小松美彦先生の『脳死・臓器移植の本当の話』(3)

ISBN:4569626157

あとシンガーの議論やろうかと思ってたけど、根気がつづかん。一箇所だけ。

脳の機能が不可逆に停止した人間に関して倫理的に関連のある最も重要な特徴は、その人間が人間という種の一員であるということではなく、その人間には意識を回復する見込みがまったくないということだ・・・意識がなければ、生存しつづけたとしても、それが本人の利益になることはない。・・・これとまったく同じことが 遷延性植物状態の患者にもあてはまる(シンガー[一九九八]、255-25頁*1

人間の生死の決定を利益なるものの有無ではかるとは、なんとも世知辛くやるせないことではないか。なんたる傲慢で想像力を放棄した行為だろうか。(p. 217)

「利益」を金銭的な利益のようなものとしてとらえてはならん。原文は “Without consciousness, continued life cannot benefit them.” でも書いたが、 当人がまったくなにも感じない場合に、なにかそのひとにとって「よいこと」があるのか、という問いだし、傲慢でも想像力*2を放棄したものでもないと思う。

ちなみに、この引用文のすぐあとでシンガーは次のように言っている。

だからといって、不可逆に意識を失った患者の生命を終わらせる決定が簡単であるとか、機械的におこなわれるということにはならない。考慮すべき患者の感情は微妙であり、また大切でもある。患者が新生児や幼児であったり、意識の喪失が突然であったりした場合にはとくにそうである。 (シンガー、p.256)

シンガーを読んだことのあるひとはわかると思うが、シンガーは特に傲慢でも想像力が欠けるひとでもない。むしろふつうの人よりはるかに左翼的・平等主義的な実践的関心にあふれていて圧倒される。

根気が続かないのであとメモだけ。

  • 全体を通して大きく依拠しているシューモン(Alan Shewmon)の研究、シューモン自身はどうも(脳死)臓器移植反対派ではないようだ。どういう立場なのか紹介してもらえたらよかったのではないか。
  • 「有機的統合の不可逆的喪失」説の批判はポイントをついておりたいへんよいと思う。ただし、この概念がだめだってことは当時からいろんな人によって指摘されていたと思う。
  • 和田移植以来の日本の移植医療の問題点はよく調べてあって勉強になる。
  • 最後の方で脳死患者が19年生きつづけているという話が紹介されているが (高間智生*3、「『脳死』で16年間生き続ける少年」、『ザ・リバティ』(幸福の科学出版)、1999年10月号)、ほんとうに脳死なんだろうか。これはたしかなニュースソースなのだろうか*4。 まえに書いた遷延性植物状態の患者が看護師に返事をしたとかってのと同じように、あんまり信用ならないデータを大事なところで使われるのは非常に困るのではないか。小松先生が出してくるいくつかの珍しい事例について、医学界はどういう反応をしているのか知りたい。もし医学界や報道が意図的に無視しているのだとすればそれは大問題だよなあ。
  • 小松先生がはっきりさせてくれないのは、シンガーやのような人びとも、自分自身の道徳心のようなものと理論的な整合性の要求の間で悩んでいることだろう。彼らは生と死についてとにかく首尾一貫した考え方をしたいってことで、いろいろとまじめに考えている。もし「ホモサピエンスはとにかくどんな状態でも生き続ける権利がある」を本気で主張すれば、もし首尾一貫しようとすればいろいろ理論的に不都合なことが起きるし、あるいは首尾一貫しない不整合な感情論・直観的判断におちいってしまうのだが、そこらへんどの程度本気で考えているのかわからん。
  • たとえば中絶や避妊とかに対してどういう考え方をとるのだろう?
  • あるいは末期患者の治療停止について。どうにも治療効果がなく、意識もない患者も、何度も蘇生させるべきだろうか?(現在の医療では、無理矢理生かしつづけることはほとんど無制限にできるのではないか。)

というわけで、http://d.hatena.ne.jp/kallikles/20061214 で書いた大庭先生の「(生命倫理学が)どのように作られたものかをもう一度考えなおせ」については、あんまり得るところがなかった。もちろんそれは 私に心の目や想像力が欠けているからだろう*5。反省しよう。


*1:ピーター・シンガー『生と死の倫理』、昭和堂、1998。この手の話に興味があるひとは、小松先生の紹介を読むだけでなく自分で一回読んでみて考えてみるべきだと思う。それをしないで小松先生の議論は説得力があるからシンガーは読む必要がないと思いこむひとは、小松先生が批判するマインドコントロールにはまっているのと変わりがないと思う。

*2:だいたい、自分と違う意見の人は想像力がないとか本当のことを見る目がないと主張するのはどうなんだ。時々そういうひとっているのだがよくわからん。他の分野でも見かける。

*3:このお名前ではgoogleでは1件もひっかからない。

*4:いや別に幸福の科学の雑誌だからどうってわけじゃなくて・・・

*5:もし万が一そうでなければ、ある哲学者がある応用倫理学批判の本の書評(http://www.info.human.nagoya-u.ac.jp/~iseda/works/igiari.html)で触れているように、この著者も「読者に思わず反論したい気をおこさせ、いわば読者を論争のまっただ中に導く」ことによって、心の目をひらき想像力を羽ばたかせ、批判的精神を発揮させようとしているのだろう

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小松美彦先生の『脳死・臓器移植の本当の話』(3)」への2件のフィードバック

  1. 高間智生

    脳死患者が19年生きつづけているという話は実話です。私高間が取材しました。ただし、無呼吸テストは行っていませんでしたので、脳死診断がされたわけではありません。しかし母親は、医療関係者から何度も勧められたと語っていました。高間智生という名前がまったく検索にかかってこないのは、当該教団の現場責任者に異動となり、しばらく信仰指導者をしていたためです。

  2. kallikles

    あ、御本人ですか。ありがとうございます。
    小児脳死の件も了解しました。しばらく前に報道が増えてだいたいどういう感じかも
    わかりました。早い時期に報道なさったのはとてもよいことだと思います。
    今後もご活躍ください。

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