上げておきます。
太田裕美先生の声質と唱法は非常に重要。声のキャラクターってのは大事で、太田先生の声は明るいというかものすごく外向的ですよね。それにビブラートとかも美しい。おそらくオペラ歌手とかだとモーツァルトとかでいうと、「スーブレット」って呼ばれる、気の利く賢い小間使い役みたいなのに合う声とされるんじゃないかと思います。モーツァルトでいうと、『フィガロの結婚』のスザンナ、『コジファントゥッテ』のデスピーナ、『ドン・ジョヴァンニ』のツェルリーナとかそういう感じ。なんでもよくわかっていて男心を手玉にとって操ります、って声よね。自衛官の女性が歌っている動画がすごく印象的なんですが、この人もすごいよねえ。なんかこのタイプの声の人は、こういうルックスでもある。ビブラートうまい人は化粧もうまい。

あ、クラシック女声の声質の分類はこの動画がわかりやすいわ。まあポップ音楽はまた別の分類があるはずだけど、声質によるキャラクターというのは重要よね。

男子は最初っから贈り物贈り物、って物のことばっかり言ってるけど、よく考えると、これって最初からこういう人のはずがないよね。人間の動機づけみたいなのは報酬があって成立するわけで、この男子が女子に、なんか物をあげたら喜んでくれたので、それが強化されている。おそらく心理学でいうところのオペラント条件づけですわ。どうしたら女子が喜ぶのかわからないなとおもってたらお金やものあげたら喜んでくれたので、もっと喜ばせたいのでお金を稼ぎます。

2コーラス目、「きっとあなたのキスほどきらめくはずない」ですが、これ、キスしかさせてない可能性があることに気づきました。さらには、それさえもさせてない可能性もある。きっとあなたのキスはとてもいいでしょうね、したことないしこれからもしませんが。

3コーラス目、女子が化粧してないのはこの男子の前でだけね。そういう女子がすきなのがわかってるから化粧しないふりしているのか、面倒だからわざわざ化粧しないのか。あと、草に寝転ぶ男子が好きなのは、犬とか牛とかと同じカテゴリーなのではないか。

4コーラス目、「最後のわがまま贈り物をねだるわ」っていうんですが、これ、ふつうの人は「この女子のはじめてのおねだりが木綿のハンカチなのだな、なんて質素でいい子なんだ」って思うわけですが、それまでわがまま言ってないとか、それまでなにももらってないとかってことは言われてないですよね。そもそも2コーラス目で指輪もらってるし、もっとたくさんいろいろもらってるはずだ。お前牛みたいなやつなのに自分のスーツなんか買ってないで贈り物よこせ、とか、なんだもう金が続かないのか、んじゃ最後の金でハンカチも買ってよこせ。いわゆるケツの毛まで抜かれている状態なのかもしれない。

というか、聞き所の一つは、男子の「恋人よ」って呼びかけかけに対して、女子が3回「いいえ」で答えてることですね。これはやばい。大昔に、「押し付けに抵抗する」というエントリを書いたんですが、他人の言うことを聞かないひとというのはおそろしい。まあこれは男子も女子も両方ね。この件に関しては、椎名林檎先生のカバー音源の最後がそれを強調したおもしろい解釈をしてますね

とか考えてたらおそろしくなりました。ははは。


2017/12/7追記。

最近また聞き直したんですが、やっぱり太田先生が女性側を歌うときのビブラートが素敵すぎますね。あれで田舎でまじめに暮らしている化粧もできないダサい女子、というのはないと思う。本当に音楽っていいですね。

あと、あんまり意識してなかったけどこの曲ところどころ女性コーラスがはいってるんですよね。どこに入ってるか聞いてみてください。基本的に「アー」とか「ハー」とかそういう歌詞のないコーラスは、言いたいけど言わない別のことを表現している、ってかんがえていいんじゃないかと思います。女性の方にくっついてますね。

そしてなにより最後の「はーあ↓」みたいな感じのコーラスが最高で、これは語り手の男性でも女性でもなく、ずっとそのやりとりを聞いていたリスナーの声だと思います。「あーあ、そうなるよなあ」って声。ペーソス。

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References

References
1 ジョージ秋山先生の『銭ゲバ』の主人公。
2 同じくジョージ秋山先生の作品の複数に登場する重要脇役。

コメント

  1. 匿名 より:

    女性が嫌いというより、恋愛が嫌いなんですかね?

  2. 匿名 より:

    女性に対する偏見がとんでもないですね・・。
    そりゃ普通の感性も持っている人は去って、金や物で他人を図る人くらいしかそばに残らないでしょう・・

  3. 匿名 より:

    全然共感できないw
    こんな風に考える人もいるんだって感じですね

    まぁ正解はないんでしょうけどね

  4. 匿名 より:

    まったく共感できない。文章もへた。

  5. 匿名 より:

    全体的に共感出来ないが、解釈の違いというレベルではない誤った解釈がある気がする…

  6. さんな より:

    僕は都会へ冒険へ出た。そんなところから物語は始まります。目的は恋人(私)への贈り物を探すこと。私の欲しいものは『あなたのキス』、『草にねころぶあなた』、『木綿のハンカチーフ』、『欲しいものはない』。欲しいのは、ありきたりの『木綿のハンカチーフ』。いや、それどころか『欲しいものはない』。答は初めからありました。起承転結が1番から4番で構成されていて、タイトル自体が伏線。何気ない言葉を記憶に残るフレーズにする松本先生は凄いです。結末まで味わった後、タイトルに目を向ければ頷けます。『木綿のハンカチーフ』が救いであって欲しいと思います。この後、僕と私はどうなったのか。余韻に浸れる名作です。解釈は色々あって楽しいと思います。

  7. 匿名 より:

    メロディーがとってもいいのに、歌詞が説明的すぎてお粗末すぎると思います。

  8. 匿名 より:

    ジェネレーションギャップというのか、その時代の空気というのか
    そういうものを無視して歌詞と曲だけが残るわけで
    いろいろな解釈は当然出てくると思う
    大分叩かれ按配だけど、この記事の解釈は似たような感覚を持った部分も多かった

    女の子は妄想の中というのは流石にどうかなと思うけれども
    (この女の子は松本隆の「理想の女の子」という話なので、ある意味的中してもいるけれど、であるならば歌詞の世界の中では妄想的な存在にはしにくかろう)
    男の方は終始背伸びをしていて、特に4番の歌詞は都会で失敗して帰ることすらできなくなり、女の子の側もわかっているけれどそこに触れない
    …というのも、松本隆の「語りたがりな」歌詞の場合にいかにもありそうな裏ストーリーではある

  9. サイアム より:

    「東へと向かう列車」で彼らの実家がどこなのか気になった。彼氏が行った先が東京ならば山梨県か長野県南部か静岡県か。でもそのくらいの距離だったらいつでも帰省できる距離の筈だ。新潟県や富山県だったら「東へと」にはならない。東北地方だったら「南へと」でなければならない。では彼氏が行った先は大阪か? 山陽線沿線は田舎って感じがしないし新幹線もあるからそぐわない。当時は四国大橋もまだなかったから四国ではない。そうなると鳥取か島根の可能性が強くなってくる。これはたぶん山陰の人たちの物語なのだ。
    私は生まれも育ちも北海道で、大学に入って東京へ出てきた年にこの曲が大ヒットでしたので忘れられません。詞も気になってました。

  10. 江口 より:

    たしかに場所は私もずっと気になっていて、北九州から大阪あたりかな、みたいに思ってました。山陰も有力候補ですね。ミナミの街で暮してたんですかね。

  11. かめちー より:

    えっと、この歌は、Bob Dylan(ノーベル文学賞受賞者wwww)の、「a girl from north country」の、歌詞のパクリですよ。
    そんなに、真剣に、議論する内容じゃないですよ。

  12. 匿名 より:

    「A girl from north country」ではなく、「Boots of spanish leather」では?

    http://www.tapthepop.net/news/35579

  13. 江口 より:

    お、これは知りませんでした。おもしろいですね。

  14. 匿名 より:

    歌が上手くないランジェリーパブの娘が私の今までの話しから記憶を戻して欲しいと歌ってくれた曲でした。確か太田裕美様の実家は武里団地駅側だった😉

  15. オコジョ より:

    こんにちは、私の素朴な感想です。
    多くの人がいい歌だとしきりにいうのですが、この歌の女性ってふられて当然な人じゃないか、いや、はっきり言っていやな女の典型ではないかと思っていました。
    人が何か言うたびに、まず「いいえ」で返すなんて、あり得ますか? 誰もが持っている「承認欲求」を踏みにじっています。ウソでも「そうだね」とまず最初に相手の言うことを受けとめるのが人間関係ではないかと私は思うのです。それを、ぜーんぶ「いい、え」ですからねえ。
    最後になってハンカチをくれ、なんてのもイヤミ甚だしい。それも、ハンカチではなく、ハンカチーフとくるのですから……。

  16. 匿名 より:

    星の・・・だったのかーーー!!!
    44年間、欲しいの~♪だと思ってた!!!
    絶対、欲しいの~♪の方が良いぞ!!!
    それにしてもガキだな。こいつ全く解ってない。アホた!

  17. 匿名 より:

    こんにちは。全て読ませて頂きました。歌詞の解釈の違いはさておき、筆者の歌詞解説のやり方に疑問を持ちます。歌詞について述べる時はそれらを列挙し、その後自分の考えを示すという形をとるのが普通です。追記を次々と追加していくことで筆者が結局何を言いたいのかがいまいち伝わりませんでした。

  18. サッチー より:

    今の感性で議論されてもと思ってしまう、当時は歌謡曲の中に牧歌的な部分があり国民の多くはをそれを良しとしてきた。そしてそんな歌が多かった。あの時代だからの歌詞だと思う。今なら「毎日愉快に過ごす街角?僕は帰れない?」だと「お前のアパートに今から行くからどう愉快か、なぜ帰れないかじっくり説明してもらおうか?」となる。わしの嫁なら・・トホホ

  19. ドア より:

    松本隆・大田ひろみコンビで、共歌の如く「赤いハイヒール」がある。
    これは、逆に上京女子の話。
    この鑑賞論を読んで、この男子こそ妄想かもと思った。
    ならば、「木綿のハンカチーフ」とて、上京男子の心の支えたる妄想女子かもしれない。
    当時子供だった私には到底出来ない裏読みだ。

  20. なべぱぱ より:

    確かに4番まで彼氏は「恋人よ」の呼びかけですね。彼女のことを当時でも「恋人よ」とは言いませんよね。他人行儀ですよね。「いいえ」で返しているのは気づきませんでした。「あなた」を含めてこの3文字がハイハットで強調されていますね。でもね、僕的にはこのあなたは彼女の元に戻ったと想っています。こんな彼女を捨てられないです。僕だったら。

  21. りゅう より:

    小学6年生の冬から春にかけて流行っていました。Gパン履いて学校通っていたのに、4月から学生服になるなんて青春は終った・・・と感じていた僕の心情に、そのアップテンポの曲調が、まるで東京へ向かう列車のような疾走感で一つの時代の終わりを感じさせ、その後のティーンエイジを切なく照らしたのでした。
    同じ時期に山口百恵が「白い約束」で「大人になったら汚れてしまうのかしら?」と問い、子門真人が「およげたいやきくん」で「やっぱり僕はたいやきさ」と嘆くのを聴いて、オイル・ショック後のどこかまだ寂しい世相もあってか、大人にもなりたくないし、都会にも行きたくないと思ったものでした。
    それでもしっかり都会の流行を追いかける大人になってしまった今、この歌と流行った時代に思いを馳せるとき、もう戻らない美しい時代があったよなぁと、いとおしくなります。

  22. ジャズオヤジ より:

    男メロの音階がペンタトニックで土着的
    コードは普通のやつだけ

    女メロの音階はシとファも入ったクラシカル
    コードは近隣調借用アリのコレもクラシカル

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