クリッツァーさんの悪口へのお返事、あるいは、私のSNSとのつきあい方

ちょっとベンジャミン・クリッツァーさんに悪口書かれている気がしたので、とりあえずお返事しておきます。私のことじゃなかったらすみません。

(BlueskyにXの悪口を書くの、あまりに定番すぎる仕草なので基本的にはやりたくないと思いつつ…)

Xでのびのびしている某ミソジニスト大学教授、まともな人間がどんどん立ち去ったことでフォロイーはミソジニストしかおらず、質問箱でも(本人がミソジニストだから)ミソジニストしか意見やタレコミを投稿してこず、その質問箱に基づいて思考を進めるからバカまっしぐらになっており、蠱毒化により自分の観測範囲を「社会」や「世間」や「みんな」だと誤認しているせいでおそらくいくら自分の問題を指摘されても「みんなも相手のことおかしいと思っているから」と受け入れない状態になっており、ひたすら嫌悪を催す存在になっている

  • 「のびのびしている」はまあそうかな。最近のびのびしようとしています[1]仕事に遊びにぬくぬくとくつろぐ男性大学教員、というわけではないです。
  • 「ミソジニー」は定義と根拠ぐらいつけてくれないと失礼だと思います
  • 私のフォロワー(私をフォローしている人)やフォロイー(私がフォローしている人)?にはミソジニストしかいない?そうなの?確認してないです。
  • 質問箱っていうかquerieはそういう状態にはなってないと思う。なんか実例ありますか
  • 「自分の問題を指摘されても」はどの件かわからない。もしかしてquerieとかで忠告してもらってるのをブロックしてしまってる?(ブロック通知は質問者にはいかないはず)[2] … Continue reading
  • 「相手」が誰のことかわからんのです。フェミニスト一般ではないだろうと思う。ここしばらくは隠岐先生がフリーダムな発言をくりかえしてプチ炎上していてどうしても気になって軽くコメントしてしまうけど、それくらいじゃないでしょうか。

ミソジニストであるだけでなく、トランスジェンダーの人々が攻撃されているときには「表現の自由を侵害したことに対して反動されるのは仕方がない」という反応をして、イーロン・マスクが対立や分断を促進するようにXを改造したことには賛成し、それによって引き起こされた諸々の惨状からは永遠に目を逸らし、トランプ就任後のこの惨状になっても民主党側の問題にしか目を向けず、自分と同じ属性である「男性」に対しては過剰なまでに同情するのを例外とし一貫して弱者に対する加害を肯定し続け社会に対して引き起こされる悪影響を無視し続けて自分勝手な「自由」を主張し続ける、ひたらすら有害でおぞましい存在になっていて、とにかく嫌です。

  • 「トランスジェンダーの人々が攻撃されているとき」はどのタイミングの話かよくわからない。(一般に)トランスジェンダーの人々が攻撃されている「のに」、ってことかな。トランスジェンダー女性といわゆる「女性専用スペース」の関係はかなりむずかしいと見てるし、「性自認」万能主義(というものがあれば)それは維持がむずかしいと見てます。
  • 「「表現の自由を侵害したことに対して反動されるのは仕方がない」という反応」はどうだろうなあ。なんか私の言葉遣いじゃないし。まあ論敵の口を封じようとする人々が反発されるていうのはそうだろうと思いますが、私の発言は具体的にはなんなのですか?
  • イーロンマスクが「対立や分断を促進するようにXを改造した」とは見てないです。言論の自由の強化・前面化が対立や分断につながった、っていう見方はできるかと思うけど、コミュニティーノートの方は私は高く評価してます[3]あれ、コミュニティノートはイーロン以前から存在していたというつっこみもらいました。そうなのか。。私がいわゆるヘイトスピーチに晒されている人々に対して十分共感的でない、という評価や指摘はありえると思う。しかしどこらへんが十分なのかはむずかしい。ある種のコントロールは必要だろうとは思いますが、それがどんなコントロールであるべきかはよくわかってない。
  • 「トランプ就任後のこの惨状になっても民主党側の問題にしか目を向けず」トランプさんのやりかたはたいへん心配しております。むしろ、彼を大統領にしてしまうアメリカ国民やその状況についてもうすこし知る必要があると思ってる。
  • 「自分と同じ属性である「男性」に対しては過剰なまでに同情する」はあんまり心あたりはない。これまであんまり書いてないし今後も書きたくないんですが、いわゆる「弱者男性」、お金や学歴がなかったり、性格が弱かったりする人は実は私のまわりにはけっこういるのです。そういう人々に私が肩入れすることがあって、それのなにが悪いのかわからない。むしろ私は女性ではなく、わけわからないことを偏ったことを言うインテリや恵まれた人々に対して反感をもっているのであり、女性に対してもっているのではない。
  • 「弱者に対する加害を肯定する」は心あたりがない。こんなこと書くなら例や根拠ぐらいつけてください。それくらいは物書きの義務だろうと思います。ちなみに女性はそれだけでは弱者であるとは私には思えない(セクハラ・性暴力などの性被害まわりを除く)。弱者とか加害とか強い言葉を説明なしに簡単に使うのはよくないと思う。
  • 「社会に対して引き起こされる悪影響を無視し続けて自分勝手な「自由」を主張し続ける」は私が言論の自由についてわりと強い擁護論をとっていることを指しているのかもしれませんが、論文等ではいつも言論の自由とバッティングするさまざまな害悪について言及していると思う。たしかにさまざま害悪はありえるし実際にあるだろうけど、言論の自由は守らねばならない、という立場。(もっといえば、そしてそれは単なる原則の問題ではなく、私たちが私たちになるために、私が私になるために、それぞれの人がそれぞれの考えを深めるために必要なのだ、といういわゆる完成主義的立場をとりたい。これ読んでください https://researchmap.jp/eguchi_satoshi/presentations/46317726)もちろん、名誉毀損、罵倒、侮辱などはしかるべき手段によって抑制されるべきだ。
  • ↑上で難しいのは、下品だったり人のカンにさわるような書き方をする人々とどうつきあうかなんですが、上の論文もどきでもちょっと書いたように、ある特殊な性格や信念の人じゃないと書けないこと、指摘できないことっていうのはあると思うんですわ。言論や表現の自由っていうのはそういうのまで最大限許容するべきだと思ってる。もちろん、そうした人々と仲良くしなければならないわけではない。
  • 私は性格があれこれ偏っているので人に嫌われるのはやむをえないと思っているけど、根拠なく悪口だけ書かれるのは困ります。なんか単なる思い込みや決めつけなのではないか。ひとり言ならそれでもしょうがないかもしれないけど、私に言われても困ってしまう。ていうか、そういう思い込みや決めつけで話するのやめよう、っていうのがクリッツァーさんが訴えてたことじゃないんですか。

https://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2023/02/27/124536
「…ミソジニー論客と同じようにフェミニストやリベラルのことを不快に思っていたりキャンセルカルチャーを問題視したりしているが、ミソジニー論客による個人への中傷・攻撃に直接的に同調したり便乗したりすることはなく、しかし自分の口でミソジニー論客に対する批判を行うこともせず、…今回における雁琳のような「暴走」を止めることもせずに放置しているという点では、ある面では、ミソジニー論客よりもさらに卑劣な存在であるとも思える。」

  • 「フェミニストやリベラルのことを不快に思っていたり」はちょっと困りもので、あんまり根拠ないフリーダムなフェミニストやリベラルの人々を不快には思っていますが、フェミニストやリベラル全体をそう見ているわけではない。あくまで特定の人物や論者にしか興味がないし、そういう形でコメントしていると思う。
  • キャンセルカルチャーは大問題。やめてほしい。
  • 「ミソジニー論客による個人への中傷・攻撃に直接的に同調したり便乗したりすることはなく」。まそういうことはしないようにしてます。
  • 「しかし自分の口でミソジニー論客に対する批判を行うこともせず」ここが問題よね。誰かを批判するっていうのは実際たいへん手間のかかることで、私は原則的には、学者や研究者、広い意味でのアカデミシャン、学問にあるていどの忠誠心もっているであろう人々の言動にしかコメントしないようにしていて、また断片的なツイートとかはわかりにくいので特別なケースじゃないとツイートを論じたりすることはないです。
  • 「今回における雁琳」は、どうも北村紗衣さんの本にある「歴史修正主義」に関するやつみたいですが、これ誤解は入ってそうだけど、「暴走」や「言いがかり」と言えるほどのものか私には判断つきませんね。だから雁琳さんを「止めよう」とする動機はなかった。まあそもそも雁琳さんは学問への忠誠心みたいなのものはあるみたいだけどそれほど強くないように見えるし、あんまりブログとかまともまったもの書いてくれないから論評しにくい。
  • そういうんで、なんで卑劣と言われる筋合いがあるかわからない。卑劣って相当ひどい悪口ですよ。私はその非難は許せないですね。

雁琳も青識もおれと近い年齢で、現在は30代半ば・ネット上で”活動”を始めたときにも20歳はとうに過ぎていたはずだから当時から「大人」であり、自分の言動には自分で責任を取るべきではあるんだけど、大学教授であったり弁護士であったりするなどの正式な立場があって年齢もはるかの上であるおじさんたちが「自分の嫌いなフェミニストたちを批判してくれているから」という理由でおだてたり扇動したりを続けて、それが批判の域を超えて「攻撃」や「嫌がらせ」になったときにも擁護するか放置するかして、本人が社会的な罰を受けたりおかしくなったりしたときには知らんぷりを通す、というのが本当に卑劣で有害だし、許しがたく思っています

  • 私が雁琳さんと直接関係をもったことは数えるしかないと思う。白饅頭・雁琳・小山・青識各氏[4]この四人はパーソナリティも立場も思想もずいぶん違っていて、「ミソジニー論者」のようなくくりができるかどうか私は疑ってます。はフォローしてないことが多いし(ときたまフォローしようかな、と思って続いてるのは小山さんぐらい)、メンションや言及もないし、暗黙に応援したり煽ったりていることもないと思う。実際のところ、最初から例の「オープンレター」的に「距離をとって」いると思う。いったい何を見てるのですか。
  • 「批判の域を超えて「攻撃」や「嫌がらせ」になったときにも擁護するか放置するか」基本的には放置じゃないでしょうか。我々はネットで自分が気にいらない人々や意見が異なる人々を攻撃しにいく義務はないと思う。もちろん動機があればそうしてもいいけど、私には動機がない。実際のところ私は比較的安全な小さなアカウントを運営しようとしているのはクリッツァーさんだって知ってるはずでしょう。ネット上で目立つ「論争」してアカウントを大きくするつもりもいまのところないです。

もうミソジニー論客らのことはだいぶどうでもよくなっているんだけど、「観客席」に座っているつもりのおじさんに対する批判と怒りの気持ちは持ち続けています。

  • まあ私が野次馬的ふるまいをとっていることは否定しないけど(90年代のweb日記時代には「ネット野次馬宣言」とか書いたこともあった)、野次馬が事故にまきこまれる危険も承知しています。
  • おそらく、SNSを使う目的には、(1) 親しい人々との交流したい、あるいは新しい友人を開拓したい、 (2) 自分の活動の広報、社会運動をしたい、 (3) ひとり言を書いて他の人に読んでほしい、の三つの代表的な目的があって(当然もっとある)、私はだいたいの場合(3)が強くて、SNSによって社会を変えたいっとかっていう欲求はそれほどないわけです。私が書く時にはある内的な欲求や衝動があって、「ミソジニー論客を批判したい」というような衝動はあんまりない。そもそも見てないわけだし。「弱者男性論者」(≒ほぼ「マスキュリニスト」)がなにを言ってるか見ようとしているのはごく最近。誰かを非難する内的な動機をもっている人が、わざわざそういうことをする責任も動機ももっていない人を非難するのはやりすぎだと思う。まあそういう社会的責任/義務があるのだ!ってがんばる手はあるだろうけど、もし下品な人々や正しくない人々とネットで闘う義務があるとしても、それはせいぜいいわゆる「不完全義務」(時と場合を選ぶことのできる義務)だと思う。
  • 私はキャンセルカルチャーはたいへんよろしくないと思ってるし、それを擁護するような不当な根拠から主張をしている人々は非難するべきだと思っているけど、それを他人に要求しようとは思いません。また、行儀のわるい人々がネットに大量にいるけど、それを人々がいちいち非難するべきだとも思わない。
  • 「〜するんだったら〜しろ」みたいなwhataboutismと呼ばれるやつ、これは人の口をふさぐ非常に凶悪になりえるもので、たとえばクリッツァーさんだって呉座さんへのキャンセルレター、じゃなくてオープンレターの話、あるいはそれに類した国内のでキャンセルの話について、自分の著書に一切書いてないじゃないですか。「キャンセルカルチャー」を考える本のはずなのに。クリッツァーさんはそれに触れたくない事情があるんだろうとは思うのですが、なんか不整合な感じがある。でも私はそれを論じるべきだ、論じないと卑劣だ卑怯だ、とかそういうふうには考えないです。事情があるとか、動機がないとか、そういうことなんだろうと思います。人は自分が言いたいこと、言うべきだと思ったこと、言わざるをえないことを言えばいいのであって、そういうのを他人に強制されるのはおかしな話です。もちろん議論や論争でそれが必要になった場合は別。でも普通は要求しなくてもよいものだと思います。
  • というか、仮にネットに政治的に正しくない人々、あるいは邪悪でさえある人々がいるとしても、いちいち喧嘩しなきゃならないっていう発想はおかしいと思うんですよね。敵と戦わない奴は敵だ、みたいな発想は部族的でたいへん危険なものだと思う。それに、行儀悪い人たちを咎めにいくっていうのはそれはそれでかなり危険なことでねえ。だいたい殺すか殺されるかの戦争になるわけで、それ他の人に要求するものじゃないんじゃないかな。それに単なる罵倒ではなく、まともにとりくんで根拠だして批判していくには相当のエネルギーが必要だし、中ボス大ボスとたたかう前に、延々わいてくるスライムやキラービーぐらいを倒してかなきゃならない。単に罵倒しろって言ってるわけじゃないんでしょ?
  • あと、誰かがネットで喧嘩していると、どっちかに「助太刀するでござる」のような人々がいるんですが、どっちにも助太刀がついて、陣営に分かれても集団的な喧嘩や戦争みたいなのになっちゃう。戦争反対。喧嘩はやめて。特に自分のために喧嘩を求めるのはやめて。ツイッタで喧嘩するような人々はみんないっちょまえの「論者」なんだから助太刀なんかいらないと思う。特に大きなアカウント、社会的地位をもつアカウント、著作家などははなんにしてもすでに「弱者」ではない。各自は各自の戦いを戦うべきだ。

まあこんな感じかな。まあクリッツァーさんがXを離れたのは残念だけどしょうがないと思う。そして、blueskyでこういうの単なる罵倒的なものを書いて平気なのであれば、長く好意的に見ていた人間としてはちょっと心配です。自分の名誉を守るためとはいえ、こんな文章書かなきゃならないのは残念です。それは伝えておきたいです。おそらくクリッツァーさんが嫌いな人々とほとんどちがいがなくなってます。そういうのはやめましょ。まあネットに長くいると人は変わるものだし、ネットでストレスかかるといろいろキビしいわけですが、がんばってほしい。

自分がクリッツァーさんの言う「ミソジニー論客」(おそらく白饅頭・小山・雁琳・青識各氏)と「歴史修正主義」について2024年末までどんな言及しているかログをgrepしてみました。まあこういうツイートに続きがあったり、暗黙に言及しているやつはもっと多いと思うので、興味ある人はその前後見てみてください。

https://docs.google.com/document/d/106vE_NX63ZPVrNSXuT16DhjbYCEStBtvPi5ZF0w1Ptw/edit?usp=sharing

Views: 564

References

References
1 仕事に遊びにぬくぬくとくつろぐ男性大学教員、というわけではないです。
2 答えにくいのやあんまりおもしろくない質問はブロックしないでゴミ箱に捨ててるんですが(半分ぐらい?)、「あまりにも単純で幼稚な質問で私のこと考えてないな」とか「プライバシー探ってくる感じ」とか「いやがらせっぽいな」みたいなのだけは(文体などで同定できる場合は)少数ブロックしてます。ブロックされているか知りたい場合は、「ブロックされてる?」ってだけ質問してみてください。1日たっても返事なければブロックされてます。
3 あれ、コミュニティノートはイーロン以前から存在していたというつっこみもらいました。そうなのか。
4 この四人はパーソナリティも立場も思想もずいぶん違っていて、「ミソジニー論者」のようなくくりができるかどうか私は疑ってます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました