この本はとてもおもしろい論文がのってるので、ポルノと哲学に興味ある人びとはぜひ読むべきだと思う。反ポルノ、ポルノ擁護、どちらも力がはいってます。
そのなかに、Jacob M. Held & Nina Hartley, “Porn, Sex, and Liberty”っていうのがあって、これは、Held先生は男性だけどフェミニズムに詳しい哲学者、Hartley先生は(元)ポルノ女優で、そのふたりのインタビューをフィクション対話にしたもので、(ポルノ擁護側の)ポルノ論争FAQみたいになってる。おもしろいのでポイントだけ紹介。超訳でさえない。ツイッタにメモしたのをまとめただけです。訳というか読解、まちがってるところあると思う。もし翻訳できるチャンスがあればやりたいけど、こういうの出版するのはむずかしいのよね。
フェミニスト大学教授のComstockさん、以下[C]: ポルノは性差別。女性の公民権の侵害。女性をモノ化する。女性を黙らせ、ノーを言うことを不可能にし、ノーという発言を無効にする。ポルノは女性差別的な文化を構築することで維持し強化するのです!(キャサリン・マッキノン、レイ・ラングトン、ロバート・ジェンセン、ゲイル・ダインズ、パメラ・ポールなどいろんな偉い先生たちがそう言ってます!)
ポルノ女優のDeerさん以下[D]: そのタイプの考え方は、ポルノを一枚岩だとまちがって考えています。おかしな奴がポルノに影響されて犯罪を犯したというのでポルノ業者を訴えられるなら、『資本論』や『我が闘争』や『ライ麦畑』も訴えることができるでしょう。
反ポルノフェミニストはポルノが女性をネガティブに描いているといいます。しかしそれは、女性はセックスしたくないとか、女性はセックスするべきでないとか考えている人にとってネガティブであるだけです。言論の自由とは、自分たちが好きな表現も嫌いな表現も自由にさせるということです。
[C] しかしポルノは女性の生活に影響するでしょう?ヘイトスピーチと同じく、差別を扇動しています。
[D] ポルノはヘイトスピーチではありません。そもそもポルノに政治的なアジェンダ(目標)などありません。ポルノは男も女も非現実的に描写しますが、それはすべてのエンターテイメントと同様です。それにヘイトスピーチを規制してもヘイトはなくなりません。
[C] しかしポルノはミソジニー的な言論です。
[D] ポルノはミソジニー(女性蔑視的)というよりミサントロピック(人間蔑視的)1です。ポルノは男も女もマンガの登場人物のように見て描きます。なぜならエンターテイメントだからです。女性がポルノ出演を選択したときにその選択が尊重に値しないと考えることこそミソジニー的です。
[C] しかし、ポルノユーザーに対する影響はどうですか?彼らは女性の苦しみに共感的でなく、レイプ神話を信じやすくなります。女性を男性以下の存在だとみなすようになります。
[D] 私たちの文化はずっと前から女性の利益を十分に考えていません。保守的な州では女性の利益を侵害するために、ポルノではなく聖書を使っています。ポルノは長年の女性の抑圧の原因というよりは、最後のブロックの一つにすぎません。ポルノが手に入るようになったのはここ100年というところですが、女性の抑圧は数千年の歴史があります。しかしポルノの影響は大きくなっていますし、子供や若者への影響もあると言われてます。ポルノが男女がおたがいにどうふるまうかを決めてしまっている、と。しかし、ポルノの入手が簡単になるまえにも、反女性的なプロパガンダは数千年の歴史があります。20世紀の初頭には、ポルノは教育を受けた階級のもので、下の階級の人に与えようなどとは思っていませんでした。しかしその時も、すでに女性は殴られレイプされたりして、法的な救済もありませんでした。なぜなら女性は父親や夫たちのものだったからです。
[C] しかし性差別やミソジニーの歴史が長いといっても、ポルノ無罪ということにはなりません。ポルノはジェンダー役割を強化します。広告やニュース番組なみの影響力があります。ポルノが女性の格下げdegradeし、はずかしめるものであり、ネガティブな影響があることは否定できないでしょう。それは有害です。
[D] メディアの影響は否定しません。映画もポルノも同じようにファンタジーです。男性が女性とつきあいするのに苦労している時代に、やすやす手に入る女性のファンタジーを抱くのは理解できます。お金もちだったりハンサムだったりアレがポニー並みだったり、あるいは酔っ払った女性を餌食にするろくでなし(ジャーク)でないかぎり、女性とベッドに入るのはたいへんです。たいていの男はお金もちでもハンサムでもポニーでもありませんからね。この文化は、「交際する」のではなく、単に男とセックスしたいからセックスする、という女性をはずかしめようとするものなので、こういうことになっているのです。「ロマンチック」という女性のファンタジーもおなじくらい非現実的で馬鹿げています。女性向けロマンスでは、高身長でハンサムでリッチで経験豊富で、セックスがうまく知的で有能なヒーローが、処女との一夫一妻の結婚におちついて満足するということになってますが、そんなの現実的でしょうか?すべてのメディアは消費者の態度に影響を与えています。ポルノは女性の男性に対する態度にも影響をあたえています。「なんでこの人はシックスパックじゃないんだろう?」「なんでこのひとのは10インチないのかしら?」とか。もっと重要なことに、男性の女性に対する態度は、ポルのよりもむしろ家庭環境の影響が強いのです。家族史、両親の愛情関係、虐待、教育、宗教などなど。ほとんどの男はファンタジーと現実の違いを理解しています。それに、実際に強制的なプレイを楽しむ女性もいるのです。ポリコレではないですけどね。
[C] たしかにそういう強制的だったりラフなセックスを好む人もいるかもしれませんが、あなたは、十分成熟した大人どうしが自律的におこなうセックスを想定してますよね。
[D] そうですよ。他になにを想定する必要があるのですか?大人が自由を行使して好きな相手と好きなように寝てかまわないじゃないですか。それとも、それぞれの大人に適切な本や適切な番組をスプーンですくってくれる、よしよし国家がいいんですか?
[C] しかし、強制的なプレイが好きな人たちもいるからといって、ポルノの影響を受けてパートナーに強制的なことをしたり、期待したりする人も出てくるかもしれません。それにポルノとレイプカルチャーのあいだには関連があると言われいます。ポルノは大人としてのセクシュアリティが発達するのをさまたげます。人びとのセクシュアリティの見方をゆがめ、歪んだ大人をつくりだしてしまうのです。
[D] 他のメディアと同様にポルノも影響するでしょうが、誇張するべきではありません。ポルノがレイプカルチャーを作っているのではありません。そもそもたいていの男はレイプできません。レイピストがレイプするのです。レイピストは大量にレイプ行為をしますが、そのためにポルノで勉強する必要はありません。そもそも暴力的なやつらは、メディアの影響を受けなくても自分で暴力をふるうようになれるのです2。
[C] もどって、過去はともかくとして、社会の進歩を止めるべきではありません。公民権法が施行される前に、「黒人は奴隷でいたときの方がくらしやすかった、やつらが公民権の話をできるなんてのは特権だ」などというのは馬鹿げていたでしょう。
[D] そのアナロジーははずれてます。今の女性は1960年代の黒人とは立場が違います。女性に対する差別と不平等はミソジニー的な文化のせいかもしれませんが、ポルノ以前にも存在していたし、ポルノを撲滅しても残るでしょう。
[C] しかし、しかし差別や女性に対する偏見はポルノによって強化されてします。子供たちがポルノにさらされたらと考えたら、心配しないわけにはいきません。
[D] おお、四方八方からポルノを投げつけられるかわいそうな子供たちの話ですね。しかしセックスが存在することを否定するのではなく、教えるべきです。私自身は、ポルノの影響は、他のメディアの累積的影響ほど大きくないと考えています。19世紀まで、子供はほとんど保護されておらず、児童労働や搾取、虐待、暴力なども一般的でした。子供が生得的な性欲をもたないという話はまちがいです。ほとんどの子供は小さいうちに自分で性器をいじったりすることを発見してそれを続けます。私たちは、そういう場合にどうすればいいのかを教えるのではなく、びっくり仰天してしまって 自分たちの 不安をなだめるために子供を罰したりします。私たちはそうやって性愛嫌悪的 (erotophobic、エロ嫌悪的) な文化を維持していくのです。
[C] しかし、ポルノは女性を好意的でないかたちで描いて、女性の不平等を強化しています。女性は默らされてsilencedいます。女性の言葉は男性と同じようには捉えられなくされています。セックス拒否から仕事場のハラスメントまで、ポルノは女性が言葉でおこなう能力を毀損しているのです。
[D] 反ポルノのフェミニストは黙らされていません。黙らされているのは、私や仲間sistersのような、セックスワーカーです。私の経験からすれば、反ポルノフェミニストのみなさんは、純粋かつ単純に、偏見だらけです。女性の不平等は長い歴史があり、いまはかなり進歩して「ノー」を言うこともできるし警察に電話すれば警官が飛んできます。以前はそうではありませんでした。完璧ではありませんが、ずいぶんよくなってるのです。最近の統計では、ポルノが手に入りやすい国ではレイプの数は急速に減っています。もしポルノが反社会的な行動を生みだしているとしても、統計はそれとは逆の結果を出してしまう。
[C] しかしそれじゃ、あなたはポルノで表現されている暴力などは心配してないのですか?それがデートレイプや痴漢その他に影響していないと言うのですか?
[D] なぜレイピストの責任を免除しようとしているのですか?「ポルノが俺をそうさせた」は「悪魔が俺をそうさせた」と同じようなものです。エリオット・スピッツァーが買春していることが報道されたときに、反売買春で有名な学者のメリッサ・ファーレーは彼の弁護に飛んできました。あたかも売春婦がいなければスピッツァーは買春しなかったかのように3。
[C] ポルノが女性に対する共感をさまたげる、という点についてはどうですか?我々のいるレイプカルチャーでは、ポルノは、女性はいつでも男のセックスオブジェクトになるべきだという考え方を広め指示しています。女性はポルノのせいで「ノー」と言えなくなっているのです。
[D] レイプが悪いのはあたりまえで、法律も認めてます。反ポルノの人たちがやりたいことが、本当に女性を助けることなら、ポルノについてあれこれ言うのをやめて、レイプをもっときっちり起訴し罰する運動をするでしょう。女性に対する暴力は、それが生じたとき、その場所で対応されるべきで、抽象的な話をしても無駄です。ポルノは、レイプしても許される、なんてことは教えていません。ポルノが教えているのは、「女性はセックスしたくなったら自分からセックスしはじめる」ということです。ポルノではなく犯罪者を非難しなさい。映画と実生活を区別できない奴らを責めなさい。車を運転する前に『ワイルドスピード』、スパイするために『007』をわざわざ見る必要がありますか?つけ加えておくなら、反ポルノフェミニストは、男性に対しても敬意がありません。男を、善悪の違いのわからない、ぼーっとして馬鹿で衝動的な動物だと思ってるんですからね4。
[C] それじゃあなたはポルノでの女性の描かれ方に満足しているということですか?男がポルノを女性の代表と思いこんでも、社会としてOKだと?
[D] ポルノの女性は、自分たちのセクシュアリティをありのままに表現しています。反ポルノフェミニストが、メインストリームポルノでの「暴力」の証拠としているものを満たことがありますが、彼女たちの基準では、挿入セックスですでには暴力の基準を満たしているようです。そんなものはポルノの現実も日常生活の現実も反映しています。ポルノは文化の鏡であって、エンジンではありません。ある社会では、それに見合ったポルノが作られるものです。条件づけなどの結果にせよなんにせ、とにかく人々がセクシーだと思っているものが作られるのです。もしショッキングなポルノだけでなく、ポルノ全体を見るならば、マイルドなものからワイルドなものまでいろんなものを見ることになるでしょう。ラフなものもあればロマンチックなものもあります。どれも同意のあるものです。仮にもし反対者が言うようにポルノに影響力があるとしても、ポルノでは、現実世界よりもバラエティーある同意セックスが描かれています。もしポルノが責められるところがあるとすれば、セックスをシンプルに描きすぎて、それにまつわる問題を無視してしまっていることでしょう。ポルノは、みんながいつもエッチな気分のハッピーランドなのです。このファンタジーでは、参加者がみんなセックスして楽しみたいと思っているのです。性教育としては馬鹿なものですが、教則本ではなくエンターテイメントですから。ある一定のポイントで、消費者が(ポルノと現実の)違いがわかるということを想定しなければならないのです。
[聴衆A1] Dさん、あなたはとても成功して満足しているビジネスウーマンで、自分のキャリアにも満足してるようですね。しかし、ポルノ産業の女性をみたら、ほとんどはあなたほどのキャリアを維持できません。若くして業界に入り、あとで自分の選択を後悔することもままあります。業界ではドラッグ使用なども蔓延しています。文化的影響はともかく、スターになるほど成功できない女子たちのことも考えたらどうですか?
[D] その件は誰かが言いだすとおもってましたが、まずはセックスワークを非難することより、産業としてのセックス業界からはじましょう。他のエンターテイメント産業よりポルノ業界が危険だと考えるのは、アンチセックスバイアスがあります。歴史的に、エンターテイメント産業というのは一般に、評価や承認を求めている弱い人びとを使ってきました。エンタメ界で生活している人に聞いてみなさい、性病、ドラッグ、心理的・性的虐待はそこらじゅうにあふれています。ポルノはセックス「について」のものなので、人は問題がそれに限定されていると考えてしまいます。しかし、エンタメ産業のごく一部と考えたほうが役に立つことは多いです。
[A1] それじゃ、規制が必要ってことですよね?
[D] 敵対的・ピューリタン的(潔癖)な外部からの規制は、どういうビジネスについても、なにひとつよいことはできないものです。ポルノ産業はもうとてもよい性病検査・コントロールプログラムをもってます。検査票もってないパフォーマーはその場で家に帰らされます。世の中のリクリエーション的なセックスをする人がみんなポルノ業界の人々みたいにセックスしていれば、世の中はもっとよくなってるでしょう。
[A1] しかし、よく言われてるパフォーマーの虐待の話はどうなんですか?
[D] いいですか、ポルノ撮影現場で死んだ人は、これまで一人もいません。鉱業、農業、建設、林業、消防、警察、食品、スタントマン業界はそんなこと言えないでしょ? ポルノ産業で働きはじめることができるのは18才からですが、これは軍隊に入ることができる年齢と同じです。最近は女性も戦闘行動に参加できるようになってます。そして統計が示すところでは、軍隊でのレイプや性的虐待の数はひどいものです。制服を着てお国に尽すことは、ポルノ現場で働くよりずっと危険なようですよ。
[A1] しかし18才というのは、ポルノ業界にはいるのは若すぎてナイーブすぎませんか?
[D] そして軍隊にはいるにも若すぎてナイーブすぎるってわけですか?あなた、軍隊に入れば、大学の学資や、旅行したりチャンスをつかんだりできるっていってだまされて兵隊になってるひとたちを見て育ってるでしょ?軍隊とポルノ産業がどう違うのですか。私たちの文化が、軍隊を誇りに思いセックスワークを蔑んでいる、っていうことを他にしたら。「すべての女性のために」発言するといってるアンチポルノフェミニストが譲歩しようとしないのは、一部の女性が自分の意志でセックスワークを選ぶことがあるという事実です。その人の気質やパーソナリティ、スケジュールの都合、性的欲求、芸術的欲求、経済的欲求などからね。
フェミニストたちが言っている、ポルノ産業が貧困で無垢な女性にたいしてなしている蛮行やら辱めやらというのは、なんらかの投影ではないかと思っています。つまり、もしフェミニストイデオローグたち自身が、ポルノのなかでそれをやらねば「ならない」としたら感じるであろうことを、パフォーマーたちに投影しているのです。彼女たちは、自分ならとらないであろう道を進んでいる、として他人を裁いているのです。でもその道にいるひとは、そんな人たちを同行者にしたいなんて思いません。それはこの会場の大学が私を教授に迎えたいと思わないのと同じよね。みんながすべての仕事に向いてるわけではないのです。それに、そんなフェミニストの議論が、いつも女性を子供あつかいしていることに注意してください。歴史的文化的に、若い女性はおとなしくて弱いものと考えられています。しかし、ポルノで働こうとしている女性たちは、一般に、競争的で、肉体的で、野心的で、努力家で、独立していて、がんばりやで、起業家精神をもっています。ポルノパフォーマーは、邪魔しようとする人びとよりずっとさまざまです。パフォーマーを一人一人の人間としてみたら、「すべてのポルノ出演女性は犠牲者だ」なんてデマなんかばからしいとわかるはずです。
[C] たしかに軍隊その他も危険な職業だといえるにしても、しかし、ポルノ産業はとくに弱い女性を搾取しやすいと言えるのではないですか?それに出演の心理的な影響も大きいのではないでしょうか?たとえば過去に性的虐待や暴行を受けた女性を、男が金儲けするために使っているのではないですか?
[D] 他の業界と同じです。性的虐待を受けた女性がポルノに出演することもあればしないこともある。女性全体の1/3ほどの子供のころに性的虐待を受けていると言われますが、そのほとんどはセックスワーカーとしては働いてません。もちろんポルノ産業で働いている女性がみんな心理的に健康であるなんてことはいえません。でもポルノはあるタイプのパーソナリティの人には魅力的なのです。エンターテイナーになろうとする人たちが他の人たちとは違うタイプであるのと同じようにね。服を着てようが脱ごうが、エンターテイナーというものは、他人からの承認や称賛や注目を求めているものです。私自身もそうでした5。エンターテイナーはみなどこかちょっと変わってます。そうでなければ、なぜ拒絶されることがわかっていながらステージにあがろうとするのでしょうか。ポルノ民はその点では他の種のパフォーマーと同じです。
エンタメ産業というところは、利用できる人なら誰でも利用します。貪欲で巨大な胃袋のようなもので、その「コンテンツ」の出口が大きければ大きいほど、ますます新しい食糧の必要が大きくなります。プロフェッショナルのポルノ産業は、エンタメ産業全体のなかでは隅っこの一角にすぎません。これはパフォーマーにはよいことで、たとえばドラッグ使用などの問題を抱えた人がいたらそれはすぐに業界全体に知れわたって仕事を干されます6。
[C] しかし、18才でポルノ業界に入ってしまえば、成功の見込みは小さく、また他の業界に転出することも難しくなってしまう、業界に「トラップ」されてしまうのではないですか?他の選択肢が狭まってしまうのではないですか?
[D] 最初に、女性はポルノに強制されて出演するというよくある話については、はっきり否定したいと思います。カリフォルニアのポルノ産業は完全に合法で、それに誰かを強制して入れないとならない必要性はまったくありません。アダルトパフォーマー志願者たちは毎日続々とランキングに入りたくてあつまり、そもそもその仕事を見つけられずあぶれてしまう状況です。他の国の状況についてはわかりませんが、アメリカの作品についてはそうなっています。現場では誰もが携帯電話をもっていて、もしなにかあっても警察に電話すればポリスは喜んで集まってくるでしょう。証人となる目撃者もたくさんいます。虐待的なプロデューサーはすぐに見つかって噂になり、誰もいっしょに仕事しなくなります。出演したい人がたくさんいて、エージェンシーに電話一本するだけで出演者が集まる時代に、プロデューサーが強制などする必要はまったくないのです7。
業界にとじこめられてしまう「トラップ」については、また別の話があります。私たちの文化は一般にセックスワーカーについて対立した意見があり、出演によるスティグマは以前よりはましというものの現に存在しています。そのために、出演の結果、他の業界に転出しにくくなるということがあります。また、パフォーマーの多くは、フェミニスト教授たちのような階級的な特権をもっていませんし、労働市場はジェンダーにかかわらずタイトです。ポルノ出演に必要なスキルは、他の仕事とはずいぶんちがっていますし、うまいチャンスがないと他の仕事ができないということがありえます。ポルノ業界にはいる人にとって、他の「ふつうの」仕事はあまりおもしろいものでない、ということもあります。ポルノ産業には少なくとも他の仕事と同じていどには成功の可能性があります。もっともそれは「成功」の定義にもよりますが。アメリカ社会の階級流動性は急速に低下していて、仕事の種類にかかわらず、いまのわかものは親の世代ほどの生活水準には到達できなくなっています。多くの女性ポルノパフォーマーは、そのキャリアにクリエイティブな満足と経済的な独立があると考えています。ポルノ業界の女性は、男性がもっていないオプションをもっています。それぞれ、ダンスしたり、プライベートエスコート業をしたり、セックストイのブランドをたちあげたり、会員制サイトを作ったり、webカムショーをしたり、イベントに登場したりしてお金を稼いでいます8。
[D] セックスワークのイメージの問題は、労働環境についての懸念というよりは、エロ嫌悪的な文化、アンチセックスバイアスの結果ではないかとおもっています。お金のためにセックスをするのは問題がある、という発想を捨てるなら、こうした見方は魅力があります。もしポルノが、他の業種の人がうけている保険や年金やさざまな福利厚生を受けられるにせよいないにせよ、ポルノ出演は他のパートタイム労働者とかわりありません。なぜポルノ業界の人だけが「貧しい若い女性」とされて「餌食にされている」と言われなけばならないのでしょうか?裸になってるから?セックスしているから?ポルノパフォーマーを選んだ人は、他の仕事を選んだ人と同じような理由からそうしています。それがよいアイディアだと思ったから、お金を稼げそうだから、おもしろそうさから、スケジュールにあってるから、パーソナリティーやニーズにあってるから。他に高卒の人にどんなよい職業があるというのですか?ポルノに出演している人びとが、医大やロースクールやビジネススクールに通うオプションのある階級から出てる、みたいな話はおかしいです。
[C] 若い女性の階級の話になりましたね。メディカルスクールやカレッジに行く余裕のない人びとの話です。フードサービスや、他の低スキル低賃金の仕事についてはどうですか?
[D] ポルノはフードサービスやウェイトレスや子守より稼げます。向いている人にとっては、セックスワークはグレートな仕事です。
[C] しかし、彼女たちがもっている他の選択肢についてはどうですか?彼女たちがポルノにおちつくのは、他の選択肢があまりにも悪いせいだ、とは?それは強制された選択で、強盗の「金か惜しいか、命か惜しいか」みたいなものです。「ウェイトレスかポルノかどちらか選べ」というところですね。そういうのは本当の選択ではなく、強制ではないですか?
[D] それが労働市場というものです。それなら同じように、ウォルマートの労働者も強制されていると言えてしまいます。労働市場というものはそうした選択を強制するものであり、またヘルスケアやセーフティーネットが十分でないことがそうした選択を強制しています。そうした労働市場で、なぜ、セックスワークは「本当の」選択肢ではないとして排除して女性の選択を狭めようとするのですか?ポルノ出演を「若い女性に起こる最悪の事態」などととらえるのは、感傷的で無力でセックスレスな女性たちの社会的アイディアとでも言うものです。セックスワークは1日に200ドルから1000ドル稼げて、他の選択肢のほとんどよりも危険の少ない商売です。
セックスワークは昔から、多くの女性が中流にステップアップするための踏み台でした。特に経済的に大きな断層があった時代に9。そうしたチャンスを否定する権威主義的なやりかたが、女性自身や社会全体の利益になるとはいったいどういうことでしょうか。なぜポルノだけが労働者搾取の典型例として選びだされねばならないのですか? 多くの人がギリギリかそれ以下で暮しているわけですが、そのなかのほんの少しの割合の人びとだけがセックスワークを選びます。もし「強制された」選択について話をしようとするなら、資本主義システムと、それがあらゆる種類の労働の価値を減じていることを論じてほしいものです。
[C] しかし、仮に、そうした少女たちが、十分情報を知った上で自律的な選択をおこなっていると仮定しても、社会が彼女たちをそうしたことを選ぶようにつくりあげている、ということは言えませんか?私たちのセクシャライズされた文化が、彼女たちに子供のころから自分自身を売ることを教えていて、あなたはそれをさらに強化している。ポルノは女性のセクシュアリティの略取co-optなのです10。
[D] 誰が「カメラの前でセックスするような少女たちが自分たちのセクシュアリティを誤解している」のようなことを言えるのでしょうか?私自身の自分のセクシュアリティの理解は、「カメラの前こそ私のセクシュアリティが表現される場所だ」というものでした。私はメッセージのある露出狂ですが、まちがった場所で裸になって逮捕されたくはありません。ポルノは私のセクシュアリティが生まれ歓迎された場所でした。もしアンチセックスワークフェミニストたちが本当に女性を助けたいなら、ワーカーをはずかしめたり軽蔑したりしないで、合意の上のセックス取引を非犯罪化し、女性をさらに搾取するピンプやらマネージャーやら警官やらの害悪をとりのぞいてほしいものです。くりかえしますが、アンチポルノフェミニストは、セックスワークは常に悪であり、正しい心をもった女性がそんな「degrading」で「dehumanizing」な商売に参加するなんてことはありえないと考えています。「degrading」とか「dehumanaizing」なんて主観的な言葉はわすれてしまいなさい。フェミニストたちは、想像の上でラジカルフェミニストが経験するであろうことをセックスワークをする人びと全員の経験だと想定してしまっています。フェミニストたちは、セックスワークを選択する女性たちを、個人的な動機をもった個人として見るということをする気がないか、あるいはその能力がゼロなのです。私はそういのは知的に不誠実だと思います。それは、アンチポルノフェミニズムが、理性と論理にもとづいているようなふりをしながら、実は単なる感情にもとづいたものであることを示すものなのです11。
[観客 A2] しかし……ポルノ産業は女性は商品であるという発想を強化しています。女性は子供のころから自分を売るようしつけられていて、あなたは「それに身をまかせろ go with it」と言っています。そんなものがなぜ解放で自律の尊重なのでしょうか、それはたんに女性に、お金もらえるからセクシズムやミソジニーを受けいれろと言っているのと同じではないですか?
[D] そんなことはポルノに限った話ではありません。自分を売る方法を訓練されたかった人なんていますか?12 口先で「家父長制」がどうのこうの言ってる人びとは、「受けいれられる」女性の家父長制的原型を完全に内面化してしまっています。私はフェミニストといっしょにいたときほど辱められたときはありません。この文化は、セクシャリティをセールスポイントとして評価しています。私たちはセックスを、車や鉄砲やビールや化粧品や衛生用品や映画を売るのに使っています。それなのに、セックスを売るためにセックスは使えないのですか?年齢にあった性教育はできないのですか?アンチポルノフェミニストは、ポルノ消費者と同じくらいセックスにとりつかれています。
[A2] しかしまだ私の質問に答えてもらってません。ポルノでのキャリアを女性解放的と主張するのは不誠実ではないですか?
[D] 私たちのように、ポルノ出演が解放的だと考える人間も、それを全員についてそうだというふうに一般化したりはしません。一部の人にとっては解放的ですが、そうでないひとは同じくらい稼げる仕事があればそちらにいくでしょう。(有名な『ディープスロート』主演のリンダラブレースさんの件でフェミニストなじってるけど省略)ポルノ出演が解放的なのは、パートタイムの仕事で生活費が十分稼げるからです。パフォーマーは仕事を受けてもいいし受けなくてもよい。好きなところに行き会いたい人に会い、なんなら別の可能性を試すこともできる。なぜ男性のセクシャリティに応じるcater to ことが、自動的に非解放的なことになるのでしょうか。
ほとんどの女性は男性の性的な注目がほしくないとか、そんなものなしにやっていける、などと考えているのは、一部のフェミニストだけです。たいていの女性は、ヘテロセクシャルで、男性の視線 male gazeを自分たちの幸福のための大事な要素としているものです。男とセックスして楽しいという私のセクシャリティを否定して、なにが解放的といえるものでしょうか。「私の体、私のルール」てなマントラはどうなったのですか。私の選択をはっきり軽蔑している女たちの口車の的になるのが解放的なんてことがあるでしょうか。なんだって私のことを、かわいそうな犠牲者とか、ミソジニストだとかと思ってる人びとの助けを求めなければならないのですか!ポルノに出た女性が、のちになってみんながみんなそれが自分の最善の選択だと思っているか?ノーです。しかし、ほとのパフォーマーは、「その時点では」自分にとってベストと考えられた選択をしていたと考え感じています。
[聴衆 A3] しかし、キャサリンマッキノンは、ポルノ産業で楽しんでいる女性やキャリアを追求したい女性は、虚偽意識 (false consciouness、自己欺瞞) におちいっていると言っています。あるいは、教義を教えこまれたり洗脳されたりしていて、自分たちが搾取されていることがわからなくなっていると言っています。
[D] そうした議論を私は憎んでいます。その議論は30年以上まったく変わらないまです。そのことが、いかにその議論が浅いものであるかを示しています。どういうわけか、彼女(マッキノン)たちだけは自分が文化によって条件づけられることをまぬがれていて、自分たちの状況を超越する超能力でも持っているというのでしょうか。
いったい誰が私の意識が「虚偽意識/自己欺瞞」であるとか、「本物」であるとか言えるというのですか。あ、わかりました。「彼女たちが」ですね。私たちの選択を条件づけの結果だとすることは、私たちを実験室のラットあつかいすることです。アンチポルノフェミニストにとっては、男の注意をひきたかったり、生活で男のセックスが必要だったりする女は「植付け」されていることになっています。すみませんねレイディーズ!ご承知のように、女性の多くはヘテロセクシュアルで、政治的な理由からレズビアンになったりはしたがらないのです。
[C] 問題の核心に近づいてきましたね。Dさん、あなたは個人の観点から問題にアプローチしていいます。あなたが考えているのは、セックスワークを選ぶ女性、それを買う個人の消費者、それがそれぞれの人生に与える影響などで、あなたは個人の選択と自由について考えている。
[D] その通りです。
[C] しかし、もっと広い社会的課題は、階級としての女性の地位の話です。ポルノは文化に対して一定の影響力をもっていて、女性の見方に影響を与え、そうすることで、女性の自律を損なったり、あるいはジェンダー不平等を促進したりして、女性に害をおよぼしている。そうすると、問題は単に個人のものではなく、個人の行動のまとまりが社会全体に対してもたらす影響ということになります。
[D] しかし、その影響は個々人たちの行動の結果であって、責任を追うべきなのはやはり個人です。個人がレイプし、個人が差別し、個人がセックスワークに参加するのです。私たちが個人について話す必要があるのは、個人が社会をつくっているからです。私たちは個人の権利を保護しなければならない。ポルノを作り買い消費する権利を。そして自分のセクシュアリティを行使する権利を。私たちは100年かけて、自分の財産をもち、夫をレイプで訴え、信用取引をし、離婚して親権をもてるようになりました。これらはフェミニスト的な思想によるものです。こうしたフェミニストの頭のなかにはポルノなんかありませんでした。フェミニストの大多数は、ジェンダー平等のことを考えているのです。ポルノなんかレーダーにひっかかってきません。私はセックスワーカーとして、私のことを心配してくれているという女性たちにあいましたが、それは私が自分の考え方を捨てて彼女たちの考え方をとりいれれば、の話でした。私はそうした人びとに騙され放棄されたと感じています。
[C] しかし話は、あなただけの問題じゃないですね。問題はポルノが文化に対してポジティブなインパクトがあるのか、ネガティブか、ということです。
[D]そう、そしてそれは、他のメディアについても同じなのです。ポルノが非難されたのはそれがセックスについてのもので、アンチセックスバイアスが私たちの文化にあるからです。私たちは、広告やホラー映画がどれほど侮蔑的かといった話はめったにしません。ホラーでは、女の子の役割は、かわいくて、叫び声をあげて、死ぬことです13。私たちはセックスについて語りますが、ポルノ反対の議論はセックス反対の態度をさらけだしています。ポルノは(そうした文化にとって)転覆的です。なぜなら、ポルノはなにもネガティブな帰結を映しださないからです。(ホラー映画とちがって)ポルノでは誰も死にません。誰も捕まりません。誰もケガしません。誰も妊娠しません。ポルノではグループでセックスしたり、道具をつかったり、同性とセックスしたり、ちがう人種の人とセックスしたりします。ポルノで起こることは、みんな楽しんで、時々オルガスムが発生し、そして家に帰る、っていうだけです。ハリウッド映画とちがって、「逸脱的」なセックスした女性が死ぬことはありません。ハリウッド映画では一線を超えた女性は失職したり子供を失なったり自由や生命を失なったりしますが、ポルノではそういうことはありません。
ポルノはカウンターカルチャーなのです。ポルノは境界線を押し広げ、オルタナティブなセクシュアリティの世界を開きます。そして人びとはそれを楽しみます。そうでなければ、産業として成功していません。ポルノ産業を殺すならば、みながアクセスできるセクシュアリティについてのオープンでオルタナティブな対話を殺すことになります。それが人びとの最善の利益になる、なんてことがあるでしょうか?私が個人の自由に話をしぼるのは、自由と権利を享受できるのは、個人だけだからです。そしてポルノに関する論争は、文化的な価値のためにそうした権利や自由をどう制限するべきか、という話なのです。私は、もし人びとが、単なる個人的な嫌悪感や性道徳をグローバル化しようとしている人びとによって命じられるのではなく、自分自身で意見を形成することが許されるならば、ポルノは性的な問題について人びとが議論することを可能にする手助けになると思っています。ポルノは、私たちが自分の生活を作りあげるというプロジェクトのための、ほんのちょっとした追加のデータ、追加の情報にすぎません。ポルノがあまりにも危険だとか、あまりにも害があるとか、あまりにも強力だと主張することは、人間性というものをみくびることで、自分たちのジェンダーやセクシュアリティについての考えかたにあわせた社会的現実を構築しようとしてしまうことです。あなたたちは、私から、自分の人生を情報にもとづいて選択し、手作りで作りあげる権利を奪おうとしているのです。
脚注:
この、ポルノは人間蔑視的だ、っていうのはソーブル先生も指摘していておもしろいよな。男も女も動物のように扱うのがポルノというものです。
これけっこうおもしろくて、ジャイアンがテレビやマンガでのび太の殴り方を勉強したはずないよな。まあなにも必要ないか、多くとも一回見れば十分というか
これは私は裏とれてないけど、Melissa Farley先生は心理学者で強硬な売買春規制論者で、日本でポルノ・売買春規制を提唱している中心人物の中里見博先生がよく参照しています。
この点はほんとにやばくて、マッキノン先生とかは「ポルノは犬に攻撃しろと命じるようなものだ」って言ってるしねえ。出典はあとで確認するけどあちこちで引用される。現代のフェミニスト哲学者にも!ハートレー先生、ちょっと論点相違みたいなのかましているところがあるけど、わかりすい言葉でとてもおもしろい。大学教授たじたじ。
ここらへんは、パフォーマーならではの観察でおもしろいところだと思う。誰でも承認だの称賛だの注目だのは欲しいものだけど、それを手に入れるためにいろんなことをするひとと、あんまり派手なことはできない人がいると思う。学者でもそういうの感じる。もちろんツイッタでもそういうのは我々はいつも見てるわけで。無料の女神様をする女子とか、おかしいのではないかと思う人びともいるかもしれないけど、そうした注目や称賛でさえ必要な人や、必要な時期ってのはあるだろう。
特にアメリカはロサンジェルスの片隅でかたまって制作しているらしい。
まあアメリカの合法ポルノはそんなか感じだろうなとは思いますね。しかしプロフェッショナルじゃない方はやっぱり心配ですね。
ここらへんも業界人としての知見よねえ。ポルノ一本で食っていくというよりは、自分を資本に一人の起業家として稼ごうとしているわけだねえ。アメリカ人の好きな起業家精神の権化である。とりあえずハートリー先生はフェニミスト教授たちが嫌いだ。「おまえらから見て下々の者ってんで馬鹿すんなよ!」という迫力がある。ははは。誰かハートリー先生呼んできて、アメリカポルノ業界についてのレクチャーでもしてもらったらどうかな。
これはよく言われてる話ですな。定番はここらへん。https://amzn.to/3lf5pU1
こういうの、まあ典型的な議論とはいえ、ガチな感じでいいよね。実際議論はいつもこういう感じですすむわけだし。定番定跡をまなんでおくのは価値がある。定跡の復習をくりかえすのはもっと価値がある。
これはそうなんよねえ。例のリストにあるようなことは、自分じゃぜったいそんなことはしたくない、そんなこと考えられない、だからそれをするひとびとはそれを強制されているはずだ、ってな感じ。なぜそれがdegradingかといえば、*自分がそれをしたら/されたら* degradeされてると感じるであろうから、以外にありえないと思う。まあたいていの人の裸なんてしょぼいもんだから、カメラの裸になるだけでdegradeされている感じになると思う。これはわかるんだけどね。ピンカー先生は大腸検査受けるだけで尊厳が傷つけられていると感じたらしい。まあそういうところはあるねえ。しかし尊厳がどうあれ大腸検査はうけましょう!
「自分を売る訓練されてない人はいるか?」っていうのは、女子に限ればいろんな習い事やしつけ、教育、そういうのも自分を性的に売る訓練だ、って話なんだろうね。男子の習い事やしつけその他は、「自分を売る」とはちょっとちがうところがあるかもしれないけど、長い目で自分の利益になるであろうというのでしつけられているというのは同じか。「自分を安売りするな」みたいなのは、自分が商品であることは認めてるわけだし、上野先生もセックスワークについて近いことを言っていたと記憶している。
これはたとえばホラーではセックスしたカップルは最初に殺される、とかって話よね。
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コメント
面白い記事ありがとうございます。
些事ですが、注釈13のところは本文と注釈が混ざっていると思います。
あと「私の経験からすれば~」のところと「他の業界と同じです~」のところと「そう、そしてそれは」~のあたりは発言者の表記がまちがってると思います。
どうもどうも。適当ですみませんたすかります。
読んでいて誤字っぽいものが気になったのでいくつか挙げてみました。多くの人に読まれたほうがいい文章だとおもいます。
そもそも暴力的やつらは→そもそも暴力的なやつらは
自分で世紀をいじったりすること→自分で性器をいじったりすること
若い女性はとなしくて弱いもの→若い女性はおとなしくて弱いもの
搾取しやすいと言えるんないですか?→搾取しやすいと言えるのではないですか?
現場では誰もが携帯電話もっていて→現場では誰もが携帯電話をもっていて
それなら同じように同じように→それなら同じように(?)
ミソジニストとかいう人びとだと思ってる人びと→?
彼女たちにの考え方をとりいれれば→彼女たちの考え方をとりいれれば
ポルノで起こことは→ポルノで起こることは
人間性というものをみくびことで→人間性というものをみくびることで
ありがとうございます……いつもすみません……