檜垣立哉『生と権力の哲学 (ちくま新書)』。
まずフーコーの仕事を、フランス現代哲学の流れのなかに位置づけてみよう。そのためには、何よりもまず、フランスにおけるエピステモロジー(科学認識論)の系譜について押さえなければならない。
エピステモロジーとは、二十世紀の初頭においてフランスで展開された、独自の科学哲学の系譜である。(p.48)
「エピステモロジーとは」という書きだしがかっこよすぎる。こう書かれちゃうとうっかりepistemologyという言葉を使えなくなっちゃうよな。おフランス語なら「エピステモロジ」じゃないのかな。
それにしても全ページ、引用でもないのに「かっこ」入りの言葉だらけなのがかっこいい。ある概念を指すときにほとんど括弧に入れちゃってるから、カッコが入ってない行を探す方がたいへんなくらい。読みにくいし、なんかギザギザしていて目が痛いよ。
目を閉じてぱっとページを開いてみて勘定してみる。p. 188。1頁13行中、開き括弧が含まれている行は10行。開き括弧の総数は20個。ふむ。
もう1回やってみよう。p.121。13行中、開き括弧を含む行はやっぱり10行(書名の二重括弧を除く)。括弧の総数は17個。
まあ「主体という概念」とかいちいち書くのは「面倒」だから、「主体」とか「表記」しなきゃならんとか、それなりの「内的必然性」があるのだろう。しかしこれほど使うのなら「エピステモロジー」こそ括弧に入れてほしいものだ。
あれ、ふつうの「思想系」の本だとどうなんだろう。「手元」にあった伊勢田哲治先生の『哲学思考トレーニング』を同じように開いてみる。p.206 0行。p.86。2行。p.130。4行。でもおそらく「現代思想系」だともっと増える「傾向」にあるだろうということで、後藤弘子先生の『フェミニン~』p.124。総17行中7行。でもこれは「ふつうの意味」での「引用」や「発言」を含んでいるからまああれだ。
なんかこれでレポートやレビューや統計調査報告書を書けないだろうか。現代思想の文章は括弧の利用数が統計学的に有意に高いとか。(書けない)
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