セックスの哲学と私 (1)

んでいきなり自分語りをはじめるか。ははは。

セックスの哲学という分野に興味をもったのは10年ぐらい前かしら。

まず15年ぐらい前に、諸般の事情で「情報倫理」とかってのをケンキューしなきゃならない状況になって、なんかおもしろいネタはないかみたいなサーヴェーしてたわけだ。当時はネットのポルノとその規制(米国のCDA、Communication Decency Act, 通信品位法案)とか)が問題になってたので、そこらへん表現の自由とか言論の自由とかとからめて勉強しようかと思ったのだが、まああんまりうまくいかなかった。どの程度私がポルノ画像とか集めていたかは秘密。netnewsに流れているのをあれするスクリプト書いたりして。ははは。

そこから幸運にも今の勤め先に移らせてもらった。女子大だし、そういう学部なのでまあフェミニストの牙城みたいなところで、研究会とか出せてもらったりして。ジェンダー法とかそういう話だわね。やっぱりポルノに関心があるなあ、とか。でも性の商品化とか売買春とかそういうところに話は広がっていくわね。ポルノは性の商品化そのものだし、ポルノ撮影現場では売買春も行なわれていると考えることができるわけだし。性暴力とかそういうのとも関係がある。

私の世代(1965年生まれ、前後3年〜5年ぐらい)の本読む階層は、おそらく小倉千加子先生や上野千鶴子先生のフェミニズムの影響をもろにかぶった世代で、まあ一定の理解はしているつもりだし、問題意識はわりと共有しているつもり。なのでまあ性の商品化とかを中心とした倫理的・社会的な問題にはずっと関心をもっていたわけで。2000年からちょっと経ったころは、ジュディス・バトラー様とか紹介されたり、国内では杉田聡先生みたいな強硬なポルノ反対派みたいな人がいたり、APP研とかの団体が活動したりしていろいろ気になる。でもまあそれなり勉強していると、なんかそういうのはおかしいんじゃないか、みたいに思いはじめた。哲学っぽいんだけどなんかちゃんとした哲学や倫理学の議論じゃない気がしたんよね。

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